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日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

朝鮮大学校で国際シンポジウムが

2011-11-07 09:43:22 | (里)のブログ
先週の土日は母校である朝鮮大学校創立55周年記念行事がありました。
私は土曜日にあった「朝鮮問題研究センター」設立記念 国際学術シンポジウムに参加してきました。
テーマは「躍動する朝鮮半島、その展望と課題」。
講師は鄭己烈・清華大学訪問教授、金景一・北京大学教授、小牧輝夫・北東アジア研究交流ネットワーク幹事の3人で、
朝・米関係、朝・中関係、朝・日関係についてそれぞれ話をしてくれました。

とくに海外から訪れた同胞教授が語る言葉は新鮮で、響くものがありました。

「『反テロ戦争』を口実に自衛力のない国々を攻撃する行為に、アメリカの帝国主義の本質が見える。
朝・米関係においても決して幻想を抱いてはならない。しかし、未来がないという意味ではない」(鄭己烈教授)

あと、歴史を遡ってみると朝鮮半島がアメリカとソ連によって信託統治下におかれたことに
南北分断の元凶がある、あの当時南北朝鮮が団結できていたら…という金景一教授の言葉から、
過去も未来も南北関係が一番大切ではないか、と思わされました。
また、今まで地政学的関係性が強かった朝・中両国の関係が、
今では地経学的な需要と供給の関係にあると言っていたのも印象的でした。
朝鮮と中国では現在、黄金坪・威化島と羅先経済貿易地帯の共同開発が進められていますが、
中国がこのように他国と共同開発にのぞんだのは朝鮮が初だそうです。


平壌科学技術大学の朴贊謨名誉総長の特別講演もあり、
「科学外交を通じた国際協力と平和追求」というタイトルでいろいろなお話をしてくれました。
平壌科学技術大学は2010年に創立されたばかりの新しい大学ですが、
世界平和に通じる「science diplomacy(科学外交)」を担っていく人材の育成を目的に、
さまざまな取り組みを行っているといいます。
今年10月には大学創立1周年を記念して国際学術討論会が催され、
アメリカや中国、イギリスなどから学者たちが集まったそうです。
さらに、ノーベル賞受賞者と大学生たちとの交流もあったそうです。
名誉総長は「2020年までに、世界大学ランキング20位以内に入るはずだ」と話していました。
将来的に朝鮮大学校との交流も始めたいと言っていました。
これが実現されたらすごいですね。
あとは、民間の科学者レベルでは、朝・米関係は非常に良好であると笑顔で話していました。


きびしい現状に関する話もありましたが、
これからもたらされるであろう大きな変化を予測したお話に、
期待が高まる、そんなシンポジウムでした。
海外の同胞のお話を聞く機会はとても珍しいものだったので、
そういった意味でも行ってよかったです!(里)

TPP交渉参加に「待った」を

2011-10-31 09:17:45 | (里)のブログ





「TPP(環太平洋戦略経済連携協定)」の3文字がニュースに頻繁に登場するこの頃。
この「TPP」とは、シンガポール、チリ、ニュージーランド、ブルネイの4ヵ国で発効した経済連携協定のことを指します。
アメリカ、オーストラリア、ベトナム、マレーシア、ペルーも加わって協議が進められており、
11月中旬からハワイで開催されるAPEC総会で交渉妥結を目指すそうです。
そして、日本もこの時までに交渉に参加するか否かを決めなければならないといいます。

日本のTPP参加については、昨年に菅直人前首相が所信表明でその検討を示唆しましたが、
東日本大震災や政局の混乱を受けて十分な議論がなされないままでした。
しかし野田首相は9月末の日米首脳会談で「できるだけ早い時期に結論を出したい」と表明。
いきなりTPP参加ありきの姿勢をとってしまったのです。
そして先日、交渉参加を表明する意向を固めました。


果たしてTPPとはどんな枠組みなのか―。
その主な内容は、加盟国間のあらゆる貿易でかかる関税を撤廃し、「貿易の自由化」をはかるというもの。

日本を含めて考えると交渉参加国は10にのぼりますが、
GDP(国内総生産)の規模でいうと日米の2ヵ国だけで91%を占めています。
これを見ると、TPPが「日米」経済連携協定としての側面が強いことがうかがえます。


一方でTPP参加がもたらす悪影響が懸念されています。
TPPは日本の農林水産業に壊滅的な打撃を与え、
食品の安全や医療・公共事業など、生活の多岐にわたる分野に被害をもたらすというのです。
「TPPに参加すると、アメリカと同じ規制や法律で統一され、危険な医薬品や牛肉、
さらには遺伝子組み換え食品の表示もできなくなる恐れがある」という声もあります。
これを裏付けるかのように、オバマ大統領は9月の日米首脳会談で野田首相に、
米国産牛肉に対する日本の輸入制限について「進展が必要だ」と、規制緩和を要求してきたといいます。


民主党・野田政権が発足してから2ヵ月。
「どじょう」演説が話題を呼んだ野田首相ですが、
さまざまな情報を集めてみる限り、おおむね保守派の政治家なのだということがわかります。
日米関係についても「日米同盟は外交の基軸」などと言いながら、沖縄の米軍基地の県内「移設」問題に対しても前向きな態度を表明している有様です。


経団連の会長が「TPP交渉参加判断、待ったなし」とか言ったニュースが流れていますが、
一旦参加してみて抜ける、などといったことが許される交渉ではありません。
「待ったなし」の状況に任せて勢いで決められる問題ではないでしょう。

韓国でもアメリカとの自由貿易協定(FTA)締結に反対する動きが加速していますが、
今後日本でもTPP反対派の動きがより一層大きくなってくるのではないでしょうか。
しかしあまりにも時間がありません。



TPPは単なる貿易交渉などではなく、日本という国の形が変わるような大きな問題をはらんだ協定。
もっとその本当の内容を開示して、十分な議論をしてもらいたいです。(里)

カップヌードル

2011-10-24 09:22:04 | (里)のブログ
横浜に「カップヌードルミュージアム」なる施設ができたらしいです。
最近テレビでよーく取り上げられているので知りました。
日清の歴代のカップラーメン3000余点が並べられた展示があったり、
世界で一つだけのオリジナルカップ麺がつくれるファクトリーなど、
楽しそうなフロアが入っています。

カップヌードルはたまにむしょうに食べたくなる時がありますが、
昔からわが家では基本的に母から禁じられていました。
「そんな体に悪いものの塊をわざわざ食べないで」と。^^;
それでも、たまに機会があって食べる時には、具とスープを一切食さず(いかにも体に悪そうだから)、
麺のみをすすって食べたりしていました。
印象に残っているのは多分小学生だった時のこと。
流星群を見るため、寒い中夜遅くに空を見上げて待機していたのですが、
その時特別に「カップヌードル解禁令」が下りて(笑)、
外で熱々のカップヌードルを食べたんです。
流星群を見られるという特別感と、カップヌードルを食べられるレア感を一緒に味わえた日でした。


そんな感じで、年に1回食べるか食べないかだったカップヌードル。
しかし最近、「じつは危ない食べもの」という本でその中身を具体的に知ってしまってからは、
なかなか手が伸びません。
できる限り食べたくはありません。


カップ麺には軒並み入っている「たんぱく加水分解物」という成分。
これは文字通り、たんぱく質を加水分解したもので、作り方は、
①たんぱく質を含む材料(食肉処理した後の内蔵とか、水産加工場で出てくる廃棄部分など、安く手に入るたんぱく源)を用意する。
②そこに塩酸を加えて加水分解という化学反応を起こし、たんぱく質を分解する。この時アミノ酸が発生するので、魚のダシに似た味になる。
③最後に水酸化ナトリウム(カセイソーダ)を入れて中和する。

塩酸をカセイソーダで中和しているので、当然、大量の塩化ナトリウムを含んでいます。
これを頻繁に食べていたら、ナトリウム過剰になってしまいます。

水産加工場で出てくる廃棄物なども材料となりうるなんて、怪しい成分だな、と思いますが、
どういうわけかこの「たんぱく加水分解物」というのは「無添加食品」なのだといいます。


先述のカップヌードルミュージアムのホームページサイトには
「子どもたちひとりひとりの中にある創造力や探究心の芽を咲かせ、豊かに育てるための体験型ミュージアム」という謳い文句が。
カップヌードルを発明した創業者のクリエイティブな業績には感心させられるかもしれませんが、
健康を大いに害する恐れのあるカップヌードルという食べものを
これから体をつくっていく子どもたちがパクパク食べる姿に納得することはできません。
味覚も壊れていってしまうのではないでしょうか。

いま、「放射能と食べもの」が大きくクローズアップされていますが、
もともと私たちの身の回りには、食品添加物をはじめとしたありとあらゆる体に有害な「食品」がたくさんあると思います。
それらを一切摂取しないのは無理に近いとしても、食品を選んでリスクを最大限回避するのが大事ではないでしょうか。(里)

食文化いろいろ

2011-10-17 09:09:32 | (里)のブログ
「物語 食の文化」という本を読みました。
この本には、食材、調理法、食事のしきたり、さらに各地各時代の食文化などが広く紹介されています。
どのページから読んでも面白い、新書でありながら百科事典的な本でした。


本を読んでつくづく、豊食(飽食とも書きますね)の時代に生まれてよかったなと思いました。
今ほど食べものをあれこれ選べる時代はなかったでしょう。


本の中の「西洋の食文化小史」が面白かったです。

●古代ギリシャ人は1日3回の食事をし、朝食は朝日がのぼるとすぐ食べていた。
朝食には生のワインに浸したパンを食べていた。
好物は魚で、とくにウナギは最高級のご馳走であった。
●多くのローマ人は食い意地が張り、満腹になると鳥の羽根で喉をくすぐってわざと嘔吐し、胃を空にしてまで食べた。
客は横たわってひじ枕をし、右手の指で食べものをつまんだ。

…などなど。寝転がりながら食べ、吐いてはまた食べ、という食スタイルがあったなんて、初めて知りました。
西洋といったら、美食文化のフランス…とかいうイメージが先行していましたが、
古代や中世は今とまったく違う食文化が根づいていたようです。
興味深いです。


この本には朝鮮半島の食文化のことが直接的にはあまりふれられていなかったのですが、
以前、「韓国の食」という本をパラパラっと読んだ時に、とても興味深いことを知りました。
朝鮮の宮中では朝、起きて顔を洗った後にすぐお粥を食べる習慣があったそうです。
「粥膳」という、朝ごはんとは別の食事です。
その後、着替えてからふたたび朝の食事をしていました。



「ただ食す」という時代から、美味を求め、さらには健康増進のためにとられるようになった食事。
食の文化は本当に奥深く、面白いです。(里)

わたしの名前

2011-10-10 09:00:00 | (里)のブログ
先週の(K)さんに続き、私も「名前」について少し書きたいと思います。
ブログでは(里)としか書いていませんが、私の名前は里映と書いて「リヨン」といいます。
自分の名前のことはおおむね気に入っていますが、あえていうなら名前の漢字にもう少し華があればな…と思います。


ちなみに私の名前には、「とくに意味がない」そうです。笑
「響き重視でつけたんだよ」と親に言われた時は少しショックでしたが、
そういう家もあることでしょう。
昔ある人が、「ふるさとをわすれないようにご両親が名前をつけてくださったのね」と言ってくれたのですが、
本当に何となく字画を見て「里映」という漢字になったそうです。


人に名前の漢字を伝える時、
よく私は「『リ』は里いもの『さと』っていう字で、『ヨン』は映画の『エイ』って書きます」とか説明します。
「里」という漢字については、「里いも」と言えば、同音異義語もありませんし、相手に伝わりやすいと思ってます。
「映」については、追加で説明が必要な場合があります(なので、「映す」の「エイ」です、って言ってみたり)。


朝鮮語をわかる人になら、「마을 《리》자에 비낄 《영》자입니다.」(村をあらわす「リ」の字に、映る「ヨン」の字です)
という風に説明することもあります。


今まで、自分と同じ「リヨン」という名前の人物は何人かいました。
とくに今年に入ってから、取材先で、赤ん坊から高校生までの「リヨンちゃん」たちに3人も会いました!
でも不思議なことに、同級生の「リヨン」には、まだ一度も会ったことがありません。
私が高1の時、とあるクラスに同じ名前の女子が3人いるという珍事(?)もありましたが、
私はそういう経験がありません。
いつか会える日が来ることを楽しみにしています。笑


最後に、これは昔から言っていることですが、一度フランスのリヨンという都市に行ってみたい、
これが私のささやかな夢です。
一応同じ名前なのでシンパシーを感じているのです。
フランス第2の都市であるリヨン。歴史あり文化ありの素敵な場所だといいます。
「リヨン」で検索すると、125万件ほどの検索結果が出てきますが、
リヨンについての説明で、下記のような面白いものがありました。
「パリが東京ならリヨンは関西、ほんま、おもしろいでー」
「リヨン、着倒れ食い倒れ!」…。
どんなところなんだ、リヨン…(笑)。ますます行ってみたいです。(里)

誰のための「復興」?

2011-10-03 09:00:00 | (里)のブログ
先週の9月30日、東京電力福島第一原子力発電所の事故を受けて指定されていた
「緊急時避難準備区域」の指定が解除されました。
緊急時避難準備区域とは、"緊急時に"屋内退避あるいは別の場所に避難する必要がある地域のことで、
福島第一原子力発電所の半径20キロ以上・30キロ圏内の地域のことを指します。

政府が解除に踏み切ったのは、原子炉の冷却が安定的に進み、緊急事態が発生する可能性が極めて低くなったと判断したためだといいます。
これから、子どもや要介護者の帰還や教育施設の再開、
仮設住宅の建設などが認められるようになります。


政府系機関である原子力安全・保安院が公表した今回の解除にまつわる資料には、
「原子力安全委員会からも緊急時避難準備区域の解除について
『差し支え無い』旨の回答があったことから、本日、同区域解除の
指示及び公示を行うこととする」

という一文がありましたが、これには思わず突っ込まざるを得ません。
原子力安全委員会は、いままで「原発は安全」という宣伝をずっと後押ししてきた政府系組織です。
その原子力安全委員会がOKを出したあたり、とても前向きに受け取ることができません。

ふるさとに帰りたい住民の方たちの切実な気持ちは想像に難くないですし、
何としても帰宅が実現されるべきと、心では思うのですが、
まず第一に、解除される地域の安全はどうなっているのか、と強い疑問を感じます。


日本政府は原発事故後いままで、「20ミリシーベルトまでは安全だ」とし、
それを超える地域だけに避難指示を出しています。
緊急時避難準備区域は年間積算放射線量が20ミリシーベルト未満だとされていますが、
そもそも20ミリシーベルトという放射線量はきわめて危険な水準です。
20ミリシーベルトに満たなくても、1ミリシーベルト以上となるのは確実、というわけですから
放射線に対する感受性が高い子どもなどが戻るのは、まだ駄目だと思うんです。

「反原発」派の学者である小出裕章さんは著書「原発はいらない」の中で、
福島第一原発から少なくとも半径30キロ圏内の放射能汚染は、
チェルノブイリ原発事故で強制避難させられた汚染に匹敵する
と指摘しています。


「復興」の足がかりとなるようにと決定された今回の解除。
でも、人の命の問題が軽く扱われている気がします。
そんな空っぽな「復興」ではいけないと思います。(里)

第3回セッピョル学園

2011-09-26 09:14:29 | (里)のブログ
先週、「第3回セッピョル学園」が栃木朝鮮初中級学校で開催されました。
「セッピョル学園」とは東北・北関東にある朝鮮学校6校(東北、福島、新潟、茨城、群馬、栃木)
の生徒たちが一緒に寝泊りしながら、さまざまなイベントを通じて交流を深めるという試みです。
おととしから始まって今年で3回目。
1、2回目とも茨城朝鮮初中高級学校で行なわれてきましたが、今年は東日本大震災による影響を考慮し、
1泊2日で栃木での開催になりました。


●1日目


今年は初級部から高級部まで209人の生徒が参加しました。


「開園式」で各学年ごと(高級部は除く)の「セッピョル担任先生」が発表されるようす。


学級活動の時間に、まず自己紹介をしている初級部1年生の子どもたち。



夕飯は栃木のオモニたちが心を込めて作ってくれたカレーライスがふるまわれました。


1日目のクライマックス(!?)だったといえる、フォークダンス。
始まる前にとある女の子が「好きな人と早く一緒に踊りたい!」と言っていましたが、
フォークダンス終盤、「好きな人、もう一人増えちゃいました!」と笑顔で話していたのが
印象的でした。笑


教室に敷かれた布団の上で、さっそく枕投げをはじめる男の子たち。

実は1日目、東北ハッキョの子どもたちは参加できませんでした。
高速道路で起こった事故の影響で何時間も渋滞を抜けれず、
夜遅くにやっと到着したのでした。
本当に残念でした。



●2日目

この日は「セッピョル運動会」が行われました。
生徒たちの保護者をはじめとする多くの同胞たちも、各県から訪れました。
本来のセッピョル学園の目的に加え、今年は震災で被災した地方の同胞たちを激励する場となるよう、
運動会が企画されました。


今回のセッピョル学園を準備した栃木青商会はじめ、各地方の青商会メンバーたちも気合十分。


20代の若い人たちも早朝から準備に協力していました。


力強い行進!いよいよ運動会の幕開けです。


東北地方出身の朝鮮大学校の学生たち。
後輩たちの姿をカメラにおさめていました。
今回、ボランティアも頑張っていました。


まずは徒競走。


赤のTシャツに身を包み、応援を繰り広げる宮城の同胞たち。


初級部低学年の玉入れ競技。


あまりに楽しそうだったのか、途中から子どもが飛び込んできました。笑



こちらは女子生徒たちの棒争奪戦。一言で「熾烈」でした。


男子生徒たちの騎馬戦も大盛り上がり!


縄跳び。息を合わせてジャンプ、です。


子どもたちだけでなく、大人たちのリレー走も行なわれました。
実は手にしているプレートは…、


裏にその地方の「ご当地もの」が描かれていました。ユーモアにあふれています。



運動会の2部では参加者みんなで焼肉を囲みながら、


朝鮮大学校軽音楽団の公演がスタートしました。


東北出身の先輩の歌声に聞き惚れている女の子たち^_^。



続いてセッピョル学園に参加した6校ごとにそれぞれ小公演を披露しました(写真は東北初中級学校生徒らによる農楽)。


そして宴もたけなわとなった頃、スペシャルゲストが。


この笑顔の人は…??









そう、「冬ソナ」に出ていた韓国の大物俳優、クォン・へヒョさんです!

今回、東日本大震災で被害を受けたウリハッキョを支援する韓国の団体「モンダンヨンピル」の方たちが
わざわざ支援金を伝達するために、栃木ハッキョに訪れたのです。
映画「ウリハッキョ」を手がけたキム・ミョンジュン監督や歌手のイ・ジサンさんはじめ、
10人以上もの方たちが駆けつけてくれました。


被災したウリハッキョへの1次支援金(1000万円)が、NPO法人「ウリハッキョ」の李東潤理事長に伝達されました。

クォン・へヒョさんが話した言葉は、ジーンとくるものがありました。
「60余年の間、ウリマル、ウリクル(民族の言葉と文字)を守ってきたみなさんが、私たちをここに導いてくれたのです。本当に感謝しています。
みなさん、決して疲れないで(屈しないで)ください。
私たちも共にたたかいます」
力強い言葉に、思わず涙している同胞もいました。
在日同胞に連帯してくれる彼らのような存在は、本当に温かいです。



今回セッピョル学園を初めて取材して、
改めてその意義を実感することができました。
セッピョル学園での出会いは子どもたちにとって、
時に人生を変えるほどの出来事になる可能性を秘めているな、と思いました。

中級部のとある生徒たちが、こんな会話をしていました。
「俺はもう高校は朝高に行くって決めてるよ。お前は?」
「俺はわかんない。日本学校行くかも」
「へぇ~、そうか。でもさ、俺らこのメンバーで朝高一緒になったら楽しいんじゃない??」
「う~ん、まぁね。まだわかんない。もしかしたら朝高行くかもしんないし!」


セッピョル学園で育まれた友情が、子どもたちの将来の糧になってくれればいいですね!




(里)







奈良の「再起動」総会!

2011-09-19 09:00:00 | (里)のブログ
9月11日、奈良県青商会の「再起動」総会が行われました。

(総会のようす)


(宴会の席で舞台に立ちあいさつする奈良県青商会のメンバー)


(青商会の旗を持って力強い行進(?)で会場に入ってくる奈良青商会のメンバー)





(宴会のクライマックスでは会場が一体となって「統一列車」)


(奈良青商会を激励する同胞たち)


奈良では県内にたった一つあったウリハッキョが休校となってから、
地域のトンポ社会に暗い雰囲気が漂っていました。
「暗い」という一言では片付けられない、悲しく、重たい空気です。

ハッキョがなくなり、奈良に住む子どもたちは、お隣の大阪にあるウリハッキョまで通わなければならなくなりました。
しかし、奈良ハッキョの休校にともない、ウリハッキョに子どもを通わせ(られ)なくなった方もいたそうです。
そうして次第にトンポのコミュニティから離れていっってしまった人もいました。
そんな現象をはじめ、ハッキョがなくなってから2、3年の間、奈良のトンポ社会は複雑に分かたれていってしまったのでした。

しかしそんな中、奈良の30代が奮起しました。
活動が停滞していた奈良県青商会の「再起動」とともに、奈良同胞社会も「再起動」させようと立ち上がったのです。
もちろんその裏側では、長年、奈良のコミュニティを築いてきた同胞たちも、彼らを積極的にサポートしました。
「自分たちはもう歳。でも、青商会のトンムたちが私たちの気持ちを代弁してくれている」と、ある方は言っていました。


この日の総会の前には、「総会前夜祭」ともいえる納涼祭(青商会主催)が8月に行われました。




納涼祭のクライマックスはお決まりの「チュムパン」。
あんなに盛り上がりまくったチュムパンは見たことがありません!
「奈良の人たちってこんなにノリノリだったの?!(笑)」と感じるほど。
「いつもなら絶対に踊りださないような年配の方」まで舞台の前に出てきてオッケチュムを踊っていたといいます。
若者が地域を盛り上げようとしている姿に年配の方たちは再び力を得て、
よろこんでいる同胞たちを見た青商会のメンバーたちも、
大きな手ごたえを感じたのだと思います。
「『良かった時の奈良』を彷彿とさせる」「若い子がよう頑張ってるな」など、
奈良の同胞たちは話していました。


私が奈良に初めて取材に行ったのは2009年。
「奈良の同胞社会紹介!」という企画のため訪れました。
あの頃はちょうど奈良ハッキョが休校となって1年後という時期でした。
ハッキョの話が持ち上がると、同胞の方たちの表情がサッと曇り、
なんともいえない空気が流れるのでした。
奈良を後にする時、胸がぎゅーっと締め付けられる思いだったのを覚えています。
みんなハッキョが大好きで、つながっていたはずなのに、どうにかしたいという思いはあるのに、
現実的に、同胞たちがハッキョという拠りどころを失くして、散り散りになっていく…。

「現実的な打開策」として、今まで数々のウリハッキョが「統合」されてきましたが、
それがどこまで正しい選択であったのか、
その裏で、奈良のような苦しさに直面した地域ががいくつあったのか…など、考えさせられました。
とにかく、「ハッキョがなくなることは苦しいこと」だと、身をもって体感させられました。


納涼祭では、2年前にお世話になった懐かしい面々にたくさんお会いすることができました。
印象的だったのは、その方たちの表情の変化です。本当に明るくなっていたんです。
その姿にまた、胸が熱くなりました。
本当にうれしかった!!


奈良の青商会の方たちは、冷静に今のトンポ社会の現状を分析し、
自分たちがこれから向かうべき道すじを立てていました。
「奈良の同胞たちの幸せのために、何をどうすべきか」、
今後いろいろと提案し、具体的に実践していってくれると思います。
「もう、『再起動』しません!」
総会でのこの言葉に、奈良青商会の意気込みがにじみ出ていると思います。

奈良青商会!応援してます!!


一つ余談ですが。
今日は同じ編集部の(愛)さんの結婚式です!
私もチョゴリを着て参加します。楽しみです!!
(愛)さん、おめでとう!!(里)

防災意識を忘れずに

2011-09-05 09:08:52 | (里)のブログ
先週、9月1日は「防災の日」でしたね。
東京でも大規模な道路封鎖が行われるなど、災害時を想定した訓練が行われました。
首都直下型大地震が起こった場合、想定される一番の被害は火災だそうです。
しかし東日本大震災後のように、都内で大渋滞が起こった場合、
消防車などの到着が遅れ、被害がさらに拡大してしまう恐れがあるのだといいます。
そのため、直下型大地震が起こった時には、大規模な通行規制が行われ、
車両は東京から出ることも、また、他県から都内に入ることもできなくなるそうです。


東日本大震災からもうすぐ半年が経とうとしていますが、
いつまたあのような大災害が起きるかわからないし、出来る限りの備えをしておかなければ…と思います。
3月11日、思い出せば、職場で大きな地震にあった際、私は揺れが収まるまで体が動きませんでした。
恐怖で…というよりも、いまこの瞬間に自分がどうすればいいのか(早く建物から逃げ出すべきか、ひとまず机などの下に身を隠すべきか、など)
とっさに判断ができなかったからです。
大きな災害の前では、自分は本当に無力だな…と感じました。


本屋に行けば、東京都内の災害時の被害予想が書かれた「ハザードマップ」なども数多く出ています。
それらを参考に、災害が起こった時の状況をある程度イメージしておくのは大事だと思います。


昨日は朝早くから、私の家近辺の町内会が主催する防災訓練が行われていました。
バケツリレーで水を運んで火を消す訓練や、三角巾でケガ人を処置する方法など、さまざまな訓練が行われたそうです。
母は町内会の婦女部の役員なので(町内に住む誰もが一度は経験しなければいけないみたいです)、途中から訓練を抜けてアルファー米をせっせと炊いたそうです。笑
そのノウハウを、今度教わっておこうと思います。(里)



音楽舞踊劇 チェジュパラをみて

2011-08-29 10:10:18 | (里)のブログ
昨日、「チェジュ★パラ」という音楽舞踊劇を観にいきました。
故郷の済州島が恋しくて、死後も故郷に帰りたいと願う1世の祖母と、
東京・荒川の三河島で生まれ済州島を知らない孫娘が、故郷探しをするというストーリー。
「ハルマニン(おばあちゃん)」の霊と、生きている孫娘の珍道中がなんともユニークでした。

会場となったのは、東京朝鮮第1初中級学校の近くにある、サンパール荒川。
サンパール荒川といえばそれこそ、東京第1の学校行事(卒業式や学芸会など)はじめ、
昔から荒川の同胞たちに親しまれてきた馴染みの場所です。
「チェジュパラ」の開催にはもってこいの場所だと思いました。

劇中、済州島のサトゥリ(訛り)が台詞として登場した時は、
会場がざわついていました。笑
済州島の言葉はご存知の方はいると思いますが本当に独特で、
かつてその言葉の飛び交う環境の中で育った同胞にとっては懐かしくてたまらないものというか、
強い同郷意識を生み出す大切なものだったんだと思います。
昨日は荒川の同胞たちがたくさん訪れていたことから、
久々に済州島訛りにふれた人も多かったのではないでしょうか。
私も、訛りが出た途端に劇がもっと身近に感じられました(ちなみに私の祖父や祖母の故郷も済州島ですので)。

劇で、済州島の海や菜の花畑の光景が舞踊で表現されていてとっても綺麗でした。
登場する済州島出身のおばあちゃんのように、
私にとってもそれらの景色がなつかしいものになれば素敵だな…と思い、
むしょうに済州島に行きたくなりました。
日本で生まれ育ち、普段は正直済州島のことを考える機会なんてありませんでしたが、
劇を見て、私にとって済州島はどういう場所なのかな、と自問していました。
主人公の女の子が「(済州島に)初めて来たはずなのに、なつかしい気持ちになる!!」と話していましたが、
まさに自分もそんな体験をしたいな、いやしなければ…と考えさせられました。
祖父や祖母たちが大切にしていたものなら、きっと私にとっても特別なものに違いないと、そこだけは確信できるからです。

劇を見たある在日2世の70代の女性は、
済州島出身のオモニが話していた済州島の訛りを思い出したと言っていました。
聞くとその言葉とは、病床にあったオモニが自分に最後に残した言葉だったらしく、
生涯忘れられない済州サトゥリとなったと、涙ながらに話してくれました。
私も気づけばぽろぽろと涙をこぼしていました。話が聞けてよかったです…。


忘れてはならない済州島の記憶を呼び起こしてくれたチェジュパラ公演に、感謝②です!
最後に、今でも在日は「コヒャン(故郷)どこ?」という会話をしますが、
これは本当にずっと残していきたい文化だと思います。
何代先になっても、自分のルーツは朝鮮半島にあるんだと感じられる。これはとてもロマンチック(?)なことではないでしょうか。(里)

2011、夏

2011-08-22 09:12:51 | (里)のブログ
今年の夏休みは大学時代の友だちと「夢の国」や花火大会に行ったり、
地元の人たちとビアガーデンに行ったり、結構充実していました。
今日はその中でも、家族で行った旅行について書きたいと思います。

今年旅行に行ったのは、上高地(長野県)と飛騨高山(岐阜県)。
メインは上高地で泊まったのもそこで、飛騨高山は2日目に足をのばして行ってきました。

1日目、上高地についたのはお昼ごろ。
まずは上高地の玄関口ともいえる大正池に行きました。

大正時代に焼岳が大爆発を起こし、流れ出た土石流によって川がせき止められてできたこの大正池(ちなみに焼岳は今でも活火山です)。
昔行った時より少し水が少なくなっているような気がしないでもなかったですが、
綺麗でした!


アヒル?カモ??も優雅に泳いでいました。


子どもたちも。


池を後にしてからはいざ散策へ。
森の中はマイナスイオンがたくさんな感じで涼しいし気持ちがいい~。


途中、足をとめたくなる絶景スポットも。


お昼を食べた後はさらに奥へ奥へ。
このあたりから雨が降ってきてさらに肌寒いくらいの天気に。
山の天気は午後は崩れやすいんだそうです。


…河童橋が見えてきました!


上高地のシンボルともいえる河童橋。
吊り橋の上に人が満載でした。

「渡る?どうする?」「人多いし写真だけ撮ったら引き返そう」
…と、肝心なところで諦めの早いうちの家族。笑
まぁここまで辿り着くのに1時間以上歩いていたので少々疲れが出てきてたのでおとなしく退散しました。
帰りは雨も降っているのでバスで引き返そうと思ったのですが、バスターミナルには長蛇の列が。
なので帰りも徒歩になりました。(トホホ…)
マイカー規正がされている上高地では、バスかタクシー、徒歩しか移動手段がないのです。


その日泊まった宿は大正池のほとりにあるホテル。
部屋の窓から大正池を眺めていると、昼にはなかった「もや」が!


夕方と朝、このようなもやが現れるそうです。なんとも幻想的でした。


8月15日であったこの日、長野のテレビ局のニュースでは、松代大本営の歴史が取り上げられていました。
もちろんそこで犠牲となった朝鮮人のことも。
後で知った話ですが、上高地に来る時に通った「釜トンネル」の工事にも、多くの朝鮮人が動員され命を落としたといいます。
「こんなところにも朝鮮人の足跡があったのか」と、なんともいえない気持ちになりました。




2日目、上高地を後にしてから飛騨高山に行きました。
山あいの道を1時間ほど進むと、高山の街にたどりつきました。
飛騨といえば、合掌造りの昔ながらの家屋が有名。
そこで私たちは、「飛騨の里」という博物館的な場所に行きました。
(恥ずかしながら、行く直前まで私は、てっきり「白川郷」に行くものだと勘違いしていて、
かなりガッカリしたのですが、ここもそれなりに雰囲気を満喫できました)

大きな合掌造りの家。
1階は居住空間で、上階(屋根の内側の部分)は養蚕に利用されていたそうです。
また急勾配の大きな屋根は、積雪に耐えるのにも適していたそうです。

次来る時は、雪化粧した家を見てみたいものです。

次に訪れたのは飛騨牛を堪能できるお店。
飛騨牛を楽しむためのメニューは、すき焼きや「朴葉(ほおば)焼き」といろいろあるのですが、
やっぱり焼肉というパターンに。笑
ただ、タレではなく岩塩でいただきました^^


最後に、私が個人的に一番気に入ったスポット、飛騨高山の古い町並みを散策しました。
人がかなり多くてびっくり!


町屋づくりの建物や、渋い色の暖簾がかかった感じなど、すごくいいなと思いました。
すぐ近くにそびえる山を見ると、山間の町なんだなということを再確認でき、「すごいな~」と感心しました。


ところで飛騨高山に来て知ったご当地キャラ「さるぼぼ」ですが、
とある土産屋には「さるぼぼキティ」がどっしり構えていました。

…案外かわいいです。

飛騨高山の街並みは、京都の縮小版のような感じがしました。
この川も、ちょっとだけ鴨川に見えてきませんか?


川の上の橋に面白いオブジェがありました。




下のオブジェを見て父が、「ソニョシデ?」とか言っていました。
なんでか理由はおわかりですよね。笑


2日間とても涼しく、内容も盛りだくさんの良い旅でした!(里)

行ってきました、コマチュック大会!

2011-08-15 09:00:00 | (里)のブログ
夏休み真っ只中この暑い中、なぜか毎日屋外活動してしまっている(里)です。笑

1週間前の話になりますが、8月5日~7日、大阪・堺で行われた「コマチュック大会」(第33回在日朝鮮初級学校中央サッカー大会)に行ってきました!
今日はその時のようすを報告したいと思います^^

いや~、暑かった。いや「熱かった」…というのが、取材を終えてみての感想です。
良かったです、本当に。
言葉にしつくせないので、写真で汲み取ってください!笑


まず、参加校の多さに圧巻でした!
本当に、ほぼすべての朝鮮初級学校が参加していました。

↑開会式の写真ですが、写真左奥にもまだ列がありました。レンズに収まりきりませんでした。^^;

今年は東京第9が、本選大会で初優勝を決めました!


東京第9も広島も、実力的には互角だったんじゃないかと思います。
どちらの学校も本当に上手くて、決勝戦中は観客席から「お~~~!!」「上手い!!」とどよめきが起こっていましたから。
でも、勝利の女神は東京第9にほほえみました。



PKを決めて優勝が決まった瞬間、歓喜のあまり走り出す東京第9の選手たち。



監督としっかり抱き合ってよろこびをかみ締めます。「よっしゃーーー!!」とか、叫んでいたんでしょう。


保護者も思わずもらい泣きです。一番近くで子どもの成長を見ていたから尚更感極まるものがあったのでしょう。



泣き崩れる広島の選手たち。なんだか心が痛かったけど…。人数が少ない中、本当によく頑張りました!!




優勝チームは、お決まりの「胴上げ」です。選手一人ひとり、そして監督やコーチも胴上げされていました。


決勝戦のようすは「エルファネット」にて、実況つきで生放送されました。みなさん、見てましたか??



一番盛り上がったのは、やはり決勝戦でしたが、
コマチュック大会ではこれ以外にも、たくさんのドラマがありました。



まだあどけなさが残る「コマ(子ども)」たちも、試合中はおどろくほどキリリとした表情で真剣勝負。




試合に勝てばよろこびを仲間同士で分かち合い、



反対に負ければ涙し…。
こんなドラマが競技場のいたるところで繰り広げられていました。

応援席も盛り上がっていました。


「ケンガリ」片手に力強い声援を送る応援団。


「20年ぶりに再会したんだ」とよろこんでいた、朝鮮大学校卒業生の同級生の方たち。
(「イオでしょ!?」と声をかけられ、「載せて載せて」と頼まれ写真を撮らせていただきました。笑)
そう、会場では本当にいろんな人たちと会えるんです。私も楽しかったです。



参加した各校がそれぞれテントを設けていました。
学校ごとの特色があって、とてもにぎやか。


最後に私が個人的に好きなショットを。
この子は広い広い競技場で迷子になって泣いていた4歳の男の子です。
オンマが迎えにきてくれた時、泣きじゃくるでもなく、じーっとうれしそうにオンマを見つめていました。


夏のコマチュック観戦、かなりオススメです^^!!(里)

「世代」考

2011-08-08 09:00:00 | (里)のブログ
「ジェネレーションギャップ」という言葉がありますが、
とある世代とのギャップを感じたという経験は、結構多くの人がもっていると思います。
一人ひとりを見ればみな違いますが、それでもやはり、
生まれた時代によって人はある程度特徴づけられるものがあると思います。
それが、「世代」ということかと。

ある世代にとってはごく自然で当たりまえなことも、
その他の世代にとっては「??」だったりすることもあるのではないでしょうか。

よく同世代の間では、「●●年生まれ以降は『新人類』だ」なんて話をしていましたが、
よく考えたら自分たちだって同じようなことをきっと言われていたんでしょうね。笑
85年生まれの私は、いわゆる「デジタル世代」というところでしょうか。
だからなのか、「アナログなもの」―黒電話や茶色のテレビ、その他もろもろに不思議な魅力を感じたりもします。

最近読んだ本の中に、いまの中国の若者たちについて書いてありました。
中国の若者たちを世代ごとに分類した解説は面白かったです。
代表的なものを挙げます。

「八○後」(バーリンホウ)~1980年代生まれの若者のこと。1979年に始まる「一人っ子政策」、1978年からの改革開放の影響を受けた「新世代の若者」。両親や祖父母の愛情を一身に受けて過保護に育ち、そのわがままぶりが注目を集め、「小皇帝」と揶揄されることもある。

「九○後」(ジューリンホウ)~1990年代に生まれた若者たちのこと。八○後よりさらに自己主張が強く、自由で新しい感覚を持っているといわれる。また生粋のデジタル世代であることも八○後と異なる点。


そしてさまざまな新語も。


「宅男/宅女」(ジャイナン/ジャイニュ)~とにかく家が大好きでほとんど外出せずにいえの中で過ごす超インドア派の男女のこと。日本語の「オタク」が語源となっている。

「非主流」(フイジュリュー)~日本のギャル・ギャル男文化に影響を受けた若者たち。

「ケンラオズウ」~親のスネかじりを続ける若者たち。

「月光族」(ユエグオンズウ)~貯金をせず、もらった給料をすべて消費に充ててしまう若者たち。


…どこも若者問題は深刻なのか??そう思わざるをえない話ばかり^^:
でも、「世代」は時代によって形成されるものだと思うのです。
そう考えたら、ただ単に「異質」な人たちには見えてきません。(里)

コマチュック大会

2011-08-01 09:10:53 | (里)のブログ


いよいよ今週末から、朝鮮初級学校児童たちの「コマチュック大会」が、大阪・堺で行われます。
コマチュック大会とは、朝鮮初級学校対抗のサッカー大会のことで、30年以上毎年行われています。
私はこれまで1度も参加したことはなかったのですが、今回なんと取材に行くことになりました!
炎天下のフィールドで、子どもたちの写真を撮って撮って撮りまくってこようと思います。

たたかうのは子ども達ですが、そこには応援にくる大人が大勢。
保護者たちにとっても一大イベントだそうです。
そこで思わず数年ぶりに同級生に再会することも多いとか。
毎年応援に行っていたら、それこそ毎年同窓会があるようなものですね^^
その辺の熱気も、現地で感じることができると思います。

今年の大会では東日本大震災で被害を受けた東北地方にあてた募金も受けつけるそうで、
サッカーで被災地にエールを送ろう、といった願いも込められています。
合同チームをつくって出場する東北出身の子どもたちの活躍にも期待が集まります。



熱中症対策をばっちりとって、子どもたちの勇姿を見逃さないようにがんばりたいと思います。
※写真は先週末たずねた長野朝鮮初中級学校で行われていた練習試合のようすです。(里)

「高校無償化」をめぐる支離滅裂

2011-07-25 09:36:34 | (里)のブログ
朝鮮学校への「高校無償化」適用問題をめぐって、
またもや許しがたいことが起こりました。

滋賀の県議会が19日、朝鮮高級学校を「高校無償化」の対象にしないよう求める意見書を賛成多数で可決したのです。
意見書には、朝鮮学校の教育内容が
「歴史教育あるいは民族教育と呼べる内容ではない」、
「(朝鮮学校に通う生徒に対し)日本社会や国際社会に対する軋轢(あつれき)を生みだすもの」、
さらには「独裁体制を支えるための思想教育として人権侵害の疑いさえある」とまで書かれていました。

今回の滋賀県のみならず、
日本全国の各道府県(北海道、青森、新潟、富山、石川、福井、栃木、千葉、山梨、広島、岡山、香川、長崎、大分、熊本、鹿児島)で
すでに同様の意見書が可決されています。
各県議会が「足並みを揃えて」いることは、容易に想像できます。


そもそも昨年3月、鳩山元首相は朝鮮学校について、
「(朝鮮学校の教育課程が)日本の高校に類する過程なのか、何らかの客観的な基準を作る必要がある」としました。
(朝鮮学校の教育課程は日本の6・3・3・4制に合わせたものであるし、学校教育に類する教育を行うものとして、各種学校の認可を受けています)
そしてわざわざ第3者機関による「検討会議」を設け、
そこで出した結論を踏まえた「審査基準」なるものを正式発表したのではなかったでしょうか。
政治的な要素を抜きにして、外形的な基準を満たしていれば、朝鮮学校は「無償化」の対象とされるはずだったのです。


それなのに昨年11月末、朝鮮半島で起こった「砲撃事件」を理由に一切の審査手続きを停止しました。


そしてそんな国の理不尽な「方向転換」に倣って、
さまざまな地上自治体が朝鮮学校の教育内容にケチをつけてきているのです。

はっきり言って朝鮮学校の「無償化」除外を求める側の主張は本当に支離滅裂なものです。
主張でもなんでもない、ただの「言いがかり」。
それはいつでもコロコロと変わるような、恣意的でデタラメなものです。
でも、これがまかり通ってしまうのが、今の日本という国の現状。
こんな馬鹿げた現状に踊らされているのかと思うと、言葉をなくすとともに、本当に腹立たしいです。
「腹立たしい」という言葉では収まりきらないほどの感情があふれてきます。


朝鮮学校の教育が人権侵害だ、とか言っていますが、
「人権侵害」の言葉の意味、重みを知っているのでしょうか。
頼むからそんな言葉をたやすく振り回さないでほしいです。(里)