上野千鶴子と信田さよ子の対談。
わたしはずっと上野千鶴子ファンだったし、今でも好きなんだけど、どうも最近彼女の割り切り方についていけないものを感じるようになってきた。
特に本書を読むとそう感じる。なんでもかんでも上野さんみたいに「いやなら別れたら」とか「なんでそんな男と一緒にいるのよ」とかすっきりいかないのが世の中で、その上、「今の三十代は親のインフラにパラサイトできる最後の稀有な世代で云々」などと簡単に世代論で一掴みにものごとを論断しないでほしいと思ってしまう。
わたしなんて、三無世代だけど、自分じゃぜんぜん同世代の人たちになじめないと思っていたし、だから「今の若者は」とか「最近の30代は」などと世代でくくられるのがとっても嫌だったのだ。
社会学者はマクロの話をするけれど、そこからこぼれる例外的な一人一人をどうしてくれるのよとわたしなんかは言いたいわけで、そうなるとそこは心理学者が拾ってくれるわけだ。ところが心理学の心理還元論がまたわたしには癪に障るわけで。
となると、本書のような社会学者と臨床心理士との対談は、そのニッチを埋めるいいものになるはずなのだ。
本書の対談が行われたのは2002年。発刊が2年遅れたので、「結婚の条件」や「負け犬の遠吠え」に出遅れてしまったのが、販売戦略的にはちょっと痛い。内容的にはかなりかぶるが、本書は対談だけに話がどんどんずれていくため、「結婚の条件」ほどにはきっちりとした分析をやったという印象が残らない。
それに、特に前半は上野さんの個性が出すぎて、読んでいて違和感を感じてしまう。むしろ、後半、話題がドメスティック・バイオレンスとそのカウンセリングに入っていくあたりのほうがずっとおもしろかった。
信田さよ子さんは、クライアントの生育暦を探っていくフロイト式のカウンセリングをしないという。そして、なぜDV男から女が逃げないのかという理由を分析している。その内容を上野さんの言葉を借りれば
DV被害者の女性が、「どうして夫から逃げないのか?」というもっともな疑問に対して、「明日から生活が成り立たないから」という経済的な要因や、「暴力におびえきって自分からなにかをする力さえ奪われているのよ」といった無力化を挙げる通俗的な解釈に対して、わたしはずっと違和感を持ってきたが、彼女はそこに、当事者のプライドのゲームという主体的な関与をあげて説明してくれた。被害者は主体的にそこに留まるのだ、と。(p284)
本書は、信田さよ子というよき対談者を得たことが最大の成果だ。
わたしはずっと上野千鶴子ファンだったし、今でも好きなんだけど、どうも最近彼女の割り切り方についていけないものを感じるようになってきた。
特に本書を読むとそう感じる。なんでもかんでも上野さんみたいに「いやなら別れたら」とか「なんでそんな男と一緒にいるのよ」とかすっきりいかないのが世の中で、その上、「今の三十代は親のインフラにパラサイトできる最後の稀有な世代で云々」などと簡単に世代論で一掴みにものごとを論断しないでほしいと思ってしまう。
わたしなんて、三無世代だけど、自分じゃぜんぜん同世代の人たちになじめないと思っていたし、だから「今の若者は」とか「最近の30代は」などと世代でくくられるのがとっても嫌だったのだ。
社会学者はマクロの話をするけれど、そこからこぼれる例外的な一人一人をどうしてくれるのよとわたしなんかは言いたいわけで、そうなるとそこは心理学者が拾ってくれるわけだ。ところが心理学の心理還元論がまたわたしには癪に障るわけで。
となると、本書のような社会学者と臨床心理士との対談は、そのニッチを埋めるいいものになるはずなのだ。
本書の対談が行われたのは2002年。発刊が2年遅れたので、「結婚の条件」や「負け犬の遠吠え」に出遅れてしまったのが、販売戦略的にはちょっと痛い。内容的にはかなりかぶるが、本書は対談だけに話がどんどんずれていくため、「結婚の条件」ほどにはきっちりとした分析をやったという印象が残らない。
それに、特に前半は上野さんの個性が出すぎて、読んでいて違和感を感じてしまう。むしろ、後半、話題がドメスティック・バイオレンスとそのカウンセリングに入っていくあたりのほうがずっとおもしろかった。
信田さよ子さんは、クライアントの生育暦を探っていくフロイト式のカウンセリングをしないという。そして、なぜDV男から女が逃げないのかという理由を分析している。その内容を上野さんの言葉を借りれば
DV被害者の女性が、「どうして夫から逃げないのか?」というもっともな疑問に対して、「明日から生活が成り立たないから」という経済的な要因や、「暴力におびえきって自分からなにかをする力さえ奪われているのよ」といった無力化を挙げる通俗的な解釈に対して、わたしはずっと違和感を持ってきたが、彼女はそこに、当事者のプライドのゲームという主体的な関与をあげて説明してくれた。被害者は主体的にそこに留まるのだ、と。(p284)
本書は、信田さよ子というよき対談者を得たことが最大の成果だ。