1947年、フランス政府の高官でもあった哲学者アレクサンドル・コジェーヴは、それについてのアクチュアリティが今日省察し直すに適する、『ラテン帝国 L’impero latino』というタイトルのテクストを発表する。特異な先見の明でもって著者は留保なく、結果としてフランスをヨーロッパ大陸内の第二の勢力の地位に引き下げることで、ドイツは僅か数年内にヨーロッパ経済の主要国家になるだろうと断言していた。コジェーヴは、今日国民国家 gli stati-nazione が抑えがたく国家の諸境界を乗り越え、また“帝国 imperi”の名でもって規定していた政治的諸形態への段階に落ち込んだだろう同様、近代が国民国家の有利になるよう連邦的政治形態の没落を意味したように、その時までヨーロッパの歴史を意味した国民国家の終焉を明晰に見ていた。しかし、コジェーヴによれば、これら帝国から成る、文化の、言語の、生の諸様式の、そして宗教の現実的親近性を捨象する抽象化された統一体は存在することができなかった。諸帝国——彼がすでに彼の眼前に形成されたのを見ていたもの、アングロサクソンの帝国(アメリカとイギリス)とソヴィエトのそれのような——は、“超国家的な政治的統一体であるだろうが、しかし姻戚関係を結んだ諸国家により形成された”だろう。このため、彼は、それについて伝統を纏めたと同時に、地中海に開いているカトリック教会の協定によって経済的また政治的に三つのラテン大国(フランス、スペイン、そしてイタリア)を統一しただろう、ただ一つの“ラテン帝国”を念頭に置くことをフランスに提案していた。プロテスタントのドイツは、事実そうなったように、すぐにヨーロッパ内で最も裕福で有力な国に変わっただろう(アングロサクソンの帝国の諸形態あたりのヨーロッパ外の召命により情け容赦なく引き寄せられるだろう)と彼は論じていた。しかし、フランスとラテン的諸国はこの観点において、必然的に衛星国の周辺的役割に縮減されることで、多かれ少なかれ関係のない政体に留まるだろう。今日に特有なことは、ヨーロッパ連合 l’Unione europea〔EU〕は、文化的な具体的親戚関係がコジェーヴの提案を省察することに有益で緊急であることを無視したままに、形成されたということである。彼が予想していたことは詳細に確証された。生の形式の、文化の、また宗教の現実的な諸類縁性を放置したままでいることで、専ら経済的な基盤において存在することを強要する一つのヨーロッパは、(当に反対に経済的平面において)全てのその脆弱性を今日示す。ここに仮定された統一性は反対に諸差異を強く際立たせたし、また各々は、より豊かな少数の諸利益をより貧しい大多数に負わせる状態に落ちぶれることと関係がありうるだろう。そして、それら〔少数と大多数〕はよく、その最近の歴史の上に模範を考察することについて何も示唆しない、ある一つの国家の諸利益と同時に起きる。一人のギリシャ人、または一人のイタリア人が一人のドイツ人のように生きることを強く求めるのは、役に立たない唯一のことではない。しかし、このこともありうると仮定した時、これは、まず初めに生の形式によって作られたその文化的遺産の喪失を意味するだろう。そして、生の諸形式を無視することを要求するある政治的な統一性は、とどまることを運命づけられないだけではなく、また、ヨーロッパが雄弁に示すように、このように構成することすらできない。多くの兆候が予見させるように、もしヨーロッパが非情にも解体されることが望まれないなら、ある政治的現実性をコジェーヴがラテン的帝国と呼んでいたことに似た何かに返還することを試みることで、ヨーロッパ的な構成(それは、公法的な観点からそのことを覚えておくことがよいが、ある構成ではなく、しかし、このような、人民の投票に委ねられていない、また、フランスやオランダにおけるように、そこではそれがあったが、センセーショナルに拒否された、諸国家間の合意〔協定〕である)が違うように再び分節化されうるだろうといったように今や考え始めることは、配慮すべきである。
1947年、フランス政府の高官でもあった哲学者アレクサンドル・コジェーヴは、それについてのアクチュアリティが今日省察し直すに適する、『ラテン帝国 L’impero latino』というタイトルのテクストを発表する。特異な先見の明でもって著者は留保なく、結果としてフランスをヨーロッパ大陸内の第二の勢力の地位に引き下げることで、ドイツは僅か数年内にヨーロッパ経済の主要国家になるだろうと断言していた。コジェーヴは、今日国民国家 gli stati-nazione が抑えがたく国家の諸境界を乗り越え、また“帝国 imperi”の名でもって規定していた政治的諸形態への段階に落ち込んだだろう同様、近代が国民国家の有利になるよう連邦的政治形態の没落を意味したように、その時までヨーロッパの歴史を意味した国民国家の終焉を明晰に見ていた。しかし、コジェーヴによれば、これら帝国から成る、文化の、言語の、生の諸様式の、そして宗教の現実的親近性を捨象する抽象化された統一体は存在することができなかった。諸帝国——彼がすでに彼の眼前に形成されたのを見ていたもの、アングロサクソンの帝国(アメリカとイギリス)とソヴィエトのそれのような——は、“超国家的な政治的統一体であるだろうが、しかし姻戚関係を結んだ諸国家により形成された”だろう。このため、彼は、それについて伝統を纏めたと同時に、地中海に開いているカトリック教会の協定によって経済的また政治的に三つのラテン大国(フランス、スペイン、そしてイタリア)を統一しただろう、ただ一つの“ラテン帝国”を念頭に置くことをフランスに提案していた。プロテスタントのドイツは、事実そうなったように、すぐにヨーロッパ内で最も裕福で有力な国に変わっただろう(アングロサクソンの帝国の諸形態あたりのヨーロッパ外の召命により情け容赦なく引き寄せられるだろう)と彼は論じていた。しかし、フランスとラテン的諸国はこの観点において、必然的に衛星国の周辺的役割に縮減されることで、多かれ少なかれ関係のない政体に留まるだろう。今日に特有なことは、ヨーロッパ連合 l’Unione europea〔EU〕は、文化的な具体的親戚関係がコジェーヴの提案を省察することに有益で緊急であることを無視したままに、形成されたということである。彼が予想していたことは詳細に確証された。生の形式の、文化の、また宗教の現実的な諸類縁性を放置したままでいることで、専ら経済的な基盤において存在することを強要する一つのヨーロッパは、(当に反対に経済的平面において)全てのその脆弱性を今日示す。ここに仮定された統一性は反対に諸差異を強く際立たせたし、また各々は、より豊かな少数の諸利益をより貧しい大多数に負わせる状態に落ちぶれることと関係がありうるだろう。そして、それら〔少数と大多数〕はよく、その最近の歴史の上に模範を考察することについて何も示唆しない、ある一つの国家の諸利益と同時に起きる。一人のギリシャ人、または一人のイタリア人が一人のドイツ人のように生きることを強く求めるのは、役に立たない唯一のことではない。しかし、このこともありうると仮定した時、これは、まず初めに生の形式によって作られたその文化的遺産の喪失を意味するだろう。そして、生の諸形式を無視することを要求するある政治的な統一性は、とどまることを運命づけられないだけではなく、また、ヨーロッパが雄弁に示すように、このように構成することすらできない。多くの兆候が予見させるように、もしヨーロッパが非情にも解体されることが望まれないなら、ある政治的現実性をコジェーヴがラテン的帝国と呼んでいたことに似た何かに返還することを試みることで、ヨーロッパ的な構成(それは、公法的な観点からそのことを覚えておくことがよいが、ある構成ではなく、しかし、このような、人民の投票に委ねられていない、また、フランスやオランダにおけるように、そこではそれがあったが、センセーショナルに拒否された、諸国家間の合意〔協定〕である)が違うように再び分節化されうるだろうといったように今や考え始めることは、配慮すべきである。
世界の終末のテーマはキリスト教の歴史の中で何度も姿を現し、またいつの時も最後の日はとても近いと告げる預言者たちは現れた。今日、(教会は凋落するがままになる)この終末論的な任務は、絶対的な確実さでもって地上の生命の終わりをもたらす気候に関するカタストロフィーを予告し記述する、預言者として常により頻繁に引き合いに出される科学者たちによって引き受けられたことが特異的である。もし、現代において科学は信仰を代理し、ある実際的な宗教的役割を引き受けたことが考慮に入れられるなら、特異的なのは(しかし驚くことではない)、むしろあらゆる意味において(そこにおいて人類が信じる、あるいは少なくとも、信じていると信じる)私たちの時代の宗教だろう。
あらゆる宗教のように、また科学の宗教も終末論(即ち、恐怖の中で信者たちを維持しつつ、信仰を強化し、また同時に、聖職者の階級の支配を保証する装置 dispositivo)を欠くことはできなかった。この意味でGreta (1*) のような人の出現は兆候的である。Greta は盲目的に科学者たちが予言することや、2030年に世界の終わりを期待することにおいて信じ、まさに中世における千年至福説信者たちとして、世界を審判することへのメシアの差し迫った回帰において信じていた。少なからず兆候的なのは、(唯一の要因—大気中のCO2のパーセンテージ—についての黙示録的諸診断に集中しつつ)驚くべき無垢さでもって人間性の救済は原子核エネルギーにあると表明する科学である、Gaia理論の考案者のそれとしてフィギュールである。両方のケースにおいて、賭け金が宗教的であり科学的でない性格を持っていることは、歴史のキリスト教的哲学によって扱われる用語—救済 la salvezza—をそこに敷衍する、中心的な機能の中で変形される。
現象は、科学が決してその固有の諸任務のあいだで終末論を枚挙せず、また予言的な新たな任務の引き受けが、そこで出現 l’avvento を産出するカタストロフィーにおいて固有の否定できない責任の自覚を表すことが可能である限り、より不安を誘う。当然、あらゆる宗教におけるように、科学の宗教もその不信心者たちと反対者たち、つまり現代の他の広大な宗教—金銭の宗教—のシンパたちを保持する。しかし、分割された見かけの中で、二つの宗教は秘密裡に連帯している。科学(科学者たちが今日告発する破局的状況を定めた技術と資本)のあいだの常により緊密な同盟は確かにあったのだから。
これらの考察は、産業革命が生けるものたちの物質的かつ霊的な諸状況の中で生産する汚染ならびに有害な変化の問題の現実性に関して明確な態度をとることを意図しないのは、明白であるだろう。反対に、宗教と科学的真理のあいだの、また預言と明晰さのあいだの混乱に対し、利害関心〔私利私欲〕のある側面から無批判に、(最後の分析の中で政治的である以外にありえない)固有の選択と固有の判断を人々に命じさせることは問題ではないことを告げる。
2019年11月18日
ジョルジョ・アガンベン
原文サイト→https://www.quodlibet.it/giorgio-agamben-sulla-fine-del-mondo
訳注(1*) Greta Thunberg(グレタ・トゥーンベリ):スウェーデンの女性気候変動問題活動家。
《…強欲と野心とがありすぎて、長い間、主人なしではすませなかったのだ。だれもかれも自分の自由を確保するつもりで、自分の鉄鎖へむかって駆けつけた。》——ルソー『人間不平等起原論』岩波文庫版p.106
■ルソー的な動物と無意識(手段としての仮説 / 仮設)
何故、アーレントは社会的なものの背後に《自然なものの不自然な成長》を見据えたのか? また何故、ルソーは社会における理性的な能力が悪徳を生じさせることを見過ごさなかったのか? それらは未だに今日的な問題であり続ける。
あるいは、無意識を仮定しても、そこにはまだ知られていない意志があり、その意志は意識的な意志によっても克服はできない。だが、別のパッションをもってなら抗することができる。
ルソーの《自然状態》とフロイト的な《無意識》を仮設作業として〔別所にて〕提示したが、起原を観念による仮説的実験によって再構成することは、18世紀の思想家・学者の間で流行していたといわれる。この場合、この仮設作業あるいは仮説的実験はそれ自体としては既に、思考の目的というよりは手段として扱われるべき問題を構成している。ある観念を目的として扱わずに、あるいは実証的な性質を与えずに、そこから問題を提出する手段、あるいは主題を探求する方法。
しかも、ルソーが指摘するところによれば、「人類のあらゆる進歩が原始状態から人間をたえず遠ざけるために、われわれが新しい知識を蓄積すればするほど、ますますわれわれはあらゆる知識のなかでもっとも重要なものを獲得する手段をみずから棄てる」(ibid., p.26) ということである。つまり、このような仮設作業・仮説的実験に必要なのは、有用で新しいと思えるような知識を獲得することではない。それを放棄することで、その仮説作業・仮説的実験を手段として行使するということに向かうことだろう。
但し、ルソーが措定しているのは、理性に先立つ二つの原理である。それは、自己愛 amour de soi と哀れみの情 pitié を指す。これらは、自然人の「感性」や「動物」においても見られる原理だということに留意がいる。このルソー的な仮説 / 仮設においてもまた、われわれは「動物」(あるいは、動物としての人間)というテーマを見出す。
「実際、私が同胞に対してなんらの悪をもしてはならない義務があるとしたら、それは彼が理性的存在であるからというよりは、むしろ彼が感性的な存在であるからだと思われる。この特質は動物と人間とに共通であるから、これが少くとも前者が後者によって無用に虐待されないという権利を前者に与えているはずである。」ibid.,pp.31-32
裏を返せば、“人間は社会状態から生れる残酷な感情を動物に移し変えて、いたずらに動物に狂暴性を認めている”と言える。この事実は、理性的な無意識が感性的な無意識——感性的な側は、欲動や動物性にも関わるだろう——に自らの冷酷で残忍な側面を移し変えて“見ている”と言い換えても、恐らくは的外れではあるまい。
アーレントによるギリシャ・ポリスへの参照の限界は、そのロゴス〔理性〕への依拠の限界と言い換えていいかも知れない。そして、そこから政治的な領域に回帰する感性論—感覚的存在—の射程を浮き彫りにしたい。それは、不平等という尚も今日的な問題に一石を投じるはずだ。しかし、この感性的存在というテーマ設定は、自己保存から同胞への愛に向かうものだったとも言えまいか? もし、これがルソーの社会契約の限界なら、われわれは再びニーチェの〈約束することのできる動物〉を引き合いに出さなければなるまい。
■自尊心 amour propre の問題
自尊心こそが使用に結びついた感情なように思われる。自尊心とは本来は中立的なものであるが、良くもなれば悪くもなる。自尊心が悪く働けば、それは不正や不公平を生み出し、人も悪くなるだろうが、良く働くなら、それは徳や公正さも生み出し、人も好ましくなる。
では、それはアーレントの議論と何処が重なるのか? 「自尊心の最初の動き」が生じるのは、『不平等論』の「第二部」において、人類が原始的な道具や技術を持つようになり、人間が他の動物に対する優越性を感じるようになってからである。ここに、何らかの人間の支配性の確立を見るのは容易であろう。自然に対する技術的な支配であれ、また他人に対する優越性であれ。(アーレントにおいては、ホモ・ファーベルこそが世界性の主人たりえたし、彼女の政治モデルの依拠は、そもそも奴隷制を下敷きにしていた。)
つまり、何らかの自尊心の感情の問題が、中立的にか、あるいは良い方向にも悪い方向にも働き、それが公共性の問題、あるいは政治思想の問題にもなりうるということである。(ルソーにおいて当初、自己愛が徳と結びつき、自尊心が名誉と悪徳の源泉になってはいたが、むしろルソーの論述の揺れ動きから帰結するのは、自尊心の側は徳の“使用”に関わるのではないかという問いである。故に、公共性や政治の問題に変わりうる。)
あるいは、精神分析的には道徳的な感情の結び目に位置するのが、自尊心の問題といえる。つまり、自我理想や超自我の中間性や使用。
■アーレントが見取らなかったもの
では、ギリシャ的な主人は奴隷を差別していたのか? 自らを統治し得ない者たちの統治ないしは支配。己を訓育し得る者が、そうできない者を忌み嫌うのは、差別か区別か?
主人と奴隷の違いは、政治的不平等ではある。だが、これが差別とは一概には言い切れない。これを差別とし、ある種の平等ないし一様化を認めるなら、両者の“区別”が見失われる。では、主人とは何故にして主人であり、奴隷は何故にして奴隷なのか?
アーレントによるギリシャ・ポリスへの参照は、理性的という意味においてはまだ問題を残していた。なのでここでは、ルソーを参照にしてみよう。
彼が言うところによれば、動物たちは我々の家にいるときより、森にいるときの方が大抵は背が高く体格はより頑丈、いっそう元気で力も勇気もあるという。動物たちは家畜になると、これらの長所の半分を失ってしまう。(念の為、断っておくならアーレントの議論とは違い、動物=奴隷ではない。アーレントにおいて奴隷は、自らの動物的な生命過程や新陳代謝に従うこと、つまりは労働 labor を言うのだった。)
《そこでこれらの動物をたいせつに取り扱い、養おうとするわれわれのすべての心遣いが、かえって彼らを退化させる結果になっているといってもいいくらいである。人間の場合も同様である。社交的となり、奴隷になると、人間は弱く臆病で卑屈になる、そしてついに彼の柔弱で女性化した生活様式は彼の力をも勇気をもすっかり衰弱させてしまう。》ibid., p.49
つまり、ルソーの場合は動物が家畜になった状態を、人間が奴隷になった状態と対照している。自然状態においては、動物も人間もある意味では同等である。動物の家畜化と人間の奴隷化が対照され、両者の差異は、人間の奴隷化の方が大きいとされる。
《なぜなら、動物と人間とは自然によっては同等に取り扱われたのだから、人間がその飼い馴らす動物よりもよけいに自分に与える便宜は、そっくりそのまま人間をはっきりと堕落させる特殊な原因となっているからである。》ibid., p.49
ここで言わなければならないのは、アーレントはこのルソーのいう差異こそ見過ごしているという事態だろう。
動物の家畜化よりも人間の奴隷化の方が、その便宜からして堕落の程度が大きい。もし、これを真に受けるなら、われわれは理性の自由な行使の有無で主人と奴隷を分けるだけでなく、その自然状態—感性的存在—から鑑みた場合も、その堕落の程度を伺えるのかもしれない。その場合、人間の動物化ということで問題なのは、動物の家畜化以上のことになる。では、人間と動物の違いはどこに求められるのか?
おそらく、私は聴いたことはないが、動物は自ら家畜になるように意志することはあるまい。だが、人間は、自ら奴隷になることを意志することがある。この意志という意味では、動物と人間は区別できる。単なる感覚の機械的な過程に従うのみなら、それは本能と呼ばれる。だが、人間にはそれに従わないことも理性的には可能だろうし、従うことを選択する場合もある。妙なことをいうなら、アーレントは確かに言論と行為の側面を言ってはいる。だが、感覚の問題を低く見積もったのではないか?
アリストテレスが政治的動物という時に既に、このような自然の感性の側からのポリティクスという側面はあるように思われる。あるいは、端的にルソーの述べる自然人 l'homme naturel は、アリストテレスの政治的動物のアンチの可能性がある。そして、“知性的な”言語コードは、そもそもが戦争状態のように思われる。では如何にして、そうではない政治は可能なのか?
■ルソーの言語論と精神分析
ある観念が“感覚に”呼び起こされる時に、つまり想起される時に、それは知性による比較の概念を必ず経由しているのだろうか? むしろ、知性の働きこそが純粋な感覚における想起を遮断しているというのは、精神分析的にも言えるのではないか?
もちろん、この場合の知性は一般概念を語によって把握する。語表象と物表象の区別はここで重要になる。動物にはシニフィアン連鎖ということはあり得ない。あるいは、人間の動物的な側面、動物としての人間にはシニフィアン連鎖は見受けられない。(あくまでそれは、語による知性の比較と理性の改善能力を前提にする。つまり、知性の働きと精神の結び付きに限定される。その原動力としては、情動の働きがあるにせよ。)
つまり、ルソーは自然言語ないし人間の叫び声や身振りから、一般言語に向かう問題を問いかける。この移行は、連続してもいなければ滑らかでもない。
■ニーチェとの距離と神学への架橋
ルソーの場合、自己愛 amour de soi と憐れみ pitié の感情は、人間の意志に拠らない。(動物的な面であり、自然生成的で、おそらく神学で恩寵=恩恵と呼ばれるものはこの優しさのことである。故に、優美さにも結びつく。)
一方で、本来は中立的なものだが、悪にも傾きやすく、善に導く性質もある自尊心は、人間の意志の圏内にまだある。故に、ニーチェは力の意志から共感を禁じたはいいが、それは一面では正しいのだが、意志によらない自然な感情としての憐れみを捉え損ねている。彼の狂気は、それを物語る。確かに、悪に傾いた—それは社会的な美德や善を纏っている—自尊心の示す優しさは危険である。その意味でのニーチェの警戒は正しい。だからといって、自然な感情そのものが否定されてもなるまい。(力の意志はその両方に引き裂かれる)
精神分析においても自我理想と超自我のあいだの問題は、欲望と享楽—それらは未だに無意識の意志的な部分との繋がりが残されている—と呼んでもかまわないのだが、ルソー的な自己愛と自尊心のテーマにも変奏できる。
だが、自己愛による“憐れみの感情“とは、意識であれ無意識であれ、人間の意志には依らない=拠らない(依存もしなければ、根拠もない)。つまり、本来なら“憐れみの意志“ということは、他者に向けるのであれ、あり得ない。ニーチェはそれを問題化した。あるいは、ニーチェはキリスト教の道徳性—司牧権力的—を批判したのはいいのだが、恩寵と救済論の射程—時間論と経済論—までは、捉えることがなかった。
精神分析においても、自我理想と超自我を、無意識を含めた意志的なものとしてだけ捉えるなら、それらの「感情」としての側面は切り捨てることになり兼ねない。
(そう考えれば、アーレント的な政治学が、ギリシャのポリスに依拠した“徳性の政治学”と、既に初期の頃からテーマにある“キリスト教的な愛の概念”に源泉をもっていることが見えてくる。)
(※2019年10月30, 31日に、別所にて一連に投稿したもの)
アウグスティヌスの地の国と神の国という対立は、昨今のイタリア哲学においても問題化されている。それは、愛の相違でもある。(ここでいう国とは、都市 cīvitās ぐらいの意味である。英語では『神の国 Dē cīvitāte Deī contrā pāgānōs』は The City of God と翻訳される。)そして、神に背反することも社会的であり政治的、宗教的といったのはマッシモ・カッチャーリだった。
「敵対する者はアナーキーなのではなくて、“神に背反する”者なのだ。そして背反を“組織する”ことは、同時に社会的でもあれば、政治的でもあり、さらにはまた宗教的なことがらなのだ。」——マッシモ・カッチャーリ『抑止する力』邦訳p.81
「それゆえ二つの愛が二つの国を造ったのである、すなわち、神を軽蔑するに至る自己愛が地的な国を造り、他方、自分を軽蔑するに至る神への愛が天的な国を造ったのである」——アウグスティヌス『神の国』
この場合、自分を軽蔑するとは単なる自己蔑視や自己嫌悪とは違う問題だろう。だが、アウグスティヌスのいうカリタス caritas とは、罪の—つまり偽りの—自己愛から、真の—つまり正しい—自己愛へ方向を転換させ、完成に導く、人間の心に“注がれる”ものと説かれていた(恩恵との関連)。また、アウグスティヌス的な二分法は、享受 frui と使用 uti の違いとしても考えられる。つまり、愛には享受する仕方と使用する仕方とがある。
「享受とはあるものにひたすらそれ自身のために愛をもってよりすがることである。ところで使用とは、役立つものを、愛するものを獲得するということに関わらせることである。この場合、愛するものとは、それに値するものでなければならない。」——アウグスティヌス『キリスト教の教え』
「善人は神を享受するためにこの世を使用するが、悪人はそれとは逆に、この世を享受するために神を使用している。」——アウグスティヌス『神の国』
つまり、ここでの善悪とは“外的な”規範遵守としての道徳性とは異なるだろうが、享受-使用の方向性の違いとして言われている。つまり、悪においては目的(享受)と手段(使用)のあいだの関係(秩序)が転倒するに至る。
では、なぜそのような事態が生じたのか? あるいは、ここでの救済の問題とは?
確かに、ここでの秩序の毀損という問題に基づいて、キリスト教的な救済とはある実効性をもっている。手段(使用)と目的(享受)の秩序とは、単に固定的で客観的なのではない。それは主体的な行為の中に「関連づける」という働きを持っている。つまり、その秩序はスタティックなプラトン的な天上の理念性とは違ったあり方をする。それは、「配置 dispositio」関係を成立させるような秩序という意味では、愛の経済 oikonomia を実現してもいる。ギリシア語のオイコノミアの訳語として、ラテン語のディスポジティオが採用されているのも頷ける。まさに、それこそが生の形式 la forma-di-vita として考えられていることを見ないなら、アガンベンのキリスト教的なプロブレマティックも見失われる。そして、そのような秩序の毀損と回復は、時間論の問題でもあった。つまり、“失われた=毀損された”「愛の秩序」は、「時間の秩序」を通じて回復する。そこにキリスト教の真骨頂がある。これを支えるものが「信仰」に他ならない。そして、この毀損と回復の神の計画を、パウロは「予定」として据えていたのではないか? あるいは、それは神的な摂理 la provvidenza divina としても理解される。
《死が私たちをどこで待ち受けるか、私たちはどこにおいてもそれを待ち受ける故、私たちは知らない。死の省察は、自由の省察である。死を学ぶ者は、服従することを忘れる。死を知ることは、私たちをあらゆる隷属とあらゆる強制から自由にする。》ミシェル・ド・モンテーニュ
歴史があらゆる社会的現象がいくつかの政治的含意をもつ、あるいはもちうることを私たちに教えるゆえに、注意をもって今日政治的語彙の中の入口をなした新たな概念“社会的距離化 distanziamento sociale (social distancing)”を書き留めるよい機会である。この用語はこれまで使われた“境界化 confinamento”の用語の粗野さに関する婉曲語法として蓋然的に作り出されたにもかかわらず、何がそれの上に基づいた政治的秩序でありうるのだろうかが問われる必要がある。このことは、純粋に理論的な仮説としてだけ問題でないなら、より多くの方面から言われ始めたように、現行の公衆衛生上の緊急事態が、人間性を期待する政治的ならびに社会的な新たな諸局面がその中で準備される実験室として見なされうることがもし真実であるなら、尚更いっそう緊急である。
毎回起こるように、このような状況はもちろん肯定的であるように考えられることを、また新たな諸デジタルテクノロジーがしばらく前から、容易に遠隔コミュニケーションを可能にすることを示唆する愚かな人々がいるにせよ、“社会的距離化”の上に基づいた共同体は、人間的にもまた政治的にも生きうるものだとは私は信じない。いずれにしても、どのようなパースペクティヴが存在するのかということが、私たちが省察すべきこのテーマの上にあるように思われる。
最初の考察は、“社会的距離化”が産出した現象の全く特異な自然に関係する。カネッティは、その代表作である『群衆と権力』において、権力が触れられた存在の恐怖の転倒を通じてその上に設立される、群衆を定義する。人間たちは概して、見知らぬものから触れられることを恐れ、また人間たちが自身の周囲に設けるすべての距離は、この恐れから生まれる一方で、群衆はこのような恐怖においてその反対に向かい逆転される唯一の状況である。《群衆においてのみ、人間は触れられることの恐怖から解放されうる... その中で群衆へと身をゆだねる瞬間から触れられる存在になることを恐れない... 私たちに悩まされる者は誰も私たちと等しくあり、私たちが私たち自身を感じるように、私たちはその人を感じる。不意に、それはあたかも全てが唯一の身体の内部で生じるかのように... 触れられた存在の恐怖のこの逆転は群衆に特有なものである。まさに群衆が密であればあるほど、その中に拡散する苦悩の緩和はある顕著な水準に達する》。
カネッティが、ここで私たちが正面から遭遇する群衆の新たな現象学について何を考えたのだろうか私は知らない。社会的距離化の諸措置とパニックが作ったことが確かに群衆であり、しかし言うなれば、なんとしても一方が他方から距離を保つ個々人によって形成された、裏返った群衆である。密ではない、したがって、しかし疎であり、それでもやはり、もしこれがカネッティがすぐ後に明確にするように、その密集状態とその受動性により、《真に自由な運動はそれらにはないだろう... それは期待する、それらのことに示されるべきだろう指導者〔トップ〕を期待する》という意味において定義されるなら、まだ群衆である群衆。
何ページか後で、カネッティは禁止を通して形成された群衆を記述する。《その禁止において同じように統一された多くの人々は、ある瞬間まで単独として形成していたことをもはやなさないことを欲する。禁止は突然であり、単独者たちがもし独りでそれを負うなら... いずれにせよ、それ〔禁止〕は最大限の力でもって影響を与える。それはある秩序としてのカテゴリーであり、この〔禁止の〕ため否定的特徴は、やはり決定的である》。
社会的距離化の上に形成されたある共同体が、無邪気に考えられるように、行き過ぎた個人主義に関係しないことが見過ごされたままにならないことは重要である。それ〔共同体〕は、まさしく反対に、今日私たちの周囲で私たちが見るように、疎であり、そして禁止に基づいた、しかしまさにこのために、著しく密で受動的な群衆なのであろう。
2020年4月6日
ジョルジョ・アガンベン
原文サイト→https://www.quodlibet.it/giorgio-agamben-distanziamento-sociale
私たちの辿る省察はエピデミックに関わらないが、人間たちのそれへの関係から私たちが理解しうることである。つまり、それによって全社会が感染したと感じること、家に隔離され、また生の通常の状態(仕事や友情、愛や宗教的ないし政治的信念にいたるそれらの関係)を宙吊りにすることを受け入れた容易さ facilità について省察することが重要である。想像しえていたこと同様、また通常これらのケースにおいて起きることのように、なぜ抗議や反対はなかったのか? 私が示唆したい仮説は、何らかの仕方で(それは純粋に無自覚=無意識的であろう)、明らかに人々の生の諸状況をこのように変化させていたペストは既にあったということであり、それらは、まさにペストのようであった—つまり、抗しがたい—ものによって出現するため、突然の印〔兆候〕は十分だったというものである。そして、ある意味で、これは現在の状況から引き出されうる唯一の肯定的な与件であり、また、後に人々がその中で生きていた様式がもし正当であったならと自問し始める可能性である。
また、それについて少なからず熟慮が要ることは、状況が出現させる宗教の必要性である。メディアの繰り返す言説において、現象を記述するため、特にアメリカのジャーナリズムの上で、強迫的に《アポカリプス》の言葉へ遡る、また度々明らかに世界の終わりを喚起する、終末論的ボキャブラリーの借用において取り上げられた専門用語が兆候である。それはあたかも(教会がもはや遂行する能力のない)宗教的必要性は、そこにおいて構成する他の場を手探りで探し、もはや私たちの時代の宗教になった事柄、即ち科学においてその場を見出しているかのようである。あらゆる宗教同様、これ〔科学〕は迷信や恐怖を作り出すことができ、あるいはいずれにせよ、それらを拡散するために使われる。今日のように異なり矛盾した意見と規定の(危機の瞬間の宗教の特色である)スペクタクルに居合わせれたことはなかった。〔その意見と規定は〕現象の重大性を否定する者たちの(ただ威信のある科学者たちにより代表された)少人数の異端の立場から、現象を主張し、またしかしながら、しばしば根本的に現象に直面する諸様式に関して一致しない正統的で支配的な言説へ向かう。そして、相変わらずこれらのケースにおいて、どの専門家たち、またこのように自称する者たちは、ある集団または他のもののための特定の諸利益によって決定し、それらの基準=措置を課す、君主の好意を(キリスト教を分割していた宗教的論争の時代のように)確かめることができるようになる。
考えるきっかけとなるだろう他のことは、あらゆる信念と共通の信仰の明らかな崩壊である。人間たちは、どんな犠牲を払ってでも助ける必要がある生物学的な裸の存在以外もはや何も信じないと言えるだろう。しかし、生命を失う恐れの上で、ただ独裁〔専制〕政治 tirannia のみ(ただ鞘から抜かれた剣をもつ残酷なリヴァイアサンのみ)設立される。
このため—いったん緊急事態(ペスト)が終わったと宣言されるなら、もしそうあろうとも—輝きのごく僅かを保存した者にとってさえも、最初のように生きることへ戻るのは可能だろうとは信じない。そしてこれが恐らく今日、最も失望させることである—たとえ、言われたように《もはや希望を持たない者のためだけに希望は与えられた》にせよ。
2020年3月27日
ジョルジョ・アガンベン
原文サイト→https://www.quodlibet.it/giorgio-agamben-riflessioni-sulla-peste
L’untore! dagli! dagli! dagli all’untore!
Alessandro Manzoni, I promessi sposi
〔翻訳者注:ここで冒頭の引用に出てくる、l’untore は「ペスト塗り」という歴史的用語である。辞書的には“17世紀のペスト流行期にミラノで、ペストの毒を含んだ油を家の門や壁に塗り、病気を蔓延させたという嫌疑を受けた人”のことである。〕
コロナウィルスのいわゆる流行の際、イタリアであらゆる手段でもって人々に広めるようにさせるパニックのより非人間的な帰結の一つは、感染の同様の理念の中にあり、それは、政府から講じられた緊急事態の例外的措置から成る。ヒポクラテス的な医学に属さなかったこの理念は、1500年代から1600年代の間にどのイタリア的都市も荒廃させたペストの期間中に、その最初の気づかれざる兆候を保持している。『悪名高いコラムの歴史』についての論評同様に、彼の小説の中でマンゾーニによって不朽の名作にされた、ペスト塗りの形象〔人物像〕が問題である。1576年のペストのためのミラノのある“お触れ〔禁令〕”が、小都市にこれらのことを通告することで、次の仕方で描写する。
《いかなる人々が、愛徳の弱い熱意でもって、そして、ミラーノのこの都市の人民と住民たちに恐怖と心配を負わせるため、また、彼らに何らかの騒乱を呼び起こすため、有害で感染性であることを告げるため、家のドアと掛け金と、いわゆる都市の地区の角、国の他の土地を、ペストを私的なものと公的なものにもたらす口実で、しだいに塗油するようになっているのか、同様に、何が沢山の厄介事を、そして、人々——主に容易にそのような事を信じるように説き伏せられ、自分のために誰かある人に、どの身分、地位、階級と境遇(もし、彼が 500スクードを提供するなら、40日の期間 (*1) の中で、明らかになるだろう人、あるいは支援され、助けられ、あるいはこのような無礼な行為について知れている人)——の間にかなりの動揺をもたらすかという総督の通知が届いたことで…》
然るべき違いがなされるなら、最近の諸措置(私たちが乗り越えること—しかしそれは、予期された幾日かの期間内の法議会においては確認されなかっただろう幻想である—を好むいくつかの命令を伴う政府からの捕捉)は、事実上あらゆる個人を潜在的ペスト塗りに変形する。正にテロリズムについてのそれらが権利事実上、あらゆる市民を潜在的テロリストとして見なしていたように。規定に関係のない潜在的ペスト塗りは、牢獄でもって罰を課せられているといったアナロジーは、このように明白である。特に嫌われたのは、ペスト塗りから守られたようには、彼から守られうるわけではないのに、諸個人の多数性に感染する、健康あるいは早熟なキャリアーの形象である。
ましてや諸処置の中に含まれた自由の制限の悲しみは、私の意見では、それらが引き起こす、人間たちの間の関係の悪化である。彼が誰であれ、他の人間、親しい人にも近づいてはならず、触れられてもならず、また私たちと彼の間にむしろ、ある人々によれば 1メートルの、しかし、いわゆる専門家たちの最近の進言では、4.5メートル(興味深いことにこの 50センチメートル!)のそれであるべきだろう距離を置く必要がある。私たちの約束は破棄された。与えられた私たちの政府の倫理的な頼りなさでは、これら諸処置は、それらが引き起こそうと意図する同様の恐怖から影響がある人に課せられることが可能であり、しかし、それらが作り出す状況は正に、私たちを管理する人が幾度も実現しようとするそれ〔翻訳者注:恐怖のこと〕であることを、大学と学校がこの時ばかりに閉鎖され、マシーンが人間存在の間のそれぞれの接触 contatto —それぞれの感染 contagio —を代理することが可能な至るところで、政治的あるいは文化的な理由で会議し、話すことをやめ、またデジタルメッセージのみが交換されるだけの、オンラインでのみ授業が行われることを、考えないことの困難である。
2020年3月11日
ジョルジョ・アガンベン
原文サイト→https://www.quodlibet.it/giorgio-agamben-contagio
(*1) 黒ペストが流行した14世紀に港で船を40日間の検疫停泊(封鎖処置)させた事から、その日数が言われている。そこから、イタリア語では「検疫」を意味する言葉が、quarantena(元は数字の40)と呼ばれる。
政治的動物 zōon politikon(アリストテレス)
社会的動物 animal socialis(セネカ)
「人間は本性上政治的、すなわち社会的である homo est naturaliter politicus, id est, socialis」(トマス・アクィナス)
これらは、翻訳上の推移である。これについてのアーレントの判断は次のようになる。
《しかしこのように、政治的なものを、無意識のうちに社会的なものに置き代えたということは、政治にかんするもともとのギリシア的理解がどの程度失われたかということを、どんな精緻な理論よりもはっきりと暴露している。》——アーレント『人間の条件』邦訳版p.44
ここで目を惹くのは、人間は動物 zōon, animal であるということでもある。近代になるとこの労働もする動物は、種としてのヒトとして扱われるようになる。
「ヒトの社会 societas generis humani」という概念と共に、「社会的」という用語が、基本的な人間の条件という一般的な意味を獲得する。ここでのヒトは既に何らかの具体的な活動をする動物とは違う、ある種の概念化が起きているように思える。
動物性の軽視とヒトという種の優性。これらは同じコインの裏と表である。そして、種としてのヒトとは“科学的対象”にも変化する。
あるいは、フロイトも『性理論三篇』において古代人と近代人の違いを述べるにあたり、後者の側の欲動への蔑みを挙げていたことを思い起こそう。
アリストテレスによる人間の第二の定義は「言葉を発することのできる動物 zōon logon ekhon 」であるとされ、このラテン語訳は「理性的動物 animal rationale」になるが、これも先の「社会的動物」同様の基本的誤解に基づいているとアーレントは述べる。
そして、アリストテレスにとっての人間の最高の能力は、logos ではなく nous の観照の能力である。アリストテレスはあくまでも政治的領域とその生活様式を定義して、人間をそう定式化したに過ぎない。
《政治的領域と社会的領域とを同一視するという誤解は、たしかに、ギリシア語をラテン語に翻訳し、それをローマ=キリスト教思想に取り入れたときからすでに始まっている。しかし、社会という言葉の近代的使用法と近代的理解になると、事態はいっそう混乱している。》ibid., p.49
最初のシニフィアンとそれへの同一化にもそれはある。だが、それを如何にして公的なものに開かせるかという問題は、言語活動の出来事の次元に求められた。だが、この事実性の水準に我々は知性によっては接近できないことも既に見てきた。
問題は、この最初の同一性は“聖性”の領域をも保存しているということでもある。公的なものに対して私的なもの。政治的なものに対して家族的なもの。しかし、「社会」という枠組みにあって両者は混乱している。つまり、そのエコノミーは躓きにもなっている。
《私的なものでもなく公的なものでもない社会的領域の出現は、比較的新しい現象であって、その起源は近代の出現と時を同じくし、その政治形態は国民国家に見られる。》ibid., p.49
近代の個人主義的な人間は、プライベートなもの(私的なもの)をもはや、その語源的な意味である「剥奪 privation」としては考えない。この語は古代人にとってはまず、公的なものに参加する能力の欠如の徴候を帯びている。
《…人間の能力のうちで最も高く、最も人間的な能力さえ奪われている状態を意味した。》ibid., p.60
こう考えると、通常我々が考える社会生活におけるプライバシーとは、公的なものとはもはや完全に隔たってしまった状況と解釈できる。(私的領域が著しく豊かになったにも関わらず)
アーレントが指摘するところによれば、それは政治的なものと対立しているだけではなく、社会的なもの—そもそも近代社会とは、公的なものと私的なものの区別が消失し、曖昧化している—とも対立しているということである。つまり、我々の親密さの領域が社会においてそれ自身と対立している事態とは、何よりも近代人特有の葛藤を物語ってもいる。
《この近代人は果てしのない葛藤を続けながら、社会の中で気楽でいることもできなければ、その外側で生きることもできない。そして彼の気分はたえまなく変化し、その情緒生活は過激な主観主義に満ちている。》ibid., p.61
このような状況にあって、人間の親密圏の地勢図は変化している。おそらく、ラカンが「外密 ex-timaté」という造語を発案したのはこのような事情も汲んでいる。
社会的 social という言葉ないし概念は、フランスでは18世紀半ばに至るまで殆ど用いられてはいなかった(英語としては既に17世紀末にJ. ロックによって用いられている)。そして恐らく—仮説としてでもいいが—、この社会という言葉が結託したのは“科学的な意味における”「自然 nature」概念であるということはできるように思える。そのような土壌があったからこそ、両者は「運動」として性質を持ち得、その「過程」が重要視されるようにもなった。
資本主義をも含むだろう全体主義化のイデオロギーが拠って立つのは、「自然」と「歴史」である。前者には成長力やその増大が含まれ、後者にはその過程〔プロセス〕や進歩が含まれる。社会やそこから資本主義社会(つまりは、高度消費社会)が発生した根拠を問えば、如何にそれらが問題含みであるかは掘り崩すことはできる。
精神分析「運動」という事態にも否を唱えることになるだろう。その政治化は、目的論の外部で「政治」や「活動」を考えるならまだしも、未だに目的論の連関の内部に捉えられてしまう。
フロイトの時代にも科学の問題や性の生物ないしは自然主義的な残滓があった。科学の用意した「自然 nature」概念は無限の性質を持っている。これは古代の「自然 physis」の循環性とは異なるあり方をしている。そして恐らく、欲動概念には無限の問題も循環性の問題も入り込む。故に、享楽 jouissance は身体にも有機体にも働きかけるわけだし、無限の問題としても精神に亀裂を入れる。
フロイトの炯眼は、欲動を中間的で曖昧なものとして示しえたことだ。そして、アーレントの炯眼は、社会を私的なものと公的なものの区別の曖昧化(蒙昧化でもありうる)として捉えられたことだ。故に、欲動は我々の内側からも外側からも影響を及ぼしてくる。社会も同じように、私的で親密なものにも、公的で開かれたものにも影響を与える。
ノモス nomos とは本来はその両者の間の「壁」である。(ポリスの領域はこのノモスにより囲まれている)
だが、全体主義において法 law は、本来なら自由の原因でもある法が必然性という法則に変質したかのように「運動法則」に転化する。社会が我々の世界を守るとら限らない。本来、世界に安定性を与えるのは法の側である。だが、社会は往々にして運動法則に転化した法則に忠実になる。(アガンベンが法の不活性化を説く時も、それは単にネガティヴだというよりは、運動法則に転化した法を問題にしているのだと推測できる)
要するに、社会的なものを無条件的に、あるいは無媒介的に称揚することは、全体主義の運動を許容し推進するに等しく、結果は死を招く。また、そのような暴力は種の優生とも容易に結びつくし、自然と歴史というイデオロギーは、種の全体を保存するためにいわゆる生権力=死権力を行使する。
今日、いわゆる社会 society で自己主張をしているのは、“種としての”生命なのだ。
《…社会の勃興のなかで自己主張したのは究極的には“種の生命”であった。近代初期には、個体の「エゴイスティックな」生命が主張され、近代後期になると、「社会的」生命や「社会化された人間」(マルクス)が強調された。……残されたものは「自然力」、つまり生命過程そのものの力であって、すべての人、すべての人間的活動力は、等しくその力に屈服した(「思考過程そのものが自然過程である」)。この力の唯一の目的は——目的がともかくあるとして——“動物の種としての人間の生存”であった。》ibid., pp.498-499
このアーレントが引いた「思考過程そのものが自然過程である」(1868年7月、マルクスがクーゲルマンあてに書いた書簡)という言葉の「過程」ということに注意するなら、彼女がマルクスを批判する時には、恐らくだが「労働」と「社会化」という用法の中に既に“動物化の兆候”を見ていた節はある。そして、“過程の運動”はこれらを直接的にか結び付ける項となる。
繰り返しになるが、アーレントにおいて“社会化された”人間の労働は、その中に人間の動物化を招くという論点が内包されている。つまり、社会化という“過程や運動”において、既に私的なものが拡大し、公的なものが衰退していく兆候をアーレントは見ている。この“過程 process”は、“訴訟 process ”でもある。
そしてこれも誤解されてはならないが、アーレントは私的なものや必要性=必然性 necessity を軽視したわけではない。アーレントは、逆にそれらを「解放」することを警戒していた。つまり、労働そのものというよりは労働の解放を。社会化された労働は既に公私の区別を失っているわけだから、その労働の運動-過程は解放されやすい。
†労働、仕事、運動-過程、リズム
アーレント版・主-奴の弁証法は、〈工作人 Homo Faber〉と〈労働する動物 Animal Laborans〉の関係である。その理論の射程は、間違いなり誤読の批判を考慮に入れても、マルクスのそれと引けを取らない。それは、資本主義のディスクールの循環性—生命過程—によって見えなくなっている目的-手段のカテゴリーをしっかりと据えている。
労働とは違い、仕事=制作は世界性の樹立の主人たりうる。だか、問題はその工作人も自らの利益(名誉といっても同じだが)を、症状の疾病利得とほぼ同様なこととして勘定し出すことにある。そして、人は悪く(つまり、悪い意図をもって)作ることがあるし、そう“できる”。
《目的と手段をはっきりと区別することができなくなっているこのような状態を、人間行動の側から考えてみよう。そうすると、これは、特定の最終生産物を得るために道具を自由に取り扱い使用しているという状態ではなく、むしろ、労働する肉体が道具とリズミカルに統合されている状態である。そして、労働の運動そのものが、このような統合する力として働いているといえる。》ibid., p.235
“労働の運動”ということに注意を喚起する。ここにも、“過程”という問題が二重に入り込む。労働の運動の過程(労働する肉体と道具がリズミカルに統合されている継起)において既に、目的と手段は見失われている。
《この運動の中で、道具はその手段的性格を失い、人間と用具の間の区別、用具と目的の間の明白な差異は曖昧になる。労働過程を支配し、労働の様式で行なわれるすべての仕事過程を支配しているのは、人間の目的ある努力でもなければ、人間が欲している生産物でもなく、実にこの過程そのものの運動であり、それが労働者に押しつけるリズムなのである。》ibid., p.236
そう考えれば、我々は如何にしてその労働の運動リズム-弁証法的過程から離れ、別の問いを発することができるかということが頭をもたげてくるようになる。
《労働過程のリズム以上にたやすく自然に機械化できるものはない》ibid., p.236
《この労働過程のリズムは、同じように自動的で反復的な生命過程のリズムと、生命過程と自然との新陳代謝のリズムに対応している》ibid., p.236
†“animal civile”(礼儀正しい動物)——?
冒頭にて、アーレントが示した翻訳上の推移の問題を掲げた。だが、これは間違いではないにしても不正確であると、市野川は『社会 the social』(2006) の中で述べている。
《というのも、アリストテレスの“politikon”に対して、アクィナスは“socialis”の他に、もう一つ別の訳語をあてているからだ。》——市野川容孝『社会』p.90
quod politicum idem est quod civile〔政治的なものは civilis なものと同じである〕
quod homo est naturaliter animal civile〔人間というものは、その本性からして civilis な動物である〕
politicus enim facit hominem civilem〔政治的なものは、すなわち人間を civilis にする〕
《これらの箇所では、アリストテレスの“politikon”は、一貫して“civilis”というラテン語に訳されている。この“civilis”という言葉は、“civis”(市民)という名詞から派生した形容詞であり、さらに“civitas”(都市、国家)とも関連している。》ibid., p.92
この civilis というラテン語の形容詞から、中世ヨーロッパの各世俗語では、“civil”(英語、仏語)、“zivil”(独語)という言葉が生まれている。これらはいずれも「礼儀正しさ」や「礼儀作法」をも意味する。(ちなみに、伊語では“civile”である)
アーレント的な問題が、〈政治的動物〉(アリストテレス)から〈労働する動物〉(マルクス)の伝統との対決に向かうのだとすれば、市野川はトマス・アクィナスによる訳語から〈礼儀正しい動物 animal civile〉を探求しようとする。
ここで断っておきたいのは、市野川はこの politikon から civilis の系譜をも手放しで賞賛しているわけではないということだろう。
《この礼儀正しさは、そのまま宮廷社会の内と外を境界づけていた。》ibid., p.93
《それはまた「宮廷社会」という、一般人から隔離された特権的空間を意味したのであり、アリストテレスの政治的な動物も、この宮廷社会の中で、礼儀正しく振る舞う動物たちを意味するようになった。あるいは、そのような動物を意味するまでに堕落したのである。そして重要なのは、この宮廷社会が何に支えられていたかである。言うまでもなく、それは中世以来の身分制にほかならない。》ibid., p.93
“politikon”の訳語から出発し、中世以降のヨーロッパでは宮廷社会と身分制の別名となった“civilis”・“civil”は、何よりも不平等の装置を意味している。
ここから、アーレントの問題点を逆照射するなら、アーレントの理想とする古代ギリシャ・ポリスのモデルも、既に奴隷制を前提としている。(しかし、アーレントは別段に奴隷という存在を“無視”しているわけではない。労働と奴隷の繋がりを寧ろ、必然=必要的なものとして彼女は捉えている)
市野川の場合は、animal civile における civilis の側に不平等の起源の問題(ルソー)を見出しているが、アーレントの場合は、動物 animal の生命循環の過程がそもそも必然性=必要性 necessity の様相にあり、その循環過程に繋ぎ止められている状態を奴隷と表現しているという違いはある。
故に、政治的動物 zōon politikon という時のアリストテレス的なテーマは、生政治の問題—この場合、bios による zoe の締め出しという重大の契機が共同体の起源に措定ないし刻印される—に変遷されることもあれば、自己の主人となることの統治性の主題にもなりうるだろう。
あるいは、ここからマルクス的なテーマを指摘しておけば、civilis の側は階級やそれらの闘争の政治=社会的運動として、animal の側は物質代謝の論点を内属させているといえるかもしれない。
ここまでで、我々は翻訳上の推移の問題から幾つかの論点を手にしたことになる。
politikon からは、socialis における動物化と、その労働と運動の肥大化の過程—広義には、全体主義運動における自然と歴史のイデオロギー化—を、civilis からは政治的な起源における不平等の問題—中世以降の身分制や古代の奴隷制—を。
そして、zōon (animal) には、その両者に跨ったある種の人間性=ヒューマニティを揺るがすような問いを。
罪に向かい弁証法的に規定されている不安の対象が、無なのである。だが、罪が逆に措定されれば、そこ残るのは(不安は過ぎ去り)悔いであると言われる。
「咎 Schuld は精神の眼にとっては、蛇のまなざしがそういう作用をするといわれているような威力をもっている、——それは魔法をかけるのである。」——キルケゴール『不安の概念』岩波文庫版p.183
確かに、ギリシャ精神とユダヤ精神における不安は、対象の規定としては異なるのかもしれない。このことは、精神分析の文化的な文脈においても決定的な差をもっている。
では、運命・幸福・不幸についてのギリシャ的規定のユダヤ精神化が精神分析なのか? 一つのメルクマールにこそなれ、それが絶対でも全てでもない。
だが、犠牲とはそれら(への愛 erōs)のユダヤ精神化であることは確かではないだろうか? ここでは広義の愛 amor のあり方の変容が問題になる。つまり、我々は先にギリシャ的な erōs とキリスト教の文脈の agapē を区別している。それらがまた、philia や caritas に変貌することも含めて。
また、ここでは欲望の規定もその根源や対象との関連で変化すると見なせるだろう。そして、欲望は下位の欲求との繋がりもまた含意している(愛には cupiditas という貪欲の側面もまたあった)。
では、犠牲と罪の関係は如何なるものか? 犠牲とは罪の現実的関係である。そう言えるのかもしれない。また、罪は罰として反復する。だが、それは犠牲の反覆とは異なったあり方をしているのかもしれない。(仮に、“反復”と“反覆”として表記を変えた)
罪の反復は情動のドラマを伴い主体の現実性を表現している。だが、犠牲の反覆とは罪の現実的関係の顕現の反覆なのである。あるいは、形式的な反覆と言い換えていいのだろうか?
一つ言えるのは、罪はその無知や堕落(誘惑)、罰と一体になっているが、犠牲は復活や救済と共に考えられている点だろう。キリスト教精神は、その意味でギリシャ的な哲学の規定とは根本的な問題の変化を遂げている。
† ここで、我々の思索の端的な成果を簡潔に記しておきたい。
自我理想-超自我
ギリシャ的エロス-キリスト教的アガペー
運命愛-犠牲
眼差し-声
象徴的なものにおいても二段階に両者は分節化・分離・分断される(倫理的なものと宗教的なもの、ないしは哲学と宗教として。出来事・冒険は両者の総合として到来する)。
つまり、フロイトが超自我を自我理想を引き継ぐ、ある道徳的でもありうる審級とする時、そこには極めてキリスト教的な問題(ないしユダヤ教の戒律の何たるか)が組み込まれている。キルケゴールによる不安の概念やギリシャ哲学とキリスト教における愛の秩序の問題、そしてアガンベンによる任務論を概観した結果こう導ける。
運命愛に導かれる愛 erōs は上昇に向かうのだし、犠牲に導かれる愛 agapē は下降する。そのあいだに、自由意志や意志、恩恵(あるいは選択)というテーマもまたあった。
ある意味で、エロスとアガペーは目的が異なる。(それを回心や向き変え、方向転換と呼んだ)
「我々の意見の一致」において、それはイエスだ。だが、例外を挟めば、それはノーだという具合に。「我々の意見の一致」、「慣習」、「自然史」という立場からは、それはイエスなのだ。根拠なしに。(緑は緑であり、それを赤というのは“間違い”だ。もし、緑を赤という者がいれば、「違う、それは緑だ」と教え、あるいは矯正=強制しようとするだろう。それに従わない場合は、そのゲームからは“排除”される)
規則の知において「正しい適応」を示さない者は、「我々のやり方」に準じさせるか、もしくは排除される。例外とは、規則の知においては何らかの否定性の符牒を帯びていて、排除の対象にもなり得る。
だが、そこからアガンベンの共同体論は考えられているといえまいか?
我々の「自然史」(自我理想的)から排除される、宗教的なもの(超自我的)の共同性とその規則。ここでは「規範」の意味合いが異なる。方や、盲目的に反応し、方や……?
盲目的に従うことには根拠が“ない”。まさに、規則の知からは排除される“例外の規則”は、この否定性の元に何か積極的なものを持っているように思える。否定性は、正誤の判断とは同列のレベルには置けない、別の判断ではないか?(イロニーの例、あるいはフロイトの判断論の例)
こうともいえる。もし、「我々の意見の一致」に則り事が進んでいる場合、我々はそれを判断しないで済んでいる。ゲームが円滑に進んでいる場合、我々はそれをいちいち疑問にかけないだろうし、それについて判断をなくしても従うこと(=盲目的反応)ができる。
だが、判断の必要性が生じる時は?
もし、そのゲームの決められたやり方に従わない者がいれば、それは判断の必要性を呼び起こす。つまり、規則の知(盲目的)についての判断は、その否定的な例外により為される。
盲目的な規則の知(意見の一致)があり、その判断がある。だが、判断の必要性はその規則の根拠のなさに由来する、否定性を原理として為される。ここに我々は、フロイトの判断論、否定性、例外、排除の問題を再び見出す。
規則の知とは、判断という意味では例外の規則のことでもある。だが、規則の知における“正誤”と例外の規則による“判断”は、対称的ではない。排除されるのは規則の知にとっては“間違い=誤”だし、だが判断が可能になるのは排除された“例外の規則”からである。
そして、実践という言葉は、そのような盲目的な反応(=繰り返し)についても言われるのだった。その場合の実践は、カントの言葉に即して考えれば「自然概念」への適応ということになる。(この場合、自然の原因と人間の意志は同一レベルに置かれているといえる)
2. つまり、自然史(自然概念)における規則の知とは、例えるなら「赤は赤である」といった類いものでこの規則に従うことが実践とも呼べる。
最初の赤は感覚的であり、二番目の赤は概念でもある。つまり、感覚の個別性(確信)が普遍的な概念(言葉)に包摂されている。(概念の赤は、赤くはないだろう)
概念としての赤は、赤くはない。(もし、炎という言葉を書いて、それで暖を取ろうと思えば、なかなかその人は滑稽ではある)
いずれにせよ、規則の知は“規定的”である。
だが、問題となっているのが、感覚的な確信として赤の微妙なニュアンスだとしたらどうだろうか? その微妙なニュアンスが問題なのに、我々は赤という言葉でその固有性(≒個別性)を“規定的に”包摂し、理解した気になる。
同一性を介して結びつく規定的な判断における自然原因と“実行する”意志。感覚的確信と概念。この知には、盲目的なところがある。その自明性が既に。
3. 美において自然と倫理が“絶対的に”隔てられる。その隔てられた超感性的な領域が、宗教的なものでもある。
だが、その分節化は元は感覚から発したものであって、理知的なものからではない。(理知的なものが行為に結びつくのが、つまり盲目なのだ)
自然概念と自由概念の裂け目。分離の根源はそこに位置する。両者の立法的なアプリオリに対する「超過」。また、これは理性による「乗り越え」や「克服」、あるいは「超克」でもない。
分離とは、元々は宗教的な問題であった——。それは、自然概念と自由概念からのある超過を含んでいる。
4. ウィトゲンシュタインの問題は、言語と世界が対応する写像の論理とその彼岸(事実ではなく価値、即ち倫理的なものや宗教的なもの)に向けられている。
そこに、“語ること sagen”から“示すこと zeigen”への向き変えがある。
命題とは像を持っている。言い換えればそれは、意義があるということに他ならない。つまり、それは語りうる論理である。だとすれば、倫理的な意図とは世界を変化させないだろう。そのような意図は、価値の問題なのであり事実の世界とは対応しないのだから。
だが、逆に倫理的な意図とは世界ではなく、“世界の限界”を変える。倫理的なものの意図や意志。それは世界ではなく、世界の限界への働きかけ(行為)だと見ていい。
意図/意志は語られうるか? それは示されるしかない。だとするなら、私の意図とは私の世界(言語や論理の)の限界を語りえぬものとして示している。だが、これは独我論の一面ではある。そこで問題なのは、ある限界に位置する関連づけられた意図に他ならない。
では、倫理的なものと宗教的なものとは、如何にして峻別されるのか? それはどちらも、自然の領域からはある「超過」を持っている。何故ならそれらは、事実の問題ではなく価値の問題になりうるからだ。ここに人間の「両義性」を見ることはできる。人間は自然にも属するが精神でもある。
自然である人間がある倫理的な意図ないし意志を持ち、世界の限界に働きかける。ここには自然にはない「超過」が働いている。だが同時にそれは、“私の”世界の限界にも位置している。このような“私”が“神”と向き合うところに宗教的なもの(即ち、人間の精神)がある。そう考えれば、ウィトゲンシュタインはキルケゴールに近い立場にいることが分かる。倫理的なものと宗教的なもののあいだにある葛藤、あるいは両義性。
沈黙により示されるしかない神秘。そこでは理性はもう役には立たない。理性の要求に従いそれを解釈し、理解する試みは頓挫する。キルケゴールの場合は、そのような信仰(の葛藤)は、「倫理的なものの目的論的停止」といわれる。それは、理性では到底理解はできないので、神秘として(理性の沈黙として)示される以外にない。
5. 我々は今、カントの判断力の問題からキルケゴールやウィトゲンシュタインに至る倫理的なものと宗教的なものの領域を見ている。だが、それは理性の眼によっては見えることはない。
語りえぬものについては、語りえない(不可能)・語ることができない(不能)だけではない。沈黙“せねばならない”のだ。ここに宗教や神秘を巡る萌芽が既にある。理性の饒舌なお喋り。それを慎むこと。それを知る者は、信仰の何たるかを確信している。
6. 先に、概念としての赤は赤くはないと述べた。
概念としての赤は、「赤」という意味の総体としてあり、それはその言葉の意味作用と意義の両方を持つ。それを、「赤」と呼ぶのは恣意的であり、別に「共産党」という言葉でその色を指してもいい。これは、言語の“述定作用=定義 definition”の側面でもある。
つまり、それは赤以外との連関において赤なのだ。言葉の述定作用においては、その言葉はそれ以外の言葉に依存しているし、それ以外の言葉との関係において初めて意味を持ちうる。
だが、「これを赤と名指す」と言った時の「赤」とは何か? こういう問いの中に既に、語ることと示すことの違いがある。
「これは赤い。」(述定作用=定義)
「これを赤と呼ぶ。」(名辞化=指名)
後者は、名辞化と呼んでいいのかもしれない。これは、象徴化にもある方向があることを示している。仮にこう呼んでおくが、「名辞化=指名 nomination」とは解釈でも説明でもない。語をある概念に包摂しているとも言えない。
君を太郎と呼ぶことは、太郎という概念に君を包摂することとは違うだろう。
7. では次にこう考えてみよう。
ある人が君に、太郎を呼んでこいと命じた(もちろん、そこには君が太郎というある特定の人物を知っているという前提がある)。君はまず太郎を思い浮かべ、その人物を探すだろう。太郎という言葉を聞いて、その言葉を(他の言葉との連関で)解釈するとは考えにくい。
仮に、太郎には瓜二つの兄弟がいたとする(太郎には左の口元にホクロがあるので、その瓜二つの兄弟・二郎と見分けるには、そのホクロが手がかりになる)。その場合、太郎の“現実の”識別には、太郎と二郎という言葉(名)の近接性(概念)には寄らずに、ホクロの有無ということが鍵になる。
もちろん、ここで言いたいのは名にも概念の近接性があるということの他に、名辞化(太郎と呼び名指されていること)はイメージと現実を繋いでいるということでもある。
もし、君が太郎を呼んでこいと言われ、名の概念の近接性に頼るだけなら、君は現実の太郎と二郎(ホクロの有無)は見分けがつかないだろう。論理としてのみ記号や命題を考えてしまえば、君はある現実の識別を見失う。
では、君が無事太郎を見つけ、太郎を連れてきた。その時君は何をしたのか?
太郎には左の口元にホクロがあり、二郎にはない。君は太郎と二郎という言葉(名)を述定化しないで、記号として扱うことができたということではないか?
ある与えられた概念を他の概念に連携しなければいらないとは、奇妙な誘惑に思える。確かに、我々はある言葉を聞くと、それが他の概念と必ず連結すると考えてしまいがちだ。それも「思考」と呼ばれる。そこでは、思考は常に「心的過程」として考えられている。
確かに、媒介項としては「太郎には左の口元にホクロがあり、二郎にはそれがない」ということを解釈しているとも言えなくもない。だが、君は太郎と二郎という名を、概念の連携として扱わず、記号として使用したということはできるだろう。
《思考を「心の働き mental activity」として語るのは誤解を招きやすい。思考は本質的には記号を操作する働きだと言えよう。》——ウィトゲンシュタイン『青色本』(訳書p.20)
《我々は、意識された心の働きを述べることと、心の機構とでも呼べるものについての仮説を述べることの区別をたやすく見過ごしてしまうのである。》ibid., p.95