最近読書日記を書かないのは、面倒くさいというのが一番の理由だが、それ以外にも、学生たちがコピペして安直にレポートを提出することが横行しており、わたしのブログからもコピペしていく者が後を絶たない様子にうんざりしたからでもある。勉強の第一歩は「書き写すこと」だと思う。だから、小学校のとき、最初に教えられることは板書を書き写すことだったはず。手で書き写すなら勉強になると思うが、コピペではまったく本人のためにならない。
まあ、でもコピペしてもらえるというのは名誉なことであると喜ぶべきかもしれない。
それはともかく、久しぶりに本の感想を少し。とても読みやすく面白いので、お奨めします。
この本、思ったより大部なので大学の後輩A記者が書いた第7章だけを読もうと思ったのだけれど、ついでだからまあ1章だけは読んでおこうかと思って読み始めたらおもしろくて止められなくなった。新聞の戦争責任を自己批判するというこの企画は、朝日だけのものなのだろうか? ライバル毎日新聞はこういう企画をしていないのだろうか。
元の新聞連載を読んでいなかったのだけれど、よく調べて書いてあるのには感心した。さすがは大朝日の記者ですな。連載ものを集めたために、各回の文字数が一定で、レイアウトがすべて同じ。見開きの2ページ左側には写真が掲載されているという体裁がなかなかによい。この写真も貴重なものばかりだ。有名な写真もあるが、初めて見る写真がほとんどなので新鮮だった。各回読み切りなので、どこから読み始めても困ることはない。とはいえ、やはり第1章から順に読むのが理解が深まっていいと思う。
ほとんどの章が興味深かったが、特に肉弾三勇士の下りが面白かった。というのも、葉っぱさんから寄贈を受けた亡き御尊父のアルバムにこの肉弾三勇士の写真があったから、目に焼き付いていたので。大阪朝日が「肉弾三勇士」と呼び、大阪毎日は「爆弾三勇士」と呼んだという。両社が競い合って肉弾三勇士の歌を読者から募集し、同じ日に当選者を発表したというあたりのむき出しのライバル意識には笑えた。しかも、堂島川を挟んで両社が連日「肉弾三勇士の歌」と「爆弾三勇士の歌」を流して、話し声も聞こえないほどうるさかったというのには二度笑った。
巻末に特集章があり、これは連載が終わってから識者のインタビューなどを掲載したもの。このインタビューがまた興味深かった。
この続きの連載がまた朝日新聞で企画されているという。楽しみである。
<書誌情報>
新聞と戦争 / 朝日新聞「新聞と戦争」取材班著. 朝日新聞出版, 2008
まあ、でもコピペしてもらえるというのは名誉なことであると喜ぶべきかもしれない。
それはともかく、久しぶりに本の感想を少し。とても読みやすく面白いので、お奨めします。
この本、思ったより大部なので大学の後輩A記者が書いた第7章だけを読もうと思ったのだけれど、ついでだからまあ1章だけは読んでおこうかと思って読み始めたらおもしろくて止められなくなった。新聞の戦争責任を自己批判するというこの企画は、朝日だけのものなのだろうか? ライバル毎日新聞はこういう企画をしていないのだろうか。
元の新聞連載を読んでいなかったのだけれど、よく調べて書いてあるのには感心した。さすがは大朝日の記者ですな。連載ものを集めたために、各回の文字数が一定で、レイアウトがすべて同じ。見開きの2ページ左側には写真が掲載されているという体裁がなかなかによい。この写真も貴重なものばかりだ。有名な写真もあるが、初めて見る写真がほとんどなので新鮮だった。各回読み切りなので、どこから読み始めても困ることはない。とはいえ、やはり第1章から順に読むのが理解が深まっていいと思う。
ほとんどの章が興味深かったが、特に肉弾三勇士の下りが面白かった。というのも、葉っぱさんから寄贈を受けた亡き御尊父のアルバムにこの肉弾三勇士の写真があったから、目に焼き付いていたので。大阪朝日が「肉弾三勇士」と呼び、大阪毎日は「爆弾三勇士」と呼んだという。両社が競い合って肉弾三勇士の歌を読者から募集し、同じ日に当選者を発表したというあたりのむき出しのライバル意識には笑えた。しかも、堂島川を挟んで両社が連日「肉弾三勇士の歌」と「爆弾三勇士の歌」を流して、話し声も聞こえないほどうるさかったというのには二度笑った。
巻末に特集章があり、これは連載が終わってから識者のインタビューなどを掲載したもの。このインタビューがまた興味深かった。
この続きの連載がまた朝日新聞で企画されているという。楽しみである。
<書誌情報>
新聞と戦争 / 朝日新聞「新聞と戦争」取材班著. 朝日新聞出版, 2008