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創価学会の没落

悲鳴をあげる学会員

池田大作先生の本音

2018-10-18 13:12:55 | 池田大作とは

批判者について
「もしも地域の人たちが、学会のことをわがらずに非難・中傷したいすることがあったとしても、決して恨んだりしてはいけません。相手を慈悲で包み込かようにして、粘り強く交流を深め、誠実の行動を通して、学会の理解を勝ち取っていくんです。そこに、仏道修行があるんです」(新・人間革命27巻)

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「全員が勝つと強く決めていけ!勝つか負けるか。 やられたらやり返せ 。 世間などなんだ! なんでもいいから、言い返すんだ。こわがったりしてはいけない。 怒鳴っていけばいいんだ!(中略) 反逆者には「この野郎、馬鹿野郎」でいいんだ! 」 平成元年3月12日 埼玉指導




一人を大切に
一人一人の幸福こそが、広宣流布の「目的」だからである。「一人」の人間がもつ計り知れない可能性を信じ、その力に目覚めさせ、発揮させ、連帯を広げてきたのが、創価の民衆運動の歴史である。
全体があって、一人一人があるのではない。まず一人一人の人間があって、強く団結していくのである。この根本を間違えたら大変なことになる。権力者の発想をする人間が現れたら、それは学会を利用する極悪人である
すべては、「一人」に帰着する。私どもは、もう一度、「一人を大切に」との原点を確認しあいたい。(平成18年1月6日 第56回本部幹部会)

苦労している同志のことを、いつも気遣い、励まし、勇気づけ、身を粉にして、奉仕していくことです。わが同志を守り抜くことが、私の精神だからです。(新・人間革命 第6巻)

私も、何か特別なことをしているわけではない。ただ。大切な仏子を不幸にさせてなるものか”。この人たちを幸せに導くチャンスは今しかない”との思いでいつも戦っている。(新・人間革命 第1巻)

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学会っ子は名前もいらない、金もいらない、身体もいらない。奴隷のように学会につかえよ、それが御本尊様につかえる事だ」昭和46年7月8日 社長会

口八丁。手八丁でよ、なんでもうまくやるんだ。社会(党)だって方便を使っている。共産(党)だって 目的のためなら皆な謀略じゃないか 。一般社会だって利益のためならあらゆる手段を使う。うちは信心を守るため、学会を守るためだ」 昭和51年6月1日 扶養研修所

「サンフランシスコの皆さん、今回は関西の交流団がお世話になりました、と、お世辞を使っておいた方が、広布基金がたくさん取れることを、私は声を小さくして申し上げておきます。」 平成5年 1月25日




敵対心
私ども創価学会の平和運動は、まず、生命尊厳の仏法哲理を学び合うことから始まります。それは、本来、万人が等しく、尊極無上の仏の生命をもっているという思想です。
そして、互いが互いの幸福を願って、励まし合い、信頼、尊敬し合う人間の善の連帯を、家庭、地域、職場など、身の回りから広げていく運動が基調になっています。
戦争の根本要因は、相手を信じられないという相互不信、人間不信にあります。各人がそれを打ち破る人間革命の実践に励み、観念ではなく、現実の社会のなかに、人間共和の縮図をつくり上げ、それを、イデオロギー、民族、国境を超えて、世界に広げようというのが、私たちの運動です。(新・人間革命 第21巻)

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「全員が勝つと強く決めていけ!勝つか負けるか。 やられたらやり返せ 。 世間などなんだ! なんでもいいから、言い返すんだ。こわがったりしてはいけない。 怒鳴っていけばいいんだ!(中略) 反逆者には「この野郎、馬鹿野郎」でいいんだ! 」 平成元年3月12日 埼玉指導



名誉・勲章について
( ※クーデンホーフ伯との対談で、〝ノーベル賞をもらえるでしょう〟 と激励され) そのような栄誉はほしくもありません。また、くださるといっても、受けることもありません。そのような人間が世界に一人くらい、いてもよいでしょう」(昭和四十二年十月十三日の対談)

代表は全体に通じる。代表がもらったということは、自分がもらったことと同じだととらえ、喜べるようになることが大事だ。(新・人間革命 第9巻)

創価学会の幹部は、決して、名誉主義であってはならない。(中略) そんな感覚をもってしまえば、他の団体や会社などと同しことになる。学会は過去にとらわれた功績主義や名誉主義に絶対になってはならない。(新・人間革命 第5巻)

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「アルゼンチンから五月の大十字勲章をもらったが、これで七つ目である。これが妙法である。信心です。たった五ヵ月の間に三つの勲章(コロンビア、ブラジル)をもらった。(中略)五ヵ月間に世界の勲章を三つもらえる人は、これまで1人もいなかった議員でも何でもない私なのにだ。」(平成二年五月三日)




権力について
人間は、年とともに、権力に心を奪われ、自分の地位、立場などに強い執着をもち、名聞名利に流されていく。「自己中心」になっていくものです。すると、信心をもって、団結することができなくなる。それでは、どんな学会の役職についていたとしても、信心の敗北だ。信心というのは、結局は、この「自己中心」の心との戦いなんです。(新・人間革命 第9巻)

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私が教わったのは帝王学だ。 私は最高権力者になる。そのときには 創価学会を解散してもいい 」『現代』 昭和45年7月号




常識について
みんなに無理をさせたり、非常識な行動はいっさい慎むべきです。(中略)もしも、皆さんに非常識な言動があれば、周囲は、それが学会の真実の姿であり、仏法であると思い込んでしまう。(新・人間革命 第6巻)

非常識な言動というものが、どれだけ学会に対する誤解を生んでいるか、計り知れません。周囲の人が見ても、〝学会の人は礼儀正しく、立派であるな〟と思えるようでなければ、本当の信仰の姿とはいえないと思います。(新・人間革命 第4巻)

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「全員が勝つと強く決めていけ!勝つか負けるか。 やられたらやり返せ 。 世間などなんだ! なんでもいいから、言い返すんだ。こわがったりしてはいけない。 怒鳴っていけばいいんだ!(中略) 反逆者には「この野郎、馬鹿野郎」でいいんだ! 」 平成元年3月12日 埼玉指導




生涯第一線について
私も、牧囗先生のように、七十になろうが、八十になろうが、命ある限り、動きに動きます。語りに語ります。書きに書き、叫びに叫びます。足腰が立たなくなっても、正義を書きっづる手があります。手が動かなくなっても、仏法を語る囗があります。また、御本尊を見つめ、御書を拝する目があります。命の尽きる瞬間まで、這ってでも、戦って、戦って、戦って、戦い抜いてきます。私は、その決意です。見ていてください。そこに、仏道が、わが人生の完勝があるからです。(新・人間革命 第16巻)

八十歳になろうが、九十歳になろうが、命ある限り戦い、人びとを励まし続けるんです。「生涯青春」でいくんですよ。(新・人間革命 第25巻)

先日、草創期から、頑張り抜いてきた高齢の同志が亡くなりました。最後は癌で療養していましたが、見舞いに訪れる学会員に、学会活動ができることの喜びを教え、命を振り絞るようにして、激励し続けたそうです。やがて、臨終が近づいた時、薄れゆく意識のなかで、盛んに囗を動かしている。
家族が耳を近づけてみると、「きみ、も、信心、しようじゃ、ないか」と言っている。夢のなかでも、誰かを折伏していたんです。それから、しばらくして、うっすらと目を開け、また、囗を動かす。今度は、題目を唱えていたと言うんです。
  息絶える瞬間まで、法を説き、唱題し抜こうとする様子を聞き、私は感動しました。仏を見る思いがしました。まさに、広宣流布に生き抜いた、荘厳な、美しい夕日のような、人生の終幕といえるでしょう。(新・人間革命 第25巻)

いよいよ、これからです。牧囗先生は七十歳にして、よく「われわれ青年は」と語られたといいます。
平均寿命も延びてきていますから、今の年から、マイナス三十歳があなたの年です。青年同士、戦いましょう!(新・人間革命 第26巻)

生涯、一兵卒となって、広宣流布のため、同志のために、黙々と信心に励んでいくことです。唱題に唱題を重ねながら、会員の激励に、座談会の結集に、機関紙の購読推進に、弘教に、地を這うように、懸命に走り回るんです。それが仏道修行です。それ以外に信心はない。勇ましく号令をかけることが、信心だなどと、勘違いしてはならない。(新・人間革命 第23巻)

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8年前から、会員の前に姿見せず。SGI会長の職責を放棄


池田「原発発言」まとめ

2012-04-20 19:42:03 | 池田大作とは

 以前にも書きましたが、池田さんの「原発発言」について最新のものを含めて、すべて(他にあったとしてもしれています)ピックアップしてみました。約40年間において、池田さんが発言した「原発論」は下記の通り、大変貧弱で内容の薄いものであることが判明いたしました。

 まあ、対談集ではほんの数行しか触れていないわけで、一般人並の知識しか持ち合わせていなかったことが証明されます。福島原発事故を見て、僅かにコメントが増えたが、以前の内容を水増し、一般常識に過ぎない程度のものだった。

 世界の識者から“博士(笑)”と呼ばれ、自らも博士を自認する池田さんなら、一冊の本にできるくらいの、専門的な知識をもって語られたらいかがでしょうか?

では、その発言のすべて(?)をご覧ください。

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1972・73年
<推進>対談集での発言
「今後のエネルギー資源問題を考えるとき、原子力の平和利用が一つの重要な解決策になるものとみられています。 一九五五年に、第一回原子力平和利用国際会議がジュネーブで開かれて、原子力平和利用への機運が世界的に盛り上がって以来、先進工業国では競ってその開発が進められています。原子力が、新たな、将来性あるエネルギー源として平和的に利用されることは、喜ばしいことだと思います。(中略)原子力といっても、むろん鉱物資源の一種である
以上有限であり、将来いつかは枯渇する時がくるでしよう。しかし、世界的にはこれからといってよい分野であり、その単位当たりのエネルギー量からいっても、石油、石炭に代わる動力源として、大いに期待できると思います。」(池田大作・トインビーとの対談)


1979年 
スリーマイル島原発事故
1986年
チェルノブイリ原発事故
1999年
東海村JCO臨界事故


1984年刊
対談集『二十一世紀への警鐘』
<原発に警笛・自然エネルギー提唱>
 池田 原子力がこれからの主要エネルギー源の一つになるであろうと期待する人々が少なくありませんが、その危険性は測りしれないほど大きいことが、すでに種々の事故によって実証されています。 かつて、アメリカのスリーマイル島での事故は世界的に大きい波紋を呼びましたが、その後、日本でもいくつかの放射能漏れの事故が起こったりかつて起きていたことが明らかにされました。これらの事故は人間の操作ミスによるものですが、今後も同様の事故が起こる危険性は多分にあります。人間にはミスはつきものだからです。
 だからといって、人間の操作部分を極力減らして、コンピューターによる機械操作に切り替えたとしても、コンピューターも万能、不可謬でないことは言うまでもありません。いままでのところは人命にかかわる事故が起こっていないといっても、大きな事故になれば、どれほど悲惨な事態になるか知れません。
 そればかりでなく、廃棄物の処理の仕方が、いまや重大な問題になってます。よほど厳重に密閉された容器につめて投棄したとしても腐食・破壊の危険はどのような物質で作られた容器にもつきまといます。
 宇宙ロケットに乗せて太陽に打ち込んではどうか、などといったアイデアも出たようですが、推進力として要するエネルギーから考えれば、少なくとも現在の技術では夢物語でしかありません。結局、大地に穴をあけて埋め込むか、海洋に投棄するかということになるわけですが、このどちらもきわめて危険です。日本政府は太平洋の海底に沈めることを考えており、それがポルネシア諸島民のみならず、日本国民の激しい抗議運動を呼びお越しました。
 このように原子力エネルギーは、この地球の陸地も海洋も放射能で汚染する危険性をもっています。したがって、代替エネルギーが開発されるまでの″つなぎ″として、ある程度やむをえないかもしれませんが、今日の石油に代わる主エネルギー資源として、原子力に期待することは難しいと私は考えます。あなたは、未来のエネルギー問題についてどのように考えておられますか。
 ◆  ◆  ◆
池田 こうして、極カエネルギー資源を消費しないように工夫するとともに、つぎに工夫し開発すべきは太陽熱や風力、水力等のエネルギーです。つまり、 一度消費すればなくなってしまう石油や石炭、原子力などでなく、自然の営みがもっているエネルギーの有効な利用なのです。この場合の欠陥は、安定性がないことや設備費が嵩むわりには少量のエネルギーしか得られないことなどでしょうが、知恵をしばって取組めば、そうした欠陥もかなり補えるはずです。

(未来のエネルギー源から)

2011年3月
福島原発事故


2012年
<脱原発>

第37回「SGIの日」記念提言から

 今年は、国連の定める「すべての人のための持続可能エネルギーの国際年」にあたりますが、世界のエネルギー問題を考える上でも「持続可能性」を重視することが欠かせません。
 これに関して触れておきたいのは、原子力発電の今後のあり方についてです。
 福島での原発事故は、アメリカのスリーマイル島での事故(1979年)や、旧ソ連のチェルノブイリでの事故(86年)に続いて、深刻な被害をもたらす事故となりました。
 今なお完全な収束への見通しは遠く、放射能によって汚染された土壌や廃棄物をどう除去し貯蔵するかという課題も不透明なままとなっており、“現在進行形の脅威”として多くの人々を苦しめています。
 事故のあった原発から核燃料や放射性物質を取り除き、施設を解体するまで最長で40年かかると試算されているほか、周辺地域や汚染の度合いが強かった地域の環境をどう回復させていくのかといった課題や、放射能が人体に及ぼす晩発性の影響を含めて、将来世代にまで取り返しのつかない負荷を及ぼすことが懸念されています。
 私は30年ほど前から、原発で深刻な事故が起こればどれだけ甚大な被害を及ぼすか計り知れないだけでなく、仮に事故が生じなくても放射性廃棄物の最終処分という一点において、何百年や何千年以上にもわたる負の遺産を積み残していくことの問題性について警鐘を鳴らしてきました。
 この最終処分問題については、いまだ根本的な解決方法がないことを決して忘れてはなりません。
 また、国連の潘基文事務総長が、原子力事故には国境はなく、「人の健康と環境に直接の脅威」となると述べた上で、「国境を越えた影響が及ぶことから、グローバルな議論も必要」(国連広報センターのホームページ)と指摘しているように、もはや自国のエネルギー政策の範疇だけにとどめて議論を進めて済むものではなくなってきています。
 日本は、地球全体の地震の約1割が発生する地帯にあり、津波による被害に何度も見舞われてきた歴史を顧みた上でなお、深刻な原発事故が再び起こらないと楽観視することは果たしてできるでしょうか。
 日本のとるべき道として、原子力発電に依存しないエネルギー政策への転換を早急に検討していくべきです。
◆  ◆  ◆
核兵器の使用はもとより、その開発や実験に伴う放射能汚染も、原発事故が引き起こす汚染も、被害を受ける人間の身においては変わるものではなく、もうこれ以上、事故が繰り返されてはならないのです。
◆  ◆  ◆
しかし、原発の稼働から半世紀以上を経た現在の世界を取り巻く状況、そして福島での事故の教訓を踏まえて、従来の任務に加え、原子力の平和利用の“出口”を見据えた国際協力の整備を進めることが必要となってきているのではないでしょうか。
 私は、国際原子力機関を中心に早急に取り組むべき課題として、設立以来進められてきた「放射性廃棄物の管理における国際協力」のさらなる強化とともに、「事故発生に伴う緊急時対応の制度拡充」や「原子炉を廃炉する際の国際協力」について検討を進め、十分な対策を講じることを呼びかけたいと思います。
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 誰が見ても、当初の「原発推進」発言から、事故があったために自論を段階的に変えたととれます。
 40年経つと180度転換するのが、世界の指導者(笑)の言葉であります。そのような人間の言葉をわざわざ「提言」などと世界に発信する価値などどこにありますか?
 こんな提言をいちいち有り難いと思う価値のないものであることを、学会員は自覚すべきです。こんなにコロコロ発言を変える者が、どうして「永遠の指導者」なのでしょうか?彼の指導は「永遠でも何でもない」じゃありませんか。世間から陰で笑われていますよ。

池田さんが、いくじがないところは、決して「原発否定」をハッキリと打ち出さないところ。ましてや、「核廃絶の写真展」などのように、学会挙げての「原発反対運動」などやったことはない。 

 池田さんの「提言」大安売りと、顕正会・浅井氏の「予言」は同類と見ていいでしょう。自分を高く見せたいためだけのものではないでしょうか。


仇討ち命令

2011-11-12 10:06:38 | 池田大作とは

わが正宗ではかの五老僧さえも、きちんと総本山の過去帳に載せて回向している」とのことであります。
とはS49.7.15 日蓮正宗信徒時代の池田さんの指導であります。
こういった指導をすることは、そのころの池田さんには、反抗者へも幾分かは慈悲の心があったと言えるものでしょう。


しかし、この後、池田さんは驚くべき変貌をしていきます。

1992.8.10 軽井沢研修道場での池田発言(市川公明書記長談)
「名誉会長はこう話していた“師弟の道とは師匠の仇を弟子が討つことだ。塚本(三郎民社党元委員長)の暴言を石田(公明党委員長)は見逃した” “仇を討て! 私を守れ! 感謝の気持ちを持て! 学会を守れ!” “最近は学会を裏切る議員が多い。 何とかならないのか” “選挙の勝利はすべて学会のお蔭。 俺のお蔭だ。 史上空前の選挙をやった。” “今年の党大会では、これまでどおり石田委員長の体制で行く”」(『乱脈経理』矢野絢也 講談社)

1996.10.20 『創価同窓の集い』
師である私が迫害を受けている。仇を討て。言われたら言い返す。打ち返す。切り返す。叫ばなければ負けである。戸田先生も、牧口先生の仇をとると立ち上がった。私も戸田先生の仇を取るためにたった。私の仇を討つのは、創価同窓の諸君だ

「私どももまた、2001年5月3日、広宣流布の同志を裏切った者の大罪を、厳然と天下に公表したい。学会本部に壮年・婦人・青年の代表が厳粛に集い、その時の会長を中心に、宗門の悪呂、学会の反逆者を書き連ね、その罪科を、血涙をもって後世に残したい。永久追放の証しとしたい。」(『創価のルネサンス』76巻P36)

会員はおろか、国会議員までも自分の仇討ちに使わせるような組織は、創価学会しか存在しないだろう。
「永久追放」とまで言い切った脱会者なかんずく法華講員を、脱講運動に回ることは自語相違になりますよ(笑)

まあ、池田氏の本心とは所詮こんなものだ。どこまでも自分のために組織を利用することは明らか。
大聖人の慈悲心とは似ても似つかない。



独裁者

2011-11-06 18:36:05 | 池田大作とは

「先生がすべてを決める、すべてご存知」ということは会内の定説である。
だから私は学会員当時、「独裁者だ」と幹部に言ったことがあるが、「そんなことはない」
と否定していた。

では、創価大学の人事、給料、外郭会社の給料まで池田さんの一言で決められたいたことはどう否定するのか。
役員会で決めないこれらは法令違反ではないですか。
公明党幹部の人事も、池田さんの意のままであった。
これを独裁と言わずして何と言うのでありましょうか。
創価が言う民主主義とはこういうことなのでしょうか?


『懺悔の告発』(山崎正友 日新報道)によりますと
《創価学会本部に入って最初に手がけたのは、法人設立以来の書類の点検だった。
 昭和四十五年当時の創価学会の事務は、まるでドンブリ勘定のうえ、宗教法人として
の事務処理は全くなされていなかった。会社の取締役会にあたる責任役員会も開かれずに、役所への届出の必要に応じて議事録を適当に作っていたから、同じ日時に、違う場所で同じメンバーが三回も役員会を開いた、というような記録が残っていた。逆に、予算や決算等、必要な事項についての議事録が欠けていた。(中略) 
 私の仕事は、まず、法人設立以来の議事録を全部作り直し、会計帳簿を根本から作り
直すことから始まった。》
とあります。つまり、改ざんを行っていたわけです。この度、出版された『乱脈経理』(矢野
絢也 講談社)において、その真実性が裏づけられますのでお読みください。

では、池田さんはどのような鶴の一声で、この集団を左右していたのか。その一例はつぎの通り。(社長会からの発言記録↓)

●創大人事
「創価大学の人事を決めたい。一応、仮理事長に飛田君、主任理事岡安君、あと篠原、
宮林、秋谷、原島、上田、桐村、森田、小山内を決定して、どんどん進めていく。今迄の委員会はその儘で良いが、主体はこの執行部に移って、皆で飛田、岡安を応援して行き、思い切ってやらせる。」1968.11.21


●創大の給料
「大学教授の給料は今迄の1.5倍位にしよう。白亜の宮殿が大ゆれにゆれて、その後で
本当の白亜の殿堂ができるんだね。最高の教育をしましょう!最初は少人数で、核を固めながらいきましょう。」1970.1.27

 
●独断決裁
「本部の裏に200坪、7階のビルを作る」
「総坊にあと10軒つくる。一軒はラーメン屋(博文)と一軒は聖教直営店をつくる」昭和43年12月27日

「九州の林田温泉、霧島の麓に12万坪買う」
「68万坪に独立国を作ろう。創価王国、創価共和国だな」

●社長、社員の給料
「社長の給料を上げる。自宅を買え、但し成績があがればだ」昭和46年4月13日

「全社員に7月17日を記念して、特別賞与1カ月分を出して下さい」昭和43年7月8日 

●公明党選挙人選
「小島君は衆議院はやめだ。社長会のメンバーとして人間を磨き、立派に成長してゆけ」
昭和43年3月22日 

「三年先の参議院は北条、柏原でやろう。衆議院もそろそろまとめよう。大久保だな、大沢の代わりに。小島のところは山崎か秋谷だな」昭和43年7月8日 

「公明党の体質も変えなければいけない。大久保の使い方もまずい。竹入は使いこなせないし、矢野には統率力がない。(中略)中川、鳥居等も入れてゆけ」昭和45年5月5日 


最後に、独裁者の一言を
「私が教わったのは帝王学だ。私は最高権力者になる。そのときには創価学会を解散し
てもいい」(『現代』昭和45年7月号)


自動書記

2011-07-31 09:26:05 | 池田大作とは

「週刊文春」8/4号では
最近の池田名誉会長の執筆たるや、売れっ子作家も顔負けである。
と伝えている。
では、池田さんの進行中の著作をあげてみましょう。

・「パンプキン」でエッセイ連載中
・「潮」で連載対談
・「灯台」で女性学者と連載対談
・「新・人間革命」9/1から聖教に連載
・「大白蓮華」巻頭言
・各種会合のメッセージその他

会員から姿を消して、すでに1年3ヶ月。
重病と伝えられる池田さんが、このような仕事をこなせるとでも思いますか?
これだけの種類を執筆していれば、編集担当者との接触がないわけはない。
そんな話も聞こえれこない。どうやって原稿やり取りをしているのか?

このような疑問に会員も不信を持っております。
代作によって会員を騙していたなら、公益法人として許されることではない。
口をつむる学会幹部よ真実を公表せよ!


金の亡者に変貌

2011-07-04 19:21:33 | 池田大作とは

池田さんが会長に就任して5日後の指導にこんなものがあります。

 さきほどから邪宗闘争にあって、いろいろな話がありましたが、大阪府内においては、たくさん邪宗教がありますが、天理教だけは、まるで宮城みたいな大きい建物を造って、信者をたぶらかしております。聞くところによりますと、何百億という財産をもっており、あの建物は日本一だ。人を救うべき宗教が、反対に家をもってこい、たんぽをもってこい・・・。ドロボウです。まるで。

と弁舌。
おやおや、これは一体どこの教団にとって変わったのかと一笑したくなります。
よもや、当時の池田さんは何百億の資産を持っている天理教に憧れ、金の亡者になったのでは?
学会でも儲けられると大確信したのでしょうか?(笑)

では、その後の学会の金への執着の実例を挙げてみましょう。

【100万円出せ発言】
心がけ次第では、1千万円以上できる人になれるんです。できないとは、言えないんじゃないの。」 「なまっじか、あるから、ねー。そーでしょ、生活が豊かになるから、そうゆうふうに、かえって、みみっちくなるのよ。」 「世界広布には、お金がかかる! いるんです! だから、出せッ!つーのッ! 出せッ! 出せッ!・・・出せッ! ねーッ。(略)私は、そう言います。出しなさい!ねーッ。だから社長さんの奥さんに『何言ってんだ!出せッ!』と言ったんですよ。ねーッ。『あんた、いくらやってんの!?あんたハッキリ言えないんだったら、私が言ってあげる。今度の広布基金は100万円出しなさいよ! 皆の前で言っておくから』・・・ねッ。婦人部長は、ちゃんと、100万、取りに行って!」(昭和50年代の大幹部・柏原ヤス発言)

財務強要が『朝日新聞』に掲載
「会社員が(学会を)脱会したきっかけは、両親が『財務』と呼ばれる寄付を執ように要求されたことだった。祖父の遺産相続後に数百万円を納めたのに、さらに寄付を促され、不信感が募った」平成11年11月19日付

副会長が矢野氏に3億円要求
「黒い手帖」強奪事件の発端となった初日に、矢野氏は創価学会戸田記念国際会館によびだされ以下のように寄付を要求された。

言葉は丁寧ではあったが、会談は三人による体のいい吊るし上げで、学会による追撃だった。
 「矢野さんも立派な方として尊敬を集めているのだから」と私を持ち上げながらも、「青年部の怒りはやむを得ない」「庶民の心に戻らなければ、地獄に落ちる」と口々に私を非難し、「家を売ってでも、二億、三億寄付すべきだ」「いつ、いくら寄付するのか」と迫り、果ては「銀行通帳を見せてもらいたい」とまで要求した。私が断っても、彼らは執拗に寄付を求める。
 だが、私の生活基盤までも奪う多額の寄付の強要には、さすがに応じられない。私は最後まで頑として拒否した。
(『黒い手帖』元公明党委員長・矢野絢也著)

いかがでしょうか。天理教に対し『ドロボウ』とまで罵った池田創価は、180度変貌しております。
現在では会員までもが贅沢な巨大会館を誇らしげに、口にするようになってしまったのです。


震災で2度目の失態

2011-06-12 09:25:43 | 池田大作とは

3.11より三ヶ月として創価学会は原田会長を本部長として、東北復興本部を設置と聖教に発表。

これまで、どう対応しようが学会に不満を持ち、脱会者も出はじめました。それは、学会員自身の方が実感していることです。

かつて池田さんは阪神淡路大震災について、こんな指導をしておりました。

 この戦後最大の惨事にあたり、政府はじめ行政機関は、何はさておき、総力を挙げて、迅速な対応を急ぐべきであります。私どもも、民間の立場から、ドクター部救急医療班の派遣、青年部ボランティアによる物資の応援、緊急避難所としての会館の提供、義捐金の寄付など、全力を挙げております。
 我が身をいとわず、我が家を顧みず、懸命の救援活動にあたる民衆の真心ほど、気高いものはありません。
 かつて、関東大震災の折、白金小学校の校長であった牧口常三郎先生(創価学会初代会長)は、自ら先頭に立って、罹災者の援助に奔走されました。その姿は、児童たちの眼に、焼き付いて離れなかったのであります。
(『第20回 SGIの日記念提言』 平成7年1月24日)

当時、池田さんは阪神淡路大震災を横目にハワイへ豪遊しに行き、今回の大震災、原発事故でも姿を現さない。

「牧口会長自ら救助に奔走」と指導しながら、池田さんはいったい何をしているのでしょうか?

2度に渡る大震災での彼の言動は、本当に口先だけのことです!


池田氏は原発推進派

2011-06-11 10:20:42 | 池田大作とは

池田さんの記念提言やら、学会の核廃絶運動はお馴染みですが、一度事故を起こせば同じ結果を及ぼす原発問題には口を閉ざすばかり。

福島で起こった原発事故が国を揺るがすほどの事態となっている今、池田さんはコメントなし。

池田さんは原発推進論者
「今後のエネルギー資源問題を考えるとき、原子力の平和利用が一つの重要な解決策になるものとみられています。1955年に、第一回原子力平和利用国際会議がジュネーブで開かれて、原子力平和利用への機運が世界的に盛り上がって以来、先進工業国では競ってその開発が進められています。原子力が、新たな、将来性あるエネルギー源として平和的に利用されることは、喜ばしいことだと思います。(中略)原子力といっても、むろん鉱物資源の一種である以上有限であり、将来いつかは枯渇する時がくるでしょう。しかし、世界的にはこれからといってよい分野であり、その単位当たりのエネルギー量からいっても、石油、石炭に代わる動力源として、大いに期待できると思います。」(『二十一世紀への対話』下 A・トインビー、池田大作著)

昭和47~48年のこの対談から、池田さんは「平和利用としての原発」推進を容認してきた。

この度の福島原発事故を見て何故、沈黙?

何かにつけ、トインビー氏との対談を持ち出す創価学会。
『二十一世紀への対話』は各国語に翻訳され今なお販売されておりますが、原発をエネルギーとしての利用価値を述べるばかりの単純さ。時代遅れもはなはだしい内容では。


「フォーラム21」6月号参照


「恩師の二十三回忌に思う」

2011-05-28 10:33:38 | 池田大作とは

池田さんの大ウソは山のように存在するが、その一例をご紹介。

昭和55年に池田さんが学会の52年路線(教義逸脱)を振り返り、「恩師の二十三回忌に思う」でこんなことを言っておりました。

恩師戸田城聖先生が逝いて22年――桜花薫る総本山大石寺において、第67世日顕上人の大導師を賜り、二十三回忌法要を営むことができえますことを、戸田門下生を代表して、心より御礼申し上げるものでございます。
(中略)
私どもが一閻浮提総与の大御本尊を知り、民衆救済、広宣流布の大目的と使命を自覚し、一生成仏への大道を歩むことができたことも、ひとえに恩師戸田先生に巡り会い、その大確信を通して、峻厳なる信心を教えられたからにほかなりません。

先生は、就任後の初の秋季総会のさいにも、この御遺命実現への創価学会の根本精神を、よりいっそう明確に宣言なされました。

第一に、日蓮大聖人の命をうけて一閻浮提総与の大御本尊を、日本に流布せんことを誓う。
 第二に、日蓮大聖人の予言を果たす仏の弟子として、東洋への広宣流布を誓う。
 第三に、荒れ果てなんとしている総本山の興隆を図り『日蓮正宗、日本にあり』と仏教界に示すことを誓う」

(中略)
一方、恩師は、広布の前途にかならずや三類の強敵が出来するものであり、それがいかに壮絶なものであるかを、御聖訓に照らし、ご自身の体験に照らして、予見されておりました。そこで、昭和26年末
「本山を守護し、諸難を会長の一身にうける覚悟にほかならないこと。二つには将来の折伏活動の便宜のうえから、宗教法人でなければならない」
との二つの理由から、総本山に創価学会を宗教法人にすることを願い出たのでありました。このとき、御宗門におかれては、後の第65世日淳上人ならびに後の第66世日達上人が創価学会の使命を深く理解してくださり、かつ広宣流布の未来を洞察あそばされ、なみなみならぬ大英断のもとに設立をご承認してくださったのであります。
(中略)

永遠に御法主を仏法の師と仰ぐ
(中略)
広宣流布は御仏意のしからしむるところであり、これらの発展も、ひとえに大御本尊の御威光、歴代御法主上人の御威徳によるところであることは申すまでもありません。とともに、具体的には、社会のなかで、幾百万の同志が恩師の示された折伏・弘教の原理を実践に移し、御宗門の温かな支援と協力を得て、今日まで走りつづけてきたたまものであると信ずるのであります。この間、総本山への忠誠を尽くきれた恩師の大精神を継承し、会員の皆さまとともに、大客殿、正本堂の建立寄進、その他、241か寺の末寺の建立御供養をさせていただきましたことは、身にあまる光栄であり、大御本尊に、そして御法主上人に感謝し奉るものであります。

しかしながら、創価学会が急速に拡大し、膨大化した結果、とくに近年、現実社会への対応に目を向けるあまり、信徒として、もっとも大切な御宗門との間に、さまざまな不協和を生じてしまったことは、まことに残念なことであります。この間の問題については、当時、その責任の立場にあった私として、懺悔すべきは懺悔し、真情は真情ととして述べさせていただきたいと思うのであります。そのことが、私どもを慈しみくださった代々の御法主上人への御報恩であり、第67世日顕上人猊下への変らぬ赤誠の御奉公を、お誓い申し上げることになると信ずるのであります。

近年の宗門との問題が昭和47年、正本堂建立以降の、学会の広布第二章の進み方の基調と、そのうえで、私が展開した昭和52年の一連の指導に、発端の因があったことは事実であります。
(中略)

しかし、そのなかには、たしかに創価学会中心主義的な独善性もあり「学会が主、宗門が従」というような状況もありました。その結果、宗門の一部御僧侶に、この方向が、学会が独立を企図しているのではないかとの疑念を生ぜしめ、また会内にいわゆる「北條文書」などのような感情的な議論のあったことはまことに申し訳なく思っております。

もとより日蓮正宗総本山を離れて、創価学会は、永久にありえないのであります。信仰の根本は、本門戒壇の大御本尊であり、創価学会は、それを民衆に知らしめる折伏の団体であるからであります。私自身、この信仰の根本を一度たりともはずしたことは断じててないことを、大御本尊に誓って申し上げるものであります。ただ、私が、恩師の「創価学会の歴史と確信」の理念、方向性を実践した延長とはいえ、その深き意志も解せず、僧侶・寺院の役割を軽視し、その結果、御宗門に対し、主客転倒の風潮を生んだことは、我が身の信心未熟ゆえの慢と、大御本尊に心より懺悔申し上げるものであります。
(中略)

また、今日の種々の問題も、私の指導性の不徳のいたすところであり、多くの会員信徒に多大なご迷惑をおかけし、ご心労をわずらわしたことについても、御本尊に深くお詫びの合掌をさせていただいている日々でもあります。ともあれ、学会は絶対尊崇の本源たる本門下種人法一筒の御本尊、宗祖大聖人に対し奉る信仰を根本として、永遠に代々の御法主上人猊下を仏法の師と仰ぎ奉り、強き広宣流布の戦士たる誇りも高く、さらに、日蓮正宗の信徒として、いっそうの外護の任を全うしてまいる決意であります

聖教新聞 昭和55年4月2日 池田大作名誉会長所感


後年、裁判においてこの所感を池田さんは、「部下が勝手に書いたもの」と言ったとか。
今、読み返してみればこの文書はウソばかり。

こんなウソつき人間をなぜ信じるのでしょうか?
あなたがたは被害者ですよ!


池田さんの宿命転換

2011-04-07 09:32:45 | 池田大作とは

もう1年も経とうというのに、いっこうに池田さんの病状を会員に知らせないので、しつこくなりますが、こちらで情報を掲載させていただきます。

「一時、脳梗塞説もあったが、やはり脳腫瘍説が有力になってきた。これはたんなる噂のレベルではなく、池田側近の警備グループや金城会(池田警備軍団)周辺から漏れてきている。脳腫瘍を表沙汰にできないのは、学会末端会員にまで、“仏罰説”がはびこり、将来の学会に多大な影響が出ることを恐れているためと解説されている。そうなると、本山(日蓮正宗)が正義となってしまい『池田学会』にとっては、蟻の一穴となるだろう。それはイコール『池田王国の崩壊』を意味する」
原田会長や長谷川重夫副理事長が選挙の陣頭指揮を執ったところで、「末端はしらけきっている」(関東地方の創価学会幹部)状態だ。
月刊テーミス 2011.4月1日発売号


池田さ~ん、早く自分の病状を聖教に公表し、
「これから私は脳腫瘍を完治してみせます!」と宣言してみなさいよ。