いよいよ、参院選告示まで一ヶ月を切ったもようです。
私は先日、「政教分離を考える会」のビラを取り寄せ、ある所から配布しております。
公明・学会が再び言論封殺
ネットなどでは、このビラに対し公明が告訴していると書かれております。当時のビラは池田と公明幹部が写った写真をめぐってのものらしく、それすらも、公益法人、公党に属する人間のものであり、即座に告訴することは訴権の乱用ではないのか。肖像権云々の前に、国家レベルの重大な疑惑に答える必要が生じるはずです。
聞くところによると今回のビラでは、8回も告訴する横暴ぶり。しかし、一切受理されておりません。
それはそうです。内容の殆どは池田発言を並べただけのものです。
だいたい、それに対してなんで、公明党が告訴???
こんな自由を権力で押さえつけようとする政党はいりません。社会悪であります!
なんとしても消滅させましょう。
このビラは我々、元学会員が見てもとてつもなくインパクトがあります。
本部、末端組織では戦々恐々としております!
では、内容の一部である大作さんの言葉を紹介します。
「教義を実現するためには、政治の力が必要です。そういう目的で公明党を作ったのだ!」平成6年9月14日 記者懇談会において
「創価学会を離れて公明党はありえない。 もし創価学会を離れた独自の公明党があるとすれば、それは既存政党となんら変わることのない存在、創価学会と公明党は永久に一体不二の関係。 」(池田会長全集 第1巻)
「公明党と学会との関係は絶対にこちら(※創価学会)が上だ。 世間は馬鹿だから、議員が偉いと思っている。 」(第五十回社長会で 昭和四十年七月八日)
どうですか、こんなことを許せますか?
学会内外に大反響を呼び起こしている、このビラを皆さんで配布しましょう。
ビラ配りは功徳あります!一度配って見ましょう!
このビラは誰でも配布可能です。但し一枚3円(2000枚単位)となります。
連絡先
「政教分離を考える会」
http://sk-bunri.jp/index.html
聖教ネットに掲載されている<創価新報>2010年5月19日付の内容紹介に
「6面では、青年僧侶改革同盟の松岡幹夫氏のインタビューを掲載。日顕宗が没落、崩壊の一途をたどっている要因について語っている。」
と性懲りもなくデマを宣伝しているおるね。
だいたい、創価と違う邪義を唱えて、どこの宗派でもない脱落僧と手を組んでいること自体、狂ってると思わないのか?
宗門は破門時から見れば、倍増に近い状態。彼らが批判するのは、一部の講中などを挙げて、目標に達成していないとか言っているだけ。そんなことはどこの組織にもあることだ。自分のブロックや青年部の激減などを心配した方がよかろう。
まあ、こんなデマで洗脳していると逆効果なんだけどね。
実際、本山の様子の写真を見て“学会のウソが分かった”と気が付き脱会者が次々出ているんだよ!
最近の聖教DEMA新聞の写真を見ていて「アレ、参加者少なくない?」と感じたことが何度かある。
カメラマンや編集員はそのところ上手く処理しているのだろうが、私の目はごまかせない!(笑)。
上の写真を見て「ヤッパリ少ない!」と確信した。
淋しい、会長出席の会合
学会の会館はそもそも1000人くらいは収容できる広さなのだが、写真をよく見てください。
前から10列目位からイス席が設けられている!
さすがに、中央の何列かは後ろにある扉までつながっているのだが。つまりTの字形に着座。イス席にはそれほどの年配者でも方が、空席にならないように座らされている。そのイス席の後ろは勿論ガラガラ状態。それにしても不自然、異様だ。写真の構図的にはお見事なトリックですが。
この写真から推測するに、参加者は500人に遠く及ばないだろう。しかも、この会合は原田会長が出席し、“大会”として会合名を伏せているが、選挙戦に向けての引き締めの会合のはずだ。四者の会合にしてはあまりにも、若者が少なすぎる。
この区の学会総人数の、一割も参加していないことは間違いない。
まあ、状況については参加者しか分からないのだが。
ちなみに、法華講においては、各地に散らばって住んでいる講員が本山で会合をやっても、半分以上出席しますけど。
活動家は、周りの学会員がどんどん減っていく状況に、「何かおかしい?」と気付くべきである。
貴方だけになってしまうかも(悲)
活動家の人数は、少数派である現実を考えましょう。
学会の選挙対策としての「住民票移動」は本当か?
まあ、世間的には大半がYESと思っているところだろうが、実際この手のやり口は、はっきりとした証拠を掴むことが難しいだけに、噂のレベルに留まる。しかし↓
住民票移動あった!
では、書籍より長文の引用となるがまずは、お読みください。
元学会員 替え玉投票を暴露
昭和58年12月16日付 赤旗新聞に掲載した手記
大B担まで務めた兵庫県の渡辺米子さんは赤旗に違法な選挙活動の手記を載せた。
「替え玉投票の最初の体験は昭和38年の神戸市議選、兵庫県議会選挙の時です。私は組織の同志と経験し、組織のなかで信心が弱く、投票日に帰ってこない人の投票入場券を集め、公明党候補当選のために、みんなで替え玉投票をしました。
架空の住所移動は昭和46年の神戸市議選、兵庫県議選の時です。当時の公明党県議候補は今回(昭和58年)衆院選挙兵庫三区から立候補している駒谷明氏でした。
どんなことをしても駒谷候補を当選させよ---との強い指示が出ました。私達夫婦は当時、公明党が候補者をたてなかった神戸市生田区(現中央区)相生町四の八一に住んでいましたので、駒谷候補の選挙区である兵庫県湊町二の三一有本宅に住民票だけをこっそり移しました。
有本さんも学会幹部(副B担)でしたので、バレる心配はありませんでした。私は上部から替え玉投票や住民移動をやったものは絶対に他言してはいけない、自分の胸にだけしまっておくこと、もし他人に口外すれば、ご本尊様もお見通し、冥の照覧といって必ず仏罰があることを指導されました。
もし、選挙違反で捕まっても二十四時間無言でおれば、ご本尊様のお加護で必ず助かる、上部が警察に働きかけてくれると教えられました。創価学会というところは公明党がある限り、政教分離は絶対にできないところです。公明党は見かけだけで、すべて創価学会による選挙です。
池田大作名誉会長が陣頭指揮をとっています。信心を選挙に利用する創価学会は、日蓮大聖人の仏法に反していると考え、退会しました。
沖縄での住民票移動
1981年7月の那覇市議選に際してで、実証の端緒は地域の共産党が有権者名簿などにもとづいて支持者を広げる活動をしたことにある。活動のなかで那覇市に選挙権はあっても、住んでいないというユウレイ有権者があちこちで出てきたのである。
「いったい本人はどこにいるのだろうか-----。住民票を手がかりに前住所地をあたってみると、なんと9人は『前住所』の浦添市にずっといっしょに住んでいたのです。
那覇市と浦添市の両方の『住所地』を調べていくなかで、票移動の手口が明るみになりました。那覇市壺屋の創価学会員T・G宅。ここには同じ日に3人分の票移動をしています。うち2人は58歳の女性とその二男(26歳)。夫を残して2人で転入したことになっていますが、実は浦添市の前住所地に家族で住んでいます。
もう一人、33歳の女性。やはり夫と子どもの3人を残して移転したことになっていますが、実際には浦添市に家族そろって住んでいます。浦添市で創価学会員の両親といっしょに住んでいながらも、自分だけ那覇市内に住民票を移している28歳の女性もいました。転入先の番地はバーでした」(『赤旗』日曜版1981年7月26日付)
那覇市選管はこの共産党の調査をうけて、投票日直前、選挙人名簿から11名の名を抹消した。
創価学会=公明党のたくらみは水泡に帰したわけだが、看過できないのは共産党調査の9人がいずれも3月1日投票の浦添市議選をすませてから、7月19日投票の那覇市議選に再び投票しようとした点である。(中略)たしかにこの9人の移動ぶりはプロなみの手口であり、背後に組織的な指令があったことをうかがわせて十分だろう。
しかし公明党はこの住民票移動から4年もたった85年6月、突如として事件の調査結果なるものを『公明新聞』に載せ、架空転入者のうち創価学会員は2名だけで、しかもその2名も保守系候補を支持するためだったと主張、これにより、「一部政党のデッチ上げ体質が指弾されるにとどまらず、これまでの一部マスコミを含めた公明党に対するいわれなき住民票移動呼ばわりに終止符が打たれた」と強弁した。
世間の賢明な方に、こんな公明党の言い訳を信じる人などいない。
昭和60年にもあった!
都議選で住民票移動17人が抹消
「中央区選出都議選を見守る有志の集い」は都選管に創価学会による架空住民票移動の疑惑を告発、都選管と中央区選管は選挙人名簿から17人を抹消した。
創価学会ヤッパリな!!
【引用書籍】
『実録 創価学会=七つの大罪』(吉良陽一)
昭和43年7月の参院選で、学会は前代未聞の替え玉投票事件を起こしたわけですが、池田さんはその事件を限られた内部の人間には認めたが、社会には一切詫びることはなかったんだなあ。
振り返れば、自分が捕まった大阪事件の時も、多数の逮捕者が出て、後年、この人達に功徳が得られる戦いとまで言って反省はそこそこに、賞賛していたわけだ。
「蒲田四支部結成大会」での池田会長指導(昭和35年12月14日)
「昭和32年の大阪の参議院議員の補欠選挙の時に、蒲田方面の何人かの人が買収事件を起こしました・・・・学会の方針、学会の指導に反してやることはいけませんが、大きい変毒為薬はできます。(中略)あくまで広布流布のために自分はやったのだという、真心があるならば、私は、何らそれは恥ではないし、大御本尊様は大きいし、また自分自身の大きい罪を消していける、信心の上からみれば変毒為薬でもあるし、喜ばしいことであると思うのでございます」
選挙の3日後、毎日新聞は
「投票入場券、十万通消える 大量の不正投票か 世田谷など本人の手に届かず」(7/10日付・夕刊)と掲載。
【事件概要】
郵便受けなどから6千枚もの投票所入場券を盗み出し不在者投票させたもの。
事件には創価学会新宿第三総合ブロック・宮本孝が替え玉指揮官、欧州第二本部・砂川昭夫が副将となり、北林芳典が「戸二読書会」の名目で住民票を閲覧して、替え玉投票を組織、警察に摘発される。
東京地裁は、砂川に禁固1年、執行猶予4年、北林に禁固4ヶ月、執行猶予3年など8人に有罪判決。
池田さんが事件認めた!
【池田の弁】「八矢君(八矢英世副会長 創造社代表)の今回の失敗は前回の区議選の時、正論を言っていられず、秋谷が失敗した。その戒を自分の戒としてやれば、こんな事はない。慎重な反面、傲慢な面がある」社長会
【八矢の弁】「これは私の担当していた一つの新宿区でございましたが、非常に悪質な選挙違反がありまして、私はその総括責任者として非常に、その監督がまずかったわけでございます。で、お前はそういうような非常に油断をしているところがあるというので、大変、度々(池田大作に)叱られました」('81/3月 社長会記録の著作権をめぐる裁判での八矢証言)
【替え玉投票した実行犯の証言】
「ええ、笹林小学校というのが投票所でしたけど、そこへ行ったら受付の人が『生年月日は?』と聞きますねん。聞かれるとは思ってなかったもんで、何の用意もあらしまへん。『昭和17年』自分の生年月日いいました。係の人は『ちがう、昭和8年でしょ』いいますね。こっちはウブというかバカというか意地になって、『昭和17年』いいはりました。そのうち警官が来てその場で逮捕ですね。もうムチャクチャやった。由径さん(替え玉の指示者、ブロック長)がぼくに投票券の年齢合わしてくれているものとばっかり思ってました」1964年 福岡県大牟田市議選での学会員の証言
ほんと、学会は懲りない奴ら、今回もやるつもりか?
【引用書籍】
『実録 創価学会=七つの大罪』 (吉良陽一)
昭和41年に池田は本部総会で、こんな広布流布構想をぶち上げた。
「昭和54年から11年目の昭和65年・・・この年を目標にして、広布流布の大総仕上げにかかりたい。こう決意している次第であります。
なお、この年になりますと、それまでに参議院の選挙は八回になります。また、衆議院の選挙も、最低七回ぐらいはあるでしょう。したがって、公明党も、その時までにはひじょうに力がつくのではないかと考えます。
また折伏も、一千万の基盤は、・・・昭和54年にでき上がれば、65年までには、さらに4、5百万世帯ぐらいはいくのではないかと考えられます。・・・一千万世帯になれば、いまの日本の世帯数は、二千四百万世帯ぐらいですから、ゆうに半分以上を占めることになります。そうなれば、釈尊の“舎衛の三億”の方程式は、事実上まちがいなし、それ以上の結果になることは明らかです」聖教新聞 1966年5月4日付
いかがでしょうか、内部の活動家は、目標達成予定日から20年も経過して、創価学会が広布流布したと思っているのでしょうか?
20年前の時点で学会員が1500万世帯になるって!?
そりゃね~よ。いつになったらゴールなの。活動家もどんだけ頑張らなくちゃならないんだよ。(学会員)
平成11年の時点で、西口副会長が「1000万人が脱会した」って暴露しちゃったでしょ。
また、平成12年の文化庁の推計で「会員数542万人」と分かっちゃったじゃない。
学会は1000万人に不信、不幸を感じさせ退転させた組織です!
もう、ウソつくの止めましょうよ!
驚愕事実!両者が関係認めた!
今月は、元後藤組組長・後藤忠政(67・一年前に天台宗系に得度)が自叙伝で、創価学会との関係を告白するということで出版各社から、その報道が相次いでいる。
衝撃的な内容証明もあったし、こんな教団が存在していいのかという気持ちを一般の人もより強くすることだろう。 【内容証明↑】
【後藤元組長の告白】
<山崎から「何とかならんか」という相談があった。そういう裏の話は当時、あの男(山崎)がすべて仕切っていて、池田ともサシで話し合えるぐらいの実力は持ってたんだ。実際、俺にも「親分のことは池田会長に伝えてあります。池田会長も「くれぐれもよろしく」と言ってました」と言ってたんだから>
<この間('80年)、山崎は学会は破門(除名)になって失脚するんだけど、山崎が作ったパイプは生きていて、今度は地元の公明党の連中を通じて(百条委員会を)「何とかして欲しい」という相談があったんだ。それで(百条委員会設置)賛成派の連中に“話”をしたわけだ>
元組長は学会とのパイプ役として“X氏(編集部談として公明・藤井富雄)”、「密会ビデオ」の存在を認めた。
「フライデー」5/28号 (元後藤組組長が明かしたヤクザと創価学会の真実)
「週刊文春」5/20号 (山口組系元組長が告白した創価学会との関係)
「憚りながら」5/15発売 宝島社 (元後藤組組長の自叙伝)
公明藤井 暴力団との密会認める!
「週刊現代」(平成9年11/22号)で公明党元都議会幹事長は同誌の取材に後藤組組長との面識を認めた。
(編集部)「後藤組組長に会ったことは?」
(藤井)『去年か一昨年頃に…』
(編集部)「後藤組長と会ってどんな話をしたんですか?」
(藤井)『いう必要ない。会ったら、「やあやあ」だよ。おかしな話をするわけがない』
公明元都議幹事長・龍氏も認めた!
「創価学会自体、以前から暴力団と関係があります。池田大作の指示のもと学会の政界や暴力団山関係の交渉の窓口は、当初、私自身が担当していましたからね。私が担当したのは昭和20~30年代にかけてです。その後、竹入義勝元公明党委員長がその役割を引き継ぎましたが、竹入の片腕だったのが、藤井だった。昭和30~40年代のことで竹入が一線を退いてからは、藤井が一手に、裏工作を担当するようになった。いわば、学会、つまり池田大作の〃お庭番〃です」
【警察が認める両者の関係】
オウム事件が起こった折り、捜査に当たっていた当局の幹部はこう証言している。
「この暴力団は別のモンスター教団に食い込んでいて、巨額の報酬を得て、幹部らの警護に当たったり、反対勢力を襲撃するなどの活動をしてきた。教団施設の地上げなどにも暗躍したとかで、教団も最初は非常に重宝がっていたが、そのうち歯止めが効かなくなってきて、最近では、完全に食い物になっているようなんだ」オウム帝国の正体 一橋文哉
この書籍の後藤氏への印税のすべては、社会福祉へ寄付される。
池田狂言の一つ、衆院出馬に関する発言を時系列でもう一度、おさらいしておこう。
最後に、あまりのバカさ加減に仰天されるだろう。
●戸田会長発言
昭和31年7月
「衆議院には候補者を立てない」週刊朝日7/29号
↓
昭和32年7月7日
「わしの力あるかぎりは、断じて政党などやらんぞ」
↓
●池田大作発言
昭和35年6月10日
「創価学会は衆院選には出ません。なぜかならば、あくまでも宗教団体ですから」
↓
昭和36年6月1日
「われわれは政党ではない、ゆえに、けっして、衆議院にその駒を進めるものではない。衆議院ならびに地方議会等、その本質にかんがみて、政党色があってはならない分野に、人材を送るものである」
↓
昭和39年5月3日
「公明政治連盟を一歩前進させたい。すなわち、公明政治連盟をば、皆様方の賛成があるならば、王仏冥合達成のために、また時代の要求、民衆の要望にこたえて、政党にするもよし、衆議員に出すもよし、このようにしたいと思いますけれども、いかがでしょうか。(中略)恩師戸田先生も、時きたらば衆議院へ出よ、とのご遺訓があったのです」
「衆院へ出よ」という遺訓自体作り話だが、もし本当なら昭和35、36年の発言や「皆様方の賛同があるならば」と同意を求める必要性はない。
ここまでの変説経過は知られている話だが、ウソも二転三転し、何が本当なのか分からなくなる発言が飛び出した!
↓
平成7年4月
「本当は私は衆議院にはだしたくなかったんですよ。それは、戸田会長が『衆議院にはださないほうがよいと思う。出すとお前が誤解される』といっていました。しかし、当時の議員たちが『衆参両院なければ本当の政治はできない』といいはじめた。だから、これも時代の流れ、社会と人心の動きというものと思い、時代に即応してゆくことが正しいと判断したものです」『中央公論』4月号
戸田が「断じて政党などやらんぞ」と厳命されたことは、池田によって無に消し去られ、池田の独断で衆院出馬がなされた。というのが実のところだろう。
平成7年の発言に至っては、戸田は後継者を指名しないで死んだのに『出すとお前が誤解される』だって?池田は次期会長に決っていたのか???アホか。
【新狂言】
また、戸田の遺言を無視した議員たちから促されて出馬を決めたことに変説されている。
バカか!こんな話、冷静に読めば始めから最後まで、整合性のないデタラメな作り話ではないか!!!
日顕上人が自ら示した、シアトル事件捏造の最大の証拠は、パスポートに記載された氏名であろう。
クロウら学会側は
1.警察で「ノブオ・アベ」の名で取調べの記録を残した。
2.米連邦政府のデータベースに「ノブオ・アベ」の名で事件の記録がある。
と主張していた。
しかし、当時、日顕上人(当時管長)のパスポートには
「シンノウ・アベ」と確かに記載されているではないか!
警察が取り調べを行うのに、外国人に対し、パスポートの確認を行わないことなど有り得ない!
学会は“阿部信雄”を普通にアベ・ノブオと読んでしまったことから墓穴を掘ってしまったのだ。
これによって、学会捏造のシアトル事件は根底からひっくり返った!