ピピのシネマな日々:吟遊旅人のつれづれ

歌って踊れる図書館司書の映画三昧の日々を綴ります。たまに読書日記も。2007年3月以前の映画日記はHPに掲載。

イタリア的、恋愛マニュアル

2007年12月22日 | 映画レビュー
 恋はいつでも突然やって来る。その嵐に掴まれたら最後、誰も抗うことはできない。恋の始まりは炎が明るく照らす。けれど、ひとたびその恋が深まり、二人が近づけば、互いの炎が互いの頬を焦がし髪を燃やす。近づけば近づくほど人は傷つけあい、愛の煉獄へと落ちていく。

 イタリア人はすぐに恋に落ちる。噂どおり、男は懸命に女を口説く。それはもう懸命に。4組のカップルの愛の悲喜劇が語られるオムニバス、わたしは最後の話にとりわけ大笑いをさせてもらった。こんなに楽しい恋なら、人生捨てたもんじゃないね。中年の恋はためらいも恥じらいもすべてがこれまでの人生の反省と重みの上に立つ。しかしそう言いながら、やっぱり人は愚かなもので、恋の風がひとたび吹けば、その虜になるのだ。

 若者から熟年まで、さまざまな世代の恋愛をリレーしていくオムニバス。それぞれに共通の登場人物がいて次の話へとバトンをつないでいく趣向。

 第一話は初々しい若者カップル。「ひと目会ったその日から恋の花咲くこともある~」ていうのは「パンチでデート!」のキャッチコピーだったな、確か。で、この「ひと目会った瞬間に」恋に落ちるという話がすんなり納得できるためにはやっぱり女が美しくなければいけません。ジャスミン・トリンカ! なんという美しさ。イタリアの花ですな、彼女は。「輝ける青春」にも出演していたけれど、あの映画とは比べ物にならない輝きぶりでございます。ジャスミンに恋をするのがラッセル・クロウを若くしたみたいな顔のシルヴィオ・ムッチーノ。この二人の物語がそれぞれのモノローグを重ねて描かれる。ちょっとおしゃれな恋愛ものだけれど、わりとストレートな話なのでそれほど印象に残らない。

 で、第2話は倦怠期の夫婦のお話。けっこう身につまされます。とはいえ、これもあまりひねりがないのでちょっと退屈。

 第3話は夫に浮気されて頭にきた婦人警官が腹いせに駐車違反をビシバシ取り締まるという笑える話。イタリア人たちも駐車違反では苦い思いをしている人が多いのではないかと想像させるお話でした。これは女性に(警察)権力を握らせると怖いぞという教訓めいた話かも。そういう意味ではヒステリー女の馬鹿騒ぎ話にも思えてあまり上品とは言えない。フェミニズム的には正しくないストーリーです。

 わたしは第4話がいちばん面白かった。真面目な小児科医が妻に浮気されて途方に暮れるという可哀想なお話だけれど、これが妙に笑えるから、重い話をカラっと笑い飛ばす地中海的明るさがあってなかなかいい。

 「人はわけも知らず突然恋に落ちます。滑稽にも不可解にも危険にすらなります」

 「人はどうして恋に落ちるのか、その理由など知らない。ただ愛に打ちのめされるだけだ」


-----------------------------------

MANUALE D'AMORE
イタリア、2005年、上映時間 118分
監督・脚本: ジョヴァンニ・ヴェロネージ、製作: アウレリオ・デ・ラウレンティース、音楽: パオロ・ブォンヴィーノ
出演: シルヴィオ・ムッチーノ、ジャスミン・トリンカ、マルゲリータ・ブイ、セルジオ・ルビーニ、ルチャーナ・リッティツェット、ディーノ・アッブレーシャ

さくらん

2007年12月22日 | 映画レビュー
 吉原の女は強い! 苦界に身を沈めた遊女という弱者の立場ではなく、高級女郎の立場を利用して出世していく花魁の華やかな世界を描いた作品。極彩色に目眩が…! 

 吉原の遊郭に8歳で売られてきた娘は「きよ葉」と名づけられ、器量のよさから将来を見込まれた禿(かむろ)だったが、その口の悪さと反抗的な態度に楼主たちも手を焼いた。何度も脱走を試みるきよ葉を優しく見つめてくれるのは女郎の子どもに生まれこの玉菊屋で育った清次だった。やがて美しく成長したきよ葉はきっぷのよさと鼻柱の強さ、なによりも美貌と「名器」で売れっ子になる。そのきよ葉が本気で惚れた大棚の若造はきよ葉の命がけの想いに応えられるような強い男ではない。

 さすがは写真家蜷川実花、ワンショットごとの色と構図の懲り方は只者ではない。ただし、あまりの鮮烈な色彩とくっきりとした黒の印象深い画面が続くとしまいには疲れが出てきてしまった。ご馳走で連日連夜攻め立てられるとお茶漬けが食べたくなるもの。

 映倫コードPG-12とは驚いた。これは下手すればR-18、当然にもR-15だと思ったのに!

 あんまり映画的な映画とは思えなかったし、これをDVDで見て面白いかどうかは疑問。

-------------------------------

日本、2007年、上映時間 111分
監督: 蜷川実花、エグゼクティブプロデューサー: 椎名保 ほか、原作: 安野モヨコ、脚本: タナダユキ、音楽: 椎名林檎
出演: 土屋アンナ、椎名桔平、成宮寛貴、木村佳乃、菅野美穂、永瀬正敏、小泉今日子、石橋蓮司、夏木マリ、安藤政信

インファナル・アフェア

2007年12月22日 | 映画レビュー
 これはリメイクの「ディパーテッド」と甲乙つけがたくいいねぇ。音楽もよし。アンディ・ラウ良し! トニー・レオン上手い。見る順番によってオリジナルとリメイクとどっちがいいか評価が分かれそうです。

 先に「ディパーテッド」を見ているからどうしても比較しながら見てしまう。ストーリー展開はほぼ同じなので次に何が起こるかも予想でき、そういう意味ではスリリングな話にもかかわらず充分楽しむことができなかったのは残念。とはいえ、まったく退屈しなかったのだから、これは相当よくできた映画だと思う。

 巻頭、いきなりヤクザの若手子分達が警官に就職する場面から始まる。訓辞を垂れているのは警察学校の校長ではなくてやくざのボス。このオープニングはスタイリッシュで痺れる。このあと、かなりスピーディに話はトントンと進み、ヤクザの手下が警察で出世し、いっぽう警官がヤクザ組織にもぐりこむという潜入合戦のエックス攻撃(「サインはV」です、古い)が展開する。

 瞠目すべきはトニー・レオンのやつれ方。警官でありながら身分を偽り潜入捜査10年のはてにアイデンティティを見失って心身ともに疲れ果てるというヤン刑事役を見事に演じた。ヤクザの手下なのにインテリっぽいアンディ・ラウはもちろんかっこいい。ハリウッド版よりこちらのほうが役者が魅力的だ。ただし、ハリウッド版のほうがヤクザの親分に迫力があった。やはりジャック・ニコルソンは別格ですな。それにハリウッド版にはエスニック問題もからめたりして、話が複雑になっているのと、展開にリアリズムを重視しているため、どうしてもテンポが遅い。スピーディーでコミカルなのは香港版、渋くてクールなのがハリウッド版、といった違いがある。

 わたしはどちらも面白かったが、作品の完成度はハリウッド版のほうが高い。結末の違いに東西の思想の違いが現れているのではなかろうか。やはりキリスト教的倫理観が色濃いハリウッドのほうが教訓的かも。(レンタルDVD)


------------------------

INFERNAL AFFAIRS 無間道
香港、2002年、上映時間 102分
監督: アンドリュー・ラウ、アラン・マック、製作: アンドリュー・ラウ、脚本: アラン・マック、フェリックス・チョン、音楽: コンフォート・チャン
出演: アンディ・ラウ ラウ、トニー・レオン、アンソニー・ウォン、エリック・ツァン

ヒポクラテスたち

2007年12月22日 | 映画レビュー
 舞台は1980年、京都、左京区の大学。これはもう、作品の出来に関係なく、わたしにはあまりにも懐かしくてほとんど我を忘れてしまいそうだ。思い出とはとかく恥ずかしいもの。とは誰の言葉だったか、懐かしさと同じだけ、稚拙で青臭い若き日の自分を再発見してしまい、映画を見ながらノスタルジーと恥の間で揺れ動いていた。1980年の京都、ひょっとして通行人のなかに自分が映っているのではあるまいかと思うほどに同時代にそこに生きて同じように悩める学生だったわたしには、この映画は苦笑せざるをえないほどに痛い。と同時に、やはり距離感も感じる。それは今から翻って構築するあの頃のわたしの自己像がこの学生たちと違うからだろう。

 「くぁうじんばし」という銘板が見える荒神橋、そう、あの橋の近くでわたしは4年間下宿した。学生たちが「森永ヒ素ミルク事件は終わっていない」という懐かしい立て看をバックにビラまきをしているのが、今は地下に潜ってしまって往時の面影がない三条京阪駅前だ。あの当時、繁華街での情宣といえば四条河原町角でやるとだいたい決まっていた。三条京阪前でビラまきなんてした記憶がないが、これはロケの都合でそういう設定になったのだろうか。

 それにしても懐かしい「川端署」の文字。当時の学生たちは川端署のことを「バタ署」、下鴨署のことを「ガモ署」と呼んでいた。下鴨署管内にはヤクザの息子がいて、ときどき留置され、彼がパクられているときには料亭下鴨茶寮から差し入れの弁当が届き、たまたま一緒に留置されている左翼学生にもおこぼれがあったとかで、「どうせパクられるならバタ署じゃなくてガモ署がいい」というのが学生たちのささやかな願いだった。

 「10.21の次の日が時代祭で、時代祭の行列にバイトに行ったら、前の日に殴り合いした警官が行列に同行していてにらみ合いをしたという笑い話が10年前にはあったんやけどなぁ」などという逸話は初耳だ。わたしたちの学生のころはまだけっこう規模の大きなデモをやって毎年逮捕者が出ていたのじゃなかったかな。

 京都府立医大がモデルの話だが、映画の中では「洛北医大」という名前に変えられている。当時、京都府立医大ではほとんど学生運動はなかったと記憶しているが、確かに映画の中にでてくる学内デモもあまりにもちゃちくて涙が出そうだ。ただし、何度も水俣病のポスターや森永ヒ素ミルク事件のポスターが登場して、これは実際あの当時、このような立て看もポスターもよく見かけた。森永ヒ素ミルク事件を糾弾する立て看の書体はあまりにも懐かしい。これは誰が書いたか個人名を言い当てることができそうなぐらいのシロモノだ。

 あ、こんな調子では映画のレビューなんてできそうもない。映画を見ながら考えていたのはいろんなこと。映画の内容よりももっと複雑にさまざまな想いが去来して、頭が混乱していた。ちょっと冷静になって思い出してみよう、映画のことを。

 本作は、まだ若かりし大森一樹監督が自身の伝記的ストーリーを臨場感あふれるタッチで描いた青春群像だ。医者になるために医大にきたというのに医者になることをためらう女子学生とか、何年も留年しているロートル学生とか、子持ちの中年学生とか、可愛らしい一回生のぼんぼんとか、「いたいた、ああいうの、いたよなぁ~」というリアリティに満ち溢れている。

 映像テクニックは漫画的な演出も含めていろいろやりたい放題やっていて、大森監督、なんだかあれもこれもといっぱいいっぱいだね、という感じ。演出も演技も若さに溢れているのだ。それは悪く言えば稚拙で青臭くて勢いだけで突っ走っているという印象。よく言えば青春ものに相応しい疾走感がある。コメディだけれど、学生たちは真面目に悩んでいるし、避妊法のテストで満点とれても現実には恋人を妊娠させてしまう主人公の情けなさとか生真面目さとか、暗い一面もきちんと描いて、いかにも青春の蹉跌を思わせる。

 今では名優として渋い演技をみせる人たちの若い頃が見られるのも新鮮で、とても面白い映画だった。(レンタルDVD)

---------------------------

日本、1980年、上映時間 206分
監督・脚本: 大森一樹、プロデューサー: 佐々木啓、音楽: 千野秀一
出演: 古尾谷雅人、伊藤蘭、光田昌弘、狩場勉、柄本明、西塚肇、真喜志きさ子、小倉一郎、阿藤海、内藤剛志、鈴木清順、手塚治虫、原田芳雄、渡辺文雄

ペレ

2007年12月22日 | 映画レビュー
 マックス・フォン・シドーの重厚な演技が素晴らしい。ペレ役のペレ・ヴェネゴーの愛らしさと熱演ぶりも感動。リアリズムに徹した演出は、貧しいスウェーデン出身の人々の哀感をそそる。

 「アンジェラの灰」とか「ジェルミナル」を思い出させるような労働者の貧困が描かれる本作の舞台はデンマークの農園。畜産農場で働くスウェーデンからの移民親子が主人公だ。まだ年端もいかない息子がペレで、その年老いた父親がラッセ。二人はデンマークに来れば楽な暮らしができると信じてやって来たのだったが、待っていたのは過酷な牛小屋での生活だった。デンマークに行けば子どもは働かなくてもいいはずだったのに、毎日毎日牛追いの生活が待っていた。ペレ親子は薄汚れた服を着て蠅だらけの小屋で家畜と一緒に眠る。管理人は厳しく強欲な男で、農園主は女たらし。その妻は厳しくも優しい老婦人で、ペレを可愛がってくれるのだった。

 ペレは過酷な状況なのに泣き言一つ言わない。いつも泥だらけの頬なのに瞳を輝かせて生きている。そのつぶらな瞳は人の世の真実を見つめていたのだ。彼は大人の欺瞞も嘘も見ぬく賢い少年だった。学校で虐められても決して屈しない。その懸命な姿には胸打たれる。いっぽう、彼の父もまた年老いて過酷な労働に従事しながらも誇りは失わない。その失わない誇りこそが悲しい。「日曜日にはベッドでコーヒーが飲めるぞ」というささやかな望みだけで瞳を子どものように輝かせる老人は、たったそれだけのために「未亡人」と結婚しようとする。

 この親子の夢はほんとうにささやかなものだ。クリスマスにはローストビーフを食べたいとか、日曜にベッドでコーヒーを飲みたいとか、パンにバターを塗って食べたいとか、そんなことしか頭にないのかもしれないと思えるほどにいじましくささやかで小さなものだ。同じ農園に住む中年のエリックはいつか世界一周の旅に出ることを夢見ている。金を貯めてアメリカへ行くのだ、世界を征服するぞ、と。

 彼らの夢は何一つ叶わない。今よりほんの少し楽な生活をしたいだけなのに、そんなささやかな夢は叶わないし、屋敷に住む優しい奥様だって、決して自分たちの身分の違いに疑問を抱いたりはしない。

 いま、日本も「格差社会」と呼ばれるようになってきて、さすがにこの映画ほど悲惨なことはないにしても、同じようにささやかな夢を抱く人々が増えているのではなかろうか。この映画の時代とは違って今は情報ばかりが先走るために、貧困層の怨嗟は歪んだ感情へと突っ走りやすい。胸をえぐるようなペレ親子の窮状と、そして失わない希望に心を打たれながら、そんなことを思った。

 特筆すべきは風景の美しさと侘びしさ。霧の中から帆船が浮かび上がる導入部の幻想的な美しさといい、何度も映る凍った海の厳しさ、最後にペレの姿が小さく消えていく広野の、行く手を阻むような猛々しくも寂しい姿は感動的だ。

---------------------------

PELLE EROBREREN
デンマーク/スウェーデン、1987年、上映時間 150分
監督・脚本: ビレ・アウグスト、原作: マーチン・アナセン・ネクセ、撮影: イェリエン・ペルション、音楽: ステファン・ニルソン
出演: ペレ・ヴェネゴー、マックス・フォン・シドー、ビヨルン・グラナス

しゃべれども しゃべれども

2007年12月22日 | 映画レビュー
 話下手で他人とのコミュニケーションをうまく築けないことに悩んだ不器用な人々が織り成す、落語をネタにしたちょっといい話。

 いつまでも二つ目どまりの若手落語家今昔亭三つ葉が主人公。わたしは落語に明るくないので、彼の落語のどこが悪いのかよくわからない。まあ、聞いていて面白いとは思えないからやっぱり下手なんだろう。この三つ葉の師匠が今昔亭小三文。伊東四朗が飄々と演じていてとてもいい感じ。それにこの人の落語は面白いよ、やっぱりうまいもんです。

 三つ葉というのは幼い頃に両親と死に別れて、茶道教室を開いているおばあちゃんに育てられている。このおばあちゃん、下町の人なんだけど、八千草薫が演じるととても上品でよい。で、ひょんなことから「話し方教室」を始めることになった(といってもどうやらボランティアっぽいから授業料はとってないんだろうなと思わせる)三つ葉は、話し方なんて教えられないから生徒たちには落語を教えるという。この生徒がまた風変わりで、やたら口の聞き方が悪い若い女と、大阪から転校してきて大阪弁を級友にからかわれている男子小学生と、口下手な野球解説者という3人。この3人が話し方教室で落語を習うなんていうおよそ不自然な設定にリアリティを感じられるかどうかで映画の評価に影響しそう。わたしはギリギリなんとか納得できたっていう程度。まあ映画なんだからそんなことアリでもいいか。

 この生徒3人の個性が強烈だから完全に主役が食われている。特に子役の森永悠希くん、ものすごくよく舌が回る。よくぞ長い台詞(落語)を覚えたもんだよ、上手い! で、口悪い態度悪い女は見た目だけは美しいけど、すっごく陰険だから、いくらモデルの香里奈が演じていても印象がすこぶる悪い。ほんと、こういうの見ていると人は外見じゃなくて中身だと思うわ。というか、表情とかコミュニケーションの上手さがものを言うんだろう。この彼女だってほんとは悪い子じゃないんだろうけど、どういうわけか人とうまくコミュニケーションがとれなくてつっけんどんな態度をとり、しかも人の嫌がることばかりを言う。

 三つ葉が陰険女に「どうでもいいと思っていたらこんなに腹は立たない」と言った台詞は鋭い。相手のことを思ってとった行動をわかってもらえない、受けとめてもらえないと思ったときに本当に腹が立つものだ。相手に対する細やかな思いが強ければ強いほど苛立ちもつのる。

 本作はものすごくかっちりきっちり作られているところがいい点でもあり物足りない点でもある。予定調和をくずす面白さに欠けるのだ。何かが決定的に足りない、という居心地の悪さがある。それが何か、ちょっと今は表現できなくてもやもやしている。テンポか? 落語を通して口下手三人(小学生は口下手じゃないけど)が少しずつ変わっていく、そのオチの付け方にどこか間合いの悪さを感じるからか。不自然な人物設定が最後まで不自然だったかも。でも、悪くないです、下町の風景がよかったしね。古い路地やクーラーもない家というのは人の<手>の温もりを感じます。


----------------------------------

日本、2007年、上映時間 109分
監督: 平山秀幸、プロデューサー: 渡辺敦、原作: 佐藤多佳子 『しゃべれども しゃべれども』、脚本: 奥寺佐渡子、音楽: 安川午朗
出演: 国分太一、香里奈、森永悠希、松重豊、八千草薫、伊東四朗

美しい人

2007年12月22日 | 映画レビュー
 ワンシーン・ワンカットが自然な描写と緊張感を生む。

 9人の女性の生活のある断面を切り取ったオムニバス。それぞれの話には同じ人物が登場することもあるけれど、基本的には別のストーリー。そして、まさに「断面」しか切り取らないから、そこには多くの謎が残り、物語は宙づりになったまま観客は取り残される。

 なぜ久しぶりに実家に帰った娘は父へ殺意に至るまでの憎しみを抱くのか? なぜ友人の豪華な新居を見に行った夫婦はいらだつ感情を小爆発させるのか? 美しい中年女はなぜ刑務所で服役しているのだろう。

 おおくの「なぜ」をセリフも映像もほとんど説明しない。しないけれど、それはおそらく想像がつくことばかり。そして、観客一人ひとりのその想像のバリエーションこそが見る者の歴史と現在を映す鏡だ。9つの物語の行間に隠された物語や心理を受容する受け皿となる知識や経験が観客になければ、それだけこの映画は理解不能で面白くないものに思えるだろう。そういう意味では、たとえばわたしには謎として残った不可解なシーンは「ルース」の靴だ。なぜ靴を見て不倫を思いとどまるのかがわからない。それよりも、見ず知らずの女が残していった片方の靴を手にとってまじまじと眺めるなどということが気持ち悪くてわたしには理解不能だった。そこでふと思うことは、「靴」の持つメタファーである。”in her shoes"という言葉には、「彼女の立場で/に」とか「彼女の境遇で/に」とかいう意味が含意されているらしく、それがヒントになるかもしれない。

 9つの話のうち最後の一つを除くすべてが、女の人生のある危機的な状況の一瞬、緊張感に満ちた一瞬を捉えている。その中でも特に印象に残るのが、別れた恋人と偶然再会して心が揺れるダイアナのエピソードと、夫婦の秘密を友人に簡単にしゃべってしまう夫に怒りが爆発するソニア、葬式の場で元夫と関係をもつローナ、乳がんの手術を受けるカミールのケース。そして最後のマギーだけが緊張の場面ではなく、風薫る中で老いと死を静かに見つめる切ない一瞬が描かれる。

 ローナのエピソードは、死者の匂いと隣り合わせのエロスという究極の状況設定で、見ているほうがハラハラして思わず「ええっ」と言いそうになるその瞬間で終わってしまう、憎い作り方。

 9つのエピソードの中には必ず自分の体験と重ねることができる瞬間が切り取られていて、見終わった後に誰かと語り合いたくなるような映画だ。(レンタルDVD)

-----------------------------

NINE LIVES
アメリカ、2005年、上映時間 114分
監督・脚本: ロドリゴ・ガルシア、製作総指揮: アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ、
音楽: エド・シェアマー
出演: キャシー・ベイカー、エイミー・ブレネマン、エルピディア・カリーロ、グレン・クローズ、スティーヴン・ディレイン、ダコタ・ファニング、ウィリアム・フィクトナー、リサ・ゲイ・ハミルトン、ホリー・ハンター、ジョー・マンテーニャ、イアン・マクシェーン、ジェイソン・アイザックス、モリー・パーカー、シシー・スペイセク、ロビン・ライト・ペン

青いパパイヤの香り

2007年12月22日 | 映画レビュー
 静かな映画。科白を禁欲し、映像で語らせる作品だ。いくつもの象徴的なカットが伏線となりラストのカタルシスを呼ぶ。これがドラマデビュー作というトラン・アン・ユン監督の才能を大いに感じさせる秀作。

 そして主人公ムイの少女時代を演じたリュ・マン・サンの瑞々しいこと! 彼女の愛らしさがこの映画に大きな魅力を与えている。

 物語は1951年のハノイのとっぷりと暮れた路地から始まる。不安げに裸足で歩く少女はムイ10歳。彼女は金持ちの家に使用人として奉公に出されたのだ。おお、「おしん」ではないか! そう、まるでおしんのような境遇の少女の物語なのだが、これが「おしん」と比べようもなくそこはかとなくエロティックで、画面作りの懲り方もまったく別物であります。ま、当然か、テレビドラマと比べたらユン監督が怒るでしょう。

 少女ムイが懸命に働く姿はけなげで、奉公先の小さな男の子が悪戯を仕掛ける様が小憎たらしくも可愛く、前半部の子ども達の描写が秀逸。料理が美味しそうな映画はとても魅力的なのだ。この映画でも次々と給仕されるベトナム料理の色とりどりに美味しそうなこと! 「旦那様たちには料理の見た目が大切」との言葉どおり、強火で炒められた豚と野菜の炒め物など、香りまで漂ってきそうだ。

 ムイが20歳になった後半からは役者が交代し、やや精彩に欠けるのだが、それでも結末に至る間に何度か登場するパパイヤの種の大写しなど、印象的だ。パパイヤの種は豊かで大きく、ざくざくと溢れるその様子はちょっと見には気持ちが悪いのだが、それがラストシークェンスに繋がると「あっ」と思わせられる。

 全編パリ郊外でのスタジオ収録だと知って驚いたのだが、古いベトナムの雰囲気がよく出ていて(行ったことないけど)、監督の幼い頃への思い入れが滲み出た郷愁溢れる絵作りだ。画面のスケールは小さくほとんど室内の場面ばかりだけれど、台詞のない分、画面には静かな緊張感が漲っていて、その雰囲気をたっぷりと楽しめる。

 ベトナム料理を食べに行きたくなりました(涎)。(レンタルDVD)


------------------------------

L'ODEUR DE LA PAPAYE VERTE
フランス/ベトナム、1993年、上映時間 104分
監督・脚本: トラン・アン・ユン、製作総指揮: クリストフ・ロシニョン、音楽: トン=ツァ・ティエ
出演: トラン・ヌー・イェン・ケー、リュ・マン・サン、グエン・アン・ホア

トランスアメリカ

2007年12月22日 | 映画レビュー
 えっ、フェシリティ・ハフマンって女優だったの?! てっきり男性が女装して演じているのだと思ってしまった。なるほどこれなら各種映画賞を獲るはずです。

 トランスジェンダーな男性が息子と一緒にアメリカをトランス(横断)するというロードムービー。コメディに分類されているけれどそれにしてはずいぶん静かなコメディだ。性転換手術間際の主人公ブリーが終始物静かに上品にしゃべるからだろう。

 ブリーはいまや女性として生活しているが、かつてはスタンリーという名の男性だった。そんな彼には学生時代、たった一度だけ女性とのセックスの経験があり、なんと、息子が生まれていたのだった。そんなこととは知らなかったブリーは、突然の警察からの電話で自分が17歳の少年の父親であることを知って驚く。留置されている少年トビーを正体をあかさずもらい受けると、トビーを伴って大陸横断の旅に出ることになった。性転換手術の許可をもらうために(そんなものが必要なのか、知らなかったわ!)止む無くトビーをロスまで送ることになったのだが、この旅の途中で彼らはいろんな人と出会って互いへの反発やら思いやらを深めていく。トビーはブリーの正体を知らないし、二人は行く先々で母子と間違われたりするその様子が面白おかしい。

 懐かしいことに、ネイティブアメリカン俳優のグレアム・グリーンが出ているではないか! 「ダンス・ウィズ・ウルブズ」(1990)で強い印象を残した彼を見るのは「グリーンマイル」(1999)以来かな。ほんの短い出演にすぎないが、今回も印象に残る役柄だ。この映画では少数者や社会的弱者がみなとても「いい人」として描かれている。彼らに対する違和感やとまどいはトビーの目を通して観客にも伝わるのだが、物語が進むにつれ、トビーからいつしかそういう「偏見」が消えていくようになる。このトビーを演じたケヴィン・セガーズ、若くてハンサムでワイルドな印象がとてもいい。これからブレイクするのでは?

 果たしてブリーの正体がばれるのかどうか、というハラハラもあって、このロードムービーは飽きないのだ。そして最後にブリーがトビーに真実を語ったとき…。それは見てのお楽しみということで。きちんと決着のつかない、けれどやっぱり希望を残すラストはGoodでした。生き難さを抱える人のしんどさや希望がしみじみと伝わる。(レンタルDVD)

----------------------------

TRANSAMERICA
アメリカ、2005年、上映時間 103分(R-15)
監督・脚本: ダンカン・タッカー、製作: レネ・バスティアン ほか、音楽: デヴィッド・マンスフィールド
出演: フェリシティ・ハフマン、ケヴィン・ゼガーズ、フィオヌラ・フラナガン、エリザベス・ペーニャ、グレアム・グリーン

LOFT ロフト

2007年12月22日 | 映画レビュー
 うーん、なんなんでしょうね、これは。ホラーなのに怖くない。いえ、前半けっこう怖いカメラワークでしたよ、うちのS次郎も「これってホラーやな、カメラの動かし方がホラーや」と言っていたくらいで、中学生にもわかるホラー映画。しかし、せっかくミイラを登場させているのにその怖さを活かしきれていない。ミイラの存在は途中までかなり怖かったというのに、いつ動くかとハラハラドキドキしているその怖さを最後まで引っ張らなきゃダメ。ミイラは動かすべきではなかった。

 それにね、「ほんの2,3日でいいんです、ミイラを預かってもらえますか」って頼むか、ふつうそんなこと! でもってさらに「はい、わかりました」って引き受けるかよ、広野の一軒家に一人暮らしの女性が! このあたりがもうコメディになってしまっているのだな、これではいけません。

 それにしてもこんなひどい映画なのにトヨエツは熱演している。一人頑張ってホラーの雰囲気を出しているのがすごい。さらに安達祐実、この人意外に怖い演技が出来るのだと知って新たな収穫。ま、時間の無駄映画です。(レンタルDVD)


-------------------------------------------

日本、2005年、上映時間 115分
監督・脚本: 黒沢清、製作: ジェイソン・チェほか、音楽 ゲイリー芦屋
出演: 中谷美紀、豊川悦司、西島秀俊、安達祐実、大杉漣