ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』、小熊英二『<民主>と<愛国>』、と読んできて、続いて『戦争が遺したもの』を読むと実によくわかる。さくさく読める。あまりにもおもしろくて途中でやめられなくなる。本書はとてもいい本だ。読みやすいということだけではなく、考えさせられるヒントがずいぶん多い。
鶴見ファンならもうおなじみになっているような事柄や発言でも、わたしにとっては新鮮な感動がある。
鶴見語録で印象に残ったものを書き留めてみた。
愛されることは辛い<ことだ
マルクスはいいんだけど、マルクス主義は宗教だ
鶴見さんは、アンビバレントな思想や人間に惹かれる。そして、人はそのように生きるものだという哲学がある。わたしはこの考えにものすごく共感を覚えてしまう。あれかこれかではなく、例えば戦争ならば、日本人は加害者でもあり被害者でもある。どちらかだけを生きることはできない。
上野千鶴子が鶴見さんに厳しく迫って、従軍慰安婦を蹂躙した慰安所で愛がありえたか、と問う。鶴見さんは「そこにも愛がある」と譲らない。売春婦を妻にした文学者たちを挙げて、彼らは妻を愛したのだ、それは愛だと主張して譲らない。
上野さんはそれに対して、「愛だけではなく、そこに権力が存在したはずだ」とさらに追及の手を緩めない。
これは不思議なことだ。愛はそもそも権力と不可分なものだということをなぜ上野さんにはわからないのだろう。
「愛は権力だ」もしくは、「愛こそは権力だ」
わたしはこのように思っているのだが。
愛は他者を支配することを欲望する。そして愛は他者を支配する力を持つ。愛する人の微笑みを得るためだけに、人はどれだけ必死の努力を傾注するだろう。愛する人に振り向いてもらいたいために、人はどれだけその人のもとに額ずくだろう。
愛と権力は不可分なのだ。たとえそこに経済的・政治的権力関係が存在しなくても、愛は本質的に権力を伴う。
とにかく本書はあまりにもおもしろいので、早く続きを読みたくてうずうずするのだ。仕事中にも思い出して、手が震えるような思いに苛まれる。「ああ~、あの本の続きを早く読みたいっ!」ってね。
でも、そう思えば逆にゆっくり読みたいという気持ちにもなる。こういうことはあんまりない。
つまりはものすごくおもしろい本なのだ。へたな小説を読むよりずっとおもしろい。
最近つらつら思うことだが、評判になった小説を読んでもあんまりおもしろいと思えない。むしろ、こういう本や、哲学書を読む方がずっとスリリングでおもしろいのだ。
たとえば『ららら科学の子』。これ、おもしろくない。分析が浅い。これを読むぐらいなら、『民主と愛国』を読む方がずっと時代状況をつかめるし、時代を生きた人々の息吹や苦しみが伝わる。
『ららら科学の子』の主人公は悩んでいないのだ。あの時代を、1968年を、本当に生きて苦しんだとは思えない。全共闘世代に10年遅れたわたしですら、自分の若い頃の思想にもっと深い懐疑や苦しみを感じているのに、この小説はそこに迫っていない。
わたしって文芸書読みに向いてないのかなぁ。
<書誌情報>
戦争が遺したもの : 鶴見俊輔に戦後世代が聞く
鶴見俊輔, 上野千鶴子, 小熊英二著. -- 新曜社, 2004
鶴見ファンならもうおなじみになっているような事柄や発言でも、わたしにとっては新鮮な感動がある。
鶴見語録で印象に残ったものを書き留めてみた。
愛されることは辛い<ことだ
マルクスはいいんだけど、マルクス主義は宗教だ
鶴見さんは、アンビバレントな思想や人間に惹かれる。そして、人はそのように生きるものだという哲学がある。わたしはこの考えにものすごく共感を覚えてしまう。あれかこれかではなく、例えば戦争ならば、日本人は加害者でもあり被害者でもある。どちらかだけを生きることはできない。
上野千鶴子が鶴見さんに厳しく迫って、従軍慰安婦を蹂躙した慰安所で愛がありえたか、と問う。鶴見さんは「そこにも愛がある」と譲らない。売春婦を妻にした文学者たちを挙げて、彼らは妻を愛したのだ、それは愛だと主張して譲らない。
上野さんはそれに対して、「愛だけではなく、そこに権力が存在したはずだ」とさらに追及の手を緩めない。
これは不思議なことだ。愛はそもそも権力と不可分なものだということをなぜ上野さんにはわからないのだろう。
「愛は権力だ」もしくは、「愛こそは権力だ」
わたしはこのように思っているのだが。
愛は他者を支配することを欲望する。そして愛は他者を支配する力を持つ。愛する人の微笑みを得るためだけに、人はどれだけ必死の努力を傾注するだろう。愛する人に振り向いてもらいたいために、人はどれだけその人のもとに額ずくだろう。
愛と権力は不可分なのだ。たとえそこに経済的・政治的権力関係が存在しなくても、愛は本質的に権力を伴う。
とにかく本書はあまりにもおもしろいので、早く続きを読みたくてうずうずするのだ。仕事中にも思い出して、手が震えるような思いに苛まれる。「ああ~、あの本の続きを早く読みたいっ!」ってね。
でも、そう思えば逆にゆっくり読みたいという気持ちにもなる。こういうことはあんまりない。
つまりはものすごくおもしろい本なのだ。へたな小説を読むよりずっとおもしろい。
最近つらつら思うことだが、評判になった小説を読んでもあんまりおもしろいと思えない。むしろ、こういう本や、哲学書を読む方がずっとスリリングでおもしろいのだ。
たとえば『ららら科学の子』。これ、おもしろくない。分析が浅い。これを読むぐらいなら、『民主と愛国』を読む方がずっと時代状況をつかめるし、時代を生きた人々の息吹や苦しみが伝わる。
『ららら科学の子』の主人公は悩んでいないのだ。あの時代を、1968年を、本当に生きて苦しんだとは思えない。全共闘世代に10年遅れたわたしですら、自分の若い頃の思想にもっと深い懐疑や苦しみを感じているのに、この小説はそこに迫っていない。
わたしって文芸書読みに向いてないのかなぁ。
<書誌情報>
戦争が遺したもの : 鶴見俊輔に戦後世代が聞く
鶴見俊輔, 上野千鶴子, 小熊英二著. -- 新曜社, 2004