最初少しモタモタして眠気を誘うけど、主人公アンナも可愛かったし、弟くんのフランソワの可愛いことにはもうノックアウト!! 後半はどんどん面白くなりました。
原作はイタリアの小説で、主人公の少女が12歳からの4年間を描いているが、本作では少女の年齢を9歳に下げて、さらに、物語の中では3年が過ぎているにもかかわらずその時間の流れを凝縮させて、少女の成長を垂直線では描かない。ふつうの「成長物語」とはちょっと違う、というところが新鮮。
1970年のフランス、父は弁護士、母は雑誌『マリークレール』の記者という裕福な家庭に住む9歳のアンナは毎日幸せに暮らしていた。だがある日、父の出身国スペインから伯母と従姉妹がやって来てからアンナの生活は変わってしまった。アンナの伯父はフランコ政権によって殺され、反フランコ派の伯母たちはフランスに逃げてきたのだ。祖国スペインになにも貢献していないと忸怩たる想いの父は、どういうわけか母と一緒に遠くチリへ旅に出てしまった。帰ってきたとき、二人ともキョーサン主義者になっていたからさあたいへん。カトリックのお嬢様学校へ通っていたアンナは、両親の教育方針が変わってしまって、大好きな宗教の授業を受けられないことになる。おまけに父は弁護士をやめてしまって小さなアパートに引っ越すことに。大好きなキューバ人家政婦は反共主義者なのでクビにされた。狭苦しいアパートでは一人一部屋がもらえないから子供部屋は弟と一緒なのだ。おまけに家はわけのわからない「革命家」たちのたまり場になり、毎夜大勢の人々が出入りすることになる。好きな料理も食べさせてもらえず、小さな家で髭の革命家に囲まれストレスが溜まる一方のアンナは叫ぶ。「これって、みんな、フィデルのせいなの?!」
フィデルとはもちろんフィデル・カストロのこと。やっと数日前に引退を表明したキューバの革命家です、もちろんわれらがチェ・ゲバラの盟友。
この映画は徹底して子ども目線で1970年のキョーサン主義者を描く。なにしろ子どもの理解だから、なぜ両親があっという間にキョーサン主義者になったのかさっぱりわからない。なぜ家政婦が次々代わるのかもわからない。なぜ宗教の授業を受けてはいけないのかもわからない。なぜ庭付きの家に住めないのか、何もわからないのだ。解らないけれど、とにかくアンナは不機嫌。いつもいつも不機嫌で仏頂面のアンナの表情がたまらなく、いい。とっても可愛い子役を使っているのに彼女にほとんど笑顔を演じさせない。ず~~っと眉間に皺を寄せ親の世代に異議を申し立てなんでも質問して不満をぶちまけている。彼女こそが実は70年世代の申し子なのだ。
1970年のフランスは、五月革命の余韻がまだ残り香のように漂う時代だった。母は女性雑誌の記者だったがフェミニズムに目覚め、中絶自由化の運動に立ち上がる。父はスペインでは貴族の出身だったのだが、反フランコ派になり、今やチリのアジェンデ政権支持の運動に夢中だ。アンナにとっては両親の事情なんてどうでもいいこと。無理矢理デモに連れて行かれてもいい迷惑なだけだ。いったい何を叫んでいるのか、アンナにはさっぱりわからない。
だが、両親のやることなすことに不満タラタラのアンナもいつしか両親の「キョーサン主義」を理解するようになる。「団結」が大事なのだ。団結のためには自分の意見を曲げてでもみんなと一致せねば!!
なんだかとっても面白くて爆笑を誘う、「団結」の場面は最高によかった。しかし、この面白い「団結」のような場面が少ししかなくて、それがとても残念。もっと笑えるコメディかと思ったのに、予想以上に真面目なお話だった。
子ども目線の話だけに、70年世代への批判は実はそれほど鮮明ではない。ただし、子どもは鋭い。「パパたちは前は間違っていたのね? それで、考えを変えて、今は間違っていないとどうしてわかるの?」そう、なぜ自分たちが間違っていないと解るのか? こんな素朴な質問を親に向かって投げかけるアンナはなんて賢い子なのでしょう。アンナは、「思いこみ」「正義」の欺瞞をはしなくも告発しているのだ。
富の公平な分配はなぜ必要なのか? 格差はなぜ悪いのか? 自由とは何か? アンナは学んでいく。アンナの素朴な疑問は現代のフランス社会への批判に通じる。と同時に、その社会批判をするキョーサン主義者への愛情と批判も同時に孕む。
両親は遠いチリの左翼政権を助けることには必死だが、目の前の子どもたちの世話はほったらかし。こんなことでいいのだろうか? 彼らもまたブルジョア急進主義者に過ぎないのだ。家事は移民の家政婦に任せて社会運動にのめり込む彼らは自分たちの矛盾が見えているのだろうか?
アンナは成長していく。父の出自に興味を持ち、スペインへと旅したいと言い出すのだ。スペインへの旅で知った父の実家は伯爵家だった。しかし、ここでやっぱり面白いことが。父が伯爵の末裔であることがアンナにとっては「勲章」にならない。むしろ、父の家では昔、拷問がおこなわれていたらしい、そのことが少女の興味をいたくそそってしまったのだ。やっぱりアンナは面白い子ども。まだまだ何にもわかっていないけど、おそらく親を超えてもっと社会のことをクールに見る目を育てていけるだろう。
アンナ役ニナ・ケルヴェルちゃん、とっても賢そうな女の子です、そのうえ可愛い、そのうえずっと仏頂面。わたしは弟役のバンジャマン・フイエくんの天真爛漫さに魅了されました。最高よ、このバンジャマンくん。なんて可愛いのっ。ジュリー・ガヴラス監督は「戒厳令」「ミッシング」のコスタ=ガヴラスの娘で、アンナの母親役ジュリー・ドパルデューはジェラール・ドバルデューの娘。二世が活躍する映画ですね。
「ベンセレーモス チリ人民は勝利する」を久しぶりに聴いて懐かしいやら恥ずかしいやら。
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LA FAUTE A FIDEL!
イタリア/フランス、2006年、上映時間 99分
監督: ジュリー・ガヴラス、製作: シルヴィー・ピアラ、製作総指揮: マチュー・ボンポワン、原作: ソミティッラ・カラマイ、音楽: アルマンド・アマール
出演: ニナ・ケルヴェル、ジュリー・ドパルデュー、ステファノ・アコルシ、バンジャマン・フイエ
原作はイタリアの小説で、主人公の少女が12歳からの4年間を描いているが、本作では少女の年齢を9歳に下げて、さらに、物語の中では3年が過ぎているにもかかわらずその時間の流れを凝縮させて、少女の成長を垂直線では描かない。ふつうの「成長物語」とはちょっと違う、というところが新鮮。
1970年のフランス、父は弁護士、母は雑誌『マリークレール』の記者という裕福な家庭に住む9歳のアンナは毎日幸せに暮らしていた。だがある日、父の出身国スペインから伯母と従姉妹がやって来てからアンナの生活は変わってしまった。アンナの伯父はフランコ政権によって殺され、反フランコ派の伯母たちはフランスに逃げてきたのだ。祖国スペインになにも貢献していないと忸怩たる想いの父は、どういうわけか母と一緒に遠くチリへ旅に出てしまった。帰ってきたとき、二人ともキョーサン主義者になっていたからさあたいへん。カトリックのお嬢様学校へ通っていたアンナは、両親の教育方針が変わってしまって、大好きな宗教の授業を受けられないことになる。おまけに父は弁護士をやめてしまって小さなアパートに引っ越すことに。大好きなキューバ人家政婦は反共主義者なのでクビにされた。狭苦しいアパートでは一人一部屋がもらえないから子供部屋は弟と一緒なのだ。おまけに家はわけのわからない「革命家」たちのたまり場になり、毎夜大勢の人々が出入りすることになる。好きな料理も食べさせてもらえず、小さな家で髭の革命家に囲まれストレスが溜まる一方のアンナは叫ぶ。「これって、みんな、フィデルのせいなの?!」
フィデルとはもちろんフィデル・カストロのこと。やっと数日前に引退を表明したキューバの革命家です、もちろんわれらがチェ・ゲバラの盟友。
この映画は徹底して子ども目線で1970年のキョーサン主義者を描く。なにしろ子どもの理解だから、なぜ両親があっという間にキョーサン主義者になったのかさっぱりわからない。なぜ家政婦が次々代わるのかもわからない。なぜ宗教の授業を受けてはいけないのかもわからない。なぜ庭付きの家に住めないのか、何もわからないのだ。解らないけれど、とにかくアンナは不機嫌。いつもいつも不機嫌で仏頂面のアンナの表情がたまらなく、いい。とっても可愛い子役を使っているのに彼女にほとんど笑顔を演じさせない。ず~~っと眉間に皺を寄せ親の世代に異議を申し立てなんでも質問して不満をぶちまけている。彼女こそが実は70年世代の申し子なのだ。
1970年のフランスは、五月革命の余韻がまだ残り香のように漂う時代だった。母は女性雑誌の記者だったがフェミニズムに目覚め、中絶自由化の運動に立ち上がる。父はスペインでは貴族の出身だったのだが、反フランコ派になり、今やチリのアジェンデ政権支持の運動に夢中だ。アンナにとっては両親の事情なんてどうでもいいこと。無理矢理デモに連れて行かれてもいい迷惑なだけだ。いったい何を叫んでいるのか、アンナにはさっぱりわからない。
だが、両親のやることなすことに不満タラタラのアンナもいつしか両親の「キョーサン主義」を理解するようになる。「団結」が大事なのだ。団結のためには自分の意見を曲げてでもみんなと一致せねば!!
なんだかとっても面白くて爆笑を誘う、「団結」の場面は最高によかった。しかし、この面白い「団結」のような場面が少ししかなくて、それがとても残念。もっと笑えるコメディかと思ったのに、予想以上に真面目なお話だった。
子ども目線の話だけに、70年世代への批判は実はそれほど鮮明ではない。ただし、子どもは鋭い。「パパたちは前は間違っていたのね? それで、考えを変えて、今は間違っていないとどうしてわかるの?」そう、なぜ自分たちが間違っていないと解るのか? こんな素朴な質問を親に向かって投げかけるアンナはなんて賢い子なのでしょう。アンナは、「思いこみ」「正義」の欺瞞をはしなくも告発しているのだ。
富の公平な分配はなぜ必要なのか? 格差はなぜ悪いのか? 自由とは何か? アンナは学んでいく。アンナの素朴な疑問は現代のフランス社会への批判に通じる。と同時に、その社会批判をするキョーサン主義者への愛情と批判も同時に孕む。
両親は遠いチリの左翼政権を助けることには必死だが、目の前の子どもたちの世話はほったらかし。こんなことでいいのだろうか? 彼らもまたブルジョア急進主義者に過ぎないのだ。家事は移民の家政婦に任せて社会運動にのめり込む彼らは自分たちの矛盾が見えているのだろうか?
アンナは成長していく。父の出自に興味を持ち、スペインへと旅したいと言い出すのだ。スペインへの旅で知った父の実家は伯爵家だった。しかし、ここでやっぱり面白いことが。父が伯爵の末裔であることがアンナにとっては「勲章」にならない。むしろ、父の家では昔、拷問がおこなわれていたらしい、そのことが少女の興味をいたくそそってしまったのだ。やっぱりアンナは面白い子ども。まだまだ何にもわかっていないけど、おそらく親を超えてもっと社会のことをクールに見る目を育てていけるだろう。
アンナ役ニナ・ケルヴェルちゃん、とっても賢そうな女の子です、そのうえ可愛い、そのうえずっと仏頂面。わたしは弟役のバンジャマン・フイエくんの天真爛漫さに魅了されました。最高よ、このバンジャマンくん。なんて可愛いのっ。ジュリー・ガヴラス監督は「戒厳令」「ミッシング」のコスタ=ガヴラスの娘で、アンナの母親役ジュリー・ドパルデューはジェラール・ドバルデューの娘。二世が活躍する映画ですね。
「ベンセレーモス チリ人民は勝利する」を久しぶりに聴いて懐かしいやら恥ずかしいやら。
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LA FAUTE A FIDEL!
イタリア/フランス、2006年、上映時間 99分
監督: ジュリー・ガヴラス、製作: シルヴィー・ピアラ、製作総指揮: マチュー・ボンポワン、原作: ソミティッラ・カラマイ、音楽: アルマンド・アマール
出演: ニナ・ケルヴェル、ジュリー・ドパルデュー、ステファノ・アコルシ、バンジャマン・フイエ