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平和憲法が私の原点。鹿児島の吹上浜、桜島が原風景。毎週阪急3駅、JR2駅の5駅をのぼりを背負ってアピールランしています。

「太平洋戦争敗北から75年」 神前 格さんの投稿紹介

2020年08月10日 |  #憲法 #平和 #民主 #人権 #茨木市議会議員



 地元の平田住宅管理組合の総会議案書、記録、玉島校区の公民館、青健協、連合自治会、地域協議会、防犯、福祉協議会などの書類を整理。「お元気ですか」作成。今日は自宅で過ごしました。

【今日の情報紹介】

以下は神前 格(こうざき ひとし)さん(自己紹介には「2019年末をもって、神前内科クリニックを閉じ、2020年1月から勤務医に戻りました」とあります)のFacebookへの投稿から。いつも主張がはっきりし、私もまったくその通りとシェアしています。

【神前 格さんのFacebookへの投稿、ここから】

「それにしても、やや落ちついたところで、あの戦争は何だったのか、振り返るゆとりはあったはず。お上の暴走、それを許した世間。仕方がなかったで片づけて、空襲は天災の一つの如く受け止めて、戦争を人ごとのようにみなす。戦中は“一億一心”“挙国一致”“忠君愛国”をスローガンに掲げ、戦後は“平和”さえ唱えていえればそれでよし、考えることをやめてしまった」(作家・野坂昭如氏2015-3-24「毎日新聞」)

太平洋戦争の敗北から75年が経ちました。

昨今、戦争体験者が高齢化したためか、戦争の悲惨さや理不尽さが語られることが少なくなったように思います。それよりも戦争準備が語られることが多くなったような気がします。

安倍晋三首相は、「私を、右翼の軍国主義者と呼びたいならば、どうぞ、そう、お呼び下さい」と、麻生太郎財務相は、「改憲はナチスの手口に学べ」と、石破茂(元)防衛相は、「憲法を改正し、国軍を創設する。命令に従わない兵士は、軍法会議にかけて死刑にする」と、それぞれ公的な場所で発言しました。

安倍晋三首相率いる自公維政権は、基本的人権を蹂躙する平成の治安維持法と言われる「特定秘密保護法」とそれを補完する「共謀罪法」を成立させました。そして、解釈改憲という反則技で「集団的自衛権の行使容認」を決定し、「安保法制(=戦争法案)」を強行可決し、日本を戦争の出来る国にしました。これらは、日本国憲法を全く無視した蛮行です。いまの自公維政権は、全く歴史に学ばない、国民を見棄てる亡国の政権と言えるでしょう。

彼ら自公維政権が企図するのは「戦前回帰」です。

その「戦前回帰」の総仕上げとして、自公維政権は「日本国憲法改定」を狙っています。そして、安倍晋三首相は2020年には「日本国憲法改定」を実現したいと公言しています。

私たちは、戦争を「絶対悪」と認識しなければなりません。戦争からは、何も生まれません。戦争は国土と人心を荒廃させます。人々の心に残るのは悲嘆と怨念です。戦争に聖戦などというものはありません。戦争は、老人が決め(ジイサンが宣戦布告し)、中年が命令し(オッサンが進軍ラッパを吹き)、青年が戦う(アンチャンが殺し合いをする)理不尽極まりないものです。戦争は国家が国民の基本的人権を蹂躙し、国民に他国民の大量殺人を強制するものです。
以前にも御紹介しましたが、私の大好きな直木賞作家の野坂昭如さんの「毎日新聞」の記事(2015-3-24『七転び八起き』)を再掲させて頂きます。

■以下、『七転び八起き』の紹介です。

第200回「思考停止」70年 命の危機 敗戦から学べ

たとえ無責任、出まかせといわれようが、物書きの端くれとなって以後、お上のあやかしに取り込まれてはいけない。日本が現状のまま推移すれば駄目になる。やがては沈没してしまうなどと言い続けてきた。食い物しかり、原発しかり。これすべて勘によるもの。そして残念ながらこの勘はほぼ当たってしまった。

もう一つ、日本は再び戦争に巻き込まれようとしている。昭和20年、戦争が終わった年、ぼくは14歳。あれから70年、ずっと敗け戦の日々である。70年前、一面の焼け野原だったあとに、たちまち屋根が並び、昭和30年にもなると、飢えの恐怖も遠ざかった。つれて日本は高度経済成長の波に乗り、これでめでたしめでたし。民主、平和、自由など各種の主義がデカイ顔をしてまかり通った。物質的豊かさの良いとこ取りを決めこんだ。

ぼく自身、時代に身を合わせて生きのびてきた。だが一方で、言いようのないいらだちが失せない。違和感がある。これは世間に対してと自分についてのこと。すべて上っ調子で前進あるのみ。日本はあの戦争で立ち止まって考えることをしなかった。まさに着の身着のまま、食うや食わずの混乱の中で今日を精いっぱい生きのびるのがやっとのことだった。

それにしても、やや落ちついたところで、あの戦争は何だったのか、振り返るゆとりはあったはず。お上の暴走、それを許した世間。仕方がなかったで片づけて、空襲は天災の一つの如く受け止めて、戦争を人ごとのようにみなす。戦中は「一億一心」「挙国一致」「忠君愛国」をスローガンに掲げ、戦後は「平和」さえ唱えていえればそれでよし、考えることをやめてしまった。どこかで抱く違和感はあっても、誰かがどうにかしてくれると考えておしまい。お上を筆頭に誰も矛盾に向き合わなかった。ぼくにしたってエラそうなことは言えない。結局は時代に身を合わせて生きてきた。

14歳の夏、突然戦争が終わり、世の中が一転、何もかもすべてガラリと変わってしまった。もの心ついた頃は戦時下。お国のために命を捧げることがあたり前。成長盛りにロクな物を口にせず、授業も満足に受けられなかった。ぼくら昭和ヒトケタ世代はかなり特別な少年時代を過ごした。やがてウロウロするうちに経済大国、戦後はその繁栄の恩恵を十分に受けて、ギクシャクしながらも生きてきた。

ぼくらの世代にも責任はある。70年前の今頃、大日本帝国は瀕死の状態だった。3月10日の東京大空襲で10万以上の命が失われ、それでもまだお上の暴走は続く。4月、ひたすら本土防衛のための沖縄線がはじまる。沖縄県民の命を盾として、いたずらに死者を増やし、約20万の命が棄てられた。この唯一の地上戦によって沖縄は本土の捨て石とされた。今なお、それは続く。5月24,25日東京空襲、山の手が焦土と化した。6月5日神戸に空襲、これによってぼくの家族、家も焼失。人生が大きくかわった。

70年前、昭和20年の今頃に生きていた大人達は何を考えていたのだろうか。子供だったぼくの目にうつる身近な大人は、上辺平静だったように思う。列島は空襲の嵐、戦争が迫っていた。お上の制度は猫の目の如く変転、代わりないのは強気な大本営発表だけ。普通に考えれば日本の敗け、と見当つくはずだが、大人達に焦燥の色も諦めた感じもうかがえなかった。

今の日本がどんな状態なのか、ぼくにはよく判らない。ただぼくなりに冷え冷えと眺めている。この歳では眺めるしかない。あの命の危機を目前にしていた時代とはまるで違う。だが今日あるが如く明日もあるとみなして、具体的に破滅を回避する手段を講じない。今も昔も同じ。大人達は思考停止じゃないのか。

飢えに苦しんだ経験をあっさり忘れ、食い物は他国にまかせ、その食い物の大半を廃棄し続けている。危なっかしい原発、安心、安価、クリーンは嘘だった。ツケは子孫にまわす。年金、健康保険もそう長くないだろう。
日本には金があるという。債権国だといったところでドルという紙切れ。1000兆を超えた国公債の利子払いもある。これを免れるには極端なインフレしかない。モノ不足の再来は遠くないだろう。
現状維持を最優先、後はすべて先送り。危機感を持たず、リスクを避けてきた日本。敗戦から何を学んだか。震災、原発事故から何を学ぶのか。戦後70年、平和は奇跡的に続いた。安倍首相悲願の憲法改正は日本を破滅に追いやるだろう。戦争というものは気づいた時にははじまっている。今、戦後が圧殺されようとしている。(企画・構成/信原彰夫)
(以上、『七転び八起き』の紹介おわり)

私は以前から、野坂さんのファンでして、著書も多数拝読しましたし、学生時代には「野坂昭如・長谷川きよしジョイントコンサート」(於;お茶の水女子大学)も聴きに行ったことがあります。

2015年12月9日に亡くなられた野坂さんは、昭和ひと桁生まれの「焼け跡闇市派」として、常に、政治に対するメッセージを発信されてこられました。21世紀になり、作家(小説家・詩人・随筆家など)の政治に対するメッセージの発信数が激減しましたが、そういう意味でも、野坂さんの存在は大きかったと思います。

『右も左も蹴っとばせ!』は野坂さんが1974年に参議院議員選挙(東京地方区)に立候補した時のうたい文句であり、1980年に上梓されたエッセイ集のタイトルでもあります。冷戦が集結し、世界が右傾化してきた現在では「右を蹴っとばせ!」というタイトルになるのかも知れませんが、40年前とは思えないほど、現在の状況にも当てはまる論評がなされています。

■以下、『右も左も蹴っとばせ!』の中の「原子力産業と満州経営」という章から一部抜粋させて頂きます。

新天地に壮大な設計図を描き、国家百年の計はかかってわが双肩にありと、満州に乗り出した産業人、役人は信じこんでいた。その夢は、ソ連の進攻をまつまでもなく、自滅して当然の無理矛盾をかかえこんでいた。戦い敗れて連中は日本へもどり、まあ、よくいえば進取の気性に富む、悪くいうと、誇大妄想、自己顕示、文明信仰の権化、そして、妙に日本の未来を自分勝手に憂いたがる手合いが、原子力発電にとびついたのだ。ぼくは、原子力産業なるものは、満州経営によく似ていると思う。

(中略)

何かといえば、原子力か停電かとおどかすのも、満州を失えば神州瓦解というお題目に同じ。「五族協和」を信じて渡満、これがまったくの文字面だけと判って、暗然とした者が多かったように、この業界でも、ぼくからみて誠実な人はどんどん去っていく。

美辞麗句で飾られるばかり、実態の判らぬことも、世間に向けての宣伝がきわめて姑息なことも、かつては武力、今札束でしゃにむに建設を進めることも同じ。満州が軌道にのれば国家安泰みたいにいわれながら、おこぼれは豆粕だけ、原発も金と太鼓で経済効率をいいながら、実はまことに不経済という面も似てりゃ、撫順炭と鞍山の鉄で日本は自立する、核リサイクルにより、我国は準国産エネルギーを確保できる、いずれも画に描いた餅で同列。
(中略)

王道楽土などといって、やったことは他民族の土地を侵略し、建設はすべて現地住民の血と汗により築かれた、もし名目通りなら、満州国は関東軍の壊滅と関係なく存続したろう。

原子力平時利用は、現在生きているわれわれが、未来の人類の生命財産、人間らしい生き方、人間にふさわしい自然環境を収奪破壊することで、当面の文明を支えようという企みである。原子力に戦時も平時もない、元来、地球上に存在しなかった毒物をむやみに産み出し、その毒性は何万年経っても消えない、だからこれを利用しての、勝利も繁栄もありゃしない。われわれは親の脛をかじって育った、そして今、子供の血をすすり、孫の骨をダシにして、栄耀栄華を貪る。安全論議の入りこむ余地などないのだ。まだ生まれてこない子供にこそ、今、われわれは教わり、姿を正すべきであろう。

(以上、『右も左も蹴っとばせ!』からの抜粋おわり)

私たちや私たちの子供や孫たちが毎日安心して楽しく暮らせる平和な社会を築くことが私たち大人の責任です。普通に考えて、オカシイと思うことは、オカシイと言い続けましょう。次の国政選挙では「戦争推進」を企図する候補を叩き落とし、「国民の生活が第一」と考える候補を国会に送りだしましょう。

『ストップ・ザ・安倍!』『ストップ・ザ・極右!』です。
(註)添付写真は、1983年12月に、衆議院議員選挙で新潟三区から立候補した野坂昭如氏の応援演説を長岡駅前でしている吉永小百合さん(2015年12月15日発売の『サンデー毎日』の野坂昭如さんの追悼記事より)

・・・・続く・・・・・

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