創価学会による共産党・宮本委員長宅盗聴事件については、多く報道・記載されていますが、私なりに知らなかったことを再検証していきたいと思います。
引用文献は「創価学会・公明党の電話盗聴」(日本共産党中央委員会出版局)からです。
創価学会は当初から山崎正友氏の独断による犯行として、学会組織の関与を否定しておりましたが、東京高裁判決で創価学会の組織的関与の認定を確定しました。
この判決に対して被告(創価学会側)は、上告を取り下げたことにより判決が確定。
この経緯について、こう書かれています。
被告のひとり広野輝夫の代理人の弁護士の名前で、原告の宮本顕治さんあてに、「都合により、右上告の取り下げをいたしました。ついては判決に基づく損害賠償金の百万円と、それの遅延損害金をお送りしましたのでご査収ください」という趣旨の手紙がきたのです。
(中略)
「上告棄却」という形で明確な審判が下るのを避けたいということがあるでしょう。
この取り下げは「聖教新聞」の十二月二十八日付、十面下段のニュース面にさり気なく、しかも何か自分たちと関係ないような社会ニュースとして報道。(上記写真参考)
上告取り下げ理由
その記事には、広野、竹岡が上告を取り下げたことにともなって、北条前会長の遺族も取り下げ、それで「この裁判は一切、終了したことになる」と短くいったあとに、松井一彦弁護士の話として、「一、二審は全くの事実誤認であって到底、承服できない」といっています。
すでに反論すべき北条本人も死亡していて、これ以上裁判を続け、関係者に迷惑をかけたくないという強い希望が北条の遺族から出たので、残念ではあるが、上告を取り下げるというものです。
二審=控訴審(東京高裁)の判決理由(要旨)
山崎が独断で指示をした可能性
本件電話盗聴に関与した配下の人選、本件電話盗聴に投入された資金、山崎が独断で本件電話盗聴を指示する必要性等を検討すると、本件電話盗聴を山崎がその独断で指示し、実行させ得るものであったとは解されない。
山崎は、学会首脳のいずれかに諮ったうえで、本件電話盗聴を控訴人広野、同竹岡らに実行させたものと認めることができる。
本件電話盗聴への北條の関与
山崎から北條にたいして昭和四十五年七月十一日になされた本件電話盗聴の説明は、これを受けた北條の対応、その後の山崎にたいする扱い、処遇等からして、北條供述のように「寝耳に水」の告白といえるものではなく、北條の地位、経歴及び山崎との関係を考えると、山崎から本件電話盗聴を事前に知らされ、了解していた者にたいする報告と理解して、はじめて納得できるものである。
本件電話盗聴という事の重大性、本件電話盗聴に利用され、投入された人員及び資金等に鑑みれば、山崎が本件電話盗聴を企てるに際して、北條に諮ったであろうと考えるのはごく自然な推論で、山崎供述は、その細部において必ずしも首尾一貫しないところがあるが、特に不自然なものではなく、広野供述及び竹岡供述のような意図的なものは認められず、山崎と学会とのその後の刑事事件にまで至った対立関係、被控訴人の本訴提起に至った経緯を考慮に入れても、信用することができ、更に北條以外の首脳が関与したかはともあれ、北條が本件電話盗聴に関与していたことは明らかというべきである。
控訴人らの損害賠償責任及びその態様
北條、控訴人広野及び同竹岡は、共同不法行為者として、山崎らと連帯して、被控訴人が本件電話盗聴によって被った損害の賠償義務があるところ、北條の死亡にともなう相続によって、その妻である控訴人北條弘子は三分の一、その子である控訴人山崎雅子、同萩本恭子及び同北条隆久は各六分の一の範囲で、控訴人広野及び同竹岡と連帯して損害を賠償すべきである。
と判決では、会長まで務めた北条浩氏の関与を明確に認めたのである。
北条は判決当時、会長職にありながら風呂場で死去した。絶対的な指導者・池田大作氏はこの反社会的行為を見て、なぜ故北条浩を処分し、学会の歴史から抹消しなかったのか?
池田氏の片腕であった北条らから、盗聴計画を知らされていなかったことは考えられない。
しかし、これを「聞いていた或いは指示した」となると学会の崩壊は免れない。とすると、池田氏はこの関与を疑われることを避けるために、全ての罪を山崎氏の謀略として運動を起こしたと思える。
ともあれ、会長まで務めた北条氏が盗聴という反社会行為に関与したことに対し、学会内部でこれをどう処分するのか、宿題は残ったままである。