ピピのシネマな日々:吟遊旅人のつれづれ

歌って踊れる図書館司書の映画三昧の日々を綴ります。たまに読書日記も。2007年3月以前の映画日記はHPに掲載。

パラダイス・ナウ

2007年06月02日 | 映画レビュー
 イスラエル占領下のパレスチナの青年が自爆テロへと向かう48時間の葛藤を描いた物語。手に汗握る緊迫感に満ちた重い作品だ。
 撮影はイスラエル占領下のヨルダン川西岸ナブルス(後、ナザレに変更)で行われた。映画の中で聞こえている爆撃音は本物だというから恐ろしい。スタッフは命を危険にさらして撮影を続けたため、ドイツ人たちが途中で辞めてしまったという。撮影の裏話や苦労話は劇場用パンフレットに詳しく載っていて興味深い。それは「興味深い」という言葉で片付けられない今日のパレスチナの困難を示している。
 本作はドキュメンタリーによらず、フィクションとして描かれた。そのほうがより対象に接近できるだろうというのがアサド監督の目算だ。脚本は反イスラエルグループの「検閲」も経たという。してその物語は…。
貧しい占領地区に生まれ育ったサイードとハーレドは「自爆テロ」攻撃の指令を受ける。かねてから志願していた彼らにいよいよ実行のときがきたのだ。地下組織のアジトでの出撃前のビデオ撮影や記念撮影、「最後の晩餐」を経て、彼らは手配どおりに国境を越えてイスラエルに入ろうとするが、そこで手違いが起きて攻撃は中止になる。どさくさ紛れに行方不明になったサイードを懸命に探すハーレド。サイードは爆弾を体に貼り付けたまま、やがて夜になろうとしていた…
 映画はサイードとハーレドの二人が自動車の修理工場で働く日常を描くことから始まる。彼らがこの生活のなにに不満を抱いているのか、なぜ自爆という方法を選んだのか、二人の過去を照らし出すような描写はほとんどない。物語が進むにつれてサイードの父がかつて密告者として処刑されたことが分かるのだが、それが彼の強い閉塞感や自爆への動機となったと納得できるだけの描写だといえるかどうかは疑問だ。監督はあえて自爆攻撃前の48時間に絞り込んでこの作品を作ったため、若者たちの過去や主義主張を明らかにしなかった。ただし、貧しいヨルダン西岸に比べて近代的なビルが立ち並ぶ豊かなイスラエルを対比的にカメラに捉えることにより、彼らの境遇の悲惨さを観客に示すことは忘れていない。
 自爆という方法でもってしか自己の主張を貫けない若者がいて、生きながら尊厳を奪われるという経験を生まれてこのかたずっと経てきた者たちのやるせなさと生への絶望がそのような手段へと走らせるということは「頭の中では」理解できるのだが、やはり日本に住むわたしにはとても遠い世界の話だ。だからといってこの映画を距離感を持って見たというわけではまったくない。たった48時間の若者二人の緊迫と躊躇いと悔悟と決意と……という揺れる思いは十分に伝わる。それはあまりにも痛々しく、最後の最後まで、「引き返せないのか?!」と映画のなかの若者の襟首を掴みたい気持ちになった。
 声高に主義主張を叫ぶことを避けたという本作は、だからこそ、わたしの胸に迫る。こんな思いをする若者と、その親がいなくなる日は来るのだろうか? イスラエルの横暴を止められる日は来るのだろうか、パレスチナの和解はありえるのか。
 それにしてもパレスチナ人組織のリーダーたちはなぜ若い二人に自爆攻撃をさせるのか、なぜ自分でしないのか不思議でたまらない。他者の「勇気」は褒め称えても、自分の命は懸けないとはどういうことだろう? 自分ができないことを他人にやらせるなといいたい。
 若者の瞳に最後に映ったものはなんだったのか、サイードのアップで終わる映画のラストを沈黙が支配する。そしてわたしたちは言葉をなくす――

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2005年、フランス/ドイツ/オランダ/パレスチナ
上映時間 90分
監督: ハニ・アブ・アサド
製作: ベロ・ベイアー
脚本: ハニ・アブ・アサド、ベロ・ベイアー
出演: カイス・ネシフ、アリ・スリマン、ルブナ・アザバル、アメル・レヘル、ヒアム・アッバス