ピピのシネマな日々:吟遊旅人のつれづれ

歌って踊れる図書館司書の映画三昧の日々を綴ります。たまに読書日記も。2007年3月以前の映画日記はHPに掲載。

「ソラリスの陽のもとに」

2003年07月30日 | 読書
 映画「惑星ソラリス」、そのリメイクの「ソラリス」、そして原作の「ソラリスの陽のもとに」

 この3作はいずれもよかったが、なかでも一番感動したのはタルコフスキーの「惑星ソラリス」だ。映像も美しく、心の奥底を震わせる深い内容をもっていた。タルコフスキーの映画は、原作が持つ科学小説らしさをそっくり削ぎ落としてしまっている。そこが賛否両論を生みそうだが、わたしはむしろタルコフスキー作品のほうが人間心理の襞を深く描いた良品だと思う。

 原作を読んで初めてわかったが、ソダーバーグは原作を映画化したのではなく、タルコフスキーの作品をリメイクしたのだ。タルコフスキー作品の細部は忘れてしまったので、再度見てみたい。DVDも買ったことだし。

 原作でもやはりソラリスが生んだ「妄想の産物」の正体は詳しく描かれていない。妄想のうち、登場するのはハリーという美しい娘だけだ。映画ではもっと歳くってるように見えたが、原作では19歳だった! 主人公クリス以外の科学者たちがどんな妄想を無意識世界に住まわせていたのか、そしてそれがどのように物体化したのか、それは謎のままであった。であるからして、余計に読者の興味をそそってしまう。ソラリスの海は結局謎のまま残された。


 原作者の意図を大きく変えてタルコフスキーは映画化していたことも本書を読んで判明した。映画は原作を超えたね、この作品に関して言えば。


書誌情報

 ソラリスの陽のもとに
  スタニスワフ・レム著 ; 飯田規和訳. -- 早川書房 1977. -- (ハヤカワ文庫 ; SF237)


映画の感想はHPに掲載。「惑星ソラリス」。 「ソラリス」

最近読んだ本の短評

2003年07月28日 | 読書
 動物化するポストモダン:: オタクから見た日本社会
   東浩紀著. -- 講談社, 2001. -- (講談社現代新書 ; 1575)

 →ものすごく読みやすい。TVゲームやアニメ、コミックなどのオタク文化を分析して、ポストモダンな社会とは何かを呈示する。豊富な図表も見やすく、これはお奨め。


  泥の河 ; 蛍川 ; 道頓堀川 : 川三部作   宮本輝著. -- 筑摩書房, 1986. (ちくま文庫 ; み-3-1)

 →宮本輝の泡立つような珠玉の感性がつまっているのは、「泥の河」だと思う。情景の美しさでは「蛍川」。大阪の、というか日本の戦後史がどろどろとした道頓堀川に煌くように描かれた「道頓堀川」も捨てがたい。いずれも読者を物語世界に引き込む筆力が感じられる作品。ついでに、宮本作品で、

 
  錦繍
    宮本輝著: 新潮社, 1985.5 (新潮文庫 ; 3401, み-12-2)

 →元夫婦だった男女の往復書簡からなる、書簡文学。風景が美しく、音楽が美しく、それらは宮本輝の選び抜かれた真珠の粒のような日本語によって語られる。しみじみとした味わい、愛と憎しみの中でどうしようもなく離れていく二つの人生の悲しみと、互いへの思いやりと深い愛情に感動する。涙度やや高し。


 映画の構造分析 : ハリウッド映画で学べる現代思想
   内田樹著 晶文社 2003.6

 →毎度おなじみ内田先生の本。やはり映画好きにはたまらなく引き込まれていく題材ですな。取り上げられた映画を見たくなるのは必定。映画を堪能し、現代思想にも啓蒙されるというおいしい本。ただし、映画の内容に関してはネタバレがあるので要注意。内田先生は結局のところ、ジェンダー論がお好きと見える。
 葉っぱ64(栗山光司)さんがbk1書評をつけておられるので大いに参考にしてください。

「市民科学者として生きる」

2003年07月27日 | 読書
 下↓の日記で取り上げた『「核」論』を読んで思い出したのは高木仁三郎の自伝『市民科学者として生きる』だ。高木さんは2000年10月に大腸ガンで亡くなった。彼の自伝をあるメルマガで紹介したことがある。そのメルマガは最近配信停止になったので、若干の修正を加えてここに再録する。初出は2002年5月。

           *******

 高木仁三郎といえば反原発運動の理論的リーダーであり、大学教員の職を辞して市民運動家になった科学者として知られている。わたしも70年代末からの10年余り、高木さんとはしばしば反原発・反核集会や学習会・講演会でお会いしたことがある。論旨明快でいかにも科学者という風情だった高木さん、鋭い目もとに意志の力と知性を感じさせる人だった。

 高木さんについての印象のうち、忘れられないことがある。20年ほど前、ある集会で、イギリスやドイツの反原発活動家を招いたシンポジウムが開かれていた。通訳についた若い女性が、放射性物質(だったと思う)の濃度を訳すときに、桁を一つ間違えたらしい。例えば1000万分の一というべきところを1億分の一と訳した。それを聞いていた高木さんが、聴衆席からすっくと立ち上がって、「違う違う!」と言うや、発言者に英語で直接数字を聞き質した。その時の高木さんは、通訳の間違いをやさしく訂正するというよりは、イライラして怒っているようだった。通訳の女性にしてみれば、自分の未熟さを何百人もの聴衆の面前で非難されたに等しい。高木さんももう少し穏やかに言えばいいものを、とわたしは多少の驚きを感じた。

 高木仁三郎は厳しい人なんだとそのとき痛感した。科学者としては、数字はおろそかにできないに違いない。わたしのような文系人間は数字の多少の異同ぐらい、と軽く考えてしまうが、高木さんにとっては桁数の間違いは絶対に看過できなかったのだと思う。

 さて、高木さんは本書を病院のベッドの上で書いたという。2ヶ月間に300枚の原稿を書いたそのすさまじいエネルギーは、とても死に瀕したガン患者のものとは思えない。死の予感の中で執筆された本書は、高木さんの遺書ともいうべきものである。
「死の予感を生きる力にできるという確信」を持って、核のない社会の実現へと希望をつないでいきたいとの気持ちから、高木さんは自身の生涯を振り返っている。

 開業医の6人の子どもの5番目として育った高木さんは、成績優秀な兄弟姉妹に囲まれて、学業面でははかばかしいところなく、のびのびと子ども時代を過ごした。7歳で敗戦を迎え、その日を境に大人(教師)たちの言動が180度変ったことに不信感を抱いた。その経験が、彼をして権威を安易に信用しない資質を形成させたようだ。

 高校生になって猛勉強を始めた高木少年は、東京大学理学部へ入学する。数学を志したが挫折し、核化学を専攻して、日本原子力事業株式会社に入社した。このころは60年安保闘争の時代である。高木さんは学生運動の熱心な活動家ではなく、デモや集会に何度か参加する程度の学生に過ぎなかった。

 会社での研究生活は、思ったようなものではなく、日本的な集団主義を強制され、会社の意図に沿わない実験や研究は疎んじられる。高木さんが興味をもった核物質の基本研究は、原子力産業にとっては余計なものだったのだ。

 4年半後には会社を辞め、東大原子核研究所へ移る。さらに69年7月に、学園闘争まっただ中の都立大学へ助教授として赴任した。学生叛乱が問いかけた「大学とは何か」「科学とは何か」「科学者は何をすべきか」という鋭い問いは、「多分に未消化で、生硬なものだったが、そうであるだけに一層、心臓にささった棘のように、未解決のままに私の胸を痛めた」。
 造反教官として教授会では学生の側に立った高木さんだったが、実は自身の学問についてはどうするのかという答が出せず、長いトンネルに入っていった。

 やがて、三里塚闘争と宮沢賢治に出会い、自前の学問・科学をめざすことが自分の生きる道だと考え、73年8月に大学を辞し、2年後「原子力資料情報室」を立ち上げることとなった(当初は無給専従の世話役。のちに代表)。
 以後、病に倒れるまで、高木さんは原子力資料情報室の代表を務めた。

 著者は淡々とした筆致で自らの半生を語っている。むしろ、盛り上がりに欠けるような抑えた描き方とも言える。大学を辞する時の苦悩、とりわけ経済的な問題や、妻との葛藤など、さまざまにあったに違いない。だが、大学を去るのと同じ時期に離婚に至った最初の妻のことはなにも触れられていない。高木さんは、この本の中でこのことに立ち入ることを避けているため、人生の最大の転機と思えるできごとにまつわるドラマが見えてこない。ここが最も不満に思えた点だ。だが、高木さんとしては、書くことができなかったのであろう。それだけ、この離婚は傷の深いものだったのかも知れない。

 「見る前に跳べ」が信条だった高木さんは、転職のたびに、先行きをきちんと考えていたわけではなかったという。「無知と無思慮ゆえの無謀が、かえっていろいろな試練や冒険の機会を与えてくれ、自己変革への推進力になった」と述べている。
 「見る前に跳べ」はわたしにとっても座右の銘だ。だがこれで数限りない失敗を重ねてきた。人生を終える前に、それが間違いではなかったと高木さんのように振り返ることができればどんなにいいだろう。

 長くなってしまったが、ここで、本書には書かれていない高木仁三郎にまつわるエピソードを一つ。

 高木家には冷蔵庫がない。反原発に生涯をかけるエコロジストなのだから、無用な電気は使わない。よって、買い置きができない。作りだめができない。その日の食事の材料はその日に買い物をしてその日のうちに食べ切らねばならない。だから、食事の支度にとても時間がかかる。会議が長引いたりすると、買い物と食事の支度の時間がなくなってしまう。高木さんとおつれあいの中田さんは当番制で食事の支度をしている。高木さんは、運動家たちの会議の途中で、「今日はぼくが当番だから、早く帰らないといけない」と言うのだが、周りは納得してくれない。この理解を得るのが実に大変だったらしい。

 働き過ぎの会社人間も社会運動の活動家も、結局は同じ論理で動いているのだ。生活者の視点がそこにはない。食事の支度をしなければならないという切迫感がない。男社会はどこも同じではないか。
 そして、そんな状況を嘆いた高木さん自身が、結局は働き過ぎでガンの発見が遅れた。明らかな自覚症状がありながら、病院へ行くのが延び延びになり、大腸ガンが見つかったときには手遅れだった。会社のため、自分の信念のため、理想のため……動機は様々でも、結局は同じ働き過ぎで、まだまだ人生半ばの人が倒れていく。残念でならない。

 決して温厚な人ではなかったであろう、高木さん。その自他に対する厳しさに出会うとき、背筋が伸びる思いがする。
 高木さんの少し甲高い声、早口のしゃべり方、精悍な表情。
 決して忘れない。
 志を貫いた一人の科学者、知識人の生涯を。

 http://www.cnic.or.jp/takagi/index.html

 ここ↑に高木さんが自身の「偲ぶ会」のために書いた「最後のメッセージ」が掲載されている。わたしはこれを読んで泣いた。長生きしてもらえれば、もっと多くの貴重な仕事をしてもらえたに違いないのに。「惜しい人を亡くした」という言葉がこれほど痛切に響く死も少ない。

「核」論 : 鉄腕アトムと原発事故のあいだ 武田徹著. 勁草書房, 2002
市民科学者として生きる  高木仁三郎著 1999. 岩波書店(岩波新書)


『「核」論』

2003年07月26日 | 読書
 戦後日本の「核の受容史」を描いた本書は、原発推進論者を批判している。いっぽうで、反原発運動にも批判を加えている。その論旨は、「今すぐ原発を停止すると言っても無理なことなのだ。原発がある限り、それを安全に運転するための研究は必要ではないか。その研究すら否定する反原発派の主張は間違っている」「反原発派は一基の原発も止めたことがない」「科学の手を放す時期が早すぎる」「東海村の事故は反原発派にも責任がある」といったもの。これらについて、わたしの感想と批判を書きたい。

 東海村JCOの事故には反原発派も責任があるという武田徹氏の主張は、丸山真男が「日本の戦争責任は昭和天皇と日本共産党の両方にある」(「思想の言葉」『思想』1956年3月号初出、のち「戦争責任論の盲点」と改題して『戦中と戦後の間』に所収)と述べた主張と同じ構造を持つ。丸山は、「戦争反対」や「天皇制廃止」を掲げた戦前の<無謬の前衛>日本共産党が結局は敗北したことを批判して、「実現できないスローガンなら最初から掲げるな」と言った。
 だから、武田氏の反原発派批判の構造そのものは別に目新しいことでもないし、反原発運動内部でもそんなことはとっくに議論されていることなのだ。運動家というのは、多少の温度差はあっても、けっこうニヒルである。ほんとうは自分たちの無力さを自分たちが一番よく自覚している。今まで反原発派は一基も原発を止めていない。活動家はそのことを自嘲的に受け止めている。
 ただ、正面からそういうふうに批判されることがなかったので、キツイな、とは思う。武田氏の批判を反原発派がどう受け止めるのか反応を見てみたいが、寡聞にして本書への反論をしらない。


 次に、武田徹氏はこうも批判する。「ハンタイ派は放射能のおそろしさをむやに強調しすぎる」

 これについて、一つおもしろいエピソードを紹介しよう。
 もう20年以上も前の話だが、反原発運動の活動家が次のように話すのを聞いたことがある。
「(原発銀座の)敦賀湾(若狭湾か?)では天然のハマチが獲れる。味は間違いなくいいのだが、関電の社員たちは絶対に食べない。ところが、反原発の活動家たちはへっちゃらで食べる、うまいうまい!と。そんなもん、放射能なんて、ちょっとぐらいどうってことあるかいな、と言うてるで、みんな(笑)」
 放射能なんてちょっとぐらいどうってことないというのが本音かどうかはわからない。しかし、原発銀座の現地に住む漁民たちはそこから逃げるわけにはいかない。危険だろうが、ちょっとぐらい大丈夫だろうが、どっちにしても彼らは原発がなくならない限り、放射性物質とともに生きることを余儀なくされる。原発反対派の人々は、自分たちだけが安全なところに避難することを潔しとしない。だからこそ、敦賀湾でとれた魚も食べるのだ。

 確かに反原発派は放射能のおそろしさを強調する。だが、外向けには危険性を「過剰に」主張するけれど、自分達はあんまり気にしていなかったりする。でも中には本気で恐ろしがっている人もいるし、わたしだって放射能は怖いと思っている。武田氏はその怖がり方を問題にしているわけで、確かに反原発運動の中にある「非科学的」な怖がり方はやはり問題があるだろう。怖がり方にもリテラシーが必要なのかもしれない。
 
 次に、武田氏の高木仁三郎論について。高木が「科学の論理を手放し、それとは相容れないかたちで運動の論理に突き進んでいったように思える」(206p)というのは事実誤認ではなかろうか。また、反原発派が「科学的な思考を手放すリリースポイントが早すぎる」というのも違うという気がする。反原発派は、原発推進のための研究は否定しただろうが、廃炉のための研究までは否定していない。これについてはいくらでも反証がある。1979年に京大原子炉実験所から放射能漏れが発見されたとき、実験所内部の若手研究者がその実態について反原発派に情報を流したし、その後、その研究者は反原発の立場から著作を著している。大学で研究を続けながら反原発運動にコミットし続ける研究者はいくらでもいる。核エネルギーは人類と共存できないと思いつつ、その技術を完全に手放す日まで、彼らは研究を続けるだろう。
 ただし、「すべての原発を直ちに止めよ、あとのことは知らん」といわんばかりの主張が反原発派からあったことも確かだ。だから、武田氏の苦言を反原発派は真摯に受け止める必要があるだろう。
「本当に事故を防ぎたければ、運動に突進しようとする拙速さを控えてヒューマンファクターまで相手取った総合的な制御の技術を確立していくべきだろう」(200p)という提言には耳を傾ける価値があると思う。

 武田氏の高木仁三郎論は批判のための批判ではなく、高木への敬意や共感が底に感じられるので、個人的には好感を持つことができた。ただ、高木の科学志向への懐疑や否定的評価はわたし自身の印象とずいぶん異なる。高木仁三郎は間違いなく科学者だ。彼は死ぬまで「科学的な思考を手放」したりしなかった。だからこそ、そのための「高木学校」創設ではなかったのか? 市民科学者を育てるための高木学校の開校は、高木仁三郎が科学者でありつづけたことの証左だと思う。

  『核論』では核の歴史に紙幅を割くよりも、高木仁三郎論についてもっと深い考察を展開してもらいたかった。「1986年論」([第7章])に至るまでの記述がなければ最後の3章も活きてこないという判断があるのかもしれないが、わたしとしては最後の3つ(その中でも第7章と8章にあたる部分)の章がもっとも興味深かったので、ここに力点を置いてほしかったと思う。まあ、一人一人の読者のリクエストにいちいち応えてはいられないかもしれないが。

 反原発運動は女性たちの母性をバネに80年代末、大きな広がりを見た。だが皮肉なことに、あるいはそれゆえにか、わたしが反原発運動から手を引き始めたのもそのころからだ。そして、実際に自分自身が母親にったころには反原発運動の実践とはほとんど無縁になった。「子どもたちのために核のない未来を」というスローガンは心情的には理解できるが、わたしにはフィットしないものだ。別に上野千鶴子に言われてなくても、母性神話を掲げるような運動の論理はわたしの肌に合わない。ただ、合わなくても合わせなければならないときもある(あった)。

 そして、確かに、放射性物質への恐怖をあおるような反対運動は「非科学的」で被爆(曝)者への差別を助長する危険性を孕む。けれど、東海村臨界事故でなくなった篠原理人さんの治療中の顔写真を『原爆と峠三吉の詩』(下関原爆展事務局編 長周新聞社 2002年--増補改訂版)で見たときには、その悲惨さに言葉を失った。篠原さんの遺族がこの写真の公表を許可したのだとしたら、そこに遺族の思いが込められていると感じた。
 7ヶ月間も苦しみ続け、判別のつかないほどの顔になった無惨な死を、「科学の進歩のための貴い犠牲」などとは決して言えまい。それこそ、
「技術が全ての危険性や経済性を検討し尽くして採用されることはなく、技術は使われながら、色々誤解や、過剰な期待などを修正しながら、その受容のシステムが整備されて行くものだ。核エネルギー利用技術もその例外ではない。その意味では便所無きマンションというのはハンタイ派の政治的な意図を含んだ比喩であるか、技術受容のリアリズムをわきまえない感情的な表現だと言えるのだが、それにしても核分裂生成物の環境負荷は強力で、他の一般技術と同じ地平で論じるのは無理のようにも思えるし・・・」(武田徹氏のHPより)
というジレンマの解決がまったく困難であることを表している。

 いつかは人類が核物質を自由に操れるようになるかも知れない。だが、それまでに払うことになる環境負荷や人身の犠牲をどうペイさせるのか? 遺伝子レベルにまで傷をつける放射線、子々孫々にまで影響が及ぶだろうと言われている(言われているだけで、本当かどうかはわからないが)放射線障害の被害をどうするのか?

 「原発が安全かどうかは不明である」というとき、反原発派は、「危険だ」という方に重きをおいた。推進派は「安全だ」という方に賭けた。
 わたしたちはどっちに賭けるのか? その賭けは危険すぎないか?

 本書は、『からくり民主主義』( 高橋秀実著. 草思社, 2002)に似たような内容を持つけれど、『からくり~』のような読後感の悪さはない。『からくり~』は、「○●という社会問題については反対派と賛成派がいて、わたしはどちらにも与しない、できない。反対派が正義を主張していたような社会問題もよくよく調べてみれば裏には△▲というような事情があって…」というような内容を持つ本だ。「賛成でも反対でもない。あるいは、軽々しく賛成も反対も言えない」というあいまいな立場は中庸を好む日本人には受ける。まさに、「賛成でも反対でもなくて…ふにゃふにゃ…」といいながらアメリカのイラク攻撃を支持した小泉首相と同じ発想ではないか。

 武田氏は原発推進派にも反対派にも批判を向けるが、その姿勢には現状批判の真摯な態度が読み取れるので、「あっちでは反対、こっちでは賛成といっています。私はよくわかりませぇ~ん」と恥ずかしげもなく肩をすくめてみせる<判断停止>の高橋秀実よりずっと好感が持てる。

 繰り返しになるが、本書からは武田氏の苦衷がひしひしと伝わってくる。その率直さ、真摯さには好感が持てるが、なおやはり反原発派から見れば、運動内部の諸矛盾を突くには物足りない。
 そして、「電力会社の言うことも信じられないし、反核運動も一面的ではないかと思っているような人ーー、ぼくはまともな知性の持ち主は、今や間違いなく、そうした「間をゆく」人になると思うが、そういう人なら、この本に共感を示してくれるかも」(武田徹氏のホームページより)という、「中庸は金」という考え方にも疑問符をつけておく。「間をゆく」ことが「まとも」であるときもそうでないときもあるだろう。原発に関しては、「間」はないとわたしは思うのだが。廃炉に向けて研究を続け、日々の稼動には厳重な注意を払いつつ、原発依存度を徐々に低くし、やがては全廃へ。同時に全エネルギー消費量を減らす方向へと生活も変えていく。そういう方向へもっていくしかエネルギー問題の解決はないと思う。

 武田氏にはわたしのあやふやな「印象」を覆すような、より精緻な高木仁三郎論を書いてほしいと思う。「反原発運動の悲劇」と武田氏がおっしゃるようなことをより詳細に取材・分析してもらえたら、と思う。反原発運動の再生と発展のためにも。


「核」論 : 鉄腕アトムと原発事故のあいだ 武田徹著. 勁草書房, 2002

暴力に逆らって書く

2003年07月14日 | 読書
暴力に逆らって書く: 大江健三郎往復書簡
大江 健三郎著 : 朝日新聞社 : 2003.5

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 11人の人々との往復書簡はドイツの作家ギュター・グラスに始まり、アメリカの反核運動家ジョナサン・シェルで終わる。のべ5年にわたる往復なので、その間に話題になったことはNATOのユーゴ空爆、アメリカのアフガン攻撃から9.11のテロへとシフトしていくが、基本的な話題は一つ。
 いかにこの戦争と暴力が蔓延する世界を変えていくのか、作家/知識人の役割は何か、ということ。

 大江健三郎との対談相手が11人、とけっこう多いので、10人目くらいから飽きてきてしまうのが難点だが、これを読んで対談相手の作品をムラムラと読みたくなった。書簡の中で大江健三郎の小説がいくつも引用されているあたりはファンには嬉しいのだが、大江ファンならずとも、興味引かれるのではないだろうか。

 もう少し論争的な内容ならばもっと血沸き肉踊る本になったのだろうが、これは「バトル」というような下品なものではなく、もっと上品で慎ましやかな対談集である。互いに文通相手に対する敬意が溢れ過ぎているため、あまりにも共感しあう部分が多く、やや物足りない。ここが読者によっては評価の分かれ目となりそうだ。

 本書の中ではスーザン・ソンタグが最も過激な口調でかなり辛らつなことを大江に言っている。ソンタグはコソボへのNATOの空爆を支持したが、これについては様々な批判が噴出した。大江への書簡の中で彼女はこの件についてふれているが、それに関しては内田樹が『ためらいの倫理学』の中で厳しく批判しているので、参考にしてほしい。(bk1投稿書評)

”癒し”は世界を救えるか?

2003年07月07日 | 読書
 先日届いた通販のカタログのタイトルは、「スーパードライウェア・癒し・UVカット特集」というものだった。
 UVカットならわかるが、癒しとは? 着るだけで癒される服があるというのか?

 もう何年も前から「癒し」が流行している。「癒し系」という言葉まである。バブルが弾けてすでに13年。失業率は一向に下がらず、収入は減る一方。中高年は前途の不安にかられて過労死寸前、若者もまた将来展望を描けない現実がある。
 癒されたいと思うだろう、確かに。いや、他人事でなく、わたし自身もこのところ、「癒し系」と呼ばれる音楽ばかり聴いているような気がする。ただ、こういう音楽は昔昔からあったもので、なぜ今更のように「癒し」と呼ばれるのか、不思議なのだ。
 それは商品のキャッチコピーの一つに過ぎないのに、今や言葉とイメージが一人歩きして、「癒し」が大手を振って歩いている。

 失業中の身が音楽を聴いたり絵を眺めていても、働き口が見つかるわけではない。癒されている暇があったらせっせとハローワークへ行ったほうがよいだろう。処理すべき問題が山積しているとき、必要なのは癒しよりも実効的な手だてだろう。資金繰りに行き詰まっているときに必要なのは癒し系の音楽ではなく金だ。

 それでもなお、癒されたいと願う人々が後を絶たないというのだろうか。

 旧聞に属するが、『インパクション』123号(2001年)「<<癒し>>からの解放」という特集の中で、崎山政毅はこう述べている。


 《なぜ癒しが必要なのか? 誰に(あるいは何に)対する、誰がおこなう癒しなのか? そしてそれはいかなる癒しなのか?
 「癒しが必要だ」というならば、最初に問われるべきこれらの問いは、みごとに掻き消されてしまっている。こうした当然の問い掛けを不在においたまま、情動の政治が蔓延していると言い換えてもよい。あるいは秩序に、あるいはカルトに、健康神話に、マスメディアを通じて生産されるスペクタクルに、「他者を欠いた平穏な日常」に、私たちが魅かれてしまうとき、確実に「癒し」のメカニズムは発動する。その意味で「癒し」は支配の一表現にほかならない。》

 癒しは人民のアヘンだ、とマルクスなら言うだろう。

 崎山はまたこう続ける

 《「なぜ」・「何(誰)に対して」・「誰が」・「いかなる癒しなのか」を歴史的・社会的な問いかけとして不可避的に伴うような、ヘゲモニー的に構成された「癒し」とは異なる癒しを求める人びとや状況が存在する。
 その際の癒しは、戦争や植民地主義の暴力にさらされてきた人びとにとっての癒しであり、そうした暴力を明確に批判し二度と繰り返させないために共有されるべき、「いま・ここ」での解放という問題設定を伴うはずの癒しである。》

 崎山さんの提起は視点が広く、癒される者と癒す者との支配関係に着目し、そこに権力の剔抉と歴史的視座の導入を訴える。さすがに彼の指摘は鋭い。わたしはその洞察に異論はない。

 だが、わたしがいま考えているのは、そんなグローバルな政治的なことではない。もっとチマチマした日常些細な癒しのことだ。
 誰が癒されたがっているのだろう、とふと思った。
 苦しいことに向き合わず、自己を見つめず、安易に時流に流され、考えることも闘うこともしない、そんな人々が癒しを求めているとしたら? なにほどかも自分の力で努力せず、些細なことに傷つき、そして癒されたがっている甘えん坊ばかりだとしたら? 責任は負わず、人のすることに文句だけは一人前にまくしたてる、あるいは陰口を叩く人間が、癒してほしがっていたとしたら?


 いま、癒し系アルバム「Tranquility」の心地よい音楽が流れている。青葉の葉脈を伝って水滴がしたたり落ちていくようなこのサウンドに身を委ねるわたしには、果たして癒される資格があるのだろうか。崎山政毅の問いかけにも応える言葉をもたない、そんなわたしがいったい世の中の誰に対していかほどの役に立っているというのだろう? そんな自問に、ますます癒されない夜が更けていく。

 歯を食いしばって苦しみと闘っている人こそが癒される資格をもつ。安易に癒しに逃げる者はほんとうに癒されることなどない。
 「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない」。

 苦しみから逃げない。いつも前向きに立ち向かう。孤高の闘いでもめげない。そんな魂にわたしは寄り添いたい。そして、そんな人にはこう言おう。
 せいいっぱい頑張ったから、もう休んでもいいですよ。あなたこそ、癒されるに違いない、この音楽に。このささやきに。この静かな時の流れに。


 そういえば、今夜は七夕。一年に一度、二人は出逢って癒しあっているのだろうか。


内田樹とフェミニズム

2003年07月01日 | 読書
 内田樹という人の書く事はおもしろい。とりわけ、『ためらいの倫理学』はわたしの実存を揺さぶり、不安に陥れる好著だった。その内容の8割に賛同する。しかし、どうしてもフェミニズム批判については違和感とひっかかりを感じた。「フェミニズムは軍事的には正しいが、学問としては認めない」という発言に対して疑義があるのだ。現状を変革しようとする戦略は学問ではないと言いたいのだろうか? 彼はフェミニズムは学問ではなく訓育の言説だと主張する。では学問とは無色透明で人畜無害なものでなくてはならないのか? そしてまた、もしフェミニズムが学問でないとして、それがいけないことなのか? 

 次に読んだ『女はなにを欲望するか』は、基本的には『ためらいの倫理学』と同趣旨の枠組でものをいっている。著者は手を変え品を変え基本的には同じことを言っているのだ。ただ、本書のほうが論理が精緻化されているので、理解しやすく説得力はあるかのように見える。

 さて、最初の問い(フェミニズムは学問ではない?)はひとまず措いて、まず内田樹氏の知のありかた(ご本人の言葉でいうなら「黄金律」)には大いに賛同の意を表したい。著者の立場は、「自分の主張が正しいかどうか、常に留保をつける。自分の理論が当てはまらないことにまで無理に適用しない。自分の知性を疑うだけの理性をもつ」というものだ。要するに内田樹は反省する知識人である。Reflexiveであること、これは知にとって必須の条件だと思う。

 だから、著者はReflexiveでない言説にはとても厳しい批判の目を向ける。標的はマルクス主義とフェミニズムだ。彼に言わせれば、どちらの思想も、中世キリスト教「異端審問官」のような口調でものを言い、他者を批判するという。我こそが弱者であり正義である、と。さらに、「『フェミニズムはあらゆることをその理論で説明できる』というような全能感をもたらした」ためにその思想の終焉を迎えているのだという。

 フェミニズム(古くはウーマン・リブ)のもつその挑発的言辞のパワーに溜飲を下げた女は多いだろう。わたしは1991年に第一子を出産した。そのとき、鬱屈した子育ての日々のなかで上野千鶴子『家父長制と資本制』に出会えたことが、どれほど大きな生きる力をわたしに与えただろう。赤子に乳を含ませながら貪るように読んだ上野千鶴子は、わたしにとってはバイブルのようなものだ。

 つまり、フェミニズムとはそのようなものである。女に生きる力を与えるものなのだ。内田先生に学問ではないと揶揄されようが批判されようが構わない。フェミニズムは、今ここで呻吟する女たちを生き返らせる言説なのだ。そのためには軍略が必要であり、戦略戦術を練る必要がある。

 女性解放思想が「ウーマン・リブ」ではなく「フェミニズム」と呼び習わされるようになったころから、それは学問の衣を纏い始めた。そして、フェミニズムは男女の不均等な権力配分や富の分配について鋭い論究を残してきた。だがそれが、「視線」や「息づかい」にまで拡大すると、ことは違ってくる。政治や社会制度だけではなく、文学・美術・言語、あらゆる領域で男性支配が及んでいることをフェミニズムが鋭く指摘し始めたころから、確かに内田樹が指摘するような、「『フェミニズムはあらゆることをその理論で説明できる』というような全能感をもたらした」という事態が起きてきた。わたしもこれは問題が多いと思っている。たとえば上野千鶴子ほか著『男流文学論』などはおもしろおかしかったが、「これはちょっとやり過ぎなんじゃないの」と思われるような「味噌も糞も」式の文学批判が続出していた。

 そして、これもしばしば内田が言うことだが、フェミニズムはマルクス主義と同じ「競争原理」を持つ。どれほどフェミニスト的であるか、どれだけマルクス主義的であるかを競うようになるのだ。そして、「そんなことを言うやつは階級敵だ」とか「そんなことを考えるようではフェミニスト失格」とかの烙印を押し始めるようになる。わたしもそういう先鋭化・純粋化を図る思想は危険だと思う。ラディカルさを競う結果は連合赤軍事件や不毛な言葉狩りへと行き着くしかないから。

 フェミニズムはまた、マルクス主義と似た目標を持つ。「全世界を獲得するために」という気宇壮大な理想を掲げることがそれだ。マルクスの「予言」は大部分がはずれた。マルクス主義は消尽したという言説もある。だが、果たしてそうだろうか? 同じように、フェミニズムも思想としてその終焉を迎えているのか?
 わたしは著者の位置取りには賛同するものの、どうも『女は何を欲望するか?』に関しては、違和感が付きまとう。ちょっとおかしいんじゃない、内田センセ、と言いたくなるのだ。内田樹はフェミニズムを沈みゆく船に例えているが、それは「ある種のフェミニズム」なのだ。本書で内田はズルをしている。マルクス主義が百家争鳴である/あったのと同様に、フェミニズムも一人一党状態なのだ。なのになぜある特定のフェミニズムだけを取りだして批判を加えるのか? しかも、わざと誤読していると思えるフシまである。

 たとえば、言語分析のくだりだ。日本語にはそもそも男女別の言語体系があるから、女はすでに女の言葉を「奪還」しているではないか、と内田はいう。これは明らかに内田の<わざとボケ言辞>である。日本語に関して言えば、とうぜんフェミニストはその男女性差の不均等な言語構造こそ問題だと述べるはずだ(たとえば「女流文学」はあっても「男流文学」はないとか、「女史」がいても「男史」はいないとか、女言葉は優しく男言葉は攻撃的、とか)。欧米語方式のフェミニズム言語分析が日本語には適用できないという論はなるほどその通りだと思う。だが、日本語には日本語の性差が厳然とあるし、どう考えても男女対等なものではない。なんでも平等にすればいいとは思わないが、言語における不均衡を考えることは、隠された性差別を露わにしたという成果があったではないか。
 
 内田樹のものの言い方は小浜逸郎『「弱者」とはだれか』に似ているが、小浜よりはずっと論理が緻密なので、ずいぶん説得力がある。とはいえ、本書前半のフェミニスト言語分析批判は納得いかないものを感じる。内田氏の論は概ねこういうものだ。
「女は自分史を語れない、語る自己と語られる自己とが永遠に乖離する、とフェミニストはいうけれど、それは男だって同じだ」

 要するに、
 女は抑圧されているのよ! →ああ、そうかい。男だって同じだよ。
 女は自己疎外に陥っているのよ! →男もそうだぞ。女だけが悲しい思いをしているわけじゃない。

 やれやれ、これではフェミニズムはいったい今までなにを言いつづけてきたんだろう? 内田先生はなにをフェミニズムから学んだの?
 おまけに、「あとがき」に書かれた結論にいたっては、悲しくなる。男が欲望するものを女も欲望するのがフェミニズムの始まりだという論には首肯しよう。確かに「女性解放」を訴えた初期のフェミニズムは、男だけが独占している権力や財を女にも分け与えよと叫んだ。しかし今や、フェミニズムもさまざまに分化している。内田が「あとがき」で批判したようなアグレッシブなフェミニズムが主流だとは思えない。男並に競争社会を生き抜くことを目標に掲げるようなそんなフェミニズムなら、わたしだってごめんこうむりたい。
 
 『疲れすぎて眠れぬ夜のために』では、確かにいいことをいってる、首肯できることもたくさん言っている。特に、競争社会アメリカを世界標準と思うなとか、アグレッシブな競争社会の弊害についてはたいそう興味深いエピソードを交えて説得力ある言辞で語っている。
 けれど、いっぽうで「まるで内田樹は保守派のオヤジが言うようなことを言ってるではないか」とうんざりする部分もある。それはアイデンティティをめぐる言説だ。 アイデンティティをここではひとまず「○○らしさ」だと規定しておこう。内田氏は<「らしく生きる」ことが大事>だとおっしゃる。 「男らしさ」も「女らしさ」も欲望を分散させて社会的リソースの争奪を縮減させるためには必要だったと。
 はぁ? 問題は、「男らしさ」や「女らしさ」に抑圧構造が潜んでいたことではなかったのか? フェミニズムがさんざん教えてきたことをなんで忘れたふりをするのだろう。

 わたしだって、電車の床に座り込んで大口あけて「がはは」と笑いながらジャンクフードを食い散らかす下品な女子高生は大嫌いだ。だけど彼女たちに「女らしくしろ」とは絶対に言わない。知性と品性を保て、とは言うだろうが。人に迷惑をかけるな、公共空間では互いの領域を守って不快感を与えるなと、その程度のごくふつうの躾は愚息たちにもしているつもりだ。それは男女の区別なく訓練すべきことである。最近の女子高生が女らしくないから問題なのではなく、公私の境界が曖昧になってきたことが問題なのだ。若者の行儀悪さにジェンダーは関係ない。

 著者は難破しかかった船(フェミニズム)から財宝を救い出そうとして本書を書いた、などと「まえがき」でいっているくせに、いったいどんな財宝を救い出してくれたというのだろう? 

 と、いっぱい悪口を書いたけれど、実はわたし、この人の書くものが好きなのだ。今回批判した部分以外は、とてもおもしろかった。とりわけ本書の後半部分、映画「エイリアン」分析にいたっては思わずうなってしまった。これ、映画好きにはたまらない分析だ。しかも、結論部分には思わず膝を打つ。そうだ、映画は正しい検閲をくぐり抜け、言語と映像のミスマッチと格闘によって人々に人生を教えている、優れたメディアだ。ぼうっと見ているふつうの人々こそが「正しく」そのメッセージを受け取る。インテリはだめだ、評論家の目で映画を見るなんて、もう、邪道邪道。
 しかしね、これはすなわち、ぼうっと見ているふつうの人々こそ、映画というメディアに左右されやすいということを意味する。この危険な罠をどう回避するのか? 内田氏にはぜひこのあたりについての緻密な論理展開を望みたい。未読の『映画の構造分析』には書いてあるのだろうか。

 ……などと書いているうちに『映画の構造分析』が今日、bk1から届いた。これで5冊だよ、内田さんの本を買ったのは。また金がとんでいく(涙)。こうして内田樹の印税収入に貢献するわたしって……

 フェミニストの内田樹論を読んでみたいものだ。どういうふうに反論するのか、興味津々だ。あるいは全然相手にしないのか。わたしはほんの少ししかフェミニズムの文献を読んでいないので(そもそも今回内田氏が取り上げたフェミニストなんてイリガライの名前だけはどうにか知っているという程度なのだ。あとは名前も知らない)、ろくなことが書けないから、ちゃんとしたものを読んでみたい。

 内田樹は多くの領域に目配りをしてものを言う。なので、この短いエッセイで彼の主張すべてにコメントすることはできない。それにまだまだ勉強不足だし。
 思うに、問題は内田樹が何を言っているかではなく、どう読まれているかなのだ。マルクスが何を言ったかよりもどう読まれたかが問題であったのと同じように。どうにでも読める、多くの人が自分に引きつけて好きなように読めるということは、それだけ内田樹の引き出しが多いということを意味する。含蓄の深いことを書いているわけだ。しかも、とても読みやすくおまけに言いにくいことまでズバズバ書くし、大衆はバカだとはっきり言うし、ある種の人々を惹きつける魅力に溢れている。
 だからこそ、どこをどう読むかが問題だと思う。これについてはまたいずれ別の日に。

 フェミニズムを批判する内田樹の文章からはフェミニズムに対するねじれた愛が感じられる。批判のためとはいえ、これだけ膨大な文献を渉猟するのは大変な努力がいる。愛なくしてはなしとげられない所業だ。かくいうわたしも、内田樹についてこんなにたくさん書いてしまった。これも愛やね、確かに。内田センセイの講義を聴いてみたいっす。あの美しいキャンパスの神戸女学院大聴講生になりたい。おばさんでも入れてもらえるんやろか(^^;)。