創価学会の没落

悲鳴をあげる学会員

創価学会の友人葬離れ!!

2018-07-03 20:24:07 | 学会の動向

 友人葬について、聖教新聞7月2日付で、原田会長らの紙上座談会で語られているが、これまでにない驚くべき内容となっている。

 創価学会員の葬儀については、その家族の意思とは関係なく、周りの幹部らが友人葬を執り行うくらいの執念をみせてきたが、最近では、そうではなくなってきたようである。

 聖教では、「家族葬」「直葬(火葬するだけ)」を認め、挙句の果ては、儀典長を呼ばなければ、「友人葬が成立しない」ということでもありません。とデタラメ発言。
 幹部は、友人葬をしたがらない現状をを認識したようだ。


 学会員は今や、財務に財産をつぎ込み、「直葬」するしかなくなったというのであろうか。


 紙上では、これまで同様、信心をしていない方々からも、「すがすがしい気持ちになりました」「感動しました」などと掲載しているのだが、実際には、こんな状況を耳にする。

ケース1.
池田家一族の友人葬において、霊柩車も配車せず、本部、葬儀社と決定的な決裂に至った。

ケース2.
儀典長が故人の名を読み間違えた。

ケース3.
1000人ほどの参列者がいる中、儀典長の読経がボソボソと小さな声で、何をいっているのかわからず、嫌な雰囲気になった。

ケース4.

幹部へ塔婆、戒名を頼むと、50万円も要求してきた。


 そもそも、友人葬なるものを大聖人は教えておらず、御書にも当然ない。

「法華を悟れる智者、死骨を供養せば生身即法身なり。是を即身といふ。さりぬる魂を取り返して死骨に入れて、彼の魂を変じて仏意と成す。成仏是なり。即身の二字は色法、成仏の二字は心法、死人の色心を変じて無始の妙境妙智と成す。是則ち即身成仏なり。」(木絵二像開眼之事)
と大聖人が御指南されいるが、学会員はどうやって死者の魂を呼び戻し、成仏に向かわしめるというのであろうか。
 即身成仏するどころか、友人葬こそ堕地獄の儀式にほかならない。