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One For All~All For One! 倭は 国の まほろば たたなずく 青垣 山隠れる 倭し美し!

(津ならではの~夏.華.美~『海上花火 翻車魚波間~(彩色千輪菊)~(七色の孔雀) ~築城の名手(藤堂高虎)が大改修した『津城』(安濃津城) ~(盛夏の伊勢路)

2019年07月28日 | 環境.伝統芸術 詩歌 ペット.スポーツ ボラ-
『海上花火 翻車魚波間 よりみるか』(根岸善雄) [馬醉木]



(三重県南部に上陸した台風6号.東日本太平洋側を進み
近畿.東海地方は局地的に非常に激しい雨に見舞われた
所もありましたが熱帯低気圧に変わりました!



台風の影響が懸念された『隅田川の花火』も開催され
959,000人の方々が来場され(首都の夏の風物詩)も
可成り盛り上がっていましたね!(2019.7.27)



例年より遅い関東地方に続き東北南部でもようやく
梅雨が明け⇒日本列島一転.熱中症患者が相次ぐ
炎暑の空模様⇒夏の高気圧に覆われ厳しい暑さ!
東北相馬35.5℃迄上昇.東京.大阪⇒仙台で33.5℃
札幌で32.0℃等北日本も軒並み30℃超え
真夏日地点は既に566地点にも上昇しました
(熱中症対策をされ体調に異変を感じたら~
身体を休められる等.十分御注意下さい!



伊勢湾台風襲来から60年を迎え犠牲者追悼花火
桑名市の揖斐川河畔で開かれた(桑名水郷花火大会)



花火玉を川面で爆発させる水中スターマイン!
犠牲者へのメッセージを放送し乍ら打ち上げる等々
(追悼花火)演出にも趣向を凝らし迫力ある1万発の
花火で桑名市の揖斐川河畔が賑わっていましたね!



夜空を彩る大輪『津ならではの ~夏・華・美 2019』



近鉄[アーバンライナーplus]で駆け付けたのが



華麗なる(尺玉一斉開花)で始まる津市.阿漕浦海岸
[第68回 津花火大会]でした!



『海上花火 翻車魚波間よりみるか』(根岸善雄) [馬醉木]



(大正時代)に 始まった歴史ある花火大会ですね!
(桑名水郷花火大会)と同様に(津花火大会2019)は
台風の接近に伴う悪天候が予想される為.翌日28日に
延期されました~(打ち上げ数:約11,500発(7.28)
青一色大スターマイン!(津花火大会名物)でもある
(二隻の船)から投げ込む(100発連続海上花火)



『大輪の 花火の照りを 満面に』(金子つとむ)[俳句通信]



(彩色千輪菊)は[熊野大花火大会].[おわせ港まつり]と共に



超有名な花火ですが(七色の孔雀)と(彩色千輪菊)
阿漕浦海岸の夜空一杯に彩り巻き起こる喚声は確に
(津ならではの~夏・華・美~) 感激しました!



津市の新名所ミツマタ群生地を描く尺玉10発の
一斉打ち上げや豪華なフィナーレ等々が満載
砂浜から臨場感に溢れる花火を満喫致しました!



『海上花火翻車魚波間よりみるか』(根岸善雄)[馬醉木]



細野藤光が築き織田信包の居城⇒江戸時代に築城の名手
(藤堂高虎)が大改修した『津城』(安濃津城)



(津市)の古い地名は『安濃津』と言われており
平安時代から伊勢の中心地として栄えていた様ですね
『津城』~(安濃津城)は 北は安濃川.南は岩田川に
挟まれた天然の外堀を活用した(輪郭式平城)



細野藤光が築き⇒信長の弟である織田信包の居城
江戸時代には築城の名手(藤堂高虎)が大改修した
名城伊勢.津城は明治時代迄.藤堂氏の居城としては
11代続き幕末に至りましたね



(藤堂高虎)は北側の石塁を高く積み直し輪郭式の
城郭に大改修~天守台は築かれたが天守は再建
されなかったと言われ.城下の東側を通っていた
伊勢街道を城下に取り入れ伊予から移らせた町人達
岩田川の南に住まわせて「伊予町」を創る等々
城下町を復興さていますね!



伊勢国を代表する城郭.続日本100名城にも選ばれて
いるが現在復元されているのは三層の復興櫓となる
丑寅櫓だけですね!



『 夏草や 兵どもが 夢の跡 』 (芭蕉)



本丸.西の丸.内堀の一部を残すのみで.角櫓.三層の
白壁に老松.苔むす石垣と共に往時を偲べますが~
凛々しい(藤堂高虎像)を眺めて 今昔の感有り!



『喚声が瀬音に変る花火の間』(内山和江) [奧嶺]






『洛中の いづこにゐても 祇園囃子』動く美術館.祇園祭.山鉾~『彼はなぜ日本近代陶芸の巨匠なのか』~暮らしを豊かにする[陶器]~(富本憲吉)

2019年07月20日 | 環境.伝統芸術 詩歌 ペット.スポーツ ボラ-
(7月1日の京都下京区の長刀鉾町「吉符入」から
31日の疫神社(夏越祓)迄1カ月に渡る神事で始まる
(京都の夏)~疫病退散を祈願した(祇園御霊会)が
始まりとされる京都八坂神社のお祭り(祇園祭)
京都.祇園祭.前祭(さきまつり)の山鉾巡行(17日)



『洛中の いづこにゐても 祇園囃子』(山口誓子)



「動く美術館」といわれ豪華な装飾品に彩られた
23基の山鉾が 都大路を優雅に進み沿道に
詰めかけた方々12万人⇒今年は祇園祭が始まって
『1150年 』の節目と言えますね!



『鯉山の 飛沫か汗か 鉾の衆』 (能村 登四郎)



令和初の巡行午前9時過ぎ先頭の長刀鉾が四条烏丸を
出発⇒四条河原町の交差点等.山鉾の進行方向を90度
変える豪快な「辻回し」が披露されましたね!
後祭(あとまつり)は7月24日~山鉾巡行では
193年振りに唐櫃による巡行復帰を果たした
(鷹山)を含む11基の山鉾が都大路を進みますね!



『白炎天 鉾の切尖 深く許し』 (橋本多佳子)



(国立奈良博物館)で名品展 「珠玉の仏教美術」
[法徳寺の仏像 ―近代を旅した仏たち―]等
観賞の後必ず寄るのは登大路町の県立美術館です!



「富本憲吉入門―彼はなぜ日本近代陶芸の巨匠なのか」



奈良県安堵町出身の重要無形文化財保持者(人間国宝)
文化勲章受章者の富本憲吉さんの作品約160件!
県立美術館.新収蔵.初出展作品21件や開館記念展
昭和48年以来.46年ぶりの出展!
「暮らしを豊かにする陶器」に拘った富本憲吉さんの
生涯を辿る様な豪華な作品の数々に堪能致しました!



「富本憲吉のデザインは安堵や大和の風景や植物が
採用されている。大学では室内装飾の図案を学び、
陶芸家として動き出したのは27歳のとき。
『暮らしをどう豊かに彩るか』に強い関心があった」
奈良県立美術館学芸員(飯島礼子さん(談)



46年振りに出展された「白磁壷」(昭和8年)
(穏やかながら存在感があり富本さんが重んじた
形が生み出す美を感じられる)と解説されています



四弁花模様は富本さんが創作した代表的な模様!
(色絵四弁花模様香炉)(昭和19年)~ 初出展ですね



(色絵四弁花更紗模様六角飾筥)(昭和20年)華やかな
色使いで動感のある作品ですね



「大和時代」「東京時代」「京都時代」の三つに
分けて紹介されています!
富本憲吉入門(彼はなぜ日本近代陶芸の巨匠なのか)
展示会場内では直接写真撮影は禁止の為.陶芸作品は
ポスターから借用しました



「憲吉が訪ねたぬくもりのある焼物」安堵町.携展示
パネルや展示9点「九谷焼」「信楽焼」との関わり
和装の憲吉柄を紹介されています(1Fギャラリー)



明治37年東京美術学校(東京藝術大学図案科入学
明治41年(1908)ロンドンに留学.帰国後に親交を
結んだバーナード・リーチの影響で大正2年(1913)に
楽焼の制作を始めほぼ独学で陶芸の道を歩み始めた
郷土を代表する芸術家.憲吉さんが訪ねた温もりのある
焼物(彼はなぜ日本近代陶芸の巨匠なのか!(9.1迄)
蝉時雨の只中.盛夏の奈良で美術鑑賞も一興ですね!



『いかるがの わさだの くろに かりほして
   はにねらすらむ ながきながよを』
(會津八一)歌集「鹿鳴集」



『カシオペヤ 天鉾を立つ 御遷宮』(山口誓子)



(暁の 磴あり茅の輪・千歳の命 延といふなり~茅の輪立つ 極大三角『母の分も一つくぐる茅の輪かな』《夏越の祓》迎える(稲穂が実って来る月.穂含月)

2019年07月01日 | 環境.伝統芸術 詩歌 ペット.スポーツ ボラ-
天つ菅麻を本刈り断ち 末刈り切りて
 瀬織津比売が 大海原に持ち出でなむ{祝詞}



『暁の 磴あり茅の輪 貫けり』  (阿波野 青畝)

『住吉の 砂の音聞く 茅の輪かな』(阿波野 青畝)



《熱中症予防強化月間》 (7月~8月)



(熱中症は一人ひとりが正しい知識を
持つことで 防ぐことができます)



熱中症は職場や学校.スポーツ現場での発生だけで
なく夜間や屋内も含め 子供から高齢者まで幅広い
年代層で発生.熱中症に罹る人が急増する7月中旬以降
晴れて気温のかなり高い日が続き熱中症にかかる
リスクが高くなると見込まれた為熱中症予防強化
月間を8月31日まで延長されています



『茅の輪立つ 極大三角 冨士の岳』(中村 草田男)



二十四節気で最も暑い頃とされる『大暑』(7.23)
間も無くやってきます!



『兎も片耳垂るる大暑かな』(芥川龍之介)「澄江堂句集」



特に高齢者の方々は 室温の高さや 喉の渇きも
感じにくくなると言われ水分補給は喉の渇きを
感じずとも早めに補給・適度な室温が大切ですね!
『もったいない』のは 飲料水や電気代では無く
体調を崩さない事が大事!
熱中症は、気温が高い屋外だけで発症すると
思われがちですが曇りの日や室内.夜間寝ている
ときや部屋の中でも発症します



年齢を問わず注意することは勿論の事ですが
乳幼児や周りで具合の悪そうな人がおられたら
涼しい場所へ移動し水分摂取を促す等々
声を掛け合いたいものです
外出時はカバンなどに補水液[アルミパック]や
熱中症対策のキャンディーなどを入れておく事も
熱中症になった人への応急処置にも役立ちますね!



(水無月の夏越の祓する人は 千歳の命 延というなり)



(茅の輪) 潜ると 夏の疫病や災厄から免れ
この一年を災難 無く過ごさせて戴く御 祓
(夏越しの大祓)は 奈良朝に宮中で始まり悠久に
各地の神社.仏閣で営まれています



『母の分も一つくぐる茅の輪かな』 (一茶)



(茅の輪)という茅でできた大きな輪を三度くぐって
身を清め本年後半の心機一転を誓う(夏越しの大祓)



東大寺では(盧舎那仏)の前に 茅草で作った
直径約2mの{茅の輪}が設けられ除疫病を祈る
(夏越の大祓)に由来する法要(東大寺 解除会)が
月遅れの 7月下旬に 催されていますが殆どの
神社仏閣では陰暦六月晦日に「夏越の大祓」が
行われていますね!



京都の多くの神社でも 六月晦日に(夏越神事)
京の夏の風物詩とされています
(水無月祓)~上賀茂神社.吉田神社.建勲神社
白峯神社.地主神社.貴船神社.城南宮.車折神社
梅宮神社.御香宮神社 etc



御誕辰祭・大茅の 輪くぐり(天神さんの日)
夏本番の前~{大茅の輪くぐり}の神事
菅原道真の御誕辰祭に夏越の神事が催されます
楼門に直径5mもの「大茅の輪」が掲げられ
天神さんの縁日のあるこの日は「夏越天神」
植木市.骨董品市等の露店も出て賑わいます
酷暑を無事に越すことを願い~(夏越 天神)
夏本番を前に茅の輪をくぐり~(茅の輪)が
(智の輪)にも通じると言われていますね!



小生 例年元朝詣の 春日大社の(夏越 大祓式)
午後3時 二の鳥居の近くにある祓戸神社で行われ
春日参道には直径約2㍍の立派な(茅の輪)が設けられ
神官に続いて参列者が次々と潜り.皆さんが無事の
(夏 越)を祈っておられました



{300人の参拝された方々~細かく切った紙を体に
振りかけ無事の(夏 越)を 祈っておられました
身についた罪や穢れを祓い去り~無事に夏を乗り
切れる様にと祈願する神事とされています



『茅の輪つくる茅の青繩も にほひたち』(山口 青邨)



(往馬大社)~(夏越の大祓)
小生の氏神様とも言える 往馬大社の夏越の大祓
拝殿で神事.この半年間に知らず知らずに犯した
罪や穢れを~渡された人形にうつしておられます
{天つ菅麻を本刈り断ち 末刈り切りて
瀬織津比売が大海原に持ち出でなむ{祝詞}
祓戸社でお祓いと祝詞奏上~晒を張り切り裂く



往馬大社の(茅の輪くぐり)は 高座の横で行われ
宮司を先頭に《水無月の 夏越の祓する人は
千年の命 延というなり~》茅の輪をくぐり乍
暑い夏を無事に乗り越えられる様と参拝の
皆さんが祈願されています



悪霊邪神.稲の害虫を払い 五穀豊穣を祈祷!
布留 石上神宮 {神剣渡御祭(でんでん祭)
小生の故郷 布留 石上神宮では(神剣渡御祭)



(でんでん)と鳴る太鼓の音に合わせて末社の
神田神社へ渡る~{でんでん祭}(6.30)
例祭の後に{御田祭り}~お田植神事が行われ
夕刻には布留.本社にて{夏越の祓}が行われます
神剣を先頭に~古歌を朗詠し{茅の輪くぐり}が
参列者が一列になって行われ茅の輪(御田祭り)
(早苗)は参列者が少しずつ持ち帰り~暑い夏の
無事・御祓いで災難無く過ごせるように
御祈願されています



柿本人麻呂歌塚・和邇下神社~(夏越の大祓)
当時の官道~{上ツ道}と龍田から伊賀へと延びる
治道 横田道~要衝に鎮座する~和邇下神社



和邇下神社の({祇園まつり} 当日に境内では
{茅の輪くぐり}が催され~また 以前は
[櫟本小学校]の校庭では{円筒埴輪の燈火会}が
同時開催.学校の屋上から{燈火会を観賞!
打ち上げ花火も有り~多くの露店が出る
祇園まつりで賑わう参道に家族と伴に加わり
楽しいひと時を過ごした時も有ります



大和 大神神社では(大祓みわの茅の輪神事)
拝殿前の斎庭には三つの茅の輪で作られた
{みわの 茅の輪}が設置され~{大祓みわの
茅の輪神事}が祈祷殿前斎庭にて祭典!
神職が人形に息を吹きかけ 麻布を破ったり
けがれと罪を祓い落とされていました
各地から参拝者に来られた500人の方々が
直径約3メートルの茅の輪を8の字に潜り
無病息災を祈っておられました



拝殿前には大神神社の三ツ鳥居に因み
杉、松、榊の三霊木を其々の輪の上に掲げ
(三輪の茅の輪)が9日迄設置されますね!



遣唐使が旅立つ前には参拝していたと言われる
大和神社(夏越の大祓式・茅の輪くぐり)

大和天川村の天河大辨財天社で(大祓式)



橿原神宮では神楽祈祷(夏越祈祷神楽)(大祓
大祓式以降の穢れを祓い清める神事!
この後半年間の無病息災を願う祈祷が
行なわれていますね!



《夏越の祓》迎える(稲穂が実って来る月.穂含月)



『思ふ事 皆つきぬとて 麻の葉を
  切りに切りて 祓えつるかな』 (和泉 式部)




『炎天を 槍のごとくに 涼気すぐ』(飯田 蛇笏)



連日の様な{熱い夏}~蛇笏師の名句の如く
槍のごとくに涼気すぐ」--皆さんも爽快に
(夏越の祓)を迎えられた事かと思います



左大辨葛城王等賜姓橘氏之時御製歌一首
橘者 實左倍花左倍 其葉左倍
   枝尓霜雖降 益常葉之樹
   萬葉巻6-1009番 聖武天皇




葡萄美酒夜光杯 欲飲琵琶馬上催
酔臥沙場君莫笑 古来征戦幾人回(王 翰)


(葡萄の美酒夜光の杯 飲まんと欲すれば
琵琶馬上に催す 酔うて沙上に臥すも
君笑うことなかれ 古来征戦幾か回る)




山麓の我が家へ帰ってから(日々是好日)
ポジティブに拙宅の床の間に掲げたのが
{葡萄の美酒 夜光の杯飲まんと~}
盛唐の詩人(王翰)~(西郷隆盛)「山行」
日夜 朗詠を楽しんでいます




「山 行」 (西郷隆盛)
駆犬衝雲独自攀 犬を駆り雲を衝いて独り自ら攀じ
豪然長嘯断峰間 豪然として長嘯す断峰の間
請看世上人心険 請う看よ世上人心の険なるを
渉歴艱於山路艱 渉歴するは山路の艱きよりも艱し



『茅の輪立つ 極大三角 冨士の岳』(中村 草田男)

(水無月の 夏越の祓する人は
   千歳の生命延といふなり~)
【公事根源】一条兼良 有職故実書著{室町中期}


自分が涙を流さなければ人の涙を誘うことはできない
自分が信じなければ人を信じさせることはできない
 (Sir Winston Leonard Spencer-Churchill)



(天つ菅麻を本刈り断ち 末刈り切りて
  瀬織津比売が大海原に持ち出でなむ(祝詞)