創価学会の没落

悲鳴をあげる学会員

周到な学会の離反計画

2018-11-20 13:20:58 | 破門経緯

 創価学会は、昭和40年代後半より、宗門から離反するすることを計画し、それは、学会本部の幹部らが共有するのみで、一般会員には、公表されてこなかった。
 これを裏付ける資料が、元学会員による昭和54年発行の『創価学会からの脱出』(三一書房)にある。
 その証言は、ここ数年の学会の状況にピタリと符合する興味深いものがある。


学会は、独立ありきの団体だった!!
会員集めに日蓮正宗を利用した、
恐るべき信者泥棒教団



昭和54年の元学会員の証言より

〝学会の最大の敵は宗門〟と指導

「学会が独立して、八王子に本部なりお寺を建てるという話は、仏教大学講座での第四期生時代に、はっきり聞かされていまたし、その折『学会の最大の敵は宗門である』ということも、宮本忠憲副教学部長に教えられました

 また、金剛会の、社長会記録における池田前会長の発言にも、はっきり『三多摩に創価山・立宗寺という、三百年前の日本建築様式の、日本一のお寺を建てる』ということも記録されているわけで、そうした旗揚げ準備のために、お経本を作成したり、先祖供養の法要まで会館で行い、お寺に行ったり、御僧侶に近づくことを禁じたのも、そのためだといえますね。
 したがって、いずれ学会は独立して、宗門から離れていくことは間違いないと思いますし、第一、学会の会館に行っても、どこにも猊下のお写真一つ飾ってあるわけではなく、牧口、戸田両会長の『恩師記念室』とかいう、平素はまったく使用しない豪華な日本間や『会長特別室』などはすごく立派ですが、肝心の、日蓮正宗の匂いなどはどこにもありません。いま考えてみれば、日蓮正宗の信徒団体らしい雰囲気は、まったくなく、ただ、牧口、戸田両会長の写真がれいれいしく飾られていたわけです。したがって『御本尊は全部同じ… …』という池田前会長の指導は
 結局は、御本尊の平均化を図り、戒壇の御本尊も、お寺の御本尊も、結局は同じということは戒壇の御本尊を否定、ないしは無視しようとしたことは明らかですね。つまり、学会が独立した際、学会本部に御安置の、『大法弘通慈折広宣流布大願成就の常住御本尊』をもって、池田教の御本尊としようと意図したことは、はっきりしており、そのため、学会員には『猊下から許可を得た』と幹部に言わさせて御本尊を偽造し、かつ池田会長自身で入仏式を行った事実をもってしても、それは明らかでしょう。

 要するに『御本尊は全部同じ』という錯覚を学会員に与えつつ、知らず知らずのうちに、戒壇の大御本尊の存在を忘れさせるように仕向けていたともいえるわけで、私としては、戒壇の大御本尊否定につながる行為だったと思わざるを得ません」そうはっきり、私は申し上げた次第です。
(『創価学会からの脱出』三一書房)



いかがでしょうか?
現在の学会の姿そのものとなっています。
決して、原田会長が独断で、
教義・会則変更をおこなったのではなく、
池田センセーの野望を実現していることがよく分かります。


破門二日後

2011-07-29 09:28:45 | 破門経緯

平成3年11月28日に創価学会は団体としての破門となった。
その二日後に「創価ルネサンス大勝利記念幹部会」を
開催。
(この時点では池田さんも一般会員も破門になっておりません)

この幹部会での笑える指導をご紹介いたしましょう。
※青文字は学会の指導集から引用。

未来の教典には「創価学会」の名が厳然と

本日は、緊急の“祝賀の集い”があるというので(爆笑)、私も出席させていただいた(拍手)。全国の皆さま、ご多忙のところ、またお寒いところ、お集まりいただき、申しわけありません。

まず、見出しに教典に「創価学会」の名が載るだって(大笑)
次に、破門され動揺したのか池田さん。
“祝賀の集い”があるというので(爆笑)、私も出席させていただいた
と言ったら、お集まりいただき と言ってみたり、会合に呼ばれたのか、集めたのかどっちなんでしょうか(笑)


「十一月」は学会創立の月であり、「二十八日」は、ご承知のとおり、法華経二十八品の「二十八」に通じる。期せずして、魂の“独立記念日”にふさわしい日付になったといえようか。(拍手)

魂の“独立記念日”だって。良かったじゃないですか(笑)
それで、何の未練があるのか?


日亨上人の言葉を引いて
「現在の宗門で、学会以外に、取るものがあるかね。学会を排除する宗門は、忌むべきである」(昭和26年6月)

昭和26年当時と池田創価の犯した時代ではまるで、宗門の評価はちがいますよ。本尊模刻、教義逸脱問題はお忘れか。


「大聖人の仰せどおりの『広宣流布』の精神は、今や、学会にしかない。宗門が学会を“破門”したということは、それ自体、大聖人の御精神のすべてを、取り去り、排除したのと同じである。あとに残った悪僧と寺院には、正しき信心のかけらもない。廃墟も同然となった

確かに一時的には廃墟に近かったかも知れませんが、10倍近い人員に増えておりますよ。池田さんの言うことは当てになりませんな。


「日顕管長は、在家出身ではなく、親子二代にわたる“エリート管長”だそうだが、血統を云々すること自体、日本的発想の、おかしなところである。日本人は、なぜそんなに“血筋”が好きなのか、理解に苦しむ。仮りに親が立派だとしても、子どもも立派とは限らない。カトリックでは逆に、特別な血統がないところから、いろいろな人材が出ている。

叩き上げでもない、実績もない池田さんの妻や息子が何故、特別扱い?どうせ学会を後継するんでしょ(笑)


また宗門の「C作戦」(創価学会分離作戦)には、「創価学会の法人責任役員の過半数を、日蓮正宗管長の指名する僧侶が占めることを命じます」等の“信徒団体乗っ取り”の謀案が明記されており、仏法的にも、良識的にも、人権上も、まったく“逆行”の体質が、社会の人々の眼前に浮き彫りになった

「これらはいずれも一方的であり、その内容も客観的根拠に乏しく、また、これらを補強し得る的確な証拠もないから、右証拠から直ちに被告の右主張を認めることはできない」平成11年4月21日 長野地裁判決文
とあるようにC作戦など存在しませんよ。池田さんは自ら衛星中継で捏造を喧伝したのでしょうか(笑)


池田さんは、相当とっ散らかってますな。


破門までの宗門批判

2011-07-27 14:32:15 | 破門経緯

創価学会が破門される前の1年間、池田さんはどのような宗門批判を続けたか、検証していきます。

池田さんの指導は衛星中継では宗門をハッキリ名指ししているが、公式の指導集、聖教新聞にはその主語が省かれている
。しかも、誰々がそう言っているなどと人の言葉を利用する狡猾さ。正義、正義と声高に叫ぶわりには何と意気地なしか!これでは、後世の会員が読んでも何のことやらピンとこない、読む価値もない書籍となってしまう。
では、公式の指導集から抜粋。

平成3年1月18日
魔女狩りがない点だけでも、私どもは仏教徒であってよかった(笑い)。仮りにも、それに通じるような行為、宗教的権威による庶民狩り、信徒狩りがあったならば、それはもはや仏法ではない。外道である。仏法破壊であり、当然、大謗法である。無力な信徒を、問答無用に処分するような考え方や行為は、絶対に仏教ではない。いわんや日蓮大聖人の仏法の世界では、大慈大悲の御本仏への反逆となろう。

7月10日
これは法華経の行者を迫害する敵人(三類の強敵)のうち、もっとも悪質な「僭聖増上慢」の姿である。つまり、“聖僧”の名を盗んで、その資格もない偽って名乗り(僭聖)、大衆を離れて人間を見下ろしながら、しかも「真に仏道を行ず」と称する---そういう存在が、法華経の実践者の最大の敵として現れてくるとの予言である。
学会もこれまで「会長本仏論」など、こちらが聞いたこともない(笑い)、想像すらできないような珍説をたてているかのごとく宣伝され、それを圧迫の口実とされてきた。

7月14日
私ども学会員は六十年間、ひたすら広宣流布を願い、不断の信心に住して、宗門に対しても供養の誠を無量無辺に尽くしてきた。それに対して、権威・権力で信徒に君臨するような傲慢な僧があれば、大聖人のお心に違背し、日達上人の戒めに背く「天魔」である。(拍手)

7月26日
外面は立派そうな大聖人門下の姿をしながら、心の中では、真の仏子の集いを切り崩すことに喜びを見いだす---「大魔」のつきたる者の残忍な、どす黒い心根である。

8月21日
彼らは、どすして“泥棒猫”のようなまねをするのか。その一心理を、わかりやすくいうと、本物の法華経の実践者が出ると、皆、そちらのほうへ行ってしまうので、「くやしく」「ねたましく」思うからであると説かれている。

8月26日
しぼるだけしぼりとって切り捨てる---これが「権力」の残酷さである。民衆無視、民衆蔑視、民衆利用の手口である。

8月31日
もしかりに、仏子である学会員の尊い苦労を、いささかでも軽んずるようなことがあるとすれば、それは大聖人のお心への重大な違背であると断じておきたい。

9月3日
大聖人の仏法は、決して一部の人のための宗教ではない。本門戒壇の大御本尊は、「一閻浮堤総与」、すなわち全世界の民衆のために建立されたのであり、決して特権的な人々のためにましますのではない
“信心の狂い”の一つの表れとして、正法正義を歪曲して、自分勝手な邪義を言いだしたり、やらたむずかしい、一見、深そうだが底の浅い“新説”を持ちだす傾向がある(笑い)と、ある幹部が語っていた。(笑い)

9月8日
御本仏大聖人の法門を、みずから都合のよいように曲解するのは、天魔がその身に入っているのだ、と厳しく叱られている。
自分だけ地獄に堕ちるのではなく、罪もない人々をたぶらかして巻き込んで、ともどもに無間地獄の道を歩むのである。私どもは、鋭くその正体を見破らねばならない。(拍手)

9月9日
その真心を踏みにじり、私を誹謗し、多くの会員をいじめぬいている僧の振る舞いを見る時に、少々、申し上げておきたい。(中略)
したがって、正法を持つ僧侶の姿をしてはいても、大聖人のお教えに背き、広宣流布を妨害し、正法を弘める学会の破壊を企むような非道を行う者は、不正直の僧であり、邪曲の悪呂なのである。(中略)
衣食が足り、生活が豊かになったことで、逆におごりたかぶった僧侶が、広布に励む信徒を見くだすようになってしまった---これが、今回の問題の大きな原因であろうと、このお言葉に照らせばよくわかる。

9月29日
「究極的なもの」とは、仏法でいえば「本尊」にあたろう、有限な存在でありながら、たとえば自分を「本尊」の尊厳にまで高め、“一体不二”などと主張する者がいたとしたら、そこに「宗教の悪魔化」が始まるというのである。

10月1日
大聖人門下を名乗りながら、謗法を容認し、御書を軽視し、日興上人の末流を名乗りながら、民部日向とそっくりの振る舞いをなすのでは、これこそ、いわば“三宝破壊”ではないだろうか。(中略)
大聖人、日興上人の仰せどおりに進んでこそ、仏法は万年に清らかに流れていく。師敵対の「日向の末流」に従っては、仏法の心を殺す大罪となる。

10月17日
僧侶は、本来、民衆を救うために、正法へ導き、成仏への道を教え、信仰を励ますなど、信徒の幸福に尽くすのがその使命のはずである。僧侶の権威をかざして信徒を抑圧し、従属を強いて、信徒に奉仕させるというのは、本末転倒である。そのような者は、もはや仏弟子ではなく、僧侶ともいえないのである。

11月4日
「悪いのは宗門の“謗法の一派”であり、将来、日蓮正宗が正常化した時代には、新たな対応が可能であろう。ただし、その場合も、宗門と学会、僧と俗は、構造的な緊張をはらむ関係であり、この構造自体をそのままにしておくかぎり、根本的な解決はない」
ともあれ、仏法破壊の者とは断じて戦いぬく。いつわり親しんではならない。

11月9日
天魔らが、その身に入った「悪鬼入其身」の高僧が、正法を破壊しようとするのである。
「宗門問題の根本原因は法主の嫉妬」
池田名誉会長と創価学会の存在がなければ、日蓮正宗など一つのちっぽけな既成仏教で、だれにも知られることなどなかったはずだ」(拍手)


と、まあ信徒の立場で、ようやくすると“宗門は大謗法、堕地獄”と吐き捨てているわけです。

数百万人の信徒の代表が、これほど誹謗してただでは済まないのは当然です。社会の組織においても当たり前のことであります。

破門されて、当然のことを池田さんはしでかしたことが分かるでしょう。
会員さん、これほど宗門を罵った池田さんの現在の現証を見よ。
人前ではもうしゃべることは不可能な状態ではないか!