とても面白く最後まで飽きさせない作品だった。むしろ、その「飽きさせない」という娯楽性の高さが実は不満点でもある。まるでハリウッドの戦争アクションもののように見えてしまう部分があるのはちょっとどうかという気がした。また、善悪があまりにもはっきりした単純なストーリーにも深みが今一歩足りない。
しかし、そういう不満点があっても、この映画には「ハンガリー動乱」について考えさせる要素がたくさん詰まっていて、わたしたちが二十世紀の歴史を振り返る大きなきっかけを与えてくれる。今では「ハンガリー動乱」はかの国では「1956年革命」と呼ばれている。ソ連の支配に抗して立ち上がった民衆蜂起は多くの犠牲者(3万人の死傷者、20万人の亡命)を出して収束した。この蜂起がこれほど大規模なものだったとは本作を見るまで知らなかった。ほとんど内戦状態なのだから驚いた。また、ハンガリー動乱と第二次中東戦争が同時期に起こっていたことにも思い至った。アメリカが助けに来てくれると信じた人々の思いに応えることなく西側は沈黙を守った。アメリカの政治的駆け引きに対する批判もこの映画は忘れない。
ハンガリー動乱の時期にちょうどメルボリン・オリンピックがオーストラリアで開かれていて、ハンガリーの水球選手団がソ連と準決勝で戦い、ソ連を破りさらには決勝で勝って見事金メダルを獲ったということは史実である。その史実と学生達の反乱とを結びつけて恋愛映画を作る。このアイデアが見事だった。
女性監督にこんなアクションものは撮れまいと思うなかれ。アクション監督にヴィク・アームストロングという有名なスタントマン兼アクションシーン監督を配したことが奏功している。迫力ある戦闘シーン、勇敢な女性闘士たち、自由を求める人々の熱い想い、本作はそういった、感情を盛り上げるロマン主義には事欠かない。
だからこそ、この映画を見るだけで満足せずに、この物語の背景となった史実や思想的問題について考えてみたいと思うのだ。本作を見てもハンガリー動乱の背景は理解できないし、なぜ人々が銃を持って立ち上がるほどに窮乏していたのか、当時の政権はどういう政策をとっていたのか、それは勉強しないとわからない。本作に登場する革命派のナジ首相は後に秘密裡に裁判にかけられ処刑されている。1989年に社会主義政権が崩壊して以降、ナジの評価も一変し、現在では再埋葬されて名誉回復している。
果たしてこの「革命」を「革命」と見ることができるのかどうか、それは疑問だ。本作を見る限り、人々の思いはナショナリズムに彩られていて、それは一歩間違えれば排外主義へと陥るものに見える。ハンガリー国旗を伝統的な国旗に戻そうというスローガンは復古主義・反動だし、それは例えば「太陽の雫」でサボー監督が描いたようなユダヤ人虐待をも憂慮させる。
だが、さらに逆説的には、本作が政治映画ではなく、あくまでも理想に燃える美しい若者たちを主人公に据えた恋愛映画であったことが、これらもろもろの問題よりも人間ドラマに焦点を当てて本作を成功に導いたと言える。チームの英雄である水球選手と革命の意気に燃える勇敢な女子学生。この二人の運命的な出会いと恋に当時の人々の思想を代弁させたことによって、観客の理解は容易となった。オリンピックに出る夢のためには「革命」などという危険な玩具に近づいてはいけない。ほんと、スポーツ選手が保守的なのはこういう映画を見るとよくわかります。けれど、自分だけの夢にとりつかれていた若者が、友人の虐殺を目の前にし、さらに恋した女性に感化されて変わっていく。そのダイナミズムをもう少し丁寧に描いてもらえればさらによかったのだが、あまりにも簡単に改心してしまうので、「おいおい、下半身に引きずられて宗旨替えかい?」と皮肉を言いたくなります。
本作では男よりも女のほうが果敢に戦い、男を変えるのは女である。まことに正しいフェミニズム映画となっている。感涙に咽せぶ感動作というわけではないけれど、ハンガリー事件について、また、その描き方について考えさせられる作品だった。
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SZABADSAG, SZERELEM
ハンガリー、2006年、上映時間 120分
監督: クリスティナ・ゴダ、製作: アンドリュー・G・ヴァイナ、脚本: ジョー・エスターハスほか、音楽: ニック・グレニー=スミス
出演: イヴァーン・フェニェー、カタ・ドボー、シャーンドル・チャーニ、カーロイ・ゲステシ、イルディコー・バンシャーギ、タマーシュ・ヨルダーン