ピピのシネマな日々:吟遊旅人のつれづれ

歌って踊れる図書館司書の映画三昧の日々を綴ります。たまに読書日記も。2007年3月以前の映画日記はHPに掲載。

フィクサー

2008年04月26日 | 映画レビュー
 緊迫感に満ちた病的な男性の独白で始まる巻頭、「いったい何が始まったのだろう? この映画はどういう話なの?」と不安と緊張感がみなぎる。このオープニングを見たときに、「これは脚本と監督が同じかまたは脚本にかなり監督の指示が入っているな」と直感した。案の定、監督も脚本もトニー・ギルロイだと知ったのは後からだが、さすがは「ボーン・アイデンティティ」シリーズの脚本家だけあって、素晴らしい。映画ファンが喜ぶこの構成にはわくわくものだが、残念ながら途中で緊張感が途切れて、わたしは2箇所ほどついうとうとしてしまった。なぜ最後までこのピリッとした演出が続かないのか、残念だ。物語の構造じたいにそれほど複雑なものがなく、無理やりに回想シーンへと飛ばして時間軸を複雑に見せたのはいいけれど、回想場面が「現在」に戻ったときにパズルがピタっとはまらなかったようだ。この点について「映画瓦版」の服部弘一郎氏がうまく解説していたので思わず膝を打った。

http://www.eiga-kawaraban.com/08/08011001.html

 さて、物語は…。
 全米でも超一流のファーム(法律事務所)に勤めるもみ消し専門の弁護士がマイケル・クレイトン(ジョージ・クルーニー)だ。彼は法廷に立つことのない「裏仕事専門」屋である。その腕は確かだが、裏稼業であることは間違いない。妻とは離婚し、小学生の息子にときどき会える程度。サイドビジネスとしてレストランを開業する夢を実現したのはいいけれど失敗し、借金に追われる彼は、高級車を乗り回しているがそれは実は事務所のリース車である。

 高給取りの弁護士のはずが借金まみれの惨めな生活、ということろにクレイトンの悲哀がある。その悲哀をますます渋みが増したジョージ・クルーニーが好演している。その好演を上回る演技でアカデミー賞を受賞したのがティルダ・スウィントン。彼女は農薬会社の法務部長というエリート弁護士役を演じる。いかにも神経質そうなキャリア・ウーマンの雰囲気をそのものズバリに演じた。演技力もさることながら、元々のキャラクターがそのような雰囲気を持っているのであろう。

 ストーリーは農薬被害をもみ消そうとする大会社の陰謀と、それに加担していた弁護士たちの暗躍と翻意と混乱とを描く社会派ものだが、謎に満ちたサスペンスものでもないため、緊張感にいまいち欠けてしまう。本作は謎解きを面白がるような映画ではないのだ。役者たちの演技力と渋い演出でジワジワと観客を引き込んでいく通好みの作品。登場人物たちのリアルな疲れ具合といい、正義の味方なのか金の亡者なのかよくわからない主役クレイトンの魅力といい、大人向きの作品である。

 娯楽作には違いないがかといって大ヒットを期待できるような出来映えでもない。なんだか中途半端な評価だけれど、わたしは楽しんだ。最後の意趣返しもよかったしね。渋好みの映画ファン向けの映画なのでそのつもりでどうぞ。

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MICHAEL CLAYTON
アメリカ、2007年、上映時間 120分
監督・脚本: トニー・ギルロイ、製作: シドニー・ポラックほか、製作総指揮: スティーヴン・ソダーバーグ、ジョージ・クルーニー、アンソニー・ミンゲラ、音楽: ジェームズ・ニュートン・ハワード
出演: ジョージ・クルーニー、トム・ウィルキンソン、ティルダ・スウィントン、シドニー・ポラック、マイケル・オキーフ、デニス・オヘア、ジュリー・ホワイト、オースティン・ウィリアムズ

ジョルジュ・バタイユ ママン

2008年04月22日 | 映画レビュー
 なにこれ? バタイユにこんな小説あったっけ? 読んだのに忘れている?(・_・)

 わたくし的には全然ダメ。

 美しい息子を持った母は金持ちの未亡人となり、二人は怪しい関係に落ちていきそうに。というようなめったやたらと背徳の物語のはずだけれど、ちっとも美しくないので、色気を感じない。イザベル・ユペールのアップは見苦しく、若いルイ・ガレル君のアップにしたところでわたしの好みではないので美しいとも思えず。

 この映画がバタイユの思想を伝えきれているのかどうかはなはだ疑問だ。バタイユの思想自体がつかみどころのないものであるが(単にわたしの理解力が届かないだけかも(^_^;))、この映画はその「よくわからない」部分だけをつまみ食いした。

 そして、たとえ母親と息子と母親の同性愛の恋人という複雑怪奇な3P場面があったとしても、刺激的な場面という意味では印象に残っても、そこに陶酔やエロスを感じることができない。

 まあ、好みの違いかもしれないけれど、こういうのはわたしにはダメです。レンタルDVD(もちろんR-18)。

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MA MERE
フランス、2004年、上映時間 110分
監督・脚本: クリストフ・オノレ、製作: パウロ・ブランコ、ベルナール=アンリ・レヴィ、原作: ジョルジュ・バタイユ 『わが母』
出演: イザベル・ユペール、ルイ・ガレル、エマ・ドゥ・コーヌ、ジョアンナ・プレイス

突然炎のごとく

2008年04月20日 | 映画レビュー
 物語がいったいどこへ転がるのか全然予想ができない、次にどんなシーンを繋ぐのか、観客の予想を許さない革新的映画。これを見た当時の人はびっくりしただろうなぁ。 

 時代は1912年、アール・ヌーヴォーの服装もおしゃれなジャンヌ・モローが魅力的だ。わたしは老けてからのジャンヌ・モローしか知らないから、この映画での彼女がとても新鮮に見える。

 奔放なジャンヌの雰囲気が、嘘みたいな三角(いや、四角五角)関係の奔放な愛も「まあ、ひょっとしたらこういうのもありかもしれない」と思わせる。とにかくカメラが自在。若さ溢れる演出を堪能したけれど、雰囲気を楽しめてもストーリーそのものには全然入っていけない。国境を越える友情と愛は第一次世界大戦を挿んでも続く。戦争すらがまるで恋愛を盛り上げるための道具にすぎないかのようだ。

 束縛を嫌う自由な愛に生きる女、といっても所詮は自分だけの自由を追求しているのだ。カトリーヌは自分が束縛されることは厭うが他者は束縛したがる、我が儘な女だ。そんなカトリーヌを愛する夫ジュールも妙だが、三角関係をすんなり受け入れるジムも変。しかしこのお話は、「こんな変なことってあり?」などと言い出したらもうどうしようもないことで、案外昔のほうが「自由恋愛」などというものが流行の最先端をいっていたんだろう、その時代のもっとも進んだカップルのお話だとして受け入れて驚いてため息をつくべきものかも。

 場面ごとの跳躍ぶりは面白かったけれど、映画全体としては惹かれるものがない。わたしの感性が古びてきたせいだろうか?(レンタルDVD)

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JULES ET JIM
フランス、1961年、上映時間 107分
監督: フランソワ・トリュフォー、原作: アンリ=ピエール・ロシェ、脚本: フランソワ・トリュフォー、ジャン・グリュオー、音楽: ジョルジュ・ドルリュー
出演: ジャンヌ・モロー、オスカー・ウェルナー、アンリ・セール、マリー・デュボワ、サビーヌ・オードパン

大誘拐 RAINBOW KIDS

2008年04月18日 | 映画レビュー
 舞台が和歌山、というのがいい。日本のチベット、和歌山。紀州の山奥を舞台に繰り広げられる珍誘拐劇には胸がすくやら笑うやら切ないやら。いやぁ、これ、とってもいいです。

 和歌山一の大富豪である柳川とし子82歳が身代金目的で若者3人に誘拐された。しかし、柳川刀自(おばあちゃんの敬称)は、自分の身代金が5000万円であることを知って激高し、「100億円を要求しなさい! びた一文まけられません!」と犯人達を威圧する。果たして、若造3人はこのおばあちゃんにいいように手玉にとられることに。いったい、誘拐事件は犯人たちの犯行なのか柳川刀自の犯行なのかさっぱりわからないことになってしまい……

 という、コメディ。今から15年以上前に製作されているから、緒方拳も若いし、竜雷太なんて懐かしかったわぁ。竜さんとはNHKドラマ「和っ子の金メダル」の打ち上げパーティで会っただけだが、そのときのイメージそのままで登場(当たり前、あの打ち上げをやったのは90年春だった)したので、実に懐かしかった。風間トオルもイケメンの甘いマスクです。最近見かけないけど、どこでどうしているのかしら? あ、失礼しました、テレビでご活躍のようです。今は亡き景山民夫もゲスト出演している。とにかくなんだか懐かしい映画だ。 

 まぁ、そういう、作品の出来とは関係ない個人的な懐かしさは措いとくとしても、この映画はたいへん面白い。まさに「巻き込まれ型」犯罪の被害者になったにもかかわらず、そこを逆手にとって若造を手玉にとる刀自の迫力はすさまじい。82歳まで生きれば怖いものなしなのか、柳川刀自の肝の据わりっぷりには感嘆する。しかも彼女は自分が培ってきた地域のコネクションを最大限に利用するところがエライ。これは舞台が日本のチベット紀州の山奥であるからこそ成立するゲマインシャフト(共同体)の有効活用の図である。ちなみにわたしの父の実家もこのあたりなので、地名には見覚え聞き覚えのあるところがたくさんあり、たいそう懐かしい。

 警察の捜索劇もなかなかのお手並みであり、さらにその上をいく柳川刀自の賢さと機転には脱帽ものだし、手玉にとられた若者たちの初(うぶ)さも可愛い。刀自に忠誠を尽くす元使用人役樹木希林の可笑しさ巧さはもちろん爆笑もの。財産狙いで汲々とするかと思った刀自の子どもたちも意外と母親思いであり、とにかく本作にはまったく悪人が登場しない。マスコミを利用した劇場型犯罪というのもなかなか新しい(今では新しくない)し、しかもそれを82歳のおばあちゃんがやってのけるところがお見事でした。

 して、最後に柳川刀自の本音が聞けるところでほろり。この映画は、巻頭が8月15日である。そう、敗戦記念日でかつお盆の最中。柳川刀自は戦争で年若くして亡くした3人の子ども達の位牌に向かって拝んでいる。このシーンが巻頭に措かれたことの意味を最後に観客は知る。単なる痛快犯罪劇ではなかったのだ。「お国とは何なのか。子どもたちの命を奪い、わたしの財産まで奪うお国とは何なのか」。刀自のつぶやきは重い。

 北林谷栄はもちろん熱演好演怪演、最高です。この作品でこの年の日本アカデミー賞主演女優賞受賞。あ、まだ生きています! もう97歳!

 愉快痛快、大笑い。しかも最後に、年老いた母親の反国家の思いを知ってほろりと来る秀作。



 ところでこのDVDジャケット、向かって左側が緒方拳、右が北林谷栄ですが、合体させるとなぜか竜雷太に見えません? え、見えない? わたしだけ?(^_^;)

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日本、1991年、上映時間 120分
監督・脚本: 岡本喜八、製作: 岡本よね子ほか、原作: 天藤真、音楽: 佐藤勝
ナレーター: 寺田農
出演: 北林谷栄、風間トオル、内田勝康、西川弘志、緒形拳、神山繁、水野久美、岸部一徳、田村奈巳、天本英世、本田博太郎、竜雷太、嶋田久作、常田富士男、橋本功、樹木希林、山藤章二、景山民夫

タイヨウのうた

2008年04月16日 | 映画レビュー
 わたしの友人の姪御さんがXP(色素性乾皮症)の患者で、ぜひこの映画を見て欲しいとだいぶ前に言われていたのでずっと気になっていた。このたびようやく見ることができたが、正直言って最初は「またお涙頂戴の難病ものか」とうんざりする気持ちがあったのだ。もちろん患者や家族の苦しみを思えば「うんざり」などというのは不謹慎極まりないのだが、映画の作り方としてはあまりにも安易だと思える。だが、この映画は「お涙頂戴」ものではなかった。悲しい話なのに後味が爽やかだ。

 16歳の少女薫はXPという難病のために学校へ行けず、昼は寝て夜に外を出歩き、ストリート・ライブでギターの弾き語りを続ける生活をしていた。彼女は太陽光線に当たると死ぬという病気に罹って幼い頃から外へ出て行けないのだった。たとえ太陽に当たらなくてもいつかは神経症状が出て死んでしまうというXP患者の薫は大人になるまで生きられないと医者に宣告されていた。そんな彼女が毎日窓から外を眺めているうちに、サーフボードに夢中になっている男子高校生に恋をした…。

 本作のテイストは爽やかな青春もの。当たり前に恋をしてつきあえるはずの少年少女が、病気ゆえに壁にぶちあたる。だが、少年は少女のために必死にバイトをして、彼女のCDを自主制作してやろうとし、精一杯の誠意をみせる。

 少女は少年に恋をし、全力でぶつかって告白し、けれどやっぱり自分の身の上を思って少年から離れて行こうとし、だけど少年の誠実な愛によって固くなった心をほぐし……。と、薫の気持ちはお気軽にころころと動くように思えるが、歌という生き甲斐と、少年の愛情を支えに全力で生きようとする姿勢が共感を生む。

 XP患者家族の会のHPによれば、この映画で描かれたXPの症状は実際とは異なる点があるらしいし、映画では病状についてほとんど説明しないので、病気に対する理解という点では不満が残るだろう。けれど、くどくどしく病状を描かなかったことが「きれい事」のようでもありまた逆にお涙頂戴に堕さなかったよさでもある。

 薫の死が決して涙で受けとめられるだけのものでないのは、彼女が歌を遺したからだ。創造する者は幸せだ。歌という才能を持った薫は死んでも人々に歌を残し、幸せを送り届けることができる。なんの才能もなくただひっそりと死んでいくだけがふつうの、ほとんどの人の人生だというのに、若くして死ななければならなかった薫は才能に恵まれた幸せな人生だったのではないか? と、才能のない人間は軽い嫉妬とともにそう感じてしまうが、薫は「ただふつうに生きたいだけなのに」と呟く。昼間の太陽に当たることもできず、学校にも行けず、大人になる前に命を落とす人生ならば、すべての才能と引き替えてもふつうのありきたりの人生を送りたいと願うだろう。

 人の幸せってなんなのだろう、と考えてしまった。(レンタルDVD)

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日本、2006年、上映時間 119分
監督: 小泉徳宏、製作: 久松猛朗ほか、製作総指揮: 迫本淳一、脚本: 坂東賢治、音楽: YUI、椎名KAY太
出演: YUI、塚本高史、麻木久仁子、岸谷五朗、通山愛里、田中聡元

ストンプ・ザ・ヤード

2008年04月14日 | 映画レビュー
 続いてダンス映画。

 わたしの好きなジャンルなので、これまた期待してしまった。予告編を見たときには血湧き肉躍り、「これは!」と思ったのに、実は全然しょうもない映画でした。ストーリーは単純すぎて馬鹿馬鹿しく、ついつい早回しの連続。ダンスシーンだけを見ようと思っていたけれど、この「ストンプ」というダンスがいまいち魅力的に見えない。とはいえ、やはり最後のダンス大会のシーンはかなり見応えがあった。

 ストンプというダンスが魅力的に感じられるかどうかでかなり本作への評価が変わると思うが、わたしはその練習風景などが海兵隊の訓練風景とだぶって見えて気色悪かった。集団で足を踏みならしリーダーの合図で唱和していくというそのスタイルが、上意下達の組織力を誇示するファシズム臭ぷんぷんで馴染めない。この映画に黒人しか登場しないというのはどういう意味があるのだろう。ストンプというのは黒人(だけ)のダンスなのか? ここにはなんらかの「抵抗」とか「自立」とか「自己主張」といったものが盛り込まれているのだろうか。

 アフリカ系アメリカ人の矜持を象徴するダンスなのだろうか? 

 こういう映画を理解するためにはダンスシーンの歴史や社会的思想的意味を予習しておかないといけないということを痛感させられた。つくづく勉強不足を後悔いたしましたです、はい。しかし勉強したからといってストンプというダンスを好きになれるかどうかはまた別問題。これは趣味の領域ですから。(レンタルDVD)

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STOMP THE YARD
アメリカ、2006年、上映時間 114分
監督: シルヴァン・ホワイト、製作: ウィル・パッカー、製作総指揮: ロブ・ハーディ、脚本: ロバート・アデテュイ、振付: デイヴ・スコット、音楽: サム・レッツァー、ティム・ボランド
出演: コロンバス・ショート、ミーガン・グッド、Ne-Yo、ダリン・ヘンソン、ブライアン・J・ホワイト、ラズ・アロンソ

愛されるために、ここにいる

2008年04月13日 | 映画レビュー
 もうすぐ51歳になるという主人公ジャン=クロードを演じたパトリック・シェネが老けていて、50歳よりずっと上に見えるのだが、じっさい彼はこの映画に出演していたとき58歳だったそうだ。

 バツイチの独り身で行政執行官という仕事に疲れた男が、老人ホームにいる頑固で我が儘な父親の扱いにも疲れている様子が痛々しい。。だから彼が運動不足解消のために始めたタンゴダンス教室で出会った若い女性に仄かな想いを寄せ、おずおずと惹かれあう姿がとても好ましかった。

 ものすごく静かで大きな山場もなく淡々とすぎていく時間の流れには退屈さすら感じてしまうけれど、シャイな男の気持ちが手に取るように伝わって、中年過ぎの恋とはこのようなためらいとともにあるのだろうなと思わせる。

 ダンス教室で踊る不器用な男の姿はまるで「Shall Weダンス?」ではないか。でも踊っているタンゴがあまりにもスローで、「レッスン!」のエロティックでスピード感溢れるタンゴとなんという違い! 同じタンゴ映画なのに踊りのレベルがかなり異なる。

 中年の恋というテーマに加えて、老父と息子、そのまた息子という三代に亘る葛藤が大きなテーマになっていて、最近のフランス映画でもこういうのが大きなテーマたりえるのだな、と興味深い。最近のアメリカ映画には父子の葛藤と和解を描くものが増えてきたような気がするが、フランス映画でもそうなのだろうか。

 とっても地味な映画だけれど、静かな味わいと余韻を楽しみたい方にはお奨めします。まあ、若い人には無理かも。(レンタルDVD)

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JE NE SUIS PAS LA POUR ETRE AIME
フランス、2005年、上映時間 93分
監督: ステファン・ブリゼ、製作: ミレーナ・ポワロ、ジル・サクト、脚本: ステファン・ブリゼ、ジュリエット・サレ、音楽: エドゥアルド・マカロフ、クリストフ・H・ミュラー
出演: パトリック・シェネ、アン・コンシニュイ、ジョルジュ・ウィルソン、リオネル・アブランスキー、シリル・クートン

サルバドールの朝

2008年04月12日 | 映画レビュー
フランコ独裁政権末期の1974年に処刑された25歳のアナキスト、「イベリア解放闘争」の闘士サルバドール・ブッチ・アンティックの物語。

 これまた期待が過ぎたせいか、この映画はよろしくない。サルバドールが警官を殺す事件までの説明が1時間。これがあまりにも冗長で説明口調が過ぎて退屈してしまう。おまけに反体制運動といってもやってることは銀行強盗ばかり。強盗と銃撃戦のドンパチが続くと、ヤクザ映画とどこがちがうねん、という気持ちになってくる。サルバドールが死刑判決を受けてから巻末までの40分以上はさすがにきりっと締まってきて画面に引き寄せられたけれど、それにしてもやっぱり<最期の12時間>の描写が長い。情感に流れて緊迫感に欠けるから長さが苦痛になってくる。

 見所は最後の処刑のシーンだけかも。信じがたいほどの残虐な方法での死刑には思わず目を背けてしまう。が、処刑の方法についてはもしこの通りなのだとしたら今の日本よりよほど情報開示が進んでいるといえよう。日本では死刑囚の処刑情報が事前に漏れることはなく、家族にも被害者の遺族にも知らされないし、当の死刑囚にも処刑の直前まで処刑日時は知らされることはない。

 この映画で見られるような処刑の方法といい、捜査のいいかげんさといい、死刑反対論の盛り上げには貢献すると思うが、いっぽうで、サルバドールが警官を殺したことは事実に違いなく、決して「冤罪」というわけでもない。本作はサルバドールたちの思想の掘り下げにはまったく熱心ではなく、ただ事実を劇画的に追うだけであり、後半に至ってはお涙頂戴に流れてしまっている。しかも泣けない。看守との心の触れあいという設定だけは心を動かされたが、これによって感動させられるのは看守を惹きつけるサルバドールの魅力よりもむしろサルバドールに同情する看守の優しさのほうだ。これではいかんのではなかろうか。主役にもっと魅力がないと。

 カタロニア地方の「特殊性」は日本人観客には馴染みが薄いと思われ、わかりにくいと思う人も多そうだ。やはり、いくらドラマ性に焦点を当てたとはいえ、もう少し政治的な主義主張やフランコ政権の罪悪など、歴史背景を説明しないと(しかも説明口調でなく)、社会派映画としては成功しない。(レンタルDVD)

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SALVADOR
スペイン/イギリス、2006年、上映時間 135分
監督: マヌエル・ウエルガ、製作: ハウメ・ロウレス、原作: フランセスク・エスクリバノ、脚本: ユイス・アルカラーソ、音楽: ルイス・リャック
出演: ダニエル・ブリュール、トリスタン・ウヨア、レオナルド・スバラグリア、ホエル・ホアン

エレクション ~黒社会~

2008年04月12日 | 映画レビュー
 今回は銃抜きのバイオレンス映画。銃がなければないでかえって暴力が原始的身体的になるから痛さは倍増。それに、よく思いつくよなぁと思うような方法で相手を痛めつけるからすごいです。香港のヤクザの世界を描いているけど、やっぱり警察もヤクザを適当に泳がせ野放しにする輩であります。

 「エレクション」って、「選挙」。ヤクザの世界も民主的に選挙するとは知らなかった。これは驚きの制度だけれど、本当にあるのだろうか。100年以上続く伝統らしくて、ヤクザの組織「和連勝会」では2年ごとに会長選挙を実施している。次期会長最有力候補のロクを蹴落とさんとする武闘派ディーは、露骨な買収策に出るが、失敗。選挙で選ばれた新会長ロクは、会長としての権威付けの徴である「なんとか棍」を入手しないと会長に就任できない。ヤクザの世界にも三種の神器があったとは驚きだ。そしてロクとディーの「棍」争奪戦が始まる。

 ディーがヤクザ仲間をリンチにかける場面で使うあっと驚くような方法を見て、モーパッサンの『女の一生』を思い出したりするのはわたしだけでしょうか。

 明朝の生き残りの少林寺僧たちの秘密結社の話とかがとても面白くて(これ、実話?)、和連勝会の会長就任儀式も面白くて、ヤクザの世界の伝統や格式というものを知って勉強になりました。権威というのはどこの世界でも儀式を必要とするものであるのだな。

 映像がおしゃれで、室内の逆光なんてすごく雰囲気が出ていてよかった。倦怠感の漂う悪人たちの会合場面をいかにも物憂げにそして遠い世界のように撮る。

 結局、選挙という民主的手続きを経た結果には従わなくてはならないという教訓ですね。これってまともな選挙をしていない中国共産党への批判なんだろうか……。

 本作には続編があるらしい。困った、こんな映画あんまり好きじゃないのに、でも見てしまうんだろうなぁ~。(レンタルDVD)(R-15)


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ELECTION
香港、2005年、上映時間 101分
製作・監督: ジョニー・トー、製作: デニス・ロー、脚本: ヤウ・ナイホイ、イップ・ティンシン、撮影監督: チェン・チュウキョン、音楽: ルオ・ダー
出演: サイモン・ヤム、レオン・カーフェイ、ルイス・クー、ニック・チョン、チョン・シウファイ

ミス・ポター

2008年04月11日 | 映画レビュー
「ピーターラビット」の作者、ビアトリクス・ポターの伝記。

 物語が1902年から始まるというところがミソだろう。つまり、前年にビクトリア女王が亡くなり、ビクトリア朝時代は終わったのだ。女性を抑圧したビクトリア朝時代の倫理観がやがて新しく女性解放の波によって押し流されていく、まさにそのときにミス・ポターは自らの絵本を出版することに成功する。

 とはいえ、ポターが育ったのは紛れもなくビクトリア朝時代であり、未婚の男女が二人きりになることなど許されるはずもなかった。1902年、ビアトリクスは36歳になろうとしているのに独身であった。今でも35歳独身子なし女は「負け犬」と言われてしまうのに、その当時はいったいどのようなものだったのだろう? 36歳にもなろうとする「お嬢様」の後をばあやが付いて歩くというのも信じがたい光景だし、そんな娘の結婚に両親が難癖つけて反対するというのも信じがたい。とにかく今の尺度では一切が信じがたいこの時代のイギリス良家の子女の暮らしぶりが興味深い。

 ビアトリクス・ポターが苦労の末にやっと自分の絵本の出版にこぎつけたという描写はなく、いきなり「じゃあ、出版しましょう」という契約成立の場面から始まるために、彼女の苦労がまったく伝わってこない。そのうえ、「10冊も売れないよ」などと悪口を叩いていた出版社主の言葉と裏腹に彼女の絵本は爆発的ヒットとなるわけだが、その理由はいったいなんなのか、文学史的な解説となる台詞の一つもないために、これまた理解できない。

 ミス・ポターは彼女の絵本の編集担当者と恋に落ちるが、大人二人の恋がまたこの時代らしく慎ましい。ほんとに良家の子女って大変です。

 ポターはこの時代には珍しく自立心旺盛な女性であり、自分の稼いだ金で農地を買ってはその保全に務めた。今で言うナショナル・トラスト運動の草分け的存在である。もう少し彼女の環境保全運動家ぶりに焦点を当てても面白かったのだが、この映画はすべての描写が表面をなぞっていくだけなので、彼女の自立心も田舎にかける情熱もなにを源泉にしているのかわかりにくい。それでもわたしは伝記映画が好きなので退屈はしなかったが、90分ぐらいにまとめてしまったのが間違いで、もう少し丁寧にじっくり描いてもよかったんじゃなかろうか?

 レニー・ゼルウィガーの<おばさんお嬢様>ぶりがなかなか微笑ましい。まあ、評価すべきはそれぐらいかな。あ、それからイギリスの田園風景が素晴らしい。死ぬまでに一度は行ってみたいけど、たぶんそれは実現しないことだろうな…。

 ピーター・ラビットを自由に動き回れるアニメにしたところはいいアイデアでした。CGアニメと実写の合成に違和感がなかったのはいい。(レンタルDVD)

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MISS POTTER
イギリス/アメリカ、2006年、上映時間 93分
監督: クリス・ヌーナン、製作: マイク・メダヴォイほか、製作総指揮: レニー・ゼルウィガーほか、脚本: リチャード・マルトビー・Jr、音楽: ナイジェル・ウェストレイク
出演: レニー・ゼルウィガー、ユアン・マクレガー、エミリー・ワトソン、ビル・パターソン、バーバラ・フリン、マッティエロック・ギブス、ロイド・オーウェン

ルトガー・ハウアー/危険な愛

2008年04月08日 | 映画レビュー
 ヴァーホーヴェンのミューズといわれたモニク・ヴァン・デ・ヴェンはとっても愛らしい。惜しげもなく裸体を曝して大熱演。

 最近では少なくなった、ボカシの入った画面には苦笑。劇場未公開だから映倫指定は不明だけれど、当然にもR-15かひょっとしてR-18になるかも。←R-18でした。

 インモラルな若者たちが無軌道に繰り広げるセックスとバイオレンスの世界。と思いきや、実はとても切ない純愛物語。巻頭いきなり凄惨な殺人の場面から始まり、画面が切り替わると廃墟のように荒れた部屋のベッドに下半身をむき出して横たわる若者の姿が映る。彼は壁に貼った女性のヌード写真に向かって自慰行為にふけると、次の場面ではその彼が次々と女をたらしこむ。このあたりはスピード感をもって観客をぐいぐいと引き込んでいく。そして衝撃的な巻頭のシーンから突如2年前の回想シーンへと転回する。この映画もまるでヌーヴェル・バーグ作品のように場面展開が急激で、話がぽんぽん飛び、登場人物たちはコロコロと心理が変転する。だが、違和感なくひきつけられていくのは、その後のヴァーホーヴェン作品の原点といえる露悪趣味的なセックスと排泄物の描写がエグイながらもどういうわけか観客の目を釘付けにしてしまう力を持つからだろう。釘付け、と言いながら実はわたしは何度も目をふさいでしまったけど。

 主人公ルトガー・ハウアーはヒッピーな芸術家で、その妻となる若い女はモニク・ヴァン・デ・ヴェン。二人とも若さ溢れるパワフルな演技をみせている。親の世代や権威的な「世間」(「世間」という概念は日本語にしかないそうなので「」付き)に逆らって気ままに生きる二人だけれど、生活に疲れて仲はぎくしゃくし…。後先考えない青春の疾走ぶりが見事で、ヴァーホーヴェンの演出も過度に下品でエロティックかと思えば耽美的で重厚な画面作りに凝ってみたり、モニクに大口開けてダミ声で笑わせるかと思うと愛らしく微笑ませたり、緩急自在の演出に見ているほうが翻弄される思いだ。

 撮影監督はヤン・デ・ボン。鏡を使ったモニカの裸体シーンは狙いに狙ったという美しい場面だった。

 セックス、バイオレンス、スカトロ、セックス、セックス、という映画かと思いきや、終わってみれば最後は切ない。エロスは常に死と隣り合わせにあるというヴァーホーヴェンの哲学が現れている。

 正直言ってこういう映画は好きではない。それなのに惹かれるものがあるのは、結局のところ究極の純愛ものだからだろう。(レンタルDVD)

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TURKS FRUIT
オランダ、1973年、上映時間 100分
監督: ポール・ヴァーホーヴェン、製作: ロブ・ホウワー、脚本: ジェラルド・ソエトマン、撮影: ヤン・デ・ボン、音楽: ロジェ・ヴァン・オテルロー
出演: ルトガー・ハウアー、モニク・ヴァン・デ・ヴェン、トニー・ハーデマン、ドルフ・デ・ヴリーズ

楽日

2008年04月07日 | 映画レビュー
 巻頭40分間台詞なし! そのあとも結局最後までほとんど台詞がなく、こうなるともうどんな観客を狙って作っているのか一目瞭然というコアな映画。

 今夜で閉館する古い映画館を舞台に、劇中劇というか映画内映画として古い台湾時代劇を上映し、そこに映画館の寂しい姿を重ねる。なにしろ台詞がないのだから、舞台となっているのが今日で閉館する映画館であるということすら最後になるまでわからないし、上映されている時代劇が「血闘竜門の宿」であることも後で公式サイトを調べて知った。でもその映画のことは知らないから、なんの思い入れも感じない。ただ、昔懐かしい映画館の雰囲気がとてもよく出ていると感心しながら見ていたのだ。それもそのはず、ここに登場する「福和大戯院」は実際に閉館した映画館であり、監督のツァイ・ミンリャンが閉館の噂を聞いて半年間借り上げて撮影したのだという。


 いかにも場末のさびれた映画館という雰囲気は廊下の壁のすすけ方や男子便所の便器の汚れや劇場入り口のガタのきたシャッターなど、ここかしこに溢れている。この1年あまりの間にわたしが中学高校生のころなじみだったミナミの映画館がつぎつぎ閉館していったことを寂しく眺めていたが、その気持ちを思い起こさせる哀感に満ち満ちた映画だ。

 多くの場面で固定カメラの長回しを多用し、それでなくても寂しげな劇場内をいっそう侘しく映し出す。外は土砂降りの雨、まばらな観客の中には若者がいてその側に男がぴたっと座りに来るとか、怪しげな女性客が座っていたりとか、一昔前の痴漢(男性専科痴漢も)頻出の劇場の雰囲気。そんな彼らも帰ってしまって最後に場内に座っているのは、上映される時代劇をじっと見つめる老人と中高年の男性客二人。あ、そうそう、老人の孫とおぼしき幼い子どもも。その一人の男は目に涙を浮かべているではないか。

 映画館の長い廊下を映す奥行きのある場面では、画面の一番奥に小さく開いた窓に土砂降りの雨が見え、人気のない廊下を一匹の黒猫が音もなく通り過ぎ、モギリの足の不自由な若い女はじっと佇み…という、ほとんど狙いすぎというくらいに狙った絵だ。上映されていた映画が終了し、場内が明るくなるとカメラは空っぽになった座席を延々と映す。いったい何を狙ったのかよくわからないけれど(いや、今日で閉館する映画館の寂しさを最大限に描写したんだろうけど)、異様な長回しには面食らってしまった。スクリーン側から座席を見るというカメラアングルは新鮮さを狙ったのかもしれないけれど、そんなことはちっとも感じなかった。むしろ、何か特別なものが見えるのじゃないかと目をこらして疲れた(^^;)。

 というわけで、とにかく古い映画ファン、それもひなびた映画館に通い詰めたような映画ファンにしか受けないような作品です。なかなか面白かった。(レンタルDVD)

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不散
台湾、2003年、上映時間 82分
監督: ツァイ・ミンリャン、製作: リァン・ホンチー、脚本: ツァイ・ミンリャン、撮影: リャオ・ペンロン
出演: チェン・シャンチー、リー・カンション、三田村恭伸、ミャオ・ティエン

魔法にかけられて

2008年04月06日 | 映画レビュー
 これは楽しい! 導入部はディズニーの伝統的な2次元セルアニメ。おとぎの国の王子様と結婚する森の娘はジゼル。意地悪な継母女王は二人の結婚を邪魔しようとして…。と思いきや、アニメのプリンスとプリンセスはなぜか現代のニューヨークに突然実写の人物として登場する。このあたり、奇想天外でよろしい。

 ディズニーも自分たちの映画をコケにして笑いものにするだけの余裕ができたということなのか、本作はディズニーがまき散らしてきたお姫様幻想をものの見事に嗤い飛ばしている。ゴキブリの大乱舞には参った。わたしの一番きらいなゴキブリが大軍勢で現れると思わず目をつぶってしまった。このお姫様ジゼルはゴキブリもネズミもものかは、美しい歌声とともにこのきったない連中を見事に差配してしまう。やっぱりおとぎの国のお姫さまには違いないわ、かなりパワーがありますが。

 ジゼルを追って同じくNYにやってきた王子様がまたまた時代錯誤の大仰な身振り手振りで見得を切るところもまた面白い。ただ、この映画の爆笑ギャグシーンは予告編で見せすぎましたな。いざ本編を見るときに新鮮みがなくなってしまった。

 偶然ジゼルを拾った弁護士がパトリック。離婚専門弁護士で、自らも離婚経験者。娘をひきとって育てている。で、パトリックには婚約者がいて、でもジゼルが気になる存在になってきて…と、予定調和のお話が予定通りに進むのはちょっといかんかも。しかし、最後に予定調和が追加されていて、これを「予定どおり」と見るか、「ついでのサービス」と見るかは人それぞれ。

 弁護士役のロバート・フィリップが、ショーン・ペンにちょっと似ているけどあんなに苦み走ってなくて甘くて優しそうでいい感じ。
 

 ま、お子様も安心の楽しい映画です。しょせんはそんなものと思って気軽に見るように。仕事に煮詰まっているときとかにストレス発散にいいかも。何しろ頭はぜんぜん使いませんから。音楽もなかなか美しくて親しみやすいメロディ、いいです。

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ENCHANTED
アメリカ、2007年、上映時間 108分
監督: ケヴィン・リマ、製作: バリー・ソネンフェルド、バリー・ジョセフソン、製作総指揮: クリス・チェイスほか、脚本: ビル・ケリー、音楽: アラン・メンケン
出演: エイミー・アダムス、パトリック・デンプシー、スーザン・サランドン、ジェームズ・マースデン、レイチェル・カヴィ、ティモシー・スポール

男と女

2008年04月06日 | 映画レビュー
 素晴らしい! 完璧な恋愛映画。これほど完璧に<恋愛>しか描いていない映画がかつてあっただろうか? ほとんどセリフもなく、映像と音楽だけで魅せる、雰囲気そのものが映画でなければ味わえない恋愛映画の傑作だ。これほどの作品を見ていなかったとはかえすがえすも不覚であった。40年前から世の中にこんな映画があったんだから、「男と女」以後の恋愛映画は<恋愛映画>ではありません。そこに何かを加えなければもうこの映画を乗り越えることは不可能だったろう。わたしがこれまで見てきたいろんな恋愛映画の原点にして最高におしゃれな映画がここにあったのね。ストーリーは至って単純、セリフも少ない。主役二人の美しさ、とりわけアヌーク・エーメの美貌で持っているようなもんであり、クロード・ルルーシュの若さが弾けた希有な作品だ。これは29歳のルルーシュ、34歳のフランシス・レイ、34歳のアヌーク・エーメという3者が出会った奇跡のような作品。



 ちょっと興奮して誉めすぎたかもしれない。一息つきます。

 



 一息ついたのでレビューの続きを。



 お互いに配偶者を喪った中年二人が偶然出会う。こども達を同じ寄宿舎に預けていたのだ。出会った途端に互いが気になる存在になった二人だけれど、過去の虜囚となっているアンヌは素直に新しい恋に身を預けることができない。このあたりのもどかしさや、恋にときめく瞳のからまりあいはいかにも恋愛映画の王道をいく演技と演出。ルルーシュは確たる脚本を用意せず、リハーサルもせずにこの作品を撮ったという。即興的で淡い色彩の画面(実はモノクロだったりする)が枯れて落ち着いた雰囲気を見せるかと思うと、鮮やかなカラー画面ではアンヌの回想の中で今は亡き夫との明るく幸せな抱擁が流れる。

 29歳のルルーシュは破産寸前であり、予算がなかったために本作はさまざまな制約をうけねばならなかった。モノクロとカラーの画面を交互に見せる手法が斬新でなかなか面白いと思ったのが、これが実は金がなくてオールカラーにできなかっただけのこととか。浜辺を歩く人物をロングで撮った場面もなかなか雰囲気がいいと思っていたら、これまたカメラがものすごい騒音を出すのでやむなく音が入らないようにカメラと役者を遠ざけたのだという。禍転じて福となす。この映画のスタイルが金のなさから生まれた棚からぼた餅式のものであっても、ルルーシュの確かなセンスのよさがこんなおしゃれな映画に仕上げたのだろう。


 男が世界的に有名なレーサーというのも、スポーツカーをうまく演出に使えるいい設定だ。恋する女に会うために雨の深夜を不眠不休で車を飛ばすジャン・ルイ。そのはやる心が車の疾走とともによく描けている。そこにかぶさるフランシス・レイの音楽。あの、あまりにも有名な「シャバダバダ・ダバダバダ」! せわしなくカットバックを繰り返す演出も、離ればなれの恋人達の距離を表し、そのカットバックがだんだん一つに溶けていくのが二人の心の高まりを象徴している。

 アンヌとジャン・ルイが抱擁する場面でカメラがぐるぐる回るのは当時とても斬新な演出だったようだが、今や全然珍しくない。でもこの場面は今見ても感動的です。

 この映画には政治も社会問題も歴史も何も描かれていない。ただ、一組の中年カップルが新しい人生へと踏み出せるかどうか、恋へとまっしぐらに走る姿と一方で恋への躊躇いを描いた、ただただ美しく切ない<単なる恋愛映画>に過ぎない。ストーリーにも何も複雑なところはないけれど、映像に音楽をかぶせて恋の切なさと醍醐味を流麗なタッチで見せる。

 こういう映画は何度見ても面白さが色あせないだろう。おそらく歳を取るほどにこの映画がもつ重さや切なさが理解できると思う。若い人には、一度見たら10年後にもう一度ご覧になることを勧めます。 

 あぁ~~、今更のようにサントラほしいっ!(レンタルDVD)

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UN HOMME ET UNE FEMME
フランス、1966年、上映時間 104分
製作・監督・脚本・撮影: クロード・ルルーシュ、脚本: ピエール・ユイッテルヘーベン、音楽: フランシス・レイ
出演: アヌーク・エーメ、ジャン=ルイ・トランティニャン、ピエール・バルー、ヴァレリー・ラグランジェ

2008年04月05日 | 映画レビュー
 「うつせみ」に比べるとかなり落ちる。これはつまらなかった。キム・ギドク監督の作品は当たりはずれが大きい。


 老人と少女が二人きりで舟の上で生活している。老人は少女が幼いときから10年間育て、少女が17歳になったら妻にするつもりでいる……という源氏物語みたいな浮世離れした話なので、「春夏秋冬そして春」のような深山幽谷の中に浮かぶ舟を想像していたのだが、そうではなく、老人は糊口をしのぐために二人で暮らす舟を釣り人たちに開放して金銭を得ている。そんな、中途半端な生活臭さを描いたために、この物語の寓話性が落ちてしまった。

 そもそも、船が浮かんでいるのは湖ではなく川でもなく広々とした大洋の上だ。そして太陽は明るく降り注ぐ。その一点の曇りもない美しさがわたしの気に入らない。なぜもっと侘びしく深閑とした海を描写しないのだろうか。まるでカリフォルニアの青い空みたいな脳天気な明るさ、これがそもそも期待と違っていたために、もうなんだか興味を削がれる。

 老人と少女は一言もセリフがない。二人は口がきけないわけではなく、お互いは耳許に口を近づけて何かしゃべっているのだが、それは観客には聞き取れない。そんな禁欲的な設定もこの映画ではうまく生きているように思えない。というのも、船に乗ってくる釣り人たちがあまりにも下世話で饒舌だからだ。ストーリーが持つ寓意とこの演出がそぐわない。

 タイトルの「弓」は、老人が娘を外敵(好色な釣り人)から守る武器であり、また楽を奏でる古楽器であり、占いのための道具でもある。この占いがまた危険極まりなく、娘の身体を的にして弓を射るというもの。ブランコに乗って揺られる娘の身体をかすめて弓が射られる。この場面はスリルに満ち、娘が老人との絶対的な信頼の上に絆を築いてきたことを実感させるものだ。

 あと2ヶ月で17歳になり老人の妻となるはずの少女の前に、一人の青年が現れる。釣り客の一人としてやって来た青年に淡い恋心を抱いた少女に老人は怒り狂う。

 ……、とこのあたりまで物語が来たときには眠くて眠くて…。途中、寝てしまいました(こればっかり)。そもそもやっぱりこの設定がわたしには気に入りませんでした。老人と少女との純粋な心の結びつき、二人の交わることのないエロスを描きたければ、もっと寓話性を高める必要があるだろう。二人きりの生活の中に闖入者としてやってくる青年ももっと美しくなければダメ。ギドク監督にしては切れを感じさせない作品だ。音楽だけはよかった。(レンタルDVD)

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製作国 韓国、2005年、上映時間 90分
製作・監督・脚本: キム・ギドク
出演: チョン・ソンファン、ハン・ヨルム、ソ・ジソク、チョン・グクァン