創価学会の没落

悲鳴をあげる学会員

戸田会長が大聖人直結論?

2011-08-09 10:17:11 | 戸田会長

戸田会長は現在の学会と同じ「大聖人直結信心」を指導していたと、池田さんは師敵対の指導をしていたことをご存知でしょうか。

学会が破門されて2日後の幹部会で、こんな指導をしております。

「われわれ学会は、御書をとおして、日蓮大聖人と直結していくのである」と。
戸田先生は、鋭く本質を見抜いておられた。偉大なる先覚者であられる。

私どもは、大聖人を信じているのである。途中の介在者を根本として信じているのではない。この点を間違ってはならない。そして大聖人の仏意仏勅のままに「大法弘通慈折広宣流布」の大願を掲げて、行動しつづけている。だれ人も、大聖人と私どもの間に介在させる必要はない。また、介在させてもならない。(拍手)

あえて指導者の使命をいえば、大聖人と信徒を直結させるための手助け---それ以外にないはずである。僧侶が、間に立ちふさがって、自分を尊敬せよというのは本末転倒である。(拍手)
(平成3年11月30日 創価ルネサンス大勝利記念幹部会)


「われわれ学会は、御書をとおして、日蓮大聖人と直結していくのである」と戸田会長が指導していたとあるが、いつどこでの指導であろうか?
万一そのような指導をしたとしても、「法主は信徒の信心に関係ない」「大聖人直結信心が正しい」との意味あいではないと、下記の指導からも断言できる。「途中の介在者・・・」以降は明かな池田さんが追加した発言。

「御法主上人は唯授一人、六四代のあいだを、私どもに、もったいなくも師匠として大聖人様そのままの御内証を伝えておられるのです。ですから、御法主上人猊下をとおして大御本尊様を拝しますれば、かならず功徳がでてくる」戸田城聖全集4

北条会長は
「今日において、歴代法主上人を日蓮大聖人と仰ぐのが、日蓮正宗の信心であり、学会の伝統である。御法主上人を『軽しむ』ようなことがあれば御書に照らしても堕地獄は疑い無い。私共は、何があろうと、御法主上人の御指南のままに邁進し、僧俗和合を築いていくことを確認しておきたい。」(昭和55年11月26日 学会創立50周年記念幹部会)

また、池田自身も堀日亨上人の御指南を引用して
「(本師の滅後になると)動(やや)もすれば、なにかの感情で事を宗義に託して、自分は何某(だれ)の弟子でない信者でない。忝(かたじけ)けなくも宗祖大聖人の御弟子であると云ふ、反逆児とも云はるべき者が出現する」と。
(『広布と人生を語る』第10巻80ページ)


現在の池田さんはこれらの指導に反していることは、明々白々。
まずは、これらの指導を聖教新聞に載せ「これらの指導は誤りだった」と謝罪すべきなのである。
そうでなければ、池田さんは師の指導を改ざんしていることになる。

その説明を公式に行うことなく、なし崩しに教義を変更することは詐欺と言うほかにない。


「俺は仏ではない」戸田会長

2010-09-30 10:01:21 | 戸田会長

戸田会長は『永遠の指導者』ではない
戸田会長が自分は「仏」ではないと何度も否定していたことは、『戸田城聖全集』を読めば一目瞭然。だから、戸田を「永遠の指導者」などと呼ぶことは、彼自身が「止めろ」と叱るはずである。

では、その証拠の一つを紹介しましょう。
(青年部の会合の席での辻武寿と戸田会長のやりとり)

戸田先生は仏さまのご再来です!
辻は師に心服するあまり、思わずこんな言葉を口にしたのだ。それを聞いた戸田先生は珍しく激昂した。
生身のオレが仏なわけがあるか!
こんな間違いばかりする仏がいてたまるか
そう叱った。が、すぐ顔を和らげ、戸田先生はしょげかえっている辻をこう諭した。
「ただし、この信仰、ご本尊は間違いないぞ」

(『池田大作の素顔』藤原行正 講談社)

このやりとりは学会が言う戸田の獄中悟達から何年も後のことだ。だから、悟達後、戸田は間違いを様々犯してきたことを、自身が認めていることになるではないか。

それでもまだ、永遠の指導者と言うなら
なぜ、学会は仏法者の証である「死相」を隠してきたのか?

原島氏が見た戸田の苦悶の死相
戸田先生の葬儀において、斎場でいよいよ最後のお別れということになり、棺の蓋が開けられた時に拝見しました。他にも私の前後に、棺の傍らでお別れの対面をした本部職員が数人いました。
 それは、大聖人様が仰せられているような成仏の相や、私の身内が亡くなった時の色白で半眼半口で柔らかな相とは、全く違う、苦悶の相でした。口が大きく開いて、色も黒くなっており――。
 私は、それで当時の創価学会の在り方に疑問を持ち、もう、心からは従えなくなったんです。

http://toyoda.tv/taidan.htm


創価学会 会則
第3条 牧口常三郎初代会長、戸田城聖第二代会長、池田大作第三代会長の「三代会長」は、広宣流布実現への死身弘法の体現者であり、この会の永遠の指導者である。

『弘法の体現者』と明記しながら、成仏できなかった創価学会会長
何とも皮肉!バカバカしい宗教教団!


戸田会長「宗教企業を経営する」

2010-08-10 17:57:12 | 戸田会長

学会の歴史を調べていくと、戸田会長が青年部の暴力行為を黙認したことや、政治に乗り出したことなど不信感を覚え、納得がいかない。
講中では“信心自体におおよそ間違いはなかった”との認識であるから、そのような「罪」の部分については語られない。

私個人は、あれほどの信心の理解と功労がありながら、何故そんなことをしたのかが引っかかる。

ここに、戸田会長と中央大学予科時代の同級生・江崎勝茂氏が戦後、戸田から聞いた衝撃的な言葉を紹介しましょう。

「俺がこれから創価学会という宗教企業を経営する。それにはまず会員向けの新聞(聖教新聞)を発行するつもりだ。これなら当たり外れがなくて確実に儲かる。そのためにはダマしてもナニしてもよいから会員をふやさなくてはならぬ

また、元学会員・平氏が戸田の大蔵商事について語るには
「戸田先生とは戦後、小学校の教師をしている親戚の縁で知り合い、大変お世話になりました。大宮市の市議会議員になったのも先生のお陰です。大蔵商事への大口出資は単独(平氏)のものではなく、地区の多くの人たちの資金を私が集めて出資したもので、この金融業務のために池田大作氏が自宅に来て夕食をたべていったこともありますよ
と、なんと戸田会長は学会組織を利用して事業をしていたことになるではないか!

戦後の実業家としての戸田は、出版事業が次々廃刊に追い込まれ、ポルノ誌にまで手を出し倒産、ついには高利貸し業を手掛けるまでに至った。

現に行った事業を見ていくと、その言葉には真実味がある。さらに、水滸会記録を読めば本当に言ったのではないかと思えるのである。

現実には、大聖人の仏法である宗教組織を利用して、事業を行っていたことは間違いなさそうだ。

広布流布は金儲けのためだったのか!?


引用
「もうダメだ!池田大作・創価学会」石井照次郎