ピピのシネマな日々:吟遊旅人のつれづれ

歌って踊れる図書館司書の映画三昧の日々を綴ります。たまに読書日記も。2007年3月以前の映画日記はHPに掲載。

レッスン!

2007年12月08日 | 映画レビュー
 いよいよダンス映画連続レビューも第5弾、掉尾を飾るのは今年公開された、この作品です。


 これは楽しい! 予定調和のお話がこれほど楽しく見られるとはこれいかに。ちょっとダンスシーンでのスローモーションやストップモーションが気になったけど、最後は思わず知らず膝が動いてリズムをとっておりました!

 ニューヨークの下町にある公立高校の落ちこぼれ「居残り組」の生徒たちを社交ダンスで更生させようというお話。実在の世界的ダンサーの話をヒントに作られていて名前もそのままで登場するものだから、お話はきれいに作られすぎているきらいはあるが、ダンスシーンの楽しさがあれば、少々の瑕疵は許される!っていうお気楽な映画。

 どうしようもない落ちこぼれの不良生徒という設定の割にはみんなけっこういい子なのだ。うちの長男よりよっぽどよく人の言うことを聞くよ。HIPHOPしか知らない生徒達に社交ダンスを教えようっていう奇特なボランティア活動を開始したのはピエール・デュレインというフランス・スペイン系のダンサー。社交ダンス教室を開く傍ら、毎日居残り組の指導のためにせっせと学校へやって来る。ピエールがなぜ居残り組生徒たちにダンスを教えようとしたのかその動機付けはいまいち弱いんだけど、その熱意は素晴らしい。

 社交ダンスは相手に対する敬意と同時に自尊心を育むというピエールの持論はなかなかよかった。社交ダンスは男性がリードするのだが、「男がボスかよ」と言う女生徒に「いや、男性は提案するだけだ、受け入れるかどうかは女性が決める。社交ダンスは男女平等だ」とピエールが答えるのはいかにもいまふうの解釈で面白かった。フェミニズム・コードをクリアするための配慮も忘れない。

 社交ダンスなんてダサイ、音楽もイケてないと思う生徒たちの目を見張らせたものは、ピエールと彼の最優秀教え子とのタンゴだ。素晴らしくセクシーなダンスを目の前で見せつけられた生徒たちはいっぺんに社交ダンスに熱を入れるようになる。このあたりの転回点はお見事でした。社交ダンスとHIPHOPを融合させたダンスも素晴らしかったし、ちょっと疲れているときにこういう映画こそ映画館で見て楽しみたいもの。久しぶりに最後まで寝ずに見た映画でした(^^)。


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TAKE THE LEAD
アメリカ、2006年、上映時間 117分
監督: リズ・フリードランダー、製作総指揮: トビー・エメリッヒほか、脚本:ダイアン・ヒューストン、音楽: アーロン・ジグマン、スウィズ・ビーツ
出演: アントニオ・バンデラス、ロブ・ブラウン、ヤヤ・ダコスタ、アルフレ・ウッダード

オーロラ

2007年12月08日 | 映画レビュー
 ダンス映画連続レビューもいよいよ第4弾。

 「エトワール」でパリオペラ座のバレエ団を取材したニルス・タヴェルニエ監督、今度はそのバレリーナたちを使ってファンタジーを作った。大人のための童話は、踊りを禁じられた王国のオーロラ姫が主人公。

 踊ってはいけないはずの王国で、オーロラ姫は父王の目を盗んでは弟を観客にして踊っている。踊りが好きで好きでたまらないオーロラは16歳、財政破綻の王国を救うために政略結婚させられることになる。お婿候補の王子を招いて舞踏会を開くことになり、金持ち国の王子たちが自国の踊り手を引き連れて城にやって来る。この踊りがまたエキゾチックで素晴らしい。ペルシャの踊りみたいな中東ふうの踊りがいたく気に入った。次は日本風の踊り、これがなんとまあ、昔京大西部講堂で見た前衛舞踏団の踊りみたいに訳が分からない。その次の国籍不明の国の踊りもあんまりぱっとしない。

 肝心の王女はこの踊りにちっとも心を動かされない。それもそのはず、オーロラ姫は宮廷画家に恋をしてしまったのだ。この画家を演じているのがオペラ座バレエ団の「エトワール」(最高位のダンサー)の地位にあるニコラ・ル・リッシュ 。オーロラ姫の踊りは優雅だけれどどこといって目を惹くものがない。バレエ映画のはずなのにどうも踊りがぱっとしないなぁと欲求不満になりかけたら、最後にニコラ・ル・リッシュの踊りが見られて万歳万歳。さすがはエトワール、といいたいけれど、実はその踊りもなんだかけちくさい。もっといっぱい華麗に踊ってくれないものなのかしら?

 踊りはともかく、ストーリーはなんだか支離滅裂で暗いお話だし、惹かれるものが少ないのだが、ただ、この寓話には大きな謎がある。王がこよなく愛する美しい王妃(キャロル・ブーケ、おばさんになっても美しい!)は元王国一の踊り手だった。ところが王は、王妃と結ばれるや、王国内で一切の踊りを禁じてしまう。これはなぜなのだろう? なぜ王妃が最も好きな踊りを王は禁じたのか? そして、王妃は王への愛の証として、踊りを禁じられたことを唯々諾々と受け入れる。とはいえ、王妃は娘オーロラ姫の踊りを見てついつい身体がうずいてしまうのだ。…踊りたい… 王妃は王を愛している。愛しているゆえに、踊りを禁じられたことも受け入れて、文句を言わない。

 この物語は、「愛するものから歓びを奪う」という無慈悲な行いをした王が罰を受ける話とも受け取れる。王国内では人々が踊りを踊れないために外国へと流出してしまうし、ちっともいいことなんかなさそうなのに、なぜか王は踊りを禁じているのだ。この謎がいつまでもわたしの頭に残って、いまだに解けないでいる。この寓意の意味するところはなんなのだろう……?(レンタルDVD)

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AURORE
フランス、2006年、上映時間 96分
監督: ニルス・タヴェルニエ、製作: エミリー・ジョルジュ、脚本: ニルス・タヴェルニエほか、音楽: カロラン・プティ
出演: マルゴ・シャトリエ、ニコラ・ル・リッシュ、キャロル・ブーケ、フランソワ・ベルレアン、カデル・ベラルビ、竹井豊

エトワール

2007年12月08日 | 映画レビュー
 ダンス映画5連続レビュー、第3弾。


 パリ・オペラ座のダンサーたちへのインタビューと舞台映像とを駆使ししたドキュメンタリー。エトワールとは、バレエ団内の4つの階級のうち最高峰のダンサーたちに贈られる称号だ。エトワールは「星」。

 確かにパリ・オペラ座のバレエ団はすごい。その驚異的テクニック、華麗なる芸術性、ダンサーの見目麗しいこと、何も非の打ち所がない。だが、ダンサーは素晴らしいが、演出の斬新さでははるかに「バレエ・カンパニー」が見せてくれた舞台に劣る。いや、これは好みなので優劣はつけがたいが、わたしには「バレエ・カンパニー」のほうがはるかに面白かったのだ。

 この映画に登場するダンサーたちは顔でオーディションの合否を決めたのではないかと思えるほど美形ぞろい。踊れるだけではなく眉目の秀麗さも要求されるのだろうな。

 何よりも驚異的なのはその競争の厳しさと、それに勝ち抜くための努力だ。徹底した競争社会であり、階級を上がっていくためにはひたすら努力しかない。やっとの思いで役をもらっても怪我で出演できなくなることだってあるのだ。バレエ団には付属のバレエ学校があるが、そこの生徒たちはひたすらバレエをやっているだけではなく、同じだけ厳しく勉学もさせられる。校長は言う。「病気や怪我で踊れなくなることだってあります。そのとき、バレエしか知らなかったらどうなります?!」と。

 9歳のときから厳しいレッスンを続けてきたバレリーナは言う。「9歳の子どもが2時間遊ぶだけであとは一日中バレエを踊っていた。けれどそれしか知らない。ほかの生き方をしらないから慣れてしまった」。あるいは彼女達は全生活をバレエに捧げていることについてこう言う、「犠牲だとは思わない。犠牲ではなく「努力」です」。

 本作は確かに踊り手たちの心情が吐露されていてそれはそれで大変興味深い。しかし、映画としては退屈なつくりなので、わたしは途中で寝てしまった。

 こういうものすごい競争を生き抜く行き方もある。それで脚光を浴び、自分自身の喜びを得られるという人生、それはそれで素晴らしいとは思うが、決して真似したいとは思わない。それは努力がいやだとかしんどいからとかそういうことではない。たった一つの価値観しかない生き方というものの息苦しさに窒息しそうだからだ。

 ニルス・タヴェルニエって、「レセ・パセ」のベルトラン・タヴェルニエ監督の息子だったんだ。へェ~。(レンタルDVD)

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TOUT PRES DES ETOILES
フランス、2000年、上映時間 100分
監督・撮影: ニルス・タヴェルニエ
出演: マニュエル・ルグリ、ニコラ・ル・リッシュ、オーレリ・デュポン、ローラン・イレール

バレエ・カンパニー

2007年12月08日 | 映画レビュー
 ダンス映画連続5レビュー第2弾はこれ。


 素晴らしい! 大満足。

 カラーテープを使った群舞の素晴らしさに圧倒された巻頭、もういきなりこの映画に引き込まれた。斬新な演出には瞠目すべし。現代バレエとはこのように大胆なエンターテインメントだったのか!

 手持ちカメラの動きといい、出演者や演出家の日常をこまごまと映し出す芸の細かさといい、ドキュメンタリーフィルムを見るかのようなリアル感がある。バレエ団のバックステージものとしては、バレエの舞台とその楽屋裏で起きる出来事との描写のバランスもよく、これといって大きな事件が起こらない展開にかえって群像劇としての面白さが浮かび上がる。主役のネーヴ・キャンベルのダンスのうまさはもちろんのこと、ダンサーすべてのレベルが各段に高いため、最後までまったく飽きずに画面に目が釘付けになる。

 バレエ団の芸術監督として君臨するミスターA(マルコム・マクダウェル、久しぶりに見たら誰だかわからなかったわ!)のワンマンぶりがまた痛快で、団員たちが役を降ろされて悔しがったり、またそれを「組合に訴える」と言い出すスタッフとか、あれやこれやの風景がいちいち興味深い。

 新しい演目を振り付け師がもちこみ、それに芸術監督がOKを出し、「予算、予算、予算だ!」と言いながらも派手なセットを組む。そして本番までの練習場面を随所に入れながら、ダンサーの恋愛をおしゃれに挿入しつつ、クライマックスは本番当日の舞台。これはもう芸術的に素晴らしく練り上げられたステージもの、たっぷり堪能しました。おなか一杯、って感じ。淡々としすぎているとかいうレビューも見かけるけれど、わたしにはまったくそんな風に思えなかった。

 ネーヴ・キャンベルが住んでいるアパートが超おしゃれで、特に広々としたバスルームが素晴らしかった。入り口のドアがすだれ風のすりガラスで、リビングの一部にバスルームがあるように見える。あんな部屋に住んでみたいわ。(レンタルDVD)

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THE COMPANY
アメリカ/ドイツ、2003年、上映時間 112分
監督: ロバート・アルトマン、製作: ロバート・アルトマンほか、脚本: バーバラ・ターナー、音楽: ヴァン・ダイク・パークス
出演: ネーヴ・キャンベル、マルコム・マクダウェル、ジェームズ・フランコ、バーバラ・ロバートソン、スージー・キューザック

フラッシュダンス

2007年12月08日 | 映画レビュー
 ダンス映画5連続レビュー、行ってみましょ~♪


 これはもう、ひたすら主題歌が懐かしい。サントラも大ヒットしたなぁ。映画館で予告を見たときには見たくてたまらなくなった作品だ。見損ねてそのまま25年か、早いものだわ。当時は劇場で見損ねるともうその映画とは縁が切れたものだが、いまや簡単にDVDで見られるし、おまけに何度でも繰り返し、早送りしたり停めたりしながら見られるわけだ。その分、映画館で見ることへの渇望感が希薄になり、映画鑑賞の緊張感も薄れてしまった。

 公開当時からダンスはプロダンサーの吹き替えだといわれていたが、どっかのサイトには4人のダンサーが踊ったと書いてあったから驚きだ。ストーリーは至って単純、あまりにも単純なのでもうどうでもいい。昼間は溶接工、夜はクラブでエロティックなダンスを踊るが、プロのバレエ団でダンサーになることを夢見るジェニファー・ビールスが可愛い。

 今から思えば肝心のクライマックスのダンスシーンがそれほどでもなく、むしろ主役以外が踊っている場面のほうが長いのではなかろうか。少年たちが路上で踊るブレイクダンスやストリートダンスは今見ても充分素晴らしい。

 一発屋のイメージが強いジェニファー・ビールスだけれど、その後確かに全然印象に残る作品がないのは残念。懐かしい音楽を久しぶりに堪能して満足。

 で、ちょっとここでメタ評価を。本作を見ながら思ったことは、「こういう映画がフリーターを増やしたんだろうな」ということ。夢のためには今はじっと臥薪嘗胆、フリーターで過ごす。そして将来は本当に自分がやりたいことをやるのだ。そんな夢を見た若者がどれほどいたことか。夢を見るのはいい。それはいいことだと思う。若いときはどんな可能性に賭けてもいい。しかし、見極めも大事で、しかも、努力がそれ以上になによりも大事で。努力もせずただ夢を食(は)ぐだけの人生でいいのか? この映画のように夢をかなえられる人はごく一握りなのだ。しかも相当の努力を必要とされる。そのことをどれだけの若者が理解しているのだろう。そのような若者の一人を息子として抱える親としてはつくづ思う。(レンタルDVD)

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FLASHDANCE
アメリカ、1983年、上映時間 95分
監督: エイドリアン・ライン、製作: ドン・シンプソン、ジェリー・ブラッカイマー、
脚本: トーマス・ヘドリー・Jr、ジョー・エスターハス
作詞作曲: マイケル・センベロ、作詞: キース・フォーシイ、アイリーン・キャラ、作曲: デニス・マトコスキー、音楽: ジョルジオ・モロダー、主題歌: アイリーン・キャラ
出演: ジェニファー・ビールス、マイケル・ヌーリー、リリア・スカラ、サニー・ジョンソン

トリノ、24時からの恋人たち

2007年12月08日 | 映画レビュー

 映画博物館の仕事があるなら、わたしもやってみたい。映画の中で上映され引用されるサイレント映画の数々がとても面白い。

 本作は、ストーリーじたいは別になんということもないのだけれど、古い映画の引用やコラージュがとても興味深くて、映画ファンの心をくすぐる。三角関係の物語は「突然炎のごとく」を踏まえた構造で、それは映画の中でも登場人物によって言及されている。24時からの恋人たちというのは、ヒロインのアマンダのマック仕事が24時で終わるということと、アマンダの恋人が自動車泥棒で、夜中に「仕事」をするということと、アマンダが警察に追われて逃げ込んだ先の映画博物館の夜警を勤める青年マルティーノがやはり夜中に働く人間だからだ。

 明日をも知れぬ仕事に就く若者三人の三角関係が興味深く、また日本より失業率の高いイタリアで若者が生きていくために生活の苦労を強いられるその現実を背景としつつも、ファンタジーのような映画の世界に耽溺する生態がどこか現実離れした可笑しさを醸し出す。マルティーノのという寡黙でシャイでハンサムな青年が、人とのコミュニケーションをとるよりも映画の世界に生きることを選んでいるのは、イタリア的映画オタク世界の表出。

 やがてアマンダと肉体関係を持ったマルティーノは、博物館の仕事をやめてアマンダとの生活を選ぼうとする。しかしアマンダには恋人がいるのだ、自動車泥棒の恋人が!

 根無し草3人の若者の行く末はどうなるのだろう? この三角関係の結末は? これが意外とあっさり馬鹿馬鹿しくも片づいてしまうところがケセラセラ。「突然炎のごとく」とはまた違った結末で、これはこれでハッピーエンドなのかどうなのか? 

 ちょっとぬるい映画だけれど、映画ファンなら楽しめるでしょう。コメディのようでありシリアスなようであり、不思議な感覚の映画。(レンタルDVD)

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DOPO MEZZANOTTE
イタリア、2004年、上映時間 93分
監督・脚本: デヴィデ・フェラーリオ、製作総指揮: ラディス・ザニーニ、音楽: バンダ・イオニカほか、
出演: ジョルジョ・パソッティ、フランチェスカ・イナウディ、ファビオ・トロイアーノ、フランチェスカ・ピコッツァ

最後の恋のはじめ方

2007年12月08日 | 映画レビュー

 デート・コンサルタントが恋をして…というお話。典型的なラブコメなので結末は当然見えている。見えている結末に向かっていかに細部を面白くみせるか、おしゃれな会話で楽しませるか、魅力的なキャラクターを作り上げるか、美しい主役たちで華を添えるか、といったところが見所。

 で、結論を言えば、「つまらない」。

 この映画を面白いと思う人はけっこう多いと思う。確かに、そこそこ楽しめるし、悪くはないと思うが、わたしはそもそも「デート・コンサルタント」なる胡散臭い商売に眉をひそめるタイプの人間なので、この設定でまずはちょっと…と思ってしまう。その上、ウィル・スミスとエヴァ・メンデスという役者二人にまったく魅力を感じない。唯一よかったのはデブで冴えないけどそれなりに仕事ができるビジネスマンを演じたケヴィン・ジェームズかな。彼が高嶺の花の大金持ち女性に本気で恋をして悶々とするところなんて笑えるし、可愛い。

 デート・コンサルタントなんていう仕事が商売として成り立つっていうのがそもそもリアリティがない。商売として成り立つどころか、ウィル・スミスはたいそう高そうなアパートに住んでいる。ほんまかいな、とまずは思ってしまう。その上、そのウィル・スミスが一目惚れするゴシップ新聞の記者がまったく知性を感じさせないので、これまたダメダメ。いくらゴシップ紙の記者だからってもうちょっと知的な会話をしてほしいもんだわ。

 それにしてもこの映画の登場人物たちは実にお手軽に恋に落ちる。あっという間に、相手のこともよく分からないままに愛している、とほざく。ほんまかいな。そんなことで後で苦労するよ、きっと後で後悔するから……などなどと思ってしまうわたしはひょっとして不幸な星の下に生まれたんだろうか(~o~)

 特典映像のNG集が面白かった。これ(だけ)はお奨め。(レンタルDVD)

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HITCH
アメリカ、2005年、上映時間 118分
監督: アンディ・テナント、製作: ジェームズ・ラシターほか、製作総指揮: ウィンク・モードーントほか、脚本: ケヴィン・ビッシュ、音楽: ジョージ・フェントン
出演: ウィル・スミス、エヴァ・メンデス、ケヴィン・ジェームズ、アンバー・ヴァレッタ、ジュリー・アン・エメリー、マイケル・ラパポート

ALWAYS 続・三丁目の夕日

2007年12月08日 | 映画レビュー

 前作はベタなだけだったけど、今度はベタな上にダサイ。それでもしっかり泣いてしまったわたしって…。


 このダサさは完全に計算づくだから、もうそれじたいが一つの形式美なのだから、許す。前作は続編を考えていなかっただろうけれど、本作は既にシリーズ化を狙っていると見た。今後、寅さんみたいになる予感が…。

 前作にあった、涙がちょちょぎれるほどの懐かしさというのは本作にはない。これは昭和30年代グッズに慣れてしまったからなのか、それとも本作が「懐かしさ」に焦点を当てることをやめたからなのか。

 ストーリー上の必然性もなくただ羽田空港を映したかっただけ、という理由ではなかろうか、無理矢理羽田空港の場面を入れてみる、とか、昔の恋人の写真を偶然見つけたらその恋人とばったり再会したりとか、ストーリーのこじつけがましさが前作よりいっそう目立った。

 今回は吉岡秀隆演じる茶川竜之介が芥川賞をとれるかどうか、というのが大きな話題となる。いつだったか、最近、飲み会の席で「あの映画は、吉岡秀隆が甲高い声でしゃべるのが気に入らない」とおっしゃっていた御仁がいたことが記憶に残っていたので妙に彼の甲高い声が耳についた。

 何より気になったのは、「芥川賞の権威」だ。最終候補に残ったぐらいで大騒ぎするとはこれいかに。あの当時、それほど芥川賞は権威があったのだろうか? あるいはまた、山崎貴監督には現在の受賞作のレベルの低さを嘆く魂胆があるのか? そうだとすればなるほどこの皮肉はよく効いている。確かに1958(昭和33)年の受賞作は大江健三郎「飼育」だから、翌年の候補になる茶川竜之介は将来を嘱望されることになる(はず)だ。それに引き換え今や…。

 ま、この芥川賞をめぐるドタバタはそれなりに面白かったが、実はとってもばかばかしいドタバタでもあったし、最後に茶川の作品の一部が読み上げられるのだが、これが噴飯ものの駄文なので聞いているほうが恥ずかしくなる。

 前作と登場人物がほとんど同じであり、そのキャラクターもほぼ固まってきたので、これからはこれらの人々を描く群像劇としてシリーズ化されるかもしれない。

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日本、2007年、上映時間 146分
監督・脚本: 山崎貴、エグゼクティブプロデューサー: 阿部秀司、奥田誠治、原作: 西岸良平、音楽: 佐藤直紀
出演: 吉岡秀隆、堤真一、小雪、堀北真希、もたいまさこ、三浦友和、薬師丸ひろ子、須賀健太、小清水一揮

こわれゆく世界のなかで

2007年12月08日 | 映画レビュー

 いくつものテーマを詰め込み、大変興味深い構成を持っているというのに、深みが足りない。なんとなく話が流れていってしまい、強い緊張感がない。かといって面白くないわけでもなく、むしろ細部はなかなか洒落ていたりエンタメ的にも退屈させなかったりするのだが、家族愛の軋みを抉る割には強度が足りない。ベルイマンと比べてしまうからだろうか。

 ロンドンの下町、そこは売春婦と麻薬の売人の巣窟といわれるキングス・クロス。その町に友人と共同のオフィスを開設した建築家のウィルは、私生活では豊かに暮らしているけれど、長らく同居している恋人リヴとは結婚しておらず、リヴの連れ子ビーが情緒不安定であることから3人の生活はなにかとぎくしゃくしていた。開設したばかりのウィルの事務所が二度も続けて窃盗犯に荒らされたことから、ウィルは犯人を捕まえるために深夜、車の中で見張りをすることにした。売春街のキングス・クロスでは連日、売春婦が声をかけにやって来る。その売春婦とウィルのやりとりが面白い。ウィルは決して売春婦を買おうとはしないのだが、いつの間にか親しくなってコーヒーを買いにやらせたりといった用事を頼んでいる。いや、「親しくなって」というようなものではないのだが、達観したようなニヒルな売春婦の押しの強さに引きながらもなんとなくそのペースに巻き込まれていくウィルとの会話が興味深い。売春婦の割り切った処世術に比べて、ウィルの脇の甘さがうまく描写されている。

 やがてウィルは犯人の少年と遭遇してその後を追いかけ、少年の家を見つけるが、その母親アミラに惹かれてしまう。アミラと息子はボスニアからの難民だったのだ。内戦で夫を失ったアミラは息子と二人、ロンドンの貧民街で懸命に生きていた。そんなアミラを愛してしまったウィルは彼女と深い仲になるが…

 アミラを演じるジュリエット・ビノシュは「存在の耐えられない軽さ」の時の愛らしさが消えて、すっかり生活に疲れたおばさん化している。とはいえ、ふとした表情や笑顔が美しく魅力的だ。何よりも息子のために懸命に生きているその姿には神々しささえ感じる。ジュード・ドウは相変わらず美しい。年をとってどんどん魅力的になっている。

 主要な登場人物3人に様々な重い境遇を与えているこの物語は、アンソニー・ミンゲラのオリジナル脚本だ。再開発が進むスラム、階級社会イギリスの格差問題、難民、といった社会問題をベースに、ウィルの恋人であるリヴに線の細いロビン・ライト・ペンを起用して、スウェーデンからの「移民」(帰国子女)という異邦人としてのしんどさと、情緒障害のある娘を抱える辛さを巧みに演じさせている。スウェーデン人とイギリス人のダブルであるリヴは、女優リヴ・ウルマンからとった名前のようだ。ミンゲラもベルイマンのファンなのだろうか。

 ウィルとリヴというカップルは愛し合っているのに、連れ子ビーを挟んでどこかに薄い膜があるような「通じなさ」を感じている。疎外感を抱いたウィルが生活感溢れるアミラに惹かれていくことに説得力を与える設定になっている。とはいえ、実はわたしはあまり説得されなかった。この物語は、細部の描写や脇の役者もいいし、テーマも惹かれるというのに、全体として締まりが感じられない。緊迫感が希薄といえばいいのか。今年は年初から緊張度の高いベルイマン作品を見続けてきたせいか、それと比べるとどんな作品もテンションが低く感じられてしまう。

 そして、この物語の結末にはどこか釈然としないものが残る。結局のところ、アミラもウィルも互いを利用しただけだったのか? 彼らはたとえ一時でも本当に愛し合っていたのだろうか? 不倫とはいえ純愛を貫き通してほしいものだ。むしろ不倫こそ純愛であることが求められるのではなかろうか。でなければ、裏切られた恋人の立場がないではないか。いや、ひょっとしたらそういう釈然としないものを残したことがミンゲラの狙いだったのかもしれない。何もかもすぱっと割り切れる結末ではないのだ。それが人生。(レンタルDVD)

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BREAKING AND ENTERING
イギリス/アメリカ、2006年、上映時間 119分(PG-12)
監督・脚本: アンソニー・ミンゲラ、製作: シドニー・ポラックほか、音楽: ガブリエル・ヤレド
出演: ジュード・ロウ、ジュリエット・ビノシュ、ロビン・ライト・ペン、マーティン・フリーマンソン

秒速5センチメートル

2007年12月08日 | 映画レビュー

 たとえ離れていても忘れない初恋。二人は大人になり、いつしか心はすれ違う。山崎まさよしの「0ne more time, 0ne more chance」が流れる中、二人の恋の終わりは切ない。小さなオムニバス3話からなる美しいアニメーション。


 第1話、たかが小学生や中学生の初恋だというのに、切なくて切なくて、泣いてしまった。幼い二人が心を通わせても、転校という本人達の力でどうしようもない宿命によって引き離される。初恋の彼女に会いにいく少年。13歳の中学生にとっては大冒険にも等しい電車を乗り継いでの「旅」の行方は…。

 第2話、かつての中学生は高校生になり、種子島にいる。そこは宇宙へ飛び出すロケットが打ち上げられる場所。宇宙にいちばん近い日本の場所かもしれない。広がる大地、その果てはそのまま宇宙までつながっている。その雄大なアングルをアニメならではの動きで美しく鋭角的な光のきらめきで描く。

 第3話、中学生だった二人はいつしか大人に。そして二人の心は寄り添うことができずに別れの日がやってくる。それはどうしようもない別れなのだろうか? 山崎まさよしの歌が流れる。「いつでも捜しているよ どっかに君の姿を」


 「絵のように美しい」絵だ。妙な言い回しだけれど、そうとしか言えない、明るい光のコントラストが眩しい、シルクスクリーンの版画のように美しい絵。第一話の桜吹雪の美しさ、舞い散る雪の美しさに心を打たれる。

 なんということもない短いアニメです。でも心にしみました。(レンタルDVD)

エルミタージュ幻想

2007年12月08日 | 映画レビュー

 「モレク神」、「牡牛座」に続いてソクーロフ作品3連続レビュー。1001本目は傑作「エルミタージュ幻想」です。


 全編ワンカットの撮影が話題を呼んだ作品だが、これはすごい。必見の上にも必見の作品だ。ワンカットで撮られているかどうかが問題ではない。実際、ソクーロフ自身が語っているように、観客にとってワンカットかどうかはどうでもいいことであり、映画の出来こそがすべてなのだ。その小説がどんなペンやインクで書かれているかは読者に関係ないのと同じように、ワンカットで撮ったのは制作者の都合に過ぎない、という。ソクローフは「むしろワンカットであることに気づいてほしくない」と言っている。

 流麗に舞うカメラが捉えるものは荘厳なエルミタージュ美術館で繰り広げられる歴史絵巻。19世紀の舞踏会の夜から始まって19世紀の舞踏会の終わりまでを描きつつ、時間は自由に往来し、突然現代の美術館になったりエカテリーナ2世が登場したり第2次大戦下の寒々とした部屋に迷い込んだり、とてもワンカットで撮っているとは思えない動きを見せる。そして美術館の中を案内して回るのはフランス人外交官。さらにそこに現代の映画監督のナレーションがかぶる。映画の語り部自身が二重化され、彼らの言葉が歴史性を帯びる。

 19世紀の舞踏会に集う人々のさんざめく笑い声がすっととぎれたと思うと現代の美術館が映る、その瞬間に思う。
「これが、歴史のかけらを意識の基層に沈殿させるということなのだ」と。
 わたしたちはこのようにして歴史意識を無意識の底に眠らせときどきそっと揺り起こす。美術館に収蔵された古い絵画を眺め、博物館に陳列された古(いにしえ)の文物に触れることによってわたしたちの世界に共通の歴史意識を共有する。

 わたしたちが今、歩いて眺めているこの美術館で200年前は舞踏会が開かれていた。わたしが立っているこの場所で少女は精一杯着飾って踊っていたのかもしれない。その不思議に触れた瞬間にわたしたちは時の流れの切なさに身震いする。

 だが今や、わたしたちに共通のメモリアルが失われつつあると鈴木謙介氏は『ウェブ社会の思想』で述べている。マスコミが担保してきたメモリアル(靖国神社であれ原爆ドームであれ)の存在がいま、ネット上に偏在する個々人のまったく私的な「記憶と事実」によって取って代わられようとしている。もはやこれからの世代には共有すべき歴史意識は存在しないのだろうか? そんなわたしの危機意識を喚起するような作品だった。

 ソクーロフは歴史を描く。彼の作品には歴史意識を支えるメモリアルの存在が貫かれている。大舞踏会の会場から吐き出される群衆を舐めていくカメラは目眩を起こさせるような圧倒的な力を持つ。華麗な衣装を身にまとった人々の間をかきわけやがてはロングで俯瞰し、カメラは美術館の広さと奥行きをたっぷりと見せてくれたあと、唐突に外へと抜け出る。そこには冬の海が光っていた。なんという幻想的なラストシーンだろう。メモリアルが持つこのような幻想性と見る者をひれ伏させるような力をこの映画は誇示しているのだ。(DVD)

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RUSSIAN ARK
ロシア/ドイツ/日本、上映時間 96分
監督: アレクサンドル・ソクーロフ、脚本: アナトリー・ニキーフォロフ、アレクサンドル・ソクーロフ、撮影: ティルマン・ビュットナー
出演: セルゲイ・ドレイデン、マリーヤ・クズネツォーヴァ、レオニード・モズゴヴォイ、ダヴィッド・ギオルゴビアーニ