創価学会の没落

悲鳴をあげる学会員

学会歴代会長がつるし上げしていた!?

2018-12-17 15:13:21 | 学会の動向

 かつて学会の幹部が僧侶をつるし上げをしたことは、歴史的事実だが、驚いたことに北条元会長、前会長・秋谷氏、現会長・原田氏までもそれにかかわっていたという、当事者である僧侶の手記が存在している。

▼▼▼引用▼▼▼
池田門下の優等生といわれた原田稔副会長、野崎勲青年部長(当時)らに、青年御僧侶たちが、次々に学会本部や各地方会館に呼ばれ、延々六時間から九時間にわたって「土下座しろッー」と怒鳴られ、罵声を浴びせられ、あげくの果て「詫び状」まで書かされたという、とても普通の常識では考えられぬ事件であります。
(中略)
 まず、つるし上げを受けた一人、福井県・宝珠寺住職の栗林開道師の特別手記からご紹介しましょう。

(略)それは、忘れもしない昭和五十二年二月十二日、午後三時から夜中の十二時半まで約九時間、野崎(当時男子部長)、原田(当時青年部長)、中村(当時関西青年部長)、魚谷福井県長、橋本県青年部長の五人によって、さんざんツルシ上げられたのであります。( ほとんど原田、野崎の二人がどなっておりました)
 その時の私の気持は、妙に冷静で相手のつり上った目とか、いろいろな言葉とか表情が、いまでも手に取るように浮かび覚えております』と、当時のなまなましい状況をリアルに表現し、
 『(略)十二時近くなって原田(副会長) が「お前がガタガタ文句を言うから、こんなに長くなったんだ!」「詫び状を書け! 」「書くまで帰さん!」と言われた時は非常に腹がたった。
 その翌日と聞いておりますが私の「詫び状」を幹部会の席上で、鬼の首を取ったかのようにして、全員に見せたそうです。
 十四日には、学会本部で五時間半もやられました。その時、別れぎわに、秋谷副会長に、二度とこんな事をしたら、ただじゃ置きませんよ」と言われました。私は生涯、この言葉は忘れることはできない(略)』
と、固く心に誓っておられます。
(中略)

 松本珠道師は、その一週間前の一月二十日につるし上げ第一号になった千葉県・蓮生寺の菅野憲道師(当時、現大阪・源立寺住職) と同様、「富士学報」(宗門理論誌) 第五号に掲載された論文が、学会からとがめられたものです。
 『午後五時頃に学会本部へ着き、二階の部屋(注- 第六応接室) で待たされること十五分前後、北条理事長、秋谷副会長の二人が横柄な態度で入ってき、ソファに座る。型通りの挨拶の後、謝罪させられる。(略)』
 と手記はいよいよ核心に入り『北条氏は「(略)お前は節操のない、いい加減な奴だ。大体、お前の論文は、菅野憲道の論文より、もっと悪質で、たちが悪い。菅野憲道の論文は、読めば学会批判ということがすぐにわかるが、お前の論文は気を付けて読まないと看過してしまう。よく読まないと学会を批判していることがわからないから、知能犯的なたちの悪い、悪質な論文だ」
と罵り、(略)横から秋谷氏が「左京日教というのは、法主におべっかをつかって、のし上ってきた奴だ。お前は、左京日教と同じだ。法主におべっかをつかって、のし上ろうとしているんだろう。(略)お前は僧階はなんだ」と喚くので、「講師です」というと、秋谷氏は「講師にもなって、その程度のことも知らないのか。法主におべっかをつかうんじやなく、先輩に聞けばいいんだ。先輩に聞かないからそうなるんだ。猊下の弟子だと思って偉そうな顔をするんじやないよ」と、顔に似て爬虫類を思わせるような調子でいう』
(『創価学会からの脱出』三一書房)
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池田崇拝を指導した側近幹部

2018-11-08 11:13:04 | 学会の動向

 創価学会員は、いつしか、日蓮大聖人より池田大作氏を絶対視する教えに変わってしまっており、活動家のほとんどは「池田先生のために」等の思いで活動している。
 このような状態に変えた幹部の一人がまさに、創価学会は池田教であることを指導した事例を、かつて公明党議員であった・福本潤一氏が下記のように証言している。

 


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 私(福本潤一)も参議院議員時代に、池田の腰巾着(こしぎんちやく)・長谷川副理事長から、否応なしにこの〝異常な師弟論〟を押し付けられました。
 当時、第一庶務室長だった長谷川氏は「池田先生を尊崇( そんすう)する人は創価学会に残れるが、御本尊を信仰する人は創価学会に残れないよ」などと指導するのです。
 つまり、大御本尊(即日蓮大聖人)より池田大作が上であるかのような指導をするわけです。さらにこれは、公明党議員として「残れないよ」との意味を含んだ言葉にもなっていくわけです。
 創価学会が、池田を教祖とする池田教に変貌している実態を、この言葉が象徴しているといえます。(平成23円7月16日号 慧妙)

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創価学会は、
御本尊より池田大作に変質!!


原田会長の本音

2018-10-23 10:09:33 | 学会の動向

 本年、原田会長は、創価学会の体制において、重要な本音を総県長会議で吐露した。


------引用-------
(平成30年4月14日 聖教新聞 原田会長発言)

「弟子が団結をする」 
「弟子が全責任を担う」
「弟子が師匠に頼らない」
この3点こそ、池田先生が教えてくださった、「学会の将来にとって一番大事な時」の根本姿勢であります。
 この数年、取り組んでまいりました、教義条項をはじめとする「会則改正」も、世界教団としての根本規範たる「会憲」の制定も、全ては池田先生のご構想を弟子が実現しゆく戦いであり、だからこそ一つ一つ、全て先生にご指導を仰ぎ、ご了解をいただきながら進めていることは言うまでもありません。
 それは、「私は、これからも君たちを見守っているから、安心して、総力を挙げて広宣流布を推進しなさい」とのお言葉通りです。
 にもかかわらず、師のご構想を具現化する戦いを、自分勝手なエゴで妨げようとするならば、破和合僧というほかありません



------引用終わり-------


上記の会長指導を解釈するならば、
「生身の池田先生はいらない」
「私を中心に団結せよ」
「私に歯向かう者は処分する」
これこそが、会憲によって、師匠・池田先生を自分の部下に追いやった原田会長の本心ではないのか。
これまで口酸っぱく言ってきた(※池田先生との)師弟不二は完全に否定され、「自分に就け」を強要しているのです。


創価学会の友人葬離れ!!

2018-07-03 20:24:07 | 学会の動向

 友人葬について、聖教新聞7月2日付で、原田会長らの紙上座談会で語られているが、これまでにない驚くべき内容となっている。

 創価学会員の葬儀については、その家族の意思とは関係なく、周りの幹部らが友人葬を執り行うくらいの執念をみせてきたが、最近では、そうではなくなってきたようである。

 聖教では、「家族葬」「直葬(火葬するだけ)」を認め、挙句の果ては、儀典長を呼ばなければ、「友人葬が成立しない」ということでもありません。とデタラメ発言。
 幹部は、友人葬をしたがらない現状をを認識したようだ。


 学会員は今や、財務に財産をつぎ込み、「直葬」するしかなくなったというのであろうか。


 紙上では、これまで同様、信心をしていない方々からも、「すがすがしい気持ちになりました」「感動しました」などと掲載しているのだが、実際には、こんな状況を耳にする。

ケース1.
池田家一族の友人葬において、霊柩車も配車せず、本部、葬儀社と決定的な決裂に至った。

ケース2.
儀典長が故人の名を読み間違えた。

ケース3.
1000人ほどの参列者がいる中、儀典長の読経がボソボソと小さな声で、何をいっているのかわからず、嫌な雰囲気になった。

ケース4.

幹部へ塔婆、戒名を頼むと、50万円も要求してきた。


 そもそも、友人葬なるものを大聖人は教えておらず、御書にも当然ない。

「法華を悟れる智者、死骨を供養せば生身即法身なり。是を即身といふ。さりぬる魂を取り返して死骨に入れて、彼の魂を変じて仏意と成す。成仏是なり。即身の二字は色法、成仏の二字は心法、死人の色心を変じて無始の妙境妙智と成す。是則ち即身成仏なり。」(木絵二像開眼之事)
と大聖人が御指南されいるが、学会員はどうやって死者の魂を呼び戻し、成仏に向かわしめるというのであろうか。
 即身成仏するどころか、友人葬こそ堕地獄の儀式にほかならない。


原田会長の首の傾き

2018-06-23 18:50:51 | 学会の動向

 本日の聖教新聞に首を大きく左に傾けた原田会長の写真が掲載されていた。

 何年も前から、このことは確認され、会員の中でも話題にはなっていたが、その原因ではないかと思われる情報がある。

 3年ほど前、会長は北海道における幹部会に出席。終了後、地元幹部会らとの懇談において、居合わせた学会関係者と話し合いとなり、その者は、会長に対し、いつまでも喧嘩をしていないで宗門と一緒にやるべきだと迫ったようである。その後、彼は腹をたて、会長の顔面に蹴りを飛ばしたという。会長はというと、その通りと感じたか、その無礼者に手をついて謝ったとのことである。真実か否かは不明であるが、その場にいたという者からの情報である。

 これがまったくの作り話だとしても、会長は身体に重大な不安を抱えていると容易に想像できるので、お身体に注意をしてもらいたいものである。

 


任用試験で脱会者

2018-06-20 08:45:56 | 学会の動向

 6月17日、創価学会は全国の会館で、12万人に及ぶ受験者が参加する任用試験が行われた。

 この数字を聖教新聞に掲載し、いかにも学会は大きな教団であることをアピールしたのだが、実際には会場はスカスカなところもあったと学会員が報告している。本当は12万人ではなく、あくまで事前の申し込み者の人数ではないかと思われる。

 学会の上げ足をとるつもりはないが、当方へ早速、受験者数人から連絡があり、不満を訴えてきたので、紹介しておきます。

 1件目は、友人から受験を勧められたが、本人は受けるとはいっていないのに、幹部がでてきて、「あなたの席はとってあるから」と強引に受験にもっていかれそうになった。

 2件目は、家族の急病で当日、病院にいかなくてはならないのに、幹部から、執拗に受験を迫られた。このかたは、あまりの不快感に脱会を決意した。

 そのほか、「どうしても受験しなければならないのか」と事前の不安を訴える会員から複数、連絡がきていました。

 創価学会は今や、活動すればするほど、会員同士の関係が壊れ、果ては脱会するものが急増しているのです。


日中国交正常化に至るまで

2012-10-02 10:12:58 | 学会の動向

創価学会の中では、日中国交正常化は、『池田先生が成し遂げた偉業』として信じて疑わない。そんな歴史はこの40周年を記念した報道の中にも、文献にも存在しない(笑)
 
池田氏自身の下記の記念メッセージに見られる通り、一人に尽力によって関係回復したわけではないので、学会活動家はその誤った認識を以下に挙げた文献を参考に、正しく認識されるべきである。

「国交正常化には、両国の友好を願って道を開かれた多くの方々の労苦があり、粘り強い草の根の交流があったことを忘れてはならないと思います。」(2012年8月 中国側へ宛てた中日国交正常化40周年記念池田氏メッセージ)

この言葉を裏づけるごとく、正常化へ向けて両国の政治家、民間人たちは実際に関係回復に向け動いていたのである。

池田氏が1968年9月8日、第11回学生部総会の席上、日中国交正常化提言を発表(日大講堂)した時点では、大きく出遅れていたことが明白であるし、周恩来は池田氏の提言の遥か前から、日本との国交回復を切望していたことが分かる。決して、池田氏が周恩来を説得して、国交を開いた訳ではない。

国交回復の直前
日中国交正常化に向けて、日本政府は中国側の意図を読みあぐねていた段階において、竹入公明党委員長が田中首相の命を受けて訪中し、その方針を聞き取り(「竹入メモ」)、その内容において、国交回復を結べると確信した政府は、その年の9月、共同声明に調印した。

では、池田氏の正常化に与えた影響となると、一分の貢献はあったかもしれないが、それは当時多数の日本人がかかわった者の中の一人に過ぎない。むしろ結果としては竹入氏の貢献が歴史に残ったのである。

尚、下記の文書は東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室が日中関係資料をまとめた中の一部を、抜き出したものです。ネットにその全文がありますので、興味のある方はご覧ください。資料


●日中政府の国交回復への姿勢  

1951年12月24日
国民政府との講和に関する吉田書簡
過般の国会衆、参両院における日本国との平和条約及び日米安全保障条約の審議に際し、日本の将来の対中国政策に関して多くの質問がなされ言明が行われました。その言明のあるものが前後の関係や背景から切り離されて引用され誤解を生じましたので、これを解きたいと思います。
日本政府は、究極において、日本の隣邦である中国との間に全面的な政治的平和及び通商関係を樹立することを希望するものであります。
([出典] 日本外交主要文書・年表(1),468‐470頁.条約集第30集第1巻)

1953年9月28日
日中関係に関する周恩来中国首相の大山郁夫教授に対する談話
周総理 われわれは,世界各国との正常な関係,とくに日本との正常な関係の回復を主張しています。
 周総理 そうです。われわれは,日本人民の代表団がわが国に訪問に来ることを歓迎すると同時に,わが国人民も代表団を派遣し日本に訪問に行くことを希望しています。しかし,今日米帝国主義および日本の反動派は,日中両国人民の友好関係の発展を阻害しています。
( 日本外交主要文書・年表(1),569-570頁.外務省アジア局中国課監修「日中関係基本資料集」,50-2頁)

1955年8月17日
日中正常化のための北京会談提唱の沈平総領事書簡
 中日両国関係の正常化を促し,あわせて国際情勢を引続きやわらげる上に寄与するため,中国政府は,中日両国政府が両国の貿易についての問題,双方の居留民の問題,両国人民が相互に往来する問題,およびその他両国人民の利益に関係のある重大な問題について話合いを行うことが必要であると考えます。もしも日本政府が同様の希望をもつておられるならば,中華人民共和国政府は,日本政府の派遣する代表団と北京で会談を行うことを歓迎いたします。
(日本外交主要文書・年表(1),722頁.外務省アジア局中国課監修「日中関係基本資料集」,90-2頁)

1957年4月22日
社会党訪中団と中国人民外交学会の共同コミュニケ
 日本社会党中国訪問親善使節団は日本と中華人民共和国との親善友好を増進し,両国間の国交正常化を促進する目的をもつて中華人民共和国を訪問した。
(日本外交主要文書・年表(1),797-799頁.外務省アジア局中国課編「中共対日重要言論集」第2集,189-92頁)

1957年7月25日
周恩来中国首相の日中関係正常化に関する談話
 われわれはアジアの各国と平和に共存することを望んでいる。われわれはこれまでもたびたび言つたが,もし中国と日本の正常な関係が回復されたならぱ,中国と日本は相互不可侵の友好条約を結ぶことが可能である。
(日本外交主要文書・年表(1),814-816頁.外務省アジア局中国課編「中共対日重要言論集」第3集,16-20頁)

1959年6月4日
日中国交正常化問題に関する石橋湛山前首相の周恩来中国首相あて書簡
 よって若し閣下にして私が以下に記す申出に大綱において異論がないならば,是非共これがため力をかし賜わり度く,私もとより微力を尽し,日本国民を説得誘導してその実現に邁進する覚悟であります。しかし,それには是非閣下の貴国における御協力を必要とします。
一,中華人民共和国と日本との両国(以下両国と称す)はあたかも一国の如く一致団結し,東洋の平和を護り,併せて世界全体の平和を促進するよう一切の政策を指導すること。
(日本外交主要文書・年表(1),925頁.「石橋湛山全集」第14巻,424-8頁)

1959年8月22日
日中国交正常化問題に関する周恩来書簡
石橋湛山先生
 閣下が御書簡のうちに明記せられている如く,私は,中日両国の友好促進と世界平和の維持のため努力せられるという立派な願望を,閣下がお持ちになっていられるのに対し,同感であります。のみならず,このような願望は中日両国人民の願望と符号しています。私は中日両国の政治家がこの願望に即して率先して意見を交換することが,中日両国の友好を促進するために有益なる貢献をなすことを確信いたします。
(日本外交主要文書・年表(1),926頁.「石山湛山全集」第14巻,424-8頁)

1959年9月20日
石橋湛山元総理と周恩来総理との共同声明
 日本前首相石橋湛山先生は、中国周恩来首相の招請により、一九五九年九月九日から九月二十日まで、中華人民共和国の首都北京を訪問した。滞在中、石橋先生は、周首相、陳毅副首相と友好的なふんいきの中で率直に意見の交換を行った。双方は、両国民が手を携えて極東と世界の平和に貢献すべきであると認めた。
(日中関係基本資料集、165‐166頁)


池田氏が提言を発表する10年以上も前に、このような国交正常化への取り組みが育まれていたことを知るべきです。 


追記
非活副本部長様 貴重なコメント有難うございます。 


側近幹部の離反続く

2012-06-12 15:38:29 | 学会の動向

この一年で学会本部には、池田さんの相変わらずの“元気偽装”が続く中、側近幹部が離反する動きが表面化している。

まずは、古い会員にはショッキングな池田さんの懐刀・中西治雄氏の日蓮正宗復帰。続いて、公明党の下野に伴ない、再登板の動きを見せていた秋谷元会長の突如、宗門復帰の噂から行方不明に。少なくとも学会活動の形跡なし。

「白バラ通信 パンドラの箱」(香川大教授のサイト)で浮き出た、池田本のゴーストライター・野崎至亮副会長の離反。

野崎氏は昭和50年代の月刊ペン裁判で原島嵩元教学部長の証言によると、自分も池田氏に嫌悪感を持っており、原島氏に続く旨の言葉を言っていたとされる人物である。そして、60歳にしてガンで亡くなった野崎勲副会長の兄である。

香川大教授VS学会本部の法廷闘争の中、教授のサイトに奇しくもこんな模様があぶり出された。

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さらに、山本氏は、私の妻が「和田氏や野崎至亮氏(元創価学会副教学部長、以下野崎氏と記述)氏などの4人によって、夫の信心がおかしくなった。」と言っていると告げました。妻は、「この4人のせいで、夫と息子の信心がおかしくなり、夫は、創価学会は悪の巣窟であり、池田名誉会長はカルトの頭目であると述べるようになった。」と述べていると、山本氏は発言しました。
(中略)
ところが、野崎氏との出会いで、池田会長の発言は誤魔化しであったということが分かりました。野崎氏によれば、池田氏は、相手が自分では答えられない質問をしようとしていると感じると、先手を打って、「自分で解決しろ。」という言葉を連発するとのことでした。この言葉で、相手を誤魔化すのだと言われました。
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と、つまり現役の山本副会長、高倉教授(学会員)の両氏から野崎氏は離反の動きを示していることが明らかとなったのである。

学会本部からは他にも消えた側近幹部がいるが、末端会員はベールの中のことでありまったく事情が分からない。さらに、いつの間にか亡くなっていたという幹部たちも続々。なぜ、お世話になった会員に訃報を伝達しないのでしょうか?

池田さんの手足となって指導に回るのが側近幹部の仕事であるが、その幹部らが永続的に離反していくのが学会の現状だ。

会員はその側近幹部の指導を信じて活動しているのであるが、これではその根拠が崩壊しているのに等しい。

なんと馬鹿馬鹿しい組織でしょうか。

なお、最近、池田氏が学会研修所や学園で、激励に歩いているそうですが、目撃した会員は詳細をご一報ください。
※訂正 
「歩いている」 のではなく車に乗っての誤り。歩行は不可能かと思われます。(笑)


52年路線の池田発言

2012-06-06 11:01:28 | 学会の動向

創価学会はあくまで信徒の集まりという身分をわきまえず、創立当初か ら身勝手な行動に終止していたことは、ネット時代になって随分周知さ れてきました。

牧口初代会長は、個人的な価値観に日蓮正宗の教義を利用し「創価 教育学会」設立。猊下に背反し獄死。

戸田二代会長は、別教団ともいうべき宗教法人創価学会を設立。

池田三代会長は、勝手に板本尊を作製し宗門離反工作、弾圧路線。

この学会の歴史からして、信徒を装った「創価学会」宣揚集団であった ことは明らかで、あくまで信徒にすぎない学会には大聖人の仏法は存 在しない。ただのまやかしである。

この立場を見失った集団が、昭和40年代後半から始まった宗門批判、教義逸脱52年路線は、今、その歴史の項目だけを見ても凄まじいものがある。

その52路線の渦中、この人間の頭の中はどうなっているのかと思える 、二枚舌さながらの発言を内部資料からお見せいたします。

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52年1月2日 広布会 関西・白浜 (池田会長発言)

 実は広布会ということについては、新聞でも発表したと思いますけれ ども、きょう、第一回のお集りを願いいたしまして、お寒いところ、また遠 いところたいへんに恐縮に存じております。

 これは、十年、二十年、五十年、百年先のために今から、いろいろと 、端的にいいますと、お寺と総代、いわゆる寺院・僧と信者との関係を きちっとしておかないと、ほんとうの僧俗一致もできなくなってしまう、そ れから、だんだんその辺からあいまいになってくると堕落してしまう。こう いうような意味から、広宣流布達成への規範をある程度、きちっとして おかなくてはならないのではないか。こういう、強い副会長等のお話し や県長級のお話しやその他、本部の部長級からも再三となく、しん言が ありまして″わかりました″とじゃあ、総代の方々にもよくお集り願いま して、これからのことをよく協議しながら、理想的なものをつくろう、こう いう意味で、広布会という名前にし、広布という中には令法久住も含ま れると思いますし、きょうの第一回の集会になったわけでござ二ます。
(中略)
 いろんな中堅幹部や総代さんの中からも、八方から、僧さんの非常に よくない話が、入ってきたわけなんです。何回も何回も入ってくるのです 。そうでしょう。であるけれども、全部、守ってあげなさいといって、最大 限に私は厳命して、よう護してまいりました。これだけのすい亡の一途
をたどっておった宗門も、世界的な宗門にしたことは事実なんです。お 金がないとき、ご供養し、正本堂をはじめとして、折伏もし、もう難は一 身に創価学会がうけながら、今日の大興隆、千人前後の僧侶までした わけです。
(中略)
 猊下が体で、根本で、本門の大御本尊○迹だというのだから、それが 一番正しいんだという論調になっていたり、池田会長のことを御本仏と いっているから、けしからん、みなさん、いいましたか、御本仏と、そん な仏(ほっとけ)の話なんかわざわざつくって本山にざん言するのです。
なんでも、今度の論文もそうなんです。会長は御本仏と学会はしている と、私が御本仏といって・・・だれかいったねえ区長さんが、御本仏だっ たら向こうから拝みにくればいいじゃないか。ゼニばかりとって。

(『創価学会・公明党の研究』段勲)
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 この会には学会員だけでなく、法華講員が同席している場であったこと は池田氏自身が説明している通りです。
この会での発言のテーマは僧俗一致にあったはずだが、池田氏はそん な気はさらさら無くむしろ、宗門をいかに叩くかに終止し、その地位を陥れることを目的としたことが読み取れる。言葉づかいからも正常ではないことが感じられる。

 法華講員はもし、僧侶に何か不穏なことが起きても根本の師・大聖人、 時の猊下、所属の指導教師(御住職)という筋目を踏まえているので、 信心を左右されることはないが、前述したように学会は歴代会長の行 動に明らかなように、師弟子の筋目を知らない。
この筋目を初代会長がわきまえ信仰をしていれば、池田氏のこの会で の発言も無かったかもしれないが。

 少なくとも、「化儀抄」を知っていた池田氏が、誰とも分からぬ僧侶の批 判を集会の席で公言することは、謗法であることを気がつかなかったか と思う。もはや宗門の教義など眼中になく、自分こそが大聖人と言って いるのと同じ状態だ。大聖人へご供養された信徒には見られない、「自分が宗門にしてあげた」の押し売りの程度の低い内容である。


仏法を私物化

2012-05-21 19:54:52 | 学会の動向

 昭和40年代から学会が「南無妙法蓮華経」の題号を二度に渡り、商標登録をしたということは、ネットでは有名となりました。信徒時代にとち狂ったことをしていたんだなと思っておりましたが、なんと学会は「折伏」「広布流布」「王仏冥合」など10件ほど行っていたそうです。
 これを学会が悪用すれば、発行元である宗門が御本尊の書写をできなる。そんな脅しもできてしまうわけです。
 中国でも外国製品をどんどん商標登録して、大本の企業を困らせておりますが、この国の方の意識と何か共通のものを感じます。まあ、今はこんな馬鹿げた団体と離れることができて、本当に良かったと思います。
 30年以上前に、この商標登録を調べた方が、正宗御僧侶へ宛てた手紙がありますので、全文を紹介します。


拝啓

 私が全く時間がありませんので女房に調べさせたところ同封致しましたものが出て参りましたが、商標登録してあるのはこれだけではありません。
 今回、見つけることができませんでしたが以前私が見たものの中に「折伏」「広宣流布」等が登録されております。
 又、当然、意匠登録もされていると思います。商標登録とは「工業所有権の範疇に属する私権であり特許、実用新案権意匠権と同じく排他的、独占的な効力を有する無体財産権」だそうです。
 私達信者が問題にしなければならぬのは、法律的な意味でなく、信心の上からです。
 大聖人様が御一生をかけて悟られた南無妙法蓮華経と云うモノの所有権がなぜ御本仏とは無関係の創価学会にあるのか。

 コピーは第17類ですが極端な言い方をすればもし、例に布製のお守り御本尊(御型木の)を作られれば中央のお題目は創価学会の所有する商標権にふれてしまうことにならないだろうか、他の類にすでに登録されているか知れませんから、今我家の御本尊も違反なのかも知れません。

 それはともかく、大聖人の仏法を商標登録する感覚は増上慢と云うより異常なことです。
この問題が公けになれば学会は登録したのは自分達の都合ではなく、大聖人の仏法用語を不正な目的に使用されることなくするため、守るための登録であると云うでしょう。
 その通りだとしても南無妙法蓮華経は即大聖人の御生命であり、便宜上登録するとしても、その権利者は血脈付法の方であって、池田や学会であるはずがありません。

あの邪宗の庭野日敬ですら登録まではしていません。
しかしもっと重大な事態は、海外、特にヨーロッパ各国とアメリカだと思います。
 いくら外国で信者が増えても正宗の財産である「法」がいろいろな形で創価学会の所有として登録されていれば日本と異り勝つことはむつかしいと思います。まさしく創価仏法です。
 国内より、そちらの方が深刻だと思います。東京ならば調べることが出来ますから人手があれば調査して載きたいと思います。
大げさかも知れませんが世界広布を防げる要因になるような気が致します。
 なるべく早く伺いたいと思っております。よろしくお願い申し上げます。

8月27日

渡辺伸孝御尊師様

大井和之

(『創価学会・公明党の研究』段勲 晩聲社)