「週刊文春」8/4号では
最近の池田名誉会長の執筆たるや、売れっ子作家も顔負けである。
と伝えている。
では、池田さんの進行中の著作をあげてみましょう。
・「パンプキン」でエッセイ連載中
・「潮」で連載対談
・「灯台」で女性学者と連載対談
・「新・人間革命」9/1から聖教に連載
・「大白蓮華」巻頭言
・各種会合のメッセージその他
会員から姿を消して、すでに1年3ヶ月。
重病と伝えられる池田さんが、このような仕事をこなせるとでも思いますか?
これだけの種類を執筆していれば、編集担当者との接触がないわけはない。
そんな話も聞こえれこない。どうやって原稿やり取りをしているのか?
このような疑問に会員も不信を持っております。
代作によって会員を騙していたなら、公益法人として許されることではない。
口をつむる学会幹部よ真実を公表せよ!
平成3年11月28日に創価学会は団体としての破門となった。
その二日後に「創価ルネサンス大勝利記念幹部会」を開催。
(この時点では池田さんも一般会員も破門になっておりません)
この幹部会での笑える指導をご紹介いたしましょう。
※青文字は学会の指導集から引用。
未来の教典には「創価学会」の名が厳然と
本日は、緊急の、“祝賀の集い”があるというので(爆笑)、私も出席させていただいた(拍手)。全国の皆さま、ご多忙のところ、またお寒いところ、お集まりいただき、申しわけありません。
まず、見出しに教典に「創価学会」の名が載るだって(大笑)
次に、破門され動揺したのか池田さん。
“祝賀の集い”があるというので(爆笑)、私も出席させていただいた
と言ったら、お集まりいただき と言ってみたり、会合に呼ばれたのか、集めたのかどっちなんでしょうか(笑)
「十一月」は学会創立の月であり、「二十八日」は、ご承知のとおり、法華経二十八品の「二十八」に通じる。期せずして、魂の“独立記念日”にふさわしい日付になったといえようか。(拍手)
魂の“独立記念日”だって。良かったじゃないですか(笑)
それで、何の未練があるのか?
日亨上人の言葉を引いて
「現在の宗門で、学会以外に、取るものがあるかね。学会を排除する宗門は、忌むべきである」(昭和26年6月)
昭和26年当時と池田創価の犯した時代ではまるで、宗門の評価はちがいますよ。本尊模刻、教義逸脱問題はお忘れか。
「大聖人の仰せどおりの『広宣流布』の精神は、今や、学会にしかない。宗門が学会を“破門”したということは、それ自体、大聖人の御精神のすべてを、取り去り、排除したのと同じである。あとに残った悪僧と寺院には、正しき信心のかけらもない。廃墟も同然となった。
確かに一時的には廃墟に近かったかも知れませんが、10倍近い人員に増えておりますよ。池田さんの言うことは当てになりませんな。
「日顕管長は、在家出身ではなく、親子二代にわたる“エリート管長”だそうだが、血統を云々すること自体、日本的発想の、おかしなところである。日本人は、なぜそんなに“血筋”が好きなのか、理解に苦しむ。仮りに親が立派だとしても、子どもも立派とは限らない。カトリックでは逆に、特別な血統がないところから、いろいろな人材が出ている。
叩き上げでもない、実績もない池田さんの妻や息子が何故、特別扱い?どうせ学会を後継するんでしょ(笑)
また宗門の「C作戦」(創価学会分離作戦)には、「創価学会の法人責任役員の過半数を、日蓮正宗管長の指名する僧侶が占めることを命じます」等の“信徒団体乗っ取り”の謀案が明記されており、仏法的にも、良識的にも、人権上も、まったく“逆行”の体質が、社会の人々の眼前に浮き彫りになった
「これらはいずれも一方的であり、その内容も客観的根拠に乏しく、また、これらを補強し得る的確な証拠もないから、右証拠から直ちに被告の右主張を認めることはできない」平成11年4月21日 長野地裁判決文
とあるようにC作戦など存在しませんよ。池田さんは自ら衛星中継で捏造を喧伝したのでしょうか(笑)
池田さんは、相当とっ散らかってますな。
創価学会が破門される前の1年間、池田さんはどのような宗門批判を続けたか、検証していきます。
池田さんの指導は衛星中継では宗門をハッキリ名指ししているが、公式の指導集、聖教新聞にはその主語が省かれている。しかも、誰々がそう言っているなどと人の言葉を利用する狡猾さ。正義、正義と声高に叫ぶわりには何と意気地なしか!これでは、後世の会員が読んでも何のことやらピンとこない、読む価値もない書籍となってしまう。
では、公式の指導集から抜粋。
平成3年1月18日
魔女狩りがない点だけでも、私どもは仏教徒であってよかった(笑い)。仮りにも、それに通じるような行為、宗教的権威による庶民狩り、信徒狩りがあったならば、それはもはや仏法ではない。外道である。仏法破壊であり、当然、大謗法である。無力な信徒を、問答無用に処分するような考え方や行為は、絶対に仏教ではない。いわんや日蓮大聖人の仏法の世界では、大慈大悲の御本仏への反逆となろう。
7月10日
これは法華経の行者を迫害する敵人(三類の強敵)のうち、もっとも悪質な「僭聖増上慢」の姿である。つまり、“聖僧”の名を盗んで、その資格もない偽って名乗り(僭聖)、大衆を離れて人間を見下ろしながら、しかも「真に仏道を行ず」と称する---そういう存在が、法華経の実践者の最大の敵として現れてくるとの予言である。
学会もこれまで「会長本仏論」など、こちらが聞いたこともない(笑い)、想像すらできないような珍説をたてているかのごとく宣伝され、それを圧迫の口実とされてきた。
7月14日
私ども学会員は六十年間、ひたすら広宣流布を願い、不断の信心に住して、宗門に対しても供養の誠を無量無辺に尽くしてきた。それに対して、権威・権力で信徒に君臨するような傲慢な僧があれば、大聖人のお心に違背し、日達上人の戒めに背く「天魔」である。(拍手)
7月26日
外面は立派そうな大聖人門下の姿をしながら、心の中では、真の仏子の集いを切り崩すことに喜びを見いだす---「大魔」のつきたる者の残忍な、どす黒い心根である。
8月21日
彼らは、どすして“泥棒猫”のようなまねをするのか。その一心理を、わかりやすくいうと、本物の法華経の実践者が出ると、皆、そちらのほうへ行ってしまうので、「くやしく」「ねたましく」思うからであると説かれている。
8月26日
しぼるだけしぼりとって切り捨てる---これが「権力」の残酷さである。民衆無視、民衆蔑視、民衆利用の手口である。
8月31日
もしかりに、仏子である学会員の尊い苦労を、いささかでも軽んずるようなことがあるとすれば、それは大聖人のお心への重大な違背であると断じておきたい。
9月3日
大聖人の仏法は、決して一部の人のための宗教ではない。本門戒壇の大御本尊は、「一閻浮堤総与」、すなわち全世界の民衆のために建立されたのであり、決して特権的な人々のためにましますのではない。
“信心の狂い”の一つの表れとして、正法正義を歪曲して、自分勝手な邪義を言いだしたり、やらたむずかしい、一見、深そうだが底の浅い“新説”を持ちだす傾向がある(笑い)と、ある幹部が語っていた。(笑い)
9月8日
御本仏大聖人の法門を、みずから都合のよいように曲解するのは、天魔がその身に入っているのだ、と厳しく叱られている。
自分だけ地獄に堕ちるのではなく、罪もない人々をたぶらかして巻き込んで、ともどもに無間地獄の道を歩むのである。私どもは、鋭くその正体を見破らねばならない。(拍手)
9月9日
その真心を踏みにじり、私を誹謗し、多くの会員をいじめぬいている僧の振る舞いを見る時に、少々、申し上げておきたい。(中略)
したがって、正法を持つ僧侶の姿をしてはいても、大聖人のお教えに背き、広宣流布を妨害し、正法を弘める学会の破壊を企むような非道を行う者は、不正直の僧であり、邪曲の悪呂なのである。(中略)
衣食が足り、生活が豊かになったことで、逆におごりたかぶった僧侶が、広布に励む信徒を見くだすようになってしまった---これが、今回の問題の大きな原因であろうと、このお言葉に照らせばよくわかる。
9月29日
「究極的なもの」とは、仏法でいえば「本尊」にあたろう、有限な存在でありながら、たとえば自分を「本尊」の尊厳にまで高め、“一体不二”などと主張する者がいたとしたら、そこに「宗教の悪魔化」が始まるというのである。
10月1日
大聖人門下を名乗りながら、謗法を容認し、御書を軽視し、日興上人の末流を名乗りながら、民部日向とそっくりの振る舞いをなすのでは、これこそ、いわば“三宝破壊”ではないだろうか。(中略)
大聖人、日興上人の仰せどおりに進んでこそ、仏法は万年に清らかに流れていく。師敵対の「日向の末流」に従っては、仏法の心を殺す大罪となる。
10月17日
僧侶は、本来、民衆を救うために、正法へ導き、成仏への道を教え、信仰を励ますなど、信徒の幸福に尽くすのがその使命のはずである。僧侶の権威をかざして信徒を抑圧し、従属を強いて、信徒に奉仕させるというのは、本末転倒である。そのような者は、もはや仏弟子ではなく、僧侶ともいえないのである。
11月4日
「悪いのは宗門の“謗法の一派”であり、将来、日蓮正宗が正常化した時代には、新たな対応が可能であろう。ただし、その場合も、宗門と学会、僧と俗は、構造的な緊張をはらむ関係であり、この構造自体をそのままにしておくかぎり、根本的な解決はない」
ともあれ、仏法破壊の者とは断じて戦いぬく。いつわり親しんではならない。
11月9日
天魔らが、その身に入った「悪鬼入其身」の高僧が、正法を破壊しようとするのである。
「宗門問題の根本原因は法主の嫉妬」
「池田名誉会長と創価学会の存在がなければ、日蓮正宗など一つのちっぽけな既成仏教で、だれにも知られることなどなかったはずだ」(拍手)
と、まあ信徒の立場で、ようやくすると“宗門は大謗法、堕地獄”と吐き捨てているわけです。
数百万人の信徒の代表が、これほど誹謗してただでは済まないのは当然です。社会の組織においても当たり前のことであります。
破門されて、当然のことを池田さんはしでかしたことが分かるでしょう。
会員さん、これほど宗門を罵った池田さんの現在の現証を見よ。
人前ではもうしゃべることは不可能な状態ではないか!
創価学会が破門される前の1988年、公明党初の造反議員となった大橋敏雄衆院議員がおります。この事件については当時、会内でも全国的に周知され有名である。
池田さんの大謗法を糺した告発手記に池田さんは何も反論せず、ただただ会員にこんな言葉を発して弾圧を始めた。
「魔とたたかえ・・・ほんとうにもう、あいつの胸にピターッと短刀をね、切りつけなきゃ」(1988.4.22 本部幹部会 池田発言)
とスピーチの途中に突然、常軌を逸した恐ろしい言葉を口走った。
この後、学会は大橋氏の金や女問題をデッチ上げたことは、言うまでもないので省略いたします。
この事件で地元学会員はどう動いたのか?
どの顔にも、とまどい苦悩の色が浮かんでいた。こうした雰囲気のなかで、大橋問題が表ざたになって初めて、池田批判の大衆的宣伝行動に立ちあがったのが北九州市で「中国はり・灸専門院」をひらく筒井保氏(75歳)だった。
創価学会に入会して三三年になる筒井氏は、選挙のベテランとして学会内で名の知られた活動家である。筒井氏は、大橋除名劇をきっかけに学会員、学会脱会者、公明党支持者ら百数十人と秘密裏に会合をひらき、八八年六月二十六日、北九州市のJR小倉駅前で、池田批判のビラを配ることで「大橋敏雄国会議員を守る会」と名乗る新しい組織を旗揚げした。
ビラは次のように訴えている。
「名誉会長池田大作は、自己の名誉欲を満たす人間の下らない人なのだろう。創価学会・公明党を支配、私物化し、いかなる謀略を企んでいるのだろう。彼が考えているような謀略に騙される日本人ばかりではない。宗教に名を借りた大悪党といわざるをえない」「この度の公明党大橋議員除名劇は筋違いの上に、人格権さえ侵すデタラメである。こうしたデッチ上げは、公党として許されることではない。諺に「天井を向いてツバをはく・・・」とあるが、(不公明)で汚れ濁った政党であることを証明したのみか、自ら団結を乱したなにものでもない。この先、除名される議員がいないと誰が断言できるだろうか。今日まで、公正清潔の一枚看板で国民をだまして来た政党ではなかろうか」
(中略)
筒井氏を中心とする新しい組織づくりは、大橋氏や従来の反池田グループが話をもちかけたのではない。筒井氏を軸に一般学会員が自発的に集い、活動資金を出し合い、何回となく議論して手づくりのビラを作製し、自分たちの手でそれを市民に配った。
ビラの反響は大きく、「こちらでも配りたい。ビラを分けてほしい」「自分たちも何らかのグループをつくり決起するつもりだ。連携してやっていこう」と、筒井氏の自宅には、九州はもとより全国から電話、手紙が殺到した。
全国で飛び火する池田批判
飛び火するように、創価学会・公明党の牙城といえる大阪でも、池田批判ビラが公然とばらまかれた。
「はっきり申し上げるならば、池田大作という男に大聖人に対する信心というものは、もはや無いのです。彼は、自分自身が大聖人も生れかわりとして君臨したいという野望をかいま見せてくれただけなのです。もうじき彼に対して仏の断が下るでしょう」
みずからワープロでビラをつくったのは大阪・和泉市に住む創価学会副ブロック長の時倉強氏(40歳)。創価学会和泉文化会館での会合が終わった八八年七月二十五日夜九時過ぎ、帰途につく学会員に一人で配ったのである。
慌てた学会幹部や警備員が、時倉氏を取り囲んだものの、ビラ配りを中断させることはできなかった。時倉氏はまた、ワープロで次のような手紙もつくり、学会幹部や一般会員に郵送している。
「御書の一節に『謗法を責めずして成仏を願わば、火のなかに水を求め、水のなかに火を求めるがごとし』との厳しい御金言がありますが、名誉会長といえども例外ではないはずです。大橋さんの告発も、この一節に従っただけなのではないでしょうか」
日蓮正宗の総本山・大石寺のある静岡県---。創価学会の“聖地”ともいうべきここでも、男性学会員の手で、「池田大作氏に指導者の資格なし!財務の金額で信心をはかるのは邪宗と同じである」と題したビラが配布された。
ビラは、「かつて、各種会合等で、『池田先生は、学会員のことは何でも御存知です』という指導が行われました。御記憶の方も多いと思われます。しかし、そんな力を池田大作氏が持っているのであれば今日の学会の姿はなかったでしょう」という文章で始まり、「財務」という名の学会員からの強制的なカネ集めの実態をこう糾弾している。
「東京などでは、定期預金を家族の分までおろして献金し、生活破綻を引き起こした家族もあります。『金が無ければサラ金で借りてこい』という指導も行われました。静岡においても、住宅ローンで四苦八苦している家庭に対し、『もう一口もう一口』と強要する幹部もおります。このような実態を池田氏は解っているのでしょうか?解っているのなら放置している池田氏は無慈悲な人物ということになります。わかっていないのなら、これまでの『何でも御存知』というのはまったくの虚偽でると言えます。どちらにしても指導者としての資格ある人物ではありません」
さらに、愛知では、「『新生創価学会を作る会』名古屋事務所設立趣意書」という文書が学会内部に出回った。趣意書は呼びかけている。
「ここ迄池田の謗法や狂気が明確になって来た以上、一信徒としても、もはや黙視出来ない。今こそ、我々第一線の活動家が総立ちになり、池田及び現創価学会執行部の謗法を責めるべきである。そうでなくては、与同罪は免れ難い。これは、元側近幹部などとマスコミなどに書かれている者達だけの問題ではなく、我々の問題なのだ。我々の信心で池田という一凶を断じつくす以外にない。そして、一日も早く学会を建て直すべきではないだろうか。今ここで、我々第一線の活動家が立ち上がらねば、日蓮正宗は名のみあって実無きに等しく、又その名を地に落としめることこの上ないものとなるに違いない。我々は、このようなやむにやまれぬ思いから立ち上がった。立つからには必ず勝つ。信心で勝つ。そして、一人より二人、二人より三人と、より多くの同志と共に闘う為に事務所を設立した。人として、信仰者として、誠の心あらん人の決起を待つ!」
これらの事件が起こる中で池田さんは何を言ったか?
「敵に包囲されて、メチャメチャに攻撃されている。池田先生(注:池田氏は自分のことを先生という)一人が反撃している。公明党の大砲はどうなっているのか。宗門はどうしているのか」
「師匠というのは弟子を煮ても焼いても食っていいのもだ」
「学会は世界一の長者になる。また名聞名利は男にとって麻薬である。その最大は議員なんだ」
(1988.8月 長野研修道場)
「総理級の学会だもの。何かいわれる、当たり前ですよ。・・・マスコミはマスゴミっていうでしょう。あれは売るためだよ。みんな。調べもしないで」
「右翼がきた、左翼がきた、それからね買収した、何があったとシャカシャカ週刊誌で書いた。そんなの銃声からみれば痛くもかゆくもない」
(1988.8.19 本部幹部会)
『創価学会・公明党 池田王国の落日』中川義雄
今日の学会員の本尊論は、戒壇の大御本尊はおろか、家の本尊をも軽視し、己心の本尊を拝み仏界を涌現させることを本義としております。
本当にそれは正しいのか?
過去の池田会長の指導から検証してみましょう。
大御本尊様は「南無妙法蓮華経 日蓮」と、すべてを成仏させていく根本のお姿をあらわしていらっしゃるのです。すなわち、「南無妙法蓮華経 日蓮」というのは、法本尊、人本尊をあらわしていらっしゃるのです。
ですから、法華経二十八品を、ぐーっと縮めて、宇宙の本源の法則、南無妙法蓮華経、そして境智冥合の人本尊であられる日蓮大聖人様、それが御本尊の姿になるわけです。
また、日蓮大聖人様は、妙とは頭、法とはのど、蓮とは胸、華とは腹、経とは足なりと、一身の当体にお説きになっておられます。
また、戸田先生は、空仮中の三諦にお説きあそばされています。宇宙それ自体も本尊であるそれは空諦の本尊、わが身は仮諦の本尊である、大御本尊様は中道法相の本尊であられる、このようにも申されておりました。
したがって、わが身が本尊といおうが、宇宙それ自体が本尊といおうが、それはまだ観念論です。日蓮大聖人様の図顕あそばされた、中道法相の大御本尊様に関係を結ばなければ、冥合しなければ、宇宙の本尊の実体も感じられないし、わが仮諦の本尊の事実の確信もできないわけです。
そこに一大事の因縁としての、日蓮大聖人様の大御本尊様、ご図顕の不思議、それからまたありがさがあるわけなのです。
(昭和37年6月23日 九州本部幹部会 法華初心成仏抄講義 池田指導)
創価学会は会員から本尊離れをさせたいがために、このような邪義を植え込んでいるのです。
今日に己本尊論やら久遠元初の永遠の法など、観念であるとハッキリ分かるじゃないですか!
学会の信心で成仏できないのは明らかです。
長谷川副理事長のことば
「池田先生を尊崇する人は創価学会に残れるが、御本尊を信仰する人は創価学会に残れない」(慧妙 7/16号)
戸田会長と当初の池田さんが「衆院選には出ない」との言をひっくり返し、公明党として進出した自語相違がありますが【参考】、参議院についても実にデタラメな自語相違を公式の指導として、言っておりますのでご覧ください。
本来、参議院の本質は、政党化すべきではないのです。今の誤れる政治のひとつのコブとして、参議院までがその本質を間違えて、政党色に染まっております。衆議院のほうは政党政治で、これはけっこうです。
しかし、参議院はそうであってはならないでしょう。これは、皆さん方もよくおわかりであると思いますし、どんな識者もそれは考えている、憂えている実情です。
したがって、創価学会が無所属として立ち上がっていることは、あくまでも、参議院の本質に、また民衆の意思にかなったありかたであると、私は信ずるものです。
自民党、社会党という政党色に染まっているのが参議院であります。そこに「第三勢力」として、清風を投じてきつつあったのが過去の緑風会---現在の同志会です。それも、だんだん衰微してしまった。もう参議院に大きい警告を、そして清風を送り込んでいくような人、団体はなくなってきている現状です。
今、創価学会は、けっして第三勢力とか、そういう政党色の考えは微塵もありませんけれども、民衆の要望、時代の要求に応じて、どうしても自民党、社会党、二つの政党の真ん中を、その政党をも反省させるべく「第三勢力」として立ち上がっていかなければならない運命にはいったことを、喜んでいこうではありませんか。
(昭和37年5月11日 東京第一本部幹部会 池田会長)
と述べております。
現在の姿と比較すれば全てがむちゃくちゃ大笑い!
所詮は天下盗りのための進出。
公明党の理念は、ただの目くらまし、ハッタリ。
「天下を盗ろう、それまでがんばろう。今まで諸君を困らせたり、学会をなめ、いじめてきた連中に挑戦して、最後に天下を盗って、今までよくも私をいじめたか、弱い者をいじめたか、ということを天下に宣言しようではないか。それまで戦おう」(前進4月号 池田会長)
「学会を大きくしてがっちり固めたら、いよいよオレは政界入りする。その時には公明党委員長じゃなく公明党総裁に変えてやろうじゃないか」
(昭和44年 池田会長)
こんな人間が総理大臣になってどうなりますか?
学会員はこんなデタラメな指導者の言葉に従い、物心を犠牲にしてきたのであります。
創価学会は人の信仰心を利用し、池田の天下盗りに随わされているのです。
こんな目的の集団に非課税特権を与えてはいけません!
もう、皆さんはお分かりでしょうが、学会は常に自分の都合の悪いことはひた隠し、反対に人にその罪を擦り付ける体質であることを。
その、中でも会長就任してすぐの池田さんが自ら、暴力事件隠し、情報操作を行なっている言葉が存在しますのでご紹介いたします。
「折伏にあたって、暴力をこうむってきたのは、あらゆる迫害をこうむってきたのは、日蓮正宗創価学会であります。ちょっとした事件で、その実態も調査せず、なんでもかんでも、日蓮正宗創価学会員が、暴力をふるったように社会に印象づけられてきておりますけれども、それは反対であります。はたして、暴力をふるいながら、これだけ、月々何万世帯、何十万人の人がふえるだろうか。そういう道理は絶対ありません。」(昭和37年3月21日 四国本部入仏式)
創価学会員は「我が組織が暴力事件をひきおこしている」などとは思ってもおりませんし、その現場もほぼ、見ていないと言えると思います。私自身も会員時代そのようなことを聞いたことは、ありませんでした。しかし、会内の飲み会などでは被害者として、私がそれを経験しております。
ですから、対外的に暴力事件を引き起こしていたとしても、それは数が少ないというのが現状で当たり前のことです。しかし、池田さんは巧妙とも子供騙しとも言える、「暴力をふるいながら、これだけ、月々何万世帯・・・」と全員が暴力事件を犯しているわけではないとスリ変えて、何一つ、事件は起こしていないと言い逃れたわけです。
池田さんが絡んだ暴力事件
昭和27年の狸祭り事件
青年部幹部らが老僧を担ぎ上げ引き回し、戸田自身も小笠原師を殴ったとされております。
昭和33年的場暴力事件
大石寺の所化頭である的場正順師に対する集団暴行事件
その後も、学会は反体制人物に対し、言論の暴力とも言える抗議、嫌がらせ等を行なっており近年まで続いている通りであります。
昭和38年
『文芸春秋』誌での座談会記事に対し、藤原弘達氏へ抗議の手紙、電話が殺到
昭和42年 座談会会場で殺人事件
愛媛県新居浜市の座談会会場で参加していた青年部員・神野忠信が、ささいな怨みから地区部長を刺殺。
昭和44年 練馬区投票所襲撃事件
東京・練馬区の選挙投票所(豊玉第2小)において、投票終了時間後に訪れた二人が投票できなかったことを理由に、市川雄一(元・参謀室長、元公明党書記長・代議士)を首謀者に百数十人の学会員が投票所を取り囲んで襲撃、女性・高齢者を含む投票立会人四人に集団暴行を加えて流血させた事件。
昭和52年 僧侶連続吊るし上げ事件
1/20菅野開道、1/28松本珠道、2月・坂井進道、栗原開道、水野顕道、高見求道、中村福道、3月・西本暁道、8月・玉沢研済ら僧侶を次々と吊るし上げ、詫び状を書かせる。
昭和57年 日蓮正宗深遠寺で5人を殺傷
29才の青年部員は同寺に乱入、住職の妻やお手伝いさんを次々と刺し、住職の5才の長女、3才の三女、21才のお手伝いさんが死亡する事件が起きる。
昭和63年 学園正門前で暴力事件
創価学園で催された「栄光祭」に出席した池田氏をキャッチしようと、学園門前に待機していたマスコミ各社の記者、カメラマンに対し、学会、学園関係者が、集団で暴行に及んだ
平成元年
男子部300名が福岡県・開信寺に殴り込んだ集団暴行事件
平成4年 大石寺ダイナマイト爆破予告事件
創価学会婦人部副本部長が大石寺に二十数回にわたって電話をかけて、『御影堂と客殿及び大坊に時限爆弾をセットした。猊下に取り次がなけれぱ爆発させる』などと脅迫し、更には三億円を用意するようにと要求した事件。懲役10ヶ月、執行猶予2年求刑。
平成5年 学会員金沢仁検事が参考人に暴行
「ひどい暴行があったのは翌十四日で、専務を壁に向かって長時間立たせた上、質問に答えられなかったりすると、後ろから繰り返し腰のあたりをけり、額や腹部を壁に激突させた。 「豚野郎」「猿野郎」「半殺しにして帰してやる」などと大声でどなりつけながらわき腹やももをけった。」朝日新聞 1993.11.29
池田さんは「私自身もやりました。あの時の指導以後、学会員による暴力事件が度々起こり迷惑をおかけしました」と謝罪すべきだろう。
創価学会は自分の犯した非を認めない集団であるということは、世間にも周知されております。
彼らの狡猾な言い逃れの手法としては、A・Bという不法行為が同時おきたとします。すると、Aは無罪となった。これをネタにBという犯行は行われていない、すべてがアンチのデッチ上げであると会員、世間に吹聴するということが常套手談となっております。
その実例として、大阪事件については池田会長自身が語ったものとして、ハッキリと文献に残されております。それも、。
私どもも一生懸命に、国のため、民衆のため、選挙の啓蒙運動のため、ひとりも投票を忘れるような人がいないよう心がけて、教えていこうという親切な行動をとってまいりました。
それを大阪の検事は「創価学会はけしからん。その根底は宗教団体であるのに、当選ばかりさせて、議員ばかりふやすとは、なにごとか」というようなやきもちがあるらしい。
「なんでもかんでも、つかまえてしまえ」というような、そういう出発なのです。
それで、白木議員が当選したときには、びっくりして、そのときのもずいぶんつかまえました。だが、国連の恩赦で、ぜんぶが解除されました。そういうわけで、中尾議員のときに今度は「どうしても今度こそやらなければならない」というので、とうとうデッチあげて今度の事件のようになったのです。不法逮捕であることは、これはもう、どこからみても明瞭なのです。(昭和37年1月24日 関西男子部幹部会 池田会長)
まず、「親切な行動」などと歯の浮くようなきれい事。実際は、学会員を当選させることだけが目的ではないですか。
この指導は昭和31年の参院選、32年の参院選補欠選挙のことを一緒にして、池田自身が不当逮捕であることを強調して、その他の逮捕のこともデッチ上げだとけむにまいております。
現在の「学会は何も悪いことはしていない、デッチ上げだ」という言い逃れる手法は池田さんが発明、流布したといっていいと思います。
更に、分析。
「国連の恩赦で解除」とありますが、これは大阪事件前年の選挙違反で多数の学会員が捕まったことを指します。これを、検察がデッチ上げて捕まえたとおっしゃっているわけです。
本当にそうなのか?
翌年の大阪事件では100人近い学会員が検挙され、20名が罰金、10人が公民権停止3年、7人が有罪となっております。これから類推しても、前年の事件は「何も違反はしていなかった」というには無理が有りすぎます。
池田会長はこの有罪になった事実を自身が不当逮捕であることを理由に、すべてがデッチ上げと言い逃れたわけであります。会員が有罪となた事実を隠しての指導は、ウソを語ったというほかありません。
当時の古参幹部の証言
「あのころ、末端の学会員はまじめで、ウソなどつけなかった。上の指示どおり猛烈に選挙活動をやり、検挙された。ありとあらゆることをやった。べらぼうな選挙違反だった。池田を守るために四十一人の学会員が除名処分になった。トカゲのしっぽ切りだ」(中川義雄『池田王国の落日』)
池田さんの自語相違発言は枚挙にいとまがないが、下記の指導もその一つ。
「よく話に聞きますが、ばく大な金をかけて、新興宗教や、その他の教団が、ラジオで宣伝したり、雑誌で宣伝したり、大勢の人をだまして、そして教団の勢力をつくっている事実があります。それは教祖自身の金もうけのためであることはとうぜんであります。私どもは仏さまのいうとおりの実践です。インチキは、ウソは、最後は滅びていきます。正しいものが、最後は勝つのが因果の理法です。」(昭和37年1月19日 女子部幹部会 池田会長)
この時期には、すでに会員からしゃぶり取ろうとの意識があったのでは。だから、このような内容が口から出てきちゃったんじゃないですか。
それにしても、1万2千人を前に指導が低俗過ぎます。
現在の学会はどうでしょうか?
新聞、雑誌、テレビ、ラジオにどれだけの金を使ってますか。
やはり本人が言ってるように、教祖(池田)の金儲けだったことが裏付けられます。
選挙に負け、活動家が減り、最後は滅びてしまいます(笑)
創価学会会長は二代も三代も金が目当て。
http://blog.goo.ne.jp/gakkaia-z/s/%B9%BE%BA%EA%BE%A1%CC%D0
学会員がまたまたまた不法行為!
創価学会という組織は何度も何度も司法から、不法行為認定を受けているにもかかわらず、それらを棚にあげて、こんなお馬鹿なコメントを聖教に載せております。(笑)
棚野(青年部長) 学会の平和・文化・教育の運動は、世界に大きく広がっている。ゆえに、それをひがみ、そして妬み、誹謗する輩も必ず現れる。
竹岡(牙城会委員長) そうだ。ネット上に悪意で、卑劣で陰湿なデマを流す輩がいる。
桜井(男子部書記長) ところが、こうしたデマは、『いつ』『どこで』『いくらで』『誰から誰に』そうしたことがあったのかという具体的な根拠がまったくない。要するに、読めばすぐに『作り話』と分かるものだ。
橋元(男子部長) デマを流す人間の心が、あまりにも貧困だ。皆から笑われているよ(笑)
(創価新報 2011年6月15日号 「青年部座談会」において)
だ、そうです(笑) アホか!
こんな輩にご指導される男子部員は大変に不幸です!
では、本題に。
学会員ジャーナリストの名誉毀損
まず、創価学会員であるジャーナリスト柳原滋雄が運営するサイトの記事の中で、朝木東村山市議の転落死事件について矢野市議に対し「この件ではむしろ矢野は重要容疑者の一人」と転落死に関与しているかのように記述。
これに対し、矢野市議は損害賠償訴訟を起こし、東京地裁は本年4月25日、30万円の損害賠償を支払うよう命じた。
上記の座談会はこの裁判後のものですよ!
学会に反省という言葉はないのかい。
つづいて、
すでに話題となったつい先日の事件は、日蓮正宗側を攻撃する目的としたサイト『ゴルゴとマリア』が突如、謝罪文を載せ閉鎖されました。
その経緯は、
このサイトは学会の作者不明の怪文書『勝ち鬨』『フェイク』の内容を流用し、宗門信徒である妙観講講頭・大草一男氏に対し女性スキャンダルがあり、また反社会的な活動やハレンチな行為を行なっているかのような名誉毀損にあたる情報を掲載したもの。
この事に対し、大草氏はプロバイダーに情報開示を要求、昨年12月、名誉毀損に基づく損害賠償の支払いと謝罪文の掲載、サイトの閉鎖を求めて管理者を東京地裁に提訴した。
管理者は総区未来部長、創価班委員長だった!
この事件は、早々に学会側弁護士から解決金の支払い、謝罪文の掲載、サイトの閉鎖を行う和解申し入れにより、6月下旬サイト上に謝罪文が掲載された。
創価学会がネット上に悪意による卑劣、陰湿なデマを流したことが明白となった!
また、一部の学会員が法華講員らの個人情報などを書き込み、嫌がらせを行なってますが、情報開示請求するまでもなく、かなりの割合で特定できてますよ!
気をつけなさい!
詳しくは「フォーラム21」 2011.7月号