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キムチで交流!@川崎桜本

2018-02-02 10:00:00 | (瑛)のブログ



川崎市立さくら小学校と川崎朝鮮初級学校のキムチ作りが1月31日、さくら小で行われた。

川崎初級の6年生とさくら小に着くと、塩漬けされた白菜と、真っ赤なヤンニョムが準備されていた。川崎市ふれあい館の職員とさくら小の先生たちが3日間にかけて45株の白菜を塩漬けし、ショウガ、ニンニク、タマネギ、ニンジン、黄桃、パイナップルを入れたヤンニョムを作ってくれたというから、頭が下がる。





さぁ、キムチ漬けの始まり!

川崎の同胞高齢者の集まり「トラジの会」のリ・ヨンジャさん(87)が、白菜を一枚一枚めくりながら、ヤンニョムの塗り方を教えてくれた。

川崎初級とさくら小のキムチ漬けは今年で11回目という。

歩いて10分ほどの距離にある2つの学校は、学年ごとに互いの学校を訪れ、毎年交流を続けている。川崎初級の6年生は女子4人のクラス。キム・ファナさんは、「さくら小の子とは、ハッキョの体育館でなわとびをしたり、好きな芸能人の話をしたり…。なんの話題でもいいので、話をして友だちをたくさん作りたい」と出会いに期待いっぱいだった。



一方のさくら小の子どもたちの中には、エプロンに朝鮮語で名前を書く子もいて、オンマ、アッパと簡単な単語を口に出す姿もほほえましかった。ある男子児童は、「いつもおれ、納豆にキムチ混ぜて食べるよ」と出来上がったキムチを抱えながら嬉しそう。キムチはこの日本でメジャーな漬物になったが、自分が漬ける体験は「初めて」という子が大多数だった。

さくら小の6年はクラスが3つあるので、3回にかけてキムチ漬けが行われた。

1世のヨンジャハルモニは、「昔はキムチ以外に何のパンチャンがあるのよ」と笑いながら、慣れた手つきでヤンニョムを差しこみ、もみこんでいた。貧しさのあまり、食べることに苦労した1世にとって、キムチとは、「これさえあれば」という故郷の味だ。一世から直々にキムチ作りを教えてもらう―。本当に贅沢な交流だと感じた。



他のテーブルでキムチ漬けを教えていたチェ・ミョンランさんは91歳。「嫁に来て初めて作ったヨルムキムチは大失敗でね」と思い出を話してくれた。5人きょうだいの末っ子。「大家族の中で育ったから、故郷では料理はあまりせず、子守りばかりしていた。母はさじ一杯のごはんでお腹一杯にはならないだろう、と失敗を生かすことが大切だと教えてくれた」。

小学生とハルモニとの「キムチ作り」はさくら小の前身の桜本小学校の一角に「トラジの会」があったことから始まった。

側にいる在日一世との出会いの場を作ろうと、交流が始まり、同じ街にある朝鮮学校にも声がかかった。キムチ作りを終えたヨンジャハルモニは、子どもたちの前で「キムチは世界的に有名な食べ物。男でも女でもキムチを作るようになったら、お金を使わなくてもいい、お金がたまります。あなたたちと会えてよかった。ありがとう」と笑顔で話していた。

さくら小のI先生は、「交流することで、互いの名前を覚え、どこかで街で会ったときも話ができるのがいい。うちの学校には中国、韓国、南米、フィリピンと多様なルーツを持つ子どもがいる。例えば肌の色が違う子に向かって『なんで色が黒いの?』と無意識で言った言葉が相手に嫌な思いをさせることになり、それがいじめにつながる場合もある。他者との違いを堂々と言える雰囲気を作っていきたい」と話す。

川崎初級のリ・ジョンファ先生(25)は、「川崎市の日本学校はウリハッキョ主催の絵画展にも積極的に参加してくれる。私自身もそうだったが、日本学校と自然に交流する環境が地域への安心感につながっていくのだと思う」と交流の意義を語っていた。

取材を終えた後、私もキムチを漬け、ありがたいことに、お土産にいただいた。白菜がおいしい季節に行われたキムチ交流、とてもいい時間でした。(瑛)

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