ピピのシネマな日々:吟遊旅人のつれづれ

歌って踊れる図書館司書の映画三昧の日々を綴ります。たまに読書日記も。2007年3月以前の映画日記はHPに掲載。

読書会の課題図書にしたのは大正解

2004年08月21日 | 読書
 ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』、小熊英二『<民主>と<愛国>』、と読んできて、続いて『戦争が遺したもの』を読むと実によくわかる。さくさく読める。あまりにもおもしろくて途中でやめられなくなる。本書はとてもいい本だ。読みやすいということだけではなく、考えさせられるヒントがずいぶん多い。

 鶴見ファンならもうおなじみになっているような事柄や発言でも、わたしにとっては新鮮な感動がある。

 鶴見語録で印象に残ったものを書き留めてみた。

 愛されることは辛い<ことだ 

 マルクスはいいんだけど、マルクス主義は宗教だ

 鶴見さんは、アンビバレントな思想や人間に惹かれる。そして、人はそのように生きるものだという哲学がある。わたしはこの考えにものすごく共感を覚えてしまう。あれかこれかではなく、例えば戦争ならば、日本人は加害者でもあり被害者でもある。どちらかだけを生きることはできない。

 上野千鶴子が鶴見さんに厳しく迫って、従軍慰安婦を蹂躙した慰安所で愛がありえたか、と問う。鶴見さんは「そこにも愛がある」と譲らない。売春婦を妻にした文学者たちを挙げて、彼らは妻を愛したのだ、それは愛だと主張して譲らない。
 上野さんはそれに対して、「愛だけではなく、そこに権力が存在したはずだ」とさらに追及の手を緩めない。

 これは不思議なことだ。愛はそもそも権力と不可分なものだということをなぜ上野さんにはわからないのだろう。

「愛は権力だ」もしくは、「愛こそは権力だ」

 わたしはこのように思っているのだが。

 愛は他者を支配することを欲望する。そして愛は他者を支配する力を持つ。愛する人の微笑みを得るためだけに、人はどれだけ必死の努力を傾注するだろう。愛する人に振り向いてもらいたいために、人はどれだけその人のもとに額ずくだろう。

 愛と権力は不可分なのだ。たとえそこに経済的・政治的権力関係が存在しなくても、愛は本質的に権力を伴う。

 とにかく本書はあまりにもおもしろいので、早く続きを読みたくてうずうずするのだ。仕事中にも思い出して、手が震えるような思いに苛まれる。「ああ~、あの本の続きを早く読みたいっ!」ってね。

 でも、そう思えば逆にゆっくり読みたいという気持ちにもなる。こういうことはあんまりない。
つまりはものすごくおもしろい本なのだ。へたな小説を読むよりずっとおもしろい。

 最近つらつら思うことだが、評判になった小説を読んでもあんまりおもしろいと思えない。むしろ、こういう本や、哲学書を読む方がずっとスリリングでおもしろいのだ。

 たとえば『ららら科学の子』。これ、おもしろくない。分析が浅い。これを読むぐらいなら、『民主と愛国』を読む方がずっと時代状況をつかめるし、時代を生きた人々の息吹や苦しみが伝わる。

 『ららら科学の子』の主人公は悩んでいないのだ。あの時代を、1968年を、本当に生きて苦しんだとは思えない。全共闘世代に10年遅れたわたしですら、自分の若い頃の思想にもっと深い懐疑や苦しみを感じているのに、この小説はそこに迫っていない。

 わたしって文芸書読みに向いてないのかなぁ。


<書誌情報>

戦争が遺したもの : 鶴見俊輔に戦後世代が聞く
鶴見俊輔, 上野千鶴子, 小熊英二著. -- 新曜社, 2004

憲法草案作成の陰にロマンスあり

2004年08月16日 | 読書
『敗北を抱きしめて』下巻に登場するベアテ・シロタのことが気になったので、『憲法に男女平等起草秘話』 土井たか子, ベアテ・シロタ・ゴードン [述]. 岩波書店, 1996. -- (岩波ブックレット ; No.400)
を読んでみた。

 当時22歳のシロタはリサーチャーとして優秀な人材であったし、そのことを本人も隠さない。日本人なら謙遜しそうだが、彼女は「自分が優秀だった」ということを誇りにしているようだ。また、そのように訓練されるよい機会もあったという。

 また、草案をめぐる日本側の議論では、天皇制に関する部分がもっとも紛糾し、彼女が草案を書いた民法の部分も大激論になったという。

 シロタは、このときの一連の仕事で通訳として知り合った米軍のゴードン中尉と結婚した。憲法草案作成の裏にロマンスがあったのだ。
 ますます、映画化したくなる題材だなぁ~
 女性監督に映画を作ってほしいよ、ほんと。

Posted by pipihime at 21:50 │Comments(2) │TrackBack(1)
2004年08月15日
「民主と愛国」11,12章
 11章はあんまりおもしろくなかったが、12章は安保闘争の章である。時代の状況が手に取るように見えてくる。

 かつて、安保闘争関係資料を整理し目録を作ったわたしには、懐かしい記述や用語が登場してなんだかワクワクしてしまったが、それ以上に、小熊さんの、時代をつかむ認識眼というか、時代状況を的確に描き出す力量の大きさに感心した。

 「市民」という言葉は、安保闘争の中で初めて肯定的に使われた言葉だったのだ。敗戦後すぐは「プチブル」と同意語だった「市民」が、既成の組織から自由な人々という意味で肯定的に使われた。

 「市民」は、安保闘争のなかで現れた、自立と連帯が同時に実現している状態を形容した言葉だった。政治学者の福田歓一は当時の座談会で、個人が自発的に組織を作って連帯を生みだしてゆく感覚が安保闘争で生まれたと述べ、「つきつめれば、一人一党になったわけで、それが市民精神だ」と述べた。江藤淳も、自立と連帯を兼備した「新しい市民的な運動」の必要性を唱えた。(p524-525)

ただいま読書中「民主と愛国」10章まで読了

2004年08月14日 | 読書
 この本は『敗北を抱きしめて』と重なる時代を分析しているのだが、『敗北を抱きしめて』ほどにはサクサクと読めない。かなり時間がかかっていて、読了するのに2週間ぐらいかかるんじゃないかな。とほほ。
 同時並行であと3冊ほど読んでるが……

 サクサク読めない理由として、大量の人名に惑わされていることが挙げられる。
 本書は戦後思想史を分析する大著だから、大勢の知識人の名前が登場する。分析対象となっている人々の著作になじみがなければ、理解するのにかなり努力が必要だ。参考文献を読みながら(人名辞典とか著作紹介文献とか)でないと、前に進めないこともしばしばだ。
 
 逆に、なじみの研究者の名前が続出するところでは、過去に読んだ彼らの著作が頭をよぎって、独特のノスタルジーにひたってしまう。

とりわけ、第8章「国民的歴史学運動」の章では、わたしが学生時代、既に老大家だった歴史学者たちの若き日々が描かれ、たいそう興味深い。思えば、このように一時代をなした研究者たちの薫陶を受けることができたわたしはとても幸せだったのだ。でも、当時はその特権的幸福にまったく気づいていなかった。
 不勉強で傲岸不遜な学生だった我が身が恥ずかしい。ちゃんと勉強して先人たちから学べばよかったと今頃反省している。

 とにかく本書は、戦後知識人の思想にわけいる分析がたいそう興味深く、わたしは『敗北を抱きしめて』よりもずっと深いその思惟の世界に耽溺している。
 
  著名な思想家とは、ユニークな思想を唱えた者のことではない。同時代の人びとが共有できないほど「独自」な思想の持主は、後生において再発見されることはあっても、その時代に著名な思想家となることは困難である。その意味では著名な思想家とは、「独創的」な思想家であるよりも、同時代の人びとに共有されている心情を、もっとも巧みに表現した者である場合が多い。(p20-21)

 戦後思想の展開は、戦争をどのように体験したかということにかかっていたという。つまり、世代によって、戦後の知識人のスタンスの基本が決まったのだ。

 「ナショナリズムとデモクラシーの綜合」という思想、「民主」と「愛国」の両立は、戦争体験の記憶という土壌のうえに成立していたものだった。(p103)

 わたしは若い頃、明治20年からおよそ100年ぐらいの間に発行された新聞を通読するという仕事を10年以上続けたために、その時代の言葉遣いというものに慣れ親しむ希有な機会を得ることができた。

 だから、本書で小熊さんがやろうとしたことに目新しさは感じない。つまり、同じ言葉が時代によって異なってとらえられていたという事実は、わたしにとっては当たり前のことだったのだ。わたしだけではなく、歴史学者にとってはそれはあまりにも当然のことだったので、誰もそんな「言説」にこだわって分析する者がいなかったのだろう。

 本書で大きなキーワードは「民主主義」や「民族」「愛国」「市民」といった抽象的な用語なのだが、確かに、それらの用語が歴史的にどのように変遷していったかを分析することがそのまま、戦後思想史を跡づけることになる。

 わたしが、「思想を表す用語が時代によって異なった意味で流通した」ということを当然のこととして受け止めていたといっても、その根拠となる言説は当時の新聞や雑誌に掲載されたものである。わたしはそれぞれの知識人の書いたものを丁寧に読んだわけではなく、小熊さんが分析した思想家のうち、まったく未読のものも多い。

 だから、本書のように精緻な分析をされると、実に小気味よく、新鮮な感動を覚える。

 本書はあと半分残っているが、これを舐めるように読んで楽しみたいと思っている。

「敗北を抱きしめて」下巻読了

2004年08月08日 | 読書
 下巻では憲法改正過程がスリリングに語られる。GHQの中で改正憲法草案を作ったメンバーの中にウィーン生まれのロシア系ユダヤ人女性ベアテ・シロタ(22歳)がいた。憲法の中の「両性の平等」項目への彼女の寄与は大きかったそうだ。

ジョン・ダワーの語り口はほんとうにおもしろい。だから、いろんな情景が目に浮かんでくるのだ。
わたしは思わず、彼女をヒロインに映画を作ってみたいと夢想してしまった。コンテまで目に浮かんだよ。

ところで、細々した事実を隅々まで目配りの利いた筆致で描くダワーだが、上巻で民法改正について述べたくだりには事実誤認があった。

日本の家制度は完全に払拭などされなかったし、戸籍を遺したことで事実上家制度は残存してしまった。どうもダワーには戸籍制度があまり理解できていないのではなかろうか。戸籍というのは実に細かい制度で、戸籍フリークでなければ知らないようなことがいっぱいあるのだ。ジョン・ダワーが少々間違えてもやむをえないかもしれない。


「近代天皇制」という宿痾を考えるに絶好の材料を提供してくれた本書は(本書だけではなく他に多くの研究書があるが、これほどおもしろく読ませるものも珍しい)、マッカーサーの「民主主義」と「天皇制」が対立するものではないことを具体的に叙述している。

「押しつけ憲法」と言われている日本国憲法だが、マッカーサーは本気で日本の民主化を望んでいたにもかかわらず、憲法を日本人の手で作らせなかった(日本側の憲法草案を一蹴した)。それはなぜか?

マッカーサーは天皇を守らねばならないと考えていたのだ。

マッカーサーは、彼が押さえ込もうとしていた超保守主義者たちと基本的には同じ心配から行動を起こすことを決意したのである。最高司令官の三原則の中で、天皇の地位の問題が最初に挙げられたのは偶然ではない。それは、マッカーサーがもっとも関心を払っていたことであった。戦争放棄や封建制度の廃止は彼にとって二の次で、天皇制と天皇個人を救うことに世界の国々からの支持を獲得するために必要だと彼が考えた条件なのであった。これはマッカーサーが約束していた日本の「非軍事化と民主化」を否定するものではなかった。天皇はこの方面でも救世主になりうるからである。憲法修正をめぐる緊張にみちた壮大なドラマは、日本の保守主義者たちが最も大切にしている目標が、まさに政府自身の超保守主義的傾向によって危険にさらされていると思われたところに端を発していたのである。(p119)


また、これも従来言われていることだが、戦後日本の経済を支えた基本構造は戦時中にできあがっていたこと。

戦後の諸制度には、戦時のシステムから引き継がれたものがあったが、それらは必ずしも軍国主義的なものではなかった。たとえば少数の民間銀行への金融依存度の増大と並んで、産業の下請けネットワークも、戦争のシステムの一部であったが、これらはすべて、戦後経済に置いて系列と呼ばれた構造をささえる心臓部となった。大企業では、株主への配当よりも、いわゆる終身雇用を含む雇用の安定が重視された。これが戦後日本に特有のシステムとして特筆されることが多いが、その本当の起源は戦争中に発する。経営や産業に対する「行政指導」のように、政府が積極的に役割を果たすやり方も、戦争に起源がある。敗戦の苦難の中で、先の見えない戦後聴きに直面した多くの日本人にとっては、こうした従来の制度を維持していくことは当然の選択のように思えたし、アメリカ人のご主人たちのしぶしぶの同意の下に日本人がやったことは、本質的には従来の制度を維持することであった。後に「日本モデル」と呼ばれ、儒教的価値のレトリックで覆い隠されたものの多くは、じつは単に先の戦争が産んだ制度的遺物だったのである。(p389)

占領軍は、到着した瞬間から日本の官僚組織を保護した。そしてそれによって官僚組織の役割と権威を高めた。……強力な官庁である通商産業省が創設されたのが、占領が終わる三年も前であったという事実は、日本の官僚組織を強化したのはアメリカであったことを最も鮮明に示す例である。
 ……占領軍はそれ自体が官僚組織であった。……
 こうして、連合国最高司令官による新植民地主義的な上からの革命という変則的な事態は、諸刃の剣となった。それは純粋に進歩的な改革を推進すると同時に、統治の権威主義的構造を再強化した。船中のシステムと戦後のシステムが締め金(バックル)でつながっている――。そう表現する場合、連合国最高司令官こそがその締め金であったことを忘れてはならない。(p390-391)


 <書誌情報>

 
敗北を抱きしめて : 第二次大戦後の日本人
ジョン・ダワー [著] ; 三浦陽一, 高杉忠明訳
; 上, 下. -- 増補版. -- 岩波書店, 2004


朱い文箱から(アカイ フバコ カラ)

2004年08月03日 | 読書
 鶴見俊輔『アメノウズメ伝』平凡社ライブラリー版のあとがきに、鶴見さんが
「この本の書評を田中美津さんが書いてくれた。岡部伊都子さんがエッセイを書いてくれた」
と書いていたので、興味を惹かれて手に取った本だ。

鶴見さんの本に触発されて岡部さんが書いた「オカメロン」という巻末のエッセイだけを読むつもりで図書館で借りたのに、ついついほとんど全部を一日で読んでしまった。

このエッセイ集は、古めかしさが漂うぐらい端正で上品な文体に清々しさを感じる逸品だった。標題になった巻頭のエッセイ「朱い文箱から」は電車の中で読んでいて涙がこぼれてそうになり、困った。

岡部さんの文箱(ふばこ)の中には昔、隣の家に住んでいた東京帝国大学医学部学生からもらった手紙が入っていて、そのことにふれたエッセイだ。その手紙は21歳の学生が14歳の伊都子さんに宛てた情熱的で難解な愛の告白である。
その人の気持ちに応えることができなかった当時の岡部さんだが、戦争で亡くなったその学生さんへの思いを込めて書かれたこの文章には、戦争への憎しみをかきたてるものがある。
岡部さんの兄も婚約者も戦争で亡くなった。いかに多くの若者が、ただ明日を生きて迎える、という簡単なことができなかったか。無念という言葉も空虚に響くような激しい悲しみに襲われる。

岡部さんは、戦争責任ということを深く考える。あの時代に世情に逆らって自分の言葉でものを言える人がどれだけいただろう。隣家の学生の母親は、その貴重な一人だったという。その「おばさん」の言動にまたわたしは感動してしまう。

学生の恋文など、読んでいて恥ずかしくなるような文章も挿入されているが、このエッセイは心打たれる珠玉のものだ。

そしてまた、岡部さんのナイーブな側面がよく現れたエッセイが、「ふたつの彫刻」。

舟越保武の彫刻「病醜のダミアン」
ゴーガンの彫刻「癩患者の像」

岡部さんは、この二つの彫刻に強い印象を受け、感動したという。そして、長らく交際のあるハンセン病療養所の患者に図録を送った。「素晴らしいものだ、ぜひ見てほしい」と彼女は素直に思って行動したのだが、その彫刻に元患者から「患者の醜悪な容貌を強調し、差別を助長する」という抗議があったことを知って、岡部さんは激しく反省するのだ。

この二つの彫刻が展示されることに元患者からのクレームが出、「表現の自由」をめぐってさまざまな議論を呼んだらしい。

岡部さんは、自分が元患者の痛みを知らずに無頓着で軽率な行動をとったことを反省して、次のように言う。

私が、元患者さんたち社会復帰者の心のいたみを感じないで、ゴーガン、舟越の二作品にすぐ感動したのは、なぜか

中略

 私が「いたみの前に感動した」自分に恥じて「ごめんなさい」とあやまったのは、それで事ずみとするためではなく、患者体験がない自分に欠けている認識の不足をわびるところからしか、真に近づく次がはじまらないからだ。このことがあったおかげで、今頃になって、かつて病者であった人びとにうずく心の残傷を思う。しんしんとひびく。


岡部さんの心の優しさや他者への感受性の深さには感動するけれど、なんで「ごめんなさい」と謝る必要があるのだろう。絵画や彫刻を見て感動する。それは作者の力強いメッセージを受け止めた素直な心根が受け取る本源的な感動だと思う。

それをまで否定して「ごめんなさい」と言う必要があるのだろうか。確かに、自分と同じような感動をすべての人が受けるわけではない。ハンセン病元患者にとっては不快なものなのだろう。そういうことに想像が及ばないのはしかし、その本人の精神の貧困さを表すのだろうか? わたしなら、最初に彫刻を見て感動したその気持ちを大事にしたいと思う。

元患者さんたちの怒りや悲しみはまた別次元の話だと思うのだが…



 書誌情報
 『朱い文箱から』岡部伊都子著. 岩波書店, 1995