ピピのシネマな日々:吟遊旅人のつれづれ

歌って踊れる図書館司書の映画三昧の日々を綴ります。たまに読書日記も。2007年3月以前の映画日記はHPに掲載。

人文系ヘタレ中流インテリのための

2006年06月20日 | 読書
『マルクスの使いみち』
稲葉 振一郎、松尾 匡、吉原 直毅著: 太田出版: 2006

 これはまた読みにくい本だ。3人の鼎談だけれど、最初のほうはいったい何がなにやらさっぱり。経済学説史の解説が延々と続くけど、初心者向けじゃないよ、これ。

 やっと3章になって面白くなってきた。そこまでの抽象的な経済モデル論には面白みを感じられなかったのだが、3章では具体的な像が描いてあるので、わたしのような頭にもわかりやすい。
 最終章は要するに「平等な社会」、「公正な社会」とは何かをめぐる議論だ。結局のところわたしは、経済学よりも社会倫理のほうに興味があるということだろう。こういう話題だと面白く読めるのだ。なぜ平等な社会がいいのか、をめぐる議論にはコンセンサスがない。カント流の「他と入れ替え不可能な絶対的個人」が大切だからこそ、「平等主義」が正義だといえるのか、逆に、「個人なんていくらでも取替え可能なものなんだ」と気楽に考えるところから「平等」を模索するのか、大きく二つの方向があるという。

 あと、興味深かったのはローマーの提唱する「市場社会主義」論だ。株式クーポンを国民に配ってみんなで株主になるという制度。このクーポンは売買不可、譲渡も不可、要するに選挙権みたいなものね。相続もできないから、どんなに儲けても子孫に残すことはできない。
 うーむ、これ、なかなかいいかも。

 本書には内容以前に編集上というか、出版上の問題がある。鼎談といいながら、ほとんどが稲葉さんと吉原さんの対談なのだ。松尾という人はいったい何のために出てきたのか、と思うぐらい、登場場面がない。後書きでご本人も自分はほとんど口を挟む余裕がなかったと書いているが、まさにそう。その上、ちょっとまとまって長くしゃべったところほど削除されてしまったと不満が書いてある。可哀想に。

 マルクスの使いみち、といいながらいったどこに具体的な使いみちがあるのかよくわからない本だったけど、要するにマルクスの教えというのは今でもうち捨てていいもんではないよ、ということが書いてある。でもそんなことなら別に本を読まなくてもわたしだってそう思っているんだけど…
 
 ま、マルクス主義から新古典派に転向した人たちの書いた本であり、しかもマルクスの尻尾を引きずったまま、というところが今風なのかな。(どこが今風?(^^;))