中国残留日本人孤児の存在が広く知られるようになって久しい。引揚者の悲惨も現地に残された孤児たちの悲惨も、引き上げてきた親の苦しみも、たとえば『大地の子』(山崎豊子)などで知られて、とりわけTVドラマは視聴者の感涙を呼んだそうだ(わたしはTVも原作も読んでいない)。
「満州」からの引揚者の手記といえば真っ先に思い出すのは、藤原てい『流れる星は生きている』だ。敗戦後すぐにベストセラーとなった鬼気迫るドキュメントは、戦禍を生き延びた同時代人の胸を打ち紅涙を絞った。
このような「名作」の誉れ高い作品が現在もなお読み継がれているときに、なぜ改めて引揚者の手記なのか、とも思うかもしれないが、子連れで引揚げてきた苦労を体験した人々の数も少なくなった今、ふつうの人々がどのように戦争を体験し、何を見、何を教訓としたか、生き証人が死に絶える前に現代を生きる者たちが知ることの大切さを改めて痛感する。
女ばかり7人が、合計7人の子どもを引き連れての逃避行。1945年8月9日、ソ連の参戦を国境の町で知った著者は、戦火を逃れて荷物も持たずに日本を目指して逃げる。だが、彼女には生後1ヶ月の乳児がいた。同じように乳飲み子を抱えた女たちが集団で引揚げていくさまは、文字通り筆舌に尽くしがたい労苦の連続である。
日本へ帰国できるまでの1年間、筆者たちがどのように知恵を働かせ、懸命に生きてきたかの迫真の記録は、とても57年も経ってから書かれたとは思えない息を飲む細密な描写だ。
本書には『流れる星は生きている』と同じように、乳飲み子を連れた女の地を這う闘いが描かれているし、道中にころがる死体、もはや動かぬ母親のしなびた乳房に吸い付き泣き喚く幼児、仲間の死、「満州人」からの侮蔑の視線、といった残酷な実態が描かれているが、一方でユーモアも随所に溢れている。
どんなに悲惨な状況でも忘れないこのユーモアと著者のバイタリティによって読者は救われた思いがする。
とりわけ可笑しかったのは、ある金持ち「満人」のエピソードだ。日本の支配下では満州国旗と日章旗が豪邸の門にはためいていたのだが、国府軍がやって来ると「祝、戦勝、蒋介石総統閣下」という横断幕が掲げられ、ソ連軍がやってくれば「歓迎、蘇聯軍、斯太林(スターリン)大元帥閣下」に変わり、中国共産党軍が支配者になれば「歓迎、中共軍毛沢東主席閣下」と変わる。その変わり身の早さと臆面もない追従には笑ってしまう。して、その金持ちはどうなったかというと……本書を読んでのお楽しみ。
『流れる星は生きている』は体験がまだ生々しかったときの手記であり、そういう意味では当時の日本社会の差別意識を如実に反映した描写も多々あり、また、一緒に引揚げてきた仲間への悪感情なども整理されないままに描かれているため、読者をたじろがせるものがあった。
それに比べて本書はやはり57年の歳月があとから意味付けたであろうと思われる著者の卓見が随所に描かれていて、共感を覚える。著者は自分達の身の上をいたずらに嘆いたり恨んだりするのではなく、日本の植民地支配がこのような悲惨をもたらしたことをちゃんと見抜いていた。
イラクへの派兵という、軍隊を外国へ堂々と派遣しようとする今、戦争が生む悲劇とは、戦場の凄絶さだけではなく、銃後の苦しみもあるということを知るべきではなかろうか。戦争とは多面的・重層的な局面を見せるものであり、たとえ今は銃を撃ちに行くのではなくても、その結果がもたらすかもしれない災厄に想像力を馳せてみる必要があると思う。劣化ウラン弾という名の核兵器を使用したために米兵が苦しむ後遺症もまたその一つだ。
ところで、こういった手記の場合、とかく「母性愛の強さ」が言及されるが、それは必ずしも的を射ていない。なぜなら、子を持たない女性も同じように共同生活を頑張り抜いたし、「母性」に人の生きる力を還元させてしまうことは短絡的だと言える。執念ともいえるような「生」への力はどこから生まれるのだろう。現代を生きるわたしたちにこの力があれば、少々の苦しみにも耐えていけるだろうにと思ってしまう。だからといって戦争はもう絶対にごめんなのだ。
戦争で子どもを死なせた親達の無念と慙愧は一生消えない。その過ちと悲劇を二度と繰り返さないために、ぜひ本書を読んでほしいと思う。本書はとても読みやすく、一気に読み通せるおもしろさと魅力を持っている。もうすぐ自衛隊がイラクに派兵される今こそ、お奨めしたい。
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生きて帰りたい 妻たち子たちの「満州」
平原社 2003 森田尚著
「満州」からの引揚者の手記といえば真っ先に思い出すのは、藤原てい『流れる星は生きている』だ。敗戦後すぐにベストセラーとなった鬼気迫るドキュメントは、戦禍を生き延びた同時代人の胸を打ち紅涙を絞った。
このような「名作」の誉れ高い作品が現在もなお読み継がれているときに、なぜ改めて引揚者の手記なのか、とも思うかもしれないが、子連れで引揚げてきた苦労を体験した人々の数も少なくなった今、ふつうの人々がどのように戦争を体験し、何を見、何を教訓としたか、生き証人が死に絶える前に現代を生きる者たちが知ることの大切さを改めて痛感する。
女ばかり7人が、合計7人の子どもを引き連れての逃避行。1945年8月9日、ソ連の参戦を国境の町で知った著者は、戦火を逃れて荷物も持たずに日本を目指して逃げる。だが、彼女には生後1ヶ月の乳児がいた。同じように乳飲み子を抱えた女たちが集団で引揚げていくさまは、文字通り筆舌に尽くしがたい労苦の連続である。
日本へ帰国できるまでの1年間、筆者たちがどのように知恵を働かせ、懸命に生きてきたかの迫真の記録は、とても57年も経ってから書かれたとは思えない息を飲む細密な描写だ。
本書には『流れる星は生きている』と同じように、乳飲み子を連れた女の地を這う闘いが描かれているし、道中にころがる死体、もはや動かぬ母親のしなびた乳房に吸い付き泣き喚く幼児、仲間の死、「満州人」からの侮蔑の視線、といった残酷な実態が描かれているが、一方でユーモアも随所に溢れている。
どんなに悲惨な状況でも忘れないこのユーモアと著者のバイタリティによって読者は救われた思いがする。
とりわけ可笑しかったのは、ある金持ち「満人」のエピソードだ。日本の支配下では満州国旗と日章旗が豪邸の門にはためいていたのだが、国府軍がやって来ると「祝、戦勝、蒋介石総統閣下」という横断幕が掲げられ、ソ連軍がやってくれば「歓迎、蘇聯軍、斯太林(スターリン)大元帥閣下」に変わり、中国共産党軍が支配者になれば「歓迎、中共軍毛沢東主席閣下」と変わる。その変わり身の早さと臆面もない追従には笑ってしまう。して、その金持ちはどうなったかというと……本書を読んでのお楽しみ。
『流れる星は生きている』は体験がまだ生々しかったときの手記であり、そういう意味では当時の日本社会の差別意識を如実に反映した描写も多々あり、また、一緒に引揚げてきた仲間への悪感情なども整理されないままに描かれているため、読者をたじろがせるものがあった。
それに比べて本書はやはり57年の歳月があとから意味付けたであろうと思われる著者の卓見が随所に描かれていて、共感を覚える。著者は自分達の身の上をいたずらに嘆いたり恨んだりするのではなく、日本の植民地支配がこのような悲惨をもたらしたことをちゃんと見抜いていた。
イラクへの派兵という、軍隊を外国へ堂々と派遣しようとする今、戦争が生む悲劇とは、戦場の凄絶さだけではなく、銃後の苦しみもあるということを知るべきではなかろうか。戦争とは多面的・重層的な局面を見せるものであり、たとえ今は銃を撃ちに行くのではなくても、その結果がもたらすかもしれない災厄に想像力を馳せてみる必要があると思う。劣化ウラン弾という名の核兵器を使用したために米兵が苦しむ後遺症もまたその一つだ。
ところで、こういった手記の場合、とかく「母性愛の強さ」が言及されるが、それは必ずしも的を射ていない。なぜなら、子を持たない女性も同じように共同生活を頑張り抜いたし、「母性」に人の生きる力を還元させてしまうことは短絡的だと言える。執念ともいえるような「生」への力はどこから生まれるのだろう。現代を生きるわたしたちにこの力があれば、少々の苦しみにも耐えていけるだろうにと思ってしまう。だからといって戦争はもう絶対にごめんなのだ。
戦争で子どもを死なせた親達の無念と慙愧は一生消えない。その過ちと悲劇を二度と繰り返さないために、ぜひ本書を読んでほしいと思う。本書はとても読みやすく、一気に読み通せるおもしろさと魅力を持っている。もうすぐ自衛隊がイラクに派兵される今こそ、お奨めしたい。
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生きて帰りたい 妻たち子たちの「満州」
平原社 2003 森田尚著