Gabbie's Cafe

 天使のカフェへようこそ

Prophecy ~預言~

2008年04月27日 | Gospel

自分が、どうやら「うつ」だったということに、ずっと気がつきませんでした。あれが一般に言うところの「うつ」だったのだと、自分を含めてだれも気づく者がいなかったのは、いま思えば幸いなことでした。

「うつ」が癒された今、つい先日までのあの苦しみはなんだったのだろう…と思い、もしや…と、うつの症状を説明しているHPをいくつか調べてみたら、自分の今までの状態が、まさにバッチリ当てはまることに気がつきました。

癒されるまで気がつかないなんて…私って一体…。

いや、たぶん神が知らせなかったのだ。神様は、「どうしてこんなことに気がつかなかったのだろう」というようなことも、私の目に隠すべきだと思われればお隠しなさるお方。
「うつ」に気付き、カウンセリングや投薬で治そうとしていたら、こんなに劇的な神の癒しのみ業を、私はおそらく体験することはなかったことでしょう。

いつからだろう。食事を作ったり洗濯物をたたむというような、ごく日常的な家事をするのに絶大な努力がいるようになったのは。たぶん、もう10年ちかい。

あの倦怠感、疲労感、無力感、絶望感。ひいては恐怖感。眠っても眠っても疲れがとれず、毎日のように奇妙な夢に悩まされる。

あなたはもう充分がんばっている、といくら言われても自分にOKが出せず、どうしても自分の存在が人に受け入れられていると思えない。

そんなすべての症状があとかたもなく消えてしまい、いぶかしむ気持ちの反面、妙に腑に落ちている。なぜなら神には、できないことはないのだから。


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オランダ・アムステルダムにて、極限の精神状態の中で神のみ手の中に救われた直後に、わたしに与えられた預言がありました。

「預言者」と紹介されて部屋に入ってきた二人の女性のうちの一人が、その場にいた、世界中から集まった10名ほどの若者のうちの3~4人を選んで指差し、それぞれに預言を与えていきました。
最後に私が指さされ、「あなたはエステル記を読んだことがありますか」と訊く彼女。

子供の頃通っていた教会学校では読んでいたけれど、もう10年以上も触れていなかった聖書。
エステル記って、なんだ?

「あなた、エステル記を読んで御覧なさい。お国は?日本?あなたは日本のエステルになるわ。」

・・・・。

「でもね、すぐにではないのよ。これから神の訓練がはじまる。あなたを使える器として整える訓練よ。神はあなたを削り、剪定し、それには痛みが伴うわ。あなたは、その訓練についてこられますか?」

その人がなにを言っているかもよく飲み込めないまま、なぜか私の目から涙がおちはじめました。
もう、15年も前のこと。


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…以来、エステル記は私にとって、聖書の中で常に特別なものでした。が、肝心の預言については、私はずっと忘れていたのでした。おりに触れて思い出すことがあっても、だいたい一笑に伏してきた。現代における「預言者」、または「預言」というものの信憑性について、はなはだ疑問を持っていたからかもしれません。だからあえてこのことは誰にも、ごくごく親しい友人にすら、話すことはなかった。
「気がふれている」。そう思われるのがおちと思ったからです。


しかし、まるで目隠しが取り払われるように全てが明らかになった今、到底あらがうことのできない圧倒的な神の臨在を前に、あの時の預言はただごとではなかったのだということを悟りました。15年にわたる訓練の時期とやらが、どうやら終わりを迎えたのだということも。


灰をかぶって伏していた時期があった。いなごに食い荒らされ、自分の人生はもう再生が不可能だと思った時期があった。漆黒の闇の中で、もう朝がやってくるとなど思えなかった日々があった。けれど今、荒れ野の時期が終わったのだと、深いところで確信があります。
神は私の目の前で、私の「いなごに食い荒らされた日々」をたった3日間で再生され、これから私の人生は、神のための器、通り良き管として、神に用いられることに費やされることとなるでしょう。


       古い全てが過ぎ去り、今、新しいことが、主ご自身のみ手により、はじまる。






TOKAちゃんと…

2008年04月22日 | Cafe Gallery

おとなりのK吉おじいちゃんの家には、トカちゃんという名前の雑種犬がいます。10年前の8月10日にK吉おじいちゃんが拾ってきた…十日に拾われたから、名前はトカ。とっても利口な、かわいいやつ。

トカちゃんは、実は二歳になる次男Rのお友達。過疎の村には近くに遊べる同年代の子供など望むべくもなく、Rは外に遊びに出ると、必ずと言っていいほど「ワンワン、ワンワン」と言いながらトカちゃんのところへと一生懸命に歩き出します。
自分の背丈と変わらない犬に臆する様子もなく、Rはキャッキャと声をあげながらトカちゃんを目指して行きます。ずんずんまっしぐらに自分を目指してやってくる子供…トカちゃんは、ちゃんと相手を見ることのできる犬。やさしく穏やかな目をしてRを迎えます。恐れもせずに嬉しそうに自分をなでまわすRを、トカちゃんが脅かしたりしたことは今まで一度としてありません。つたない歩みのRが自分のくさりで躓かないようにと、注意を払ってすらいるように見えます。

イヌ年生まれのRと、同じくイヌ年生まれの自分の幼少期がダブります。たしか6歳ぐらいの時。蓼科かどこかに泊りがけで遊びに行き、そこで大きな犬に顔面をぱっくり噛まれたことのある私。左の頬にしっかりと噛まれた歯型が付くほどでした。
そんなことがあっても、私のイヌ好きは一向に変わりませんでした。私は、どこかで確信しています。ムツゴロウ先生さながらに、自分はたいていのイヌと心を通わせることができるのだと。トカちゃんとも、やはりそうです。

去年大きな手術をされてから、めっきり体力が落ちてしまったK吉おじいちゃん。なかなかトカちゃんをお散歩に連れ出すことができません。気候がずいぶんとよくなってきたので、Rに付き添って毎日のように遊びに行っているうちに、ふといい考えが浮かびました。
「K吉おじいちゃん、今度トカちゃんをお散歩に連れ出していいですか?」おじいちゃんは、最近自分がしてやれないからと大喜び。

最近やっと自転車の補助輪を外す気になったTですが、キックボードでバランス感覚を養っていたからか、ほとんど練習の必要もなくあっという間にスイスイと乗るようになっていました。
彼が学校から帰る時間になっても、九州の西日はなかなか落ちません。たいていは帰宅後に家の周りで自転車を転がすT。そんなTと一緒にトカちゃんを誘いに行ってみます。

                      

「トカちゃん!行こう!」と声をかけると、小屋の中で寝ていたトカちゃんははじかれたように立ち上がって尻尾を振りました。
ずっとずっと、ずっと飼いたくても飼えなかった犬。リードを引っ張られる感覚が、なんとも気持ち良い。
トカちゃんは道草を食いながら、またさっさとジョギングペースで走りながら、夕方の散歩を満喫している様子。道端にはあざみが咲いていたり、タンポポの綿毛が群生していたり…。私の日ごろの運動不足も、なんだか解消できそうな。

誘導なんかしなくても、ちゃんと自分の行く道を心得ているトカちゃん。それどころか「こっちだよ」と私を案内しているよう。そして約30分ほどの散歩コースを満喫し、ちゃ~んと自分の家まで帰りました。

K吉おじいちゃんもトカちゃんも、私もTも幸せになった嬉しい午後。雨でないときには、トカちゃん、またお迎えに行くよ!

                   




有能な妻

2008年04月21日 | Gospel


             有能な妻を見いだすのは誰か。真珠よりはるかに貴い妻を。
            夫は心から彼女を信頼している。儲けに不足することはない。 
                         彼女は生涯の日々
                夫に幸いはもたらすが、災いはもたらさない。
                         羊毛と亜麻を求め
                   手ずから望みどおりのものに仕立てる。
                         商人の船のように
                       遠くからパンを運んで来る。

                       夜の明ける前に起き出して
                        一族には食べ物を供し
                    召し使いの女たちには指図を与える。
                         熟慮して畑を買い
                   手ずから実らせた儲けでぶどう畑をひらく。
                     力強く腰に帯し、腕を強くする。
                      商売が好調かどうか味わい
                      灯は夜も消えることがない。
                  手を糸車に伸べ、手のひらに錘をあやつる。
                貧しい人には手を開き、乏しい人に手を伸べる。
          雪が降っても一族に憂いはない。一族は皆、衣を重ねているから。
               敷物を自分のために織り、麻と紫の衣を着ている。

                        夫は名を知られた人で
                   その地の長老らと城門で座に着いている。
                  彼女は亜麻布を織って売り、帯を商人に渡す。
                   力と気品をまとい、未来にほほえみかける。
                      口を開いて知恵の言葉を語り
                     慈しみの教えをその舌にのせる。
                     一族の様子によく目を配り
                     怠惰のパンを食べることはない。
                    息子らは立って彼女を幸いな人と呼び
                      夫は彼女をたたえて言う。
                       「有能な女は多いが
                   あなたはなお、そのすべてにまさる」と。

          あでやかさは欺き、美しさは空しい。主を畏れる女こそ、たたえられる。
            彼女にその手の実りを報いよ。その業を町の城門でたたえよ。

                         箴言31・10~31


・・・はじめて読んだ時からずっと憧れている「理想の妻」像。まだ結婚すらしていない頃から、訳もなく惹かれた箇所でした。かっこいいな。素敵だな。こんな風になれるのかな。なれたら、いいな。

いまはかけ離れているけれど、神様みこころならばこんな風に、ぜひ私を作り変えてください…。







Psalm 126

2008年04月15日 | Gospel

           


                        都に上る歌。

               主がシオンの捕われ人を連れ帰られると聞いて
               わたしたちは夢を見ている人のようになった。

                 そのときには、わたしたちの口に笑いが
                   舌に喜びの歌が満ちるであろう。
                  そのときには、国々も言うであろう
              「主はこの人々に、大きな業を成し遂げられた」と。

                     主よ、わたしたちのために
           大きな業を成し遂げてください。わたしたちは喜び祝うでしょう。

                主よ、ネゲブに川の流れを導くかのように
               わたしたちの捕われ人を連れ帰ってください。


                      涙と共に種を蒔く人は
                     喜びの歌と共に刈り入れる。

                       種の袋を背負い
                     泣きながら出て行った人は
                      束ねた穂を背負い
                  喜びの歌をうたいながら帰ってくる。


               ~ Jぽろにもらった日めくり、4/15の御言葉 ~
 



Psalm 139

2008年04月14日 | Gospel

            


                      主よ、あなたはわたしを究め
                       わたしを知っておられる。
                       座るのも立つのも知り
                  遠くからわたしの計らいを悟っておられる。
                       歩くのも伏すのも見分け
                    わたしの道にことごとく通じておられる。
                   わたしの舌がまだひと言も語らぬさきに
                    主よ、あなたはすべてを知っておられる。
                     前からも後からもわたしを囲み
                    御手をわたしの上に置いていてくださる。
                     その驚くべき知識はわたしを超え
                     あまりにも高くて到達できない。

                          どこに行けば
                    あなたの霊から離れることができよう。
                 どこに逃れれば、御顔を避けることができよう。
                   天に登ろうとも、あなたはそこにいまし
                    陰府(よみ)に身を横たえようとも
                        見よ、あなたはそこにいます。
                  曙の翼を駆って海のかなたに行き着こうとも
                         あなたはそこにもいまし
                        御手をもってわたしを導き
                  右の御手をもってわたしをとらえてくださる。

                           わたしは言う。
                    「闇の中でも主はわたしを見ておられる。
                      夜も光がわたしを照らし出す。」
                    闇もあなたに比べれば闇とは言えない。
                       夜も昼も共に光を放ち
                     闇も、光も、変わるところがない。

                     あなたは、わたしの内臓を造り
                  母の胎内にわたしを組み立ててくださった。
                     わたしはあなたに感謝をささげる。
                      わたしは恐ろしい力によって
                    驚くべきものに造り上げられている。
                     御業がどんなに驚くべきものか
                     わたしの魂はよく知っている。
                    秘められたところでわたしは造られ
                      深い地の底で織りなされた。
                  あなたには、わたしの骨も隠されてはいない。
                 胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。
                 わたしの日々はあなたの書にすべて記されている
                    まだその一日も造られないうちから。
                       あなたの御計らいは
                    わたしのとっていかに貴いことか。
                    神よ、いかにそれは数多いことか。
                    数えようとしても、砂の粒より多く
                     その果てを極めたと思っても
                    わたしはなお、あなたの中にいる。


                          ~中略~


                        神よ、わたしを究め
                     わたしの心を知ってください。
                   わたしを試し、悩みをを知ってください。
                         御覧ください
                   わたしの内に迷いの道があるかどうかを。
                        どうか、わたしを
                     とこしえの道に導いてください。





Bags

2008年04月06日 | Kid's Plate

            
   http://blog.goo.ne.jp/kimono-fuku/e/c074a3a2c4912d16463f844c6348f4c0

いまから3年前の早春の頃、4才を目前にした長男Tを信頼する友人F・Mariとその子供たちのところにお願いし、私は珍しく単身で、友人であり人生の良き先輩でもあるおばあを、丘の上の洋館に訪ねました。
もう5年以上も前に、ヨメに行った地域のゴスペルクワイヤへ参加してみると、必ずいつもお洒落な装いであらわれる上品なご婦人がいました。ハイソな香りが漂う彼女に、私のようなコゾウなど相手にしていただけないかと思いきや…知り合ってみたら実に気さくなお人柄。なんだか気付かないうちに冗談を言って笑い合う仲となっていました。
それがおばあとの出会い。以来母親として女性としての彼女の生き方を、私は心から敬愛しています。

おばあを語るのに欠かせないのが、なんと言ってもその手仕事。彼女の抜群のセンスから生み出されるオシャレなハンドメイドの作品はどれも逸品で、う~ん!とうならされるものばかりです。

Tがプレ幼稚園のクラスに通い始める前、手作りの通園バッグを作るようにと園の説明会で型紙を渡されました。私の洋裁の腕たるや、小学校の頃に手芸クラブに入っていた以来、という程度のものですから、はじめから自分だけでなんとかなるなどと思えるはずもありません。ミシンも、母が残していったものはあるものの、果たして動くのかすらも判らない。。
で、真っ先に頼ったのはもちろんおばあ。「美味しい生ハムがあるから、ランチしながら作ったらいいわよ」と、彼女は私の勝手で突然の申し出を、快く受け入れてくれました。

愛犬のハンチャとB子さんに迎えられ、自慢の庭の木たちを望む2階の工房に招かれました。手が止まらない程度の会話が心地よく、おばあの的確なアドバイスとサポートのもと、二十余年ぶりのハンドメイド作業は着々と進んで行ったのでした。
…そして出来上がったのが、トップ写真の通園バッグ。真新しくてピカピカだったバッグは、Tと一緒に1300kmを引越しし、当初思っていたのとは別の場所で活躍することとなりました。2年以上毎日使ってあちこち縫い目がほどけ、Tが付けていったバッジやらキーホルダーでジャラジャラし、この春、ついに引退の季節を迎えました。
                  

…通園バッグと一緒にTもいよいよ卒園で、四月からはランドセルの一年生です…三年前を思い出し、感謝を込めておばあにお知らせをすると、「早いねぇぇ」と驚きつつ喜んでくれた彼女。
そしてある日のポストに、入学祝いが届きました。
包みを開くと、あらわれたのはスタイリッシュなFILAのリュック。今まで持っていたキャラクターのリュックに比べてずっとお兄さんな印象に、Tも一目惚れです。

一年生には少々贅沢過ぎでは?
  …いえいえ、幼い時からセンスの良いものに触れておく事こそ大切よ。
                        おばあのそんな意識の高さがほの見えるセレクションです。

                  

あの、三年前のおばあの工房を思い出しながら、眠っていた我が家のミシンを引っ張り出しました。
彼女のアドバイスと手助けが恋しいけれど、今度は独りでやってみます。
上履き入れに給食袋、体操着入れ。なにやら最近わが家で流行り、出演者たちがすっかり家族のようになった「ゲキちゃん」の生地をネットで取り寄せて縫ってみると、何年もお蔵入りしていたとは思えないミシンのすべりにたちまち夢中に…。

これを機会にミシンをしまわずに出しておこう。一度ミシン屋さんで手入れをしてもらうといいかもな。
おばあみたいにはいかないまでも、簡単なものだけでもサッと縫えるってやっぱりかっこいいもんね☆





アネモネ

2008年04月01日 | Gospel

             


“野の花がどうして育っているか、考えてみるがよい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、栄華を極めた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。”
                               新約聖書・マタイによる福音書6章28~30