玉藻よし 讃岐の国は 国からか 見れども飽かぬ~
柿本人麻呂 {萬葉 巻2-220}
玉藻吉 讃岐國者 國柄加 雖見不飽 神柄加
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/be/53bf07b426a68308adbfd0a06fecccc5.jpg)
{丸金か京六か}~{お伊勢参り}と並ぶ程 一生に一度の夢
讃岐.金毘羅大権現と京都.東西 本願寺への
参拝の旅も江戸を始め東日本からは人生一度の
一大イベントと言える至難の旅だった事が
偲ばれますね!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/86/ea5f976faf2cd998c7c406aa674c0df7.jpg)
『金比羅参り』ご主人の代参~「こんぴら狗」
{金毘羅大権現.代参}~清水次郎長の代わりに
参拝~預かった刀を奉納したとされる森石松は
あまりにも有名ですが~『金比羅参り』と書いた
袋に 御主人の名前が書かれた木札.初穂料
道中の食費等々を入れて金毘羅大権現へ
代参したそうですね!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/7d/aa2ad6f54a7280332f4856c5389e8f68.jpg)
「こんぴら狗」は 旅人から旅人へと連れられ
街道筋の人々に 世話をされ乍も 大役を
果たしと言い伝えられています
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/c5/48788588e8a7b53f9825ee27b2099d7f.jpg)
琴平山.象頭山の山岳信仰と修験道が融合
{金毘羅権現}~神仏分離令により
{象頭山松尾寺金光院}は廃寺に追い込まれましたが
桜花爛漫の金毘羅宮.金毘羅権現社奥社までは{石段}
本宮まで785段~奥社までの合計は1368段が
待ち構えていました
金毘羅宮・金毘羅権現社参道から奥社までの
石段沿いには {大門}{五人百姓}~宝物館には
第一級の美術品や文化財が陳列されていました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/81/073d5535e2fb696d76c315b4ea5122fa.jpg)
参道の両脇には土産物や讃岐うどんの
店舗等が並び、現存する日本最古の芝居小屋
{金丸座}旧金毘羅大芝居があります
天保6年{1835}に建立の旧金毘羅大芝居は
江戸時代中頃から金毘羅信仰が高まり年3回
{3・6・10月}の{市立ち}の度に 歌舞伎等の
興行を行っていたそうですね!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/76/07e81e8e83b3cb79eabf0f79f93ee5ea.jpg)
金毘羅 門前町.街道入□には{高燈籠}
日本一と言われている高燈籠が往時の
殷賑を語りかけていますね!
JR琴平駅前に置かれている灯篭は
丸亀街道(現富士見町)~八基
多度津街道(高敏町下)入ロにあった
打電二基と伯犬一対を駅前整備事業の
一環として当時往来した信者の献灯が
昭和51年に移転されたそうです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/dc/402b642d4536aef165a7337260f04c9b.jpg)
最古の燈籠は本宮神輿庫南側に
所在し寛文8年{1668年)松平頼重公の
寄進によるものとされています
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/73/b1cf4539587000da8848caac42a369d5.jpg)
早朝登山をされている方々も多いと聞く
{讃岐富士} 飯野山 {標高421.87m}を
身近に眺め~灌漑用水の為の池の多さに
大和盆地の {ため池}を 思い浮かべ
{お遍路さん}にも出会った{桜花 爛漫}の
讃岐.金毘羅行きでした 有難う!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/3e/bbf57fc451eae1a35ada8a86785022da.jpg)
♪金毘羅船々追風に帆かけてシュラシュシュシュ
まわれば 四国は讃州 那珂の郡
象頭山.金毘羅大権現~~♪
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/5d/215ac59623bce9e4f2f307f7859b0b02.jpg)
柿本人麻呂 {萬葉 巻2-220}
玉藻吉 讃岐國者 國柄加 雖見不飽 神柄加
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/be/53bf07b426a68308adbfd0a06fecccc5.jpg)
{丸金か京六か}~{お伊勢参り}と並ぶ程 一生に一度の夢
讃岐.金毘羅大権現と京都.東西 本願寺への
参拝の旅も江戸を始め東日本からは人生一度の
一大イベントと言える至難の旅だった事が
偲ばれますね!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/86/ea5f976faf2cd998c7c406aa674c0df7.jpg)
『金比羅参り』ご主人の代参~「こんぴら狗」
{金毘羅大権現.代参}~清水次郎長の代わりに
参拝~預かった刀を奉納したとされる森石松は
あまりにも有名ですが~『金比羅参り』と書いた
袋に 御主人の名前が書かれた木札.初穂料
道中の食費等々を入れて金毘羅大権現へ
代参したそうですね!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/7d/aa2ad6f54a7280332f4856c5389e8f68.jpg)
「こんぴら狗」は 旅人から旅人へと連れられ
街道筋の人々に 世話をされ乍も 大役を
果たしと言い伝えられています
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/c5/48788588e8a7b53f9825ee27b2099d7f.jpg)
琴平山.象頭山の山岳信仰と修験道が融合
{金毘羅権現}~神仏分離令により
{象頭山松尾寺金光院}は廃寺に追い込まれましたが
桜花爛漫の金毘羅宮.金毘羅権現社奥社までは{石段}
本宮まで785段~奥社までの合計は1368段が
待ち構えていました
金毘羅宮・金毘羅権現社参道から奥社までの
石段沿いには {大門}{五人百姓}~宝物館には
第一級の美術品や文化財が陳列されていました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/81/073d5535e2fb696d76c315b4ea5122fa.jpg)
参道の両脇には土産物や讃岐うどんの
店舗等が並び、現存する日本最古の芝居小屋
{金丸座}旧金毘羅大芝居があります
天保6年{1835}に建立の旧金毘羅大芝居は
江戸時代中頃から金毘羅信仰が高まり年3回
{3・6・10月}の{市立ち}の度に 歌舞伎等の
興行を行っていたそうですね!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/76/07e81e8e83b3cb79eabf0f79f93ee5ea.jpg)
金毘羅 門前町.街道入□には{高燈籠}
日本一と言われている高燈籠が往時の
殷賑を語りかけていますね!
JR琴平駅前に置かれている灯篭は
丸亀街道(現富士見町)~八基
多度津街道(高敏町下)入ロにあった
打電二基と伯犬一対を駅前整備事業の
一環として当時往来した信者の献灯が
昭和51年に移転されたそうです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/dc/402b642d4536aef165a7337260f04c9b.jpg)
最古の燈籠は本宮神輿庫南側に
所在し寛文8年{1668年)松平頼重公の
寄進によるものとされています
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/73/b1cf4539587000da8848caac42a369d5.jpg)
早朝登山をされている方々も多いと聞く
{讃岐富士} 飯野山 {標高421.87m}を
身近に眺め~灌漑用水の為の池の多さに
大和盆地の {ため池}を 思い浮かべ
{お遍路さん}にも出会った{桜花 爛漫}の
讃岐.金毘羅行きでした 有難う!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/3e/bbf57fc451eae1a35ada8a86785022da.jpg)
♪金毘羅船々追風に帆かけてシュラシュシュシュ
まわれば 四国は讃州 那珂の郡
象頭山.金毘羅大権現~~♪
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/5d/215ac59623bce9e4f2f307f7859b0b02.jpg)