創価学会の没落

悲鳴をあげる学会員

選挙活動は法令違反

2010-07-29 20:20:16 | 公明党・選挙

政教一致論議の中で学会幹部は“憲法で認められた自由があり、学会は選挙活動ができる”と主張するが、果たしてそうなのか検証する。

おっしゃる通り、一信者が選挙活動するのは自由だが、教団主導で行うことは事前に許可が必要であることが、宗教法人法で分かる。そんな、たやすい問題ではないことを言っておこう。

そもそも、
学会の会則・目的には「政治活動を行う」などということは一切記載されていない。
http://www.sokanet.jp/sg/FWIM/sn/soka-info/information/rules01.html
宗教法人法では、もし政治活動を行うのなら、所轄官庁へ規則の変更を届け出、認証を受けなければならないのである。
会社で例えるなら、定款に載っていないことは行えないルールがあるのと同じだ。

宗教法人法(宗教法人の能力) 
第十条 宗教法人は、法令の規定に従い、規則で定める目的の範囲内において、権利を有し、義務を負う。


どうでしょう、当たり前だが、規則で定めた範囲内のことしか行えないことが分かったでしょう。

これに違反すれば、ちゃんと罰則もあります。

第十一条 
宗教法人の目的の範囲外の行為に因り第三者に損害を加えたときは、その行為をした代表役員その他の代表者及び決議に賛成した責任役員、その代務者又は仮責任役員は、連帯してその損害を賠償する責任を負う。


法令に乗っ取って言うならば、半世紀に渡り違反行為を繰り返して、日本の政治をかく乱してきた罪は計り知れない。

活動家の中には、「選挙は自主的にやっている」とバカげたことを言う者もいる。
F獲りの報告をはじめ、学会本部と公明党との連絡協議会、選挙対策資料が学会から配られる・・・山のように証拠があるのだから、そんな言い逃れは通用しない。
学会の選挙活動はあえて裁判で争うまでもない“公知の事実”として決定されているといって良い。

認可が得られる可能性はゼロだが、もし、認可を受けて活動するならば、そこには必ず施設使用など行われ、課税が生じることになる。
今現在、学会が政治活動を行うと、間違いなく法令違反・脱税行為となるのだ。

国会議員が票田を利用しようとすることから、このような宗教法人の違反行為を見逃してきた経緯があると思うが、二重三重の罪を犯す行為を許すことはできない。


血脈不相伝の出処

2010-07-24 09:36:03 | 学会の動向

根拠のないウソ
相変わらず「二代渡って血脈のないニセ法主」だのと言いがかりをつける学会でありますが、学会の狂学「大聖人直結」の立場からすれば、そもそも血脈相承の儀式など必要ないのだから、ニセでも何でもないことになってしまうね。こんな子供騙しに引っかかるのはバカらしい。

そもそも日顕猊下が相承を受けていなかったとするデマは、山崎正友を炊きつけた正信会から発信されたことを知っているのか。

処分撤回を狙った正信会の企み
【経緯】
昭和55年10月
正信会 目黒の料亭で“懲戒処分を覆すための密談”。
法主自身が資格がなければ、処分は無効になる」と戦法を決断。

山崎氏に「法主不相伝の疑義」をぶち上げてくれるよう依頼。
相承の儀式がないのだから、血脈相承がないのだ」と吹聴する。

昭和55年11月20日号
『週刊文春』で法主の不相承を掲載。
学会を除名ととなった山崎氏は正信会側に付き、日顕猊下が相承を受けていない旨の手記を掲載。

昭和55年12月13日 
正信会 宗門に「質問状」送る。
「週刊文春を見ますと、山崎正友氏が、法主相伝に疑義がある旨の手記を書いております。(略)大講頭を務めていた信者として、あえて書かれた右手記を読むと、非常に真実性が感じられ、我々僧侶としては右手記の記載が正しいのではないか、と思わざるを得ない



正信会の元議長・副議長が
「じつは日顕上人への相承はあった」
と驚愕の爆弾発言

過日法華講員有志が正信会新旧幹部を訪ねた際、かつて正信会の正・副議長を務めた、渡辺広済・佐々木秀明の両氏から、次のような爆弾発言が!

「日達上人が、次はあの人(日顕上人)に譲ろうと思っていたことは間違いない。」


私も佐々木(秀明)も、日達上人から『次は阿部(日顕上人)でいこうと思っているんだ』ということを聞いている。(日達上人が日顕上人を六十七世として選定されていたことは)間違いない。」

「(日達上人から日顕上人への相承があったと認めたことを)他で話してもらっても構わない。」 (佐々木秀明元副議長)

平成16年5月1日 第272号 『慧妙』
http://www.myokan-ko.net/lib/lib.soshinkai-1.html

学会の信条「ウソも100回つけば本当になる」

三代会長の間に、相承なるものも存在しなかった事実をどう説明するのか!


公明が言論弾圧

2010-07-20 18:36:54 | 公明党・選挙

公明が学会の手先で言論弾圧
学会がアンチ勢力封じに公明党を使っていたいたことは数々存在するが、その中でもあまり知られていない、もう一つの言論弾圧劇を紹介しましょう。

時は、内藤国夫、植村左内が受けた言論出版問題の最中。かの有名な「月刊ペン」裁判で有名になった隈部大蔵氏は、その事件の前に公明から言論弾圧を受けていた。

公明副委員長・北条が恫喝!
昭和43年9月
学会批判書の出版を許さないとして、
公明党副委員長・北条浩は隈部氏を、都内ホテルに呼び出し、以下のような言葉で恫喝した。

北条 「隈田洋『創価学会・公明党の破壊』という学会批判書の著者である隈田洋を、今日まで半年がかりで探した結果、やっと探し出した。この隈田洋なる者が、ここにいる隈部大蔵その者だ。人違いであるとは、絶対に言わせない。

隈部 「・・・・」

北条 「よく聞いたがよい。たとえていえば、創価学会は『象』それも巨象だ。これにくらべてお前は一匹の『蟻』だ。創価学会を批判する輩に対しては、たとえ一匹の蟻といえども象は全力をもって踏みつぶすのだ」

国家権力の立場にいる人間から恫喝され、隈部は青ざめおののいた。

当時、西日本新聞社の論説委員であった隈部は、学会副会長を兼任していた北条から、出版差し止めのため恫喝を受けた。
この時、北条は何を思ったか学会批判書であるにも関わらず、公明副委員長の名刺(写真上)を差し出した。学会最高幹部の立場ではなく、国家権力の立場を利用して封殺を図ったのである!

隈部が学会批判書を書いたのは3冊あり、『創価学会・公明党の破壊』は最初のものだったが、即時絶版に追い込まれ、世に出回ることが絶たれた。2冊目は執筆を断念、三冊目『創価学会、公明党の解明』は印刷過程で学会に知られることを避けようやく出版に辿り着く。

尚、この時のやり取りは国会で問題となり、共産・不破議員が佐藤首相に対し、内容を読み上げ不正を追求している。

不破 「そのときに証言された内容を簡単に紹介申しますと、一万部実際に刷り上ったけれども、印刷の過程から、出版の段階から、最後に本がでた段階まで、あらゆる圧力が加えられ、著者自身が検印までしたにもかかわらずついに一冊も売られなかった。出版社の社長さんがまわりからの圧力で非常なノイローゼ状態に陥って完全に“まぼろしの本”としてつぶされてしまった」

【憲法 第二十一条】 言論、出版の自由の保障
「検閲は、これをしてはならない」(同条二項)


言論妨害事件を受けて池田会長が陳謝
昭和45年5月3日 本部幹部会(日大講堂)
「結果として、これらの言動がすべて言論妨害と受けとられ、関係者の方々に圧力を感じさせ、世間にも迷惑をおかけしてしまったことは、まことに申しわけありません。(中略) 確かにこれは、それ自体として法律に抵触するものではなかったと思う。しかし私は、法に触れないからかまわない、というような独善的な姿勢ですまされる問題ではなく、まさに道義的に考えなければならないもっとも大切な問題だと思うのであります。
 今回の問題をめぐって幾多の新聞、雑誌にフランスのヴォルテールの次の言葉が引用されております。それは『私は、お前のいうことに反対だ。だが、お前がそれをいう権利を、私は生命にかけて守る』という有名な言葉であります。私は、これこそ言論の自由の根本だと思う


ヌケヌケと池田は「法律に抵触するものではなかった」と演説したが、圧力をかけたことを認めているのだから、その行為は完全に抵触しているが、法に罰則が設けられていなかっただけだ。

しかも、池田は反省の姿勢を見せたにも関わらず、一ヶ月後、圧力を掛けた本人にこんな手紙を送っている。

池田の前言を反故、再び言論弾圧!
昭和45年6月
【学会から送られた書面の趣旨】
「今回の『創価学会、公明党の解明』と題する創価学会批判書の出版は、論説委員会における論説委員同士の信頼関係を傷つけるものであるので、そのようなことは今後絶対にしない旨の始末書を提出せよ

昭和51年
隈部はこの不正を糾すべく、「月刊ペン」で再び学会批判記事を掲載。
これにも、当然、学会は公明を使いさらにエスカレートした
圧力、妨害を加え大問題に発展。

言論妨害事件には、公明首脳(委員長、書記長、副委員長)が関わった!

許せますか、こんな反社会組織!


引用
『もうダメだ!池田大作・創価学会』石井照次郎 中央書林


検証「学会の法令違反」

2010-07-17 18:27:21 | 学会の動向

宗教法人としての学会に、どこに違法性があるのかを検証したいと思います。その疑いは、戸田会長逝去直後に遡ります。
では、時系列で。

S33.4.2   戸田会長逝去
S33.6.30 池田、会則にない総務を創設、就任。
目的「理事長のもと理事室を代表して事務局及び各部を統括する」
※つまり実力行使により責任のない池田らが学会を運営していた


S34.6.2  参院選出馬
(石田次男 理事 聖教新聞編集長、小平芳平 教学部長、原島宏治 理事)

S34.6.30 池田 理事に就任(ほかに北条、森田、龍)
※理事席が7から15に増設、池田派が多数を抑える。
(参謀室から理事室内、学会事務局に北条、森田、秋谷、多田らが入る)
池田はこの時、はじめて責任役員となる。


S35.5.3 池田 第三代会長に就任
※小泉理事長を外し、会長推薦に回った原島氏を理事長に

これら、一連の池田派による工作に対し、内部でアンチ組織「顕徳会」が結成(蒲田支部、大阪支部、男子部部隊長ら)。しかし、学会首脳部は宗門に働き掛け除名処分に。

【宗教法人法】 第三章 第十八条 
3.代表役員は宗教法人を代表し、その事務を総理する。
4.責任役員は規則で定めるところにより、宗教法人の事務を決定する。

とあるように、責任役員の決めた規則に従って運営されなければならない。

【総括】
戸田亡き後、小泉理事長が代表役員に就任。法的にはナンバーワンとなっていた。
池田は、戸田の死後早くも総務を創設し、学会乗っ取りの工作を始める。ところが、この「総務」は学会規則にも存在しない、幽霊組織。当時、池田は責任役員にもついていない状態でありながら、学会を仕切っていたことになる。はっきりと分かる法令違反状態だ。

会長就任劇は池田派によるクーデターとも言える実行支配によるもの。実態は、「三顧の礼」のような推挙であったわけではない。

会長勇退後も再び!
この類の法令違反は言論問題後、池田は代表役員を降り会長、名誉会長と役職を変えたが、法的権限のないただの名誉職。会長乗っ取り劇の時と同じ行為を繰り返した。
しかも、二回目の行為においては、原島元教学部長、矢野公明元委員長らが(責任役員でないだだの指導者)池田が学会の全ての決済権を握っていたと告発。
その証拠となる、「報告・決済書」の実物が公表された。
http://blog.goo.ne.jp/gakkaia-z/e/a15f6e66459dc38b3314431507e33390

教義指導だけならまだしも、法的責任を持たない者が、「多額の浄財の使い道を決める」ことは法規上許されない。
学会は、「最高会議で決定している」とうそぶくであろうが、社会、監督官庁への欺きである。


池田創価学会の歴史は違反によって誕生し、独裁体制の中で今猶、続行中。公益法人を私物化する許されない行為を行っているのである。


会員はゴミ扱い

2010-07-14 19:21:27 | 学会の動向

かつて、学会は「僧の俗も平等」と発言し、宗門批判をしていたね。
だが、学会は平等どころか、宗門の上にに立って支配する謀略を計画していた。どっちなんだい!?

権威も権力も貪っているのは、学会であることは明白だろ!

しかも信心は皆平等と言いながら、学会の信心にはちゃんと序列があるよね。

池田---本部幹部---会員

池田の次の位にくるのは当然、会長となるわけだが、その会長を「卑怯者、畜生」と罵っている。
だから、一般会員がいくら信心に励んでも、所詮、畜生以下であることになる。永遠に池田の僕(しもべ)であることに変わりはない。

では、その文証である学会トップたちによる座談会を再度、検証願いたい。

2007年7月31日に行われた「聖教新聞」紙上での原田会長を交えての「青年部座談会」

谷川 厳しいことを言うようだけれども、学会にあっても、4代、5代は何も悪口罵詈されていない。難も受けていない。全部、ただ池田先生お一人に受け切っていただいてきた。

佐藤 その通りだ! 誰もが、そう思っている。

原田 4代も、5代も、6代も、全く難がない。何一つ批判されたこともない。もう一歩深く、師匠をお守りする責務を果たす戦いをすべきだった! 本当に申し訳ない。

谷川 4代は、あの極悪のペテン師・山崎正友に騙されてしまった。お金を騙し取られたり……とんでもなかった。これは、当時の執行部も同罪です。後輩として、将来のために明快に言っておきたい。

原田 全く、その通りだ。5代も本来、池田先生をお守りすべき立場であるにもかかわらず、すべて池田先生に護っていただいた26年間であった。先生お一人で矢面に立ってくださった。

谷川 本当に、そうですね。池田先生の計り知れない大恩を思えば、皆、これから一生涯、命を賭して師匠に御恩返しをしていくべきだ。そうでなければ、畜生と同じだ。卑怯者だ。

竹内 そうしなければ、後輩から笑われ、後世に厳しい非難を受けていくだけだ。

原田 そうだ。私自身、心して池田先生への報恩の道を貫き通していく決心である。これが、全会員に対する感謝であり、これが、広宣流布の原動力であるからだ。

まあ、私以上に口汚い谷川も問題だが。(笑)
その谷川副会長は、この座談会の7年前に「アエラ」のインタビューでこんなことを言っていた。
「(ジャーナリストの)浅野健一さんが人権擁護を訴える創価新報の同じ紙面に、(日蓮正宗僧侶の)人格批判が出ているのはおかしいという論議はあります。今後は軌道修正もあり得ます
なんと、懲りない男か!

会長を一般会員が“卑怯者、畜生”と批判できるでしょうか?

学会幹部が会員をどう思っているかしかるべしです。


どんなに頑張ったって、会長以上の信心できないでしょ。所詮、ゴミ扱いです。
学会員はあくまで、池田ファミリーにとって、集金・集票マシーン!
それ以外にないですよ。早く気づきましょう!


「学会っ子は名前もいらない、金もいらない、身体もいらない。奴隷のように学会につかえよ、それが御本尊様につかえる事だ」池田大作 昭和46年7月8日 社長会


学会世帯数の推移と得票数

2010-07-13 18:22:29 | 公明党・選挙

得票数で学会世帯数が分かる!
創価学会の得票目標は、地方選にしろ国政選挙にしろ概ね、その選挙区の実際の学会世帯数の3倍におく。この計算に基づいて候補者を立てている。「めざせ1000万票」の目標は多少ハッタリであるが、実世帯数を念頭においてのことである。世間から笑いものにされるため、公称827万世帯×3倍の目標は決して立てない。

しかし、現実の獲得票はおよそ2.5倍。
これは昭和30年代から今日まで変化していない。

実世帯数の2.5倍を超えない得票数
ちなみに、参院選における得票数は
昭和31年 学会世帯数の2.44倍
昭和34年 学会世帯数の2.32倍
である。

今回の参院選での得票数から自民の協力票を引いた、七百数十万票から計算すると、学会の実世帯数は280~290万世帯という実態が分かる。
実は、学会の歴史の中で、これが世帯数のMAXである!

【計算例】 2,900,000(世帯)×2.5倍=7,250,000票

5、6年前の国政選挙で学会は800万票以上を獲得したことはあったが、小泉政権時代で、一時的に異常に跳ね上がったレアケースとしておいて置く。

ここ数回の国政選挙で公明が確実に票を減らしている原因として、学会の弱体化と自公連立当時300万人を超える党員を擁していた自民が、今日では1/3にまで減少していることも影響している。

会員数は30年前から横ばい
上の表を見ると、公明の獲得票、学会の世帯数は昭和50年代から変わっていないことが一目瞭然!
公称世帯数だけは微増させているが、あくまで内外に対するプロパガンダに過ぎないのである。

しかも、学会は自ら起こした波(言論問題、52路線、平成の宗門問題)を3度経験し、その都度、大量に得票を減らしたことから、大量の脱会者が出たことを裏付けられる。4度目の大波は、座礁・沈没か。

「広布流布、広布流布」と叫んだところで、昭和50年代からは増えた分、減っている、行って来い状態。実際には何ら増えていないことが証明されている。

だから、池田の指導力といっても、戸田会長の残した勢いによって200万世帯が増えたに過ぎないといえるだろう。学会は300万世帯を超えたことはないのである!

今、宗門を始めとするアンチ勢力の攻撃に遭い、確実に学会は衰退現象を見せているのである!


哀れ、学会三連敗

2010-07-12 09:22:08 | 公明党・選挙

アンチ学会の皆さん、おめでとうございます!
創価にレッドカード!(笑) 


国政選挙三連敗!2議席減!

2004年 参院選 862万票(比例区)
2005年 衆院選 899万票(比例区)
2007年 参院選 776万票(比例区)
2009年 衆院選 805万票(比例区)
2010年 参院選 7,639,437票(比例区)

今回も全国では自公の選挙協力、票取引きが行われていた。そのような状況の中でも、票の伸びも止まり、3回連続で議席減少を内外に示した。

今回の参院選は自民が大勝したにも関わらず、比例では民主に大差をつけられ負けという珍現象。自公協力によって、相当数の票が自民側から公明に流れたと想像できる。
民主党 18,450,140票(比例)
自民党 14,071,670票(比例)


何といっても、去年の衆院ショックは少なからずの活動家の足を止めたはずだ。一旦、選挙活動の足を止めた者は、以前のように必死に動くことはない。これが、今後の選挙にも徐々に、効き始めることになる。

そもそも、公明党が学会とのパイプ役として暴力団と関係があったと知っていれば、投票する選択肢自体あり得ない。クリーンを訴える公明は、国会で身の潔白を証明しなければ「うそつき」と呼ばれる。

池田は昔、国政選挙の度、多額の餞別を集め海外豪遊していた。さすがにバリ活だった当時の私も不信を覚えたものだった。
投票にも行かない指導者に叱咤され、何の徳もないのに身銭を切り、全国に応援に駆りだされる会員は実に哀れだ。テレビに映る狂信者の目つきも、昔の学会員とは明らかに違う。

今回の結果を受けて、会員の学会不信は拡大、脱会者が増加することは間違いない。


池田氏の容態と今後

2010-07-11 11:45:24 | 池田大作病状

6月にはとうとう、大作さんは大事な本部幹部会を欠席。この席で、「皆が、創価学会のすべての責任を担って戦う時が来ているのである」と伝言された。

後継に託す旨の言葉は、年頭の本幹でも言っていたと記憶するが、80周年の佳節はいよいよ「後継に」との腹が決ったようだ。
その最大の原因と言えるものは、5月13日に名誉称号を貰い記念撮影を行って以来、姿を見せられなくなった体調の激変であることは間違いないだろう。ここ2年間の大作さんの容姿の変化は隠せないものがるし、もう以前のような体調には戻らないと本人が自覚したものと思う。

そんなに体調が悪いのに、一体どこに居るのか?と憶測される。それは2ヶ所に絞られる。一つは、池田専用医療施設が設けられている南元町会館内、あるいは渋谷の会館で治療・療養している。二つ目は、お隣の慶応病院に極秘入院している可能性。これくらいしか考えられない。

だからといって、原田会長らに全てを任せるはずはない。誰かが、反逆行為を行わないかとじっと監視することにぬかりはない。

今後、体調が悪くなるに連れ、家族くらいしか面会できない状況が続く。その時に、「池田本仏」の指導を正しく伝える役目を負うのが博正、香峯子親子となる。
6月の本幹は、父の行動は如何なる想いであったかを披瀝し宣揚した、博正の啓示役スタートの会合と言える。

Xデー後も啓示役を担うことになるが、会員たちは正体不明の亡霊の言葉に操られることになる。

博正が会長とならずとも、会を牛耳り、ファミリーのものとすることができる苦肉の策と言える。


学会の大御本尊否定

2010-07-09 18:30:40 | 本尊問題

学会の全ての本尊は日蓮正宗のものを安置!
今、学会は宗門を完全否定しておきながら、全員が日蓮正宗固有の本尊を拝む脳乱状態に陥っている。

2007年には、とうとう金原某という学会員が「日蓮と本尊伝承―大石寺戒壇板本尊の真実」という本を出版し「戒壇の大御本尊を後世の偽作」と結論づけた。

この偽作説というものは、過去に何人もの人間が意図的に作り上げた捏造。戸田会長もこんな疑難があることは知っていたし、大御本尊がニセ物であるなどと一切口にしたことはない。

「日有様という方がいらっしゃった。日有上人と申しあげて、お偉い方なのです。その方が、一閻浮提総与のお曼荼羅を偽作したと、邪宗ではいうのです。(中略)有師様が作った御本尊さまは、きちんと別にあるのです」(戸田城聖質問会集23頁)

戒壇の大御本尊がニセ物というならば、学会の80年近い信心は、完全に間違っており、昔から池田が承知の上であったなら、前代未聞の大詐欺事件となる。
それにしても、よくも自分が行ってきた過去の信心を全否定できるものだ。と言うしかない。

かつて学会はこの疑難を否定していた!
笑えるのは、金原が挙げている疑難は、昭和42年に元学会員・植村左内が学会批判のため発表した偽作説と酷似、ベースにした可能性が高い。
この疑難に対し、小平教学部長が著書の中で
「たしかに、弘安二年十月十二日に、この御本尊が図顕されたという文証は何処にもない。しかし、証拠はなくとも弘安二年十月十二日に図顕されたことに間違いない」と言明している。

かつて、自分達が批判されていた疑難を否定していたにも関わらず、今度は反転、肯定するマヌケぶりには恐れ入る。

大聖人から日興上人に相伝された大御本尊は、代々の猊下に相伝されているのであって、そこに偽作本尊を差し替える余地などありえない。大御本尊はその日付こそ、図顕された日ととらえるのが社会的常識。これを信じないのであれば、世の中の文書はすべて、信用に足りないものとなってしまう。よって「いつ造立されたか判明しない」などとはただの言いがかりに過ぎない。
かつて学会が模刻した本尊を例にとれば、猊下から下付された日付と、模刻した日時は異なる。いつどのように模刻されたか判明していなくても、学会が模刻した事実は確定しているのである。

また、大聖人が図顕される御本尊と、猊下が書写される御本尊とは明らかに違いがあるのであって、ニセ本尊を造立すれば一瞬にして判明する。もし、そのようなことがあれば、それこそ、宗内の当時の僧侶によって非難され、書き留められたに違いない。

逆に「戒壇の大御本尊が偽作された」とする当時の文書が存在しないのも、その行為が無かったことに他ならない。

宗門の歴史は、御本尊の大権は猊下お一人のみであり、ニセ本尊が造立されることは絶対にできない。
破門前の会員が、本気でこの偽作説を信じていたらホント、アホだね。

会員にそんな重大な偽作説を流させるより、大作さんがハッキリ言うべきなんだよ!


【文証】
池田大作
「三大秘法総在の御本尊こそ、弘安二年十月十二日ご図顕の本門戒壇の大御本尊である」観心本尊抄講義 25頁

戸田会長
「日蓮大聖人のご本懐は一閻浮提総与の弘安二年十月十二日の御本尊にあることは間違いなく(中略)これは世界唯一の本尊であり、日蓮正宗は最高にして唯一の宗教である」折伏教典218頁


学会のルーツ

2010-07-05 20:23:25 | 牧口会長

戸田会長のように、御書講義や論文、質問会集など、その信心を多くの文献に残したが、それに比べ、それらが大変乏しい創価学会初代会長の牧口氏が如何なる信心を貫いたかを、時系列を追って検証して見た結果驚くべき実態が浮かび上がる。

昭和3年
日蓮正宗・常在寺講頭・三谷氏から折伏を受け入信。

昭和5年
「創価教育学体系」第一巻を創価教育学会の名称で発刊。

昭和6年
「創価教育学体系」第二巻を発刊。ここで価値論を発表。

本末転倒、価値論に法華経を採り入れたと発言
「百年前及び其後の学者共が、望んで手を着けない『価値論』を私が著はし、而かも上は法華経の信仰に結びつけ、下、数千人に実証したのを見て自分ながら驚いて居る、これ故三障四魔が紛起するのは当然で経文通りです」牧口氏の獄中書簡から

昭和7年
三谷講頭が死去。生前、牧口は何度も三谷氏と激論をかわし、絶交状態となっていた。

他の講員とも相容れなくなり、中野・歓喜寮(後の昭倫寺)に所属替え。

昭和12年
日淳上人から「在家団体・創価学会」の許しを貰えず、「創価教育学会」として発会式を行う。

「牧口氏は、所属寺院の歓喜寮主管・堀米泰栄師(後の日淳上人)と論議し、『もう貴僧の指導は受けない』と席を蹴って退去」(『畑毛日記』)

この頃から、上人に対し反抗し始める。

会員に対し歓喜寮へ参詣することを止めるよう指導。

会員を使って、上人への誹謗・罵倒を行う。

すでに信仰上、上人とも絶縁状態。会員も歓喜寮とも絶縁状態となる。

「本山宿坊理境坊住職の落合慈仁師とも別れ、牧口氏に率いられる創価教育学会は、ここで日蓮正宗と縁が切れ」(竹尾氏が日亨上人から伺った話)

日淳上人は、牧口らの信仰上の再起を願い、元の常在寺を所属寺院として戻れるよう手配。

【まとめ】
1、牧口の信仰は篤かったと思われるものの、入信当初から『価値論』の存在価値を高めるための利用であったこと。

2、日蓮正宗では「師弟子の筋目を違えることは謗法」と、日興上人以来の規範が存在するのに対し、牧口は何人もの手続きの師、猊下とことごとく縁を絶った信仰で終生を閉じた。

3、牧口の獄中死は謗法の故か。戸田が獄中で牧口の謗法を懺悔。
堀米先生に、去年堀米先生を『そしった』罰をつくづく懺悔しておる。と話して下さい。『法の師をそしり』し罪を懺悔しつつ『永劫の過去を現身に見る』と言っております、と」(昭和19年9月6日、妻あて)

事実上の創価学会創立は昭和12年であり、しかも、初代会長の後半生は仏法上の師を持たない自称宗教家と言ってよい状態であった。仮に出獄して会を続けたにせよ、宗門から直接ご指南を仰ごうともしない、我見信仰で終わったはずだ。

このような、欺瞞の集団が今年創立80周年とうかれても、そのルーツを辿ればそこに宗教など存在しないことが分かるではないか!あるのは『価値論』だけである!

創価学会に宗教はない!目を覚ましましょう!

【文証】
「私は日蓮正宗の信者であって創価学会の信者ではないと思っている」戸田会長指導集