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per l/a psicoanalisi

アーレント試訳2

2021-09-20 19:00:03 | 試訳
«Between Past and Future»所収、“TRADITION AND MODERN AGE”の最後の節から。

《近代科学(その精神は疑念と不信のデカルト哲学において表現される)の発生以来、伝統の概念的枠組みは確実ではなくなっている。観照と活動の二分法(真理は究極的には、無言で活動の伴わない見ることにおいてのみ把握されることを規定する伝統的ヒエラルキー)は、その中で科学=知が活動的になり、また知るためになした条件の下では支持されえなかった。事物が真にあるものとして現れるという信頼が消えた時、啓示=暴露としての真理の概念そして、それに伴う啓示された神への無条件の信仰は疑わしくなっていった。理論=学説 theory”の概念はその意味を変えた。それはもはや、〔それ自体〕作られなかったものとして、しかし理性と諸感覚に与えられたものとしての、推論にかなうように連結された諸真理のシステムを意味しなかった。むしろそれは、それが産出する結果に応じて変わり、また、それが明らかにする reveals”ことではなく、それが作動する works”かどうかについての有効性に依拠することで、近代科学理論それは、基礎となる=実用的な仮説 working hypothesis であるとなった。同様のプロセスによって、プラトンの諸イデアは世界と宇宙を照らす自律的な力を失った。最初に、それらはプラトンにとって政治的領域(標準と測定法)、あるいは調整(それらがカントにおいて出現するように、人間特有の推論する精神の強制力の制限)への関係性においてのみ何であったのかということになった。それから、為すこと doing に対する推論 reason の(人間-人々 men の諸活動に規則を課す精神の規定の)優位の後から、産業革命による全世界のトランスフォーメーション(人間 man の為すこと doings と製作 fabrications がそれらの規則に推論することを命じるのを示すように思われた成功へのトランスフォーメーション)においてそれらイデアは失われ、最終的にそれらは、それらの有効性が一人または多数の人間たちにより決定されるのではなく、それらの絶え間なく変化する機能的な必要=要求 needs における全体としての社会により決定される、単なる価値に変化した。

それらの外部そして内部の可変性における価値は、社会化された人間-人々 socialized men”に任された(そして、理解された)だけのイデア ideas”である。それらの人々は、プラトンにとって日常の人間事象の洞窟 the cave”であることから決して離れないことを決めた人々であり、また、おそらくは、近代社会の至る所にある機能化が、その最も基本の諸特徴の一つ——あるがままのものに対し驚きをもって触れること——を奪いとった世界、そして生へ単独で冒険しないことを決めた人々である。この極めて現実的な発展はマルクスの政治的思考の中で反響され、予示されている。その独特の枠組みの中で伝統を転倒させることで、彼は実際にプラトンのイデアを取り除いたのではなく、しかしながら彼は、それらのイデアが(他の存在の多くと同様に)人々の目に一度見えるようになったその場所、つまり透明な空が徐々に暗くなることを記録したのである。》


本の紹介

2021-08-20 20:52:00 | 本の紹介
たいへん有益で示唆に富む本なので、皆さんに紹介したく思います。



政治の技術化(政治の科学化、そして医療化にも行き着く)と、無意識の政治化という問題を改めて考えてみる端緒にもなりうるかも知れません。


例えば、コロナ禍でも政府に“科学に基づいた”政策を要求する声は大きいでしょう。同じ穴の狢だとは思いますが、政治を科学的な技術によって管理に変形することは、ある自由主義的な風潮で利益を得てきた人間ないし階級(中産階級です)にとっては、たいへん好都合です。

どちらも、迷信と誤謬推理、そして理性への信仰や過信により裏では手を結びあっているように思います。もちろん、そのような結託を断ち切るために、本来の政治という問題の意味をアーレントから思索しているわけですが。



(邦訳pp. 46-47、第二章の“倫理、科学、政治の同一化”から)


(邦訳pp. 48-49)

(邦訳p. 50)



アーレント試訳

2021-08-08 21:41:00 | 試訳

以下は、“The Freedom To Be Free”(1966-1967) からの抄訳である。このタイトルは、単なる活動 action やアーレント的な政治性の基本要素である自由 freedom とは区別された意味合いを読むことができる概念でもあり、重要性が見逃されてもいるので、その示唆も含めて訳出を試みた。


《…相違は、アメリカ革命は奴隷制の設立と奴隷たちがある異なった人種に属していたという信念のため惨めな人々 the miserable の存在を、またそれに伴い、生活の純粋な必要性としての政治的抑圧によりそれほど拘束されていない人たちを解放する厄介な課題を、見過ごしていたことでした。フランス革命の過程でたいへん甚大な役割を果たす悲惨な人々 les malheureux, the wretched (フランス革命は彼らを人民 le peuple と区別していました)は、アメリカでは存在していないか、もしくは完全に暗がりに留まったままでした。》

《フランスにおける革命の主要な帰結の一つは、歴史においてはじめて、人民を路上に連れ出し、彼らを目に見えるようにすることでありました。これが生じた時、ただの自由ではなく、自由であるための自由  the freedom to be free はいつも少数者の特権であったということが判明しました。しかしながら同様に、失敗を鳴り響かせることで終わったフランス革命が、私たちが現在革命的伝統と呼ぶことを決定した、また未だ決定している一方で、アメリカ革命が革命の歴史的理解のための多くの帰結がないままであったことです。》

→これと似たような事態が、精神分析についても言えるのではないでしょうか?(後ほどまた、この文章の前後を訳出しようと思います)
 
大多数は、自由よりも必要と支配に縛られたままでいることを望み、よしとしているのです。大学という場でさえ、そうなります。(また、それが困難でもあります)
 

《それから1789年にパリでなにが起きたのでしょうか? はじめに、恐怖 fear からの自由は、少数者たちが歴史の比較的短い期間においてだけ享受していた特権でさえあり、また、必要〔欠乏〕want からの自由は数世紀を通じて人類のごく僅かなパーセンテージを識別していた偉大な特権でもありました。》

→大多数とは、家庭に縛られ、仕事に追われ、金や必要事に困窮しあくせくしているのが良いと感じているのです。自由より。

《私たちが人類の記録された歴史と呼ぶ傾向があるものは、大部分が、それらの特権的な少数者たちの歴史です。必要〔欠乏〕と自由を区別する人たちのみが、恐怖からの自由の意味を完全に評価でき、また必要と恐怖両方から自由である人たちのみが公的自由への情熱を抱く(自由 liberté のための嗜好 goût or taste と自由がそれにもたらす平等 égalité or equality への独特な趣き teste が彼ら自身の中で発展する)立場にいます。》

→ここでも我々はまた、自由(とそれがもたらす平等)と、趣味の問題、あるいはそれへの冒険的なあり方というアガンベン的なテーマに行き着く。(あるいは、そのような公的自由へと向かう情熱があるのかどうか?)

《概略的に述べれば、それぞれの革命が自由 freedom〔統治の新しい形態と政体の設立の第二の、そして決定的な段階〕に達する前に、それらが解放 liberation の段階をはじめに通り抜けると言われうるでしょう。アメリカ革命の過程において、解放の段階は政治的拘束力からの(独裁者もしくは君主からの、また使われていただろう言葉が何であれ)解放を意味しました。最初の段階は暴力により特徴付けられ、しかし第二の段階は、審議、議論、説得、つまりは創設者たちが理解したタームとして政治的知識を適応することが問題でした。しかし、フランスにおいては何か完全に違うことが起きました。革命の最初の段階は暴力よりも崩壊によってよりよく特徴付けられ、そして第二の段階が達せられ、国民公会がフランスは共和国になると宣言した時、権力は既に街頭へと移っていました。人民よりも国家を代表するためにパリに集まった人々(彼らの主要な関心それらの名前がミラボーあるいはロペスピエールであろうと、ダントンもしくはサン=ジェストであろうとは統治、君主制の改変、後に共和制の設立でした)は突然、解放の未だ他の課題(それは一般の民衆を惨めさから解放すること、自由になるために彼らを自由することです to free them to be free)に、彼ら自身が直面するのを目撃しました。…》

 

《二つの最初の革命(それらの始まりはとても似ていて、また終わりはたいへん甚だしく異なっています)の比較は、貧困の克服は自由の樹立のための前提条件であるだけでなく、貧困からの解放は政治的抑圧からの解放と同じやり方によっては扱われえない、と私が考えることを明確に示します。》

《暴力に対抗する暴力は(対外もしくは市民)戦争を導くので、社会的条件に対抗する暴力はいつも恐怖を導きました。単なる(古い体制が解体されて、新しい体制が導入された後に恐怖が緩める)暴力よりも恐怖は、革命をそれらの破滅へ送ることであり、もしくは、それらが専制や暴政に陥るほど決定的に変形させることです。》


今日のホモ・ファーベル homo faber

2021-07-17 20:56:00 | Essay

何故、有用性の思考が社会では重宝がられるのでしょうか? 単純です。それは、労働における生物学的な循環運動、つまり代謝よりも堅く、長持ちするからです。

 
それがまさに、労働する動物にとっては主人であり、支配者の地位にあるからです。
 
昨今のホモ・ファーベルは科学的な知識やテクノロジーによるデータも駆使した科学の信者でもあるでしょう。外観だけみれば、それは生物的なプロセスよりも確実で信用ができますし、活動の儚さや脆さよりももっとかもしれません。
 
但し、それは先に述べたように、手段と目的のカテゴリーにおいてのみであり、その始まりには必ず自然に加えられた暴力があり、彼らはまた最終的な生産物を壊すことも可能です。
 
彼らは意のままに作り、また意のままに壊す。それ故に、〔自然にとっての〕マスターなのです。労働が身体により条件付けられているとすれば、仕事とは手によってです。(しかし、彼らの不安もまた、自らのコントロール・制御の不能性と結びついていることは十分に推測できるでしょうし、そこに身体から手への“置き換え”というメカニズムも認めることができます)
 
簡単に言ってしまえば、四つのディスクールの主要な位置関係や運動の図式は、“理論上は”それで切れてしまいます。
 
では、始まりの運動を指示する agent はどういうあり方なのでしょう?(この問題は特異的でもありますから、経験が必須です)
 
そして、agent は制作による支配でも、それへの逃亡でもなく、活動することもあり得たわけです。
 
 

(H. Arendt, Labor, Work, Action [1964]
 
つまり、ホモ・ファーベルの自由とは未だに“自由意志”的であり、活動による“人々の間にいることの自由”とは似て非なるものです。なので、アーレントはそのあり方を、反政治的ではないが、非政治的ともいったのです。(労働する動物は、反政治的です)
 
今日のホモ・ファーベルが支配・管理・制御する社会。それはますますコンピュータに近似していっていることは既に明白な事実です。(それは、手とコンピュータによる論理過程が、リズミカルに統合された社会です。今、あなたが目の前で触れているそれのように)そして、その目的が手段を“正当化”するような社会です。(end products のためなら、全てが許される社会)
 
そして、複数形で書きましたが、end products(それらは自然の増殖 proliferation とは区別される増大 multiplication ですし、後者は反復 repetition と混同されるべきでもありません)に幻惑されている昨今のホモ・ファーベルたちはどこに向かうのでしょうか? 彼らの苦境と敗北とは? おそらくは全き生の無意味さ、無残さに流れていくことでしょう。
 

(Ibid.)
 
一方で、活動と言論 action and speech における複数性 plurality や power はそのような数の専制・支配、こういってよければその strength とは無縁のところにあります。
 
ここで考えなければならないのは、ホモ・ファーベルが solitudine において制作する物の世界性(それは未だ、利害関心を拭い切れていません)と、公共性を兼ね備えた共通世界(それを我々は先に、美感的判断力として考察したばかりです)の差ではないでしょうか? いずれにせよ、その違いを巡って世界性のあり方が分割されていることは想像にも難くありません。前者は人と物の関係ですが、後者は人と人の関係です。アーレントにおける「世界」が複雑で錯綜としているのも、この分割線がなかなか分かりにくい描かれ方をしているからとも言えます。そして、人と人の関係が問題なところに(つまり、それが活動や言論の地平ですが)、人と物の有用性に根ざした関係を当て嵌めることは、人を物の地位に貶めていることにもなるでしょう。
 
奇しくも、資本主義社会では人は当然のように「人材」(正に材質 material としての人です)として扱われていて、その人材は有用かどうかで判断され、また自らも有用であることを欲するわけです。材質というのは既に、ホモ・ファーベルの力 strength により自然に対しある暴力 violence を振るうことで成り立つのは理解可能でしょう。(材料としての木、つまり木材は既に自然の木にある改変が加えられています)そして、今日その力は科学と手を結ぶことによって、無限の暴力を解放することにも成功し出したのですし、人間を材質としてのみ扱うことの壮大な実験すら、歴史上起き得たのです。
 
もちろん、我々は有用な道具なしの世界で生きることはできないでしょう。しかし、活動が忘れ去られ、それが政治化された時の結末は、当の人間性自体の破壊にしか行きつかないのは明白な事実です。
 
では、本来の意味での政治とは、一体何なのか? 支配でもなく正義でもない、自由と平等を“人々の間に”もたらす政治はどのようなあり方をするのか? それがある意味で、アーレントにおいて一貫して賭けられている、人間の活動力としての生の問題です。


(Ibid.)


アーレント的パラドックスの根源について

2021-06-29 18:45:00 | Note
それは、どこに求めればいいのだろうか? 例えば、革命論においては“始まりの暴力性”が指摘され、革命における“創設的な行為”においては「自由」がそこになければならない。(つまり、アーレントにおいて始まりは矛盾点でもあり、躓きの印でもある)
 
アーレントに足りなかったのは、おそらくは円環の運動(循環運動)の回帰の必然性と論理的な直線運動の必然性の区別だった。彼女のマルクス解釈において、それは「自然的強制力」として理解されるに至る。しかし、それは正確にいうなら自然の強制力 force と“過去の始まりの”暴力 violence との結合・結び目としてある。自然的強制力が常に暴力としてあるとは限らないことが、この全体主義批判を企図した文脈においては見えない故に、ルソーの自然状態に“始まりの暴力”を見てしまっている。
 
そして、それら二つの運動の必然性の区別がないということは、回帰的な時間性と直線的に進む時間性との弁別が失われていることに等しい。
 
そう考えると、アーレント的なパラドックスを解く方法というのは、ある種の時間論の導入だということになる。(あるいは、回帰的な時間と直線的な時間の“間”に留まるということ)
 
あるいは、精神分析の用語にパラフレーズしてみるとどうだろうか? エスには強制力があるとも言える。だがそれは決して、その回帰的な性格が暴力であるとは限らない。その僅かで微小な偏差。そこに、自由や新しさの「経験」がある。こういってよければ、ある意図 purpose における目的=終わり end と目標 goal の位相差。
 
 
★アーレントの全体主義主義批判の文脈は、政治的な領域を手段—目的のカテゴリーとして捉えてしまうことへの警戒と結びついている。つまり、そのレベルでの〔制作のカテゴリーの〕政治化への企図は、自由ではなく支配にたどり着く以外にない。始まりは“予め”特定の目的=終わり end に結びついている。(これが、〈工作人〉の仕事 work の領域のあり方であり、それは道具的理性としての性格を保持している。工作人の力 strength とは、自然にある種の改変を加える物理的強制力 force でもあるが、それは活動の権力 power ではない。そして、その力 strength が支配に利用されれば、暴力 violence になりうる)
 
一方で、アーレントが全体主義への批判から本来の政治的領域を描こうととしたのは、その活動 action—正確には、活動の権力 power—には、目標 goal はあるが目的=終わり end があるわけではないことを指示するためでもある。
 
始まり beginning において、仕事=制作 work の領域と活動 action の領域は力動的に相入れない。始まりが暴力でもあり、自由でもあるという事態は、アーレント的なパラドックスの一つとして挙げられるだろう。(暴力は支配の一形態であり、自由でも権力でもないのだから、アーレントの困難はそれらの隔たりや移行にあったといえる)
 
《始めに行為があった。始めに暴力があった。始まりの権力や暴力は権威になった。》
 
 
■第二のパラドックス—世界の始まりと現れ
 
アーレントにおいて政治的な場を構成する「世界」はどのように現れるのだろうか?(また、その「世界」は全体主義によってどのような危機を迎えていたのだろうか?)
 
アーレントにおいて「世界」は、人間の「活動」のみならず、政治的および公的な空間を構成する要素であることは認められる。また、別の言い方をすれば、人間の“活動なき”世界は、公的とは呼べず私的な欲望—貪欲さや傲慢—によって“消費”あるいは“破壊”されることは著作からも窺い知ることができる。
 
政治的自由とは先ず、世界への現れとして実現する。(なお、先に述べたアーレントにおける始まりの暴力性の問題を、その英雄主義的で闘技主義的な特性に求めるむきもあるが、私はそれには与しない。活動にも、活動により生じる権力自体にも暴力はない。というのも、暴力は権力とはそもそも相入れないだろうからだ。そして、暴力による支配が向かう先は、その道具的な手段—目的論の偏向性からいって、人間の活動というよりは、“活動なき世界”とそれに甘んじる“労働する動物”の方だろう。)
 
では、人間の活動の世界への現れ—それは「勇気」による暴露的特性を保持している—は、どのような状態にあるのか?
 
アーレント政治学におけるギリシャ的な特性は、政治的自由の「現実化」がそもそも共通世界に結びつき、そのような共通性を保持したまた世界に現れることにある。(そのような事実に立脚したあり方を、アーレントは「ユニークな存在の逆説的な複数性」と呼び、その事実性こそが、政治的自由の基本要素としてあることが認められる)
 
また、そこでの自由の現実化は、アリストテレスの定義に従えば共通善を目標 goal にした、エネルゲイアとして考えられるだろう。(一方で、活動によって生じる権力 power は、そのような現れに対して、ポテンシャルとしての状態にある)
 
世界におけるエネルゲイアとデュナミス。この両者を同義として、あるいは同時に論じるところに、アーレント的なパラドックスは潜伏している。言い換えるなら、アーレントにおける「世界」は、公的である限りでは、既に“複数の”人々の「間」にある。
 
《エネルゲイアに対し、その目標を指示するデュナミスは文字通りポテンシャルの状態にある。行為と権威の源泉の違いとして。
 
古代からの主権権力 sovereignty の問題は、行為と権威の源泉を同一視することにより、人間の複数性の事実を傍に追いやり、自由意志を活動の中心に持ち込むことにある。これは後に、宗教的な葛藤としても浮上することになる。一方で、権威を構想力として、超越的な審級によらず構成するという問題もある。後者については、アーレントはカントの美感的判断力を参照にし、おそらくは約束や赦しの働きとして論述しているだろう。(我々はここでも、美の問題が人間同士の信頼や絆に結びつくことを確認する。全体主義における根源悪の問題が、この人間の繋がりを破壊し超え出てしまうことについては、また折を見て扱いたい。全体主義の罪とは、人間事象を超え出ており、人間の活動力としては扱えなくなることに注意が要る。おそらくは、メシアニズムが未だなお考察されなければならないのは、この根源悪の文脈においてだろう)
 
★アーレントにおいて、“共通感覚に根ざした”美感的構想力の政治的意図の問題は、自由や世界の/への「現れ」の一契機として、重要な側面を持っている。それは、活動に先立って、超越的な審級によらずに——故に、それは「生き生きとした経験」でもある——世界を判断する自由でもある。行為者 actor が世界に現れる以前に、世界は行為者の感性に潜在的に現れている。
 
 
■第三のパラドックス
 
カントの美感的判断力の政治性と物の世界の「間にある inter-est」こと(interest とは「利害-関心」の意でもある)、あるいは人間関係の「網の目 web」としての世界。
 
アーレントにおいて、活動と言論は人々の間で進行する。それは先ず、人々がその中を動く物の世界に関係し、物理的に人々の間にある。それは第一の介在 in-between であるともいわれ、利害関心 interest にも関係するのだった。しかし、この介在 in-between でさえ、全く異なる介在 in-between によって圧倒され、圧制されている。後者は、人間関係の網の目 web と呼ばれる。
 
そう考えると、アーレントにおける活動の暴露的なあり方は先ず、物の世界の客観的なリアリティの上で演じられ(故に、それは暴力とは異なる意味で危険なのである)、その活動と言論の過程は後者の触知できない網の目に影響を及ぼすということが理解される。(後者にももちろんリアリティがある)
 
最初のリアリティは物の世界の間にあるというそれであり、後者のは活動や言論が“既にある”人間関係に関わっているというそれである。
 
そして、言論による「正体=誰 who」(何 what ではない)の暴露と活動による新しい「始まり」は、常にこの“既に存在している”網の目の中で行なわれ、その直接的な結果も網の目の中で感じられるといわれる。そして、その活動の網の目への遡及効果には際限がない。(その際限なき遡及効果が、活動それ自体の“暴力とは異なる意味での”危険であり、その危険性故に活動にはある救済策 remedy が必要なのである)
 
 
ここに先ず、矛盾がある。アーレントは後にカントの美感的判断力に、カントは気づいてないかもしれないが極めて政治的な問題があるということを指摘していた。だが、カントにおける美感的判断力、その中でもとりわけ趣味判断における美の判定には“主観(主体)の利害関心の停止”という契機(カント自身の言葉では「関心なき満足」)が認められる。
 
私は先に、「行為者 actor が世界に現れる以前に、世界は行為者の感性に潜在的に現れている」と述べた。行為者が現れる世界性は人間関係の網の目の方であり、その現れ以前に行為者の感性に現れる世界は、“共通感覚や共通世界に繋がる”物の世界の客観的リアリティのことである。(しかしそれは、厳密にカントに従えば、“趣味判断においては”「主観的普遍妥当性」のことだともいえる)
 
つまり、『人間の条件』の頃のアーレントの活動と言論についての叙述は、二つのリアリティの間に連続性がまだあるとは言えないだろうか?
 
では、その両者を分離した意味で考える活動とその救済策は、如何なる関係があるのか? 活動以前の判断、それは物の世界のリアリティとして行為者の感性に現れているのだが、その判断こそが既に、活動に対して約束や赦しという救済策を“構成する”というあり方は考えられないだろうか?
 
私はここでアーレントの叙述に対し、あるアナクロニズムを導入している。通常、人間は過去に行ったことについて赦し、未来に約束する。そして、物の世界のリアリティを美の世界—しかし、美は対象の性質ではない—に置き換えてもいる。物の世界のリアリティが永続化され、記憶という意味で人間の生よりも長く残るためには、そのリアリティの変化が必須であるよう思われる。(美は有用性という尺度からは独立しており、物の手段—目的というカテゴリーからは離れた価値がある)

そして、活動が始める過程の不可逆性と予言不可能性に対する救済は、活動そのものの潜在能力の一つであるということは、アーレント自身が述べていることでもある。(『人間の条件』邦訳p.371)

★繰り返しになるが、仮にアーレント的な“活動の主体”という問題を構成するなら、それは美と自由の関わりにおいて考えられるだろうが、未だ理性に根拠を持っている“自由意志の主体”とは区別されるということに他ならない。また、このことは精神分析における「自由連想法」と関係があることも、別のところで示唆している。そして、アーレント的な活動の主体と自由連想を行う主体—分析主体—に共通なのは、理性的な伝達なのではなく、心情や感情の伝達なのである。ここで我々は、精神分析における自由連想の方法が、アーレント的な意味での活動に繋がるという奇妙な結論を得るに至る。分析主体になることは、既に“共通感覚 common sense に根を持った”活動の一環なのである。より踏み込んで言うなら、精神分析のもう一つの基本原則たる分析家の「平等に漂いわたる注意」こそが、カントのいう“共通感覚”の想定ないし効果—無規定の規範—でもある。(他方で、“自由意志の主体”によって論文作成術化に陥った精神分析のあり方は、その始まりから言って、支配や画一化といった問題と地続きなままであり続けるだろう)
 
 
ここまでの考察で、我々はアーレントが用いる「世界 world」という言葉、つまりはその「世界性 worldliness」に、様々な複合した形態があることを認めることができるだろう。その用いられ方は例えば、端的に「世界」という場合や、「世界への愛 amor mundi」、共通感覚の論点をも折り込んでいるだろう「共通世界 common world」、そしてその喪失である「世界疎外 world alienation」のように分節化が可能だろうし、アーレントはそれらを様々な文脈において、同時に(矛盾した形でも)使うこともある。つまり、アーレントにおいて「世界性」—そして、その「始まり」—とは様々なモードを持つ政治的な場のことでもあり、彼女の政治概念の根底にある問題だともいえる。またアーレントの政治思想は、その研究で名高いヴィラの表現を借りれば、皮肉交じりにも「ロールシャッハ・テスト」とも呼ばれる。「現れ appearance」の政治学と形容してもいいアーレントの思想を、私は世界の「物」の視点から移し替えて見ているとも言えるだろう。
 
しばしばその「活動」概念は人と人の間で行われることが重要視されるが、その舞台でもある「世界」は、物によっても成立している。世界の耐久性は、物が〔消費材ではなく〕使用対象物として存在することに由来したのだし、それは工作人が制作した世界でもあった。だが、活動においてその工作人の有用性の概念や手段—目的のカテゴリーを持ち込むことはできない(それは始まりの暴力にも転化しうる)。かといって、労働する動物のように消費することが、世界に安定性をもたらすわけでもない。そこで、美感的判断力が考察されたのだし、活動における永遠性のテーマが不死性とは異なる形で、美として、あるいは人間の記憶へと変換される形で保存-救済されるのだともいえる。
 
そう考えると、趣味判断は“現われの以前と以後”を架橋しているのではないかという疑問が浮かんでくる。美において、人間の活動力は世界に現われつつも、永遠として消え去る。だが、それは記憶として残り、その活動の物語や歴史として語られる。
 
『人間の条件 The Human Condition』のタイトルが当初、『世界への愛 Amor Mundi』になる予定だったことは知られている。ラテン語の mundus とは、ギリシャ語の κόσμος, cosmos の翻訳でもある。この含意を汲み取るなら、また我々はアーレントとアガンベンの思索における神学的なものの問題に出逢うことになる。
 
 
■第四のパラドックス—始めに愛があった?—公共性における赦し

アーレント vs. アガンベン

2021-05-30 21:24:00 | Note
《不正の極地とは、実際には正しい人間ではないのに、正しい人間だと思われることなのです。》——プラトン『国家』第二巻631A
 
《すべての人は善人か悪人かではなく、正しいか正しくないかではなく、その中間である。》——アリストテレス『形而上学』第五巻 22(1023a5)
 
 

アーレントとアガンベンを分つもの。それは、法概念に対する依拠と理解、そして絶対的なものに関わる。

しかし、哲学者の系譜でいうなら、それはプラトンやアリストテレスによって用意された。それは、「活動」の領域を「制作」のカテゴリーによって置き換えるという「始まり」の転倒であった。(その問題の発見によって、アーレントがプラトンからマルクスに至る「伝統」を批判したことは既に紹介した)
 
では、活動を制作に置き換えることの何が問題なのだろうか?(それは、人間事象の偶然性をあたかも必然であるかのように見せかけ取り扱い始めるだろうし、そのことに付随して「労働」が人間の活動的生 vita activa の上位に置かれるというヒエラルキーの転倒をも招き、それが近代社会——つまりは、労働者たちの大衆社会——の特色となり、公的な領域の消失や破壊に至る。そのイデオロギー化が全体主義なのだった)
 
そして、アーレントにとって私的領域はというと、支配-被支配の関係——家長、家族、奴隷の関係——であり、“前政治的な場”なのだった。もう一方で、“善”は公にされるのなら腐敗を撒き散らし、それは公的な領域からは隠されなければならなかった。(ここに我々は、政治的な“行為のパラドックス”という問題を先に見た)
 
では、アーレントが依拠した古代ポリスにおける政治的参加への自由と平等——両者を潜在的に印付け、死すべき運命の人間に永続性を与えるものこそ、アーレントが理解したギリシア的な法である——と、ローマ法を参照にもつアガンベンの何が違うのだろうか?(アーレントにおいても、古代ローマ法の参照はないわけではないが、それはアガンベンとは趣きを異にしている)
 
確かに、両者とも法における“絶対的なもの”の問題は保持している。アーレントにおいて、絶対的なものの掛け金は「卓越性 excellence」のそれであり、その活動力が公的な領域に自由と平等をもたらすのだった。(このようなアーレントのスタンスが理想論的すぎるという批判は数多くある)
 
一方で、アガンベンにおける古代ローマ法は「例外状態 stato d’eccezione」としても分析されたし、それはおそらくは至高の絶対者の声や命令を前提としていた。そして、この当初にアガンベンが“暗黙に”前提とする垂直方向の絶対性(アーレントのそれは水平方向だといえる)が依拠している哲学的な問題は、始まりと終わりをもつアリストテレス的なカテゴリーと交差するのだった(それは、世界性 worldliness というよりはコスモス kosmos, κόσμος と呼ばれ、神の被造物の領域でもある)。そして、アーレントにとって“始まりと終わり”を持つのは活動ではなく制作の方なのであるから(活動は始まりがあるが予見できる終わりはない)、アガンベンとアーレントを分かつののは、神的な問題と人間的な問題を巡っての「制作」というカテゴリーの問題でもある。ただし、アーレントによる“人間の政治的活動の制作化”への批判は、それが用意する支配-被支配関係に向けられただろうし(その意味では、その批判は否定的である)、アガンベンの場合は、有限であり偶然性により絶えずおびやかされている人間的事象(そこにはコスモスのみならず世界性も含まれる)やそれらの破壊に対する神的な「秩序」と毀損の回復—つまり、摂理や救済—という意味合いを持っている。(もちろん、アーレントにも救済—許しや約束—というテーマはあるが、それは人間的な活動の一環として考えられている)
 
人間の活動の場(公共性とも言い換えられる)を用意する世界が、人間の手によるものなのか、あるいはそこに神によって造られたという被造物の問題や神的な秩序を見るのか?
 
おそらくは、アーレントがおかした過ちは、自らが活動の問題を制作に置き換えるというプラトンからマルクスに至る伝統批判をしたものの、その公共性を用意する世界性の樹立が、人間の手によるものという循環論法を免れていない点にある。アガンベンは、そこに人間の無為の能力(非の潜勢力)や神学的な思考を挿入する。(確かに、アーレントが批判するプラトンの政治性—哲人王支配—は、その転倒によって vita activa から vita contemplativa に優越性が移ったという見方は一面の真理を言い当ててはいるし、それによって革命がまた新たな支配-被支配の関係を必要としていまう事態も生じている。だが、アリストテレスによるプラトン批判は、それとは別の領域に vita contemplativa の優位性を見取ったのではないか?)
 
政治をも含めた公共性の領域は、人間のみの活動の領域なのか? あるいは、そこに神的なものを認めなければならないのか? そこでの始まりと終わり(だが、活動には予見できるような明確な終わり=目的はない)は、どのような時の問題を孕んでいるのか? このような難問はまた、政治的なものの掛け金や善悪の問題でもあるし、それぞれの真理観にも影響を及ぼしている。一つ言えるのは、「現れ appearance」とは常に善であるとは限らないという事実の真理 factual truth—イデアの真理ではなく—である。そして、事実の真理とは、理性による信仰や信念では最早なく、“感覚の基盤”という共有されうる現実—中間領域—である。

《私たちはここで、プラトンとプロタゴラスのどちらかを選択する必要もないし、万物の尺度が人間であるのか神であるのか決定する必要もない。確かなことは、その尺度は、生物学的生命と労働の強制的な必然でもありえないし、製作と使用の功利主義的な手段主義でもありえないということである。》——アーレント『人間の条件』(ちくま学芸文庫版p.273)
 
 
★この覚書は、言うまでもなく精神分析について私がした批判(論文作成術化と労働運動化)と繋がっているし、語の十全な意味において、理論と実践の問題点が考察されていなかったことも指示している。また、別のところで人間の“最初の”道具の使用が自尊心の問題と結びつくことも、ルソーを通じて既に指摘していた。
 
尚、アーレントは行為から支配への逃亡をギリシア語とラテン語の二種類の「行為する」という動詞の用法の変遷としても分析する。第一に、一人の人物が行う「始まり」を表す archein, agere があり(これらは、アルケーと語源を同じにし、エージェントという動因を表す用語も示唆している)、第二に、複数者からなる、行為の企図とその達成までを表す prattein, gerere である。今出敏彦 (2013, pp.122-123) によれば、第二のものが行為一般を指すものとなり、第一のものが政治的用語として「始まり」から「導く」、「支配する」へと意味が特殊化された経緯がある。
 
以下は、今出からの引用である。《行為の持つ意味が分離して後者の政治的用語としての意味〔引用者注:「導く」、「支配する」のことだと思われる〕が強調されると、さらに第二の意味がその内部において、一方では支配者の命令と、他方では服従者の命令実行へと機能分化を遂げて、行為の重要な側面である、複数者からなる生きた行為の流れの過程的性格が脱落する。こうして、行為を放棄して制作を採用することで生じる変形により、行為の概念は支配の概念に置換される。》(ibid., pp.122-123)
 
アガンベンもまた、違った文脈からラテン語の agere, facere, gerere の区別を分析しているが、このことについてはまた別所にて確認したい。そして、アーレントとアガンベンを別つ決定的な差異は、「始まり」や「起源」を巡った“制作(製作)のカテゴリーの”問題系でもあるが、両者はまた、行為や活動というアリストテレス的政治学——それは、演劇モデルを採用している——において、補完し合っているとも見ることができるだろう。(余談になるが、アウグスティヌスにとって根本的だったのは、人間の始まりを示す initium であり、世界の始まりを示す principium の方ではなかったということは敷衍すべきだろう)

解釈—知—解釈妄想ということについて

2021-05-20 21:08:00 | 精神分析について

おそらく、このロジックの導き方の問題は、言語の目的論—それが構造的なものであれ、ある種の時間の考えを内包しているのであれ—という枠組みに既にある。

 
だが、精神分析は言語を手段化しているとしよう。この手段とは、患者のパロールでも分析家の解釈でもどちらでも構わない。(実際に、厳密に理論上は、言語を目的論としているのは、患者のパロールから演繹している構造の方にある。そして、構造による意味-作用の産出が線型的な時間を既に前提としている。つまり、ランガージュの何らかの効果としての主体。)
 
言葉をその目的論的な因果性として理論上で前提として扱うことは確かにできる。だか、言葉それ自体を手段として考えれば、別に分析家の言葉ないし沈黙は、意味-作用やその分節化を前提にはしない。(臨床的には、奇をてらう“必要”—これも分析家の側の特殊な欲望と不可分である—もない)
 
では、ここでの言葉は何を導いているのか?(おそらくは、その理論が忘却している事態は、言葉による想起の経験と言葉それ自体の経験論の次元—どちらも、同じだとは言えるが—だろう。この二つの経験は、ランガージュによる真理の効果の経験とはまた異なるといえる)
 
 
無意識。ここでの意味は、フロイトが後に修正したように前意識のことである。
 
それが、翻訳というメタファーであったり、解釈が無意識を存在させるという事実性の水準であったり、無意識が解釈するという力点の変化—移動〔遷移〕—として言われている。
 
だが、ここに潜む暴論は、理論の枠組みが既に言語の目的論を抜きにしては成立しないというある種の限定である。(これに対し、言語の“目的なき”手段化、つまりは言語の行為や実践の側面をここでは提起している)
 
ちなみに、この目的論から考えられる(真理の効果としての)主体と、言語それ自体の経験やエスの経験のあいだには、無限という断絶が横たわる。想起の経験は、仮初にだが両者を架橋する。(美のイメージとしての想起、あるいは最初の愛)故に、その経験はまた、文字通り“試練”でもある。

必要と自由の狭間で——忘却と記憶の政治

2021-04-20 21:09:00 | Essay

《しかし無秩序の表象はやはり無秩序である。しかし私としては、ただ混乱ということから出発する他はなく、諸君が先ずこの混乱について考えて下さることを望む次第だ。それには或る程度の努力がいる。何故なら、我々は現代の混乱には遂には馴れてしまうからであり、我々はこの混乱によって生活し、それを呼吸し、それを誘発し、それがしまいには我々にとって真に必要になって来ている。》——ポール・ヴァレリー『精神の政治学』(中公文庫版p.15)

 

コロナとの闘いとよく言われている。コロナは、ヨーロッパ諸国においても当初「戦争」として意識された。それをどう考えるべきか? アーレントを再び紐解いてみよう。

《歴史的にいえば、戦争が、記録されている過去のうちでもっとも古い現象に属するのにたいして、革命は、正確にいうと近代以前には存在しなかった。つまり、革命は多くの政治的記録のうちで最新のものに属する。そして革命と対照的に、戦争の目的が自由の概念と結びついたのは、ほとんど稀である。》——アーレント『革命について』(ちくま学芸文庫版p.22)

つまり、このアーレントの引用に従うなら、当初ヨーロッパに回帰したのは意識においては古い過去に属する何かではなかったのかということだ。

いや、日本ですらそれは例外ではない。それが、内的なものであれ外部からの闖入としてであれ、コロナ対策は「戦争」(控えめに言っても「闘い」)のようなものとして意識されている。

そして、このコロナ禍における「自由」とは? おそらくは、戦争としてのコロナ対策とは、それが(外部からの)侵略であれ(内部に対する)防衛であれ、「必要事」としてあることだろう。我々は既に、別の仕方ではあるが「自由」と「必要」の区別はしている。

ウイルスは、外部からの侵入であるばかりか、それは内部に対する防衛システムさえ撹乱するようなあり方をする。 生体についてもそうだが、それは社会体の境界それ自体を撹乱するし、現にそのように振る舞う。

「必要な対策を講じていく。」——まさに、それは必要事として「緊急事態宣言」すら正当化される。 (暗に、それは必要であると。マスクはそのような「暗示」としても機能している。それは必要なのだと)

 

この「必要事」にあって、我々の自由の所在はどこにあるのか?  あるいは、それは「必要な対策」によって制限されなければならないことなのか? このような問いを発することすら、馬鹿げたことなのか? だが、アガンベンなら自由とは死の側にあるというかもしれない。

彼はあるエッセイの冒頭で、モンテーニュを引用している。《死が私たちをどこで待ち受けるか、私たちはどこにおいてもそれを待ち受ける故、私たちは知らない。死の省察は、自由の省察である。死を学ぶ者は、服従することを忘れる。死を知ることは、私たちをあらゆる隷属とあらゆる強制から自由にする。》(Michel de Montaigne)

おそらくはこうだろう。 それは、生き延びる必要がある人間にとってのみ、必要であるのだと。
 
 
もう一つ、我々はルソーから「自然状態」という仮説を手に入れている。 アーレント曰く、《自然状態の観念はそのような十九世紀的な発展の観念によっては理解できないようなリアリティを暗示している》(Arendt, op.cit., p.24)。それは、“はじまり” (a beginning) の存在を意味として含んでいるとあり、アーレントはその“はじまり”が暴力と結びついていることを例示しようとする。だが、このようなアーレントによるルソーの解釈は、残念ながら誤解によるものだといえないだろうか?
 
確かに、「自然状態」の仮説が十九世紀的な発展の概念からは汲み取れないリアリティを示しているという彼女の指摘は正しい。だが、それをすぐさまに「兄弟殺し」(起源の犯罪)に結びつける論調は、一面的すぎるきらいがある。別のところでも指摘したが、アーレントはルソーを正確には読めてはいない。但し、革命と暴力の親近性と自然状態の仮説のリアリティは、必要性を巡る政治の二つの“限界”であるという点では、彼女は問題に接近することはできている。(付け加えるなら、「自然状態」の仮説は意志の問題の埒外にある)
 
では、世俗的な発展の概念から手を切る、革命の新しさとは何か? 兄弟殺しや原罪の教説でさえ、ある種の反復を免れてはいない。それらは、古代の(自然的)循環論と意志の結び目に位置している。その意味では、起源の暴力は現に繰り返されている。(精神分析ですら、そう確信している)
 
 
故に、我々は“別の”という問いを立てた。 革命が革命たる所以は、単に起源の循環ではないし、古いものが回帰することが新しいように感じられることでもない。そこには、何か“絶対的なもの”が付与されているように思える。
 
《人間事象はたえず変化するが、完全に新しいものは何も生みださない。》(ibid., p.22)
 
革命の新しさとは、単に事象の変化とも自然の循環(単なる新旧の交替)とも異なる。なるほど、アーレントはこう書いてもいる。
 
《そこで、近代の革命を理解するうえで決定的なのは、自由の観念と新しい“はじまり”の経験とか同時的であるということである。》(ibid., p.38)
 

誤解がないように断っておけば、必要がなくなれば自由というわけでもないし、自由なら必要事から全く解放されるというわけでもない。この複雑さは、アーレントの記述の揺れ動きからも感じられる。

そしておそらく、アーレントの記述のパラドキシカルな側面は、歴史において必然(必要)と自由が一致するというヘーゲル的なパースペクティヴにおいて極まるだろう。だが、ここでも彼女は気づいているかもしれないが重大な過ちを犯しているように思われる。それは、理性によって眺められた歴史なのだ。(かといって、彼女は経験への配慮を怠っているというわけではない)

例えば、私は先に昼と夜の交替という自然的ないし天体的な回転を例に挙げた。(人間の動物としての生死の循環でもいい。そのような感性的な人間も有機体から無機物へと回帰していく)

 

革命という用語の語源的な意味に、既に天体の回転運動から拝借されたという経緯がある。おそらく、近代以前の人間にとっての天体の回転運動や自然の循環性は、人間の運命や偶然性を司るものだったはずだ。それが、ある歴史的な展望の下でかつての偶然と必然が一致する。(そこには、不可抗力性 irresistibility の概念も付け加わる)

革命は、一度起きてしまえば、それは歴史の必然に変わる。そう言えばいいのだろうか? かといって、理性の眼によって眺められるのは、革命(回転運動)の経験(新しい経験)とは言い難い。それは、起きた後にそのような偶然と必然(必要)の一致に変わってしまっているということだろう。

あるいは、(周期的であり循環的な、そして無際限の)自然や天体の運動が歴史化される時に何が生じているのだろうか? 要するに、感性において経験される運命や偶然性と、それらが後に理性によって眺められる歴史的な視座への一致と必然性。

それが、自由を巡る政治的なパラドックスとして彼女の前には現れているということだろう。あるいは、自由がもし最もラディカルな政治的実践に結びつくなら、人間はそれを再び歴史的なパースペクティヴにおいて構成し直すという営みが残されているのかもしれない。

こう述べておくのは適切だろう。ウイルスは変異 permutation は起こすが、革命 revolution は起こさないと。

 

■コンパッションの力

私はアーレントの“理性の側からの”ルソーの読みについては、間違っていると何度か指摘した。だが、感性の共感 compassion の力を考慮したルソー読解は彼女の天才が示されている。また、その力点の相違に別の(あるいは新しい)共同性の問題を見取ることはできるかもしれない。

アガンベンの『いと高き貧しさ』は、いわば神学的な革命の前夜を物語っているとも読めなくもない。

《理性は人間を利己的にする。それは自然が「不幸な受難者に共鳴するのを」妨げる。》(ibid., p.120)

そして、そのような理性的共同性からは追放されることに、アガンベンは新たな政治的な身振りを見取っていた。

つまり、この社会が理性により結託しているなら、それは須く我々を欺く詭弁としてあり、そのような精神は徳性を抹消しようと努めるだろう。そのような社会は、悪徳として栄える以外ない。

《苦悩する能力である情熱 passion と、他人とともに苦悩する同情 compassion が終った地点から、悪徳がはじまった。利己主義は一種の「自然的な」堕落であった。》(ibid., p.121)

こういってよければ、アガンベン、アーレント、ルソー、そしてヴェイユが共鳴するような地平がある。だが、それはこの世界からは隠されているままに留まるだろう。

ここで私がアガンベンの著作を評価したのは、それがアーレントが扱いきれなかったようなキリスト教思想の核心問題——それは、新しい自由の重点がキリスト教的共同性の創始によって、vita activa〔活動的生〕からvita contemplativa〔観照的生〕の方へと変転することも含むだろうし、アガンベンの書記論にもその影響が顕著である——を描いているからである。そしてまた、シモーヌ・ヴェイユにおいては必然性の概念が、パラドキシカルな神のヴェールとして既に現れていた。

つまり、自由(それはギリシャのポリスにおいては公的であり、政治的な領域への参加と不可分である)と必然(それはキリスト教的な共同性への扉として、あるいは“神への服従”の印として、公的な領域からは隠されている)は、アーレントとアガンベンを結びつつも切り離すのような、公的領域と私的領域の間にある深淵のパラドックスとしてあることが窺えるだろう。その両方に引き裂かれた魂=心には、パッション〔情熱=受苦〕がある。

そして、キリスト教的政治性(それを“新しい自由”と呼ぶことに我々は異論はない)とはある実行性を保持しながらも、決して公にはならないという性格を持っている。ここでは、それを政治的な“行為のパラドックス”と名指すに留める。

(キリスト教的な“愛の”政治性—それはオイコノミアと統治性の概念へと変形され、“内面の自由”〔記憶〕へと救済-保存される—とは別の、革命が新たな支配関係を必要としてしまうというパラドックスについては、またいずれ別件で取り扱いたく思う。また、ここでいう“内面の自由”は自由意志とは異なる。)

 

■必要な混乱?

エッセイの冒頭に掲げられた引用は、ポール・ヴァレリーの19321116日の講演からである。

彼はその最初の方で、この混乱が私たちの原動力にもなっていることに注意を促している。そして、そこでのある種の「新しさ」についても、こう述べる。

《そしてそれが我々の原動力にもなっていて、我々自身で創造したこの混乱が、我々にはどこだか解らない方向、また我々が行こうと欲しない方向にいまや我々を導いてゆく。〔略〕そしてこの新しさは、我々が生きている時代そのものの新しさから来ている。》(Valéry, op.cit., pp.15-16)

この現在の混乱の状態——奇しくも、このコロナ禍においても私たちはある新しさに遭遇し、生活のあり方までもが改変を迫られている——は、必然的に、それ相応の未来を持ち、その未来を予想することは絶対に不可能であるとも言っている。

おそらくは、我々はそこからは遠くに隔たってはいまい。しかし、ヴァレリーは私たちの知識や能力とによって武装されながら、私たちが組織し設備した世界の迷路的な複雑さを前に「精神の政治学 la politique de l’esprit」を考案することを示そうとする。このヴァレリー的な控えめな身振りこそ、我々をまた精神 esprit の「自由」へと導いていることは、付け加えるまでもない。彼はそれを、形而上学的なものとは異なる《変換する力》として定義し、人間の精神は人間を一種の《冒険》に導き入れていると述べるに至る。

《その冒険というのは、人間がその原始的な生活条件からますます離れて行こうとしている、その努力を言うのであって、あたかも人間という種属は、彼を同じ位置、同じ状態に置こうとする通常の諸本能の他に、それ等とは正反対の、もう一つの全く逆説的な本能を有するかのようなのである。》(ibid., p.33)

我々は、アーレントやルソーの考察から、人間の動物性の側面、つまりは感性的な人間性を見直してきたばかりである。だが、このヴァレリーの述べるところの、“同じ”位置や状態に逆行するような、こういってよければ“別の”本能、つまりは精神は、最初の同一性とは変容しているように思える。それは、感覚的な、そしてリダンダントではあるが受動的な〔パッシヴな〕パッション、またコンパッションの力に裏打ちされている。それは、一つのパッションなのではない。“別の”パッションを必要としているようにも思える。

問題だったのは、“パッションなき”理性の能力だったともいえる。それは、そもそもパッションの語源—pathos, πάθοςにある「耐え忍ぶこと」(忍耐)を欠いているがために軽薄で軽率な能力(“白痴な”欲望=欲求能力)であり、せいぜい《未来に後退りして進んでいく》(ibid., p.65) だけではないだろうか?

 

★追記:アーレントに即した必要と自由の区別の優れて明晰な要約と問題点は、今出敏彦『ハンナ・アーレント『人間の条件』再考―世界への愛』(2013) の第二章・第一節においても見られる。また、アーレントが据え損なっただろう二つの必然性の区別については、木前利秋『メタ構想力——ヴィーコ・マルクス・アーレント』(2008) の第八章・第一節から第二節において問題提起されている。


夜の方に

2021-04-13 16:54:00 | Essay

公的領域と私的領域の境界の不明瞭性。それは、初期のアガンベンのテーマにもあったがアーレントに遡るなら、それは社会の解放的な性格それは自由とは異なるに由来していたということになる。

そして、動物としての人間の生死は、私的なものとして元来なら公的領域からは隠されていた。では、人間としての人間の生死とは、人間の公的領域における活動と関係があると推測できる。(注意を喚起するなら、私はここで死を二重化している)

 

だが、アーレント的な分節化によれば、社会的であることとは、公的であるとは限らない。(彼女は既に、社会において私的領域が拡大し、公的領域が衰退していく兆候を、全体主義に対する分析やマルクスへの批判的な読解から見とっていた。その意味で、ラカン派が事あるごとに問題にしていた、大文字の他者の衰退や父の名の衰退といった事件性も新たな光に当てられる。)

あるいは、我々のギリシャ的ポリスへの参照とキリスト教の超自然的な愛のあり方もまた、二人の女流思想家を対比させる形で、理解されうるだろう。そこでは、奴隷と犠牲、あるいは労働と献身といった、精神分析においてはマゾヒズムや女性性の謎というテーマにより深淵に位置されていた困難が浮き彫りになる。広義にそれは、イタリア哲学においては根源的な受動性として取り扱われていたことは、明記していい。

それらのパッシヴな思考は、我々の意志や意欲、欲望という問題を篩にかけないわけにはいかない。ギリシャ的な倫理の行為的性格でさえ、夜を迎える。

 

夜。夜なくしては、新たな昼もない。

思考が夜を迎えるとは、それが新たな光の元に照らし出されることを含む。


シラー『人間の美的教育について』

2020-07-01 21:55:00 | Note

《流派をたてるくらいなら、いっそのこと他の間違いをしでかしたほうがよく、権威や他人の力にすがって身をまっすぐに立てているくらいなら、いっそのこと自分の力の弱さで倒れるほうがましだと思っています。》p.30

《美のいっさいの魔術は、その秘密性にあるので、その本質は諸要素を必然的に結合しても、廃棄されてしまうものです。》p.31

《実際にあの政治的問題を経験の中で解決するためには、美的問題を通ってその道に出なければならないことを、なぜならば、自由にまでたどりつく道が美であることを知って欲しいのです。》p.34


《理性の啓蒙——、これを洗練された階級の人たちが自慢にするのは、べつにさしつかえないことですが、全体からみて、これが思念の高貴化に影響をあたえたことはほとんどなく、むしろ腐敗を格言的に証拠立てているようなものです。》p.44

《…彼らは理性によって自然に帰ることができるのに、誰も彼もが、むやみに理性を振りかざして自然から離れることをよしとしている》p.46

《思弁的精神は観念の国で、失われることのない所有を得ようと努力しているあいだに、いつか感性の世界においては異国人になってしまい、形式のために素材を失わなければならなくなってしまったのです。》p.51

《純粋な知性が感覚の世界にある権威を横領し、経験的な知性がそれを経験の条件下に屈服させようと熱中しているあいだに、両方の素質が成熟しきるところまで発達してしまい、それぞれの領分の全域をすっかり使い果たしてしまうのです。》p.53

《……この神性への道——決して目的地に導かないものを道とよんでよければ、この道は、人間に“とって”感性の中に開かれているのです。》p.77

《……ただ、その形式が私たちの感覚の中で生き、その生命が私たちの理性の中で形となってこそ、人間は生命ある形態であり、そして、いかなるときでも常に私たあちが、美と評価するところのものです。》p.95

《美によって、感性的な人間は形式に導かれ、そして思索に導かれるのです。美によって、精神的な人間は質料 Materie に還元され、そして再び感覚世界が与えられるのです。》p.108

《ところで美について、美は人間に対し、感ずることから考えることに移行する道をひらくものといわれているにしても、決してこれを、あたかも美によって間隙が——感覚を思考から分離し、受け身を能動から分離する溝が——満たされるように考えてはなりません。この間隙は無限なのです。》p.114

《思想とは、この絶対的な能力の直接行動です。》p,114


《事実、美というものは知性のためにも意志のためにも、絶対になに一つ成果をあたえず、なに一つとして知的な目的も道徳的な目的もしとげていません。美はただ一つの真理をも見つけず、なに一つ私たちが義務を履行するのを助けてくれず、そして一言でいえば、性格を築くにも、頭脳を啓発するにも不適当なものです。》p.124

《しかし正にそれによって、ある無限なものが獲得されるのです。事実、感ずるさいの自然の一方的な強要によって、また考えるさいの理性の排他的な立法によって、人間からまったくその自由が奪い去られていることを想いうかべてみさえすれば、当然私たちは、美的情調の中で取りもどされる能力を、あらゆる贈り物の中の最高のもの——人間性の贈与——とみなすことができます。》p.125

131情熱の美しい芸術は存在しますが、

《美的情調の人間には、彼が欲すればそれが直ちに普遍妥当的な判断となり、普遍妥当的な行動となるのです。》p.135

《それゆえに、義務に対する道徳的優越はまったく存在しませんが、しかしそれに対する美的優越は存在するので、そうした振舞いが高貴といえるのです。》p137〔原注〕

《人間は欲求を、“いっそう高貴に”することを習って、それによって“崇高になろうとする”必要をなくさなくてはなりません。このことは、美的教養によって果たされるもので、美的教養は、それについては自然律も理性の法則も人間の随意に任せているいっさいのものを、美の法則に服従させ、そして美が外的生命に与えている形式の中に、内的生命を開いてくれるのです。》p.138

141結局のところ人間にとって、

《美はたしかに私たちにとって“対象”なのです。なぜならば反省は、私たちが美についての感覚をもつことのできる条件であるからです。同時に、しかし美は“私たちの主観の一状態”なのです。なぜならば感情は、私たちが美についての表象をもつことのできる条件であるからです。したがって美は、私たちが観察するものゆえに形式であり、同時に美は、私たちが感ずるものゆえに生命なのです。“一言”でいえば、美は、私たちの状態であると同時に私たちの行為なのです。》pp.150-151


★途中