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日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

葬儀社の取材で見た、人のつながり

2017-04-24 10:00:00 | (S)のブログ
 5月号では在日同胞の葬儀について特集を組んだ。
この特集関連で私もいくつか取材をしたが、とても印象深かったのが、地域の在日同胞がよく利用するという葬儀社のスタッフの話だ。

 お話を伺ったお二人は在日同胞の利用者を20年以上担当してきた方々で、私が思っていた以上に同胞について詳しかった。

 葬儀をあげる前に必ずご家族とお会いして打ち合わせをする。同胞の自宅を伺ったり、焼肉店を営んでいればお店に足を運んだり…。
すると、同胞が必ず「ご飯は食べた? お腹すいたでしょ、食べていきなさい!!」と食事を出してくれるんだとか。「いつも気にかけてくれて、大事にされて、本当にたくさんお世話になりました」。

 「毎回のように感じるのは、在日の方々は先祖を敬う気持ち、親や家族を大事にする気持ちが本当に強いということ。決して日本人にそれが希薄というはけではないが、在日の方々にはまた少し違ったものがある。家族だけでなく地域の在日同士のつながりも強く、葬儀も支部や分会、女性同盟などが総動員」
 初めて在日同胞の葬儀に携わったときは、朝鮮の風習や同胞社会のネットワークについて知り、驚いたそう。

 取材中にびっくりしたのは、会話の中で朝鮮語の単語がポンポン出てくるということ。それも在日同胞たちが日頃よく使う単語だ。アボジ、オモニなどの家族の呼び方やちょっとしたときに在日が使う生活用語、その他にチブ(支部)、プネ(分会)、ウィウォンジャン(委員長)、ニョメン(女性同盟)、サンゴンフェ(商工会)などなど。
 ふとした時に朝鮮語を使うと、「○○さん、チョソンサラム(朝鮮人)だったの!?」と同胞に言われ、「いえいえ、イルボンサラム(日本人)です」と返したり。

 同胞の会話を聞いているうちに少しずつ意味が分かるようになり、簡単な単語であれば朝鮮語で言えるようになったそうだ。「とにかくまずは、みなさんと意思疎通を図りたい。そうしないといいお葬式も出来ない。会話で朝鮮語を交えて話すと、親族も親しみを感じてくれる。そうして少しでも安心させてあげたい」。

 過去には、朝鮮学校支援で売られるキムチの購入に協力し、朝鮮学校のフェスタで葬儀社の名前でかき氷を販売することもあった。どれも会社と団体の関係を超えた、人と人との絆があってのことだ。

 長年同胞たちと付き合いがあるため、顔も広い。管轄していた地域での在日同胞の葬儀があれば、参列者の8割の方とは顔見知りだという。

 20年の間に、親交があった本部活動家や在日同胞を見送る機会も多かった。「親しくしていた方が亡くなる現実はすごくつらい。自分の身内が亡くなったかのような寂しさがある」。
 少し涙をこらえて、たくさんのことを思い返しながら話すようすが印象的だった。
 業者として葬儀に携わるが、知り合いの葬儀でもある。「見送る人」の1人でもあるのだと感じた。(S)

ヘルシーで贅沢なお弁当

2017-04-13 10:00:00 | (S)のブログ


イオ5月号の特別企画は「ヘルシー弁当計画」です。
どんなに忙しくても気を配りたいのが自分や家族の食生活…。
そこで今回は、毎日食べるお弁当にスポットを当てました。

管理栄養士の方のアドバイスを参考にしながら、お弁当作りが得意な同胞の方に実際にお弁当を作っていただきました。

取材でご自宅にお邪魔すると、美味しそうな匂い広がり食欲をそそります。
手際よくおかずを作り終えると、いざお弁当箱に詰める作業へ。見る見るうちに色鮮やかなお弁当が出来上がり、見ているだけで幸せな気持ちになりました。

小学生用、中高生用、成人用をそれぞれありますが、どれもその年頃に必要な栄養を考えたヘルシー弁当です。
味、見た目、ボリューム、健康とすべてが工夫された素敵なお弁当を、是非みなさんも誌面でチェックしてみてください! 
レシピもとても参考になると思います。

取材が終わると、それぞれのお弁当の残ったおかずをふんだんに詰め合わせた超贅沢なお弁当を持たせてくれました。これは誌面には載らないスペシャル弁当です(笑)。

いただいたお弁当を家で食べながら、こんなお弁当を作れるようになりたいな~としみじみ思いました。
また、健康的な食事をとろうとすると、コンビニ食ではなかなか難しいということも企画を進めながら実感しました。
入社当初、お弁当作りを数日続けてすぐに断念…。
上手く続けられる方法を考えて(いつか)再チャレンジしたいと思います。(S)

入学おめでとう応援隊 今年も!

2017-04-04 10:00:00 | (S)のブログ


各地の朝鮮学校で入学式が行われています。

先週日曜日、神奈川県の横浜朝鮮初級学校、川崎朝鮮初級学校、南武朝鮮初級学校、東京都・町田の西東京朝鮮第2初中級学校でも入学式が行われ、そこには今年も「入学おめでとう応援隊」の方たちが駆けつけました。
私は横浜初級に行く「応援隊」の方たちを取材させていただきました。

朝8:45分に横浜駅に集合。胸に付けたオレンジのリボンが目印です。それぞれ簡単な自己紹介を済ませ、いざ学校へ向かいます。
横浜初級の「応援隊」に集まったのは26人。長年、朝鮮学校を支援してきた方や日本の学校の教員だけでなく、一般の会社員や学生の姿もありました。

学校に到着すると朝鮮語・日本語で「入学おめでとう」と書かれたオレンジ色ののぼりをたて、入学生やその家族たちが来ると「イパッチュッカヘヨ~!(入学おめでとう)」と温かく迎えます。
初めて参加された方は、少しドキドキしているようにも見えましたが、子どもたちを見るたびに癒されていました。



応援隊は、拉致問題が表面化し、朝鮮学校への嫌がらせや脅迫が相次ぐ中、朝鮮学校の子どもたちが安心して学校に通えるようにと2003年に始まりました。
当初は、正式な活動として立ち上げたのではなく、子どもたちを心配する市民たちが口コミで集まりました。その時は、学校までの道に立ちながら子どもたちの安全を見守ったそうです。

この日、新入生の保護者はこのような活動が長年続いていたことに驚きながら、こんなことを話されていました。
「情勢が良くなく、補助金も打ち切られるなか、周りがみんな敵のように見えてしまうことがある。しかしこうして朝鮮学校の子どもたちの入学を祝い、見守ってくれる方たちがいる。『応援隊』を通してそれを実感できた。本当に心強い」。



新入生に「おめでとう」と声をかけること。それは一見とてもシンプルで当たり前のように感じられますが、今の朝鮮学校にとっては重要な意味があります。
どんな子どもも無条件に、社会に受け入れられ、地域に愛されなくてはいけないと思います。朝鮮学校の子どもや保護者がそれを感じにくいというのは大きな問題だというのも、この日改めて考えさせられました。

「応援隊」は些細な活動かもしれませんが、朝鮮学校の子どもたちにとって大きな希望です。
きっと子どもたちの心の中にも残り続けると思います。(S)

連載「私のオモニ」に思うこと

2017-03-24 10:00:00 | (S)のブログ
年間企画を練り、ようやく今年の1月号が完成したかと思うと、もうすでに4月号が終わりました。
びっくりするくらい時間の流れが早いです…。

今年に入って始まった連載の1つに、「私のオモニ」というエッセイがあります。
一般の同胞たちに自分のオモニ(母親)について語ってもらう企画です。

執筆してくださる方々は、このエッセイを書くにあたってたくさんのことを考えるそうです。
オモニとの思い出を久しぶりにきょうだいとを語り合ったり、昔のアルバムをめくってみたり、オモニがご存命の方であれば「この話はまだオモニに聞けていなかった」と気付いたり。
忘れかけていたオモニの言葉や出来事を、執筆しながら思い出したという方もいらっしゃいました。

誌面に掲載されるエッセイは1000字。
自分のオモニについて、たったの1000字で語り切れる人なんていません。
ですが、思い出を辿ったり考え込む中で綴られた文章は一つひとつに重みがあり、言葉では表しきれない思いが詰まっています。

また、編集部に送られてくる読者カードには、このエッセイを読んで「共感しました」「自分のオモニを思い出しました」と感想が書かれています。
一般の方のエッセイだからこそ、多くの人の心に届くのだと思います。
このエッセイが、筆者だけでなくいろいろな人にとって、ふと何かを考えるきっかけになってくれたら嬉しいです。

毎号いろいろな話が載りますが、中には1世の方がご自分のオモニについてを語られることもあります。
教科書には載っていない貴重な個人史。このページでそれらに少しでも多く光をあてられたらと思っています。(S)


「枝川裁判」から10年

2017-03-14 10:00:00 | (S)のブログ
母校・東京朝鮮第2初級学校(江東区枝川)の校地をめぐる裁判に和解という形で勝利し10年を迎えます。

裁判が始まった2004年、私は同校の初級部6年生、裁判が終わった時はすでに卒業していました。
第2ハッキョといえば「枝川裁判」といってもいいほど、この裁判は各地で知られていますが、実は、私自身は最近までこの裁判についてよく分からないまま過ごしてきました。

裁判が起きた時、「大変なことが起きている」という認識はありましたが、「学校がなくなる」という不安を感じたことはありませんでした。
悩みといえば、クラスの友だち関係だったり、部活のことだったり。毎日、目の前のことに必死でした。

先日、当時お世話になった先生に話を聞く機会がありました。
その頃の先生たちは、裁判で学校や地域が揺れる中、学んでいる子どもたちには不安を感じさせてはいけないと心がけていたそうです。
私たちの知らないところで、少人数体制だった先生たちがどれだけ奔走されていたのかを初めて知りました。

街頭に立ち署名集め、裁判を傍聴しに行き、常に裏方として奮闘されていたオモニたちの話も聞きました。
「オモニたちはみんな強気で、裁判に負ける気がしなかった」という言葉が印象的で、私が裁判に不安を感じなかったのも、こうした方たちの「子どもをなんとしてでも守る」という信念と活気があったからだと知りました。

私が、かつて母校で起きた裁判について今になって深く考えるようになったのは、今各地で闘っている高校無償化裁判がきっかけでもあります。
この問題で朝鮮学校を支援してくださる日本の方たちの姿にはいつも胸が熱くなりますが、その中にいつも、枝川裁判を一緒に闘ってくれた「枝川朝鮮学校支援都民基金」の方たちの姿があります。
枝川裁判を担当された弁護士の方が、高校無償化裁判で先頭で闘われています。
こうしたようすを目にする度に、枝川裁判を改めて思い返してみます。
(あの時、自分もこうして守られたのかな…)

幼い頃はよく分かりませんでしたが、少しずつ当時を知っていく中で、自分がたくさん方の思いと助けの中で学生時代を過ごしてきたと感じるようになりました。
今の自分が、子どもたちのために何ができるのかということも無意識に考えるようになりました。

3月26日には、同校で「枝川裁判勝利10周年! 記念式典&大宴会」が行われます。
感謝の気持ちを忘れず、またこれからの朝鮮学校のために自分ができることを考えながら、楽しい時間を過ごしたいと思います。(S)



命がけの満員電車

2017-03-03 10:00:00 | (S)のブログ
国土交通省が発表している「東京圏における主要区間の混雑率」(2015年度)で混雑率1位(199%)にランクインしている地下鉄東西線の木場-門前仲町区間。
この区間を見事にまたいで通勤している。

殺人的混雑とよく言うがまさにその通り。乗車時間は長くないが、その数分は戦場だ。

満員電車のひどさはなかなか言葉では表しきれないが、とにかく命がけ。
あまりの混雑に体調を崩しホームでうずくまっている人や、救急搬送される人も見かけるが、その度に「人ごとではない」と覚悟を決めて乗車する。
雨の影響などで混雑が増した日は、次の駅まで自分は生きていられるのか!?と思うくらいの圧迫に苦しめられる。

自分の場合、物をなくすこともよくある。
混雑で前の電車に接近し急停車することが多いが、身動きがとれない状態からいきなり電車が止まった反動で手に持ってい物を手放してしまうことがある。傘が手から離れ、そのまま人ごみに消えていってしまうということを何度か経験した。
また最近では、おにぎりを買ったビニール袋をカバンにしまわないまま乗車してしまい、いつの間にか手から離れてさようなら…。
下車後に気付き、かなりショックだった。

電車を降りるときも一苦労だ。
「前の人を押さずに順にお降りください」というアナウンスなど誰の耳にも入っていないだろうと思うくらい、降りるときに大混乱が起きることがある。
ひどかった時は、人の流れに勝てず後ろ向きなってしまい、足が絡まりホームに背中から投げ出されてしまった。
降りてくる大量の人にそのまま踏まれてしまいそうでゾッとした瞬間、ホームで電車を待っていた人が私の両脇をグッと引き上げて立たせてくれたかと思うと、落ちているカバンをすっと持たせてそのまま電車に乗っていった。
惨めさ70%、ありがたさ30%くらいで、涙が出そうになった(笑)。

電車に乗り切れず数本電車を見送り、ようやく乗ったはいいものの、途中駅で降りる人を通すためにホームに降り、まさかの乗ってきた電車に乗り切れず…。
そんな日は、朝からイライラマックスになる。
苛立ちを思いっきり顔に出したあと、声を枯らしながら働いているホーム整理員さんや駅員さんがふと目に入り、少し反省したりもする。
それでも、満員の中を抜け出しては毎日のように大きなため息をついてしまう。

他の地域から上京した人は東京の満員電車にうんざりすると聞くが、東京生まれ東京育ちの私も、満員電車がきっかけで東京がいやになって久しい。
やはり避けるには乗車時間を変えるしかないと思うが、少し早めたからといってあまり変わらない。
朝が弱い私にとってはかなりハードルが高いが、思い切って朝活をはじめようか…。
毎回そんなことを考えている。(S)

次回最終弁論、180人規模で集会/広島無償化裁判第16回口頭弁論

2017-02-22 10:00:00 | (S)のブログ




 広島無償化裁判第16回口頭弁論が2月8日、広島地裁で開かれた。
 
 法廷では、原告側(朝鮮学園)が第16準備書面、被告側(国)が第12準備書面を提出し、原告側の弁護士が内容について口頭弁論を行った。

 原告は、被告から提出され明らかになった自民党政権発足直前から本件省令改正(ハ規定削除)までの事実過程、また昨年12月に東京地裁で行われた元文部科学省職員への証人尋問について分析。
 これらを見れば、▼本件省令改正が、審査会での審査状況を無視し、朝鮮学校を不指定処分とすることを目的に行われたこと、▼本件省令改正が、文科大臣の政治的・外交的判断によるものだということは一目瞭然であると主張した。

 被告は、原告が過去に出した第14、15準備書面に対し反論。
 「授業料は、それまで自分たちが支払ってきた金額と何ら変わりはないし、生徒らも、それまでと何ら変わらず当該学校において学ぶことができるのである。しがたって、不指定となったからといって、原告らのいう『民族教育の権利』を侵害するものではない」などとしながら、教育の場で朝鮮学校だけを差別し無償化制度から除外していることを繰り返し正当化した。
 
 裁判終了後には報告会が行われた。
 
 2月19日には、保護者や支援者約180人が広島朝鮮学園に集まり、「私たちの願い・朝鮮学校に笑顔を! 全国行動月間-高校無償化裁判勝利・補助金カット反対-広島集会」を開催。3月8日に行われる最終弁論に向け、学校側や支援者らが今一度足並みを揃えた。
 
 集会では高校無償化の適用、県と市の補助金再開を求めるアピール文が採択され、その後、世論を喚起させようと集会参加者らが市中心部4ヵ所の街頭に立ち、横断幕を掲げながらビラを配布した。
 
 次回の最終弁論(3月8日13時半~、広島地裁)は、1時間の時間を取って行われる。
 双方が最終準備書面を提出し、原告側は2人が口頭で意見陳述を行う予定だ。(S)


(写真=裁判後の報告会のようす。広島朝鮮初中高級学校提供)

日本人のオモニの話を聞いて

2017-02-10 10:00:00 | (S)のブログ
 先日、イオの読者を訪ねる取材で、朝鮮学校に子どもを通わせる日本人のオモニ(母親)にお会いした。

 そこで、どうして朝鮮学校に入れたか、また実際にどんな経験や不安、出会いがあったかなど、いろいろとお話を聞かせてもらった。
 
 朝鮮学校で学んだ経験がないのはもちろん、在日のコミュニティに知り合いはいない。さらに、そのオモニを悩ませるのは自分と夫がウリマル(朝鮮語)をできないことだった。
 夫も日本の学校を卒業したためウリマルは学んでおらず、家で子どもの宿題を手伝ってあげられないという。他の子どもたちとの家庭環境の差を一番心配されていた。また、今後中級部・高級部と新しい環境になったときの不安も尽きない…。
 
 そんな中で、宿題プリントの裏には必ず日本語訳をつけてくれるなど、細かいところまで一つひとつサポートしてくれる学校の先生には感謝しかないという。気兼ねなく明るく接してくれる他のオモニたちの存在も大きい。

 子どもが通う学校は私の母校でもあったため、当時と今では学校がどのように違うかなど話は尽きず、雑談を含めいつの間にか3時間以上が経過していた。

 朝鮮学校にも日本人や外国人の保護者がいることはよく聞いてはいたが、直接会って話を聞く機会がこれまでなく、私にとっては気付かされることが多い取材だった。
 同じ学校に通わせていても持っている背景などはそれぞれにある。もちろん朝鮮学校出身同士だから共感できることもあるが、「あたりまえ」にとらわれずいろいろな視点を想像できるかどうかが大切になってくると思う。
 これからも「ウリハッキョ」が、人と人をつなぎ、温かく包み込んでくれる場所であってほしい。

 同じ地域の方なので、今後会う機会にまたお話を聞かせてもらいたい。(S)

もうすぐ“卒業”シーズン

2017-02-01 10:00:00 | (S)のブログ
最近、卒業を目前に控えた大学の後輩や、大学院を卒業する同級生に会う機会があり、「卒業」について話したり考えることが増えました。

未来への希望であふれる卒業シーズンですが、複雑な気持ちにもなります。
国の差別によって傷つけられ、悔しさを抱えながら卒業していく朝鮮学校の子どもたちを思うと、胸が締め付けられるようです。

個人的に「卒業」で思い出すのは、大学を卒業する数日前、寮を出る準備が一通り落ち着いてきた頃に友人たちと作って食べたラーメン。ここで友人たちとあれこれ話して過ごすことももうないんだと思った瞬間、一気に寂しさが押し寄せてきたことを覚えています。
また、私は卒業後もそのまま東京に住むことになっていたので、周りの友人たちがそれぞれの地域に「去ってしまう」ような感覚がどこかにあり、それが寂しくてたまりませんでした。
実は今も、仲のいい後輩たちが卒業後に遠くに行ってしまうという寂しさに襲われています…(笑)

イオ3月号の特集テーマは「卒業」。その関係で、先日はもうすぐ卒業する朝大生の1人を取材しました。
初級部から16年間、親元を離れて朝鮮学校の寮で暮らした学生です。
初級部の頃、「家から通える学校に行かせてほしい」と泣きながらオモニに電話をした話や、寮で面倒を見た年の離れた後輩のことなど、たくさん話を聞きました。
印象的なのは、経済的に厳しい中、さらに寮にまで入れて朝鮮学校に送ってくれた両親への思い…。両親の選択が「間違っていなかった」ということを、卒業後の自身の姿を通して伝えたいと、まっすぐな目で話してくれました。
自分にない経験や思いを聞きながら学ぶことが多く、なんだか気が引き締められた気がしました。

卒業のときというのは、達成感や後悔、希望や不安、お世話になった人たちへの感謝の気持ちなど、いろいろなことを感じる時期だと思います。またそこには、周囲の人を含め、一人ひとりの思いやドラマがあると感じます。
特集では学校を卒業する人だけでなくたくさんの「卒業」が描かれます。
人生の先輩たちの話にも出会える貴重な機会になりそうで、とても楽しみです。(S)


西東京子育て広場<とるがっぽ>

2017-01-23 10:00:00 | (S)のブログ

今年からスタートした新連載「この街のオンマオリニサークル」(※オンマ=お母さん、オリニ=子ども)。

今月19日には、西東京の子育て広場<돌가보(とるがっぽ)>を取材しました。

 

開かれているのは“毎月第3木曜日11時~14時”20081月に始まって以来、休むことなく運営されてきました。

また、家族全員で参加するピクニックなど、年に5回ほど日曜日のイベントも主催しています。

 

迎えてくれるのは、「西東京子育て支援ネットワーク」(女性同盟西東京本部)のスタッフたち。子育てをするオンマたちの相談役にもなってくれる、明るくてパワフルで、温かい先輩オンマたちです。

「とるがっぽ」の特徴は、訪れる人数に関係なく、決まった日に必ず運営していること。「この日に行けば誰かが必ず待っていてくれる」という安心感で、オンマたちが気軽に足を運べるんだとか。

中には、西東京に住むオンマ・オリニだけでなく、他の地域に引っ越した人や、里帰り出産で地元に帰ってきている人なども。また、ダブルの子どもを持つ日本人のオンマもいます。来るのに少しためらったけど、参加した別のオンマからの口コミがきっかけで行てみました!という人も少なくないそうです。

 

この日は、子どもたちが思う存分遊び回っている隣で、オモニたちが真剣おりがみ…! 同胞連鶴フォーラムの柳雪號先生をスペシャルゲストとしてお招きし、1枚の折り紙から複数の折り鶴を作っていく「連鶴」を教わりました。

始めは簡単なものからトライし、段々と難易度をあげていきましたが、オンマたちは次々に完成させていきます。柳先生もその集中力の高さに驚かれていました。

私も取材が落ち着いた後に折ってみました。単純な形のものでしたが、鶴を折る方向に苦戦し、何度も折りなおしてやっと完成しました(笑)。

連鶴にはさまざま形があり、大きさによって雰囲気もガラッと変わります。見ればみるほど綺麗で、同時に、とても奥が深いものだということを知りました。

 お絵かきや歌、サンドイッチ作り、デコアートやクリスマスリース作り、夏のプールなど、毎回楽しい企画が準備されていますが、「とるがっぽ」のもう1つの楽しみは、昼食の時間。スタッフの心のこもった手作り料理を食べながら、話に花を咲かせます。

新年最初のメニューはトックッとキムパプ。子どもたちも美味しそうに食べていました。

その後はコーヒーとお菓子でほっと一息。オンマたちの話は尽きません。気付けば16時を超えていました!(笑)。

取材をしつつも、子どもたちの笑顔に癒やされ、オンマたちと一緒にリラックスできる温かな時間でした。

今後の各地での取材も楽しみです。(S


考えにふけるお正月

2017-01-12 10:00:00 | (S)のブログ

年末年始は、父の実家・大阪で過ごした。

年に何度か法事が行われるが、私の家族が参加するのは正月だけで、私にとっては未だに新鮮なものだったりする。一方、私の母は、元々親せきが少なかったということもあり、結婚して初めて参加した大阪での法事はカルチャーショックがすごかったそうだ。

私は、大晦日に法事の準備を手伝いながら、そこでの会話で出てくる話を聞くのが好きだ。世間話、地域の話、子どもたちの話、祖母の昔の話などなど。祖母の幼い頃の話は、今では考えられないほど壮絶で、それを時に笑い飛ばしながら話すようすに、いろいろと考えさせられた。

祖母は、例年にも増してしんどそうだった。腰が痛くて何度か休憩しながらも、最後まで人にまかせず台所に立っていた。それだけ「あたりまえ」に行ってきた法事について、祖母が近年悩んでいることも初めて知った。

法事をしないと親戚たちが顔を合わせる機会がなくなってしまう。それなら、ただ親せきで集まって食事をするのはどうか。それもそれで、気がおさまらないのだ。「自分たちだけ美味しいものを作って食べるのに、仏様にやらないわけにもいかんやろ…」。

そんな会話を通して、自分の中でもいろいろと考えにふける、そんな正月だった。(S)


来年もよろしくお願いします!

2016-12-27 09:18:44 | (S)のブログ
2016年があっという間に過ぎようとしています。
去年のこの時期に、「1年を振り返って」というタイトルでブログを書きましたが、あれからもう1年…?! なんだか実感が沸きません。

今年は出張にちょうど10回行かせてもらいました。
初めて訪れた地域は、長野、福島、滋賀、京都、福岡。元々、入社前までは他の地域に行く機会がほとんどなかったので、こうして並べると多いです。

取材内容はその時によってさまざまで、出会う人もいろんな方がいました。印象的だった取材といってもなかなか選べません。
ひとつひとつ振り返って思うのは、取材に応じてくださった方はもちろん、地域の同胞や日本の方々に毎回助けてもらいながら取材をしてきたということです。そのおかげで、取材を無事終え、イオの誌面にも反映できたと思います。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

また、各地域やウリハッキョ、そこで奮闘する人たちとの出会いを重ねていくことで、自分の中で「同胞社会」という概念が広がった気がします。これまでは自分の居住地域しか分かりませんでしたが、今は「同胞」「ウリハッキョ」というと頭の中にたくさんの人の顔が浮かびます。
ウリハッキョに通ったことがない同胞と出会う機会も何度かありました。中には「イオ」をはじめて知り、関心を持ってくれた方もいたり。そんな取材も新鮮で印象深いです。

一方で、出張に限らずいろいろと取材をしていくと、ふと自分の母校が恋しくなることがあります。「自分の地域はどうだろう?」と、地元の同胞社会について考えてみることも増えました。
「あの取材はもっとこう出来たのに…」「なんで自分はあのときこうしたんだろう?」など小さな後悔も尽きませんが、来年に1つずつ克服していきたいと思います。

新しい経験、出会いが待ち遠しいです。
来年もよろしくお願いいたします!(S)


広島無償化裁判/結審向け、「支援する会」が発足

2016-12-23 10:00:00 | (S)のブログ

 広島無償化裁判第15回口頭弁論が2016年12月14日、広島地裁で開かれた。
 広島では前回の法廷で、結審が来年3月8日に行われることが決まり、大詰めの段階に入っている。

 原告(朝鮮学園)は前回提出した成嶋隆氏(日本教育法学会会長)の意見書に続き、今回はその意見書に沿って主張をまとめた第15準備書面を提出した。
 
 書面では、在日朝鮮人の民族教育について、憲法と国際人権法のいずれにおいても権利が認められていることはもちろん、▼アイデンティティ保全にとって民族教育保障が不可欠であるという点、▼在日朝鮮人の民族教育が民族の存続をかけて実施されたという点―から考えると、より高度の権利性が認められねばならないと指摘した。
 また、被告(国)が朝鮮高校を無償化対象から除外したことが明白な違法行為だということを、憲法、教育法、国際人権法といったさまざまな観点から整理し主張した。

 裁判終了後の報告会では、弁護団が今回の裁判について説明。
 前日に行われた東京無償化裁判第12回口頭弁論を傍聴した弁護士や学園理事長らは、文科省職員に行われた証人尋問の内容や、東京無償化裁判の雰囲気などを報告した。
  
 この日、徳島県教組在特会襲撃事件の原告の女性も駆けつけていた。広島無償化裁判に訪れるのは3回目。「続けていけば必ず穴はあけられる」と力強く連帯の挨拶をのべた。

 次回の第16回口頭弁論(2/8)では、原告の意見書に対して被告が反論を行う予定だ。


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 また、3月8日の結審が決まる中、12月18日に「広島無償化裁判を支援する会」が立ち上げられた。発足式と焼肉交流会が広島朝鮮初中高級学校で行われ、その後、広島駅前で街頭行動が行われた。
 「支援する会」は今後、これまでさまざまな形で裁判を支援してきた「民族教育の未来を考える・ネットワーク広島」の活動をベースにしながら、裁判の結審に向けて今一度世論を喚起し、裁判を支援する集会やニュースレターの作成、カンパ集めなどの活動を行っていく。(S)

●「広島無償化裁判を支援する会」

-入会資格
 朝鮮学校について理解があり、高校無償化が適用されるべきという認識を持つ方なら、国籍、性別、年齢などに関係なく、入会できる。

-入会方法
 事務局が作成する入会用紙に必要事項を記入する。

-会費(毎年1月更新)
 年会費 1口1,000 円(会報誌の発行、裁判の支援、事務局運営費など)
 口座名:広島無償化裁判を支援する会
 口座番号:01310-5-105299

-問合せ
 TEL:082-942-3977
 Email:musyouka_hiroshima@yahoo.co.jp
 代表:村上敏


子どもたちが平和を描く / 第2回「へいわこども展」

2016-12-14 10:00:00 | (S)のブログ
 第2回「手と手をつないで へいわこども展」が12月6日(火)から14日(水)まで、旧日本銀行広島支店ギャラリーで開かれている。




 参加しているのは、外国人学校を含む広島県内の15の小・中・高等学校と特別支援学校。その他に、個人や南北コリアの子どもたちの作品も展示されている。
 会場に入ると、子どもたちが“国際平和”や“友好”をテーマに制作した絵画・美術作品がずらり。共同制作作品を入れて471点にのぼる。開催期間には、来場者とのワークショップや広島朝鮮初中高級学校の生徒たちによるミニコンサートも行われた。

 さらに、広島朝鮮初中高級学校、広島女学院中学高等学校、広島桜が丘高等学校、広島インターナショナルスクールの美術部が部展を企画。
 中でも4校の美術部員60人が共に考え作り上げた合同作品は、来場者の目を引いた。



 紙で作られた小さな家やビルが並び、その先にはピラミッド形の大きなツリー。背景には、共同制作に取り組む部員たちのようすが写された写真がカーテンのように連なっている。写真が貼られた紙は、制作過程で出てきた端材が使われているそうだ。
 各々の個性を持った子どもたちが、ひとつの作品を作るのは簡単ではない。時間をかけて話し合い、共に作り上げようと思いをひとつにしてようやく完成する。同時にそれは、1人の力では作ることが出来ない作品でもある。人と人が手を取り合い平和を築いていくための「過程」が、この展示会をきっかけに実現していた。

 「へいわこども展」は被爆70周年の節目を迎えた昨年、国際平和と友好を進めようと教員や市民らによって第1回が企画された。さまざまな学校の子どもたちが「平和」というひとつのテーマを共に考える貴重な時間・空間を作り出している。
 今後も回を重ね、未来を作る子どもたちの交流が恒例化することで、また新たな価値が生まれていく―。そんな可能性を感じられる展示会だった。(S)

京都朝鮮学校襲撃事件裁判の原告が、広島でトークイベント

2016-12-05 10:00:00 | (S)のブログ

 広島朝鮮初中高級学校で11月19日、秋のトークイベント「すぐ横にあるヘイト~知れば、未来が見えてくる!~」が、同校やオモニ会などの主催で開かれた。
 トークや質疑応答が昼の部・夜の部の2回に渡り行われ、保護者、地域同胞、日本の方、朝高生、教員など、合わせて230人が参加した。
 
 当日は朝早くから、オモニ会や教員たちが会場づくりをはじめ、イベントを成功させよういう熱い思いで活気づいていた。暖かいコーヒーと軽食を用意し、別のコーナーではヘイトスピーチや差別に関する書籍の展示、販売も。パネルには広島初中高の歴史が、たくさんの写真とともに紹介された。
 
 講師として招かれたのは、京都朝鮮学校襲撃事件裁判の原告であり、事件発生時に旧・京都朝鮮第1初級学校のオモニ会会長だった朴貞任さんと、龍谷大学法科大学院教授で当時の同校保護者でもある金尚均さん。



 冒頭では、事件当時の保護者が編集した、被害の実態を伝えるDVDが流された。続いて朴貞任さんが、2009年から翌年にかけての在特会による3度の襲撃、当時とその後の子どもたちのようす、ネットであふれる差別発言、教員室で鳴り止まない脅迫電話など、事件の深刻さを詳細に語った。
 また、被害者が自己否定に陥ってしまうヘイト被害の怖さ、新聞やメディアに取り上げられずネットでの誹謗中傷やデマだけが垂れ流される恐ろしさについても話した。
 
 2010年に保護者の中で訴訟を起こそうという提案があったときは、「勝てるはずがない」と否定的な意見が多かったが、自己否定によって自らが無力化されている現実に気付かされ、「子どもたちを守るすべはこれしかない」「私たちの誇りを守ろう」と提訴に踏み切ったという。
 事件から5年後、約20回の法廷を経て最高裁での勝訴が確定。
 「欠かさず法廷に駆けつけたオモニたちの思いは多くの日本の方の良心に響き、司法の扉を開きました。また、98名の素晴らしい弁護団、情勢に左右されず自身の問題として手を差し伸べ、いつも傍聴席をいっぱいしてくれた日本の市民の方々がいなければ、この過酷な裁判闘争の日々を乗り越えることはできませんでした」(朴さん)。
 
 朴さんは最後に、こう話した。
 「私たちが黙っていれば、この事件も事件にならなかったと思います。選択と覚悟を強いられる数々の場面で、私が一番大切にしていることは、未来に向けて、つまり子どもたちに向けて、恥じない選択をしようということです。もう一度、私たち自身が権利を堂々と主張し、何度も何度も確認し再構築していくことが大切です。ぶれない心で頑張りましょう。 …… 京都や徳島での裁判で、民族教育の評価・権利を判例として残せるとは、裁判当初は想像もつきませんでした。これは、私たちが今後子どもたちを守っていくための糧となります。思いを、日本の司法に届けるべきです。次は広島の番です。私も、この裁判経験を全国の無償化裁判につなげていくため、共に闘っていきます」



 金尚均さんは、「民族的アイデンティティの回復のためのウリハッキョと無償化裁判」と題し講演を行った。
 金さんは民族差別の怖さについて語り、これと闘うことは、「日本の植民地支配によって奪われた人としての基盤=民族的アイデンティティを回復していく作業」だと指摘した。
 
 また、各地で行われている無償化裁判を闘う上での、同胞たちの役割についてこう話した。
 「ここで重要になってくるのは、裁判をする主体は誰なのか、ということです。弁護団の方々を応援するのはもちろんですが、しかし、弁護士が裁判をするわけではありません。弁護士は、あくまでみなさんの代理人です。なぜ朝鮮学校が排除されてきたのかという差別の背景を弁護団に伝えられるのは、在日同胞自身しかいません。朝鮮学校の子どもたちや保護者が、裁判の主体です」。
 
 また、朝鮮学校の無償化除外において、国の主張がいかにおかしいかをわかりやすく説明した。

 講演を聞いた人たち、特に広島初中高の保護者たちは、「同校が同じ被害にあったら…と想像した。同じ保護者として、事件の加害者に対して腹が立って仕方がなかった」「これまではどこか第三者のように事件を見ていたが、当事者の話を直接聞くと、この事件の恐さが計り知れないものだと感じた」「自分たちが何をすべきか考えさせられた」などと、感想を話していた。(S)