日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

カマトト

2019-05-10 10:00:00 | (理)のブログ
 4月の終わり、会社の同僚たちと10人ほどで東京・小平にある国平寺に行ってきた。5年前に亡くなった先輩に会いに行くためである。

 2歳上の先輩との思い出で強烈なのは、入社した当初、帰り際に突然「このカマトトが!」と言い放って去って行かれたことだ。最初は言葉の正確な意味が分からなかったものの悪口なのは明らかだったので、意味を調べると「うぶらしく振舞う女性、ぶりっこ」の文字が。なぜ突然…と思っていたら(うぶらしく振舞った覚えがない)、当人が戻ってきて「さっきの冗談だから」と照れ笑いをし、また去って行った。つかみどころのない雰囲気もあったが、日常の言動の端々から素の優しい人柄がにじみ出ているような先輩だった。

 国平寺につくと、遺影が並んでいる場所へ行く前に、住職がお話をしてくれることになった。大きな広間にたくさんの椅子が置いてあり、そこに座るよう促される。前の方が空いていたので、(席を詰めた方が失礼にならないかな…)と思い一番前に座った、のだが…。
 住職が私の正面に立ち、ほぼ私の顔を見て話してくる。仏さまに関する質問も交えてくるので、そういう物事をよく分からない私はさりげなく目を逸らす。しかし目の前に立たれているのでよそ見をするのは申し訳ないかなと思い視線を戻す、と答えを求められる…。というなんとも困った状況になった。
 それでもなんとか話が進み、そろそろかなと思った頃、住職が「〇さんが亡くなったのはあなたのせいです!」とビシッと私を指さした。(えっ…!?)と思い身をすくめると、「あなたや私が〇さんの命をいただいて、いま私たちは生きています。だから皆さんは…」というような言葉に続く。あっそういう意味か…とホッとしたが、先ほどの場面があまりにショッキングで、他の言葉はすべて吹き飛んだ。

 そんなこんなで先輩の遺影がある場所へ。写真を見ると、うわ〜っと懐かしさが溢れてきた。「カマトト」と言って私をからかっていたときのような、無邪気な先輩の笑顔がそこにあった。先輩が亡くなったのは25歳のとき。私は23歳だった。いつの間にか追い越して、年齢はもう私の方が上だが、写真を前にするとやっぱり「先輩」という感じがする。心の中で昔のように少し話しかけてみた。一緒に行った同僚たちも、それぞれの思い出の中のかれと再会したのだろう。変わらない当時の笑顔にこちらまで笑ってしまった。(理)

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