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One For All~All For One! 倭は 国の まほろば たたなずく 青垣 山隠れる 倭し美し!

[大花火打ち上げ](奈良礼讃 大花火 開幕)~『山焼きを見ないと新春が来ない!~《若草山.幻想的な 南都の炎の祭典》「若草山焼き」

2019年01月28日 | 環境.伝統芸術 詩歌 ペット.スポーツ ボラ-
明治33年から続く伝統行事・古都の炎の祭典!
古都奈良の新年を飾る炎の祭礼「若草山焼き」
今年は1月26日{土曜日}に行われました



小生.春日野を闊歩していた奈良商業時代には
(若草山焼き)は~例年1月15日(成人の日)



決まっていましたが新成人の日の変更に伴い
1月の第4土曜日に開催されるようになり
2019年は1月26日(土)が開催日となりました



(若草山焼き) は春日大社.東大寺.興福寺の神仏が
習合し.先人の鎮魂と慰霊.~奈良全体の防災と
世界の人々の平安を祈り~600発もの打ち上げ花火



一斉に火がつけられ燃え盛る炎は冬の澄んだ夜空を
赤く染め山を覆う炎が壮観な伝統行事(若草山焼き)



金峯山寺の 山伏による 法螺衆に先導され
(雅楽道楽・僧兵・奈良奉行所役人・法螺衆)
(興福寺・東大寺・春日大社・~役人)等々に
全国各地から来られた 観光客の目を引き
惹き付けていましたね!



松明行列が篝火に点火~春日大社が山焼きの
無事を祈願する祭礼~東大寺興福寺の読経中に
篝火から大松明へ点火---大松明から山麓の



大篝火へ点火.明治33年から続く伝統行事ですね

(若草山の山焼き)のメインイベントである(花火)
(山焼き)に先駆け 様々なイベントが開催されます



(春日の大どんど) 13:00~18:00[(飛火野)
飛火野に火炉設置.正月に春日社に持ち込まれた
古いお札やお守り.注連縄飾りなどを焚き若草山焼きの
種火となっています!
(御神火奉戴祭)  16:45
(聖火行列) 出発  17:05
金峯山寺.山伏による法螺衆先導.奈良奉行所の
役人等による厳粛な時代行列が行われます
(水谷神社松明)点火 17:15
(野上神社祭典)  17:45
(大花火打ち上げ)  18:15
(尺玉) 花火が打ち上げられ~新春の南都
炎の祭典が 繰り広げられ夜空を彩ります
山焼き一斉点火 18:30



[大花火打ち上げ](奈良礼讃 大花火 開幕)
「冬の星空」「尺玉」「煌めき」~鮮やかに古都.奈良
山焼きを演出していますね!



(若草山の山焼き)の神事等と 並行して
若草山.山麓に設けられた特設ステージでは
若草山から鹿せんべいを爽快に飛ばす
鹿せんべい飛ばし大会(12.00~14.30)



三社寺(春日大社.興福寺.東大寺)に所縁ある温食!
(若草山焼き奉納太鼓)[連風]和太鼓と津軽三味線
ユニット[箏]~伊藤麻衣子さんが出演されます
{奉納太鼓}は歓喜に満ちた早春.若草山焼き祝い
和太鼓を中心に和楽器.祝い太鼓が演奏されます

『 きれいに燃えれば 景気も 良くなる!』
山焼きを見ると一年が始まったという気持ちになる
地元の人々の中に こんな声も聞かれましたが
奈良全体の防災.世界の人々との平安を祈願ですね!

多くの観光客が 山肌に広がっていく幻想的な
古都の早春の伝統行事~「若草山焼き」

『 山焼きを見ないと 新春が来ない!』



古都.奈良の冬の風物詩・明治33年からの伝統行事
《若草山 山焼き》の 起 源 は?



{東大寺}と{興福寺}の領地争い?
若草山頂~{史跡:鶯塚古墳}前方後円墳
霊魂を鎮める 杣人の祭礼
若草山の幽霊を慰霊?
江戸時代に火を放ったのが始まり?
若草山を年内~翌年の1月頃までに焼かなければ
翌年に何か不祥事件が起こると考えられていた!
等々.種々な説がある様ですが--原始的な野焼きの
遺風~つまり 若草山の 芽生えを良くする為とも
数々 雑多に~語り伝えられていますね!



いずれにしても古都の夜空を彩る若草山焼きは
明治33年から伝統行事として定着しています
皆さん方も萬葉のロマンを感じ乍らこの様な
(若草山の山焼き)起源の一考も如何でしょうか!



先人の鎮魂・慰霊~大和路からglobal standard
世界の人々へ悠久.平安を祈る伝統行事ですね!



春日野は 今日はな焼きそ 若草の
つまもこもれり 我もこもれり
題しらず 読人知らず (古今和歌集 巻壱)



『 山焼きを見ないと 新春が来ない!』  

東から あれあれ 春が くるわいな (正岡子規)



[万有は死に帰す.されど神の愛は万有をして蘇らしめん](フレデリック) ~(真備)地震、豪雨、台風と、自然災害が続く日本列島! (PARTⅡ)

2019年01月16日 | 環境.伝統芸術 詩歌 ペット.スポーツ ボラ-
{江戸時代の風情が残る倉敷美観地区}「大原美術館」



「カレーの市民‐ジャン・デール」「洗礼者ヨハネ」
オーギュスト.ロダン(1840-1917)作のブロンズ像に
迎えられる様に再び訪ねたのが大原美術館 でした!



(ジャン=デール)が逞しい手で(城門の鍵)を持ち前方を
見つめ.直線的な衣の表現・恰もジャン=デールの強固な
決意を表現している様ですね!



「今を生きる人々にとって意義あることは何か」
屈指の地主であり.倉敷紡績の創業者.孝四郎を父に持つ
大原孫三郎さんが昭和5年・児島虎次郎さんとの友情を
記念して大原美術館を開館しました(1930)
「美術館は生きて成長してゆくもの」第二次世界大戦後
大原總一郎さんは児島虎次郎が始めた西洋近代絵画の
コレクションの拡充.ヨーロッパ.アメリカの作家達の作品
近代日本の絵画を積極的に収集されましたね!
大原美術館は昭和45年に東洋館・児島虎次郎記念館は
昭和56年⇒分館地下展示室(1987)~本館も更に大きく
増設されましたね!



『受胎告知』~名画の迫力に心奪われ(児島虎次郎)が
大原孫三郎に購入の許可を願い出た.エピソードが
残っている様ですね
(エル・グレコまたはその工房)『受胎告知』~名画を
前にして作品が放つエネルギーに圧倒・感動の余りに
立ち竦んだ事でしょう!



ドガ 『赤い衣裳をつけた三人の踊り子』(1896年)
モネ『睡蓮』ルノワール 『泉による女』(1914年)
トゥールーズ=ロートレック(マルトX夫人の像)(1900年)
ボナール『欄干の猫』(1909)ユトリロ『パリ郊外』(1910)
モディリアーニ『ジャンヌ・エビュテルヌの肖像』(1918)
デ・キリコ『ヘクトールとアンドロマケーの別れ』(1918)
ピカソ『頭蓋骨のある静物』(1942年)~名画の数々~

「万有は死に帰す.されど神の愛は万有をして蘇らしめん」



(レオン.フレデリック)作品の横幅(11.5m)を基準にして
大原美術館.本館展示場の幅が決まったそうですね
右が(再生の場面)中央をはさんで左が(死の場面)が描かれ
26年かけて制作されたフレデリック代表作品には
一瞬目を奪われた次第です!



大原美術館.分館には岸田劉生[童女舞姿](教科書でも拝見)
地下1階は特大カンバスが並ぶ現代アートの空間!
草間彌生.横尾忠則等 国内の著名な芸術家の作品の
観賞に満喫致した次第です‼



(江戸幕府の天領.倉敷代官所が設けられ物資の集散地!



風情ある町並み.白壁・なまこ壁の屋敷や蔵の建ち並ぶ
倉敷美観地区を物見遊山な気持ちで散策!



「30分もしないうちに水が増えた」~住宅の1階が
浸水被害に合われたプロを思わせるカメラで撮影中の
(Kさん)に出会ったのが美観地区・倉敷川の畔でした



(記録的豪雨)堤防が決壊.濁流に飲み込まれた倉敷市真備



大規模な浸水被害が発生した倉敷市真備町(2018年7月7日)
午前1時35分頃.高梁川水系の高馬川で堤防が決壊!
午前6時半頃には高馬川が流れ込む小田川でも決壊
大量の水が小田川北側の住宅街に溢れ出ましたね



川の堤防が決壊し約3割が冠水した倉敷市真備町!
[甘かった.水害なんて.よその話だと思っていた]夜を徹し
救助活動を指揮された倉敷市消防局.小幡智士さん(談)



100人余り取り残された倉敷市真備町の[まび記念病院]
患者や病院に避難してきた地域住民等100人余りが
取り残されて消防がヘリコプターなどで懸命に救助!
報道されている状況が脳裏に残ります(2018年7月8日)



昨年9月14日.天皇皇后両陛下が真備地区をご訪問され
マイクロバスで小田川の堤防に向かわれ堤防の決壊状況
家屋等の浸水状況を御視察されました
真備総合公園体育館にご移動され両陛下は約30人の被災者
救助活動者一人ひとりに御見舞いの御言葉.労いの言葉
『復興に向けて頑張って下さい.よい復興となることを
願っています』被災者や救助活動者を見舞われました
被災を受けた方々.復興への思いを新たにされたでしょう



倉敷・真備で4600棟浸水被害![30分もしない内に
水が増えたよ] 浸水被害に合われた倉敷に住むKさん
[真備迄30分程度で行けるので屡々撮影に行くよ!]
彼の鞄から取り出し見せてくれた真備の生々しい光景
唖然とし息の詰まる思いをした次第です!

『一度真備地区へ行ってみたい』~小生の言葉を遮る様に
[住民は仮設住宅に住み.真っ暗闇の街になっているよ!



地震、豪雨、台風と、自然災害が続く日本列島!
地域の防災.防犯関連のボランティア活動中乍ら
義捐活動しか出来ず歯がゆい思いをする次第!
一日も早い(真備)の復旧.復興を願うばかりです



「万有は死に帰す.されど神の愛は万有をして蘇らしめん」




『今を生きる人々にとって意義あることは(大原美術館) (金の鯱が載っている岡山城~(真備)地震.豪雨.台風.自然災害が続く日本列島! (PART Ⅰ)

2019年01月15日 | 環境.伝統芸術 詩歌 ペット.スポーツ ボラ-
「亥固まる」干支の(いのしし)は漢字では(猪)では無く
「亥」ですね!~「亥」は新しいステージに進む為の
準備期間.次の段階へ進む為の根固め期間であり確固な
エネルギーを蓄える年とも言われていますね!



「胸に無限の覇気あらば 守れ不屈の意気の香りを」



(もんげー岡山!「晴れの国おかやま」新幹線.岡山
駅頭で迎えてくれたのが(桃太郎伝説像)と弊衣破帽
文武両道に励む高ゲタ黒マントの旧制第六高等学校
六高生の「青春感謝」(像)でした



[三年間の六稜生活は 弊衣破帽 文武両道に励み時に
街頭に出て放歌高吟することもあったが 『六高マン』の
愛称で温かく見守られた](背面に記されている由来文)



「胸に無限の覇気あらば 守れ不屈の意気の香りを」
碑文には第六高等学校応援歌「北進歌」の一節が記され
創立100周年を記念.平成12年に建てられました



黒板張りの(烏城)・金の鯱が載っている(金烏城)



(昭和21年(1945)空襲により多くが焼失~残る櫓は月見櫓
西の丸西手櫓のみとなり昭和41年(1966)天守閣は
コンクリート造りで復元され(岡山城)
黒板張りの外見から(烏城)と称され親しまれていますね

(南北朝時代・正平年間に名和氏一族.上神高直が築城し
金光備前⇒宇喜多直家.天正元年。本拠を沼城⇒石山城へ
秀の寵愛を受けた宇喜多秀家57万4千石の大大名に
五大老の一人に.石山城に東に位置していた「岡山」に
天守を含む本丸を築き石山は二の丸(慶長二年)



(旭川の流路を蛇行させ本丸東側の天然の堀とし城内には
天守の他に35基の櫓.21棟の城門等々威容を誇り~
慶長五年(1600)関ヶ原の合戦で敗北.宇喜多氏が取り潰し
東軍勝利により小早川秀秋入城.秀秋2年もたたず死去



(池田忠継が城主~池田輝政~長男の系統.光政を[岡山]へ
明治維新まで池田氏が城主を務めました
昭和21年(1945)空襲により残った櫓は天守の隣に建つ
月見櫓~(白い壁が特徴で国の重要文化財)~のみで
残念乍ら多くが焼失~金の鯱が載っている(金烏城)
黒板張りの外見から(烏城)と称され多くの観光客に
親しまれていますね!



(金沢.兼六園.水戸.偕楽園~「後楽園」(日本三名園)
池田綱政によって造営.元禄文化を代表する庭園
後楽園.園内の松竹梅で作った門松を飾り迎えてくれる
「後楽園」蜜蝋のような美しい花びらと甘い芳香の
素心蝋梅(蝋梅)が開花中です!~新春の「後楽園」
一度訪ねられては如何でしょうか!



[万有は死に帰す.されど神の愛は万有をして蘇らしめん]
(フレデリック) ~(真備)地震.豪雨.台風と自然災害が
続く日本列島(PARTⅡ)~続いて記しました!



{ふるさと.未来への希望~東から あれあれ 春が~斎串立て神酒据ゑ奉る神主部『寿與亀鶴永』山めぐる 大和国原(己亥 元朝元朝詣)

2019年01月01日 | 環境.伝統芸術 詩歌 ペット.スポーツ ボラ-
{ふるさと.未来への希望}⇒{来年こそよい年にしたい}
人々の祈りや願い(NHK.ゆく年くる年)(成田山新勝寺)
(清水寺)~故郷に響く除夜の鐘⇒(歓喜天)が守護神の
{生駒聖天} 鐘楼の余韻が除日の夜.凛として朗々と
寓居にも響いていました!



新しき 年の初めに 思ふどち
  い群れて居れば 嬉しくもあるか
      道祖王 (萬葉 巻19)
丑年正月 於治部少輔石上朝臣宅嗣家宴歌三首
新年始尓思共 伊牟礼乎礼婆 宇礼之久母安流可



斎串立て 神酒据ゑ奉る 神主部の
      髻華の玉影 見れば羨しも
          ( 萬葉巻 第十三 弐)
五十串立 神酒座奉神主部之雲 聚玉蔭見者乏文



東から あれあれ 春がくるわいな 正岡子規



我が家の 『恭頌新禧』~元朝 詣は
春日大社.布留社.生駒聖天.往馬大社(詣)



[式年造替]~20年に一度 御本殿以下の諸社殿
連綿と建て替えられてきた {春日大社}



{年越大祓式}この一年間の穢れを祓い去り 新年を
清らかな心身で迎える 春日社.神事 ~{初太鼓}
{歳旦祭}一番太鼓で {春日大社}の {元朝詣}が
始まりました



二拝 二拍手 一拝 武甕槌命が白鹿に
遣って来られたとされる(春日大社)



{平城京の守護}の為に創建された御社とされており
和銅3年(710)藤原不比等が 平城遷都の際
藤原氏の氏神を祀ったのが起こり {神護景雲2年}
今の地に社殿を造営興福寺と同様 藤原氏が勢力を
伸ばすにつれ社殿の造営が行われ 平安後期には
現在のような規模を整えられました



本殿向って{右}--第一殿 茨城 鹿島神宮から
迎えられた武甕槌命{タケミカヅチのミコト}
第二殿 千葉 香取神宮から迎えられた経津主命
第三殿 天児屋根命{アメノコヤネのミコト}と 
第四殿 比売神)は 枚岡神社から
{春日の地}に 迎えて 祀られています
奈良時代の神護景雲二年(768) 現在地に四所の
神殿が創設されたのが始まりとされています



境内に含まれる主なものは 標高295m御蓋山全域の
山林部と社頭から西方 飛火野.雪消の沢一帯の芝原
(春日.若宮おん祭)の御旅所から一の鳥居に至る
参道の地帯を含む平野部です



また{萬燈籠}で知られる釣燈籠 石燈籠の多くは
庶民の寄進によるもので 庶民信仰の深さを
伺い知ることができますね!
毎年2月節分の日と8月14・15日の中元に
全ての燈籠に火を入れる“萬燈籠”の行事が
行なわれています



春日社---「福の神12社」 

第1番社 若宮神社  正しい智恵をくださる神様
第2番社 三輪神社  子孫繁栄 子供の無事成長-神様
第3番社 兵主神社  延命長寿を守ってくれる神様
第4番社 南宮神社  金運を守ってくれる神様
第5番社 広瀬神社  衣食住を守る神様・御稲荷様
第6番社 葛城神社  心願成就の 神様
第7番社 三十八所社 正しい勇気と力をくださる神様
第8番社 佐良気神社 商売繁盛を守る恵比寿様
第9番社 宗像神社  諸芸発達を守る神様・弁天様
第10番社 紀伊神社  万物の正気 命の根源を守る神様
第11番社 金龍神社  開運財運を守ってくれる神様
第12番社 夫婦大國社 夫婦円満 良縁 福運守護の神様



山めぐる 大和国原 日の始  岡本艶女『松 苗』



石上 布留の神杉 神さびし
   恋をもあれは 更にするかも
      柿本人麿歌集 (萬葉 巻11 2417)



布都御魂大神を主祭神とされる
石 上 振 神 宮(石上神宮)



石上布留社は 古代の山辺郡石上郷に属する
布留山の西北麓に鎮座し{布都御魂大神}は
神体である{布都御魂剣に宿る神霊}とされ
布都斯魂大神 宇摩志麻治命 五十瓊敷命
白河天皇 市川臣を 配祀されています



市川臣は 孝昭天皇の皇子.天足彦国押人命の
後裔で 当社社家の祖ですね!



『古事記』・『日本書紀』に既に 石上神宮
石上振神宮との記述があり古代軍事氏族である
物部氏が祭祀し.ヤマト政権の 武器庫としての
役割も果たしてきたと考えられています



社伝によれば{布都御魂剣}は 武甕槌.経津主
二神による葦原中国平定の際に使われた剣で
神武東征で熊野において神武天皇が危機に
陥った時に 天津神から高倉下の手を通して
天皇の元に渡りその後 物部氏によって宮中で
祀られていたが神天皇7年勅命により物部氏の
伊香色雄命が現在地に遷し{石上大神}として
祀ったのが当社の創建とされています
また禁足地は今もなお 布留社と刻まれた
剣先状石瑞垣で囲まれています



未通女等が 袖布留山の 瑞垣の
  久しき時ゆ 思ひきわれは}
   柿本朝臣人麿 (萬葉 巻4 501)



歓喜天が 守護神の 宝山寺・生 駒 聖 天
《大聖歓喜自在天》(都史陀山大聖無動寺)



{生駒聖天} 鐘楼の余韻が除日の夜.凛として
朗々と寓居にも響いて来ました



浅草 本龍院.待乳山聖天と並び {三大聖天}と
称されて歓喜天が守護神の宝山寺.生駒聖天



生駒は大空の中に 龍に乗れる者あり かたち
唐人に似たり 青き油笠を着て 葛城の嶺より
馳せて胆駒山(いこまやま)に隠る~午の時に
いたりて住吉の松の頂の上より 西に向い
馳せ去りぬ~(日本書記)とあります!



{生駒山}は古くから{神霊の宿る山}として
崇められ役小角・空海の修行の地との伝承があり
今も山中にお瀧場として霊場が点在しています



真言律宗 正式名{都史陀山大聖無動寺}と言い
延宝六(1678)年 宝山湛海の開山



本尊は 不動明王だが 聖天さんと呼ばれる
大聖歓喜自在天への信仰が強く
この寺の信仰は 般若磐と呼ばれる安山岩の
突起に出来ている洞穴に見る巨石信仰にあり
特に生駒市から南へ行った処から見る岩山
ただならぬものを感じますね!



{己亥} ~元朝の宝山寺境内~{現世御利益}
{商売繁盛}~祈願に全国各地から多くの
善男善女達も {聖天さん}を訪れ--山門には
師走 十六日に奉納された 無垢な(注連縄)を
凛として潜られた事と思われます



生駒山が御神体の往馬坐伊古麻都比古神社
      《往 馬 大 社》



御祭神は 伊古麻都比古神 (産土の男神)
伊古麻都比賣神(産土の女神)ほか 五柱で
貞観元年(西暦859年)『延喜式神名帳』には
(往馬坐伊古麻都比古神)として名を連ねる
神社とされていますね!



{生駒曼荼羅図}は県の絵画とされ伝統行事の
(火祭り)は県の無形民俗文化財と指定!
{往馬大社}は古くから(火の神)として尊ばれ
歴代天皇の大嘗祭に用いられる{火きり木}を
献上されています



昭和天皇の大嘗祭や平成2年に執り行われた
平成の 大嘗祭の{斎田點定の儀}にも
{往馬大社}の火きり木が使用されました



酒もすき 餅もすきなり 今朝の春  高浜虚子



山めぐる 大和国原 日の始 岡本艶女『松 苗』

若菜籠 万葉の歌 うかびけり 大串 章 {若菜}



東から あれあれ 春が くるわいな 正岡子規



そらみつ 大和の國は 神からか ありがほし
 國からか住みがほしき ありがほしき国は
あきつしま大和 {琴歌譜 正月元日慶歌}



凛とした元朝 国家安寧.皆様の弥栄を祈念致します



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