友人葬について、聖教新聞7月2日付で、原田会長らの紙上座談会で語られているが、これまでにない驚くべき内容となっている。
創価学会員の葬儀については、その家族の意思とは関係なく、周りの幹部らが友人葬を執り行うくらいの執念をみせてきたが、最近では、そうではなくなってきたようである。
聖教では、「家族葬」「直葬(火葬するだけ)」を認め、挙句の果ては、儀典長を呼ばなければ、「友人葬が成立しない」ということでもありません。とデタラメ発言。
幹部は、友人葬をしたがらない現状をを認識したようだ。
学会員は今や、財務に財産をつぎ込み、「直葬」するしかなくなったというのであろうか。
紙上では、これまで同様、信心をしていない方々からも、「すがすがしい気持ちになりました」「感動しました」などと掲載しているのだが、実際には、こんな状況を耳にする。
ケース1.
池田家一族の友人葬において、霊柩車も配車せず、本部、葬儀社と決定的な決裂に至った。
ケース2.
儀典長が故人の名を読み間違えた。
ケース3.
1000人ほどの参列者がいる中、儀典長の読経がボソボソと小さな声で、何をいっているのかわからず、嫌な雰囲気になった。
ケース4.
幹部へ塔婆、戒名を頼むと、50万円も要求してきた。
そもそも、友人葬なるものを大聖人は教えておらず、御書にも当然ない。
「法華を悟れる智者、死骨を供養せば生身即法身なり。是を即身といふ。さりぬる魂を取り返して死骨に入れて、彼の魂を変じて仏意と成す。成仏是なり。即身の二字は色法、成仏の二字は心法、死人の色心を変じて無始の妙境妙智と成す。是則ち即身成仏なり。」(木絵二像開眼之事)
と大聖人が御指南されいるが、学会員はどうやって死者の魂を呼び戻し、成仏に向かわしめるというのであろうか。
即身成仏するどころか、友人葬こそ堕地獄の儀式にほかならない。
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