この一年で学会本部には、池田さんの相変わらずの“元気偽装”が続く中、側近幹部が離反する動きが表面化している。
まずは、古い会員にはショッキングな池田さんの懐刀・中西治雄氏の日蓮正宗復帰。続いて、公明党の下野に伴ない、再登板の動きを見せていた秋谷元会長の突如、宗門復帰の噂から行方不明に。少なくとも学会活動の形跡なし。
「白バラ通信 パンドラの箱」(香川大教授のサイト)で浮き出た、池田本のゴーストライター・野崎至亮副会長の離反。
野崎氏は昭和50年代の月刊ペン裁判で原島嵩元教学部長の証言によると、自分も池田氏に嫌悪感を持っており、原島氏に続く旨の言葉を言っていたとされる人物である。そして、60歳にしてガンで亡くなった野崎勲副会長の兄である。
香川大教授VS学会本部の法廷闘争の中、教授のサイトに奇しくもこんな模様があぶり出された。
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さらに、山本氏は、私の妻が「和田氏や野崎至亮氏(元創価学会副教学部長、以下野崎氏と記述)氏などの4人によって、夫の信心がおかしくなった。」と言っていると告げました。妻は、「この4人のせいで、夫と息子の信心がおかしくなり、夫は、創価学会は悪の巣窟であり、池田名誉会長はカルトの頭目であると述べるようになった。」と述べていると、山本氏は発言しました。
(中略)
ところが、野崎氏との出会いで、池田会長の発言は誤魔化しであったということが分かりました。野崎氏によれば、池田氏は、相手が自分では答えられない質問をしようとしていると感じると、先手を打って、「自分で解決しろ。」という言葉を連発するとのことでした。この言葉で、相手を誤魔化すのだと言われました。
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と、つまり現役の山本副会長、高倉教授(学会員)の両氏から野崎氏は離反の動きを示していることが明らかとなったのである。
学会本部からは他にも消えた側近幹部がいるが、末端会員はベールの中のことでありまったく事情が分からない。さらに、いつの間にか亡くなっていたという幹部たちも続々。なぜ、お世話になった会員に訃報を伝達しないのでしょうか?
池田さんの手足となって指導に回るのが側近幹部の仕事であるが、その幹部らが永続的に離反していくのが学会の現状だ。
会員はその側近幹部の指導を信じて活動しているのであるが、これではその根拠が崩壊しているのに等しい。
なんと馬鹿馬鹿しい組織でしょうか。
なお、最近、池田氏が学会研修所や学園で、激励に歩いているそうですが、目撃した会員は詳細をご一報ください。
※訂正
「歩いている」 のではなく車に乗っての誤り。歩行は不可能かと思われます。(笑)
創価学会はあくまで信徒の集まりという身分をわきまえず、創立当初か ら身勝手な行動に終止していたことは、ネット時代になって随分周知さ れてきました。
牧口初代会長は、個人的な価値観に日蓮正宗の教義を利用し「創価 教育学会」設立。猊下に背反し獄死。
戸田二代会長は、別教団ともいうべき宗教法人創価学会を設立。
池田三代会長は、勝手に板本尊を作製し宗門離反工作、弾圧路線。
この学会の歴史からして、信徒を装った「創価学会」宣揚集団であった ことは明らかで、あくまで信徒にすぎない学会には大聖人の仏法は存 在しない。ただのまやかしである。
この立場を見失った集団が、昭和40年代後半から始まった宗門批判、教義逸脱52年路線は、今、その歴史の項目だけを見ても凄まじいものがある。
その52路線の渦中、この人間の頭の中はどうなっているのかと思える 、二枚舌さながらの発言を内部資料からお見せいたします。
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52年1月2日 広布会 関西・白浜 (池田会長発言)
実は広布会ということについては、新聞でも発表したと思いますけれ ども、きょう、第一回のお集りを願いいたしまして、お寒いところ、また遠 いところたいへんに恐縮に存じております。
これは、十年、二十年、五十年、百年先のために今から、いろいろと 、端的にいいますと、お寺と総代、いわゆる寺院・僧と信者との関係を きちっとしておかないと、ほんとうの僧俗一致もできなくなってしまう、そ れから、だんだんその辺からあいまいになってくると堕落してしまう。こう いうような意味から、広宣流布達成への規範をある程度、きちっとして おかなくてはならないのではないか。こういう、強い副会長等のお話し や県長級のお話しやその他、本部の部長級からも再三となく、しん言が ありまして″わかりました″とじゃあ、総代の方々にもよくお集り願いま して、これからのことをよく協議しながら、理想的なものをつくろう、こう いう意味で、広布会という名前にし、広布という中には令法久住も含ま れると思いますし、きょうの第一回の集会になったわけでござ二ます。
(中略)
いろんな中堅幹部や総代さんの中からも、八方から、僧さんの非常に よくない話が、入ってきたわけなんです。何回も何回も入ってくるのです 。そうでしょう。であるけれども、全部、守ってあげなさいといって、最大 限に私は厳命して、よう護してまいりました。これだけのすい亡の一途
をたどっておった宗門も、世界的な宗門にしたことは事実なんです。お 金がないとき、ご供養し、正本堂をはじめとして、折伏もし、もう難は一 身に創価学会がうけながら、今日の大興隆、千人前後の僧侶までした わけです。
(中略)
猊下が体で、根本で、本門の大御本尊○迹だというのだから、それが 一番正しいんだという論調になっていたり、池田会長のことを御本仏と いっているから、けしからん、みなさん、いいましたか、御本仏と、そん な仏(ほっとけ)の話なんかわざわざつくって本山にざん言するのです。
なんでも、今度の論文もそうなんです。会長は御本仏と学会はしている と、私が御本仏といって・・・だれかいったねえ区長さんが、御本仏だっ たら向こうから拝みにくればいいじゃないか。ゼニばかりとって。
(『創価学会・公明党の研究』段勲)
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この会には学会員だけでなく、法華講員が同席している場であったこと は池田氏自身が説明している通りです。
この会での発言のテーマは僧俗一致にあったはずだが、池田氏はそん な気はさらさら無くむしろ、宗門をいかに叩くかに終止し、その地位を陥れることを目的としたことが読み取れる。言葉づかいからも正常ではないことが感じられる。
法華講員はもし、僧侶に何か不穏なことが起きても根本の師・大聖人、 時の猊下、所属の指導教師(御住職)という筋目を踏まえているので、 信心を左右されることはないが、前述したように学会は歴代会長の行 動に明らかなように、師弟子の筋目を知らない。
この筋目を初代会長がわきまえ信仰をしていれば、池田氏のこの会で の発言も無かったかもしれないが。
少なくとも、「化儀抄」を知っていた池田氏が、誰とも分からぬ僧侶の批 判を集会の席で公言することは、謗法であることを気がつかなかったか と思う。もはや宗門の教義など眼中になく、自分こそが大聖人と言って いるのと同じ状態だ。大聖人へご供養された信徒には見られない、「自分が宗門にしてあげた」の押し売りの程度の低い内容である。