創価学会の没落

悲鳴をあげる学会員

日中国交正常化に至るまで

2012-10-02 10:12:58 | 学会の動向

創価学会の中では、日中国交正常化は、『池田先生が成し遂げた偉業』として信じて疑わない。そんな歴史はこの40周年を記念した報道の中にも、文献にも存在しない(笑)
 
池田氏自身の下記の記念メッセージに見られる通り、一人に尽力によって関係回復したわけではないので、学会活動家はその誤った認識を以下に挙げた文献を参考に、正しく認識されるべきである。

「国交正常化には、両国の友好を願って道を開かれた多くの方々の労苦があり、粘り強い草の根の交流があったことを忘れてはならないと思います。」(2012年8月 中国側へ宛てた中日国交正常化40周年記念池田氏メッセージ)

この言葉を裏づけるごとく、正常化へ向けて両国の政治家、民間人たちは実際に関係回復に向け動いていたのである。

池田氏が1968年9月8日、第11回学生部総会の席上、日中国交正常化提言を発表(日大講堂)した時点では、大きく出遅れていたことが明白であるし、周恩来は池田氏の提言の遥か前から、日本との国交回復を切望していたことが分かる。決して、池田氏が周恩来を説得して、国交を開いた訳ではない。

国交回復の直前
日中国交正常化に向けて、日本政府は中国側の意図を読みあぐねていた段階において、竹入公明党委員長が田中首相の命を受けて訪中し、その方針を聞き取り(「竹入メモ」)、その内容において、国交回復を結べると確信した政府は、その年の9月、共同声明に調印した。

では、池田氏の正常化に与えた影響となると、一分の貢献はあったかもしれないが、それは当時多数の日本人がかかわった者の中の一人に過ぎない。むしろ結果としては竹入氏の貢献が歴史に残ったのである。

尚、下記の文書は東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室が日中関係資料をまとめた中の一部を、抜き出したものです。ネットにその全文がありますので、興味のある方はご覧ください。資料


●日中政府の国交回復への姿勢  

1951年12月24日
国民政府との講和に関する吉田書簡
過般の国会衆、参両院における日本国との平和条約及び日米安全保障条約の審議に際し、日本の将来の対中国政策に関して多くの質問がなされ言明が行われました。その言明のあるものが前後の関係や背景から切り離されて引用され誤解を生じましたので、これを解きたいと思います。
日本政府は、究極において、日本の隣邦である中国との間に全面的な政治的平和及び通商関係を樹立することを希望するものであります。
([出典] 日本外交主要文書・年表(1),468‐470頁.条約集第30集第1巻)

1953年9月28日
日中関係に関する周恩来中国首相の大山郁夫教授に対する談話
周総理 われわれは,世界各国との正常な関係,とくに日本との正常な関係の回復を主張しています。
 周総理 そうです。われわれは,日本人民の代表団がわが国に訪問に来ることを歓迎すると同時に,わが国人民も代表団を派遣し日本に訪問に行くことを希望しています。しかし,今日米帝国主義および日本の反動派は,日中両国人民の友好関係の発展を阻害しています。
( 日本外交主要文書・年表(1),569-570頁.外務省アジア局中国課監修「日中関係基本資料集」,50-2頁)

1955年8月17日
日中正常化のための北京会談提唱の沈平総領事書簡
 中日両国関係の正常化を促し,あわせて国際情勢を引続きやわらげる上に寄与するため,中国政府は,中日両国政府が両国の貿易についての問題,双方の居留民の問題,両国人民が相互に往来する問題,およびその他両国人民の利益に関係のある重大な問題について話合いを行うことが必要であると考えます。もしも日本政府が同様の希望をもつておられるならば,中華人民共和国政府は,日本政府の派遣する代表団と北京で会談を行うことを歓迎いたします。
(日本外交主要文書・年表(1),722頁.外務省アジア局中国課監修「日中関係基本資料集」,90-2頁)

1957年4月22日
社会党訪中団と中国人民外交学会の共同コミュニケ
 日本社会党中国訪問親善使節団は日本と中華人民共和国との親善友好を増進し,両国間の国交正常化を促進する目的をもつて中華人民共和国を訪問した。
(日本外交主要文書・年表(1),797-799頁.外務省アジア局中国課編「中共対日重要言論集」第2集,189-92頁)

1957年7月25日
周恩来中国首相の日中関係正常化に関する談話
 われわれはアジアの各国と平和に共存することを望んでいる。われわれはこれまでもたびたび言つたが,もし中国と日本の正常な関係が回復されたならぱ,中国と日本は相互不可侵の友好条約を結ぶことが可能である。
(日本外交主要文書・年表(1),814-816頁.外務省アジア局中国課編「中共対日重要言論集」第3集,16-20頁)

1959年6月4日
日中国交正常化問題に関する石橋湛山前首相の周恩来中国首相あて書簡
 よって若し閣下にして私が以下に記す申出に大綱において異論がないならば,是非共これがため力をかし賜わり度く,私もとより微力を尽し,日本国民を説得誘導してその実現に邁進する覚悟であります。しかし,それには是非閣下の貴国における御協力を必要とします。
一,中華人民共和国と日本との両国(以下両国と称す)はあたかも一国の如く一致団結し,東洋の平和を護り,併せて世界全体の平和を促進するよう一切の政策を指導すること。
(日本外交主要文書・年表(1),925頁.「石橋湛山全集」第14巻,424-8頁)

1959年8月22日
日中国交正常化問題に関する周恩来書簡
石橋湛山先生
 閣下が御書簡のうちに明記せられている如く,私は,中日両国の友好促進と世界平和の維持のため努力せられるという立派な願望を,閣下がお持ちになっていられるのに対し,同感であります。のみならず,このような願望は中日両国人民の願望と符号しています。私は中日両国の政治家がこの願望に即して率先して意見を交換することが,中日両国の友好を促進するために有益なる貢献をなすことを確信いたします。
(日本外交主要文書・年表(1),926頁.「石山湛山全集」第14巻,424-8頁)

1959年9月20日
石橋湛山元総理と周恩来総理との共同声明
 日本前首相石橋湛山先生は、中国周恩来首相の招請により、一九五九年九月九日から九月二十日まで、中華人民共和国の首都北京を訪問した。滞在中、石橋先生は、周首相、陳毅副首相と友好的なふんいきの中で率直に意見の交換を行った。双方は、両国民が手を携えて極東と世界の平和に貢献すべきであると認めた。
(日中関係基本資料集、165‐166頁)


池田氏が提言を発表する10年以上も前に、このような国交正常化への取り組みが育まれていたことを知るべきです。 


追記
非活副本部長様 貴重なコメント有難うございます。