ピピのシネマな日々:吟遊旅人のつれづれ

歌って踊れる図書館司書の映画三昧の日々を綴ります。たまに読書日記も。2007年3月以前の映画日記はHPに掲載。

死ぬのは怖いか

2005年06月21日 | 読書
 「死」について考えるといっても、わたしにはそれを宗教的・哲学的に深めることなど手に余る。別に深く静かに熟考したわけではない。


 ただ、ランチを食べながら内田樹さんの仏教入門書『いきなりはじめる浄土真宗』を読んでいて、感応したのが「死はこわいか」というくだりだった、というに過ぎない。

 本書は毎度おなじみ内田センセイと浄土真宗の住職釈徹宗さんとの往復書簡集だ。続編『はじめたばかりの浄土真宗』と同時発売になった。

 その中で、内田さんは子どもの頃、異様に「死」が怖かったという経験を書いておられる。森岡正博さんも同じようなことを繰り返し書いておられるし、長じて哲学者になるような人はきっとそういう経験を経てきているのだろう。たぶん、それは哲学者の卵だけではない。わたしも子どもの頃、死ぬことが怖く怖くて、それこそ死にそうに恐ろしかったものだ。
 
 小学4年生のとき、自由テーマの作文を宿題に課されたことがある。ほかの子どもたちが子どもらしい夢やちょっとした日常雑記ふうのことを無邪気に書いていたのに、わたしだけが「わたしは「死」について考えると夜も眠れません」と書いていたのだ。わたしはそのことをひどく恥じた。

 その頃、わたしの悩みは不眠だった。ほんとうに死ぬのが怖くて夜も眠れなかったのだ。そのまま死んだらどうしよう、目が覚めなかったら……と思うと身体が凍りついたようになり、みぞおちの辺りが冷たくなったものだ。自分が「死」にとらわれていることが「子どもらしくない」と感じたわたしは、なぜ自分がほかの子どもと同じではないのかと忸怩たる思いでいっぱいだった。

 自分がいなくなった後も世界は存在し続けるという怖さ、自分の存在が何もなくなるという無限の世界に落ちる怖さにさいなまれていたその頃から思えば、今はそれほど「死」が恐ろしくはない。むしろ、もし不死の力を与えられたりしたら、そのほうが怖いと思う。死なない人生なんていやだ。もちろん、今はまだ死にたくないけどね。

 内田さんは、人間は歳とともに死ぬ練習をするという意味のことを書いておられる。だんだん死に対して免疫ができてきて、最後は「あ、もういいかな」って感じになれるみたいな。それはそのとおりだという気がする。それと、死が怖くなくなったのは、子どもが生まれたときだとも書いておられた。これもとてもよくわかる。

 山寺のご住職(おしょうさん)はブログ「方丈」で「死が本当に怖がられる所以は、「だれもが必ず死ぬ」ことにあるのではなくて、「いつ死ぬかわからない」ことにあります」と書いておられる。まったくしかり。では、いつ死ぬかわかれば怖くないのだろうか?

 わたしは、自分の死については受け入れられると思っている。いつ死ぬかさえちゃんとわかっていれば、それほど怖くはない。でもいきなり「明日の3時です」とか言われたら激しく動揺するけど。

 それより、受け入れがたいのは愛する者の死だ。とりわけわが子の死。これだけはとうてい受け止めることはできそうにない。では、まったき遠い他者の死はどうでもいいのか? と問われれば、「そう」とも言えるし「違う」とも言える。どんなに遠い地の人々の死でも、それが戦争や犯罪による死なら、つらいことだと思うし、避けられる死だと思うからこそ、避けるだけの英知を働かせるべきだと考える。
 
 以前、「ピピのシネマな日々」に「誰かの死について考えることができるなら、それはその人を愛しているということだ」という意味のことを書いた。わたしは最近よく身近な人々の「死」について考える。愛する人たちが死んでいく様子がリアルに想像できる。そのときに感じるであろうわたしの悲しみ・喪失感が現在のわたしに流れ込んできてわたしを泣かせる。未来の悲しみに涙するとき、わたしはその人を愛していると実感する。
 
 自分の死よりも、愛する人々の死のほうが恐ろしい。そう感じられるぐらいに歳はとったようだ。

 そして、愛する人との別れを覚悟しつつ生きていかねばならないというつらい日々を、わたしなら耐えられるだろうか。病とともにある我が子に向き合う親の心中やいかばかりか。
 

<書誌情報>

 いきなりはじめる浄土真宗 / 内田樹, 釈徹宗著. 本願寺出版社, 2005 (インターネット持仏堂 ; 1)

なぜフーコーに惹かれるのか 『フーコー : 知と権力』

2005年06月19日 | 読書
 昨日は朝からからだがだるくて、午前中は読書タイムにしようと思ったのに、本を開いたままベッドで2時間爆睡。寝ながら読んでたのが悪かったのね、いけません、こういう行儀の悪いことをしては。
 しかし、お昼ご飯を食べたあともやっぱり眠くてうつらうつら。やはり相当疲れているみたい。からだがだるくてしんどくて、脈拍は120/分も打っている。これはいつもの夏ばての徴候ではなかろうか?

 で、ネットサーフィンしたりシネマ日記を更新したりしてちょっと頭を切り換えてからフィットネスクラブへ。昨日は簡単なストリートダンスをしたのだけれど、いかに簡単でもステップを間違えるのが中高年。情けなや。45分間ちょっとステップを踏んだだけで汗だくになってしまった。
 マシントレーニングも少しだけ。

 運動後しばらくして血圧を測ったら上が96、下が70ぐらいかな。運動後なのにこの低さでは、やはり夏は乗り切れないなぁ。血圧を下げる薬はあっても上げる薬はない。低血圧人間にとって夏はとってもつらい。


 さて、前振りが長くなったけど、本日の御題は「フーコー月間のまとめ」。

 最初の予定より4倍延びてずるずると続けてきたフーコー月間は、ここらでいったん打ち止めにしたい。『言葉と物』や、他にも読み残した文献は多いが、またの機会にゆるゆると読みたい。フーコーは逃げないし。

 フーコー入門書としては本書がこれまでで一番おもしろかったのではなかろうか。フーコーの死から記述を始めている本書は、その死がエイズによるものであるという噂をめぐってまずは語り始める。

 そして、フーコーの伝記と著作の紹介が年代順に並ぶ。伝記的事実と著作の内容解説がたいへんバランスよく配置され、そのときどきのフーコーの問題意識、彼への評価・批判、さらにフーコーのリアクション、といったものがたいへんわかりやすい。

 本書の終章(第7章)で著者桜井哲夫さんは「ひとはなぜフーコーにひかれるのか」と問うている。常識を揺るがし、時代に否(ノン)と言った反逆児、ゲイであることの苦悩から出発する学問への姿勢に、人々が共感したからか。

 その答を著者は自らの経験を語ることによって導く。フーコーのおかげで「自由」になれた、と。

 フーコーは、確かに学問の世界で秀才であったろう。だが、彼の偉大さは、秀才であることをやめた点にある。秀才は、与えられた秩序のなかで模範解答を提示するにすぎない。フーコーが、既存秩序や常識からの逸脱に先立って得た直感は、彼の親友であるポール・ヴェーヌの言葉によれば、「希薄さ、空白の多さ」だった。(p292)

ヴェーヌのこの指摘は、フーコーの仕事の本質をついている。つまり、

 フーコーは、歴史の恣意性を直感したことで、自由になったのである。どのような問題関心にも存在理由はある。まったく無意味な疑問というものは存在しない。どのような疑問からも出発しうる。子どもの素朴な疑問も、練達の歴史家の疑問も同じ価値を持つ。違いはない。あらゆるものを疑い、空白を見いだし、その空白をつなげることで、一つ一つの疑問の答えが浮かびあがってくるだろう」。(p293)

 「外への思考」へと逃れ続けたフーコーは既存の秩序から自由でありえた。そして秩序のなかで不安を抱えながらいきる人々に鮮烈な印象とメッセージを与えたのだ。

 フーコーはゲイであることの苦しみから学問を問うた。個人の苦しみと問い掛けが世界そのものへの問いに開かれている。なぜ自分が苦しまねばならないのか、を問い、フーコーの歴史への旅は始まった。

 ただ、フーコーをあがめ奉るような風潮はもっともフーコー自身が嫌ったことだ。われわれは「フーコー主義」なるものを作ってはならない。

 フーコーが提示したことは、自らの生き方、自らの人生行路を考え、突き詰めてゆくことが、世界を解釈する道筋へとつながるという確信なのである。どのような学問研究も、実は一人一人の内面の探求からこそ始まるものなのだ。(p298)

 以上が、桜井さんの結論部分の要約。しかし、世界はほんとうに解釈されるのを待っているのだろうか?

 いずれにせよ、フーコーは魅力的だ。わたしたちに「価値」や「倫理」が普遍ではありえないことを教えてくれた。「普遍」とは何かを疑うことを教えてくれた。そして、「権力」に苦しめられ息が詰まる思いに閉塞するわたしたちに「権力」のありかを教えてくれた。自分自身もが「権力」の一部であることに気づかされたのだ。

 これからもまたフーコーをひもときたい。

<書誌情報>

フーコー : 知と権力 / 桜井哲夫著. -- 講談社, 2003. -- (現代思想の冒険者たちSelect)

フーコー入門書読み比べ(3)

2005年06月12日 | 読書
本書は「入門書」というようなヤワなものではないのだが、いちおう、フーコー入門書の一つに挙げておく。間違ってもこの本からまず読み始めようなどと思わないように。フーコーの本を何冊か読んだ後に手にとってくださりませ。

 本書は、1991年に東大で開かれた国際シンポジウムの記録だ。といっても、講演録ではなく、あらかじめ用意されていた原稿をもとに事後、手を入れて編まれたものなので、講演録というよりは「論文集」だ。

 このシンポジウムは英語とフランス語だけで行われたという。すごいね、日本でそんなシンポジウムをやっていったい何人集まるのか? 何人が理解したんだろう、しかもこんな難解な内容なのに。シロートは門前払いという感じのするシンポジウムだねぇ。

 というわけで、日本人の報告も全部フランス語でやっているもんだから、蓮実重彦の論文は原文がフランス語で、他の人が日本語訳しているのだ。読みにくさにおいては人後に落ちない蓮実の文章も日本語訳で読むと読みやすくなる。いいね、これ。蓮実先生、全部フランス語で書いたら?
 
 で、これは論文集なので、興味のあるところだけをつまみ食いしようと思って読み始めたのだが、どれもこれもおもしろいもんだから、半分以上読んでしまった。どころか、二、三回読み直したものもある。

 内容をいちいち紹介していると長くなるので目次を挙げておく。気になった部分だけメモまたは引用しているのでご参考までに。


◆言説の軌跡 渡辺 守章著

 日本においてフーコーはどのように読まれてきたか、フーコーの著作がどのように年を追って翻訳されてきたか、フーコー受容のクロニクル。

 フランスの「フーコー・センター」がミシェル・フーコーの全著作およびその関連書を集めているのだが、世界中で発行されたフーコーの著作の最大の出版国が日本だそうな。すごい。考えれば、もったいない話だ。日本語で出された著作は日本人しか読まない。60億人のうち、読めるのは1億2千万人だけなんて。
 で、名著の誉れ高い『言葉と物』は日本語で読むのはきわめて困難な書物だそうで、フランス語で読まないとわからないんだって。やっぱり!


◆日本の思想風土とM・フーコー 中村 雄二郎著

 フーコーの関心は時期を追って三つにわけられる。「知」→「権力」→「道徳」。あるいはそれを「真理」→「政治」→「倫理」と言い換えてもいい。

 フーコーがその生涯を通じてなによりもこだわり続けてきたのは、〈理性〉とくに〈近代理性〉の問題であった。ただし、その理性批判を彼は、カントや、『弁証法的理性批判』を書いたサルトルとはまったく違ったやり方で行った。フーコーは、理性には非理性あるいはlきょうきを対置することで、理性をその根底の言語あるいは言説(ディスクール)から問いなおし、理性の名による秩序づけや分割の持つ欺瞞性を明らかにしたのであった。(p34)

 彼は、言述の生産を統御し、選択し、組織化し、配分する手続きを問題にし、それを次の三つの〈排除〉から成るものとしている。
 まず第一に、もっとも身近な排除の原理は〈禁止〉であり、今日それがはっきりあらわれているのはセックスと政治についての言説である。次に、第二の排除の原理としては、〈分割〉、つまり正常人と狂人との分割がある。しかし、それら以上に重要な排除の原理は、第三の、〈真実と虚偽との対立〉によるものである。ここに問題になる真実と虚偽との対立というのは、歴史的に構成されたものであり、人間の文化に根深い〈真理への意志〉にもとづいている。これは、明らかに歴史的相対性を持った〈真なる言述〉を生み出すものであり、真理や真実の名による絶対化という欺瞞性を持ちながらも、なかなかそういうものとして見ぬかれにくい。(p38)


 日本の思想風土は、真や善よりも〈美〉が優越する。「美的なものはつまりは感覚的なものであり、感情的なものであるから、美的態度が優先し美意識が判断基準となっている精神風土では、……<中略>……人間は自己と自然とを区別したかたちで明確に自己認識することができな」い。「〈感情的自然主義〉のつよい日本の思想風土において、社会規範の現実かされた形態である〈制度〉を通しての自己認識、つまり自己自身の客体化を通しての自己認識が乏しいということである」。



◆フーコーと日本 柄谷 行人著

フーコーは日本についてほとんど何も書いていない。それは、フーコーにとって表象としての「日本」は好ましいものではなかったからだ。
 フーコーにとって好ましいのは「アメリカ」だった。もちろん、表象としてのアメリカである。実際にフーコーがアメリカに住んだら失望したに違いない。フーコーがアメリカを好んだ理由の一つは「同性愛」が許容されているからだ。
 
 もちろん、これは同性愛だけの問題ではない。フーコーは、実際に生の形態を変える可能性があるということに「自由」を見いだしたのである。彼は「自由」を形而上学的に捉えることを拒否した。「自由」は、現実を無化する内面性でもなければ、あらゆる抑圧からの解放でもない。その意味で、フーコーは「世俗的」であり、また「政治的」であった。(p47)

 フーコーが破ろうとしてきたのは、一言でいえば、中心としての権力という概念である。それは現実に存在することがありえないのに、つねにそれがあるかのように表象されている。この観念は、中心的な権力を奪取することに帰結し、事実集権的な権力を作り出す。さらに、権力が中心にあるという考えでは、現に局所的に生じている矛盾に対する闘争をそれ自体認めないで、中心的なものに従属させることになる。実際には、矛盾はいつも局所的な「出来事」なのだ。全体を透過しているような中心的権力はない。どんな全体主義国家でさえもそうだ。それは、たんに、不意打ちのように起こってくる局所的な諸矛盾や破綻に、何らかの統一的な「意図」を想定してそれを排除することになるだけである。(p50)


 フーコーは、こうした装置(知=権力)以外のところに、自己あるいは自由を見ようとしたのだということができる。
 観点を変えていえば、フーコーの指摘は、自由主義と民主主義の問題につながっている。たとえば、「表現の自由」は、しばしば誤解されているのだが、発言する自由よりも、沈黙する自由にかかわっている。民主主義は、カール・シュミットがいったように、成員の同質性を前提とするものであり、異質な者を排除する。全体主義は民主主義と対立するものではない。……牧人型権力においては、すべての者が告白=評現せねばならず、そのことによって自由な主体となる。その意味で、基本的に、民主主義は、牧人型権力に由来する。しかるに、自由主義は、いわば、告白しない自由、救済を拒む自由にかかわっている。それはけっしてキリスト教からは来ない。(p52)

 柄谷はいう。「権力は下から来る」
 われわれが警戒すべきなのは、支配し抑圧するよりも、個々人をめざす救済する権力、あるいは、それを求める「奴隷」の思想である、と。

 日本において、権力の中心はつねに空虚である。だが、それも権力であり、もしかすると、権力の本質である。フーコーは、精神分析の「抑圧」という概念に反対した。その意味では、日本には「抑圧」とそれが生み出す「主体」はない。しかし、ラカン的にいえば、「排除」があるというべきだろう。

 ………

 日本における「権力」は、圧倒的な家父長的権力のモデルにもとづく「権力の表象」からは理解できない。しかし、そのことに批判的にこだわることは、逆にそれに閉じこめられることに帰結する。フーコーは「日本」を愛さなかった。そして、私がフーコーに共感するのは、具体的に「生」の形態を変える「自由」を楽天(ゲイ)的に求めようとしたことにおいてである。
(p56)

 ※本書のなかで、柄谷の論文がもっともおもしろく興味深かった。


◆事物の秩序について ヒューバート・L・ドレイファス著 大河内 昌訳


◆純粋と危険 ポール・ラビノウ著 大西 洋一訳


◆フーコー、ハイデガー、そして《古代》 バルバラ・カッサン著 本間 邦雄訳


◆歴史性の理論の「前史」 石田 英敬著


◆絶対的不毛を生きること 丹生谷 貴志著


◆フーコーとラカンにおける主体の概念 スラヴォイ・ジジェク著 浜名 恵美訳

 ジジェクは何を言っているのかさっぱりわからない。前半はブレヒトの教育劇「イエスマン」と「処置」をとりあげてラカン的解釈を披瀝するのだが、そこからフーコーのラカン批判へとつながる部分がよくわからない。
 ラカン、フーコー、カント、とつながるジジェクの論が、再読しないと理解不能。

 ま、要するにラカンとフーコーの主体の概念はそれほど違っていないと言いたいらしいのだが。わたしってやっぱりアホ(汗)

◆「無の眼差しと光輝く身体 小林 康夫著

◆フーコー ジュディット・ルヴェル著 根本 美作子訳


◆バタイユとフーコーにおける限界の観念についてのノート ブリュノ・カルサンティ著 酒井 健訳

 これはなかなかおもしろかった。来るべきバタイユ月間に再読の予定。


◆言葉とイマージュ ダニエル・ドゥフェール著 中野 知律訳

 これもおもしろかった。『言葉と物』を題材に語られているのだが、こういうのを読むとますます『言葉と物』を読みたくなる。

 ドゥフェールはここでバタイユに言及する。バタイユの『マネ論』をとりあげ、一見フーコーがバタイユに同意しているようにみえて、実はかなり異なっている、という結論に導く。
 バタイユは芸術の至高性、画家の絶対性を表明していたのに対して、フーコーは画家の「不在」を見た。

 描いているのは誰なのか? 絵画である。まさしく、マネの友人マラルメも、語っているのは誰か? という問いに、答えていたではないか――それは言葉である、と。(p232)


◆「啓蒙とはなにか」 クリストファー・ノリス著 荒木 正純訳 田尻 芳樹訳

 カントとフーコー。
 フーコーは紆余曲折を経て、カント的世界へと近い付いたのだろうか? フーコーはポストモダン的発想には反対していた。かつては彼も与していたかもしれない、その「イデオロギーの終焉」を嬉々として受容する態度とは一線を画した。

 これも再読のこと。


◆フーコーの政治学 ジェームズ・ミラー著 柴田 元幸訳


◆フーコーを超えて・フーコーのスタイル ハンス・ウルリッヒ・グムブレヒト著 大橋 洋一訳


◆古典主義時代のエピステーメーと『ポール=ロワヤル論理学』の記号論
塩川 徹也著

◆その先のヘーゲル 高田 康成著


◆「考古学」と「根源的歴史学」 ジョゼフ・フュルンケース著 酒井 健訳


◆フーコーと十九世紀 蓮実 重彦著 根本 美作子訳

 フーコーは「近代」という語を使うとき、大いにためらったことが読み取れる、というのが蓮実の読解だ。「古典主義」という言葉がいとも簡単に使われているのに対して、「近代」という言葉は自己規制的に使用されている。「近代」という言葉は、暫定的な形か否定的な形でしか使用されていないのだ。

 多くの「近代」の理論家には、彼らの思考の内部における無知の核を意識するだけの理解力が欠けている。この無知こそ彼らの知にとって不可欠な条件であったはずにもかかわらず。……「近代」という歴史的概念を無分別に使うことは、思考の存在自体をそのイマージュとすり替え、「近代化」された理性主義の形でその形而上学を永続させる危険を孕んでいるであろう。(p362-363)

 フーコーにとって、「ポスト・モダン」という問題は存在しない。「近代」の問題でさえ、すたれた、時代錯誤的な記号として否定されているのである。フーコー的考古学においては、現在のエピステーメーの領域にはいかなる断絶の徴候もないのである。「大理論」の成立は何の変化ももたらさず、それらの死と呼ばれるものも、全く効力がない。(p364) 
 


<書誌情報>

 ミシェル・フーコーの世紀 / 蓮実重彦, 渡辺守章編. -- 筑摩書房, 1993

Posted by pipihime at 20:07 │Comments(5) │TrackBack(0)

宣伝、写真、広告「戦争のグラフィズム」

2005年06月09日 | 読書
 『FRONT』というのは、戦時中に陸軍参謀本部が対外国宣伝用に作った写真誌だ。その写真雑誌の企画編集を受け持ったのが、「東方社」という会社。本書は、その東方社の若手社員だった著者の回顧録である。

東方社は元映画俳優の岡田桑三が理事長となって1941年に作られた会社なのだが、どういうわけか社員の中には逮捕歴もあるような左翼人士がごろごろしていた。時代の先端を行くシャープなデザインの写真誌を作れるようなノウハウの持ち主は結局のところ左翼だった、ということだろうか。軍にとっては左翼だろうがなんだろうが、技術があればそれでよかったのだろうか。特に対ソ宣伝戦ということになると、共産党シンパのようなソ連びいき・ソ連通の力が必要だったのか。プロパガンダということに関しては確かに左翼は秀でていたのかもしれない。

 特高が目を付けていたという東方社だが、軍参謀の直轄会社ということで、うかつには手が出せなかったらしい。敗戦があと3週間遅れていれば東方社に特攻の捜査が入ったという噂もあったという。

 満鉄調査部といい、この東方社といい、元左翼(隠れ左翼)が国策のために軍直属の仕事を請け負って、優れた業績を残している。この構造をどう見るべきなのだろう。共産主義者たちは「転向」したのだろうか、彼らの内面はいかばかりであったか。

 本書を読んでもそのへんはまったくわからない。ただ、著者は最後にこのように書いている。

 右傾化する戦前の社会の中で、進歩的で新しい思想や技術の導入に積極的に取り組んでいた、決して戦争肯定者などでなかった人たちが、以上で過酷極まりない戦時状況に巻きこまれて、国家宣伝という、むなしくはかないものに取り組まざるをえなかった悲劇が、この東方社――『FRONT』の歴史であった。(p308)

 わたしは「戦時中の左翼の国策協力と転向」に興味があるので、そういう点にそそられながら本書をよんだが、デザインや広告に興味のある人が読んだらまた別の見方ができるだろう。ふんだんに図版が掲載されており、当時の印刷技術や写真修整技術も細かく書いてあって、おもしろい。
 わたしが興味をもった「戦時中の左翼の国策協力と転向」という部分については本書は詳しく分析していない。歴史の研究書ではなく回想録だから、しょうがないか。


 ところで、この本の表紙になっている若い水兵さん、きりりとした表情が印象的だが、この人がどこでどうしているのかわからないらしい。本書の末尾に平凡社から「本人か知り合いは名乗り出て」との呼びかけがある。


<書誌情報>

 戦争のグラフィズム : 『FRONT』を創った人々
  多川精一著. 平凡社, 2000.(平凡社ライブラリー)