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per l/a psicoanalisi

世界の終末について Sulla fine del mondo

2020-06-10 17:29:00 | Agamben アガンベン

世界の終末のテーマはキリスト教の歴史の中で何度も姿を現し、またいつの時も最後の日はとても近いと告げる預言者たちは現れた。今日、(教会は凋落するがままになる)この終末論的な任務は、絶対的な確実さでもって地上の生命の終わりをもたらす気候に関するカタストロフィーを予告し記述する、預言者として常により頻繁に引き合いに出される科学者たちによって引き受けられたことが特異的である。もし、現代において科学は信仰を代理し、ある実際的な宗教的役割を引き受けたことが考慮に入れられるなら、特異的なのは(しかし驚くことではない)、むしろあらゆる意味において(そこにおいて人類が信じる、あるいは少なくとも、信じていると信じる)私たちの時代の宗教だろう。

あらゆる宗教のように、また科学の宗教も終末論(即ち、恐怖の中で信者たちを維持しつつ、信仰を強化し、また同時に、聖職者の階級の支配を保証する装置 dispositivo)を欠くことはできなかった。この意味でGreta (1*) のような人の出現は兆候的である。Greta は盲目的に科学者たちが予言することや、2030年に世界の終わりを期待することにおいて信じ、まさに中世における千年至福説信者たちとして、世界を審判することへのメシアの差し迫った回帰において信じていた。少なからず兆候的なのは、(唯一の要因—大気中のCO2のパーセンテージ—についての黙示録的諸診断に集中しつつ)驚くべき無垢さでもって人間性の救済は原子核エネルギーにあると表明する科学である、Gaia理論の考案者のそれとしてフィギュールである。両方のケースにおいて、賭け金が宗教的であり科学的でない性格を持っていることは、歴史のキリスト教的哲学によって扱われる用語—救済 la salvezza—をそこに敷衍する、中心的な機能の中で変形される。

現象は、科学が決してその固有の諸任務のあいだで終末論を枚挙せず、また予言的な新たな任務の引き受けが、そこで出現 l’avvento を産出するカタストロフィーにおいて固有の否定できない責任の自覚を表すことが可能である限り、より不安を誘う。当然、あらゆる宗教におけるように、科学の宗教もその不信心者たちと反対者たち、つまり現代の他の広大な宗教—金銭の宗教—のシンパたちを保持する。しかし、分割された見かけの中で、二つの宗教は秘密裡に連帯している。科学(科学者たちが今日告発する破局的状況を定めた技術と資本)のあいだの常により緊密な同盟は確かにあったのだから。

これらの考察は、産業革命が生けるものたちの物質的かつ霊的な諸状況の中で生産する汚染ならびに有害な変化の問題の現実性に関して明確な態度をとることを意図しないのは、明白であるだろう。反対に、宗教と科学的真理のあいだの、また預言と明晰さのあいだの混乱に対し、利害関心〔私利私欲〕のある側面から無批判に、(最後の分析の中で政治的である以外にありえない)固有の選択と固有の判断を人々に命じさせることは問題ではないことを告げる。

2019年11月18日
ジョルジョ・アガンベン

原文サイト→https://www.quodlibet.it/giorgio-agamben-sulla-fine-del-mondo

訳注(1*) Greta Thunberg(グレタ・トゥーンベリ):スウェーデンの女性気候変動問題活動家。


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