聖教新聞HPには
聖教新聞は1951年(昭和26年)4月20日に創刊され、旬刊2ページ建て、発行部数5,000部で出発いたしました。以来、半世紀の歴史を経て、今日では、日刊12ページ建て550万部を発行するまでに至りました。
http://www.seikyoonline.jp/seikyo/index.html
と紹介されております。
550万部はあくまで公称です。
会員数を5割増しにさば読みしていることからも、こんな数字は信じられません。
尚、聖教新聞社発行の媒体資料による発行部数推移は
http://www.seikyoonline.jp/info/pdf/MediaData_MarketData.pdf
1951 5,000部
1960 1,000,000部
1962 2,000,000部
1965 3,000,000部
1969 4,100,000部
1978 4,450,000部
1991 5,500,000部
2010 5,500,000部
参考
●大白蓮華 280万部
●グラフSGI 120万部
●創価新報 150万部
破門以後、学会は2、30万人の増加を公表しながら、聖教はこの20年パッタリと伸びが止まった。
これは、学会は勢いがなくなったことを意味する証拠だ。
上記の部数はあくまで公称だが、『乱脈経理』に記載された内部情報によると1億7千万円捨て金庫事件により
1989 480万部→410万部に激減
捨て金庫事件の当の本人が脱税した金と記者会見したのだから、激減するのも当たり前と言える。
しかし、激減した部数は公表していない!
この時、聖教新聞の広告料金は下げたのであろうか?
広告代理店、広告主は知っていたのだろうか?
《聖教新聞社》と名乗っているものの、株式会社でも何でもない学会の一部門。であれば、公益法人として、一般企業を相手にさば読みした部数のパンフレットで、広告掲載料を得ていたとなるのではないか。聖教の収益は課税されてはいるものの、一般企業より格段に低く優遇されている。
時効ではあろうが、こんなことを平気でやってきたのが創価学会である。
まあ、広告主にとってはお付き合い広告ばかりだから関係ないが。
要は、410万部に減ったからといって、会員は何不自由しなかった。それだけ、取っていれば十分だったわけです。
550万部発行しているとすれば、その増加分は多部数により莫大な部数の負担を強いられていたと言うことになります。
ちなみに、池田さんはこの聖教の売り上げからこんな、恩恵に預かっている。
『聖教新聞社の地下に社員食堂があるが、この食堂部の仕入れ帳簿に「高級イクラ十人分」という項目があるのを目敏く見つけた(国税)調査員が、鋭く突っ込んで来た。
「普通、社員食堂ではこんなものは出さないでしょう。それに、全員に出すには量が少なすぎますね。これは何ですか?」
学会側はしどろもどろになったが、これは勿論、池田大作先生の食事に供したもの。
「実は、池田家の食事材料の仕入れは、全部聖教新聞社の食堂部がやっているんですよ。つまり、大作さんが公私混同をしているんです。それがはしなくもバレてしまったわけです」(本部関係者)』 『乱脈経理』(矢野絢也 講談社)
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