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日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

ヨガを体験しました。

2011-07-19 09:14:47 | (里)のブログ
みなさん、連休はどう過ごされましたか?
サッカー日本女子チームの活躍は、本当にすごかったですね。
私はとくに遠出することはなかったですが、実は、前々からひそかにトライしてみたいと思っていたことにチャレンジしました。
それは、、、


なんと、ヨガです。

1回限りの70分体験レッスンで、1000円でした。
今回ヨガをやりたいと思った理由は、ずばり「体を柔らかくしたかった」からです。
日ごろ運動不足なせいか、体が凝ったり、つったりすることがあって、
体を思いっきりのばしたい、と考えていたんです。
本格的な運動、よりは、初心者でも入りやすいといわれているヨガを選びました。
流行っているから、一度はやってみたかったんです。笑


ヨガはヨガでも、「ホッとヨガ」といって温度の高い部屋でそれこそ汗だくになりながら行なうヨガを体験しました。
まずはこの基本ポーズをしながら、呼吸の練習をしました。


それから、徐々にいろんなポーズをとりながら呼吸をしていくのですが、
これが結構難しかったです。
「呼吸を肩に送ってくださーい」など、
インストラクターのお姉さんがアドバイスをしてくれるんですが、
まず「呼吸を肩に送る」という言葉にまったくピンと来ず、
正直初めての私にはよくわかりませんでして…(^^;)
あと、ポーズそのものが難易度高すぎるものもあったりで。
こんなポーズもあって、いつのまにかヨガというより苦行のようになってました。

(腕がプルプルと震えていました。恥ずかしながら)

でも、70分は結構あっという間で、体をたくさん動かすことができました。
先程の山のようなポーズは私にはまだハードすぎますが、
自分に合うポーズ、やりやすいポーズもあり、やっぱり体験してみて良かったです。
私は体全体が伸びる感じがする、このポーズが好きでした。

片足で立つのはかなりのバランスを要しますが、いかにもヨガっぽくないですか??


でもここ2日間、ヨガによる筋肉痛に襲われています。
これからもマイペースに、体のストレッチをこつこつ続けたいと思います。
そうして、運動不足の埋め合わせをしていきます!
※画像はフリー素材画像をダウンロードして使用させていただきました(里)


じつは危ない○○

2011-07-11 09:21:40 | (里)のブログ
興味深い本を見つけました。
「じつは危ない食べもの~健康志向・安全志向の落とし穴~」という1冊です。
著者は長年食関連業界に携わってきて、日本の食事情がそうとう危機的な状況にあることを知ってしまったそうです。
しかし今までは、関係者に迷惑がかからないように、そして自分の仕事にも差し支えがないように、
それらの事実を真正面から語ることができなかったといいます。
しかし、東日本大震災で起こった福島第一原発事故により、放射性物質による汚染という危機が突如現実のものとなり、
このように危険をはらんだものがこれまで「安全」と言いくるめられてきたことに対する不信感が募っていき、
その不信感は自分に対する問いかけとなって返ってきたそうです。
「自分の知っている食の危機的な状況を、ありのままに伝えよう。そうすることが、
多くの人の心の中にある食や健康への不安に応える最善の道に違いない」
そう考えて、本書を執筆したといいます。
著者はこの本を出すことで、これまで携わってきた食関連の仕事をもう続けられなくなるかもしれないというリスクを背負いながら、それでも構わないと決心したそうです。


実は…、まだこの本をすべて読んではいません。
本の前書きだけ読んで、「!!!」と思い、目次を読んでから「面白そうだな」と思い、買ったのです。
大学時代の先生風に言えば、本を買って積んでおくだけにとどまる、「積ん読(つんどく)」です。


本には
・「減塩食品」は本当に体にいい?
・「無添加」食品に加えられている恐ろしい産物
・国産牛、ブランド牛はまやかしだらけ
・安物には、安い理由がある
・鍋に入れるコラーゲン玉の正体は?
・絶対避けるべき「植物油脂」と「乳化剤」
など、気になる目次がぞろぞろ。


日常的に現代人は、「シュガーレス」とか「無添加」とか、健康に良かれと思って食品を選ぶことが多いと思いますが、
それがすべて正しいわけではないみたいです。
じっくり読んで、自分の知識として身につけたいと思います。



今日で東日本大震災からちょうど4ヵ月が経ちましたが、
震災以降、世の中にはその業界のみが知りうる「本当のこと」が少なからず存在して、
それらはさまざまな利権と絡まって、一般的には見えてこない場所にあるんだということを、
嫌というほど感じさせられています。
この本が出版されたように、今後、もっといろいろな「本当のこと」たちが、私たちの前に立ち現れるのではないかと思うと、
少し怖いです。
「本当のこと」がすべてあらわになってしまったら、それこそ私たちは生きていけなくなるのかもしれません。
それぐらい、私たちの生活はさまざまな「嘘」で固められてしまっています。

…なんだか暗ーくなってしまいましたが、それらを真正面から受け止めて、少しでも改善につながる道を探したいですね!(里)








スマートフォンを使いこなしたい

2011-07-04 09:00:00 | (里)のブログ
スマートフォンを持つようになってから約3ヵ月が経ちます。
以前とは違って取材に行く時にわざわざ地図を印刷して持っていかなくてもよくなったし、
パソコンメールを同期できるので、パソコンがなくてもメールチェックができるようになりました。
しかし、まだまだ「スマートに」使いこなすには程遠いレベルです(^^;)
これではまるで、「宝の持ち腐れ」。


恥ずかしながらこの3ヵ月間、私がダウンロードしたアプリは5つほどしかありませんでした。
電車の乗り換え案内アプリとか、「to do」リストを書き込める付箋アプリ、
「evernote」…などです。
買った時から内臓アプリが結構あるんで、それだけで満足しちゃうんですよね(全然活用していないけど)。
でも、世の中には便利で楽しいアプリが満載。もう、ほーんとに多いみたいで。
「知らなきゃ損!」と、最近スマートフォンに関するアンテナを立てています。


そんな中、「camscanner」というアプリを知り、早速ダウンロード。
このアプリを使えば、いろんなものを「スキャン」できるんです。
ノート、新聞、名刺など、あらゆるものを撮影すると、
それらをpdfファイル化して見やすい状態で保存できます。
撮った後、自動で背景を切り取ってくれるし(いわゆるトリミング)、明るく画像補正までしてくれるのです!
これ、スマートフォンを駆使している方からしたら「何を今さら…」かもしれませんが、
私もようやくこの凄さを肌で実感しました。


このブログを書いている間に、すごく良い案が浮かびました。
毎月編集部全員が製作するイオの特集の企画書、
今まで何となくまとめて保管していましたが、後になって探すのが大変だし、何よりかさばる。
それを「camscanner」でpdf化して保存して、紙は再利用すれば、かなり「エコ」じゃないですか??
これから実践していこうと思います。


それより私は、早く自分のスマートフォン(ドコモのギャラクシーS)のOSをアップデートしなければ。
何はともあれ、スマートフォンを使ってやりたいことが、どんどん増えてきています。(里)






関西出張に行ってきました。

2011-06-27 09:08:35 | (里)のブログ
約1週間、関西に出張に行ってきました。
この間、取材以外にも、友だちや先輩、そしていつもブログにコメントをくださるオンニョ先生などにお会いでき、
楽しく有意義な時間をすごすことができました。



出張中、いくつか印象に残ったことがあります。

一つはかわいいウリハッキョの子供たちを見て思ったこと。
取材で東大阪朝鮮初級学校に行ったんですが、そこの幼稚園児たち(3歳くらい?)がスキップの練習をしていたんです。
一人ひとり、リズムに合わせてスキップをしていくんですが、驚くことにほとんどの子ができていない(笑)。
「幼い頃は、なんでも全部こうして教わったんだな~」と、一人で感慨深くなっていました。
それに加え、ウリ幼稚園では朝鮮語や朝鮮の歌も教えてくれるので、
子供たちが元気にウリマルを喋っていて、それが本当にかわいらしく、見ているこっちがずっと笑顔になってしまいました。

写真を撮っていて一番楽しいのは、子供を撮る時かな、なんて最近考えます。
何枚も何枚も写真を撮っている中、初級部生たちが私につけたあだ名は「戦場カメラマンの妹」でした。
「戦場カメラマンの妻」と呼んできた子も。
この前、編集長も言っていましたが、一眼レフを持っていれば何かと戦場カメラマンに関連づけられてしまうようです。



もう一つ印象に残ったのは、大阪には車が一方通行の大通りが結構あるということ。
5車線あって、それが全部一方通行なんです。
大阪の友人は、「御堂筋とか、~筋ってつく通りは一方通行やねん。タクシー拾うのにも、頭使うんやで」と語っていました。



あとは、東京とは違う「関西の文化」を感じました。
私は東京人ですが、関西にくるとなんだかいろいろと緊張がほぐれます。
関西の人がフレンドリー、というのもありますが、なんというか、いろんな意見を言うことが許容されている雰囲気があると思うんです。
受け入れる「キャパ」の広さというか・・・。
関西には「ちちんぷいぷい」というテレビ番組がありますが、そこで脳科学者の茂木健一郎さんが、
「東京の某社では常にカンペ通りの発言を求められるが、関西の番組では言いたいことを言わせてもらえる」と言っていたのが、今回印象深かったです。
東京から来て大阪に滞在していた私は、「わかるわかる!」と納得していました。
(彼はその番組で、東日本大震災前には外国人献金問題の報道がバンバンされていたのに、震災後一切なくなったことをあげ、
『日本はいざという時には、必要なものとそうでないものを区別できるということがわかった』などと話していました。外国人献金問題が大げさに取り沙汰されることに対し、彼は否定的な意見ものべていました。)
関西にくるとまず、「言葉(関西弁)のシャワー」を浴びせられると同時に、
東京にいる時は感じられない独特の世界観を感じられると思います。
「関西の文化」について、誰かと語り合ってみたいものです。(里)

祭祀・アンケート実施中

2011-06-20 09:20:09 | (里)のブログ
私(里)はいま、出張で大阪に来ています。
余談ですが、今回、大阪で初めてチャリ(自転車)を乗り回しました。
雨が降りしきる中、先輩の後を追いかけながら、今里あたりの商店街めがけ走りました。
傘をさしながらのいわゆる片手運転です。
貸してもらったチャリのブレーキが若干故障ぎみだったんですが、
大阪のコアな街中を走るのはすごく楽しかったです。
狭い商店街の中もおかまいなしにチャリ走行。
これは本来はいけないことなんですね。
こんなメッセージが、商店街の中にかかってました。




今日のブログの本題は、イオのアンケートに関するお知らせです。
今回は、在日同胞の祭祀(チェサ)についてアンケートを実施します!
こんにちのチェサのありよう、チェサのもつ意味、意見などをあれこれ募集しています。

個人的な意見をいうと、故人を偲ぶ意味合いを込めてする行事としてなら、
伝統的なチェサ、でなくとも、家族・親戚が集まって外食するなど、
そんな感じでもいいんじゃないかな、と思います。
自分の家のチェサで、大人たち(年輩の方たち)が
食べ物の並べ方やチョル(お辞儀)をする順番などでたまにモメているのを見ながら、
「誰が決めたルールにとらわれてるんだろう」と思ってしまうこともあります。
もちろん、これは1世、2世と私の差からくる意識のズレだとも思います。
故郷のやりかたにのっとったチェサという儀式が重んじられてきた背景をわからなければ、議論は噛み合わないでしょう。
若い者が生意気言ってしまってますけど、こういうことをふと考えるのです。

みなさんのいろんなご意見、お待ちしております。
★アンケートページへはこちらから→http://www.io-web.net/anq_iwasete/
(里)






災害流言

2011-06-15 10:33:15 | (里)のブログ
関西に出張に来ている(里)です。

今日は、ツイッターと災害時の流言・デマというテーマで書きたいと思います。
ちなみに「流言」とは、「根拠が不確かでありながらも広がってしまう情報」のことで、
「デマ」とは政治的な意図を持ち、相手を貶めるために流される情報」だとのこと。(※『検証 東日本大震災の流言・デマ』荻上チキ著、光文社新書より)

東日本大震災発生直後、電話やメールはなかなか繋がらない中、ツイッターにはアクセスすることができ、
多くの人たちの「つぶやき」を見ることができました。
「緊急時に使えるツール」だということが話題となり、
震災後にツイッターのアカウントを取得する人たちもたくさんいました。

私はその時にはすでにツイッターをしていましたが、実際、震災直後の数日間は「ツイッターの威力」を多分に感じていました。
被災地
ツイッターのタイムラインも非常に活発で、次から次へと震災関連のツイートが飛び交っていました。
というよりも、そんな風に怒涛のごとく震災関連のつぶやきばかりがあふれる中、
なんでもない日常のことをつぶやくことに気が引けてしまう、そんな「空気」さえ漂っていたと思います。
そんな中、「ためになると思われる情報」をせっせと「拡散」し、
みんなある意味、「落ち着きを失っていた興奮状態」だったんだと思います。
そして、「事実」のほかにさまざまな流言・デマも広がってしまったのではないでしょうか。


東日本大震災後、実際に以下のような流言・デマが広がりました。
「阪神淡路大震災のときは最初の地震から3時間後に一番大きな揺れが来た」
「石巻で外国人窃盗団が横行している」
「避難所で子どもが餓死」
「放射性物質にはうがい薬が効く」
など、
これ以外にも


あと、「コスモ石油の火災によって、有害物質を含む雨が降る」というチェーンメールも、多くの人にまわってきたのではないでしょうか。
私のところにも、知人が送ってくれました。
この流言は震災当日の3月11日に広まりましたが、翌12日にはコスモ石油側が公式サイトにて、
事実無根だとメッセージを発表し、事態は沈静化しました。
しかし、広がったメールにはそれぞれ、「コスモ石油に勤務する方からの情報で」とか「医師会からのファックスで」などと、
いかにもそれらしい付け加えがされていたため、多くの人が信じてしまったと思われます。


しかも厄介なのが、その多くが
「マスコミでは報道されない事実」という風に、いかにもな感じで語られているということです。
被災地の状況が見えづらかっただけに、たくさんの人はその呼びかけを見過ごすことができず、
デマの拡散に無自覚で加担してしまったんだと思います。

しかし被害の全容が明らかにならない中で、もし、
「【拡散してください!】●●病院の屋上に、●●が取り残されています!誰か助けて」などというツイートを発見し、
拡散しないでおけるかというと、難しいです。
そのような場合、事実か流言かを判断するよりもまず、良心が働いてしまう、これもまた、
難しいところです…。
良かれと思ってやったことが、混乱を招き、
そのせいで外の本当に広めるべき情報が埋もれてしまうかもしれないからです。


大災害時に流言・デマが発生するというのは、歴史的に見て必然的なことで、
今に始まったことではありません。
関東大震災の時には「朝鮮人が井戸に毒を入れた」という流言が広がり、
そのため多くの朝鮮人が日本の民衆の手によって数千人も虐殺されました。
流言が人を殺してしまうこともあるのです。

内部被曝

2011-06-13 09:07:26 | (里)のブログ
「内部被曝の脅威」という1冊を読み終えました。
この本は2005年につくられたものですでに4刷目に突入しています。
2005年当時に目にしたとしても、明らかに手にとってはいなかったでしょう。


原爆の摂氏1万度以上もの熱と爆風がもたらした被害が「第1の被ばく」ならば、
その後の「第2の被ばく」が本書が言わんとする内部被曝です。
そして、「ヒバク」とは何も一部の人たちの話などではなく、私たちが常日ごろからさらされている脅威だということをおもいしらされ
自分にとって、ある意味今までで一番センセーショナルな内容の本でした。
「内部被曝」について非常に曖昧な解釈しかなかった自分への備忘録として、
ここに主な内容をまとめたいと思います。


△内部被曝のメカニズム

そもそも、内部被曝の原因となるのは「放射性埃」から出る放射線。
放射線には色も匂いもなく、肌で感じることもできません。
体外に放射線を発射する源があって身体の外から飛んでくる放射線に被ばくすることを「体外被爆(※「爆」の漢字に注目)」といい、
それに対し、体内に摂取された放射性物質が放射線を発しながら肺と胃から血液に運ばれ、全身のどこかの組織に付着し、ゆっくりと体細胞を傷つけていくのが「内部被曝」です。
人体には細胞修復機能があって、放射線がDNAを直撃したとしてもある程度修復され、修復されなかった細胞も死ぬといわれてますが、
内部被曝の場合、体内に取り込まれた放射性物質がずっと放射線を放射し続けるため、その修復能力がどこまで機能するのかという問題があります。
とくに体の中で細胞分裂の速度が速い場所では、被ばくした細胞の傷の修復が追いつかないまま細胞が複製され、細胞分裂のたびに自然拡大する可能性があるというのです。
そうなった場合、どのような被害が生まれるのかは、本書に詳しく載っています。

しかし内部被曝の有害性については、放射線被害をめぐる加害者側と被害者側で意見が真っ二つに分かれてきました。

 加害者側は、被害を与えるのは体外からの高線量放射線だけで、体内にはいった放射性物質からの放射線は低線量(微量)であり、被害は一切無視できると主張する。被害者側は、内部被曝は体外被爆と全く異なるメカニズムで細胞を破壊し、微量でも重大な被害が起こると訴えている。それを裏付ける研究が数多く報告されており、また、世界的規模での核実験および諸々の核施設の内外に発生している膨大な被ばく者の数がこれを証明していると主張している。
 内部被曝の問題は、放射線被害をめぐる加害者と被害者の国際的な規模での論争の焦点である。この論争に終止符をうつためには内部被曝のメカニズムそのものの解明が必要とされるが、内部被曝に関する研究の成果がなかなか認められない複雑な事情、そして技術的な困難が横たわっている。
(76ページより抜粋)


本書では内部被曝の被害を裏付ける研究報告や世界中にいる被ばく者の実態、そして内部被曝がなかなか表に出てこない「事情」について具体的に指摘しています。


△ヒバクはすでに世界中で起こっている

本書ではまた、すでにヒバクは世界中に持ち込まれているという現実についても書いてありました。
中でも一番驚いたのは、放射能で汚染された穀物の多くが、日本に輸出されているという事実でした。
アメリカ最大の核施設があるハンフォードは、原爆を製造した時から何十年もの間、原子炉からさまざまな種類の放射性物質を放出していました(放出量の総量はスリーマイル島の事故の1万倍!)が、
そのハンフォードの風下にある広大な砂漠を穀倉地帯へと開拓するプロジェクトが、なんと政府主導で行われました。
そこで作られたりんご、じゃがいも、小麦、コーン、牧草、蕎麦などあらゆる穀物が海外へ輸出されているそうです。
その大部分を買っているのがファーストフード産業と日本の商社だといいます。
汚染作物は世界中を今もめぐり続けているのです。
このような事実は、普通に生活している私たちには全く知らされてきませんでした。


アメリカには乳がん死亡増加の原因として、死亡者の住む郡と原子炉の距離が相関していることを示すデータもあるといいます。


人類史上初めて原爆をつくったアメリカ。長崎に投下された原爆を製造する計画を主導した科学者は、
原子炉で作業をした後は必ず、体内の重金属を排出させる点滴治療を受けていたそうです。
当時の科学者たちはすでに自分たちが被ばくしていること、それも内部被曝していることを知っていたのです。
しかしアメリカでは、内部被曝の危険性について長い間「隠蔽」されてきました。
広島・長崎で起きた内部被曝の被害についても、当時の占領米軍は認めようとせず、それらを排除してきたのです。
内部被曝の人体に与える影響が明らかになれば、あらゆる核開発の障害になることを想定して、意図的に隠蔽してきたのです。


今回の福島第1原発の事故によって、大量の地下水が汚染されたといいます。
これは事態の重大さを物語る一つの指標です。
いったん汚染された大地や水を浄化する技術は、今のところ開発されていないということも併せて強調しておきたいと思います。




さて、長くなってしまいましたが、震災から3ヵ月が経った今、私たちは「放射能」という言葉にずいぶん「慣れて」しまったと思うんです。
そして、どんどんその言葉の本質を見過ごしていってしまい、ふたたび全国の原発が再稼動され、3月11日以前と何ら変わりない状態に回帰していく…、こんな恐れが十分あるのではないでしょうか。
原子力は重要なエネルギー源、などと、あたかも私たちのために存在するかのように思えるかもしれませんが、
「絶対に原発を失くしたくない人たち」が現実にいて、そのためにいろんなことを誤魔化し続けているということを知っておかなければならないと思います。

本の著者でもある鎌仲ひとみさんが製作した映画「ヒバクシャ 世界の終わりに」も観たいと思います。(里)

埼玉・長瀞小旅行

2011-06-06 09:00:00 | (里)のブログ
私(里)は、遠出するのが大好きです。
テレビ番組の中で一番好きなのは旅番組だったりします。

今日は数週間前に行った日帰り旅について書きます。
ある日曜日、父と母と一緒に埼玉県は長瀞(ながとろ)というところに行ってきました。
きっかけはとあるテレビ番組で長瀞のライン下りを紹介していて、
私が「ここに行きたい」と何気なく言ったことでした。

途中家電量販店に寄り道もしながら(笑)車で約3時間かけて長瀞に。
まず始めに、宝登山神社というところに行ってみました(車の駐車場の目の前にあったのでなんとなく行っただけですが)。
大きな鳥居をくぐるとその先に長い階段が…。


のぼりきると本殿が立派に建っていました。


よーく見ると、かなり派手な色使い。朝鮮のお寺っぽい雰囲気がぷんぷん漂ってました。


長瀞の界隈の秩父はその昔、朝鮮からの渡来人が暮らした場所でもあるそうなので、
もしかしたらその影響が大きいのかもしれないですね。



その後、レトロなレストラン(食事処?)でお昼を食べました。
こちらは宝登山神社のすぐ近くにあるところ。

昔、修学旅行で来たことのあるような、そんな雰囲気でした。

私が注文したのは、「竹の子御膳」。

生竹の子、竹の子ご飯、若竹煮、竹の子と鶏の蒸し物…など、
竹の子料理づくしでしたが、どれも美味しかったです。
デザートまでついているところが、ニクかったです^^



腹ごしらえを済ましたあとは、お目当てのライン下りへ。
急流の方のライン下りを選んでいざ出発しました。

船頭さんは年配の方で、まさにベテランといった感じ。
サイドには断崖が続いていて見ごたえのある景色。
途中、水しぶきがかかるような場所もあり、ちょっとばかりスリルも味わえました。





船を下りて車を停めたところまで歩く途中、これまたいい雰囲気の土産通りがありました。

この日はすごく暑かったんですが、ところどころに「涼」があって癒されました。



「もう暑いし喉も渇いたー!」ということで私と母は「行列のできるかき氷屋」へ。
待ちましたよ、1時間くらい!
父は並ぶのが大嫌いな性格なので、車でお昼寝をしていました。笑
噂のかき氷がこれです。

大きすぎますよね!
でも、一人1個ずつたいらげてしまいました。



いよいよ旅も終盤へ。
夜はとある温泉に行ってきました。
まだ出来てそう年月が経っていないところで、
とても綺麗でしたしお湯も良かったです。
温泉につかるだけでなく整体マッサージもしてもらい、心身ともにリフレッシュしてきました。
庭のライトアップが素敵でした。




埼玉県・長瀞、1日中楽しめる良いところでした。
泊まりじゃなくて日帰りがちょうど良い、そんな観光スポットです。
みなさんも機会があれば是非是非^^


最後に余談ですが、今回の川下りを終えて私の中である願望が芽生えてきました。
それは…、
ラフティングがしたい!
です。

(↑こんなイメージ)
昨年、京都の保津川下りをした時も思ったんですが、
通常の川下りに少々物足りなさを感じていまして。
いつか実現させたいと思います!(里)

揺らぐ「安全基準」

2011-05-30 10:04:31 | (里)のブログ
先週の月曜日、福島県の保護者ら約500人が文科省を訪れ、
学校の校庭使用に関する放射線量の暫定基準(毎時3.8マイクロシーベルト)を
撤回するよう求めました。
「子どもたちを放射能から守れ」
「年間20ミリシーベルトの基準の撤回を」と、
怒りの声をあげました。

日本では年間被曝限度量が1ミリシーベルト(5ミリシーベルトで屋内退避が勧告される)と設定されていましたが、
今回の原発事故の長期化を受け、放射線量の高い地域に関してはこの値が
20ミリシーベルトにまで引き上げられました。

この「被曝の安全基準」は放射線に関する国際的な権威であるICRP(国際放射線防護委員会)の勧告のもと、
各国がそれぞれ設定していくもの。
「シーベルト」という単位は、どれだけ「被曝」したかを測る単位。
ここで念頭に置きたいのが、このシーベルトに関しては計器によって測定できる値ではなく、過去の研究に基づいて計算されるという点です。
したがって、その計算とはある仮定で成り立っていて、その仮定がどこまで現実と合致しているのか、
実はまだよくわかっていないのです。


福島県の学校の校庭使用に関し、毎時3.8マイクロシーベルトにしたのは、
年間20ミリシーベルトを超えないよう設定された基準です。
この20ミリシーベルトというのは先にものべた通り、今回の事態を受けて恣意的に改ざんされた年間被曝限度量です。


微量な放射線が人体に与える影響は、学問的にまだ明確でないとされています。
「少しの放射線は心配無用説」もありますが、これに対し真っ向から否定する学者も実は大勢いるのです。
(これに関しては、また次の機会に書きたいと思います)
文科省が設定した基準値が安全だとは、必ずしも言い切れないと思います。
何に裏づけされた安全基準なのか、非常に曖昧すぎます。
「子どもたちをモルモットにするつもりか!」と、
福島県の保護者たちは訴えました。


私は今、内部被曝のもたらす影響について書かれた本を読んでいます。
はっきり言って、読めば読むほど放射線が人体にもたらす影響について恐怖がわいてきます。
そんな時に、福島の保護者たちのデモを目の当たりにし、ある種の衝撃が走りました。


福島第1原発からは、次から次へと新たなトラブルがあらわれています。
1~3号機のメルトダウンに続き、さまざまなデータ隠し…。
年間被曝限度量の引き上げはもはや、
これから起こりうるさらなる事態へ向けた「責任逃れ策」に見えてなりません。
とあるテレビ番組で一人のコメンテーターが、
「政治家は、一体誰に向けて仕事をしているのか」と、言っていました。
原発事故が起こった背景にあった体質も非常に問題ですが、
それに対する対応にまったく誠意が見られないのも、本当にひどいと思います。(里)

食中毒事件

2011-05-23 09:36:52 | (里)のブログ

世間を騒がしている「食中毒事件」。
今回問題になったのは、焼肉チェーン店のユッケ肉ですが、
私たちの周囲にはユッケ以外にも、さまざまな危険な食べ物があります。

私は「豚肉はよく焼いて食べろ」とは昔から言われていて、
今でもその言われは守っています。
豚肉よりはマシだとしても、鶏肉を生でいただく「鶏刺し」なんかも、
実はいつも内心ドキドキしながら食べています。
体の調子が悪いと、生ものは避けるようにしてます。
あと、家で気をつけているのは卵です。
わが家では夏場の卵かけご飯などは厳禁されています。

食べ物に火を通して殺菌して食べる、
これはごくごく当たり前の通念だったはずです。
生ものに限らず、例えばお弁当を詰める時にも、
前夜の残り物のおかずを入れるときなどは十分に再加熱して、
食中毒を防ぎますよね。
その感覚からすると、生の肉を食べるということ(魚介類も然り)のリスクが、
どれだけ大きいか想像つきます。
でも、もはや生食は一般的な食のジャンルとなっています。
自然と「危機意識」も薄れているのではないでしょうか。

ましてや子どもや年配の方が食べるのはさらなるリスクが。
免疫力が弱い人はとくに気をつけなければなりません。


私が今回の食中毒事件を見て思うことは、
いろいろと「目くらまし」が多い中でも、私たち消費者の感覚がマヒしてはいけないなということです。
安価をウリにする大手チェーン店などの参入で、
もはや食の安全は十分に脅かされています。
利潤を追求する企業側は、私たちの安全を確保してはくれないのです。
店側が平然とメニューとして出していた品によって、
死者が出てしまったのですから。

もちろん、きちんと肉の卸業者とお付き合いをして、
たしかなルートで信頼できる食品を提供しているお店もたくさんあります。
そういう店は、何より「口コミ」がしっかりあるのではないでしょうか。
今こそ、そんな「良店」が見直される時だとも思います。

月刊イオ7月号(現在製作中)では、
焼肉にまつわるアンケートを実施しています。
みなさんのご協力をお願いいたします!

(里)

タクシーでの出来事

2011-05-16 09:16:28 | (里)のブログ
社会人になって(…といっても、とっくに4年目ですが)、タクシーに乗ることが増えました。
タクシーの運転手は無口な人もいればおしゃべりな人もいてさまざま。
私は基本的に、あちらが何か世間話をしてきた時はそれなりにおしゃべりに付き合うようにしています。
たまに、「そうなんだ~」という発見もあり楽しいですし。
最近の印象としては、不況のため地方から上京してくる運転手たちも多いな、と感じます。


ほんの1週間前のこと。
その日もタクシーの運転手と他愛もない話をしていたのですが、
運転手が「われわれ運転手はね、極端な話、トイレに行けないんですよ」と言ってきたところから話がふくらんでいきました。
タクシーに限った話ではありませんが、普通に路上に車を止めておくと、たとえ短い時間でも駐車違反という違法行為になります。
それに対しタクシー会社の方針は「トイレや食事に行く際は、駐車場に車を止めてから」というものらしく(もちろん諸費用は自己負担)、
多くのタクシー運転手はわざわざ少しへんぴなところの公園などに行って車をしばし止め、自分の用事を見るそうです。
私と話した運転手の知り合いの運転手は、わずか数分コンビニに物を買いに行った後、キップを切られてしまったそうです。
私たちの感覚からしたら、そういった部分は会社が保障してくれなければ、と思うのですが、
今の現状では制度的保障が一切ないため、非常に肩身の狭い思いをしているそうです。


そんな話をしているうちに運転手が、
「タクシー会社の経営者ってね、8割くらいが朝鮮の方なんですよ」と言ってきました。
「在日ってことですか?」思わず少しどきっとしながら聞き返した私でしたが、その後の運転手の話はこうでした。
「外国の経営者の方は、やっぱり不利な面がたくさんあるんですよ。日本人と比べるとね。
そんな立場上、国や行政に文句も言えない。結果、僕らの仕事環境も改善されないんですよ。
彼らだってちゃんと税金払ってるのに、おかしいですよね」
ちなみに運転手は、前原元外相が在日韓国人からのたった5万円の「献金」によって辞任に追い込まれたことについてもおかしいと例をあげていました。


タクシーの世界だけでなく、こういう「不条理」って日本社会にたくさんあります。
私は「ほんとに、おかしいですよね~~」なんて相づちをうちながら、いろいろと考えさせられました。
(…ていうか、この人もしかして??)と思い、その運転手のネームプレートを覗き込みました。
苗字は「松井」さんでした。


「松井さん」は朝鮮人だったんじゃないか、と私は勝手な確信をもっています。(里)

日本の原子力政策について考える

2011-05-09 09:45:40 | (里)のブログ
先週の6日、菅首相は浜岡原発の停止を要請しました。
今後30年の間に80%以上の確率で起こるとされている、東海地震が発生した場合を考慮した上での決断だったそうです。
まずこの決断については歓迎したいと思います。


私はいわば、「にわか原発反対論者」かもしれませんが、
日本列島にある原発がすべて停止されることを望みます。
原発を抱える地方社会にとって、原発と地域経済が密接に係わり合い、切り離せない関係にあること、
また、何より大量の電気を消費している東京という大都市に住みながら、
地方の犠牲の上に成り立つ「権利」を享受している立場にあると認識しつつ、
それでも原発の廃止を訴えたいです。
もちろんそれには、私自身のライフスタイルの変化(さまざまな不便)もともなうべきだと自覚しています。
安易に反対論を推すばかりでは駄目だとも思います。


今回の福島第1原発の事故は、福島県の住民の方たちはじめ、多くの人の生活を変えてしまいました。
ふるさとを離れなければならない人、職を失う人、など、その「人生」をも変えられてしまった人も多かったことでしょう。
東京に住んでいる私も微量とはいえ、日々放射能を浴びています。正直、不安になります。
原発事故の問題は、「いのち」に関わる問題。
どんなものにもリスクは伴うけど、原発のリスクは後代にまでふりかかる深刻なリスク。
原発を手放すことで失うであろういろいろなものを鑑みたとしても、
原発と生きていくたくさんのリスクにはかなわないと思うんです。



今回の菅首相の決断を「英断」と評価する一方で、「自らのための延命策だ」などという言説もあるようです。
たしかに「どれくらいの期間停止する」など具体的な話が見えないのがひとつ心配ではあります。

一方で、今回なぜこのように「突然に」要請は行われたのかという疑問も起こります。
つい、「急を要する事態がわれわれの知らないところで起こっているのでは…」など、
疑心暗鬼になってしまいます。

原発問題=「何か隠蔽された事実があるのではないか」という疑心を抱く―。
なんでこんなことを考えるのかというと、今まで、原発で起こった事故がたびたび隠されてきた例があること、
そして今回の福島第1原発で起こった事故に関しても、完全な人為的ミスによって引き起こされた水素爆発について、
「理由はわからない」とごまかしの発表をするなど、目に余る対応がとられてきたからです。
今回の浜岡原発停止のニュースに関しても、このような今までの原発に関する対応を思い起こす限り、
何か裏を探りたくなってしまうわけです(※ここはあくまでも私の個人的な考えです)。


あともう一つ、4月30日の小佐古敏荘・内閣官房参与の辞任についても、忘れてはならないと思います。
文部科学省は4月19日、学校等の校舎・校庭等の利用判断における放射線量の目安として、
年20ミリシーベルトという基準を、福島県教育委員会や関係機関に通知しました。
一方でその決定を、小佐古内閣官房参与は自らの辞任をもって反対した、このことが示す意味を深く受け止めなければならないと思います。

NHK「かぶん」ブログ
官房参与の辞任・記者会見資料
http://www9.nhk.or.jp/kabun-blog/200/80519.html


今回、浜岡原発の停止が実行され、日本の原子力政策が大きく見直される契機となればと思います。(里)

茨城朝鮮初中高級学校に行ってきました。

2011-05-02 09:00:00 | (里)のブログ

連休前の先週、茨城朝鮮初中高級学校に取材に行ってきました。
同校の高級部には青森、岩手、宮城、福島、新潟、栃木、群馬など非常に広範囲から生徒たちが通っており、
現在36人もの寄宿舎生がいます。
私は今まで、福島初中、長野初中、岡山初中、四国初中など、寄宿舎があるウリハッキョに行ったことがありましたが、
今回の茨城ハッキョはまったく違った雰囲気でした。
これまで行った寄宿舎ハッキョは、寄宿生がいても5人以下と少なく、
大人心に「親元を離れてかわいそうだな」と思うことが多かったんですが、
茨城ハッキョは人数も多く、寄宿舎ハッキョ独特のあたたかい雰囲気が一段と強かったです。
現在は初・中級部生の寄宿生はおらず(現在震災の影響で北茨城在住の初級部生3人が一時滞在していますが)、
高級部1、2、3年生のみ。
なんというか、「青春真っ只中の高校生たち」がともに生活している姿がまぶしくて(笑)、
本当に楽しそうでうらやましかったです。^^/

高1の女の子たちの部屋に入って写真を撮らせてもらったんですが、
本当ににぎやかで爆笑の嵐。

「箸が転んでもおかしい年頃」とはまさにこのことだろうな、と思いました。
それぞれ宮城、福島、群馬とそれぞれ別の中級部から集まった子たちですが、
なんでそんなに打ち解けているのかと聞くと、
「セッピョル学園があったからもともと仲がいいんです!」との答え。
「セッピョル学園」とは茨城青商会の取り組みとして2009年から行われている、茨城朝鮮初中高級学校学区連合行事で、
東北・北関東のウリハッキョの児童・生徒全員が茨城ハッキョに集合し、2泊3日間楽しくすごしながら交流するというもの。
この交流を通じて、茨城朝高への進学を決めた生徒もいるそうです。

取材に行った日は、夜に寄宿舎に入った新入生を歓迎する会が開かれました。
先輩たちが動き回る中、少し気まずそうにしている1年生たちに先輩達は
「高1は手伝うことないから!」と気づかってあげていました。
歓迎会の主人公は高1だからです。



おいしい焼肉を食べながら、きょうだい同士が前に出て出身校の校歌を歌ったり。
男女が前に出ると「ソンチャーブラ!ソンチャーブラ!(手つなげ!)」などのコールが起こり、
大いに盛り上がっていました。

そして焼肉をたらふく食べた直後、(若いからでしょうか)なぜか運動モイムという流れに。
体育館で大きな輪をつくり、いろんな遊びをしていました。


また機会があれば、是非また茨城ハッキョの元気な高校生たちに会いにいきたいなと思いました。(里)

被災地・岩手をたずねて

2011-04-25 09:12:04 | (里)のブログ

おとといまで、被災地である岩手に行っていました。
滞在したのは3日間だけでしたが、その間いろんな同胞たちに話を聞くことができました。
沿岸地域の数ある被災地の中で、私は大船渡に行ったのですが、
テレビや新聞で見る瓦礫の山はまさにそのままで、かろうじて瓦礫の間に車が通れる道ができているくらいでした。
津波の力で家の上に乗っかってしまった家、建物と建物の間に乗っかった車など、そのままの状態でした。
元の町がどうだったかなんて、到底想像もできません。
津波の威力のすさまじさを感じたし、この中で同胞たちが助かったのが奇跡のように思えました。


震災から1ヵ月以上経って、被災地では当初とは異なる解決課題が出てきていました。
ライフラインも徐々に復旧しだして、個々人が自分の今後の生活に対してようやく落ち着いて考えられるようになり、動き出しています。
住宅問題、そして仕事の再開が、大きな課題です。
現在、仮設住宅の建設は用地の確保などの困難から大幅に遅れています。
また、被災者の仕事の問題に関しても、すぐには解決できない構造的な理由がありました。
今回取材に行った大船渡の場合、主な地元の産業が漁業であるため、
まずは港の復興がなされないと、そこに付随する飲食業などの復興は難しいと、被災した同胞は話していました。
田舎町であるため雇用も少なく、ふたたび自営の店を再開させるしか生計のめどが立たないのです。

大船渡で出会った同胞たちはみんなそれぞれ、家や自営の店舗を流された人たちでした。
私が印象的だったのは、各々が前を向いている姿でした。
家や店舗を流され、何も残らなかったとしても、時間は流れていき日々の生活は差し迫ってくる。
気を落としてばかりいられないというきびしい現実の中で明日のことを考えている同胞たちがたくましく映りました。

いわゆる「過疎地」の同胞社会の中での人と人とのつながりについても、今回の取材を通じて再認識しました。
岩手は他の被災地である宮城や福島、茨城よりも同胞数が少なく、ウリハッキョもありません。
同胞一人ひとりの存在が貴重な岩手の同胞社会に対し、
今回の震災がもたらした被害は、目に見えること以上に甚大です。
総聯県本部委員長をはじめ、少ない同胞たちが一丸となって駆け回り、被災した同胞たちを物心両面で支えていました。
はたから見ている私からしても、倒れてしまうのではないかと心配になるくらい、動き回っていました。

そんな中、被災同胞たちが口々に語っていたのは、悲しみや苦しさではなく、
たくさんの同胞たち、そして祖国への心からの感謝の言葉でした。
店舗を流失したある同胞は、近年総聯との付き合いをあまりしてこなかったそうですが、
今回祖国からの慰問金を受け取って本当にありがたかったとこぼしていました。
まさか自分達がもらえるだなんて思わなかった、本当に本当に感激したんだと言っていました。
総聯県本部の対応からも、守られていると実感したし、「負けずにがんばろう」という気持ちがわいてきたといいます。
そして、盛岡にある県本部事務所に行った際、日本各地から送られてきた救援物資の多さを見て、改めて力を得たと話していました。


困難な時ほど、組織の力、人と人とのつながりがどれだけ力強く、ありがたいものなのか、
今回の取材をとおして肌で感じました。(里)


「ピョンアリ賛歌」

2011-04-18 09:23:22 | (里)のブログ
イオには「今月のピョンアリたち」という連載があります。
「ピョンアリ」とは朝鮮語で「ひよこ」のこと。
ひよこのように可愛い、赤ちゃんの写真を掲載しているページで、とても人気があります。
編集部に送られてくる写真を見るたびに、「か、可愛い!」と思わず顔がほころびます。

何ヵ月か前、編集部に赤ちゃんの写真ではなく、
このページを思って書かれた詩が送られてきました。
埼玉県にお住まいの、とある同胞女性(75歳)が送ってくれました。
ほんわかする内容のとてもあたたかい詩なので、
ここで紹介させていただきたいと思います^^


「ピョンアリ賛歌」


それは月初めのある日
「イオ」と共にやって来る
ひと月ぶりの恋人の再来
待ちこがれる心境
あせる気持ちを
そっとしずめながら
いつものとびらを開く
そこはまぎれもないピョンアリたちの世界、
ピョンアリたちの部屋
いかにかざりたてたショウウィンドウも
このページをかざる
宝石のごとき
ピョンアリのかがやきに
かなうはずはない

さめた心、とざされた心にも
熱い光となって
至福の世界へといざなう

思い思いのポーズ
気取ったポーズに
はにかみポーズと
まばゆいばかりのその微笑みは
何を語るか

夢、夢、夢、
末は社長か学者かリーダーか
きらめく舞台を彩る
歌姫か舞姫か

よくよく見ると
行間のどこかから
ハルベ、ハンメの自慢の笑顔が
のぞいているようだ

ハルベは思う
あと10年は生きたい
ハンメは思う
いや100までは生きたい

愛しいピョンアリたちが
強くたくましくはなやかに
はばたきとび立つ
その日までは…



小さな「ピョンアリ」たち、
そしてイオの「今月のピョンアリたち」ページに対する「愛」があふれていますよね!
本当にコマッスムニダ。(里)