PAL spirit are cheerfl today!  萬 國 春 風 百 花 生 涯 青 春

One For All~All For One! 倭は 国の まほろば たたなずく 青垣 山隠れる 倭し美し!

千とせまで~御 灯 {みあかし}~春日の杜--幽玄の美

2010年08月15日 | 環境.伝統芸術 詩歌 ペット.スポーツ ボラ-

千とせまで かけぞまもる 氏人の

      かうべといます 君のたますき 


          {春日権現験記絵} 巻3(鹿島の宮造営の事)


中元 萬燈籠~御 灯 {みあかし} 第39号

春日大社から 例年の事ながら 御送付
頂きました 本当に有難う御座います

《御 灯》--日本人の伝えてきた素晴らしい
伝統文化の真実を---理解
して頂きたい~
御 灯--第39号は 春日の杜の 信仰の世界(5)
春日権現験記絵 巻三第二段「鹿島の宮造営の事」
等が紹介されています



春日大神様の御恵みと先祖の御恩に
感謝の誠を~~春日社 中元 萬燈籠


平安朝の頃から 庶民信仰が厚く
藤原氏は基より広く一般国民から奉納された
境内にある 3000基の万燈籠---

古いのは釣り燈篭で藤原頼通の寄進した
瑠璃燈篭(1038) 石燈篭では春日 若宮社の
南方にある 藤原忠通の寄進した柚木燈篭(1137) 
また飛火野横の参道には立派な2つの
大燈篭がありますね!

崇敬者の願いを揉められた和紙が貼られ
万灯籠の日 花山院弘匡宮司が この
本殿前の「瑠璃燈籠」に点火されると
回廊のつり燈籠や 参道に立つ石燈籠に
参列者の各自が浄火を入れ---
境内にある約3000基の全ての 万燈籠に
火が灯されます  まるで幽玄の世界が
繰り広げられます~特に本殿周辺の回廊にも
燈籠は 朱色の回廊を照らし恰も平安朝の
絵巻物の様ですね!

以前は油料の続く限り毎晩点燈されたそうですが
雨乞祈願には万燈が行われた記録がある様ですね!
万燈籠は明治維新後一時 廃止されたが~~
有難いことに 明治21年から再興されています
つまり明治維新の神社改革で廃止され--明治21年
現在の形で再興~万燈篭とは神社の隆盛の証~
だったとも言われていますね!



万燈篭に先立ち 奉賛者祈願が行なわれ 舞楽、神楽
(中元の8月14日は 舞楽8月15日は神楽)が奉納され
夕闇が迫る頃~参道に立ち並ぶ2000の石燈篭と回廊
拝殿の釣燈篭1000の全てに火が灯されますね!

近年は *(中元万燈籠)  8月14日,15日
*(節分万燈籠)   2月 節分日
節分万燈籠・・・・・・諸願成就の祈願祭で
舞楽が奉納されます
中元万燈籠・・・14日には舞楽 15日には
神楽が奉納されます


祖先祭(冥福向上の御祈祷)

同時に催されているが---先祖の御恩に感謝し
御冥福を御祈りする~~春日の大神様の
御導きで御先祖は安らかに御暮らしになり―
その幸せは―やがてこの世に生きている
私達にもたれされる~~安らかなる
冥福向上の御祈祷祭も催されています



平城遷都1300年~早朝の春日の杜を満喫!

今年は平城遷都1300年記念事業の一環として~
広大な春日大社の境内(30万坪)--春日山原始林
飛火野等 早朝の春日の杜を満喫する特別企画が
(8月~10月の毎土.日曜日午前6時半) 一ノ鳥居前
集合にて 実施されています
 
皆様も 爽快な早朝の春日の杜を~~
満喫
されては如何ですか!

盂蘭盆の日の 我が家(寓居)の写真)
八百萬の神々と 慈悲深い仏様の御座します



今日(2010/08/15)は 六十五回目の終戦記念日です

戦没者を追悼し 心から平和を祈念する日です

I appreciate it.



志摩の果 安乗の小村 早手風岩をとよもし~伊勢.志摩. 伊良湖 行

2010年08月01日 | 環境.伝統芸術 詩歌 ペット.スポーツ ボラ-
摩の果 安乗の小村 早手風岩をとよもし
柳道木々を根こじて 虚空飛ぶ断れの 細葉


《安乗の稚児》 漂泊の詩人
伊良子 精白 詩集「孔雀船」(明治38)所収



美し国~伊勢.志摩~(椰子の実) 流れ来る---伊良湖 行



五十鈴川 上流に御鎮座の 皇大神宮(内宮)
伊勢の山田の原に御鎮座の 豊受大神宮(外宮)

伊勢太神宮にて--『二拝 二拍手 一拝』



お伊勢さん』」の{おかげ横丁}を通り~~
鳥羽着~先ずは 熊野水軍総督 九鬼嘉隆の
《鳥羽の浮き城》及び 22年間 鳥羽の小浜で
町医者として過ごしたと言われる 漂泊の詩人
伊良子精白の旧家が鳥羽マリンパークに
移築されたと聞き炎天下の鳥羽駅を徒歩で出発!



明治10年10月4日島根に生まれた 伊良子精白
(輝造)は 明治32年6月に京都府立医学校を卒業~
鳥羽小浜で 漁村の治療に専念した医師でもあり---
ロマンチックな空想を基調--豊富な抒情性.物語性を
伴った--18の詩篇だけを積んだ『孔雀船』を残して
明治の詩壇から 消え去った(漂泊の詩人)と---
言われていますね!

『孔雀船』巻頭の 《漂泊》
蓆戸に 秋風吹いて 川添の旅籠屋さびし
哀れなる旅の男は 夕暮れの空を眺めて
いと低く 歌いはじめぬ
~~~

《安乗の稚児》
志摩の果 安乗の小村 早手風岩をとよもし
柳道木々を根こじて 虚空飛ぶ断れの 細葉




石垣だけが残る 熊野水軍総督・九鬼嘉隆
《鳥羽の浮き城》《錦(二色)城》




大手門を{海}に向け---{海側が黒色} {山側が白色}で
あり《信長に頼られ家康に恐れられた》と
言われている--熊野水軍-九鬼嘉隆の居城~
その後は内藤 土居 松平 坂倉~稲垣が最後の藩主と
なったが 明治4年度会県に編入~~



《鳥羽の浮き城》は夏休み中の現在--親子ずれで
賑わう鳥羽水族館を眺めるように戦国 熊野水軍総督
九鬼 嘉隆の 栄華を偲ぶかの如く 蝉時雨---石垣
(城跡)だけが ひっそりと残っていました



実をとりて胸にあつれば 新たなり流離の憂~伊良湖岬

高速道路・ETC割引などの影響等々で『伊勢湾フェリー』は
今年 (2010)9月末で航路を廃止予定と言う報道を
宿泊でお世話になった (鳥羽ビューホテル)《花真珠》の
ロビーで初めて知り~急遽 朝一番の『伊勢湾フェリー』で
島崎藤村の『椰子の実』でも有名な 渥美半島の
伊良湖「椰子の実」記念碑へと~《潮騒》の島《神島》や
《管島》《答志島》巡り~~炎天下の伊勢湾 (鳥羽市―
愛知県田原市) へと 横断 致しました



レンタ.サイクルで 伊良湖岬灯台 藤村の『椰子の実』渥美半島

思いやる八重の汐々 いずれの日にか故国に帰らん
「椰子の実」記念碑 
名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実一つ
 故郷の岸を離れて 汝(なれ)はそも波に幾月

旧の木は生いや茂れる 枝はなお影をやなせる
 われもまた渚を枕 孤身の 浮寝の旅ぞ

実をとりて胸にあつれば 新たなり流離の憂
 海の日の沈むを見れば 激(たぎ)り落つ異郷の涙

思いやる八重の汐々 いずれの日にか故国に帰らん

(椰子の實)の本文--岩波文庫『藤村詩抄』(昭和2年7月)



離郷遠寓椰樹国 独有潮声似窮北
思郷念或熾即走海之浜
聴此熟耳響欝懐得少伸

森鷗外の訳詩集『於母影・思郷』~この詩も独逸の詩人
カール・ボエルマン作を「思郷」と題して意訳した---
漢詩から主題 詩想を借りてきているとされていますね!

《名も知らぬ 遠き島より 流れよる 椰子の実ひとつ・・》



我が家の 夏の味覚 トマトも 灼熱の太陽の
恵みを受け 今年も豊作!


燦燦と注ぐ 太陽の恵みを受けている~~

我が家の 太陽光発電システム《太陽光 発電所) 》




炎天を 槍のごとくに 涼気すぐ    飯田 蛇笏

炎天(まるで燃えるような天空)下を一本の槍の様に
涼気が過ぎていく---蛇笏師の眼
には~

灼熱の太陽 炎天下乍ら「槍のごとき」---
爽快感で満ち溢れて 鮮やかな表現ですね