ピピのシネマな日々:吟遊旅人のつれづれ

歌って踊れる図書館司書の映画三昧の日々を綴ります。たまに読書日記も。2007年3月以前の映画日記はHPに掲載。

「大学という病 東大紛擾と教授群像」

2002年07月24日 | 読書
2002年07月24日

 昭和初期の東京帝国大学経済学部の粛学事件を題材に、大学の崩壊と教員の堕落を描いた群像劇。

 学術書でありながら、舞台劇を見るようなおもしろさ。過去の歴史を読みながら、現在進行形の大学改革論議を見せられているような錯覚にとらわれる。著者の時代感覚の確かさが、本書を大過去・中過去・現在と、時間軸を超えて「大学という病」を見事に照射している。
 東大経済学部教員たちの派閥争いに、軍部・民間右翼の思惑が絡んだ一大紛擾劇は、当時の傍観者には帝大の先生たちのスキャンダルとしておもしろおかしく見え、大学の現状を憂える人々からは顰蹙を買い、後世の私たちには、現在とあまりにも変りばえのしない研究者たちのお寒い姿に、冷笑を誘う。

 本書には、大正から昭和初期にかけての東大での講義、学問のあり方、教員達の資質、といったものが精密な筆致で描き出されている。それらは驚くほど現在の姿に似通っている。大学は十年一日のごとくに変化のない世界だったのかと、驚くと同時にあきれ果てもする。10年間同じ講義ノートを使い続ける教員、論文を助手に書かせて平気な顔の教員、外国の文献を翻訳するだけで学問した気になっている教員、などなど。

ここに登場する主要な教授連は、河合栄治郎(自由主義派)、土方成美(反マルクス主義派)、大内兵衛(マルクス主義派)の3派。各派の門下生達を巻き込んで、結局最後は派閥争いをした教授達は大学を追われてしまう。

 前半の主要登場人物の一人、大森義太郎(1898-1840)が最も魅力的な人物の一人として描かれている。マルクス経済学者であった大森は、「赤化」教員として28年に東大を追われるが、当時台頭しつつあった「講壇ジャーナリスト」としてその毒舌を遺憾なく発揮し、健筆を振って経済的にも潤った生活を送ることができた。このあたり、著者は知的文化を「学界」と「ジャーナリズム」の二つに類別し、歴史的には、大正時代がその二つの世界の分化と相互浸透が同時に起こった時期だと分析する。
いやはや、大森の悪口雑言には、毒舌を持って知られるpipi姫もシャッポを脱ぐ。

 そしてもう一人、魅力ある登場人物として描かれている河合栄治郎(1891-1944)、彼は非常に教育熱心な学者であり、自宅を学生達に開放してサロンとして提供した。そこには東京女子大の学生達も集まり、事実上女子禁制だった東大での学問の香りを、わずかなりとも彼女たちは嗅ぐことができた。河合は、丸暗記の学問のあり方を厳しく批判し、常に学生達に自分の頭で考えることを求める教員であったという。

 しかし、大森・河合ともに、学究の道半ばで失意のうちに世を去る。そして、大森を、後には河合らを追放した右翼・国家主義者たちが、今度は戦後の民主化の過程で公職を追われる。さらには、68年~69年の東大闘争の折り、総長であった大河内一男(河合門下生)は、全共闘の学生達から厳しく追及され、総長を辞任した。

 著者は、大学知識人達が遭遇した「受難」に同じ構造を見てとっている。戦前の急進右翼による自由主義者への非難・攻撃も、戦後の全共闘学生による「進歩的知識人」糾弾の論理も、「機能的には等価だった」と述べている。この評価についてわたしは賛同はできないが、確かに「機能」という構造から見ればそこには通底するものがあるだろう。
 「大学問題を考えるケース・ストーリーとして読んで欲しい」という著者の意図は、功を奏している。東大版忠臣蔵ともいわれる昭和の粛学事件は、今を生きる我々も教えられるところ大である。
 本書の巻頭に主要登場人物の写真入りプロフィールが各派閥ごとに表示されているため、たいへんわかりやすい。本書はとにかくわかりやすさと読みやすさを最大限追求した、「学術一般書」と言えよう。
 大学に何かを期待したい人、絶望している人、どちら様にもご一読をお奨めしたい。

(2002年1月18日、某メールマガジンに掲載したものを修正して再録)

「大学という病 東大紛擾と教授群像」
竹内洋著 中央公論社 2001年(中公叢書)