ピピのシネマな日々:吟遊旅人のつれづれ

歌って踊れる図書館司書の映画三昧の日々を綴ります。たまに読書日記も。2007年3月以前の映画日記はHPに掲載。

イースタン・プロミス

2008年07月28日 | 映画レビュー
 クローネンバーグ監督らしい、グロテスクな暴力描写の数々には思わず眼をつぶってしまった。R-18というのはエロいからではなくグロいからです。グローネンバーグ、なんちゃって。

 わたしの好きなヴィゴさま、まさに適役のロシア・マフィアのヒットマン役で颯爽と渋く登場。謎めいた孤高の男を熱演しています。

 物語は、ロンドンの夜に始まる。理髪店で一人の男がいきなり首を掻き切られて失血死。次は一人の少女が薬局に現れ、訛の強い英語で「薬がほしいの、助けて」と言って失神する。彼女の股間には大量の血が滴り…。とまあ、いきなりの血染めシーンから始まる本作は、全編血なまぐさい場面が展開するヤクザ映画。こういうの、ほんとはわたしには苦手な部類なのに、どういうわけか最後まで引きつけられてしまった。

少女は病院で女児を産み落とすとすぐ死んでしまう。出産に立ち会った助産婦であるアンナ(ナオミ・ワッツ)は嬰児を遺族に引き渡すべく、少女の身元を調べようと、彼女の遺品の中からロシア語で書かれた日記を見つけて家に持ち帰る。アンナはロシア移民二世だったのだ。日記は叔父が訳してくれることになるが、日記の中に挟んであったロシア料理店の名刺を見て訪ねて行ったアンナは、その店の温厚な老主人と知り合う。だが、その店はロシア・マフィアの巣窟だったのだ。そうとは知らず、マフィアの世界に近づいていくアンナ。彼女の前にはマフィアの運転手ニコライ(ヴィゴ・モーテンセン)が現れ、冷酷な外見とは裏腹にアンナに対してさりげない優しさも見せる。ニコライは何者なのか? アンナの前途は? 赤ん坊はどうなる?

 とにかく、暴力シーンの横行と、残虐で痛いシーンの連続にはたまりません。死体処理をするために凍らせた死体をドライヤーで溶かせたり、証拠隠滅のために指を切断したり、といった思わず目を背けるシーンが続出。クローネンバーグの身体表現はいつも容赦がない。痛いときは痛いままに、グロテスクなときはそのグロさを前面に描く。もっとも、かつてのクローネンバーグの作品のファンにはこの程度では物足りないのだろうが、わたしには「ふつうになった」クローネンバーグで十分。

 最近、東欧からの移民問題が西欧の大きな社会問題化しているのか、「題名のない子守歌」といい、本作といい、ロシア系女性たちの人身売買・売春といったことが映画のテーマとして取り上げられることが増えているようだ。ただ、本作でもそのことは物語の背景として描かれているが、決してその問題そのものを告発するような社会派作品ではない。とはいえ、KGBだのその後身FSBが何度も台詞に上るように、こういった問題抜きには本作もまたありえない。

 超渋いヴィゴ様と、マフィアのバカ息子役ヴァンサン・カッセルのからみは最高。ひょっとしてヴァンサン・カッセルはこれまでで最高の演技を見せたかもしれない。それほど、情けないマフィアぼんぼん役がはまっている。夜のロンドンの風景といい、彼らのどす黒い世界といい、そのダークさはクローネンバーグらしい独特の美学に彩られている。なにより、最後の最後まで緊張感が途切れないのがいい。

 そして圧巻のヴィゴ全裸格闘シーン。この映画では一切、銃撃シーンが描かれない。殺人はすべて素手かナイフだ。だからこそ、切り刻まれる痛みが観客にリアルに伝わる。生身の身体への肉薄、そこにある美しさもグロテスクさもクローネンバーのこだわりが感じられる。そして監督の要求に応じたヴィゴ・モーテンセンが全裸で熱演の上にも熱演する格闘シーンは息を飲む迫力だ。


 この映画には一抹の甘さがある。そこがわたしには救いになる。しかし、そこが従来のクローネンバーグファンには物足りないかもしれない。血塗られた子どもの誕生、血まみれのマフィアたち、最後にヴィゴが演じる素の肉体だけの暴力シーン、これらがクローネンバーグの哲学の表出だとしたら、21世紀は身体性を失った現代人たちの肉体回帰への道が、痛みとともに一種の犠牲を伴いつつもかすかな希望へとつながるのかもしれない。

 今年いちばんのハードボイルド映画。ヴィゴファンなら必見。(R-18)



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イースタン・プロミス
EASTERN PROMISES
イギリス/カナダ/アメリ、2007年、上映時間 100分
監督: デヴィッド・クローネンバーグ
製作: ポール・ウェブスター、ロバート・ラントス、脚本: スティーヴ・ナイト、音楽: ハワード・ショア
出演: ヴィゴ・モーテンセン、ナオミ・ワッツ、ヴァンサン・カッセル、アーミン・ミューラー=スタール、イエジー・スコリモフスキー

Little Birds -イラク 戦火の家族たち-

2008年07月27日 | 映画レビュー
 イラク戦争を取材したカメラマン綿井健陽が回した120時間のフィルムから数家族に焦点を当てて編集したドキュメンタリー。

 確かに臨場感はあるけれど、取材カメラそのままの荒削りな感じがこの映画では良い方に作用していない。いままさに息を引き取ろうとする血まみれ幼女の苦しげな様子が写り、手足をもぎ取られた子どもの姿が延々映し出されるというのに、涙も出ないし、それどころかだんだん退屈してくる。子どもたちが死んでいくドキュメンタリーを見ていて「飽きてくる」というのはいったいどういうことだろう? こんなに悲惨な映像なのになぜか胸に迫るものがない。感情に訴える場面がたくさん描かれ、次々と子どもを亡くした親たちの悲嘆にくれる姿が登場するというのに、涙の一滴も出てこない。これはドキュメンタリーとしては失敗作と言わざるをえないのか、それともわたしの感性が麻痺してしまったのか、どちらだろう。

 思うに、取材のカメラは、いかに戦争を憎みアメリカを批判する姿勢を持っていても、それをあからさまに出してはいけないのだ。あまりにも明確な意図をもって撮影編集され、しかもそれがほとんど工夫もなく差し出されると、見ているほうには逆に監督の主張が響いてこない。

 このドキュメントフィルムに映し出されるイラクの人々は、アメリカだけではなくカメラマンたる日本人に対しても辛辣な批判の言葉を浴びせる。その言葉はそのままこの映画を見ている日本人に伝えられる。わたしたちはアメリカに追随する日本外交への批判にさらされる。日本が行う政治のすべてを一人一人の日本人が責任をとることはできない。それでもなお、「日本人がなぜアメリカの味方をするのか。イラクを解放すると言って、なぜ子どもたちを殺すのか」と問い詰められればその言葉を受け止めざるをえない。その苦しい思いに居心地の悪さを感じるのは、サダム・フセインの兵士だった彼らもまた、無辜の民を殺したのではないのか、という疑問がぬぐえないからだ。殺戮は殺戮を呼ぶ。まさに最悪の循環がここ、イラクで今なお続く。


 死んでいった3歳の女の子の姿がいつまでも目に焼き付いている。それはもう、「涙を流す」とか「悲惨」といった言葉を超えているのだ。だからこそ、わたしはこの場面を凍り付いたように見つめ続けるしかなかった。

 自衛隊員の姿も映っていたが、彼らの笑顔を見ても、「いったい何のために派遣されたのか」というわたしの疑問をぬぐい去ることはできない。(レンタルDVD)

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Little Birds リトル バーズ -イラク 戦火の家族たち-
日本、2005年、上映時間 102分
監督・撮影: 綿井健陽、製作・編集: 安岡卓治

夢見る頃を過ぎても

2008年07月27日 | 映画レビュー
 なにしろ立派な体格の中年おばさんが主役ですから、こんな映画が日本で公開されるはずがない! はい、立派に劇場未公開作。しかしこれ、意外な拾いものかも。あまり期待するとなんですが、しっかり笑わせてもらったし、わたくし的にはお得感のある映画でございます。


 目配りが効いている映画です。登場人物たちは太った中年女性、ゲイ、小人症の女性、といった社会的弱者・少数者ばかり。あ、太った中年女性が社会的弱者や少数者かは留保するとして、とにかく、社会的には尊敬されない人々ばかりであります。しかも、彼ら彼女らが立派に自分たちの居場所を見つけて前向きに生きていく、という見事なお話。あくまでコメディですが。


 さて物語は…。
 中年女性に圧倒的人気を誇るイギリス人歌手ビクターがシカゴにやってきた。ビクターの熱烈なファンであるキャイー・ベイツ演じる主婦はテレビの視聴者参加番組に応募してなんとかビクターに会おうとするけれど、その直前にビクターは殺されてしまう。ビクターの葬儀に参列するため、キャシー・ベイツはイギリスまででかけるが、ビクターの家に居座っていたのは彼の使用人だった。いや実はその使用人はビクターの同性愛の恋人だったのだ…
 

 冴えない専業主婦のキャシー・ベイツが夫に離婚を宣告される場面から映画は始まる。憧れのビクターに会えると浮き浮きしているキャシーが突然奈落の底へ突き落とされるのだ。だが彼女はビクターの恋人に出会い、ビクター殺人事件の真相究明へと乗りだし、夫も取り戻そうとする。今までの単なる専業主婦を脱して、冒険する主婦へといざ、ゆかん! なんていう中高年を鼓舞する映画でございます。まあ、キャシー・ベイツも意外と歌えるということがわかって驚きました。それよりも、ジュリー・アンドリュースが本人役でゲスト出演して、なんの脈絡もないのに無理矢理歌うという場面が二度もあって大笑い。サービス精神旺盛です。

 クライマックスの、殺人犯人との格闘場面ではいきなりアクション映画に早変わり。この場面はほんとに爆笑した。犯人がわかってからの最後のシーンがちょっと長いかな。こういうふうに大団円にもっていかなくてもよさそうなのに、この監督はとにかく八方丸く収めてハッピーエンドにしたかったみたい。ま、とにかく中高年にはお奨めのサスペンスコメディミュージカルです。(レンタルDVD)

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夢見る頃を過ぎても
UNCONDITIONAL LOVE
アメリカ、2002年、上映時間 121分
監督: P・J・ホーガン、製作: ジョスリン・ムーアハウスほか、脚本: ジョスリン・ムーアハウス、P・J・ホーガン、音楽: ジェームズ・ニュートン・ハワード
出演: キャシー・ベイツ、ルパート・エヴェレット、メレディス・イートン、ピーター・サースガード、リン・レッドグレーヴ、バリー・マニロウ、ジョナサン・プライス

大阪府労働情報総合プラザ廃止が決まりました

2008年07月23日 | 図書館
 残念ながら反対運動にもかかわらず、本日の府議会で大阪府労働情報総合プラザの今月末での廃止が決定されました。図書館を委託運営する大阪社会運動協会への補助金も全額カットのままです。

 図書館存続のための署名にご協力くださったみなさま、力及ばず残念な結果となりましたが、ご支援ありがとうございました。

 これからは「歌って踊れる図書館司書」じゃなくて「図書館を潰された図書館司書」って自己紹介しようかなぁ~(^_^;)

 しかし、なおもめげずに新たな図書館を立ち上げて金はなくてもなんとかしようという心意気だけは持ち続けております。今後のことについてはわたしの勤務先のブログをご覧くださいませ。

http://shaunkyo.exblog.jp/

告発のとき

2008年07月22日 | 映画レビュー
 現時点では今年のベスト1。脚本があまりにも緻密で隙がなく計算されつくされているため、しまいにはそのあざとさが鼻についてしまうという欠陥までおまけにつくという作品。この周密な映画空間の緊張感の高さはなかなか真似できない。

 イラク戦争から帰還した息子が行方不明になり、やがては惨殺死体となって原型をとどめない姿で発見されたとき、軍警察がまともに捜索しない犯人のゆくえを執念のように追う父親=元軍人をトミー・リー・ジョーンズが迫真の演技で魅せる。出番は少ないとはいえ、その妻をスーザン・サランドンが演じて、この二人だけでもポール・ハギスの脚本を際だたせるに十分だ。この映画は実際に起きた帰還兵殺人事件を元に作られている。劇場用パンフレットを見る限り、事件の概要はほぼ事実通りだ。

 トミー・リー・ジョーンズの演技を受けて立つのは地元警察の刑事シャーリーズ・セロン。彼女はシングルマザーで、警察署の中ではセクハラ発言を繰り返すいやな同僚たちに囲まれて奮闘している。軍警察が隠したがる事件を丹念に探り、トミー・リー・ジョーンズと二人三脚で(時に反発しながら)捜査を受け持つ。

 物語はほとんどこの生真面目な元軍人である父親トミー・リー・ジョーンズを中心にして進む。彼のきちんとしたこまめな性格をポール・ハギスの脚本・演出は抜け目なく最低限の台詞と動作で描ききってしまう。そして完璧な脚本に応えるべく苦み走った演技で完璧に応えたトミー・リー・ジョーンズは本作でアカデミー賞にノミネートされた。

 愛する息子が殺されたとき、息子の行状が明らかになる。調べていけばいくほど、父親たる自分が知らなかった息子の一面が浮かび上がる。それは認めたくない事実だ。真面目で正義感にあふれ、父のようになりたいと軍人になった息子が、なぜかくも無様に理性を失った狼のような若造になり果てたのか?

 この父親には、息子が二人いたが、既に長男は軍隊で訓練中に死んでしまった。残る唯一の息子だったのに、愛する次男もまた帰郷しない。このような理不尽にも父は涙一つこぼさず耐えていられるのは、彼が愛国心で武装した軍人だったからだ。と同時に、耐え難い息子の一面に彼自身が打ちのめされ、誰が被害者で誰が加害者かわからなくなっているからだ。一歩間違えば、加害者は息子だった。そのことを理解した衝撃。その衝撃にひたすら父は耐える。本作ではトミー・リー・ジョーンズの耐える演技が観客の背中に鳥肌を立てるほどの迫力だ。

 戦争は人を変える。戦争という非日常空間では人は人を殺せるように訓練される。その訓練は帰還兵の心をも蝕む。そのことをアメリカはベトナム戦争で十分知ったはずではなかったのか? 今また、新たな戦争の加害と被害がアメリカ社会を静かに覆うのだろうか。イラク戦争も開戦から既に5年。ポール・ハギスの戦争批判は決して声高ではないが、この映画を見た人にはずしりと応える作品であることは間違いない。

 見終わった後、誰かと語り合いたくなる映画。実を言うと、ちょっと人物の造形がステレオタイプに傾いたかもしれないという危惧はある。しかしそれでもなお今年の必見作であることには間違いない(といいながら、もう上映は終わってしまった、残念。DVDでどれだけ感動を味わえるかマイナス部分については残念としかいいようがない)。(PG-12)


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告発のとき
IN THE VALLEY OF ELAH
アメリカ、2007年、上映時間 121分
監督: ポール・ハギス、製作: ポール・ハギス 、パトリック・ワックスバーガーほか、音楽:マーク・アイシャム
出演: トミー・リー・ジョーンズ、シャーリーズ・セロン、スーザン・サランドン、ジョナサン・タッカー、ジェームズ・フランコ、フランシス・フィッシャー、ジョシュ・ブローリン、ジェイソン・パトリック

夕映えの道

2008年07月21日 | 映画レビュー
 ある日たまたま薬局で見かけたみすぼらしい老婆に親切にしたばかりに、そのままその老婆の世話をし続けることになる。そんなことって本当にあるだろうか? 世話をされる貧しい老婆はマド。世話をする中年女性は仕事をバリバリこなすイザベル。イザベルは離婚歴がある女性企業家で、小さな会社を経営している。

 この物語はイザベルの過去をほとんど語らないために、なぜ彼女が見ず知らずのマドを自分の母親のように世話するのかわからない。偏屈でわがままなマドだというのに、イザベルはせっせとマドの部屋に通って料理を作ってやったり病気のときは体を拭いてやったりとこまめに世話をするのだ。イザベルの親切をマドは「自分のためでしょ、自己満足よ」と冷たく言い放つ。対するイザベルも「そうよ」と即答する。こんなドライな関係なのに、いつしか二人は心を通わせていく。

 イザベルにしてもマドにしても利己的にしかふるまっていないのかもしれない。それなのに、二つの「利己」がうまく通じあえば世の中、案外うまくいくものだ。『ウェブ社会の思想』(鈴木謙介著)に、「数学的民主主義」という社会工学の話が書いてあるのだが、それは「人びとが誰ひとりとして民主的な意志を持たず、自らの関心にしたがって利己的に行動したとしても、結果として他の人びとに多くの情報を提供し、制度の維持に貢献するシステムとして作動する」ものであるという。という話を連想してしまった。

 というようなことはともかくとして、閑話休題。もしこのマドをシャーリー・マクレーンが演じていたらもっと可愛いおばあさんだったと思う。どんなに憎まれ口をたたいてもシャーリーには愛らしさがある。だが、マド役のドミニク・マルカスはちっとも見栄えがよくない。救いの手を伸べてあげようとは思えないようなおばあさんなのだ。それが不思議なことに、ラストシーンに至っては、彼女の儚げな涙顔がとても愛しく思えてくる。愛情とはそういうものなのだろう。固い心を解きほぐし、他者に自己を委ねたとき、人は変わる、顔つきまで変わっていくのだ。

 最初の問い、「そんなことって本当にあるだろうか?」は映画を見ているあいだじゅうずっと解けない疑問なのだが、ラストに至って、「そんなことってあるかもしれない。あれば素敵だ」と思えるようになった。イザベルにはかなり年下の恋人がいて、この物語はイザベルにとっての上下2世代との心の距離を描いている。中年のイザベルにとって果たして心を癒される関係は若い男との情事なのか、老女の世話なのか。この微妙な淡いを描いて、中年女性たるわたしの心をくすぐる作品だった。(レンタルDVD)

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夕映えの道
RUE DU RETRAIT
フランス、2001年、上映時間 90分
監督・脚本: ルネ・フェレ、原作: ドリス・レッシング、音楽: バンジャマン・ラファエリ
出演: ドミニク・マルカス、マリオン・エルド、ルネ・フェレ、ジュリアン・フェレ、サシャ・ロラン

サイボーグでも大丈夫

2008年07月21日 | 映画レビュー
 苦痛に耐えて最後まで見たけれど――とはいえ、最後の15分くらいは寝ていたので結論は知りません――、これは鑑賞に耐えない。面白かったのは巻頭だけ。あとはひたすら悪趣味なおふざけなのかブラックユーモアなのかしらないけれど、理解不能な人々を嘲笑う視線に、耐えられない下品さを感じていた。

 本作は、自分をサイボーグだと思いこみ、食べ物を食べると故障してしまうからと何も食べずに乾電池を舐めている少女が主人公。同じく精神病院を舞台にした日本映画「クワイエットルームにようこそ」があったが、かなり受ける印象が異なる。「クワイエット」のほうは、主人公の苦悩が観客にも理解できるものだったけれど、今回のは完全にぶっ飛んでしまっているし、精神病院の患者たちの「奇態」を冷笑するような視線があってわたしには品の良いものとは思えない。とにかく笑えないだけに苦痛の2時間近くだった。

 復讐三部作のパク・チャヌクらしい血まみれシーンもあったりして、ファンの溜飲を下げるような粉撒きはしてあるけれど、とてもじゃないけれど「面白い」と思えるような映画ではなかった。(レンタルDVD)


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サイボーグでも大丈夫
韓国、2006年、上映時間 107分
監督・脚本: パク・チャヌク、製作: イ・チュニョン、音楽: チョ・ヨンウク
出演: チョン・ジフン、イム・スジョン、チェ・ヒジン、イ・ヨンニョ

UDON

2008年07月20日 | 映画レビュー
 もう毎日毎日暑いから、休日の昼ご飯はついつい冷やしそうめんか冷やしうどんになってしまう。讃岐うどんを冷たくして大根おろしと天ぷらを乗せて食べる「ぶっかけ」が大好き!

 というわけで、今日はうどんの映画。一年前に見たのに今頃アップします(^_^;)。 

 とにかくこれを見たら絶対にうどんが食べたくなること請け合い! わたしはテレビを見ない人間だから、うどんブームがあったなんていうことも知らなかったのだけれど、それはいつ頃のことでいったいいつブームは去ったのだろう?

 香川県が舞台ということだったのに、いきなりニューヨークの下町が映ったのでびっくり。そう、主人公松井香助は「世界を笑わせてみせる」と豪語して故郷香川を後にし、ニューヨークにやって来ていたのだった。コメディアンとして鳴かず飛ばずの香助は結局借金をかかえて実家のうどん製麺所に帰ってくることになる。で、アルバイトで入ったタウン情報誌の会社で作家志望の女の子恭子と組んで「うどん巡礼記」なる連載コラムを始めたところが、大当たり! 讃岐うどんブームを生み出すのだったが…

 前半一時間は快調なペース。スピード感があって実に面白く、途中でアニメも登場したりして若々しい演出。しかし讃岐うどんブームが頂点に来たところでちょうど1時間ちょっと。後の1時間、どうやるんだろう? と思っていたら、突然演出が変わってゆったりとした展開に。

 この映画の不満点は、讃岐うどんの美味しさの謎に迫っていないことだ。小麦は何を使っているのか、水はどうなのか? なぜあのコシがでるのか? 店でうどんを水にさらしているところを見る限り、ふつうの水道水を使っているようだ。だったらなぜ讃岐うどんが美味しいのか、理解に苦しむ。900店もあるという店のそれぞれのこだわりは何なのか? そういった他府県人が抱きがちな疑問に答えてくれていないのは残念だ。

 展開は実にありきたりで予想がつくような内容だけれど、それでも最後までまったく飽きることなく見られる。うどんの魅力もさりながら、ブームが一過性で去っていくということを達観している主人公たちのありさまが切なくも爽快なのだ。

 作家志望のコラムニストを演じた小西真奈美は大根女優だが、トータス松本はたいへん存在感があってよかった。ちなみに、テレビを見ないわたしはトータス松本が何者なのか知らなかったのだが、映画を横から斜め見していた長男Y太郎が「あ、トータス松本や、ウルフルズのボーカルやで」と教えてくれた。

 主人公香助は故郷を捨てた人間であり、彼はたとえ故郷に帰ってきてもふるさとの言葉を使わない。だから、彼が最後にやっぱり故郷を捨てるのは宿命でもあったのだろう。

 ま、とにかくこの映画は讃岐うどんの魅力に尽きます。あーーーー、うどん食べたいっ。(レンタルDVD)

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UDON
日本、2006年、上映時間 134分
監督: 本広克行、製作: 亀山千広、脚本: 戸田山雅司、音楽: 渡辺俊幸
出演: ユースケ・サンタマリア、小西真奈美、トータス松本、鈴木京香、升毅、片桐仁、小日向文世、江守徹、二宮さよ子

心の旅

2008年07月20日 | 映画レビュー
 記憶喪失は一つの舞台装置にしか過ぎない。仕事一筋で生きてきた傲慢なしかし有能な弁護士が、記憶を失ったために図らずも「生き直し」を実現するというお話。

 弁護士ヘンリーは事件に遭遇して記憶を失ったために性格まで変わってしまうのだが、記憶を失っていることにさして実存的悩みを感じているようにも見えない。記憶喪失が即アイデンティティの喪失(危機)に見えないところが不可思議で、それは優秀な頭脳を持っていた弁護士が脳に損傷を受けたために知的活動レベル全体が下がってしまい、「自我アイデンティティの危機」に真剣に悩むほどの知力をも失ったということだろうか。
 
 『脱アイデンティティ』所収の斎藤環論文によれば、記憶喪失は一般に「エピソード記憶」のみを失い、一般的な知識や常識は保たれている。「さしあたり日常生活は普通に送ることができる。それゆえか、本人は記憶が失われたことをさほど深刻に悩まない」という。「解離性遁走」というのもあって、それはいわゆる「蒸発」のこと。遁走期間中の記憶が曖昧になったり遁走以前の記憶をなくしたり、別人になって生活していたり。「心の旅路」も「冬のソナタ」もこれに当たるという。(p139-140)

 さて、映画「心の旅」にもどろう。ハリソン・フォード演じる弁護士は記憶喪失というような荒技を施さないと生き直しができないほどの男だったということだろうか? なぜそこまで劇的な設定を持ってくる必要があったのか? 一緒に見ていたY太郎が何度も何度も「これ、実話?」と訊くのが不思議だったのだが、彼は実話なら興味を持つけれど、作り話なら「ばかばかしい」と思うようだ。作り話ならしょうもないと高校生に思われるということがこの作品の底の浅さと思うのだが、この作品には、仕事人間で夫婦の間も冷めてしまったような男には「生き直し」の自力がもう残っていないというある意味諦念にも似たマイク・ニコルズの人生観が表れているのではなかろうか。


 ところで、この映画(の邦題をつけたスタッフ)が参照していると思われる「心の旅路」と比較すると、両作品が作られた50年の間の社会の変化が読み取れて興味深い。

「心の旅路」1942年製作
「心の旅」1991年製作 

 両作品とも、記憶喪失は実は重要なファクターではなく、ドラマを駆動させ盛り上げるための道具でしかない。記憶喪失がなくてもテーマは描けるのだけれど、結論の違いに時代の隔たりを感じる。

 「心の旅路」は主人公が記憶を取り戻してハッピーエンド。「心の旅」は主人公は結局記憶を取り戻さず、ハッピーエンド。前者は失った記憶を取り戻し、分裂していた人格が統合されている。後者は別の人格となり(すなわち解離して)生き直す。ここに、「統合失調」から「解離性」の時代への変化がみてとれる。とはいえ、「心の旅」では解離した人格は決して「多重性」を持つわけではなく、人格Aから人格Bへと変化しているだけである。よりいっそう解離性同一性障害(多重人格)の現実を反映した作品が作られるのはさらに10年後の「メメント」(2000年)を待たねばならない。(レンタルDVD)

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心の旅
REGARDING HENRY
アメリカ、1991年、上映時間 106分
監督: マイク・ニコルズ、製作: スコット・ルーディン、マイク・ニコルズ、脚本: ジェフリー・エイブラムス、音楽: ハンス・ジマー
出演: ハリソン・フォード、アネット・ベニング、ビル・ナン、ミッキー・アレン、ドナルド・モファット、ナンシー・マーチャンド、レベッカ・ミラー

心の旅路

2008年07月20日 | 映画レビュー
 あまりにも古典的なメロドラマ。記憶喪失が大きなテーマになっているけれど、これはドラマ性を盛り上げるための一つの装置に過ぎない。なんだか韓流ドラマみたいだけど、上映時間が2時間なのでコンパクトなのがいい。これがもし「冬ソナ」みたいになると延々20話という話になるのかもしれない。なにしろ物語の中では15年ぐらいの時間が流れているのだから。

 物語の始まりは第一次世界大戦直後。この戦争の衝撃で記憶喪失になった若き将校が主人公。第一次世界大戦といえば「西部戦線異状なし」という名作を見てもわかる通り、兵士たちに異様な精神的緊張を強いる戦争だった。史上初の近代戦であり、戦後の兵士たちの精神疾患を診たフロイトが「トラウマ」という概念を生み出したことは余りにも有名だ。

 戦争のショックで記憶喪失になった将校が自分の名前も思い出せず、「ジョン・スミス」(「山田太郎」みたいなもん)と名付けられて精神病院に入院しているというところから物語は始まる。ジョン・スミスが精神病院を抜け出して彷徨しているところを心優しく気高いダンサー、ポーラが彼を匿い、やがては相思相愛の仲となって結婚する。しかし、スミスが持ち前の文才を発揮していよいよ作家デビューとなるはずであったときに事故に遭い、記憶を失ってしまうのであった。スミスは以前の自分の出自を思い出すが、「ジョン・スミス」として生きていた3年間をすっかり忘れてしまう。つまり、ポーラとの愛の生活のすべてを忘れてしまうのだ。

 さて、スミスを「スミシィ」と呼んで愛したポーラはやがて彼が実業家として成功したことを新聞記事で知る…


 というストーリーは最後の結末に至るまで『トラウマ映画の心理学』(森茂起, 森年恵著.新水社, 2002)で読んでしまったのがいけなかった。新鮮味がなくてかなり損をした思い。しかも、主役たちの魅力がいまいち乏しいのだ。ロナルド・コールマンは青年将校のはずなのに登場した最初からおじさんだし、グリア・ガーソンは美しいけれどわたしの好みではない。

 とはいえ、この当時のメロドラマが感動的なのは、主役たちの品性が高く、信じられないほど忍耐強さと自制心に富んでいるからだろう。この映画には悪人は一人も登場しない。誰もが品位があり分をわきまえ、一介の踊り子といえども努力次第では驚異的な秘書としての才能を発揮するという、信じがたいほどの才人ぶり。記憶を失ったスミシィの元に名前を隠して秘書として雇われるという辛く悲しい仕事にもポーラは顔色一つかえずに仕え、さすがにスミシィの結婚話には動揺しつつも、それでもじっと耐えるという「女の鑑」ぶりを見せる。

 考えてみれば彼女は近代的な女性の走りであり理想の典型だ。美しく優しく仕事ができる気配りの人。第1次世界大戦後、女性の社会進出が進んだその時代状況を反映したキャラクターとなっている。しかも自己主張は控え目である。これは当時の倫理観を反映しているのだろう。女は自立して能力を発揮することが求められるとはいえ、それは男のよき秘書としてであり、よき社交家=妻としてである。

 スミシィはいつ失った記憶を取り戻すのだろう? もう無理なのだろうか? 彼の失われた記憶の鍵となる、文字通りの鍵の存在が観客をやきもきさせる。巻頭で年齢的に違和感があったスミシィ=ロナルド・コールマンも巻末ではすっかり渋い紳士となって堂々とした風情で魅了してくれる。波瀾万丈の物語が終わるとき、観客はここに流れた長い年月を思ってため息をつくだろう。なんという忍耐強さだろう? 愛の成就のためにはいったい何年の月日を耐えたことだろう。

 最後の最後にハッピーエンドを迎えられるなら、「遅すぎることはないのよ、スミシィ!」(レンタルDVD)

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心の旅路
RANDOM HARVEST
アメリカ、1942年、上映時間 124分
監督: マーヴィン・ルロイ、製作: シドニー・フランクリン、原作: ジェームズ・ヒルトン、脚本: クローディン・ウェスト、ジョージ・フローシェル、アーサー・ウィンペリス、音楽: ハーバート・ストサート
出演: ロナルド・コールマン、グリア・ガーソン、フィリップ・ドーン、スーザン・ピータース、ヘンリー・トラヴァース