5月30日の昼前に病院に運び込まれ、「明日を迎えることが出来るのだろうか?」さえも不確定だったが、
とりあえず日が変わった。
しかし、父の容態は何も好転していない。
極めて低い状況で安定しているだけである。
延命治療をお願いしてはみたものの、「延命」であって「治療」ではない。
「延命処置」といった方が正しいのだろう。
初期対応が全てで、脳にわずかな間でも酸素が行かなければ、脳梗塞に近い後遺症が残ったり、
そのまま脳自体が死んでしまうらしく、まさしく父親は後者だったらしい。
心肺停止していたところにマッサージを行い、なんとか心臓を動かし、血圧を上げる薬を投与する。
酸素吸入器を口の中から入れられ、とりあえず機械の力により酸素だけは強制的に送り込まれる。
ポイントは、血圧がどこまで保つことができるのか。
一時的に心臓は動くようになったが、その機能が完全に衰えるばかりで、何もよくなることはない。
間違っても、今まで通りに生活できるような状態へとは戻らない。
今すぐ死んでもおかしくないし、持っても1日、2日程度と、厳しい現実を医師からは告げられた。
「延命」がいいことなのかどうなのか。
「死」がほんの少しだけ先送りになるだけ。
当然、延命することで、多くのスタッフ、先生が昼夜を問わず動いていただくことになる。
「やっても無駄なのに...」それこそ、無意味なことをやらせることの意義は確かに疑問だ。
しかし、「心肺停止状態」という現実を突きつけられた時、「なんとか動かしてもらえませんか?」と
思うのは家族であり、人間の素直な気持ちだと思う。
血圧が低下しては、薬の量を増やし、一定の水準の数値をなんとかキープさせるものの、
早々に薬の濃度が頭打ちとなった。
つまりは、この先、血圧が下がっても、薬ではどうしようもなく、どれだけ緩やかなカーブを描いて
いかに数値が下がっていかないようになるのか、まさに神頼みである。
深夜1時半を過ぎ、付き添いの家族にとっても起きているのは非常に厳しい。
何が出来る訳でもなく、ただただ椅子に座って見守っているだけなのだから。しかも変化も乏しい。
一旦家に帰って、仮眠をとって朝早くに再び病院へ行くことは可能なのか、看護師さんに聞くも、
家から病院まで20分くらい掛かることもあり、何か急変してもすぐに駆けつけられないので、
そのまま今夜はいてくださいとのこと。
それだけ今夜が山場な訳である。
ただ、病院内で寝ることは構わないとのことなので、近くのロビーへと行き、ソファーの上で横になった。
2時間くらい寝ただろうか。
外が明るくなって来た。
心電図の波形も最初のうちは波打っていたものが、徐々に穏やかとなり、水平の時間がどんどん長くなって
時折、ポコっと山ができるような波形である。
血圧が下がって来ているのがよく分かる。
このポコを後、どれくらいの時間続けられるのか...
病室の外が騒がしくなって来た。
朝の食事が配られているからだ。
入院している患者さんにとって食事というのはある意味、楽しみの一つなのかもしれない。
しかし、当然のことながら父のいるこの病室へ朝食が運ばれることはない。
点滴だけである。
ずっと椅子に座っているのと、何もすることが出来ず、ただただ見守る状況は、正直退屈で辛い。
そして、軽く仮眠をとった程度なので、頭の中はモワモワした感じで、体は同じ姿勢でピキピキした感じである。
血圧を上げるにはどうしたらいいのかさっぱり分からないが、冷たいより暖かい方が血の巡りは良くなるだろうし、
ポンプがわりではないが、マッサージとかをして上げたほうが少なからずいいのだろうと、
手や足、ふくらはぎなどを昨日からちょいちょい揉んでいた。
その効果は全く持って未知数なのだが、明らかに血の巡りが悪く冷たくなっている体も
揉んでいた箇所に関してはそれなりに暖かくなっていた。
ただ、それがどれだけ意味があるのかはさっぱりだった。
11時過ぎ-------------
テレビドラマなどで見たことのある光景、心電図が一直線となり、脈拍もゼロとなった。
もしかして....
医療スタッフの方が、先生を呼び、最後の確認を行う。
死亡時刻が告げられた。
どこかで奇跡を信じていたし、しかし生きながらえたとしても、数日前の状態に戻る訳でもないし、どこまでを期待していたのかも
自分では分からない。
ただ、当初先生からの話があった通りの結果になった。
一気に涙が溢れてきた。
幼い頃から、ましてや思春期の頃は本当に疎ましく思っていた父親。
その立ち振る舞いや言動は、自分にとっては反面教師にしか映らず、どちらかといえば嫌いな父親で、
ああいう人間にだけはなっちゃダメだ。周りの人が傷つくと思うくらいだった。
あれだけ嫌っていた父親。とっとと居なくなればみんなが幸せになれるのにとも思っていた。
しかし、涙が止まらない。
先生に連れられ、隣のカンファレンスルームへと行き、母と一緒に説明を受ける。
母は気丈にも淡々と先生の説明を聞いていたが、自分はその間も涙が止まらなかった。
遺体を綺麗にするということなので、完了するまで待合室へと移った。
待合室というだけあって、多くの患者さんの家族、親族、関係者がいたが、はばかることなく自分はただただ泣いていた。
悔しいのか残念なのか悲しいのか、これと言った明確な理由は言えないけど、父親が完全に死んでしまったところを
目の当たりにしたせいなのか、子供のように泣きじゃくっていた。
延命処置がなされている間は、間違いなくこの先死へのカウントダウンは始まっているのに、
急にその現実(=「死」)を突きつけられないように、ある種の気持ちを整理するクッションのような時間で
あるかのようにさえ思えた。
やはり強烈な現実は、想定を遥かに超えていて、ただただ自分の中でしばらく整理がつかないものだった。
しかし、気持ちを落ち着かせるまで事態は待ってはくれず、さらに追い討ちをかけるようにこの後、
遺体を1時間〜2時間後くらいまでに病院から搬出するように指示された。
立ち止まっている猶予はなかった。葬儀に向けての色んな段取りを行わなければならない。
しかも昨晩、あまり寝ていない中での不慣れな準備というのは頭が全然ついていかない。
そもそもどこでやるのか葬儀屋さんを決めていない。とりあえず葬儀屋さんに連絡を入れお願いする。
父の遺体が自宅に運ばれ、葬儀屋さんとあれこれ段取りの話が進む。
遺族側は完全に地に足がついていない、いわばパニック状態の中、こういう時にキチンと段取りをつけてもらえる葬儀屋さんは
ありがたいと思った。
とりあえず日が変わった。
しかし、父の容態は何も好転していない。
極めて低い状況で安定しているだけである。
延命治療をお願いしてはみたものの、「延命」であって「治療」ではない。
「延命処置」といった方が正しいのだろう。
初期対応が全てで、脳にわずかな間でも酸素が行かなければ、脳梗塞に近い後遺症が残ったり、
そのまま脳自体が死んでしまうらしく、まさしく父親は後者だったらしい。
心肺停止していたところにマッサージを行い、なんとか心臓を動かし、血圧を上げる薬を投与する。
酸素吸入器を口の中から入れられ、とりあえず機械の力により酸素だけは強制的に送り込まれる。
ポイントは、血圧がどこまで保つことができるのか。
一時的に心臓は動くようになったが、その機能が完全に衰えるばかりで、何もよくなることはない。
間違っても、今まで通りに生活できるような状態へとは戻らない。
今すぐ死んでもおかしくないし、持っても1日、2日程度と、厳しい現実を医師からは告げられた。
「延命」がいいことなのかどうなのか。
「死」がほんの少しだけ先送りになるだけ。
当然、延命することで、多くのスタッフ、先生が昼夜を問わず動いていただくことになる。
「やっても無駄なのに...」それこそ、無意味なことをやらせることの意義は確かに疑問だ。
しかし、「心肺停止状態」という現実を突きつけられた時、「なんとか動かしてもらえませんか?」と
思うのは家族であり、人間の素直な気持ちだと思う。
血圧が低下しては、薬の量を増やし、一定の水準の数値をなんとかキープさせるものの、
早々に薬の濃度が頭打ちとなった。
つまりは、この先、血圧が下がっても、薬ではどうしようもなく、どれだけ緩やかなカーブを描いて
いかに数値が下がっていかないようになるのか、まさに神頼みである。
深夜1時半を過ぎ、付き添いの家族にとっても起きているのは非常に厳しい。
何が出来る訳でもなく、ただただ椅子に座って見守っているだけなのだから。しかも変化も乏しい。
一旦家に帰って、仮眠をとって朝早くに再び病院へ行くことは可能なのか、看護師さんに聞くも、
家から病院まで20分くらい掛かることもあり、何か急変してもすぐに駆けつけられないので、
そのまま今夜はいてくださいとのこと。
それだけ今夜が山場な訳である。
ただ、病院内で寝ることは構わないとのことなので、近くのロビーへと行き、ソファーの上で横になった。
2時間くらい寝ただろうか。
外が明るくなって来た。
心電図の波形も最初のうちは波打っていたものが、徐々に穏やかとなり、水平の時間がどんどん長くなって
時折、ポコっと山ができるような波形である。
血圧が下がって来ているのがよく分かる。
このポコを後、どれくらいの時間続けられるのか...
病室の外が騒がしくなって来た。
朝の食事が配られているからだ。
入院している患者さんにとって食事というのはある意味、楽しみの一つなのかもしれない。
しかし、当然のことながら父のいるこの病室へ朝食が運ばれることはない。
点滴だけである。
ずっと椅子に座っているのと、何もすることが出来ず、ただただ見守る状況は、正直退屈で辛い。
そして、軽く仮眠をとった程度なので、頭の中はモワモワした感じで、体は同じ姿勢でピキピキした感じである。
血圧を上げるにはどうしたらいいのかさっぱり分からないが、冷たいより暖かい方が血の巡りは良くなるだろうし、
ポンプがわりではないが、マッサージとかをして上げたほうが少なからずいいのだろうと、
手や足、ふくらはぎなどを昨日からちょいちょい揉んでいた。
その効果は全く持って未知数なのだが、明らかに血の巡りが悪く冷たくなっている体も
揉んでいた箇所に関してはそれなりに暖かくなっていた。
ただ、それがどれだけ意味があるのかはさっぱりだった。
11時過ぎ-------------
テレビドラマなどで見たことのある光景、心電図が一直線となり、脈拍もゼロとなった。
もしかして....
医療スタッフの方が、先生を呼び、最後の確認を行う。
死亡時刻が告げられた。
どこかで奇跡を信じていたし、しかし生きながらえたとしても、数日前の状態に戻る訳でもないし、どこまでを期待していたのかも
自分では分からない。
ただ、当初先生からの話があった通りの結果になった。
一気に涙が溢れてきた。
幼い頃から、ましてや思春期の頃は本当に疎ましく思っていた父親。
その立ち振る舞いや言動は、自分にとっては反面教師にしか映らず、どちらかといえば嫌いな父親で、
ああいう人間にだけはなっちゃダメだ。周りの人が傷つくと思うくらいだった。
あれだけ嫌っていた父親。とっとと居なくなればみんなが幸せになれるのにとも思っていた。
しかし、涙が止まらない。
先生に連れられ、隣のカンファレンスルームへと行き、母と一緒に説明を受ける。
母は気丈にも淡々と先生の説明を聞いていたが、自分はその間も涙が止まらなかった。
遺体を綺麗にするということなので、完了するまで待合室へと移った。
待合室というだけあって、多くの患者さんの家族、親族、関係者がいたが、はばかることなく自分はただただ泣いていた。
悔しいのか残念なのか悲しいのか、これと言った明確な理由は言えないけど、父親が完全に死んでしまったところを
目の当たりにしたせいなのか、子供のように泣きじゃくっていた。
延命処置がなされている間は、間違いなくこの先死へのカウントダウンは始まっているのに、
急にその現実(=「死」)を突きつけられないように、ある種の気持ちを整理するクッションのような時間で
あるかのようにさえ思えた。
やはり強烈な現実は、想定を遥かに超えていて、ただただ自分の中でしばらく整理がつかないものだった。
しかし、気持ちを落ち着かせるまで事態は待ってはくれず、さらに追い討ちをかけるようにこの後、
遺体を1時間〜2時間後くらいまでに病院から搬出するように指示された。
立ち止まっている猶予はなかった。葬儀に向けての色んな段取りを行わなければならない。
しかも昨晩、あまり寝ていない中での不慣れな準備というのは頭が全然ついていかない。
そもそもどこでやるのか葬儀屋さんを決めていない。とりあえず葬儀屋さんに連絡を入れお願いする。
父の遺体が自宅に運ばれ、葬儀屋さんとあれこれ段取りの話が進む。
遺族側は完全に地に足がついていない、いわばパニック状態の中、こういう時にキチンと段取りをつけてもらえる葬儀屋さんは
ありがたいと思った。