「 経済産業省原子力安全・保安院は8日、関西電力が提出した
大飯原発3、4号機(福井県おおい町、定期検査で停止中)の再稼働に必要な
安全評価(ストレステスト)について妥当とした審査書の最終案を、保安院の意見聴取会に示した。
一部の委員から反対意見が出たが、保安院は原案通り最終評価を取りまとめ、
内閣府原子力安全委員会に近く提出する。ただし、地元は再稼働に慎重な姿勢で、
了解が得られるかは依然不透明だ。
関電は昨年秋、再稼働を目指して大飯原発3、4号機のストレステストの
評価書を保安院に提出した。
想定より1.8倍大きい地震の揺れ(1260ガル=加速度の単位)や、
4倍の高さ(11.4メートル)の津波に襲われても炉心損傷しないなどと評価した。
最終案は、ストレステストの審査手法について点検した
国際原子力機関(IAEA)の報告内容などを反映した。
7件の勧告のうち、▽審査に期待する具体的内容▽許容される安全余裕の定義--の明確化など一部を採用。
その上で、関電が炉心損傷をもたらすと評価した地震や津波の大きさは、
東京電力福島第1原発を襲ったものに比べて十分余裕があり、
同じ地震や津波に襲われても同様の事故に至らない対策をとっているとして、
関電の評価は「妥当」と結論付けた。
会合では最終案に対し委員から批判の声も上がった。
後藤政志・芝浦工大非常勤講師は「想定外が考慮されていない。
当初からどれだけ余裕があればいいのか合意もできていない」と指摘。
井野博満・東京大名誉教授は「総合的評価というなら2次評価もセットですべきだ。
まだ地元に提示できる段階になく、再稼働につなげるべきではない」と述べた。
今後、原子力安全委が保安院の審査結果を確認した上で、野田佳彦首相と、
藤村修官房長官、枝野幸男経産相、細野豪志原発事故担当相の3閣僚が、
地元の合意を得ながら再稼働の可否を判断する。」
(「毎日新聞」より引用)
原発再稼動については、確かに賛成派、反対派、工業等の生産業に携わる方、小さい子供を
持つ方、他、それぞれの立場でそれぞれの意見を持っていることだと思う。
声高々に原発再稼動に反対しようとする人たちの言い分はよく分かる。
何よりも安全な生活をみなが送れる様に望むことはごく当たり前だからだ。
そして再稼動を求める方の電気の安定供給を求める声にもうなづける。
それぞれの立場で発する意見に対し、どれもごもっとである。
と同時に、それぞれの立場の人が望む結果にならなかった場合のデメリットについても
うなづける。
で、自分の意見なのだが、一度放射性の汚染物質が漏れれば、その影響たるや向こう
何十年にも渡り背負わなければならないその苦労は、計り知れない事と思うので、
原子力、放射性物質を取り扱わない事に越した事は無いのかと思う。
「核の無い世界」で今まで通りの生活を送れれば、それが一番望ましい。
しかし、現実はそんなリスクを抱え、その上に日本経済、はたまた日本の反映は
成り立ってきた事も事実かと思う。
「原子力ありき」での考え方が、そもそも正しいのかと言われると、色んな事を論ずる上で
ここをスタート地点(基準)とするのは話が偏りかける恐れを感じるのだが、
しかし一方で、これまでも原子力を肯定してきたかと言えば、必ずしもそうではない。
きっと誰もが皆、「ホントに大丈夫なのだろうか?」と
少なからず猜疑心を抱きながらいたことだろう。
そこの部分が非常に薄れ、平和な暮らしがさも当然と思っていたのは、
きっと日々の便利で豊かな(語弊があるかもしれないが)生活が、
鈍化させたのだろうし、少なくとも土台の部分を全て否定してしまう事は、
同時に広い意味で、自分たちの今までの生きてきた過去すら全否定しまいかねない。
つまりは、喉元に突きつけた刃は、ある意味自分の喉元にも突きつけている様な
ものである。
果たして、そこまで否定すべきものなのだろうか?
否定してしまってもいいものなのだろうか?
全てが辛く、悲劇、惨劇の繰り返しならまだしも、少なからず反映と旨味を
謳歌してきた事は間違いない。
明日にでも、すぐ代替エネルギーの確保が出来ればいいのだが、そう簡単にはいかない。
再稼動を進める人たちからは、「ストレステストの結果は都合のいい様にねじ曲げられていないか?」
と額面通り受け入れるのにはかなり抵抗を感じるし、一方で反対派の人たちのひたすら
「想定外について」求めているあたりは、もはや常軌を逸脱した話にも見えなくない。
(想定外を想定している時点で、それはすでに少なからず想定外ではないはず)
ただひとつ言える事は、どっちに転んでも腹をくくる覚悟は必要かと思う。
(自分たちは、すでに喉元に刃を突きつけられている状態な訳だから。)
稼動しなければ、日本の産業はおそらく今以上に衰退して行くだろうし、
そこから導かれる負のスパイラルにより、生活は苦しくなるだろうけど、
(少なくとも代替エネルギーが稼動するまで)
そこは歯を食いしばって文句を言わず、耐え抜く必要がある。
稼動すれば、勿論「漏れた時のリスク」の覚悟が必要である。
絶対満場一致とはいかないだろうし、どっちに決まっても反対側からはずっと
未練がましく不平不満、文句を言い続ける事であろう。
そこから導きだされた途中途中の結果、状況に「それ見た事か」と
言い放たれるのは、どう選択しようとも付いて回ることだろう。
まぁ、それだけにこのAll or Nothingの選択に対して、ビシッと結論を出す事は
正直難しいという裏返しなのだが...。
大飯原発3、4号機(福井県おおい町、定期検査で停止中)の再稼働に必要な
安全評価(ストレステスト)について妥当とした審査書の最終案を、保安院の意見聴取会に示した。
一部の委員から反対意見が出たが、保安院は原案通り最終評価を取りまとめ、
内閣府原子力安全委員会に近く提出する。ただし、地元は再稼働に慎重な姿勢で、
了解が得られるかは依然不透明だ。
関電は昨年秋、再稼働を目指して大飯原発3、4号機のストレステストの
評価書を保安院に提出した。
想定より1.8倍大きい地震の揺れ(1260ガル=加速度の単位)や、
4倍の高さ(11.4メートル)の津波に襲われても炉心損傷しないなどと評価した。
最終案は、ストレステストの審査手法について点検した
国際原子力機関(IAEA)の報告内容などを反映した。
7件の勧告のうち、▽審査に期待する具体的内容▽許容される安全余裕の定義--の明確化など一部を採用。
その上で、関電が炉心損傷をもたらすと評価した地震や津波の大きさは、
東京電力福島第1原発を襲ったものに比べて十分余裕があり、
同じ地震や津波に襲われても同様の事故に至らない対策をとっているとして、
関電の評価は「妥当」と結論付けた。
会合では最終案に対し委員から批判の声も上がった。
後藤政志・芝浦工大非常勤講師は「想定外が考慮されていない。
当初からどれだけ余裕があればいいのか合意もできていない」と指摘。
井野博満・東京大名誉教授は「総合的評価というなら2次評価もセットですべきだ。
まだ地元に提示できる段階になく、再稼働につなげるべきではない」と述べた。
今後、原子力安全委が保安院の審査結果を確認した上で、野田佳彦首相と、
藤村修官房長官、枝野幸男経産相、細野豪志原発事故担当相の3閣僚が、
地元の合意を得ながら再稼働の可否を判断する。」
(「毎日新聞」より引用)
原発再稼動については、確かに賛成派、反対派、工業等の生産業に携わる方、小さい子供を
持つ方、他、それぞれの立場でそれぞれの意見を持っていることだと思う。
声高々に原発再稼動に反対しようとする人たちの言い分はよく分かる。
何よりも安全な生活をみなが送れる様に望むことはごく当たり前だからだ。
そして再稼動を求める方の電気の安定供給を求める声にもうなづける。
それぞれの立場で発する意見に対し、どれもごもっとである。
と同時に、それぞれの立場の人が望む結果にならなかった場合のデメリットについても
うなづける。
で、自分の意見なのだが、一度放射性の汚染物質が漏れれば、その影響たるや向こう
何十年にも渡り背負わなければならないその苦労は、計り知れない事と思うので、
原子力、放射性物質を取り扱わない事に越した事は無いのかと思う。
「核の無い世界」で今まで通りの生活を送れれば、それが一番望ましい。
しかし、現実はそんなリスクを抱え、その上に日本経済、はたまた日本の反映は
成り立ってきた事も事実かと思う。
「原子力ありき」での考え方が、そもそも正しいのかと言われると、色んな事を論ずる上で
ここをスタート地点(基準)とするのは話が偏りかける恐れを感じるのだが、
しかし一方で、これまでも原子力を肯定してきたかと言えば、必ずしもそうではない。
きっと誰もが皆、「ホントに大丈夫なのだろうか?」と
少なからず猜疑心を抱きながらいたことだろう。
そこの部分が非常に薄れ、平和な暮らしがさも当然と思っていたのは、
きっと日々の便利で豊かな(語弊があるかもしれないが)生活が、
鈍化させたのだろうし、少なくとも土台の部分を全て否定してしまう事は、
同時に広い意味で、自分たちの今までの生きてきた過去すら全否定しまいかねない。
つまりは、喉元に突きつけた刃は、ある意味自分の喉元にも突きつけている様な
ものである。
果たして、そこまで否定すべきものなのだろうか?
否定してしまってもいいものなのだろうか?
全てが辛く、悲劇、惨劇の繰り返しならまだしも、少なからず反映と旨味を
謳歌してきた事は間違いない。
明日にでも、すぐ代替エネルギーの確保が出来ればいいのだが、そう簡単にはいかない。
再稼動を進める人たちからは、「ストレステストの結果は都合のいい様にねじ曲げられていないか?」
と額面通り受け入れるのにはかなり抵抗を感じるし、一方で反対派の人たちのひたすら
「想定外について」求めているあたりは、もはや常軌を逸脱した話にも見えなくない。
(想定外を想定している時点で、それはすでに少なからず想定外ではないはず)
ただひとつ言える事は、どっちに転んでも腹をくくる覚悟は必要かと思う。
(自分たちは、すでに喉元に刃を突きつけられている状態な訳だから。)
稼動しなければ、日本の産業はおそらく今以上に衰退して行くだろうし、
そこから導かれる負のスパイラルにより、生活は苦しくなるだろうけど、
(少なくとも代替エネルギーが稼動するまで)
そこは歯を食いしばって文句を言わず、耐え抜く必要がある。
稼動すれば、勿論「漏れた時のリスク」の覚悟が必要である。
絶対満場一致とはいかないだろうし、どっちに決まっても反対側からはずっと
未練がましく不平不満、文句を言い続ける事であろう。
そこから導きだされた途中途中の結果、状況に「それ見た事か」と
言い放たれるのは、どう選択しようとも付いて回ることだろう。
まぁ、それだけにこのAll or Nothingの選択に対して、ビシッと結論を出す事は
正直難しいという裏返しなのだが...。
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