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日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

6年生の校内放送

2017-09-28 10:00:00 | (S)のブログ


出張先で西神戸朝鮮初級学校を取材した。
パワフルな児童たちにたくさん笑わせられながら過ごした数日間、印象に残っているのは色々とあるが、中でも6年生の校内放送には感心。

お昼時間になると6年生の今日の当番が職員室にやってくる。
クラスで回している校内放送のノートには、児童が自分で考えて作った原稿がびっしり。

放送では、ウリマルに関する内容や今週の催し物、在校生インタビュー、当番が準備してきたなぞなぞや問題などが発表される。
締めは、放送者の独唱。週末に習う「祖国統一」をテーマにした歌を毎日歌うことになっているそうだ。
この日は「分界線コスモス」の歌を熱唱し、学校中に力強い歌声が響き渡った。

放送が終わった途端、お弁当を食べるよりも先に職員室の前に設置された「なぞなぞの箱」に集まった児童たち。
今日の問題の答えが何か必死に考えると、紙に答えと名前を書き込み箱の中へ!
低学年生たちも答えがわかったようで次々と集ってくる。
解答は翌日の放送で発表される。抽選で引かれ正解した児童には飴をプレゼント。

6年生による校内放送は今年度から始まった。
1学期は担任の先生が原稿を用意したが、2学期からはすべて自分たちで内容と原稿を準備している。
堂々と放送を担当する6年生の姿が頼もしくて感激してしまった。
毎日繰り広げられる、西神戸初級お昼時間の光景だ。(S)

イオ10月号完成!

2017-09-19 10:00:00 | (S)のブログ


イオ10月号が完成しました。

特集は「今こそ見つめる民族教育権」。
各地での無償化裁判が続く中、大阪では歴史的勝訴を勝ち取り、「民族教育」という権利について改めて注目が集まっています。
そもそも「民族教育権」とは何か、どのような法的根拠を持ち、なぜ権利として認められなければいけないのか―。
これについて国連人権規約や司法の側面から、また研究者たちの言葉を借りながら掘り下げていきます。
朝鮮学校の保護者や、海外で子どもを育てる方のエッセイも紹介します。

特別企画は、「ウリトレイン~DPRK鉄道の旅~」です。
1945年8月、日本の植民地支配が解かれた朝鮮半島北部では、晴れて市民のための鉄道建設が始まったそう。
企画では国際列車、平壌の地下鉄や路面電車を中心に紹介します。
イオで連載をしてくださっているフォトジャーナリストの林典子さんにも協力をいただきました。
興味のある方は是非ご覧ください。

その他、「この悲劇、繰り返さない― 関東大震災94周年 朝鮮人犠牲者追悼式典」の記事では、小池都知事が追悼文を取りやめた一連の問題についても詳細が載っています。
「快挙! 画家・朴正文 ル・サロンで銅賞! 在日同胞の思いを絵に込めて」など、嬉しい情報も盛りだくさん!

今月のお楽しみください。(S)

関東大震災朝鮮人虐殺、荒川河川敷でも追悼式

2017-09-06 10:00:00 | (S)のブログ


 9月2日には、東京・荒川河川敷の木根川橋下手でも「関東大震災94周年 韓国・朝鮮人犠牲者追悼式」が開かれた。
 今年で36回目。主催するのは、一般社団法人「ほうせんか」と、「関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会」(追悼する会)だ。

 これまで市民の力で証言収集などの取り組みが続けられ、土手下の私有地には2009年に「関東大震災時 韓国・朝鮮人殉難者追悼之碑」が建てられた。
 追悼碑には、追悼式前から多くの人が参列し手を合わせていた。



 今年は日本市民、在日同胞、中国人犠牲者の遺族など、例年より多い270人以上が参加。
 「ほうせんか」の理事、西崎雅夫さんはあいさつでこれまでの活動経緯や、遺骨を捜す韓国の遺族の話に触れ、参加者たちにこう訴える。

 「遺族にとってこの事件はまだ終わっていないのです。終われないのです。私たちの活動もまた、日本社会が豊かな多文化共生社会となるその日まで終わることがあってはならないのでしょう。まだまだ先は長そうです」
 


 式で配られたパンフレットには、事件を体験した愼昌範さんの証言が紹介され、その遺族にあたる愼蒼宇さん(法政大学准教授)があいさつ立った。
 証言に記されている、当時総督府が重傷者に放ったという「この度の事は、天災と思ってあきらめるように」という言葉を、小池百合子東京都知事の一連の発言と重ねる愼さん。
 「人災である関東大震災の朝鮮人虐殺を、天災の中に封じ込めてしまおうとする動きが見て取れるが、事件当時も政府役員によってこのようなことが言われていた」と、悲しい表情を見せた。

 また、参加していた中国人犠牲者の遺族もあいさつを行った。

 「追悼する会」からは、横網公演で行われた追悼式への追悼文を取りやめた小池都知事に手紙が送られた。
 そこでは、都知事の行動が犠牲者を再びおとしめ、韓国・朝鮮人を敵視する人を力づけてしまったとして、差別扇動を防ぐ都知事の責任を強調した。
 




 式では追悼の歌やプンムルノリが奏でられ、参加者たちは犠牲者らに思いを馳せた。

 関東大震災の追悼碑について研究している在日コリアンの大学院生は、明るく振舞いながらも、「行政がこの事実を否定することによって、私たちが声をあげる基盤が奪われている」と懸念していた。
 チョゴリを着た幼い子どもたちを連れて参加した韓国出身の夫婦の姿も。差別が一般市民の間でも正当化され、子どもへのいじめなどが起きないか心配していた。

 顕著化する歴史修正主義、今につながるヘイトクライムや国の朝鮮学校差別。
 それらへの危機感が、追悼式の場でもひしひしと伝わった。
 同時にそれは、問題に向き合い、共生の実現への信念をもって活動を続ける人々の、変わらない姿でもあった。
 そこに希望が見えるようだった。(S)


女の子とさくらんぼマーク

2017-08-28 10:00:00 | (S)のブログ
連休中に家の整理をしていたら、一冊の刺しゅうの本が出てきました。
表紙は色あせていて、発効日は1993年(私が産まれた年です)。
値段を見ると古本屋で買ったようだったので、使い古した感はそのせいかもしれませんが。

なんとなくパラパラ~っとページをめくっていると、突然、懐かしい絵柄が目に飛び込んできました。



それは、保育園の頃の昼寝用のシーツに縫われていた女の子の絵と、まったく一緒でした。
オモニが作ってくれたものでしたが、顔のパーツや髪の毛の流れ、刺しゅう糸の色も、たしかに本に載っているものと同じでした。
「MARI」の部分に私の名前が書いてあり、同じように周りにさくらんぼが描かれていました。

保育園の頃、一人ひとりのマークが決められていたのを思い出します。
私は「さくらんぼ」で、そのマークにとてつもない愛着を持っていたのですが、極めつけはこのシーツでした。
周りの子はマークしかついていないのに、私だけ自分の顔まで縫われているからです(私はいつも、ショートヘアでちょんまげ結びをしていました)。



オモニに聞くと、偶然私にそっくりの女の子が刺しゅうデザイン集に載っていたので、それを買ってそのまま真似て作ったそうです。
いつも私の似顔絵をササッと描きあげてくれるオモニだったので、シーツの女の子の刺しゅうももちろん「楽勝」だと思っていましたが、聞いてみるとそうでもなかったようで…。

保育園や幼稚園では保護者が手作りのものを用意するよう求められ、仕事の合間を縫ってどうにか仕上げたり、しょうがなく外注する方もいると聞きます。
オモニも縫うのに苦労したのかなぁと、何も分からなかった保育園の頃を思い浮かべました。

現物の写真でも残ってたらいいのに…と思いましたが、当時は写真を撮るのも今ほど手軽じゃなかったのでありませんでした。
代わりにこの本をとって置こう思います。(S)

本紹介『異才、発見! ―枠を飛び出す子どもたち』

2017-08-10 10:00:00 | (S)のブログ


今日は本の紹介です。

タイトルは、『異才、発見!―枠を飛び出す子どもたち』(伊藤史織著、岩波新書、2017)。

みなさんは「異才発掘プロジェクトROCKET(Room Of Children with Kokorozashi and Extra-ordinary Talents)」をご存知でしょうか?
これは、東京大学先端科学技術研究センターと日本財団との共同主催で実現した、新たな「学びの場」です。

指導方針に従ってはっきりとした「基準」を設けて教育を行う「学校」。
その決められた枠から、はみ出してしまう子どもたちがいます。学校では「変わった子」「空気の読めない子」「言った通りにできない子」「馴染めない子」などと呼ばれています。

そんな子どもたちの中には、特化した才能を持つ子もたくさんいます。
このプロジェクトは、その「才能」を潰すことなく、どんどん引き伸ばしていこうという取り組みです。
決して、社会に適応させよう、不登校の子どもを学校に戻そうというものではありません。

本書は、筆者がこの取り組みを長期取材しまとめたものです。
学んでいく子どもたちのようす、主催者が目指すものや熱意を伝えながら、「教育」について新しい問いをくれます。

子どもたちは強烈な個性を持っていて、集団を気にせず好き勝手に動き回ります。それを注意する大人はここにはいません。自分のやりたいことを自分のペースでとことんやらせます。
印象的だったのは、好きなことだけを思い切りやらせるのと同時に、自分の力で考えること、自分のすることに責任が伴うということをしっかりと教える大人の姿です。
子ども扱いせず、厳しく教える分、その土台にはスタッフと子どもの絶対的な信頼関係があります。

前半では、「周りと違う子」を育てる筆者の実経験も綴られていて、「親」の心理的な部分が隠さず語られます。
あとがきで、「生きているだけでいいと心から思ってくれる人がいることが、子どもの生きる力の源です」という一文が胸に刺さります。

「才能」というとなんだかすごいもののように聞こえますが、子どものどんなに小さな力も信じてあげられることが大切だと感じました。
簡単なことではありませんが、学校、家庭、社会が少しずつ変わっていけたらと思います。

イオ9月号の書評欄でも紹介されます。
興味がある方はぜひ読んでください。


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さて、イオ編集部は明日から1週間、夏休みに入ります。
実は昨日の朝、転んで足の甲を捻挫してしまいました。痛いです。
病院で全治2週間と言われましたが、いやいや、5日で治します(治したいです)。
でないと連休の計画を遂行できません…!!


休みの期間は、日刊イオもお休みします。次回更新は18日です。(S)

補助金再開を求め、神奈川朝高生徒が県職員と面談

2017-08-01 10:00:00 | (S)のブログ


7月28日、神奈川朝鮮中高級学校の高級部3年生26人が、神奈川県庁を訪れた。
県が同校の教科書内容を理由に支給を打ち切った保護者への補助金の再開を求め、生徒ら自らが思いを県知事に伝えるためだ。

神奈川県の黒岩祐治知事が神奈川朝鮮学園の保護者へ支払われてきた補助金の2016年度支給を保留とし、17年度予算案の計上を見送ったのは今年2月。
保護者や生徒たちが行政への要請や街頭宣伝などを行い抗議してきた。

集まった生徒のうち7人と引率した教員1人が私学振興課職員2人と面談。生徒たちは1人ずつ思いを語った。
「県はいつも、県民の理解が得られないからと説明しますが、私たちも県民の1人だということを知ってほしいです」
「先日、横浜駅前で補助金再開を訴える街宣活動をし、初めてマイクを持って話しました。通行人の多くは『朝鮮』という言葉一つで私たちを避けて通りましたが、少なくても協力者がいるということに気付きました。私は、朝鮮学校を応援してくれる人たちをもっと増やしていきたいです。行政が責任を持ってその先頭に立ってほしいです」



しかし全員の言葉を聞き終えた担当職員は、開口一番、こう話した。「これまでも繰り返し説明をし、なかなかご理解をいただけていないのですが、県がしていることは朝鮮学校差別を意図したものではありません」。
そして、補助金停止までの学校と行政のやりとりなどを具体的に話し、生徒らに向け、「ですので、あなたたちには何の責任もありません。早く教科書内容を正していただき、県としても支給を再開したい」と言った。

朝鮮学校だけ教育内容にまで介入し、それを子どもの学習権より優先させて補助金をカットしたことに対し「差別」だと訴えている当事者を前に、全くかみ合わない発言だ。
県庁を後にした生徒たちは、県職員と直接話すのは初めてで少し緊張したと話しながらも、責任をすりかえたような職員の言葉に対する違和感を次々に口にしていた。
「知事に僕たちの言葉が届いたとしても、気持ちには届いていないはず」
「同じことを繰り返していても本質的には何も変わらないと感じた。もっといろんなアイディアを出して補助金を再開させたい」

県庁前では他の生徒たちが、各々の思いを書き出したプラカードを手に抗議行動をしていた。
夏休みの部活や勉強に励む中、時間を作って集まった生徒たち。中には「僕にもっとサッカーする時間をください」と書いたプラカードもあった。

一方、この日の要請活動の直前に大阪無償化裁判勝訴のニュースが飛び込んできた。
「私たちの主張が司法で認められた―」
教員と生徒たちの表情には希望も見えた。(S)


広島無償化裁判不当判決、司法が差別を容認

2017-07-20 12:07:23 | (S)のブログ

 広島朝鮮初中高級学校の生徒、卒業生110人と広島朝鮮学園が原告となり、朝鮮学校のみ高校無償化制度から除外する文部科学大臣の処分の違法性を訴えてきた広島無償化裁判の判決が7月19日、広島地裁で言い渡された。



 裁判所には傍聴券を求め234人が列をなし、60の傍聴席が報道陣、原告、支援者らで埋まった。広島だけでなく東京、愛知、大阪、山口、福岡、徳島など各地から朝鮮学校関係者や日本市民が駆けつけた。

 広島地裁の小池洋裁判長は法廷で判決要旨を読み上げ、就学支援金の支給(高校無償化の適用)を求める原告の訴えを却下し、その他の原告らの請求を棄却する不当判決を下した。
 判決文は被告である国の主張の丸写しだった上、同校と朝鮮総連との関係などをあげながら、「就学支援金を支給したとしても、授業料に係る債権に充当されないことが懸念され、本件規定13条が定める『債権の弁財への確実な充当』が適正に行われると認めるに至らないとの文部科学大臣の判断に、裁量の範囲の逸脱、濫用が認められるとはいえない」とした。
 一方、これまでの原告の主張はすべて無視。民族教育権はおろか、原告である生徒・卒業生110人や現在学校で学ぶ生徒たちの学習権については一言も触れられなかった。
 閉廷した途端、傍聴席からは「これは子どもに対する権利だ。学校に払うお金じゃない。高校無償化制度が誰のためにあるのか、しっかり勉強しろ!」と裁判長に対する怒りの声が上がった。
 あまりにもひどい判決内容に涙が止まらず、席から立ち上がれない保護者もいた。

 今回の不当判決を受け、弁護団、広島朝鮮学園、広島朝鮮初中高級学校オモニ会から声明が出された。
 弁護団は声明で、「恣意的な行政判決を正すべき司法が、無批判に行政の主張に追随したことは、民族差別を助長するものである。当弁護団は、このような不当な裁判所の判断を到底受け入れることはできない」と強く批判した。
 また、高校無償化法が全ての子どもたちに教育の機会均等を保障し、教育を受ける権利を真の意味で実現するために作られた法律だ。声明では「本来であれば、子どもたちに手を差し伸べるための法律が、かえって、罪なき子どもたちの心に傷を与えてしまうという逆転した事態を招いてしまった」「教育行政とは、全ての者にその能力に応じた教育を等しく行うことによって、全ての者が、明るく輝ける将来を作り出すための基礎力を養い、平和、かつ自由・平等で文化的な社会を作り出すための人材を育成することにある。多文化共生に逆行し、弱者を締め出す教育行政を行うことは、日本国憲法に反し、許されない」とし、朝鮮学園の子どもたちが笑顔を取り戻せるよう最後まで闘い抜くと決意をのべた。
 

 多くの報道陣が集まる中、弁護士会館で判決報告会、記者会見には学校関係者や支援者約300人が参加した。


 原告である朝鮮学園と卒業生らが、判決言い渡しを受けての思いなどを率直に語った。
 原告の一人である黄希奈さんは、「判決を言い渡されるまで、とても緊張していました。ですが、今日集まってくださった多く人たちの姿を見て、ひとりじゃないという思いになりました。また、法廷に入る前、同じ原告として闘っている110人の卒業生たち、全国の仲間たちの顔が浮かびました」と、涙を浮かべた。
 
 記者の質問に対し、弁護団からは控訴する意思が伝えられた。
 足立修一弁護団長は、高校無償化制度からの朝鮮学校除外は、地方自治体が補助金をカットする口実となっており、またヘイトスピーチを容認しないが朝鮮学校差別は堂々とやっていいんだと国が言っているのと同じだと指摘し、「これは差別の扇動。この判決はどこかの段階で是正されるべきだ」と述べた。




 同日に朝鮮学園で行われた報告集会には約360人が集まり、一橋大学の田中宏名誉教授や、各地の高校無償化裁判弁護団、韓国からの支援者などから連帯のあいさつが行われた。
 オモニ会、原告卒業生らもアピールをし、勝利するまで絶対に諦めないと決意を新たにした。(S)



アイヌ女性の話を聞いて

2017-07-12 10:00:00 | (S)のブログ
 現在、在日本朝鮮人人権協会 性差別撤廃部会が連続講座「だれいき!マイノリティ女性からみる日本社会~アイヌ、琉球・沖縄、、在日朝鮮人~」を開いています。
 6月29日に第2回講座があり、そこでアイヌ女性である宇梶静江さんのお話を聞くことができました。

 当日のようすが「だれいき」のウェブサイトで紹介されています。
 http://dareiki.org/2017/07/04/wkdareiki2017-2/

 また、この日参考資料として配られた宇梶さんのインタビューがネットで見られるので、これも是非読んでください。
 壮絶な差別と、これまで宇梶さんがどのように生きて闘ってこられたかが伝わってきます。
 http://www.jinken.ne.jp/flat_now/kyousei/2005/03/18/1429.html


 宇梶静江さんは1933年生まれで、現在84歳です。これまで生きてこられた中でたくさんの経験があるだけに、一つひとつ言葉の重みを感じました。
 宇梶さんが冒頭の言葉も印象的です。「私はこれまで、差別というのをたっぷりと、足の先から頭の先まで受けて感じてきました」。
 
 ひとつは、女性差別をいやというほど受けてきたということ。「気が付いてみれば『女なんか』『女のくせに』『女だから』と言われ、それに対する反感を持ってきました」。
 そして、日本でのアイヌ民族に対する強烈な差別。
 「アイヌは難民とさせられました。耕していた土地も和人にすべて奪われ、あっち行け、こっち行けと、その時代の政府の事情によって移動させられました。そうすると生活も成り立たない。貧しさを強いられました。そして明治32年の北海道旧土人保護法によって、北海道という大地は全部日本政府のものになりました」
 「和人は勉強する機会も与えられ、文字を持って社会生活をしていました。一方私たちの親たちは文字を持たない。何千年、何万年と言葉の伝承をもって生きてきた民族です。礼儀作法や生きる中でのマナー、哲学も全部、言葉を用いて子どもたちに教え、生活の中で正し合って生きてきました。文字を持った人たちに一方的に社会的困窮を強いられました」
 両親たちは、和人に従わないと子どもたちがいじめられると恐れ、子どもにアイヌのルーツや文化、アイヌ語を教えることはなかったそうです。

 宇梶さんが講演で繰り返されていたのは、「知らない」ということは「弱い」ということ。
 「自分たちはなぜアイヌであって、差別されなきゃいけないのか、何も分からなかった。幼い頃からどうしていじめられるのか、なぜ貧しいのかも分からなかった。それを知りたいと思っても、知るすべがなかった。見えない社会を、差別の中で生きてきた」。
 
 「差別の実態を知るまで、84年かかりました。長い間、自分を証明することの出来ない人生でしたが、今それをみなさんにこうして話せることを嬉しく思います」。

 この言葉を聞きながら、自分の存在が何なのか、自分が社会のどのような差別構造の中に組み込まれているかを「知らない」ということの恐ろしさを感じずにはいられませんでした。
 同時に、在日同胞社会というコミュニティがあるということ、自分を知る場所があるということの大切さを改めて実感させられました。

 また、在日以外のマイノリティについて、自分が全然知ることができていなかったということを反省しました。当事者の話を直接聞くことで感じること、知ることがあまりにも多かったからです。
 さまざまなマイノリティ同士がどのようにつながっていけるのか、まず自分が相手を知ることから始めなければと思いました。(S)

出張先、沖縄での出会い

2017-07-04 10:00:00 | (S)のブログ


先月中旬、1週間ほど出張で沖縄に行った。
これを言うとみんなに羨ましがられるのだが、本当に自慢したくなるくらい貴重な時間を過ごしたような気がする。

本土には無い沖縄独特の景色や雰囲気もすてきだが、一番心に残るのは、やはりそこで出会った「人」たちだ。
まず、予想以上に多くの在沖コリアンと知り合えた。同じ同胞として心安らぐというのはもちろん、何より一人ひとりから聞いた話が全部印象的で、学ぶことが多かった。

そして、日本の方との出会いも。
他の地域と同じように、沖縄でもコリアンと日本の方の絆がひしひしと伝わった。
あたりまえのようにそこら中に米軍基地がある沖縄だからだろうか、「反戦」や「自主権」といった共通の方向を向く中で、その絆はより強いものに見えた。


タクシーの中で沖縄戦の記憶を聞かせてくれた運転手さん。

中級部の時に一度修学旅行で来たことを伝えると、「朝鮮学校の生徒もよく案内するからもしかしたら…!」と、再会“かも”しれない出会いに喜んでくれたアブチラガマの専属ガイドさん。

タクシーがつかまらずもたもたしていると、「平和祈念公園でしょ? 一緒だから乗って! 早く早く!」と相乗りさせてくれたタクシーの運転手さんとお客さん。

平和の礎の前で沖縄戦について話を聞いたおばあちゃんとは、他にもいろいろと長話して2人で盛り上がってしまった。

1つひとつ、結構面白かったり印象深い。



平和の礎の「朝鮮民主主義人民共和国」「大韓民国」に分けられた“朝鮮人”エリアには、沖縄戦で亡くなった朝鮮人の名前の一部が刻まれている。

6月23日の慰霊の日、その前へ行くと、琉球新報で記者をする本土出身の在日コリアンと会った。
同日に魂魄の塔の隣で開かれた「国際反戦沖縄集会」では、韓国から移住してきた若者と出会い、もう一度2人で平和の礎に行った。
3人で、刻まれた朝鮮人の名前を見ながら話した。
そんな、偶然のようでそうでないような出会いもあった。

「カンカン照り」のことを沖縄の方言で、「てぃだかんかん」と言うそうだ。
その間とてもお世話になった、在沖コリアンの夫婦が教えてくれた。
明日も日差しが強いからこれを持って行きなさいと、使っていた帽子を貸してくれた。
案の定、翌日はひどく晴れて、半袖だったため両腕に湿疹のようなものができてしまった(笑)。

機会があったら・・・
いや、機会を作って、また会いに行きたい。
その前に、現地で写した2人の写真を現像して、借りたままの帽子と一緒に郵送しなくては。(S)

辺野古ゲート前で毎日繰り返されていること

2017-06-26 10:00:00 | (S)のブログ


6月19日、沖縄では梅雨が続いていたが、この日は特に激しい雨が降った。
名護市の辺野古新基地建設に反対するゲート前座り込み活動の場を初めて訪ねた。

那覇市の県庁前から辺野古間を日曜日を除いて毎日往復している「辺野古バス」を利用した。自分を入れて、バスに乗っていたのは21人。到着するとすでに各地からも人が集まり工事用ゲートの前で座り込みをしていた。





ニュースではほんの一部しか報道されない。ドキュメンタリー映画やフェイスブックの個人投稿などでそのようすがリアルに伝えられるが、それでも、現地の空気は現地でしか感じられない。この日辺野古に来てみて感じたことだ。




早朝から午後にかけて1日3回、埋め立てに使われる土砂や砂利を積んだトラック数十台が米軍基地内に入っていく。その度に、沖縄県警の機動隊が出動し、座り込む人たちを「道路交通法違反」と言って強制排除し、ゲートを開ける。連れて行かれた人たちは、すぐ隣の警察車両で囲ったスペースに拘束されて、トラックが基地内に入っていくのを見ていることしかできない。これが1日3回、毎日繰り返される…。
この日はすべての工事車両がゲート内に入っていったが、水、木、土曜日は集中行動日でさらに多くの参加者でゲート前が埋まり、機動隊が座り込み参加者を排除しきれないこともある。そうして工事車両が入るのを阻止できる日もあるそうだ。







参加者の1人が若い機動隊員たちに、「君たちは沖縄戦の生き残りの子孫なんだぞ。分かってるだろ?」と繰り返している。機動隊員は答えないが、その表情をどう理解したらいいのか分からなかった。冷酷な表情にも見えるし、悲しい表情にも見える。
そんな沖縄の人同士の衝突が毎日のように繰り返されているのだが、ふと目線をそらすと、道路のど真ん中を米軍たちがジョギングしながら通り過ぎて行く。この変な構図を一体誰が作り出しているのだろう。ただただ、悲しいだけだった。

選挙で基地反対の民意が示されても、現実はこの状態。それでも参加者たちの心が折れる気配はない。口をそろえるのは、座り込みをする背景に、沖縄戦の経験、その後72年間絶えることのない基地との闘いの経験があるということだ。
一緒にバスに乗っていた76歳の女性は沖縄戦で両親を失った。長い間そのことを周囲に言うことなく過ごしてきたが、辺野古に通うようになって自ら話すようになったという。

沖縄の基地問題に関しては、ネット上でも心無い言葉が飛び交い、嘘が本当のように出回っている。色々なカラクリで、まるで「沖縄の話」になっている。
この日、現地の本当のようすを日本全国に発信しようとやってきた人もいた。「誰も伝えないから、自分が伝えるしかない」。

アメリカと日本政府が推し進める日米安保強化の末端で、毎日繰り広げられている光景、基地問題の本質が掻き消される現実に恐怖を感じる。同時に、そこに座り込む人たちの揺るがない根拠に心を打たれた。(S)


















久々に、ウリハッキョ運動会へ

2017-06-16 10:00:00 | (S)のブログ
 6月4日、母校の運動会に行った。
 大学を卒業してからは特に、母校に足を運ぶ機会が増えたような気がするが、そういえば運動会には行けていなかった。10年ぶりくらいだと思う。

 子どもたちが走る姿は、なぜか涙が出そうになる。
 去年の学芸会のブログでも書いたが、児童数は少なくても、一人ひとりは相変わらず全力投球で、時には1人で何人分も動く。
 その分、多くの経験をしているのだと思う。

 夜会などの恒例行事とは違って、運動会は家族や親戚が在学していなければなかなか行きにくいという人も多い。
 私もなんとなくそんな雰囲気を感じていたが、最近では各地の学校で「同胞大運動会」という形式で運動会を開催することが多くなった。私の母校では午前中で競技を終えて、お昼はみんなで焼肉パーティーをする。
 児童数の減少によって従来の形での開催が難しくなったということもあるが、保護者以外の地域の大人たちも参加しやすくなるというメリットもある。
 中にはもちろん焼肉目当ての方も。知っている日本の方を呼んだりして、朝日交流も深まる。

 運動会といえば、昼食の時間に人ごみの中からアボジ・オモニを探し当てて、みんなでお弁当を囲むことが一番楽しい時間だった。それを考えると、お弁当がないのは少し寂しいような気もするが、家族ごとに七輪を囲って盛り上がるようすもなかなかいい。
 今の在学生たちの記憶にはどんな運動会の思い出が残るのだろう、そんなことも考えてみる。
 また、いつもより多いお弁当作りで運動会前から疲れていたオモニを思い出すと、保護者の負担が減ることが何よりいいことだと思う。

 イオ編集部で記者をするようになってからは、取材でお世話になった方との再会や新しい出会いなど、母校でも楽しみが増えた。
 ウリハッキョはいつでも懐かしい場所だが、そんな新しいことにも遭遇する。(S)

下関・大坪トンネを歩く

2017-06-08 10:00:00 | (S)のブログ
 イオ7月号では、朝鮮の歴史を感じられるスポットや同胞が多く住む地域を編集部記者が散策する、「さんぽ」企画が掲載される。
 私が担当したのは山口県下関市。JR下関駅から徒歩圏内にあるいくつかのエリアを回った。


 下関は韓国の釜山広域市と1976年に姉妹都市の提携を結んでいて、駅からすぐの下関港国際ターミナルからは両都市間の夜行便が毎日運航している。

 釜山との直線距離で220kmほどと近く、戦前は関釜連絡船が運航していたことで有名だ。当時、日本と大陸をつなぐ大動脈の役割を担った連絡船が発着した下関は、国を奪われ、また強制連行されて日本へやってきた多くの朝鮮人が降り立った場所でもある。
 
 さらに解放後は帰国を急ぐ朝鮮人が下関に殺到。帰国の順番を待つ人々が一時的にこの地域に留まった。いつしか駅前には「朝鮮市場」と呼ばれる闇市が必然的に出現し、警察によって繰り返し撤去されるも、なくなることはなかった。グリーンモールと呼ばれる駅前の通りを歩くと、今も在日同胞のお店が集中していることが分かる。



 「さんぽ」の取材ではそれらと関連した場所を訪ねたが、今日のブログではその中のひとつ、旧東大坪町のトンポトンネを紹介しようと思う。
 ここは解放前から多くの同胞が住んでいた同胞集住地域。かつては市営の火葬場や刑務所もあり、人が住むような場所ではなかったそうだ。各家庭にちゃんとしたトイレもなく脇道などで用をたしたため、「トンクル(糞窟)トンネ」と呼ばれていた。
 
 場所は、駅前のグリーンモールをさらに北に向かった、現在の東神田町あたり。山口朝鮮初中級学校もこの中にある。
 全体が小高い丘となっているのだが、この日は学校を訪ねた後に裏門からトンネへ入り、小道を通りながらゆっくり下って行くことにした。





 古い家々が密集して立ち並び、細い道が続く。途中に見える光明寺の横の階段を上ると朝鮮式の梵鐘があり、そこからは地域一帯が見下ろせる。左下には山口初中が、右の奥には海峡ゆめタワーや、海を隔てた九州の山が見える。





 道なりに進み階段を下ると、右手に「神田公園」がある。昔、火葬場だった場所だ。
 


 神田公園入り口から真っ直ぐ伸びる、ゆるい坂道を行く。車1台が通れるくらいの幅で、この地域の中心となる通りだ。右手の奥には、戦前、朝鮮人の飯場だったとされる建物も見える。




 今も残る乾物屋の近くでは、小さな畑でケンニプ(エゴマの葉)やニンニクを育てる1世ハルモニと出会った。私を案内してくれた同胞が200円分のケンニプを購入しようとすると、良く育ったものを手際よく見分けて一束どっさり手渡してくれた。



 最終地点には、かつて刑務所だった場所に下関市民センターが建っている。石垣で出来た敷地の壁は昔と変わらないそうだ。




 市民センター入り口を背に真っ直ぐ進み、突き当たり右へ。数分歩いて、緑のアーケードが目印のグリーンモールを再び通り、駅へ向かう。

 

 今回、大坪トンネを散策するのに役立ったのが、この地図。
 一昨年、イオの連載「朝鮮学校百物語」で山口初中の草創期について掲載したが、その取材で下関を訪れた際にある同胞が描いてくれた。学校が出来た当時の周辺の地図を、記憶している限り書き起こしたものだ。
 昔はトンネも人が多かったそうだが、1世同胞のほとんどが亡くなり、活気は大分薄れた。しかし、トンネの面影は今も残っている。
 この地図を片手に歩くと、在日1世、2世がこの地に築いてきた生活のようすが浮かび上がってくるようだった。(S)

次回9月、証人尋問予定/九州無償化裁判第13回口頭弁論

2017-05-29 10:00:00 | (S)のブログ
 九州無償化裁判第13回口頭弁論が5月25日、福岡地裁小倉支部で開かれた。
 42の傍聴券を求め、裁判所には126人が集まった。




 
 前回の裁判から右陪席(傍聴席から向かって左側)の裁判官が交代したことに伴い、今回の法廷では改めて原告本人の意見陳述が行われた。
 提訴時は九州朝鮮高校の生徒であり現在は県内の朝鮮学校で教員をしている原告の1人が、在学当時の経験や朝鮮学校への思いなどをのべた。

 今回、原告(朝鮮学園)は被告(国)の第8準備書面に反論する第21準備書面を提出し、弁護団を代表して清田美喜弁護士が書面の要旨を法廷で陳述した。
 清田弁護士は、九州朝鮮高校の不指定処分や規則ハ号の削除は、就学支援金を申請したのが朝鮮学校であるがゆえの結論ありきの処分であり、いずれも後付けにすぎないとし、被告が繰り返す主張に再度反論した。
 さらに、朝鮮高校生徒たちにとって高校無償化が適用されることは、日本の学生と同じように自分たちの学ぶ意欲も日本国がサポートしてくれるという自信と励ましになるが、逆にそれが自分たちだけに支払われないということは、生徒たちに「あなたたちは朝鮮学校に通っているから、在日朝鮮人だから、他の日本の学生と同じように就学支援金を受け取ることはできない」といったメッセージを発するものとなると強調した。
 「アイデンティティとは、人が何ゆえに自分を自分であると思うかということであり、原告らにとってはその答えの一つが、自分は在日朝鮮人であるということです。 … その原告たちを在日朝鮮人であるがゆえに差別すること、朝鮮学校を差別することは、原告たちが『これが自分だ』と思っているまさにその部分を否定し、傷付けるものです」

 また、文部科学省の「初等中等教育局財務課高校修学支援室」が高校無償化法に関連し各朝鮮高校への調査を行っていることから、原告は無償化法制定から朝鮮高校除外に至るまでの事情について同支援室室長への尋問実施を求める求釈明申立書を提出した。
 申立書では、▼2009年8月30日の衆議院総選挙以降から朝鮮高校が不指定処分となった2013年2月20日までの同室長名と在任期間、▼2012年12月26日の自民党政権発足直後に文科省の担当者が、朝鮮高校の指定・不指定に関して下村文部科学大臣に説明した際に用いた資料の開示、▼修学支援室長が交代する際に作成されているはずの引継ぎ文書の開示などを要求した。
 
 これに対し被告は、回答書3を通して修学支援室長の名簿と在任期間については答えたが、下村文科大臣への説明で使われた資料に関してはうやむやな回答に留まった。また室長交代時の引継ぎ文書については回答がなかった。
 これらの資料の開示については、原告弁護団が改めて必要性などを文書で提出し、国が回答することとなった。







 法廷終了後、裁判所の別室で原告・被告の代理人と裁判所による進行協議が行われ、今後の裁判の進行について話し合われた。
 この裁判を主な担当が、左陪席から右陪席の裁判官(今回新たに加わった裁判官)に代わったことなどもここで報告された。原告側は、裁判官に何度も要求している朝鮮高校への訪問についても、もう一度アピールした。

 その後の裁判報告会では、弁護団事務局長の金敏寛弁護士がこの日の裁判手続きや各地裁判の状況、今後の流れについて説明した。
 安元隆治弁護士は、修学支援室に関する求釈明申立書について補足し、「他地域に比べて裁判の進行が遅いが、民事訴訟では控訴審になると新たな事実の主張や証拠の提出が難しくなるため、今の段階でできる限りのことをやっておくことが後の真相解明においても非常に重要だ」と話した。

 次回の第14回口頭弁論は、9月14日(木)14時から行われる。
 その間、双方の代理人と裁判所で進行協議を行い、最終段階となる証人尋問をどのように行うか、具体的に検討される予定だ。(S)



日本軍性奴隷被害者の李容洙ハルモニが広島初中高を訪問

2017-05-19 11:25:12 | (S)のブログ


 日本軍性暴力被害者である李容洙さんが昨日、広島朝鮮初中高級学校を訪問した。
 この間、結成から5年を迎えた「日本軍『慰安婦』問題解決ひろしまネットワーク」が韓国から李さんを招き、広島の数ヵ所で証言集会を開いている。李さんは過去にも数回広島に訪れたが、同校に足を運んだのは今回が初めてだ。

 学生用のチョゴリを着て過ごす女子生徒たちを見ながら、「かわいい。昔着ていた頃を思い出す」と懐かしむ李さん。女子生徒たちが寄って来ると、チョゴリのコルムを整えてあげ、手をさすりながらやさしく話をかけた。



 体育館には中級部、高級部生徒たち、教員、保護者、地域の同胞や日本の方が集まり、李さんを歓迎。生徒の1人から李さんに花束が送られた。
 同校の声楽部と舞踊部が舞台で公演も披露した。

 李さんは生徒たちとの出会いを喜び笑顔を見せながらも、一息つき、従軍「慰安婦」とさせられた自身のつらい過去を話した。
 李さんは1928年に大邱で生まれ、15歳の時に日本軍に連行され大連や台湾で性暴力を受ける。大連で500人の兵士と自分を含めた5人の少女で船に乗せられた時のこと、台湾の慰安所で抵抗し電気拷問を受けた時のこと、また、生き延びて家へ帰った後の辛い経験などを話した。
 「あまりにも哀しくて悔しくて、言えないこともある」。
 それでも「正直でいたい」と、これまで語ったことのなかった話も生徒たちに伝えた。



 「私は『従軍慰安婦』ではありません。『李容洙』です。アボジ、オモニが付けてくれた名前があります。『慰安婦』にさせたことを日本政府に謝ってほしい。公的謝罪と国家賠償を求めています。当然のことです」
 2015年12月の韓日両政府による「合意」に対しても怒りを見せた。「『合意』を新聞で知った。私は協議したことはない。あんな嘘の『合意』をして、日本には法がないのか」。

 「若者たちが主役だ。あなたたちがしっかりしないといけない」。生徒たちにはこう繰り返した。
 生徒たちは、従軍「慰安婦」の被害者から直接話を聞くのははじめてだったという。中級部生の1人は、「想像するととても恐かったけど、あった事実をもっと知りたいと思った」と感想を話した。(S)
















漫画「わが指のオーケストラ」、 是非読んでください

2017-05-08 10:00:00 | (S)のブログ
以前、広島で手話通訳問題の研究や手話サークルなど、聴覚障がい者問題に取り組まれている特別支援学級の先生を取材したことがあります。
そこでお聞きした話には驚かされることが多かったのですが、その時に勧められたある漫画を後に読み、さらに衝撃を受けました。

タイトルは「わが指のオーケストラ」全4巻(山本おさむ、秋田書店)。
1991年から93年にかけて出版された、日本のろう教育の歴史を描いた漫画です。

大正から昭和初期、社会に根強く残るろうあ者に対する差別と偏見に立ち向かい、ろう教育に生涯を捧げた高橋潔さんの人生が描かれています。
高橋さんの養子である川淵依子さんの「指骨」(1967年)、「手話は心」(1983年)という著書を元に、聴覚障がい者の教育における歴史的事実に沿って物語が展開します。

第1巻で、大阪市立盲啞学校に教員としてやってきた高橋さんが、「言葉」というものの存在すら知らず苦しむ少年・戸田一作と出会い、共に手話を習得していくようすは衝撃的でした。また、言葉を知ることで世界が広がり、心が解放され、豊かな感情を養っていく姿に感動を受けます。
社会からの無理解、軽蔑、差別が、ろう者個人や家族の視点から具体的に描かれ、聴覚障がい者の置かれてきた現実の厳しさが伝わってきます。

私がこの漫画を読んで初めて知り驚いたのが、ろう教育で「手話」が否定された歴史があるということ。
昭和初期から、米国で主流となっていた「口話法」(発語・読話)を日本で普及する動きが強まり、ろう者の子を持つ親の中にも「せめて見た目だけでも普通の子に…」などの理由で子どもに口話法を覚えさせようとする傾向が生まれます。問題は、この「口話法」の推進が、「手話」の徹底的排除を前提としていたことです。

実際に口話法を習得できるろう者は全体の2〜3割とされているにも関わらず、ほとんどの聾学校はこの教育方法を取り入れ、その妨げとなるとして手話を禁止。口話法を身に付けられない多くのろう児童たちが意思疎通をの手段を失いました。
そんな中、主人公の高橋さんは手話の必要性を訴え続けました。

1933年の全国聾唖学校校長会総会で高橋さんが行った演説では、重要な言葉が繰り返されます。

「聾啞者は少数者であり手話は少数者の言語です/正常者は多数者であり音声言語は多数者の言語であります/故に少数者は多数者の犠牲になれと申されるのでしょうか/正常者の立場に立ち彼等に正常者の言語を強要し正常者と同様になれと申されるのでありましょうか/聾啞者が聾啞者である事をなぜ恥じねばならないのでありましょう/何ら恥じる事はない/卑屈にならず堂々と人生を歩むよう説き聞かせる事/そのような心を育てる事こそ我々聾教育者の誠の仕事ではないでしょうか」
「口話に適する者には口話法にて適しない者には手話法にて/ひとりの落ちこぼれもない教育…いわゆる適性教育を最もよしと信じるのであります」

漫画の中では、学校で手話を使っているのが見つかると教師に殴られ、「私は手まねをしました」と看板を首にかけられているシーンがあります。
取材の時に先生が話されていた、「手話も朝鮮語も、一度奪われ、取り戻してきた歴史がある。これらは単なるコミュニケーションではなく、人間が人間らしく生きるためのアイデンティティ言語」という言葉が思い出されます。

これまで、「手話」と聞くと聴覚障がい者の方が使う言葉という認識しかありませんでしたが、それがとても薄っぺらいものだったことを知りました。
この漫画が、人間らしく生きるとは何か、またそこで、それぞれの「言語」がどのような意味をなしているのか、改めて考えるきっかけをくれました。
是非、みなさんにも読んでもらいたいです。(S)