ピピのシネマな日々:吟遊旅人のつれづれ

歌って踊れる図書館司書の映画三昧の日々を綴ります。たまに読書日記も。2007年3月以前の映画日記はHPに掲載。

ただ、君を愛してる

2007年12月23日 | 映画レビュー
 これは大学生達が主人公の青春恋愛物語。タイトルといい、DVDジャケットといい、とにかく恥ずかしい。宮崎あおいが演じる静流(しずる)の痛々しいまでの幼さも恥ずかしい。大学生にもなってまだ乳歯があるなんて…などという幼い静流だけれど、わたしも高校生になってもまだ乳歯が複数本残っていたし、ま、似たようなものか。

 「彼女はよく嘘をついた」という主人公誠人(まこと)の独白が巻頭に置かれる。これはつまり、これから始まる物語のヒロイン静流の言動に嘘が隠されていることが示す。ま、その嘘はどうせすぐに観客にはわかってしまうのだが。

 誠人への一途な想いが通じない可哀想な静流は、鈍感な誠人にとっては恋愛の対象にならない、単なる友人。誠人が恋しているのは美しいみゆきであって、童顔にめがね・ペチャパイの静流ではないのだ。誠人の趣味がカメラだからって同じようにカメラにのめり込むいじらしい静流なのに、誠人にとって静流は「女」を感じさせない存在だ。

 静流がなぜいつまでも背が低く小学生みたいに幼いのか、彼女には秘密があったのだ。同じように、誠人にも秘密があった。その秘密のために薬を手放せない二人。静流の切ない想いを受けとめられない誠人こそほんとうは最も幼い人間だったのだ。

 コミカルで爽やかな青春物語だけれど、登場人物すべてがいい人すぎて嘘っぽい。何しろ悪人は誰一人登場せず、大学の同級生たちは思いやりがあって仲間意識が強いし皆それぞれ自分の思う道へと進むなんて、そんなきれいなお話って今どきあるだろうか? ここには恋愛パターンの一つの理想が描かれている。初々しく純朴な二人、三角関係など恋の成就を阻む障害、いろんなことがあるけれど最後に真実の愛に目覚める。しかしそのときは遅し。という、美しい悲恋。清々しい恋の背景には美しい風景がある。光を最大限に取り入れた木漏れ日溢れる森の風景は絵葉書のように美しい。

 幼い恋を胸に抱く乙女はいつか大人になり、命がけの恋をする。しかし、その想いを受けとめられるほど男は成長しなかった。結局男は置いてきぼりを食うわけだ、人間として。こんなバカな男に恋をした静流が可哀想です、ほんと。主役を演じた玉木宏がいまいちなので余計に魅力的なキャラクターに見えないのが残念。宮崎あおいは可愛いねぇ。(レンタルDVD)

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日本、2006年、上映時間 116分
監督: 新城毅彦、原作: 市川拓司 『恋愛寫眞 もうひとつの物語』、脚本: 坂東賢治、音楽: 池頼広
出演: 玉木宏、宮崎あおい、黒木メイサ、小出恵介、上原美佐

クィーン

2007年12月23日 | 映画レビュー

 この映画を見ながらずっと考えていたことは、「こんな内部事情、情報源は誰だろう? 王室の内部事情をよく映画にできるものだ」という不思議な思い。日本とのなんという違いだろう。

 1997年というからもうダイアナ元妃が死んで10年になる。イギリスといい日本といい、皇太子妃というのは不幸になるものらしい。本作は、ダイアナが事故で急死したあと、その対応に苦慮するエリザベス女王と首相になったばかりのトニー・ブレアとの交渉を主軸に、英国王室を守ろうとする女王の苦悩を描く。

 登場人物はもちろん実在の人物であり、起こったことも事実ばかりだが、ここまで女王の内面に迫るにはいったいどのような想像力を働かせたのだろうか? 公式サイトによれば、情報源は「女王の伝記の著者ロバート・レイシーと王室コメンテーターであり、ダイアナと近い関係にあったイングリッド・スワードであった」という。

 「わたしも選挙で投票してみたいわ。自分の意見を言ってみたいの」という女王の一言はまさに本音だろう。日本に比べればずいぶん「政治的自由」のあるはずの君主なのに、それでも彼女は自分の人生を生きていない。

 この映画を見終わって一番印象に残ることは、「結局、ブレアが一番いい目をしている」ということ。なぜ労働党首が王室に肩入れするのか理解できない。ダイアナが死んで案外この人、喜んでいるんじゃないの?と皮肉も言いたくなる。この映画のブレアはもっとも女王のよき理解者のように振舞っているし、ダイアナの死に世界中が涙しているとかいう絶賛の台詞には辟易したし、ブレアのええかっこしいには眉をひそめるし(妻にまで言われていたよね、「王政廃止論者じゃなかったの?」って)、なんじゃかんじゃと綺麗に作りすぎという不満はあるけれど、それでも大変興味深かった。それはやはり普段目にすることのできない王室の内情に深く立ち入って女王の苦悩を垣間見ることができたからだろう。そういう意味ではわたしもパパラッチの一人なのかもしれない。

 女王が女王以外の者になることができないという悲劇は、ヘレン・ミレンの威厳あるたたずまいから凛として伝わる。いついかなるときも王室の歴史を背負い居ずまいを正し威厳を保つことが求められる人間の悲哀に、思わず女王に同情してしまった。王制というものは人を幸せにはしない。(レンタルDVD)

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THE QUEEN
イギリス/フランス/イタリア 、2006年、上映時間 104分
監督: スティーヴン・フリアーズ、製作総指揮: フランソワ・イヴェルネルほか、脚本: ピーター・モーガン、音楽: アレクサンドル・デプラ
出演: ヘレン・ミレン、マイケル・シーン、ジェームズ・クロムウェル、シルヴィア・シムズ、アレックス・ジェニングス、ヘレン・マックロリー

キサラギ

2007年12月23日 | 映画レビュー
 わたしは映画館ではあんまり笑わないことにしている。しているというか、あんまり笑えないのだ。周りに人がいると気取ってしまうからだろうか? とにかく、コメディでもめったに笑わない。笑わなくても十分楽しんでいるけどね。で、この作品はもう、我慢することすら忘れて声を出して笑ってしまった。しかも二度三度、四度と! セリフとシチュエーションだけでこれほど笑わせる映画があっただろうか? 吉本のドタバタコメディや一発ギャグではない。登場人物はたった5人、しかしこの5人が揃わなければ絶対に起こりえなかった事件がこの5人が集まったオフ会で起きる。そして、オフ会の前と後では全員が別人になってしまっているのだ。事件の前と後では人々が変化し成長しているという、映画(物語)の基本をきちんと踏まえているだけとはいえ、その「事件」の設定のしかたがただものではない。よくこれだけうまく練り上げたものだ。

 たとえば「クラッシュ」のような映画作品を見ると、その構成と脚本の巧みさに鳥肌が立つほどなのだが、「キサラギ」ではそれに加えて、「内容のばかばかしさ」というおまけがついてくる。「クラッシュ」には人種差別という大きなテーマがあった。しかし、「キサラギ」にはテーマなんてない。いや、いちおうある。脚本家もテーマはあると言っているし、劇場用パンフレットにはそのテーマが書いてあったが、そんなものは読んだ瞬間に忘れた。つまり、どうでもいのだ。そんなとってつけたようなテーマはむしろ邪魔。この作品には間合いとシチュエーションが生む面白さという笑いが全てなのだ。

 如月ミキというB級アイドルが自殺した一周忌に彼女を偲ぶ追悼会が開かれる。集まったのはネット上の掲示板でだけ知り合っている、ミキファンの5人の男たち。実はこの追悼会にはある「仕掛け」が仕組まれていた。ミキは自殺ではなく殺されたのではないかという疑惑が参加者の一人から語られ、その場に偶然集まっただけのはずの5人が実は彼女の死に深く関わっていたということが明らかになってくる…! そう、これは一級のサスペンスなのだ。

 実は巻頭、あまりにも芝居じみた芝居に引いてしまったのだ。そのセリフ回しはないだろう、その手振りは舞台劇やんか、おおげさな、とかいちいち心の中で突っ込みを入れていたのだけれど、そんなことを思っていたのは最初のうちだけで、途中からはすっかりのめり込み、最後はその「芝居っぽい」ところの面白さに笑っている自分を発見してさらに笑えた。

 ほとんど一つの室内だけで展開する映画だから、観客を飽きさせないためにむやみに役者を動かせすぎているところもあり、そんなことしなくてもいいのになぁ、余計な演出をするなよ!とか思ったのも事実で、そういう部分は減点なのだが、なんと言っても香川照之。この人の存在感とうまさは群を抜いており、ここで俄然大幅加点。こんな妙な役もきちんとできるなんて、すごいです。

 とにかく頭を空っぽにして笑いたいときには超お奨めの作品。もっかい見て笑いたい。

 テーマがないなどと失礼なことを書いてしまったが、まてよ、と考え直してみた。これはファン心理の微妙な綾を描いて、現代人の「特別な自分でいたい」という欲望を表現したものなのだ。その、誰もが持っていそうな欲望を笑いものにするところがシニカル。しかも、最後にはその欲望をやさしく肯定し、慰撫する。うーん、なるほど。

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日本、2007年、上映時間 108分
監督: 佐藤祐市、エグゼクティブプロデューサー: 三宅澄二、脚本: 古沢良太、
出演: 小栗旬、ユースケ・サンタマリア、小出恵介、塚地武雅、酒井香奈子、宍戸錠、香川照之

それでも生きる子供たちへ

2007年12月23日 | 映画レビュー
 子どもたちは悲惨な境遇にあるというだけではない。したたかに力強く生きる。

 ユネスコが後援団体の一つに入っている、「子ども達を救え!」キャンペーンのオムニバス映画。飢餓、貧困、犯罪にさらされている世界の子どもたちの窮状を描き、子どもを救おうというメッセージのはっきりした映画とはいえ、ここに描かれている子どもたちは単に可哀想な被害者ではない。中には大人顔負けの逞しさを見せる子ども達もいて、やっぱりわたしたちの希望は彼らにあるということを痛感させられる。

 8人の監督が描く作品は、それぞれの国の子ども達が置かれた困難な状況を切り取る。特に第1話の「タンザ」(アフリカの少年兵)と第2話「ブルー・ジプシー」(クロアチアの窃盗団家族)、「ビルーとジョアン」(ブラジルのスラム)、最後の「桑桑と子猫」(中国の児童労働)が印象に残った。

 「タンザ」を撮った監督の名前は初耳だが、まだ歳の端もいかない少年兵が無残に死んでいく様には言葉を失う。そして、少年兵は被害者であると同時に彼らが襲撃するの人間にとっては残虐な加害者でもあるのだ。タンザが命じられた任務は、「黄色い建物に爆弾を仕掛けること」。彼が錠を壊して入ったその建物は、学校だった。今はもう遠い世界のように感じられる学校での日々。タンザは黙って黒板の文字を読み、そこに書かれた質問にチョークで答を書く。そして彼が破壊しようとしている机や子ども達の描いた絵を標的に「バン!」と爆弾を破裂させる真似をする。やがてタンザの瞳から一粒の涙が流れ…

 ここに希望はあるのだろうか? 少年兵の明日にいったいどんな希望があるというのだろう。今日か明日死ぬか、生きていれば殺戮者になるかどちらかしかない。それでもそんなタンザに未来と希望を残したラストシーンにジーンときた。

 「ブルー・ジプシー」はいきなりのけたたましさに、「おお、これはやっぱりクストリッツァ!」となんだか嬉しくなるような困ってしまうようなバイタリティ溢れる窃盗団一家の物語。今日は少年院から無事卒所できる少年たちの歓送会。先生たちは準備に余念がない。「二度と戻ってくるなよ」と送り出された少年は…。ジプシー(ロマ)音楽に乗って愉快に楽しく泥棒稼業の一家にあって、哀れ少年の行く末は…。と、全然哀れじゃないところがすごい。クストリッツァ節全開の楽しい一作。

 「シティ・オブ・ゴッド」の共同監督カティア・ルンドが撮った「ビルーとジョアン」はやはりブラジルのスラムに住む兄妹の物語。廃品回収で生計を立てているのか小遣い稼ぎなのか、小学生と中学生ぐらいの兄と妹は大きなリヤカーを引いて街中を駆け巡る。二人の懸命な姿が心を打ち、ラストシーンのバラックと高層ビルとの対比に格差社会の厳しさを突きつけられる。

 そして最後のジョン・ウー監督作。とんでもない演出をするかもと心配したけど、無難なつくりだったのでほっ。というか、今までみたジョン・ウーの作品の中で一番よかったんじゃなかろうか? 子役の少女二人の愛らしさは反則技! あんなに可愛い子を二人も使うなんて、これはもう作品がどんな出来でも許してしまうじゃないの! しっかし中国は社会主義じゃなかったのかぁ?とますます疑惑が深まる作品だった。ほんとにこんなことが今でもあるのだろうか。まるで人買いのおじさんのような男がいて、子どもたちをこきつかって働かせるなんて、「オリバー・ツイスト」の世界じゃあるまいし。

 大金持ちでも幸せじゃない子どもだっているんだよ、というメッセージ。子どもたちの幸せのために大人は何ができる? 子どもなんて救わなくていい、という大人もいるでしょう。でもわたしは子どもはやっぱり希望だと思っています。


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ALL THE INVISIBLE CHILDREN
イタリア/フランス、2005年、上映時間 130分(PG-12)
監督: メディ・カレフ 「タンザ」、エミール・クストリッツァ 「ブルー・ジプシー」、スパイク・リー 「アメリカのイエスの子ら」、カティア・ルンド 「ビルーとジョアン」、ジョーダン・スコット;リドリー・スコット「ジョナサン」、ステファノ・ヴィネルッソ 「チロ」、ジョン・ウー 「桑桑(ソンソン)と小猫(シャオマオ)」

アヒルと鴨のコインロッカー

2007年12月23日 | 映画レビュー
 これはまあ、面白いといえばいいのか面白くないといえばいいのかよくわからない映画だ。なんだか妙な映画で、コメディだと思って見に行ったら意外にもハードボイルドだったり、けっこう切なかったり。途中であっと驚く仕掛けがあるのだけれど、実はわたしは「あっ」と驚かなかった。だからといって結末が予測できたとかそういうのではなく、要するに「いったいこれは何を言いたい映画なの?」という不思議な気分がつきまとっていたから、何が起こっても「へぇ、そうなんだ」と受け流してしまう。およそありえそうにもない設定を強引に押し通していくから、リアリズムから程遠く、ゆえに、あっと驚かなければならない仕掛けにもさほどの驚きがない。ただし、おそらく原作の構成はとても巧みなんだろうと思わせる面白さはある。途中の「仕掛け」は小説で読むほうが衝撃が強いのではなかろうか。

 舞台は仙台。ああ、行ってみたい仙台。仙台といえば牛タン。誰もが言う、「仙台といえば牛タン」。牛タンが重要な伏線かと思ったけれど、これは単なる小ネタだったみたい。主人公は東京から仙台の大学へ入学してきたばかりの可愛らしい男の子、椎名。アパートの隣人で大学生の河崎の部屋に引越しの挨拶に行ったところ、いきなり「本屋を襲うんだ、一緒にやろう」と明るく誘われてしまう。椎名の隣室のブータン人留学生に『広辞苑』をプレゼントするというのがその動機だ。

 いきなりこういう素っ頓狂なトーンで始まるこの映画、全編に流れる「神様=ボブ・ディラン」の歌「風に吹かれて」が重要なモチーフとなる。

 この映画はいったい何がいいたかったのだろうか? 外国人差別はいけませんとかそういう教訓めいたことなのだろうか?

 とてもそんな風には思えないのだが、かといって疾走する青春の爽やかさと切なさを描こうとしただけにしては話がややこしすぎるしね…。役者たちの演技も自然らしさがなくてみんなどこかぎこちない。そんな中で主人公椎名役の濱田岳がとても愛らしくてよかった。大人になりきれない少年の面影を残す童顔の濱田岳が頼りない椎名役にぴったり。

 河崎とブータン人との友情が摩訶不思議で、どうしてブータン人が河崎にそれほど惹かれたのかがよくわからない。しかし、ブータン人というのはとかくそのように理解しがたいものだと思ってしまえば問題はないのだが…。そういう解釈でいいのかぁ?

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日本、2006年、上映時間 110分
監督・脚本: 中村義洋、プロデューサー: 宇田川寧、原作: 伊坂幸太郎、音楽: 菊池幸夫
出演: 濱田岳、瑛太、関めぐみ、田村圭生、なぎら健壱、松田龍平、大塚寧々

グアンタナモ、僕達が見た真実

2007年12月23日 | 映画レビュー
 主要な登場人物が3人でそれぞれが生命の危機にありながら無事生還した経過を描くドキュメントであり、かつ本人たちのインタビューを合間に挟むという構成は「運命を分けたザイル」とそっくりそのままだが、映画の印象はかなり違う。やはり監督の腕の違いなのか、取上げられている題材がわたしの興味をそそるからなのか、おそらくその両方だろう。描かれているのは再現ドラマには違いないが、まるでドキュメンタリーそのもののような迫力とリアリティがある。

 ところが、この映画を観終わって感じることは<物足りなさ>なのだ。粉川哲夫さんが「映画は、猛烈いい。いま政治的な映画を撮らせたら、ウィンターボトム右に出る者がいないと言えるくらいの彼が撮ったのだから、まちがいない。まるで現場に飛び込んで撮ってきたドキュメンタリーのような迫力とリアリティがある。しかし、『ウェルカム・トゥ・サララエボ』 も 『イン・ディス・ワールド』 もそうだったが、いずれの場合も、つねにショッキングな効果を維持したまま世界を摘発するウィンターボトムの映画は、意外に、あとに残らないのだ」と書いておられるのとまったく同じ感想を抱いてしまった。

 本作は、9.11の直後に偶然アフガニスタンに足を踏み入れてしまったイギリス国籍のパキスタン移民3人が米軍にテロリストの容疑をかけられるというフレームアップを描くものだ。彼らはやがてキューバ内の米軍基地(「敵国」内に基地を持っているというのが米国の怖さかも)グアンタナモに連行され、そのまま2年半も拘束され、拷問に等しい尋問を受け続けるのだ。自由と民主主義の国アメリカというのがいかに嘘っぱちかということがよくわかる作品だ。いつものように画面の質感といい、カメラの動かし方といい、「マイケル・ウィンターボトムだなぁ」と感じさせる、枯れた色調と鮮度の低いざらざらした画面だ。その色調も物語が進むううちにだんだんと色が濃くなり、観客がその中にすっと感情移入していくように計算してある。

 ウィンターボトム監督の主張は単純かつ明快だ。実はこの映画の物足りなさはそこにあるのかもしれない。「ウェルカム・トゥ・サラエボ」のときと同じ感想になるが、どちらに非があるのか明快な場合、そのあまりにもはっきりした被害・加害の図式を描かれるとわたしのようなひねくれ者は単純に正義の炎を燃やすことができないみたいだ。映画を観ている間は「よくもこんなひどいことをするもんだわ」と憤激しているのだが、見終わった後、「で?」と思ってしまう。

 もちろん、我がニッポン国がこの戦争に加担しているのだから、他人事のように「で?」などと言ってはいけないということはわかっているのだが…。

 この映画のみどころの一つは、若者3人の友情の深さと意志の強さだろう。特別に政治的な背景があるわけでもなく、さして敬虔なイスラム教徒でもなかった3人が米軍の拷問やいやがらせ・離間策に屈せず最後まで虚偽の自白をしなかったことは拍手喝采ものだ。なかなかこういうことはできないものなのに、この3人はえらかった。それにしてもバカなのは白人たち。彼らはアジア人の見分けがつかないのだ。誰を見ても同じだと思うのだろう、オサマ・ビンラディンの政治集会のビデオを見せながら、「ほら、ここにあなたが写っているでしょう?」と執拗に訊ねる尋問官たちはアジア人を自分と同じ人間とは思っていないのだろう。

 ウィンターボトムは、グアンタナモの収容所の閉鎖を訴えてこの映画を作ったという。その意図がじゅうぶん伝わる力作であることは間違いない。グアンタナモのことは日本ではほとんど報道されなかったはずだ。とりわけ大マスコミは報道していないのではないか? そのことに腹が立つ。もっとヒットして欲しい作品だ。


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THE ROAD TO GUANTANAMO
イギリス、2006年、上映時間 96分
製作・監督: マイケル・ウィンターボトム、マット・ホワイトクロス、製作総指揮: リー・トーマス、音楽: ハリー・エスコット、モリー・ナイマン
出演: アルファーン・ウスマーン、ファルハド・ハールーン、リズワーン・アフマド、
ワカール・スィッディーキー