大峰正楓の小説・日々の出来事・日々の恐怖

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日々の恐怖 3月16日 ホーム

2013-03-16 19:04:56 | B,日々の恐怖



    日々の恐怖 3月16日 ホーム



 この話を聞いたとき、真っ先に思い出したのは小さい頃読んだ“世界の謎と不思議”なるものを集めた本である。
その中の一つにこんな話があった。
 あるサラリーマンがタクシーに乗っていたところ、前方を走る車が見る見るうちに白い煙に包まれ、忽然と姿を消したというものである。
彼はその車の後部座席に座って新聞を読んでいる重役らしき初老の男性の後姿を見ており、タクシーの運転手と共に車が消えるのを確認したという。
車は黒のクラウンかセドリックと書いてあったと記憶している。
 その本では「あ!車が消える!」という見出しとともに、やたらシリアスな劇画調の挿絵と、事件を報じる新聞記事の切り抜きも掲載されていたので、見間違い、陰謀、いかなる理由があったにせよ、当時は世間の耳目を集めた事件だったのだろう。


 お酒の好きなUさんは酔った帰りに足元がおぼつかないまま帰宅途中、何度か階段やホームから転げ落ち随分と痛い目にあってきた。
うっかり寝込んで財布をスラれたこともあって、さすがに懲りたのか酔った日は出来るだけ慎重に、用心深く帰るようにしていたという。
 ある日、いつものようにたらふく飲んだ帰りの終電間近で地元駅までたどり着いたUさんは最後の最後まで用心を重ね、ふらつきながらも戸口の手すりを握り、電車のドアが開くのを待っていた。
 Uさんの目の前、ちょうどドア前にもう一人、同じく背広姿の男性がいた。
彼は彼のうなじ辺りを眠たい目でみていたのだが、やがて電車は駅に着いてドアが開いた。
Uさんが手すりから離れホームへと一歩足を踏み出そうとした瞬間、目の前にいたその男性がまるで崖から身投げするかのように、すぅ~、とUさんの視界から消えた。

「 あっ!」

と、酔いが吹き飛んだUさんは手すりを掴みなおそうとしたが、そのままホームへと倒れこんでしまった。

“ 男性がホームの下に落ちた!”

何かのはずみで電車とホームの間にそれほどの隙間が出来ていて、とっさに自分も落ちると思ったのだ。
 だが、Uさんはみっともない状態で電車からホームに転げ出ただけだった。
ただの酔客が足をもつれさせ、転倒したように見えただけだったのだろう。
入れ違いに乗り込む数人の客が手を貸して助け起こしてくれた。
 Uさんは慌てて、いま目の前から落ちるように消えた男性の姿を探したが、そこには誰もいなかった。
自分の前に誰か倒れなかったか、さっき助けてくれた客に聞こうとしたときには何事もなくドアは閉まり、Uさんを残して電車は駅を離れていった。
 ゆっくり出て行く車内から真っ青な顔でUさんの足元を凝視していたOLと一瞬目が合ったのだが彼女が何を見ていたのか、もちろん確かめようがなかったという。

















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日々の恐怖 3月15日 女学生

2013-03-15 18:43:40 | B,日々の恐怖



   日々の恐怖 3月15日 女学生





      女学生




 景気がいまよりも随分といい時代で、その頃勤めていた板金工場の仕事がいつも夜遅くまであり、帰りはいつも夜中近くだった。
まだ下宿の一人住まいだったので、空になった弁当箱をぶら下げて、暗い田舎道を歩いて帰ったものである。
 その道は広い田んぼの横を曲がりくねって伸びており、反対側によく茂った竹林があった。
そんな真夜中の帰り道で、時々先を歩く女学生をみかけたことがあった。
 ふと見やると、その暗い竹林の間からとぼとぼと出てきて20メートルほど先を歩いていく。
最初に見かけたときは、こんな夜遅くあんなところで何をしていたのだろう。
学校か、家の用事でもあったのだろうかと思った程度だった。

 そんなことが度々あった。
おかっぱでセーラー服の後ろ姿は年のころ、中学か高校生のようだった。
彼女は確かにこちらより先を歩いているのだが、やはりこちらは男の足である。
だんだんと二人の距離は近づいていくのだが、追い抜いたことはなかった。
 曲がりくねった道を竹林に隠れた角を曲がり、自分がそこを通るともういない。
裸電球が数えるほどもない道で、その竹林は真っ黒な影のかたまりのようになってあまり気持ちのいい帰り道ではなかった。

 しかし、田んぼの一本道を自分と同じ方向に歩いて帰るには、同じく駅から歩くくらいしかないのだが、駅で見かけることはない。
そうするとあの竹林のどこかに、近在の者しかしらないような横道がいくつかあって、彼女はそこを通るのだろうか。
そうなると、学校帰りと思ったが、それらしいカバンもなく手ぶらであるところからしてもやはり近所に住んでるのだろう。
 でもこんな夜遅くまであんなところを歩いているなんて、ひょっとしたら家に帰りづらいことでもあるのかもしれない。
あの娘もこんな夜道を一人で歩くのは気持ちのいいものではないだろうし、きっとこちらのことも気づいていて、内心震えながらあの曲がり角に来て駆け出しているにちがいない。
一度声をかけて安心させてやりたい、そしてもし自分でよければ帰り道を送ってやろう。

 当時、自分も働いているとはいえ19の子供である。
田舎から集団就職で出てきて、親しい友達も都会で遊ぶ楽しみも知らない寂しい生活だった。
 知らず知らずに、その娘に思いを寄せていたのだろう。
何より彼女の顔が見たかったのかもしれない。
 その後も何度かその娘を見かけるたびに歩みを早めて、近づいてみるが、いつものように曲がり角でいなくなる。
曲がり角のほんの少し先に竹林に入っていく小道があり、およそ少女が一人で入っていくような道ではないが、なるほど、ここからどこか通じる家があってやはりあの娘は近所の娘なのだと納得した。

 最初見かけた時の距離は20メートルほどだったが、その後見かけるたびに縮まっていった。
一度思い切って、

「 おぉい、きみ、送ってやろうか・・・。」

と遠めに声をかけたが、彼女はまったく反応せず、同じようにとぼとぼと歩いていくだけだった。
 聞こえなかったのだろうか、でもそもそもこんな夜道で声をかけられたら誰だって振り返れないかもしれないじゃないか。
ああ、これだから俺は田舎モンで駄目なヤツだ・・・・。
 しょんぼりして、もう気にしないことにしようと決めてみてもしばらくすると、どうしても彼女の後ろ姿が思い出される。
やはり、もし何か困っているのなら話くらいは聞いてやりたい。
次見かけたら、近くまでいって話しかけてみよう。

 それから半年ほど女学生をみかけることはなかった。
悶々としながら仕事に追われ、珍しく早あがりの帰りなどはわざと時間をつぶして遅く帰ってみたりした。
一旦家に帰りついたものの、その道まで出直してみたりもした。
 今思い出せば、そんな笑ってしまうような幼いことをしつつ、秋口を迎える帰り道、ようやく彼女をみかけた。
心臓が早鐘のようになった。
 走り出したい気持ちになったが、駆け寄る足音であの娘を怖がらせてはいけない、こないだのような馴れ馴れしい声もかけないほうがいい。
とにかく自然に近くまで行って・・・・だが、なんて声をかけよう。
 いつもあの曲がり角までは追いつけないのにその日に限って、不思議と距離がどんどん近づいていったという。
手を伸ばせば肩に手が届くほど近くまで来て、暗がりなのにおかっぱの奇麗なうなじがはっきり見えたそうだ。

 初めて二人してあの曲がり角を曲がった。
ひょっとしてあの娘は歩みを緩めて、俺を待ってくれてるんじゃないだろうか・・・。
そう思うと急に勇気がわいて、思わず、

「 こんばんわ、いつも遅いですね。」

と声をかけたという。
 すると、娘は立ち止まった。
振り返らない。
またドン臭いことを言ってしまったのだろうか、本当に怖がらせてしまったかも・・・、と謝ろうとドモりながらその時になって初めて、そういえばなぜこの娘はずっとセーラー服姿なんだろうと思い始めたそうだ。
 その時、ふとおかっぱの頭のてっぺんに何か見えた。
月の光か、裸電球か、とにかく何かの光にキラリと光ったという。
それが何か確かめるまもなく、次の瞬間、

「 つぃっ!と、まるでエサが釣り上げられていくように、その娘は頭のてっぺんを引っ張られるように宙に飛び上がって、そのまま竹林の上を超えて、消えてしまった。」

 高度経済成長も始まった時代、Tさんはこんな経験をしたそうだ。
その後も一度だけ、その娘を見かけたがもう追いかけることはせず、素直に帰り道を変えたという。




















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日々の恐怖 3月14日 憑坐 祟り

2013-03-14 20:09:10 | B,日々の恐怖



   日々の恐怖 3月14日 憑坐 祟り











        “憑坐”









 うちの昭和7年生まれのばあさんの、さらにばあさんが子どもの頃のことだから、明治か江戸時代頃かもしれない話が伝わっている。

 そのばあさんが12歳ぐらいのときに神隠しにあった。
当時は里子に出されたり人買いに売られたりなんてこともあったそうだが、そういう親が事情を知っていていなくなったのではなく本物の神隠し。
 夕方、赤子の弟の子守をしながら裏をぶらついていたと思ったら、いつのまにかいなくなって赤ん坊だけがおんぶ紐といっしょに草の上で泣いていた。
集落の若い者大勢が出てさがしたが見つからない。
そのうち夜になって街灯もない頃だから明日の夜明けからまた探そうということになった。

 そうしたら当時のじいさんが、女の子の神隠しは神おろしの憑坐(よりまし)にしようとしてさらっていった場合が多い。
憑坐の手順には普段使ってる櫛が必要で、さらっていったものか術をかけられた本人が取りにくることがある。
だから櫛を隠しておけば、目的が果たせなくなって子供が返されることもあると言って、箱に入れて自分が寝ている納戸に持っていった。
 それからじいさんは本当はネズミがいいんだが時間がない、と言いながら大きなガマを捕まえてきて鎌の先で腹を割き、内蔵を櫛にまんべんなく塗りつけた。
同時にアワかなにかの実をぱらぱらふりかけた。
その晩じいさんが櫛の箱を枕元において寝ていると、なにかがやってきた気配がある。
じいさんは起きていたんだが体が動かないし、叫ぼうとしても声も出ない。
そのときに笹みたいなにおいが強くしたそうだ。

 何かかなり大きな妖物がきている圧迫感がある。
妖物は枕のすぐ上にある櫛箱に手をかけたようだが、ビーンと弾く音がして、さらにパシッと叩きつけられたような固い音がする。
そして「けがれ・・・」、という咳が言葉になったような声がして気配が消えた。
しばらくじっとしていたら体が動くようになったんで、明かりをともしてみると櫛が箱から出て床に落ちており、櫛の歯がばらばらに折れていたそうだ。

 で、ばあさんは昼前に集落の氏神の森から歩いて出てくるところを見つかった。
本人にさらわれていた間の話を聞いてみても、まったく要領を得ない。
木の葉がゴーッと鳴って目の前が白くなり立っていられなくなってうずくまると、背中の赤子が、まだしゃべれないはずなのに「か・し・こ・み」と一語ずつはっきりと声に出した。
 さっと太い腕でかつがれた感じがして、そのあとは貝の裏側のように虹色にきらきら光る場所でずっと寝ていた。
まぶしくて目を覚ますと鎮守の森の入り口のあたりにいたんで家にもどろうとした、と言う。
まあ、田舎の旧家だから、こんなこともありかと思う。




















          “祟り”









 祟りとは恐ろしいもの。
ワケがあるからこそ祟られる。
日本の神様は恐ろしいもの。
だからこそ人々は祭り、あがめ、その神威を称える。
崇められなくなった神様は、時に、不可解な出来事で人を呼び戻す。

 わたしの実家のかたすみに、小さな屋敷神が祀られている。
父の話では、江戸時代の初め頃に太宰府天満宮から天神様を、伏見稲荷からお稲荷様を頂き、二体を並べて祀ったらしい。
昔は地元の秋祭りの日、氏神様のお社から我が家まで神輿を出し、屋敷神様の祠の前で神楽や剣舞を奉納したというから、地域でも信仰の厚い神様だったのだろう。
 ところが、時代が過ぎると共に、神様も没落した。
二体の神様は人々から忘れ去られ、我が家の屋敷神様としてのみ、細々と敷地の片隅に残された。

 父がまだ20代の頃。
この屋敷神様に不埒な真似をする者があった。
隣の家の主が、屋敷神様が祀られている四畳半ばかりの敷地に、ゴミを捨てるようになったのだ。
 隣の家は農業を営んでいたのだが、所有していた山林が国道のトンネル予定地にぶつかり、それを売った金で突然金持ちになった。
そこで古い家屋を潰して立派な家を新築したのだが、その時に出た旧家屋のゴミの一部を、我が家の屋敷神様のある場所に捨てたのだ。
 屋敷神様の祀られている場所は我が家と隣家の境で、わたしの家から見えにくい裏手にある。
ゴミを捨てようと思えば、家人に見咎められずにいくらでも捨てられる。
 祖父は大変穏やかな性格で、誰かと争いごとを起こすような性質ではなかった。
一度目、二度目は、黙ってゴミを片付けた。
だが、三度目ともなると、さすがに腹を据えかねて隣家に文句を言った。
 ところが、相手は知らぬ存ぜぬで話にならない。
これは自分たちのゴミではない。誰か他の者が捨てたんだろう、平気な顔をしてそう答えたと言う。
 我が家が留守のとき、あるいは、ひどい雨の晩に、ゴミは定期的に捨てられ続けた。
近所の人たちもゴミのことは知っていたが、犯人を捕まえる確たる証拠が無い。
大量の割れた窓ガラス、黄ばんだ便器、糞尿の汲み取りに使っていた桶や柄杓。
それらの汚らしいゴミが捨てられるたび、祖父は黙って片づけをし、綺麗に掃除して、供物を捧げて屋敷神様に対して謝った。

 一年近く、ゴミは捨てられ続けた。
父や、父の兄は、居留守を使って見張りをし、犯人を捕らえようともした。
だが、中々シッポを掴ませない。
軽トラ3台分にも及ぶゴミが不当に捨てられ続ける現状に、若い父たちは我慢がならなくなった。

“ 犯人は絶対に隣のヤツだ!! こうなったら警察に調べてもらうしかない! ”

そう、いきりたった。
 そんな息子たちをたしなめるように、祖父はこう言ったという。
こんな田舎で警察なんて穏やかじゃぁない。
隣が犯人と言う証拠も無いのだから。
犯人はじきに判る。
神様はいつも犯人を見ているんだから。
天神様とは、恐ろしい神様なんだ。
 祖父の言葉は、血の気の多い年頃の父たちにとって、納得のいかないものだった。
神様などを当てにしていたら、我が家はすぐにゴミに埋まってしまう。
それに、これは明らか自分たちを馬鹿にしている行為だ。
しかし、祖父が許さない以上、警察沙汰にするワケにもいかなかった。

 ひどい雨が降った次の日、またゴミが捨てられていた。
祖父は風邪気味だったので、父とその兄が代わってゴミを片付けることになった。
腐った漬物や、投げ捨てられたビール瓶の割れたのやらを丁寧に拾い集め、水で綺麗に洗い流し、米や酒を供えて祈ったが、腐りきった漬物の異臭はものすごかった。
あまりの臭いと腹立たしさに、父は思わず言った。

“ ゴミを捨てたヤツは二度と悪さができないように両足を切っちまえ!!”

 その言葉のままに、隣人の足が腐った。
笑い事や作り話ではない。
足の爪を切っていて深爪した隣人は、患部の化膿が原因で壊死を引き起こしてしまい、右足首から下を切断する羽目になった。
 おまけに、右足首切断の為に入院していた際、左足にガンが見つかり、そのまま左足膝下を切断。
いよいよ退院という頃になって再び左足にガンの転移が発見され、股下から切断。
更に右足の切断面が化膿して壊死し、右下膝まで切断。
それでも壊死が止まらず股下まで切断。
 まるで大根でも切るように、トントントンと両足を切られてしまい、退院してきた時は無様な格好だったという。

 両足を失ったショックからか、隣家の主人はしばらくして死んだ。
父も、父の兄も、バチが当たったのだと同情もしなかった。
何故なら、隣人が入院して以来、ゴミの不法投棄がピタリと止んだからだ。
 犯人が亡くなった隣人だったのか、真相は判らない。
何のために我が家の屋敷神さまの場所へゴミを捨てたのかも謎だ。
 判っているのは、隣家の一族が現在でも地獄で暮らしているということ。
すでに亡くなった主のことを言っているのではない。
現在の主、亡くなった隣人の孫息子のことを言っているのだ。

 両足を失った例の隣人が死んだ後、奥さんも急死し、隣の家には長男夫婦が残った。
その若い奥さんが精神を病んで入院し、帰らぬ人となった。
その後、3人あった子供のうち、長男以外は皆おかしくなってしまい、入院したり、徘徊の末に行方不明になったり。
 今は、両足をちょん切られた隣人から数えて4代目にあたる曾孫たちも暮らしているが、みなどこかおかしい。
その家でまともな人間は、代々、家長である長男だけなのだ。

 地元の年寄りの幾人かは、祟りだと密かに言う。
恐ろしい災いをなす天神様の仕業だと。
 両足を失った隣人が死んだ後、噂を聞いた地元の人たちが、屋敷神様に手を合わせるようになった。
現在でも、わたしたちの知らぬ間に参拝していく人たちがいる。
不届き者への単なる祟りか。
それとも、忘れられた神様の神威を見せしめるためだったのか。
時に、神様は恐ろしく、不可解だと思うのだ。
















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日々の恐怖 3月13日 70年代の頃の話 昭和50年頃の話

2013-03-13 21:14:44 | B,日々の恐怖
  日々の恐怖  3月13日 70年代の頃の話 昭和50年頃の話







      70年代の頃の話
     





 学生運動のあった時代というので、70年代の頃の話だろうか。
N君は極めて真面目な学生で、学内をヘルメット姿の学生たちがヤクザまがいに闊歩しているのを避けながら、こつこつと勉学に打ち込む純朴な青年であった。
数に物を言わせて頭でっかちな論争を吹っかけてきては興奮して騒ぎ立てる連中とは違って人当たりもよく、彼は教授たちにも可愛がられていたという。
 ただどことなく、線が細いというか、か細いというか、どことなく何かが弱い印象があったという。
影が薄いというのだろうか。

 ある日、N君が憔悴しきったような顔でふらりと教授室に現れ、来週のゼミをお休みさせていただきたいと言う。
こうやってわざわざ申告しにくる学生は珍しいが、彼が授業を休むというのも珍しい。
 教授が事情を聞くと、妹が死んだのだという。
明日、郷里で葬式があるので参列し、できればそのまま少し実家で過ごしたい。
 妹はそれほど年も離れておらず仲がよかったこと、高校を卒業してこちらで就職したがっていたが、娘を都会で一人暮らしさせることに反対した父親に、N君が自分がいっしょに住むからどうか許してやってくれと説得したこと、そうして妹の就職先も決まり、来年からは同居して新しい生活が出来ることを妹は本当に楽しみにしていたのだ。
これからという時に残念でならないと、N君は嗚咽交じりに話したという。
 今にも消え入りそうな彼の姿に励ます言葉も見つからなかったが、来週にはまた授業に出ますからというN君に、そんなことはいいからどうか無理はせず、心が晴れるまでご両親と過ごしてきなさいと教授は送り出したそうだ。

 最愛の妹をなくしたN君の悲しみはどれほど深かったのかは知れない。
彼はそのまま戻ってくることはなく、しばらくして彼の退学届が提出された。
誰にでも優しく常に敬愛の情を忘れない、今時珍しい教え子との交友関係がそんな形で途切れるのを残念に思い、教授はそれからもしばしばN君とは連絡を取っていたそうだ。

 そうして彼が大学を去ってから3年の後、今度はN君が急逝したとの知らせがあった。
驚いた教授が彼の実家に駆けつけると、N君の死を知らせてくれた彼の家族が出迎えてくれた。
 息子はしばらく前から具合を悪くして寝込みがちであったが、おととい寝床で息を引き取っているのを家人が見つけたという。
まるで蝋燭の炎がひっそり消えていくような最期だが、言われてみれば毎回授業に出ていた彼は病気がちには見えなかったものの、やはりか細いイメージがあった。
 もとより寿命というものがあったのかもしれない。
それにしても立て続けに身内の若者が逝去するとは、これ以上の不幸はない。
3年前に可愛がっていた妹が、そして今度はその死を嘆いていたN君までが亡くなったのだ。

 N君を偲ぶ思い出話のなかで、そういえばと教授がその亡くなった妹の話を出したときである。
その場に居合わせた親族一同がぎょっとした顔で一斉に教授の顔を見た。

“ N君に亡くなった妹はいなかった。”

 正確に言えば、この家族にもとから娘はいなかった。
固くなったその場の空気に教授は混乱しながらも、自分の何かの勘違いだったのかもしれないと慌てて取り繕うと、傍にいた親戚の一人が制してこんなことを教えてくれた。
 実は、N君は唐突に郷里に帰ってきて以来、しばしばいない妹の話をするようになったのだという。
心配した家族が妹などいないことを諭すと、我に返ったようになるのだが、しばらくするとまたぼんやりした様子でその妹の話をする。
そうしながら、N君は次第に衰えていったそうだ。

 学生時代に暖かい実家生活から離れ、一人暮らしをしているうちに疲れ果てて時に精神を病んでしまう者もいることは、長い教鞭生活で教授も知っていた。
見た目にそうは見えなかったものの、ひょっとするとN君は知らず知らずに心を病んでいたのだろうか。
 また家族も同様に思ったらしく、彼の健康を考えてやむなく退学の結論に至ったのだという。
N君の穏やかな顔のうちにそのような苦しいものが彼を蝕んでいたのかと、教授は自分の至らなさを悔やみ胸をふさがれる思いで、彼の実家をあとにした。


 そうして1年がたち、N君の一周忌に教授は再び彼の実家を訪れた。
法要が一通り済んで食事の席になった頃、教授はN君の父親からつかぬ事を伺いますが、と一枚の写真を見せられた。
 先生、ひょっとしてこの方に見覚えはありませんかと。
前回の葬儀の際に撮影されたものなので、息子に縁がある参列者のはずなのだがどうしても分からないのだ。
 喪服姿の、見たことのない中年の女性であった。
親族、友人の誰に聞いても知らないという。
そもそも葬儀の際、挨拶したのかも定かではない。
 その女性は色が白く上品そうな顔立ちなのだが、見た者は一様になんとなく嫌な感じがしたそうだ。
写真を見た教授も、まるで蛇のようなヌメッとした印象を受けた。
 そしてその話を聞かされたとき、存在しなかった妹の話、N君の死、そしてN君から感じていた影の薄さが説明しがたい理由でこの女性に繋がっているように思えて、なんとも言えない薄気味悪さを感じたそうだ。
 日焼けしてやや傷みが目立つ写真からして、恐らく方々に聴いて回ったのだろうその写真の中で、見知らぬ中年の女はうっすらと笑っていたという。













    昭和50年頃の話








 祖父から聞いた話。
昭和50年頃のことらしい。
 ちょうど今頃の早朝、散歩がてらに近所を流れる川のほとりに、クルミを拾いにいったそうだ。
上流で川に落ちたクルミが流れ着いて沢山たまっている、淀みのような所があったらしい。
その淀みの近くまで来た時、祖父の耳に、

「 おぅい、おぅぅい・・・。」

と、呼びかけるような男の声が聞こえたそうだ。
 辺りを見回しても祖父以外誰も見当たらない。
ひょっとして自分のことかと思い、

「 何だべ・・・?」

と大きな声であたりに呼ばわってみたが、
それには応えず、相変わらず、

「 おぅい、おぅぅぅい・・・。」

と呼ぶような声だけが聞こえてきた。

 ともかく祖父は、声のする方へと向かってみた。
釣り人がケガでもして身動きできなくているかもしれん、と思ったのだそうだ。
 そしてその後すぐ、どうもいつもの淀みのあたりっぽいと気がついた。
岸辺に生い茂った萱の藪の間の小道(祖父がクルミ拾いのために切り開いた、ほんのスキマのような物で、周りや先は殆ど見えなかったらしい)を抜けて川岸に出た祖父は、それを見た。
 淀みの水面に、クルミと一緒に人間がうつぶせに浮かんでおり、その背に、かなり大きなウシガエルが乗っていた。
そして、そのウシガエルが人間の男のような声で、

「 おぅい、おぅぅい・・・。」

と啼いていたと言う。

「な、なんじゃあ?!」

と祖父が思わず声をあげたとたん、ウシガエルは水死体の背から跳ねて、流れの方へと泳ぎ去ってしまったそうだ。
 その後、あわてて家に帰り、警察を呼んだりと大変だったそうだが、ウシガエルの呼び声については自分でも信じられず、警察には話さなかったということだ。
 祖父がいうには、その前にも後にもウシガエルの鳴き声は幾度と無く聞いたが、

「 べ~え、べ~え・・・。」

とは鳴いても、人間のような、

「 おぅい、おぅぅい・・・。」

なんていう鳴き声はその時だけだったそうだ。















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