創価学会の没落

悲鳴をあげる学会員

学会歴代会長がつるし上げしていた!?

2018-12-17 15:13:21 | 学会の動向

 かつて学会の幹部が僧侶をつるし上げをしたことは、歴史的事実だが、驚いたことに北条元会長、前会長・秋谷氏、現会長・原田氏までもそれにかかわっていたという、当事者である僧侶の手記が存在している。

▼▼▼引用▼▼▼
池田門下の優等生といわれた原田稔副会長、野崎勲青年部長(当時)らに、青年御僧侶たちが、次々に学会本部や各地方会館に呼ばれ、延々六時間から九時間にわたって「土下座しろッー」と怒鳴られ、罵声を浴びせられ、あげくの果て「詫び状」まで書かされたという、とても普通の常識では考えられぬ事件であります。
(中略)
 まず、つるし上げを受けた一人、福井県・宝珠寺住職の栗林開道師の特別手記からご紹介しましょう。

(略)それは、忘れもしない昭和五十二年二月十二日、午後三時から夜中の十二時半まで約九時間、野崎(当時男子部長)、原田(当時青年部長)、中村(当時関西青年部長)、魚谷福井県長、橋本県青年部長の五人によって、さんざんツルシ上げられたのであります。( ほとんど原田、野崎の二人がどなっておりました)
 その時の私の気持は、妙に冷静で相手のつり上った目とか、いろいろな言葉とか表情が、いまでも手に取るように浮かび覚えております』と、当時のなまなましい状況をリアルに表現し、
 『(略)十二時近くなって原田(副会長) が「お前がガタガタ文句を言うから、こんなに長くなったんだ!」「詫び状を書け! 」「書くまで帰さん!」と言われた時は非常に腹がたった。
 その翌日と聞いておりますが私の「詫び状」を幹部会の席上で、鬼の首を取ったかのようにして、全員に見せたそうです。
 十四日には、学会本部で五時間半もやられました。その時、別れぎわに、秋谷副会長に、二度とこんな事をしたら、ただじゃ置きませんよ」と言われました。私は生涯、この言葉は忘れることはできない(略)』
と、固く心に誓っておられます。
(中略)

 松本珠道師は、その一週間前の一月二十日につるし上げ第一号になった千葉県・蓮生寺の菅野憲道師(当時、現大阪・源立寺住職) と同様、「富士学報」(宗門理論誌) 第五号に掲載された論文が、学会からとがめられたものです。
 『午後五時頃に学会本部へ着き、二階の部屋(注- 第六応接室) で待たされること十五分前後、北条理事長、秋谷副会長の二人が横柄な態度で入ってき、ソファに座る。型通りの挨拶の後、謝罪させられる。(略)』
 と手記はいよいよ核心に入り『北条氏は「(略)お前は節操のない、いい加減な奴だ。大体、お前の論文は、菅野憲道の論文より、もっと悪質で、たちが悪い。菅野憲道の論文は、読めば学会批判ということがすぐにわかるが、お前の論文は気を付けて読まないと看過してしまう。よく読まないと学会を批判していることがわからないから、知能犯的なたちの悪い、悪質な論文だ」
と罵り、(略)横から秋谷氏が「左京日教というのは、法主におべっかをつかって、のし上ってきた奴だ。お前は、左京日教と同じだ。法主におべっかをつかって、のし上ろうとしているんだろう。(略)お前は僧階はなんだ」と喚くので、「講師です」というと、秋谷氏は「講師にもなって、その程度のことも知らないのか。法主におべっかをつかうんじやなく、先輩に聞けばいいんだ。先輩に聞かないからそうなるんだ。猊下の弟子だと思って偉そうな顔をするんじやないよ」と、顔に似て爬虫類を思わせるような調子でいう』
(『創価学会からの脱出』三一書房)
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