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(芭蕉は 鑑真像の盲いた双の眼に『若葉して 御目の雫 拭ぐはばや』~「ハート形の宝扇・唐招提寺(うちわまき)~鑑真和上の苦難の旅路

2023年05月20日 | 環境.伝統芸術 詩歌 ペット.スポーツ ボラ-
『水楢の 柔き嫩葉は み眼にして
花よりもなほ 白う匂はむ』 (北原白秋)




鑑真和上が伝えた戒律を厳守する生活を送られた
唐招提寺中興の祖.大悲菩薩覚盛上人の 祥月命日

5月19日に 上人の遺徳を偲び 講堂.鼓楼て
中興忌梵網会が厳修されています



『蚊を叩かずとも (扇子)で払ってあげよう』

鎌倉時代に活躍された 大悲菩薩覚盛上人は
修行中に 蚊に刺されている御姿を見た弟子が
蚊を叩き潰そうとした際 『自分の血を 蚊に
与えるのも~』
と言われ.厳格に仏道に邁進する
上人が亡くなった後~



蚊を叩かずとも(扇子)で払ってあげよう!
(ハート形のうちわ)を「法華寺」の尼僧が
覚盛上人の功績を偲びながらお供えした
中興忌梵網会法要の後の「うちわまき」行事

(うちわ)は災厄から免れる(魔除けのうちわ)
唐招提寺の金堂.講堂の東側の「鼓楼」上から
「うちわまき」~うちわが撒かれるのが例年
5月19日の15時からとなっていました.

「ハート形のうちわには千手観音と烏枢沙摩
明王の真言が書かれている. 烏枢沙摩明王は
不浄なものを清める仏と言われている.

近くの農家の人達が田植えの前にこのうちわで
あおいで害虫がつかない様願った~寺の行事
には長い伝統のなかで蓄積され人から人へ
伝わった思いがある.大切に次の代に引き継いで
いきたい」 (唐招提寺 岡本元興長老)
サンスクリット語の真言が書かれたハート形の
(宝扇)を 赤い和紙で1本ずつ 丁寧に縁取り
「うちわには 虫よけ. 厄よけの意味があり
感染症を早く取りのぞいてほしいという願いを
込めた伝統を絶やさないように法要を続けます」




唐招提寺 境内の鼓楼からハート形のうちわ
「宝扇」をまく伝統行事「うちわまき」
今年(2023)は あいにく雨天のため中止され
参加券を持った100人には 僧侶から直接に
うちわが手渡されていました.


『自分の血を 蚊に与えるのも仏の道である』
[覚盛さんが大切にした 不殺生の精神をうちわ
から感じて頂きたいです]~(石田太一執事長)



『大寺の まろき柱の 月かげを
  土に踏みつつ ものをこそ思へ』(会津八一) 




律宗.総本山.唐招提寺で唯一現存する奈良時代
8世紀後半に建立された(寄棟造の金堂.建築)

唐招提寺南大門から境内に入ると正面に堂々たる
(エンタシス柱)が印象的で独特の厳かな(金堂)



唐招提金堂の 近く西方には『會津八一.歌碑』



『おほてらの まろき はしらの つきかげを
つちに ふみつつ ものをこそ おもへ』


會津八一は『おほてらの まろきはしら』を
(法隆寺.西院伽藍)で~(唐招提寺)では
『つちに ふみつつ ものをこそ おもへ』と詠み
据えたと振り返っている(會津八一全集.鹿鳴集)



僧鑑真和上が聖武天皇に招かれ 幾度にも及ぶ
苦難を過て来日を果たし 天平宝字3(759)年
新田部親王の旧邸を賜り創建された鑑真和上の
発願による私院とも言える『唐招提寺』




唐招提寺 境内には 金堂.講堂.校倉(2棟).鼓楼は
国宝ですが 伽藍が立ち並んでいます




天平彫刻の傑作も数多く特に『鑑真和上像』
わが国に現存する最古の肖像彫刻で 開山堂前
には鑑真和上像に対面して芭蕉が詠んだ
有名な (句碑)が立てられています



『若葉して 御目の雫 拭ぐはばや』
  唐招提寺 開山堂で鑑真像を拝み詠う 芭 蕉




鑑真和上が 天平宝字七年(763) 5月6日 結跏
趺坐し.西に面し七十六年間の 生涯を終えら
ましたが 弟子 忍基は講堂の棟や梁のくじける
夢を見て 鑑真和上の遷化近いこと予感!
高80㎝ 脱活乾漆造り穏やかな微笑--眼許から
顎にかけて 感じられる 強い意志!
そんな和上の像を刻んだと言われていますね!
筋骨逞しい体膈---拝する人々の 心に迫り
静まり返っている盲いた双つの眼 (鑑真和上坐像)



鑑真和上が亡くなってから九百年後.元禄元年四月
芭蕉は唐招提寺 鐘楼の北側の鑑真の往坊跡に

建てられていた開山堂で鑑真像を拝んで
『若葉して 御目の雫 拭ぐはばや』と詠った作品
芭蕉は鑑真像の盲いた双の眼に露わならぬ悲しみ
涙を感じとり----辺りは若葉で埋まっていて
その若葉で御眼の涙をぬぐって差し上げたい
そんな気持ちが 伝わってきますね!
盲いた眼を持って日本に渡って来られた鑑真像を
拝した時. 静かに閉じられている双の眼に打たれました



『天平の甍』の著者井上靖は『おん目の雫』と
題する著述で芭蕉の句についてこの様に書いています
「芭蕉は鑑真像の 盲いた双の眼に それと露わならぬ
悲しみの 涙を感じ取ったのである」




天平8年前後は 鑑真にとっては最も苦しい時期で
あった その苦しい時期のことを思い出す度に必ず
榮叡と祥彦の二人は鑑真の瞼の上に浮かんできたに
違いないと思う そして その都度 鑑真の盲いた
眼は 何ものでも 拭うことができぬ涙であった
ことであろうと思う---芭蕉はその涙を 若葉で
ぬぐって差し上げたいと思うたのである}(井上靖)



『水楢の 柔き嫩葉は み眼にして
花よりもなほ 白う匂はむ』 (北原白秋)




[四度.鑑真和上を憶ふ] (白秋)は これを弟子達が
[歌碑]に選んだのである. ~~白秋は52歳の時
眼底出血を起こしてから 徐々に視力を失ない
鑑真の境遇に想いを寄せ 芭蕉の句に啓発されて
できた歌でもある.自己の失明を歌に吐露しています
鑑真を憶う歌の一つが [歌碑]に なったのですね.





*平成25年の造立以来.毎日開扉している 開山堂
奉安の「鑑真和上お身代わり坐像」
⇒東北歴史
博物館で開催中の特別展[東日本大震災復興祈念 
悠久の絆.奈良・東北のみほとけ展]に 御出座.
しばらくの間は拝観出来ません (唐招提寺)
期間:令和5年5月25日(木)から6月下旬迄



唐招提寺の「奥の院」西方院が.道路に面した
(築地塀) 約100メートルの修復費用を募る
クラウドファンディング(CF)を始めています.




[西方院]は 唐招提寺の西にあり.仏師・快慶が
晩年に手がけた阿弥陀如来立像(重要文化財)を
本尊とし.鎌倉時代の創建で.築地塀は江戸時代中頃
明治時代には荒廃し.本尊も東京国立博物館に
預かられていたが 84年に本尊も戻った.
(築地塀)の上には雨水を避ける瓦屋根があるが
瓦が無くなったり割れたりしている部分が多く
雨水が浸入して土壁の傷みが深刻になっている.
表面が崩れて中の壁土や瓦が見える塀の風情が
写真やスケッチの愛好家には人気があり.
修復は屋根瓦や.それを支える木部等に留める.
*唐招提寺(0742・33・7900、10~16時)
メールは 西方院(saiho-in@kcn.jp)



『和上にも 見えてや一つ 紅蓮』(飴山 實)



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