創価学会の没落

悲鳴をあげる学会員

登山会意義の5項目

2011-11-14 11:50:58 | 登山

昭和45年9月30日、『第一回全国登山責任者総会』で池田会長は登山会参加者について、次のような数字を挙げております。

昭和11年
牧口会長を中心として小人数で夏季講習会

昭和21年正月
戸田会長ら7名

昭和27年10月
『月例登山会』開始 380余名

昭和33年
『記念登山』 一ヶ月で20万余名

昭和36年
これ以降、登山会が毎月行われる

昭和47年
正本堂落慶記念登山により1千万人総登山

※戸田会長時代で100余万人の登山参加

※池田会長時代(S45年まで)で2千9百万人の登山参加。この時、月あたり30万人の登山者。

となっているそうです。

また、法華講の登山についてもこう述べている。
一方、法華講においても、昭和37年に法華講連合会が結成されてから、正月の初登山および春夏と、年三回、登山会が行われ、年間、約二万人が登山するようになっております。


そして、池田さんはこの総会において、以下の5項目の「登山会の意義」として重大な指導しているのでご覧ください。

登山会の意義
 次に、登山会の意義について申し上げたい。私どもにとって、信仰の根本の対象は、いうまでもなく本門戒壇の大御本尊である。その大御本尊にお目通りすることが、登山会の最も大事な目的であり、意義である。
 この登山会の意義について、五項目に分けて整理しつつ、最確認しておきたい。

 一つは、私ども一人一人の無始以来の深重の罪障を消滅し、現世安穏、後生善処の幸福をお願いすることにある。罪として滅せざるはなく、祈りとして叶わざるはなしの大御本尊であります。
 人生にあって、絶対的幸福を実現する道は、大御本尊への真剣な祈り、すなわち境智冥合以外にないことを知っていただきたい。

 第二には、久遠元初の生命の故郷に帰る。生命を本源的に洗い清めて新たなる生命力をいただくのである。末法の衆生にとって、主・師・親の三徳を具備された仏は日蓮大聖人であり、人法一箇の大御本尊である。
 大御本尊のましますこの大石寺は、私どもにとって根源の故郷であり、尽きることのない生命力の泉である。

 第三は、私ども同志が等しく日蓮大聖人の門下であり、地涌の菩薩であるとの自覚をもち、そのうえに立った真の団結を築くことである。
 私どもの団結は異体同心ということに尽きる。同心の心とは大御本尊への信心であり、信心によって結ばれ団結である。

 第四は、末法広布流布への戦いの決意を、大御本尊にお誓い申しあげる。広布流布の大目的にまざめ、広布流布実現に戦う人を真の地涌の菩薩というのである。
 私どもは、この目的遂行のために生まれてきたことを確信しなくてはならない。黄金の人生は、この広布流布への花々しい実践のなかにこそ開かれることを知っていただきたい。

 第五は、全人類の幸福と平和を祈願し、また、その理想に向かって前進を誓い合うのである。大御本尊は一閻浮提総与の御本尊であり、全世界の民衆の幸福と平和の鍵はこの御本尊に秘められている。大御本尊なくば、この世界は暗黒である。そして地獄であるといっても過言ではない。御本尊の光明をば、全世界に伝えきっていく使命は、私どもが担っているということを誇り高く確信してほしい。

そして、『南条殿御返事』を引き
 「此の砌」とは大聖人のいらっしゃるところであり、大聖人ご在世の本懐たる大御本尊のましますところであります。
 大御本尊の前に詣でるならば、無始以来の罪障は即座に消滅し、全ての悩み、苦しみを転じ、解決して、絶対幸福の境地を開くことができる
との御金言であります。

あな嬉し 永遠の故郷 大石寺
(池田さんが詠んだ和歌)


と指導している。


学会は如何なる理由で、上記の重大な意義を消失したのか
 創価学会は正宗時代、延べ人数にして億を超える会員を、登山に参加させてきた。学会は、これらの会員の労苦をどう説明しているのか?
破門後6年余りは、会員は信徒として登山資格があったにもかかわらず、学会本部はそれを制止。現在でも、脱会した法華講員に対しても、『登山してはいけない』とふれ回っている。

 現在の学会は、上記のように重大な意義を持っていた登山を『家庭の御本尊は大御本尊と通じている』『本山は魔の巣窟』だから『行く必要はない』などと、単なる僧侶誹謗によってあきらめさせている。
これらの言い訳で、五項目の意義が消滅したとは言えるはずがない。
それら一つ一つを、学会本部は誰もが納得する説明などはできない。

 信仰の根本意義を180度変えたことに対し、なんら説明できない組織に、どんな正義が存在するのか。
 


仇討ち命令

2011-11-12 10:06:38 | 池田大作とは

わが正宗ではかの五老僧さえも、きちんと総本山の過去帳に載せて回向している」とのことであります。
とはS49.7.15 日蓮正宗信徒時代の池田さんの指導であります。
こういった指導をすることは、そのころの池田さんには、反抗者へも幾分かは慈悲の心があったと言えるものでしょう。


しかし、この後、池田さんは驚くべき変貌をしていきます。

1992.8.10 軽井沢研修道場での池田発言(市川公明書記長談)
「名誉会長はこう話していた“師弟の道とは師匠の仇を弟子が討つことだ。塚本(三郎民社党元委員長)の暴言を石田(公明党委員長)は見逃した” “仇を討て! 私を守れ! 感謝の気持ちを持て! 学会を守れ!” “最近は学会を裏切る議員が多い。 何とかならないのか” “選挙の勝利はすべて学会のお蔭。 俺のお蔭だ。 史上空前の選挙をやった。” “今年の党大会では、これまでどおり石田委員長の体制で行く”」(『乱脈経理』矢野絢也 講談社)

1996.10.20 『創価同窓の集い』
師である私が迫害を受けている。仇を討て。言われたら言い返す。打ち返す。切り返す。叫ばなければ負けである。戸田先生も、牧口先生の仇をとると立ち上がった。私も戸田先生の仇を取るためにたった。私の仇を討つのは、創価同窓の諸君だ

「私どももまた、2001年5月3日、広宣流布の同志を裏切った者の大罪を、厳然と天下に公表したい。学会本部に壮年・婦人・青年の代表が厳粛に集い、その時の会長を中心に、宗門の悪呂、学会の反逆者を書き連ね、その罪科を、血涙をもって後世に残したい。永久追放の証しとしたい。」(『創価のルネサンス』76巻P36)

会員はおろか、国会議員までも自分の仇討ちに使わせるような組織は、創価学会しか存在しないだろう。
「永久追放」とまで言い切った脱会者なかんずく法華講員を、脱講運動に回ることは自語相違になりますよ(笑)

まあ、池田氏の本心とは所詮こんなものだ。どこまでも自分のために組織を利用することは明らか。
大聖人の慈悲心とは似ても似つかない。



本当の聖教発行部数

2011-11-09 15:09:10 | 学会の動向

聖教新聞HPには
聖教新聞は1951年(昭和26年)4月20日に創刊され、旬刊2ページ建て、発行部数5,000部で出発いたしました。以来、半世紀の歴史を経て、今日では、日刊12ページ建て550万部を発行するまでに至りました。
http://www.seikyoonline.jp/seikyo/index.html
と紹介されております。

550万部はあくまで公称です。
会員数を5割増しにさば読みしていることからも、こんな数字は信じられません。

尚、聖教新聞社発行の媒体資料による発行部数推移
http://www.seikyoonline.jp/info/pdf/MediaData_MarketData.pdf

1951        5,000部
1960  1,000,000部
1962  2,000,000部
1965  3,000,000部
1969  4,100,000部
1978  4,450,000部
1991  5,500,000部
2010  5,500,000部

参考
●大白蓮華 280万部
●グラフSGI  120万部
●創価新報 150万部


破門以後、学会は2、30万人の増加を公表しながら、聖教はこの20年パッタリと伸びが止まった。
これは、学会は勢いがなくなったことを意味する証拠だ。
上記の部数はあくまで公称だが、『乱脈経理』に記載された内部情報によると1億7千万円捨て金庫事件により
1989  480万部→410万部に激減

捨て金庫事件の当の本人が脱税した金と記者会見したのだから、激減するのも当たり前と言える。

しかし、激減した部数は公表していない!
この時、聖教新聞の広告料金は下げたのであろうか?
広告代理店、広告主は知っていたのだろうか?
《聖教新聞社》と名乗っているものの、株式会社でも何でもない学会の一部門。であれば、公益法人として、一般企業を相手にさば読みした部数のパンフレットで、広告掲載料を得ていたとなるのではないか。聖教の収益は課税されてはいるものの、一般企業より格段に低く優遇されている。
時効ではあろうが、こんなことを平気でやってきたのが創価学会である。
まあ、広告主にとってはお付き合い広告ばかりだから関係ないが。


要は、410万部に減ったからといって、会員は何不自由しなかった。それだけ、取っていれば十分だったわけです。
550万部発行しているとすれば、その増加分は多部数により莫大な部数の負担を強いられていたと言うことになります。


ちなみに、池田さんはこの聖教の売り上げからこんな、恩恵に預かっている。
『聖教新聞社の地下に社員食堂があるが、この食堂部の仕入れ帳簿に「高級イクラ十人分」という項目があるのを目敏く見つけた(国税)調査員が、鋭く突っ込んで来た。
 「普通、社員食堂ではこんなものは出さないでしょう。それに、全員に出すには量が少なすぎますね。これは何ですか?」
学会側はしどろもどろになったが、これは勿論、池田大作先生の食事に供したもの。
「実は、池田家の食事材料の仕入れは、全部聖教新聞社の食堂部がやっているんですよ。つまり、大作さんが公私混同をしているんです。それがはしなくもバレてしまったわけです」(本部関係者)』 『乱脈経理』(矢野絢也 講談社)


関連記事
http://blog.goo.ne.jp/gakkaia-z/e/926b2a47d4ddd75797ecf78d9f297814


池田さん自身のこと

2011-11-08 20:36:43 | 学会の動向

平成4年1月5日の新春幹部会での、池田さんの珍言に次のようなものがあります。
何より、大聖人の教えを自己の権威のために悪用し、仏子を奴隷化する勢力は、大聖人への「師敵対」であり「極悪」である。「極悪」とは、断じて戦いぬく以外にない。絶対に屈してはならない。屈して、奴隷になり下がってしまえば、大聖人がお嘆きになる。
 私どもは、どこまでも大聖人の御心を、まっすぐに拝している。ゆえに強い。「大聖人直結」か、「大聖人利用」か。ここに、学会と現宗門との根本的な相違がある。「正邪」は始めから明白である。(拍手)

まあ、すべて池田創価のことを言っていると読めば、皆さん納得できます(笑)

『自己の権威』
と言いますが、権威に目がないのは池田さんだということは、世界に知れ渡っているのでは?
先日も、イギリスで「ガンジー・キング・イケダ展」なんてものを、自ら開いて猛アピール。→お恥ずかしい!
開いてくれる学会とは全く関係のない団体は、未だに出てこないのでしょうか?

また、池田さん自身が
「奴隷のように学会につかえよ」 昭和46年7月8日 社長会
と言ってたことはお忘れか?

続いて、
奴隷になり下がってしまえば』と言っているが、前年に学会は破門となっておりますし、完全な別団体です。それはあり得ないでしょうね。
おそらく、池田さんはこの時、台本を読まず感情にまませて前後不覚の言葉を発していたのでしょう。聖教で、編集したが意味不明の文章にしかならなかった。

極悪』
芸者写真・シアトル事件の捏造、全国で起こした正本堂裁判攻撃、暴力団との関係、脱税、ストーカー、嫌がらせ、盗聴・・・・
極悪ってどっち?


「大聖人利用」
と非難にておりますが、学会では現在でも破門前の指導集やら「人間革命」などを販売しております。これらの内容は今の学会指導とは正反対となっております。このような、役に立たないものを会員に売りさばくことは、金儲け以外の他に何の目的があるのでしょうか?
新入会者がこんなものを買って読んでも、悩乱するだけの話です。
やはり、公益性を害する集団と断じるほかありません。
非課税特権を受けた法人が、このような人を悩ます行為は断じて行ってはいけない。
まずは聖教新聞に「過去の学会指導は間違っておりました」謝罪するのが公益法人としての態度ではないのか。


独裁者

2011-11-06 18:36:05 | 池田大作とは

「先生がすべてを決める、すべてご存知」ということは会内の定説である。
だから私は学会員当時、「独裁者だ」と幹部に言ったことがあるが、「そんなことはない」
と否定していた。

では、創価大学の人事、給料、外郭会社の給料まで池田さんの一言で決められたいたことはどう否定するのか。
役員会で決めないこれらは法令違反ではないですか。
公明党幹部の人事も、池田さんの意のままであった。
これを独裁と言わずして何と言うのでありましょうか。
創価が言う民主主義とはこういうことなのでしょうか?


『懺悔の告発』(山崎正友 日新報道)によりますと
《創価学会本部に入って最初に手がけたのは、法人設立以来の書類の点検だった。
 昭和四十五年当時の創価学会の事務は、まるでドンブリ勘定のうえ、宗教法人として
の事務処理は全くなされていなかった。会社の取締役会にあたる責任役員会も開かれずに、役所への届出の必要に応じて議事録を適当に作っていたから、同じ日時に、違う場所で同じメンバーが三回も役員会を開いた、というような記録が残っていた。逆に、予算や決算等、必要な事項についての議事録が欠けていた。(中略) 
 私の仕事は、まず、法人設立以来の議事録を全部作り直し、会計帳簿を根本から作り
直すことから始まった。》
とあります。つまり、改ざんを行っていたわけです。この度、出版された『乱脈経理』(矢野
絢也 講談社)において、その真実性が裏づけられますのでお読みください。

では、池田さんはどのような鶴の一声で、この集団を左右していたのか。その一例はつぎの通り。(社長会からの発言記録↓)

●創大人事
「創価大学の人事を決めたい。一応、仮理事長に飛田君、主任理事岡安君、あと篠原、
宮林、秋谷、原島、上田、桐村、森田、小山内を決定して、どんどん進めていく。今迄の委員会はその儘で良いが、主体はこの執行部に移って、皆で飛田、岡安を応援して行き、思い切ってやらせる。」1968.11.21


●創大の給料
「大学教授の給料は今迄の1.5倍位にしよう。白亜の宮殿が大ゆれにゆれて、その後で
本当の白亜の殿堂ができるんだね。最高の教育をしましょう!最初は少人数で、核を固めながらいきましょう。」1970.1.27

 
●独断決裁
「本部の裏に200坪、7階のビルを作る」
「総坊にあと10軒つくる。一軒はラーメン屋(博文)と一軒は聖教直営店をつくる」昭和43年12月27日

「九州の林田温泉、霧島の麓に12万坪買う」
「68万坪に独立国を作ろう。創価王国、創価共和国だな」

●社長、社員の給料
「社長の給料を上げる。自宅を買え、但し成績があがればだ」昭和46年4月13日

「全社員に7月17日を記念して、特別賞与1カ月分を出して下さい」昭和43年7月8日 

●公明党選挙人選
「小島君は衆議院はやめだ。社長会のメンバーとして人間を磨き、立派に成長してゆけ」
昭和43年3月22日 

「三年先の参議院は北条、柏原でやろう。衆議院もそろそろまとめよう。大久保だな、大沢の代わりに。小島のところは山崎か秋谷だな」昭和43年7月8日 

「公明党の体質も変えなければいけない。大久保の使い方もまずい。竹入は使いこなせないし、矢野には統率力がない。(中略)中川、鳥居等も入れてゆけ」昭和45年5月5日 


最後に、独裁者の一言を
「私が教わったのは帝王学だ。私は最高権力者になる。そのときには創価学会を解散し
てもいい」(『現代』昭和45年7月号)